誰かの思い出ーホントノキモチ (改訂版)

小学校四年の時、幸一は美紗子に告白され、好きなのに振ってしまいます。それが原因で美紗子は四年生残りの半年間、無視や軽い虐めを受けます。五年になり別々のクラスになった美紗子と幸一、それと美紗子をからかっていた太一。この三人のゴールデンウィークからの約一週間の物語です。
また番外編はあれから6年後の太一と美紗子の生活が少しでも見えればと思い書きました。
またこちらの小説は他サイトにも投稿してあります。

第一話 美紗子と幸一

 美紗子は幸一の事が好きだった。
 今から半年以上前、小学四年の時、誰もいなくなった教室で告白した事がある。
 「やめてよ」
 幸一はそう言うと友達の待つ校庭に出て行った。
 そして美紗子は次の日からからかわれ、虐められる様になった。
 幸一がその事を友達に話したのだ。

 幸一は美紗子の事が本当は好きだった。
 席も近く、グループも同じなので給食や班研究はいつも一緒だった。
 美紗子は肩までかかる髪を両脇で編みこみ、幸一にとっては自分とは違う別世界のお嬢様に見えた。
 そんな美紗子に告白され、思わず気持ちとは逆の言葉が出たのだ。
 「やめてよ」
 と、言ってしまった。
 そもそも以前は二人共仲が良く、クラスの数人からは軽く冷やかされたり、黒板に相合傘を書かれたりしていた。幸一はそういう冷やかされるのが嫌だった。美紗子に告白された時〈また冷やかされる〉と、咄嗟に思いあんな言葉が口から出たのかも知れない。
 美紗子と別れ、校庭に出た幸一を待っていたのは友達の冷やかしだった。
 「美紗子なんだって?」
 「幸一と二人っきりになるの待ってたんだろ?」
 「チューとかして来たの?」
 そんな冷やかしが嫌で、幸一は言った。
 「僕、アイツとは何でもないから。何か言われたけど、振ってきた」
 言ってしまった。
 その日のうちに噂は広まった。
 (美紗子が幸一に告って振られた)
 (美紗子がしつこくて幸一が振った)
 (美紗子ってウザいらしい)
 そして次の日から男子が美紗子をからかい、女子が陰口を言うようになった。
 幸一はそれ以来美紗子に話しかける事が出来なかった。
 一度口から出た言葉を訂正するのは難しい。例え本意でなかったにしても。
 五年生の今、幸一と美紗子は別々のクラスになり、美紗子への虐めもなくなった。そして幸一は強く後悔していた。


 五月のゴールデンウィーク。
 美紗子は買い揃えている少女漫画のコミックを求めて近くの本屋に来ていた。
 平積みにしてあるコミックの新刊コーナーから、揃えているコミックを一冊取り、文房具のコーナーを眺めながらレジへ向かう時だった。同い年位の男の子がカラーペンを五本自分の手提げに落とし入れるのが見えた。
 万引きだ。
 咄嗟に美紗子はそう思った。
 顔を見ると知っている顔だった。四年の時同じクラスで、幸一の友達の一人だった、遠野太一君だ。
 太一は何食わぬ顔で店を出て行った。
 美紗子はレジで支払いを済ませ、太一の跡をつける事にした。

 幸一はゴールデンウィークの連休を持て余していた。
 親がサービス業で共働きの幸一の家では、兄弟姉妹のいない幸一は休日はいつも一人ぼっちだった。
 マンションを出て外に出た。
 何する訳でもなく住宅街を散歩して歩く。
 晴天でちょっと暑い位の日だ。幸一は少し汗をかき、腕で汗を拭き取ろうとした時、フッと、視線に気付いた。
 誰かが自分を見ている。そんな気がして視線の先を眺めた。
 少し先の七階建てのマンションの二階の部屋の窓から女の子が幸一を見ていた。
 随分と痩せたその女の子は幸一と同い年か、それより下に見えた。
 何かもごもご言っている様だった。
 幸一は必死に口の動きを真似して何を言っているのか読み取ろうとした。
 「た・・・す・・・け・・・・て」
 「助けて?」
 思わず幸一は声に出した。


   つづく
 

第二話 太一と美紗子

 太一は本屋からそれ程離れていない公園に入って行った。
 美紗子も跡をついて入って行く。
 美紗子に気付かない太一は公園のベンチに座り、手提げから筆箱を出し開いた。続いて盗んだカラーペンを出して、筆箱に詰め始めた。
 美紗子は少し恐々と太一に近づいて行った。
 強い日差しが伸ばした美紗子の影が太一のつま先に届いた時、太一は顔を上げ美紗子に気付いた。
 「なーに?」
 太一は少し強張った顔でそう言った。
 美紗子は太一の顔をじっと眺めてから意を決して言った。
 「私、本屋で見た」
 「へー」
 太一は顔色一つ変えないで言った。
 「どうするの?告げ口するの?証拠は?もう本屋から出て離れてるんだけど?」
 出来るだけゆっくり、余裕を見せる様に太一が言う。
 美紗子も負けじと太一の顔を見ながら言い出した。
 「最初は四年の時虐められた腹いせに太一君の親や、本屋さんに言いつけようと思った」
 美紗子の話に太一は眉一つ動かさずに黙って聞いていた。
 「でも、告げ口はやめた。黙っているから私には金輪際関わらないで。それともう万引きはしないって誓って」
 そう美紗子は言った。
 「関わらないってのは良いよ。お互いの為だ。でも、万引きしちゃいけないってのは分らない。何で駄目なの」
 太一が言う。
 美紗子には太一の考えが分らなかった。そして言ってる事が分らない太一に腹が立ってきた。
 「駄目でしょ!人の物を盗んだら!お店の人に迷惑かけてんのよ」
 美紗子は感情的になり少し大きな声で言った。
 太一はビックリしながら言い返した。
 「でも、人から盗んだ感覚ないよ。店の棚から盗っただけ。誰とも会ってないし、店の人だって分らないだろ。盗まれたの」
 「分る分らないじゃないでしょ。それは物だけどお金を払って買う物なのよ。言い換えればお金を盗んだのと同じ事なの」
 あまりにも分らない太一に美紗子はイライラしながら言った。
 「でも実際はお金じゃない。僕が盗ったのは物だ。僕はお金は盗まない。それは犯罪だ」
 太一が冷静に反論して来た。
 「物を盗むのも犯罪なの!色んな人に迷惑をかけてるの。それで困っている人もいる筈なの」
 言いながら、美紗子は太一と話すのがほとほと嫌になって来ていた。
 「もし美紗子の言う通りだとしても、俺の問題だ。美紗子には関係ないだろ」
 太一が言った。
 「関係なくないわ。私見たもの。私は見て、知って、関わった事がそんなのじゃ嫌なの。ちゃんとして貰いたいの」
 美紗子が言い返した。
 「そんな、面倒臭い事」
 「面倒臭くても何でも、ちゃんとして貰いたいの。万引きは良くないの。やめて」
 太一の言葉に美紗子が言った。
 「分ったよ」
 太一が急に立ち上がり、言った。
 「なんとなく分った。良く考えてみる」
 そう言うと太一は美紗子の脇を通り、歩き出して行った。
 「待って、約束だからね」
 去って行く太一に美紗子が声をかける。
 「うん・・・」
 太一は弱々しく答えた。

 太一が家に帰ると母親が待っていた。
 太一の家はお金に厳しい家だった。母親は細かくお金を貯め、家のローンの頭金を貯めた事が少し自慢だった。だから、太一に対してもお金の管理に煩かった。
 今日も帰るなり、小遣い帳と財布の中身を母親が確認した。
 「お金にきっちりしている人間はきっちりした人間になるのよ」
 太一の母親の口癖だ。
 そしてこの母親が太一の悩みの種だった。
 自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がりながら太一は考えた。
 お金は使うと無くなって、直ぐ無くなると母親に叱られるだろう。でも、必要な物もあるし、欲しい物もある。お金を減らさず、欲しい物も手に入れるには万引きするのが楽だ。
 そう思った時、さっきの美紗子の
 「約束だからね」
 と言う声と顔が頭をよぎった。
 太一はそもそも美紗子を嫌いではなかった。寧ろ好きなタイプだった。それが四年の時友達だった幸一と仲が良く、告白したと言う話を聞いて、邪魔したくなっただけなのだ。
 「あいつ、優しいな」
 そう言うと太一は静かに目を閉じた。


