すーちーちゃん(6)

六 虹の九月

 父親学級の帰る途中だった。
「ちょっと、