  つづく

第三話 幸一と警官とマンションの女の子

 「助けてって言ってる」
 「じゃあ警察でしょう。いい、危険な事になったらいけないから、絶対一人で行っちゃ駄目よ」
 「分った。警察行ってみる」
 「うん、気になるんならそうしなさい。ママはまだ仕事中だから、6時には帰って来れると思うから」
 「うん、分った。じゃあ切る」
 幸一は仕事中の母親にスマホで連絡を入れていた。携帯・スマホは学校への持込みは禁止だが、幸一の家は共働きなので、連絡用に買い与えていた。
 マンションの二階の部屋から女の子が窓を開けて助けを求めて来た。
 幸一は何かしなければと思ったのだ。

 住宅街から大通りに出る所に派出所がある。
 先程のマンションから二十分程で派出所に着くと、幸一は見たままを数人いた警察官に話した。一人の警察官が同行してくれる事になったが、事件性が薄いという事で二人で歩いてマンションに向かう事になった。住宅街にパトカーが訳も無く止めてあると、近隣の人が色々勘繰るだろうという理由もあった。

 ピンポーン
 先程幸一が見たと言うマンションの部屋のチャイムを警察が押す。
 外から見た時今度は窓は閉まり、カーテンが掛かっていた。
 ピンポーン
 誰も出て来ない。
 ピンポーン
 三回目のチャイムを鳴らした直後だった。
 何の返事も無く扉が開き、先程の女の子の母親と思しき女性が出て来た。
 「警察ですけど、こちらに女の子はいますか?」
 警察官が尋ねたが女性は黙ったままだった。
 「お母さんですよね?娘さんはいますか?」
 再度尋ねる。
 「はい、娘がいます。今寝てます。少し熱があるんです」
 今度は女性は答えた。
 「娘さんに会えますか?中に入っても良いですか?」
 警察官が更に尋ねると、女性は表情を険しくして言った。
 「娘は熱があって寝てるので会えません。中にも入れません。何の権利があって言ってるんですか?税金はちゃんと払ってる筈ですよ。私と娘について調べてるなら市役所に行って調べればいいでしょう」
 女性は見るからにイライラしている感じだった。
 「いえ、そんな大袈裟な話ではなく、ただの住民調査です。ご協力有難うございます。失礼します」
 そう言って一礼すると、警察官は幸一の手を引っ張り、部屋の前の通路を歩き始めた。
 女性は警察官が通路の真ん中にあるエレベータホールに曲がるのを見てドアを閉めた。
 「玄関に女の子の靴なかったね」
 エレベーターに乗ってから警察官が幸一に言った。
 「えっ」
 幸一は気付いていなかった。
 「大体分ったよ。これは警察の仕事じゃないかもな」
 警察官の話を幸一は黙って聞いていた。
 エレベーターは一階に着いて、二人はロビーからマンションの外に出た。
 「おじさんが児童相談所に連絡入れて調べて貰うから。もう大丈夫。心配しなくていいんだよ。後は行政に任せて」
 警察官が言った。


 午後八時、父親が帰って来て、幸一の家は全員揃った。
 「児童相談所?そう言ったのかい?」
 「うん。言った」
 父親の質問に幸一は答えた。
 「じゃああれだな、今流行の監禁だろう」
 「監禁?」
 今度は父親の言葉に幸一が尋ねる。
 「子供を学校に行かせないで閉じ込めてしまう親が最近多いんだって」
 「なんで?」
 「知らないよ。人それぞれ事情はあるからな。お前はいいんだぞ。学校行かして貰えんだから」
 そう言うと父親はニヤニヤした。
 幸一は父親のこういう所は嫌いだった。
 「幸一が女の子を見た時はきっとお母さん留守だったのね、それで急いで窓を開けたら幸一が見えて、『助けて』って言ったのよ。その後警察が来る前にお母さんが戻ってきたのね」
 母親が台所で片づけをしながら言った。
 「可哀想だな。可哀想だが、どうにも出来ない。パパやママや幸一ではどうにも出来ない」
 父親が静かに言った。
 「助けてあげられないの?僕では助けられないの?僕に助けてって言ったんだよ」
 幸一が父親と母親の両方に向かって言った。
 「幸一にも出来る事と出来ない事がある。これは出来ない事だ。でも、警察を呼んでやった、警察が児童相談所に連絡すると言う、良かったじゃないか」
 「そうよ、警察呼んだんだから、良い事したのよ」
 幸一の両親が言った。

 その日の夜中。
 幸一はマンションの女の子宛に、せめてもと思い手紙を書いた。
 明日渡しに行こうと。

   つづく

第四話 瑞穂と幸一

 今年のゴールデンウィークは学校も五連休だ。
 幸一は昨日寝たのが遅かったので、起きたのは十時を過ぎていた。両親はとうにいない。テーブルの上に幸一の朝食だけが置いてあった。幸一は朝食を食べ、着替えると、自宅マンションを出た。
 昨日のマンションの子に手紙を渡す為だ。

 幸一がマンションの近くまで来ると、辺りにチラホラと人が出ていて、マンションの下に止められていた二台の車の周りで何か騒ぎが起きていた。
 「子供を連れてかないで!離して!離して!」
 昨日の女の子の母親が叫んでいる。
 「このままじゃお子さんが死んでしまいますよ。だったら何でこんなになるまでこんな事してたんですか?瑞穂ちゃんの為でもあるんです。誰も貴女から取り上げようって事じゃないんです。冷静に、ゆっくり話し合いましょう」
 母親を抑えながら職員風な服装の年配の女性が諭すように言った。
 「うう・・、あの子がいないと生きていけないんです。直ぐに会えますか?」
 泣きじゃくりながら母親が周りを囲む数人の職員風の人達に尋ねる。
 「話し合いましょう」
 先程の年配の女性がやはり諭す様に言った。
 母親はその場にしゃがみ込んだ。
 一段落着いた様だった。

 二台ある車のうちの先頭の車には昨日幸一に助けを求めた女の子が乗せられていた。
 幸一は自分の所為だと思った。
 自分が昨日警察に知らせた事で何か大変な事になったんだ。お母さんが泣いてる。あの子とお母さんが引き離されるんだ。僕が警察に言ったからだ。と。
 「やめてー」
 そう言うと幸一は走り出し、女の子を車に乗せている中年男性の背中にしがみついて更に言った。
 「お願いだからやめてよ。お母さん泣いてるじゃないか。僕はその子を助けたいのに、お母さん泣いてるじゃないか」
 男性は女の子を乗せ終えると幸一の方に振り向き言った。
 「何するんだ!邪魔するんじゃない」
 そう言うと男性は女の子の隣に座ろうとした。
 「僕が警察を呼んだから、僕が警察を呼んだから」
 幸一が声にならない声で叫んだ。

 「警察?」
 車の周りにいた若いやはり職員風の女性が幸一の言葉に反応した。
 「君が幸一君?」
 若い女性は幸一の方に近づきながら言った。
 「はい?」
 幸一が何の事か分らないまま返答する。
 「警察から昨日連絡を貰ったの。私たちは児童相談所の者です」
 女性はそう言った。
 確かに昨日幸一は警察で、氏名・住所・保護者名・保護者連絡先を書かされていた。
 「警察から話は聞いてるわ。君が瑞穂ちゃんを見つけたのね」
 「みずほちゃん?」
 幸一は聞き返した。
 「あの子は小川瑞穂ちゃんって言うの。君の凄く痩せていたって証言と、警察の自宅に瑞穂ちゃんの靴が無かったと言う話から、今日緊急保護する事になったの。お母さんからは何か聞いてない?」
 女性職員が言った。
 「朝起きた時はもう居なかったし、何も聞いていません。あの、保護って」
 幸一は尋ねた。
 「あのまま、あのお母さんと一緒にいたら瑞穂ちゃんがきっと死んでしまうって判断したの。だからそうならないように、お母さんも少し休んで心を落ち着けて貰って、その間瑞穂ちゃんも三食食べられる状況で、普通の小学生の心と体の状態に戻していくの。瑞穂ちゃん、本当は学校に通っていれば今は六年生なのよ。でも痩せ細ってそんな風には見えないでしょ?」
 「年下かと思った」
 幸一が言った。
 「相談所でも去年学校から連絡貰って確認はしていたんだけど、君のおかげよ。大変な事になる前に助けてあげられるわ」
 「助けられるの?本当に?あの子も?あの子のお母さんも?」
 女性職員の話に幸一は尋ねた。
 「ええ、きっと良い方向になるわ」
 女性職員は答えた。
 「良かった。それなら良かった」
 幸一は喜びながら言った。
 「あのね、あの子、瑞穂ちゃんに手紙書いて来たんです。渡して下さい」
 幸一はポケットから四つ折りの手紙を出して言った。
 「そう。きっと瑞穂ちゃんも喜ぶわ。今渡してあげるね」
 そう言うと女性職員は幸一から手紙を受け取り、男性職員の乗っている側とは反対の後部ドアを開けて、瑞穂に手紙を渡した。
 そして再び幸一の前に来ると、
 「もう行かなくちゃいけないの」
 と言い、軽く幸一に挨拶をしてまた車の方に戻るとそのまま乗り込んで、瑞穂を乗せたその車は走り出して行った。
 幸一は走り去っていく車を眺めていた。その間にも静かになった母親を乗せた車が五分と経たず出て行った。マンションの前に止まっていた二台の車は両方ともいなくなった。見に来ていた人達も散り散りに何時の間にかいなくなり、最後は幸一が一人で立っていた。

 走り出した車の中で、瑞穂は幸一からの手紙を広げた。

『僕はまだ子供で君を助けてあげられません。でも、僕が見つけたんだから、他の人も君を見つけて、そしたらきっと君を助けられる人も君を見つけるはずだから。だから、ごめんなさい。僕は見つける事しか出来ませんでした』

 瑞穂の痩せ細り乾燥した顔の瞳から涙が落ちて、幸一の手紙に滲んだ。


  つづく               


 追記
 その日の朝。幸一の母親に児童相談所から連絡が入っていた。
 小川瑞穂の保護についてだ。
 瑞穂の両親は一年半前に離婚しており、父親が家を出てから瑞穂は学校に来なくなった。小学校からも一年前に母親が閉じ込めているらしいと言う連絡を貰ってはいたが、生活保護申請等も出されていないので、生活出来ていると思いチェックは入れていたが様子を見ている段階だった。
 それが昨日、警察から危険な状態ではなかろうかと連絡が入り、今日これから強制的に保護しに行く。
 ついては幸一君が瑞穂の発見者として、今後、精神的に不安定になる様な事もあるかもしれない。その場合はカウンセリング等の相談にも応じますので、何かの時にはご連絡下さいと言う話だった。
 しかし、幸一の母親は寧ろこの連絡については伝えないほうが良いのではないかと思い。
 幸一にこの事は話さなかった。

第五話 太一と幸一

 ゴールデンウィーク三日目の午後、太一が幸一のマンションにやって来た。
 「久し振り」
 そういう太一に幸一は無言だった。
 「親いる?」
 「いない」
 今度は幸一も答えた。
 「お邪魔するよ」
 そう言うと太一はドアを閉めて中に入った。

 幸一は太一をリビングのテーブルに座らせ、コーラをペットボトルからグラスに二つに注ぎ、一つを太一の前に置き、一つを持ちながら向かい側に座った。
 五年になり、幸一と太一もクラスが別々になり久しく会っていなかった。
 そもそも四年の時、太一は美紗子をからかっていた一人で、幸一は混ざらず見て見ぬ振りしていたので、徐々に友達関係は切れていた。
 「で、何?」
 幸一が尋ねた。
 「お前俺の事嫌いか?」
 太一も尋ねた。
 「今は何とも思わない」
 幸一が答えた。
 「そうか。俺もお前の事は何とも思わない。ただ、話したい事があっただけだ」
 太一はそう言うと続けて言った。
 「二日前、美紗子に会った。覚えてるか?四年のクラスで一緒だった」
 「覚えてるよ。お前らが虐めてた」
 幸一は直ぐ答えた。
 「そう、その美紗子に俺は万引きする所を見られた」
 「万引き?」
 幸一は驚いた声で聞き返した。
 「そう、万引きする所を見られた」
 太一は繰り返し言った。
 そして太一は公園で美紗子と話した事を幸一に話した。
 美紗子に関わらない代わりに今回は黙ってくれるという事。
 万引きが何故いけないか良く分らない事。

 「それで俺は昨日良く考えた。俺は多分、美紗子の言う事が分ってたんだと思う」
 太一の話に幸一は黙っていた。
 「本当は分ってるんだけど分らない振りをする。そうすると楽だから」
 「楽だから?」
 幸一が聞き返す。
 「そう。俺は、いや、俺だけじゃない。きっとお前も、もしかすると皆かも知れない。本当は分っている事でも、分らない方が楽だと思うと、分らない振りをするんだ。俺は本当は頭では万引きは良くないのは分ってる。でも、万引きしようと思う時には何でしちゃいけないのか分らない様に思うんだ。その方が楽だから」
 「ちょっと待ってよ、それと僕がどう関係あるんだ?そんな話僕には関係ないだろう」
 堪らず幸一が太一の話を遮った。
 「関係ある」
 太一が言った。
 「俺は色んな事を誤魔化して来た。でも二日前美紗子に会って考えが変わった。俺は誤魔化さない。自分の本当の気持ちを言う。本当は美紗子が好きだった。二日前会った美紗子も可愛いかった」
 「え?」
 幸一は太一の告白に驚いた。
 「お前もそうだろ?幸一」
 「え?」
 幸一はまた驚いた。
 「四年の時、本当は美紗子の事好きだった男子多かったんだ。男子に人気あったから女子からは元々嫉妬されてた。お前が美紗子の事好きなのも分ってた。でもお前は自分の気持ちを誤魔化して美紗子の事振った。俺達はお前らを引き離すようにからかった。皆その方が楽だったからだ」
 幸一は黙っていた。
 太一は更に続けた。
 「でも美紗子だけは誤魔化さなかった。楽な道を選ばなかった。ちゃんとお前に告白したんだろ?俺の万引きにもちゃんと受け答えしてくれた」
 「でも、もう遅いよ」
 幸一が重い口を開けて言った。
 「遅いとかそういう話じゃない!俺もお前もちゃんと美紗子に本当の事を言うべきなんだ。付き合う、付き合わないとか、振る、振られるって事じゃないんだ。俺はからかった事ちゃんと謝って、好きだった事伝える。だからお前もそうしろ。それから俺は親に何回か万引きした事があるってちゃんと言う」
 太一が言った。
 「万引きしたなんて親に言ったら」
 「構わない!」
 幸一の言葉を遮り太一が大声で言う。
 「構わないんだ。昨日一日考えたんだ。俺は病気なんじゃないかっても考えた。でもそうじゃない。楽な方楽な方って考えが行ってたんだ。誤魔化さないで、試しに本当の気持ちで生きてみたいんだ。親とも面倒臭い話をちゃんとしたいんだ」
 太一が言った。
 幸一は圧倒されて黙っていた。
 「だからいいか、ゴールデンウィーク終って学校始まったら、お前美紗子に告白しろ」

 太一が帰って一時間程しても幸一はまだ結論が出せずにいた。
 「好きだったのは、好きだった。でも、今すぐには約束出来ない」
 幸一は太一にそう言った。
 幸一は今でも美紗子の事は本当は好きだった。しかしそれ以上に四年の時美紗子が虐められていたのを見て見ぬ振りしていたのを美紗子がどう思っているのかを考えると怖かった。美紗子に会うのが怖かった。

 そして太一の予定は狂う事になる。
 ゴールデンウィーク明けの学校に美紗子は来なかった。
 美紗子の母親が事故を起こしたのだ。


   つづく

第五・五話  幸一以外のそれぞれのGW四日目

 ゴールデンウィーク四日目。火曜日。

 太一はベッドで横になりながら考えていた。
 俺はお金に対する考えがおかしい。
 俺のお金は減らしたくない。でも、物は欲しい。
 どうすればいい?大人なら働いてお金を増やせば、使ってもまた増やせば・・・子供の場合は?
 使えばお金は無くなる。でも我慢して待っていればまたお小遣いとかお金は入ってくる。
 一回無くなったって良いんじゃないか?
 何で俺はこんなにお金が無くなるのを恐れてるんだ?
 まだ楽な事を考えてる?
 本当は全部分ってる。分ってるんだ。
 これから決着をつけるんだ。
 太一はベッドから起き上がると自分の部屋を出て、階段を下りてリビングへと向かった。太一の足がガクガクと震える。
 「あのさ、母さん」
 太一は万引きの件を母親に話し始めた。

 この日は夕方になり、雨が降り始めた。
 天気予報は一部地域にゲリラ豪雨が発生する可能性があると告げていた。
 瑞穂は降り始めた雨が窓に伝うのを眺めていた。
 施設に来て三日が経つ。ちゃんとした食事を三食頂き、体を洗い、新しい下着に服と水色のストライプのパジャマを与えられた。助け出された時衰弱していたので、今はまだパジャマでベットに横になっている。
 生に対する安心感が出てくると、瑞穂は母親の事が気懸かりになっていた。
 『瑞穂だけは側にいてね。瑞穂無しでは生きていけないわ。瑞穂が全てなの。瑞穂。瑞穂。瑞穂。・・・』
 母親と一緒にいる時間、一体何回聞かされただろう。
 それでも離れると瑞穂は母親が恋しくてしょうがなくなった。
 何処にいるんだろう?一人で大丈夫だろうか?心配だ。
 そんな事ばかりが頭を擡げていると、不意に窓の外に母親が立っている様な気がした。
 「ママ」
 そう言うと瑞穂はベットから起き上がり、もたついた足取りで部屋の外に出た。通路の先に出口が見える。出口まで歩いて行く。
 「ママ?」
 瑞穂は辺りを見回した。
 施設の敷地の門の先に母親の姿が見えた。
 瑞穂は自分に会いたくて探して来てくれたんだと思った。
 「ママ!」
 瑞穂は叫ぶと激しくなって来た雨の中を門の方へと裸足のまま走り出した。
 その姿を職員が見つけ慌てて職員も走り出す。
 瑞穂は門を抜けその先の車道へと飛び出した。
 「瑞穂ちゃん!」
 後ろから職員が呼び止める声に瑞穂は足を止め振り返った。

 美紗子の母親は車での買い物の帰りだった。
 物凄い雨になって来ていた。まるで海の中を運転している様だった。
 不意に目の前に人の立っている姿が見えた。
 急いで急ブレーキを踏む。
 キキィーー
 『お願い!よけて!』
 心の中で叫ぶ。
 しかし誰にもその声は届かなかった。

 水色のパジャマを着た瑞穂は即死だった。

 美紗子は何も知らず妹と父親と、母親の帰りを待っていた。


  つづく  


  

第六話 GWがあけて

 五月七日木曜日。ゴールデンウィークも終わり、小学校も始まった。
 朝は最初に全体集会が行われた。
 五日に学区内で起こった交通事故についてだ。
 既に噂は広まっていた。集会中もあちこちで生徒達が囁いていた。
 『五年二組の倉橋美紗子さんのお母さんらしいよ』
 『即死だったって』
 『雨で前が見えなかったらしいって』
 『私は女の子が道路の真ん中に立ってたって聞いた』等々。
 当然、幸一と太一の耳にも入っていた。
 但し、死亡した女の子の事は誰も知らなかった。幸一もそれが瑞穂だったとは知らなかった。

 昼休み、太一が幸一のクラスに来た。二人は人目を避けるように教室のベランダに出た。
 「やっぱり美紗子は来てないや」
 「そうだろうな」
 太一の言葉に下を向いたまま幸一は答えた。
 「なんだ、暗いな。ビビッてんのか?」
 「えっ」
 幸一は本心を言い当てられビックリした。
 「やっぱりか」
 太一は笑いながら続けて言った。
 「いいんだ。俺もそうだった。二日前まず母さんに万引きの事言ったんだ。頭では分っててもビビるね。前の日から反復練習して、いざ言うぞってなったら足がガクガク震えてた」
 幸一は黙って聞いていた。
 「でも、やっぱり言って良かったよ。母さん怒って、その後泣き出して、もう大変だったけど。でも、俺は頭がおかしい訳じゃない、病気とかじゃないって分った。自分でおかしい事に気付いて母さんに言ったからな。今はスッキリしてる。やっぱり心のどこかに引っかかっていた物があったんだ。俺は後、美紗子の事が引っかかっている。お前もそうだろ?」
 そう言うと太一は幸一の目を見た。
 「本当の事言うよ。僕も引っかかってる。でもそれ以上に美紗子に会うのが怖い。何をどう話せば良いのか。美紗子の立場になって考えると、怒って当然だ。嫌われて当然だ。顔も見たくないと言われるかも知れない」
 「嫌われれば良いんだよ。怒られれば良いんだよ。良く見せようと思うなよ」
 太一は強く言った。
 「お前も俺もそれだけの事を美紗子にしたんだ」
 「そうだな」
 太一の言葉に答えながら幸一はまた下を向いた。
 「美紗子は俺達の所為で四年生の半年近く、クラスで一人ぼっちだったんだ。そしてまた今度の事故で、一人ぼっちになるかも知れない」
 そう言いながら太一の目には涙が溢れて来た。
 「俺はどうしても謝りたい。助けてあげたい」
 太一が言った。
 「僕だって助けたいし、謝りたいよ」
 幸一が弱々しく言った。

 その日の夕方太一は美紗子の家の前にいた。
 ピンポーン
 チャイムを鳴らす。
 既に十分おき位に五回は鳴らしただろうか。
 相変わらず誰も出て来ない。
 太一は幸一には内緒で、美紗子が心配で家に来たのだ。
 玄関から顔を上げ、一つ一つの窓を確認する。人の気配は無い。
 太一はまだ立ち去るつもりはなかった。
 「みさこぉ」
 心配そうな顔をして太一は小声で言った。

 夜九時頃。
 幸一のマンションは両親が二人とも帰って来ていた。
 幸一は自分の部屋に引きこもり、昼間の太一との話を思い出していた。
 「いいか、俺は必ず美紗子を見つけ出す。お前も俺もちゃんと謝るんだ。そして美紗子が大変なら俺は必ず助ける」
 太一が言っていた言葉。幸一は瑞穂を思い出した。
 幸一が見つけて、児童相談所の人が助け出した。
 あの時は僕は助けてあげられなかったけど、美紗子は助けてあげられるかも知れない。困っている美紗子を見つけてちゃんと助けてあげられるかも知れない。これは僕に出来る事なんだ。

 瑞穂はどうしてるだろう?
 不意に幸一の頭をよぎった。

 幸一の両親はテーブルでコーヒーを飲みながら小声で話していた。
 「だからね、幸一には絶対言っちゃいけないの」
 母親が父親に強い口調で言った。
 「本当なのかい?幸一が連絡した女の子なのかい?交通事故でなくなったのは?」
 父親が尋ねる。
 「本当なの。それで轢いた人は幸一の四年生の時の同級生の女の子のお母さんなんだって」
 「最悪だなー」
 母親の話に父親が言う。
 「だからなの。こんなの小学生の子供が知ったらどうなると思う。幸一、鬱病になっちゃうわよ」
 「そうだなー」
 父親は何とも言えない口調で言った。
 「だからね、約束よ。絶対幸一にこの事は言っちゃいけないの。分った?」
 「しかし、皆大変だな。轢いた人の家族も、轢かれた子供の親も、児童相談所の施設も、当事者も当然だけど。酔っ払いや、不注意じゃなくても事故は起こるからな。ルーレットみたいなもんだからな。可哀想に」
 そう言うと父親は幸一の部屋の方を見た。
 「分ってるの?他所の事考えないでうちの事考えてよ」
 はっきりしない父親に母親が少しきつく言う。
 「分ってるよ。言わないさ」
 そう言うと父親はコーヒーを啜った。


   つづく  

第七話 美紗子と太一 その①

 次の日も美紗子は学校に来なかった。
 太一と幸一は放課後美紗子の家に行って見たが、やはり誰もいない雰囲気だった。
 夕方六時を回る頃
 「いいよ、今日は。お前は帰れよ」
 太一は幸一にそう言うと家に帰らせた。
 太一は一人でもう少し待ってみようと、門柱の後ろに、表を通る人から隠れるようにしゃがんだ。

 夜八時を過ぎた位だろうか。
 体育座りで項垂れて目を閉じていた太一は自分の前に人の気配を感じた。
 顔を上げると睨んだ顔で美紗子がそこに立っていた。
 「来て」
 そう言うと美紗子は玄関の方に向かって行く。慌てて立ち上がり太一も跡をついて行く。
 バタン。
 小さな音を立てて二人の入った家のドアが閉まった。
 玄関先の通路の奥に明かりが見える。それ以外は照明を付けず真っ暗だった。人の住んでいない空き家の様に太一は感じた。
 「外で話すと近所に聞こえるから」
 美紗子が言う。
 「ああ」
 太一も慌てて相槌を打つ。
 「それで何の用?約束したわよね?もう二度と関わらないって」
 そう言う美紗子の顔は暗がりではっきり見えないが怒っている様だった。
 「ああ、心配になって」
 太一が言う。
 「嘘!笑いに来た?馬鹿にしに来た?四年で皆に無視されて、今度はこんな事になって、ドンドン落ちてくの見て楽しい?笑える?」
 今度は太一にもハッキリ分った。そう言いながら美紗子が泣いているのが。
 「違うよ、本当に心配したんだ」
 「嘘!嘘!嘘!」
 太一の言葉を遮るように美紗子が連呼する。
 美紗子の大きな声に慌てた太一は美紗子の肩に手を置き自分の方に引き寄せて抱きしめた。
 「嘘じゃないよぉ、俺、お前の事好きだったんだ。万引きの事もちゃんと親に言った。本当にお前の事心配したんだ。嘘じゃないよ」
 太一もまたそう言いながら涙を流していた。
 太一の行動にビックリした美紗子は冷静さを取り戻し、手で太一の胸を撥ねつき、太一の腕の中から離れた。
 「何なの?」
 そう言う美紗子の顔は、泣いて鼻の周りだけ赤いのが、薄明かりの中で肌の白さを一層引き立たせていた。
 「美紗子って、綺麗だよな」
 太一の口からつい漏れる。
 「何なの」
 美紗子は呆れた口調で言った。

 美紗子は今日一日一人で家にいた。外から聞こえて来る近所の人の噂話が嫌で、居ない振りをしていた。妹は四十キロ程離れた祖母の家に預かって貰っていた。母親はあれからまだ帰って来ない。父親は十一時頃には帰って来ると美紗子は言った。
 太一は自分の事と幸一の事を話した。
 「太一君が実はちゃんとしてる人だって事は分った。でも、どんなに謝って貰ってもあの時の無視されて、虐められた時は元には戻らないの。四年の後半に楽しい記憶は無い。太一君の事を好きになる事も許せる事もない。ごめんなさい」
 そう言うと美紗子は頭をペコリと下げた。
 「いいよ。そう言うだろうとなんとなく思ってた。ちょっとショックだけど、当たり前だよな。それだけの事したんだから。謝んなくていいよ。俺が悪いんだから」
 言いながら太一は美紗子の方を見ていられなくなり、下のほうを見た。
 「でもね、本当はもうどうでもいいんだ。日曜には私もね、お婆ちゃん所に行くの。ウチ引っ越すの」
 その言葉に太一はショックだった。
 「ママ居ないでしょ。私や妹の面倒見てくれる人居なくなっちゃったから。今の学校にも行けないでしょ?」
 と、美紗子は言った。
 「なんだよそれ!」
 太一が大きな声を出した。
 「なんだよって、しょうがないじゃない。好きでこうなった訳じゃないよ、学校なんてもうどうせ行けないじゃない。どんな顔して行ける?どんな顔してここにいられる?」
 美紗子が言った。
 「なんだよ。俺お前の事好きだって今言ったのに。お前居なくなっちゃうのかよ。学校なら俺が一緒に行ってやるよ。お前の事無視したり虐めたりする奴いたらぶん殴ってやるよ」
 そう言いながら太一はまた薄っすら涙が出て来た。
 「そういうの四年の時にしてくれれば良かったのに」
 少し照れながら美紗子が言った。
 「上手く行かないね」
 「ああ、上手く行かない」
 泣きながら太一が答えた。


   つづく

第八話 美紗子と太一 その②

 夜は静かに時間が流れ、九時を回ろうとしていた。
 太一は涙を拭き、美紗子に言った。
 「今から学校に行かないか?」
 「学校?」
 美紗子が聞き返す。
 「そう。日曜に引っ越すんじゃ美紗子はもう学校行かないんだろ?だから。それに夜なら誰も美紗子の事分らないだろ?」
 太一が言った。
 「でも、もう遅いけど、太一君、いいの?」
 「俺は大丈夫。どーせあれから毎日親に怒られてるし」
 太一は笑いながらそう言って、
 「さあ」
 と、玄関のドアを開けた。
 夜の空は雲ひとつ無い満天の星空だった。
 「うわー、何か久し振りに空を見た様な気がする」
 そう言うと美紗子は玄関から一歩外に踏み出した。
 太一は手を繋ごうと美紗子の前に手を出したが、美紗子は笑って、手を繋ごうとはしなかった。
 二人は門を出て、家の前の道路を歩いた。
 美紗子の家から学校までは一キロ程の距離だった。

 「パパとママ、離婚するのかな?」
 不意に美紗子が言った。
 「大丈夫だろ。交通事故だもん」
 太一が返す。
 「でも、今のクラスでも親が離婚してる子三人位いるよ」
 美紗子が言う。
 「俺のクラスにも何人かいたな。大人ってきっと馬鹿なんだよ。子供だって簡単に別れちゃいけない、離れちゃいけないって知ってるのに。あいつら簡単に自分の事だけ考えて離婚しちゃうんだもん。小学校で相手の気持ちを考えましょうって、習わなかったのかね」
 太一の言い方が面白かったのか、美紗子はクスッと笑いながら言った。
 「別れないで欲しいな」
 「大丈夫だよ、美紗子の親は。だって美紗子の親だし」
 「なーに、それ?」
 太一の言葉に美紗子は笑いながら言って、
 「好きにならないし、許せないけど、あのね、太一君。ありがとう。久し振りに私笑ってる」
 と、付け足した。
 太一は格好付けて、
 「俺と付き合えば毎日笑わせてやるのにー」
 と言った。
 「本当だねー、太一君好きになって告白してたらまた運命も全然違かったのかな?」
 美紗子が言う。
 「はははは、そうだね」
 と、笑いながら太一は続けて言った。
 「所でさー、幸一と付き合ってた場合どうするつもりだったの?」
 「どーするって?」
 美紗子が聞き返す。
 「だから俺には良く分んないんだけど、付き合ったら何をするの?」
 更に太一が尋ねる。
 「何をって、学校帰り一緒に帰ったり、たまに日曜日二人で何処か出かけたり」
 美紗子が答える。
 「それだけ?」
 太一がまた尋ねる。
 「それだけ」
 美紗子が答える。
 「えー、じゃあ別に告白する必要ないじゃん。そんなの普通に友達のままで出来るじゃん。逆に告白した方が後、気不味いんじゃね?」
 と、太一が言う。
 「そういうのじゃないの。告白する時はね、言わないでいられなくなるの。相手に言いたくてしょうがなくなるの。自分が好きな事を」
 「あ、」
 美紗子の話を太一が遮った。
 「なに?」
 美紗子が尋ねる。
 「いや、分った。俺もさっきそうだった。美紗子の家で」
 恥ずかしそうに太一がそう言った。

 二人の話は途切れる事無く続き、もう学校の近くの行政センターの側まで来ていた。
 途中誰にも会うことは無かった。
 夜の通学路は二人だけのものだった。

 「あ、ちょっと待ってて」
 太一は突然そう言うと行政センター側の公衆電話に入って行った。
 美紗子は親にでも電話しているのだろうと、その間星空を眺めて待った。
 数分して太一が出て来た。
 「今から幸一来るって」
 太一が言った。
 「え、なんで?呼んだの?」
 そう言う美紗子はソワソワして困っている様子だった。
 「『これが最後のチャンスだから来い!』って言ってやった。幸一も美紗子に謝りたがってたの話したろ?もしかしてまだ好きなの?」
 「それはない!ただ、何を話せば良いのか、困ってるだけ」
 太一の問いに美紗子は間髪無く答えた。

 そして二人は学校に着いた。
 門は閉められており、中に入る事は出来なかった。
 二人は門の前に並んで立ち、暫く校舎の方を眺めていた。
 そして美紗子が目を潤ませながら言った。
 「太一君ありがとう。見に来て良かったよ。今日の夜の事は思い出になるよ」
 太一は美紗子の言葉の後暫く黙ってから言った。
 「もし、今でも幸一の事が好きなんだったら無理に嫌いになろうとしなくても良いと思うよ。美紗子の心の本心の通りにした方が良いと思う」
 美紗子は黙っていた。


   つづく



 

最終回 幸一と美紗子と太一

 幸一は母親がお風呂に入っているのを良い事に父親にコンビニに行って来ると言って、マンションから出た。夜出歩くのは母親に言うとなると面倒だ。父親だと別に何も言われない。
 美紗子に何て言おうか?
 幸一は学校に向かって走りながら考えた。

 美紗子と太一が学校に着いて二十分程した頃、幸一は着いた。
 「やあ」
 走って来たので少し息を切らせながら二人に向かって幸一が言った。
 「よう」
 太一が片手を挙げながら言う。
 美紗子はただ黙っていた。
 「あの」
 幸一が二人の方に近づいて言った時、美紗子が遮った。
 「太一君」
 「え」
 ビックリして太一が隣に居る美紗子の方を振り向く。
 「太一君ごめん。学校の周り一周して来てくれる」
 美紗子が言った。
 「え、なんで?聞かれたくない?」
 太一が尋ねる。
 「僕もその方がいい」
 幸一が言った。
 「わかったよ。一周だけだかんな。一周したらここにいるぞ」
 そう文句を言いながら太一は学校のフェンス沿いに歩いて行った。
 美紗子と太一は二人きりになった。

 二人とも下を向いて目線を合わせようとはしなかった。
 暫くの沈黙があった。
 最初に幸一が話し始めた。 
 「あの、四年の時、僕の所為で美紗ちゃん虐められたの、見て見ぬ振りしてごめん」
 「うん」
 美紗子は下を向いたまま頷いた。
 「それから、僕、本当は美紗ちゃんの事好きだったんだ。それなのに周りの目を気にして、格好付けたりして、美紗ちゃんの事、振ったりしてごめん」
 幸一の言葉に美紗子は顔を上げて言った。
 「知ってた」
 「え」
 幸一が驚いて声を出す。
 「幸一君が私の事好きなの知ってた。だから私告白したの」
 そう言う美紗子の目は少し潤み始めていた。
 「そう・・・なの」
 幸一はまだ良く分らないでいた。
 「駄目だなぁ。嫌いにならなくちゃ、憎まなくちゃ、って思うんだけど、顔見て、声聞いてると、やっぱり私、幸一君、好きなんだぁって、なっちゃう」
 そう言う美紗子の顔は既に涙で濡れ、呼吸が荒くなって来ていた。
 「ワー!」
 突然美紗子が大声で泣き出した。
 「あの、ごめん、泣かないで」
 と言いながら幸一が近づこうとすると、
 「来ないで!」
 泣きながら美紗子が制止した。
 「来ないで、近づかないで、私に幸一君を嫌いにさせて、憎いままでいさせて」
 美紗子はそう言いながら、小さく深呼吸をして呼吸を整え、涙を拭き、落ち着こうとした。
 「私は半年間辛かった。好きな人にあんな目に合わされて、無視されて、虐められて、そして幸一君と半年間一言も話せなかった。幸一君、一言も話しかけてくれなかったね。私、虐められても、無視されても、待ってたのに」
 そう言いながら、美紗子はまた涙が止まらなく溢れた。
 幸一は下を向いて何も言えなくなった。
 「私のママ交通事故起こしたの知ってるでしょ。日曜には引っ越すの。だから幸一君、私の為に何かしようって気持ちがあるなら、二度と私の前に姿見せないで。顔を見せないで。声を聞かせないで。お願い」
 美紗子は泣きながらそう言うとペコリと頭を下げた。
 「そんな、僕が何もしない事が美紗ちゃんの為なの?」
 幸一はそれだけ言うのが精一杯だった。
 「そう、そういう人助けもあるのよ。お願い」
 美紗子が言った。
 「でも、僕の気持ちは。僕が好きで、美紗ちゃんも好きなら、今までの事を忘れる位優しくするから、好き合う事は出来ないの?」
 「駄目。幸一君が私の事好きなら、同じ様に苦しんで。一緒に辛い思いをして」
 幸一の言葉に美紗子が言った。
 「そんな。何でわざわざ苦しまなくちゃいけないの。好き合ってるなら」
 「美紗子は考え方を切り替えて楽な方に行ける性格じゃないんだよ」
 一周して戻って来た太一が美紗子の後ろから顔を出し、幸一の言葉に対して言った。
 「前にお前ん家行った時言ったろ。美紗子は楽な道を選ばない。面倒臭くてもちゃんとした道を選ぶって。そういう性格なんだよ。だから美紗子の言う事聞いてやれ。お前も苦しめ。それが俺達の罪滅ぼしなんだよ」
 太一が言った。

 夜も十時頃になっていた。
 学校の周りに三人以外の姿は無く、静寂していた。
 空は相変わらずの満天の星空だ。
 「分ったよ。好きだけど会わない」
 幸一が言った。
 「ありがとう」
 美紗子が言った。
 「よし。これで話はついた。美紗子は俺と幸一の事を嫌い続ける。幸一は美紗子とはもう二度と会わず、苦しみ続ける。これでいいじゃん。じゃあさあ、皆でコンビニ行ってアイス食べながらもう少し話そうぜ。明日からは幸一と美紗子は会わないんだから」
 太一が言った。
 「お前は?太一、お前は明日からどうするんだよ」
 幸一が尋ねる。
 「俺か、俺は何も変わらない。ただ、美紗子が俺を好きにならず、嫌ってるだけ」
 「クスッ」
 太一の話に美紗子が小さく笑う。
 「まあ、いいさ。じゃあ行こう、コンビニ」
 そう言うと幸一は歩き出しながら満天の夜空を眺めた。
 「瑞穂ちゃんも見てるのかな」
 不意に瑞穂の事を思い出し、そう言った。
 「瑞穂」
 美紗子が小声で繰り返す。
 「ん、何か言った?」
 太一が美紗子の横に並び尋ねる。
 「なんでもない」
 美紗子が少し下を向いて答える。
 三人はコンビニに向かって歩いて行った。


  おわり




 綺麗な所で終らせようと思っていたのでこの物語はここで終わりです。
 しかし、簡単なその後はあります。気になる方はお読み下さい。綺麗に終わりたい方は読まない方が良いです。


 その後幸一は、比較的早い段階で美紗子の母親と瑞穂の結末を知る事になります。そして鬱病になります。美紗子にはその後一度も会っていません。
 美紗子は、親は離婚しませんでしたが、家は売る事になり、生活も苦しくなります。瑞穂と幸一の繋がりも知る事になり、軽い鬱病になります。
 太一は、相変わらずです。きっと美紗子に会いに行ったりするでしょう。もしかすると太一が美紗子の救いになるかも知れません。幸一とはすぐ疎遠になりました。
 以上です。

抜けない闇 (『誰かの思い出ーホントノキモチ』番外編・六年後~)

 深夜一時。
 食品加工場。
 皆、衛生帽、白衣、長靴、マスク、手袋を付け、コンビニに送る野菜サラダを流れ作業で透明なカップに詰めて作っている。
 十七歳、高校二年の倉橋美紗子もそこにいた。
 他のパート・アルバイトに混じり一列に並び、流れ作業のレタスをカップに入れていた。
 通路を歩いて来た工場長が後ろを通る。
 「きゃ!」
 一瞬、美紗子が声を上げる。一斉に衛生帽とマスクで顔の分らない顔が美紗子の方を向く。
 工場長が通りすがりに美紗子のお尻を鷲掴みしたのだ。
 「すいません。何でもありません」
 周りにそう言うと美紗子は作業を続けた。
 工場長はニコニコして去って行った。
 青白い照明の静かな食品加工場。

 午前十時半。
 遠野太一は電車で美紗子のいる町へ向かっていた。
 太一と美紗子は小学校四年の時クラスメイトだった。
 美紗子は太一の友達の幸一を好きだったのだが、振られ、本当は好きだったのに太一はその時からかい、意地悪をした。その後五年になり、再び会い話す機会があり、太一は今でも美紗子を好きな自分に気付き、告白したのだが振られた。その頃、美紗子の母親が交通死亡事故を起こし、美紗子の家は家を売り、祖母のいる此方の町に引っ越して来た。太一はその後も美紗子を心配し、もう六年近く暇を見つけては美紗子に会いに来ていた。
 太一は比較的空いている車両の中で、席に座り、下を向いてスマホの画面を見ていた。美紗子からのLINE。
 『駅近くのコンビニに居ます。着いたら連絡下さい』

 太一の街と美紗子の町は約四十キロ程離れている。電車で四十分ちょっと掛かる。
 着くまでの間、太一は窓の外を見たり、美紗子からのLINEを見たりと、交互に繰り返していた。窓の外の空は晴天だった。
 『もう三分程で着きます』
 太一は美紗子にLINEした。

 六月で湿気で少しムカムカするが、今日はデートするには最高の晴天だった。

 二人は駅で落ち合い、駅前の通りへと出た。
 太一の住む街に比べるとこの町は小さい。駅前にもぱらぱらと商業施設が並ぶ程度だった。
 「今日もバイトだったの?」
 太一が聞いた。
 「うん。午前三時まで」
 「三時!寝てないんじゃないの」
 美紗子の話にビックリして太一が聞いた。
 「大丈夫。帰って五時間位寝たから」
 「そう。午前三時なんて危ない奴とかいるかも知れないから気を付けろよ」
 心配そうに太一が言った。
 「大丈夫。私自転車で飛ばして帰るから」
 そう言うと美紗子が自転車を物凄いスピードで漕ぐ仕草をして見せた。
 「ははは、大丈夫かい。それと朝食べた?ファミレス入る?」
 太一はスマホで時間を見て、手前にあるファミレスを指してそう言った。
 時間は十一時になる所だった。
 「朝食べてない。いいよ、入ろ」
 美紗子が言った。

 太一はハンバーグランチ、美紗子はカルボナーラ、それと二人共、サラダバーとドリンクバーを付けた。
 「お尻ー!?」
 太一は思わず大きな声を出した。
 美紗子は口の前に人差し指を立て、シーっとする格好をして言った。
 「そう」
 「触られたの?」
 太一がまた聞く。
 「触られたって言うより、掴まれたって感じ、こう、ぎゅうっと」
 太一はフォークとナイフを置き、突然立ち上がって言った。
 「行こう」
 「何?」
 ビックリした美紗子が聞いた。
 「工場長をぶん殴りにさ」
 太一は怒った顔をして言った。
 「駄目、やめて、困る」
 「なんで?」
 「それはショックだったけど、深夜勤のバイト、高校生は駄目なの見逃して貰ってるの。クビになると困る」
 「でも、ショックだったんならやっぱり」
 太一の怒りはまだ収まりそうになかった。
 「違うの。太一君が思ってる様なショックと違うの。とりあえず掛けて」
 そう言うと美紗子は椅子に座るよう促した。
 「何が違うの?」
 そう言いながら太一は椅子に掛けた。
 「工場長ね、前に私位の娘がいるって言ったの。それなのに私のお尻掴んだのよ。自分の娘の掴んだのと同じ事じゃない。それ考えると、ショックで気持ち悪いの」
 太一は話を聞いて呆気にとられた気分になった。
 「あのさー、それは、俺分ると思う」
 「え?」
 太一の言葉にビックリして美紗子は聞き返した。
 「俺、男だからかも知れないけど分る。自分の娘と他人の娘は違うんだよ。自分の娘は何処まで行っても娘だけど、他人の娘は全て女。ほら、娘のいるお父さんが、自分の娘と同い年か、それ以下の女の子のいるキャバクラとか風俗とか平気で行っちゃうじゃん」
 「えー、それはそれでやっぱり気持ち悪い」
 美紗子は本当に気持ち悪そうな顔をして言った。
 「気持ち悪がってもそういうもんだよ」
 そう言うと太一は店内の中年親父や窓から通りを歩く中年親父を眺めながら続けて言った。
 「でも、高校生が内緒で深夜勤働いてるのを見逃してるんだぞって、こっちの弱みに付け込んでるんなら、やっぱりぶっ飛ばした方が良くない?今度は胸見せろとか触らせろとか言ってくるかも知れないじゃん。大人にはとんでもねー奴結構いるからな」
 「そしたら流石に辞めるよー。深夜勤だから時給凄く良いんだけどね」
 美紗子が言った。
 「やっぱりお金?大変なの?」
 太一が聞く。
 「うん。こっち来てからパパずっと派遣だからね。前住んでた方では仕事したくないって言うし、ママはあれから鬱病で病院通ってるし、妹も中学生になるし。色々お金掛かるのよ。それなのに毎月、年金だ健康保険だとか、決まって取られる物もあるし。全く国は私達家族を殺したいのかしら」
 美紗子が言った。
 「相変わらず生活保護とか受けないんだ」
 「お婆ちゃんちに住んでるから、申請出来るか分らないけど、調べてもいない。生活保護って、受けたら力入らなくなりそう。なんか、あー終っちゃったんだ。って感じ。大体私何にも分らないんだから、困ってそうな家には行政から来て、色々受けられるサービスとか具体的に教えてくれなきゃ、自分達じゃ何があるのかすら分んない」
 「そうか・・・」
 寂しそうに太一が言った。
 「そう・・・」
 美紗子も寂しそうに言った。
 六年前、美紗子の母親の起こした事故は当時小学校六年生の女の子を死亡させた事故だった。名前は小川瑞穂。賠償責任は億単位に登り、任意保険に入っていたとはいえ、それまでの生活を一変させるものだった。

 食事も一段落して、二人のテーブルには飲み物だけが置かれていた。
 「これ」
 そう言うと太一は美紗子の方に向け、茶封筒をテーブルの上に置いた。
 「いつも少ないけど」
 「悪いよ」
 太一の言葉に美紗子はそう答え、なかなか茶封筒に手を出さずにいた。
 「いつも言ってるけど良いんだよ。バイトしてるし、美紗子のスマホ止まっちゃったら連絡出来なくなるし。それに俺、今でもずっと美紗子の事好きだから」
 「馬鹿」
 美紗子はそう言うと少し顔を赤らめて、テーブルの上の茶封筒を受け取った。
 中身は確認しなかったが、二万円入っていた。
 「いつもありがとう。本当に助かります」
 美紗子はそう言いながら丁寧に頭を下げた。

 ファミレスを出た二人は美紗子が服を見たいと言うのでアパレル系の店舗が多く入っているビルに入って、見て回った。
 「あ、これいい」
 美紗子が店の入り口付近の特価品のコーナーの服を手に取り言った。
 「どれ」
 太一が覗き込んで値札を見る。
 「えー、九百八十円じゃん。安すぎるよ。俺金出すからもう少しちゃんとしたの買えよ」
 太一が言った。
 「さっきも出して貰ったのに悪いよ」
 美紗子が少し甘えた声で言った。
 「いいよ、いいよ。せめて三千円位の買えよ」
 「じゃあ、この九百八十円のコーナーの三枚買っていい?」
 「なんでそうなるんだよ。三千円だけど、俺の言ってる事と違うじゃん」
 笑いながら太一が言った。
 「たまにしか服買えないから、枚数欲しいの。いいでしょ?」
 そう言うと美紗子は笑顔で太一にお願いする様な仕草を見せた。
 「しょうがねーなぁ」

 買い物を済ませた二人は店を出て、公園に向かって歩き始めた。
 「でも、美紗子が明るくなって本当良かったよ」
 太一は思い出した様に言った。
 「それも太一君のおかげだね。軽い鬱病で誰にも会いたくなかった私に、ちょくちょく会いに来てくれたもんね」
 「最初は会ってくれなかったもんな。家の前や、お前の部屋の前で何回も出て来るの待ってた。今はこうやって一緒に歩けてるのが不思議だよ」
 太一は遠くを見ながら言った。
 「太一君が居たからだよ。太一君はいつまでも私の事を忘れなかった。きっとね、世の中のいっぱいいる困ってる人達は、具体的な助けだけじゃなく、自分の事を分かってる、自分の状況を知っているって人がいるだけでも、それは救いになるんだよ」
 美紗子が言った。
 「そうなのかなー。俺、美紗子程頭良くないから分んないや。そう言えば美紗子は頭良いから大学行くの?」
 「行かないと思う。行くとなると奨学金借りる様になるでしょ。ウチの場合、何かあったら借りた奨学金の分だけ借金増えて、一家心中とかなりそう」
 「せっかく頭良いのに」
 「頭がちょっと良いだけでは大学には行けないのだよ。お金さえあれば誰でも行けるけど。フフ」
 そう言って美紗子は少し笑った。

 程なく二人は公園に着いた。
 今日は土曜日だからか、誰もいなかった。
 二人はブランコに並んで座った。目の前には砂場が見えた。
 「幸一君どうしてる?」
 瑞穂が太一に聞いた。
 「なに、気になるの?」
 太一が聞き返す。
 「好きとかそういうのじゃなく。やっぱり瑞穂さんの事で、後ろめたいというか、幸一君の人生も変わっちゃったんだろうな。って思うと」
 「ずっと会ってないから分らない。多分今もまだ引籠もってるんだと思う。アイツ中学三年間一回も来なかったし、高校受けられなかったろ。でも、美紗子の母さんの交通事故はもう引きずってないと思う。途中からは自分が外に出るの怖くて引籠もってるんだと思う。アイツんち親共働きで昼間一人だからな。逃げ込むには良いんだよ。瑞穂さん。アイツが助けた子、その子は親に監禁されてたけど、助けた幸一が引籠もりじゃ、まるで漫画だね」
 太一が言った。
 「そう、そのどうしようもない様な運命に私も鬱病みたいになったのよね」
 美紗子は遠くを見ながら言った。
 美紗子が小四の時好きで告白した幸一が五年のGWで見つけた女の子、小川瑞穂。彼女は母親に監禁されていた。幸一が見つけた事で保護されたが、数日後、雨の日、美紗子の母親が轢いて死亡した。
 この事を知った時、美紗子は逃げられない運命。決まっている運命に恐怖した。自分がどう頑張ろうと、知らない所で運命は決まっているんじゃないのか?そう思うと、生きる意味も見失い、軽い鬱病になったのだ。
 「私は、太一君が居たからこうしていられるのね。きっと私も引籠もっていた筈の運命を、太一君が変えて見せた。幸一君にはそういう人がいなかったのね」
 「いやー、俺は美紗子が好きなだけだよ。俺、好きになれば馬車馬だから」
 太一は照れ笑いしながら言った。
 「ありがとう。好きでいてくれて」
 美紗子は太一の方は見ず、正面の遠くを見たまま言った。

 それから二人はゲームセンターでクレーンゲームをしたり、ウインドゥショッピングを楽しんだりして、夕方まで過ごした。

 駅前の喫茶店。
 「JK散歩とか、援交とか、してないよね?」
 太一が聞いた。
 「え、なんで」
 何を急に言ってるのかと言う口調で美紗子が言った。
 「だって美紗子、金金って。生活苦しいのは分るけど、お金に対する執着心最近強いから」
 太一は少し拗ねた様に言った。
 「もう、この辺にJK散歩なんてないでしょ。テレビの見過ぎ、東京じゃないんだから。それに私は、家族を守る為に働いてるだけだし、今、バイト掛け持ちで三つやってるし。そう言うお金の稼ぎ方はしないよ」
 少し呆れた様に美紗子は言った。
 「それならいいけど。お金さ、足りなかったら言ってくれよ。俺もっとバイトするし、お前が変な事してたら、凄い辛い」
 「分ってる。太一君には本当に感謝してる。絶対裏切る様な事しないから。でもね、人間て、落ちるのは簡単だけど、いざ上がろうとすると、全然欠片も上がれないんだよ。幾ら頑張って稼いでも、毎月何かしら支払いがあって、貯める前に持ってかれちゃうの。人間て平等じゃないと思ったし、日本て、生かさず殺さずで、私達を救う気がない国なんだなぁって思った」
 「うん。そうかも知れない。それでも美紗子はちゃんとしてて貰いたい」
 「分ってる」
 「そろそろ出ようか」
 「うん」
 そう言うと二人は喫茶店を跡にして、駅の方へと歩き出した。
 そろそろ太一の帰る時間が迫って来ていた。

 午後六時過ぎ。
 駅前は人はまばらだった。
 二人は人目を避ける様に、駅の建物脇の木立の方に入った。
 「抱きしめていい?」
 太一が聞いた。
 「いいけど、服買って貰ったしなって、思っちゃうよ」
 「構わない」
 そう言うと太一は美紗子の体を力一杯抱きしめた。
 次会える時まで忘れない様にと。
 「キスもいい?」
 抱きしめながら太一が更に聞いた。
 「いいけど、お金貰ったしなーって、思っちゃうよ」
 美紗子は惚けた口調でそう言った。
 「それでもいい」
 そう言うと太一は美紗子の唇に自分の唇を重ねた。
 二人は一分程そうして抱きしめ合い、キスしていた。
 「これで次会う時まで、美紗子の匂いや感触を覚えていられる」
 唇と体を離しながら太一がニコニコしながら言った。
 「馬鹿」
 照れくさそうに美紗子は言った。

 それから十分程して、太一は電車内に一人でいた。
 『今日は楽しかった。また直ぐ来るから。夜中にまたLINEする』
 太一は美紗子宛にLINEして、窓の外を眺めた。
 電車が動き出した。

 美紗子は駅前に立っていた。
 太一からのLINEを見て、
 『こちらこそ楽しかったです。ありがとう』
 と、返信を打ち、スマホの電源を切り、歩き出した。

 駅から五分程歩いた所のマンションに美紗子は入って行った。
 五階の角部屋のドアを開け、美紗子は中に入る。
 「おはようございます」
 「おはよう。四番空いてます」
 美紗子の声に中の中年男性が答える。
 部屋の中は改築され、細かく間仕切りが立てられ、二畳程のスペースで七つの部屋が作られていた。
 「瑞穂さん、入室ね」
 中年男性が言う。
 美紗子は此処では瑞穂と言う名前にしていた。
 手前から三つの部屋は既に、私服だが明らかに高校生位の若い女の子が入っていた。そしてパソコンのモニターに向かって話をしている。ネットの有料配信のアルバイトだ。パソコンの置かれた机の下にもカメラが設置され、スカートの中身を撮っている。パソコンと向かい合うように制服や水着・体操服等衣装が掛けられた、簡易の更衣室がある。ネットで繋がった客の注文でその更衣室で着替えるのだが、間のカーテンは短めにされており、完全に隠す事は出来なくなっていた。また、更衣室のミラーも角度を付け、パソコンのカメラに合わせてある。

 美紗子は言われた通り四番の部屋に入って、パソコンの前に座り、軽く笑顔をカメラに向けた。
 パソコン画面上の入室件数が三、四、と増えて行く。
 画面上に客のコメントが流れる。
 〈こんにちはー〉
 「こんにちは」
 美紗子はパソコンに向かって手を振り、笑顔で答えた。



   おわり

 

誰かの思い出ーホントノキモチ (改訂版)

2015年5月に初めて書いた長い話なので、思い入れと、今ならもう少しは上手く書けたかもという未練がタップリな話です。短編も中・長編も、基本僕のは何処か僕らしい話になっていると思うのですが、この話は特にその原点の様な話しかと思います。最後、二つの話が重なっているのが自分的には気に入っています。
読んで頂いて有難うございました。

誰かの思い出ーホントノキモチ (改訂版)

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 第一話 美紗子と幸一
  2. 第二話 太一と美紗子
  3. 第三話 幸一と警官とマンションの女の子
  4. 第四話 瑞穂と幸一
  5. 第五話 太一と幸一
  6. 第五・五話  幸一以外のそれぞれのGW四日目
  7. 第六話 GWがあけて
  8. 第七話 美紗子と太一 その①
  9. 第八話 美紗子と太一 その②
  10. 最終回 幸一と美紗子と太一
  11. 抜けない闇 (『誰かの思い出ーホントノキモチ』番外編・六年後~)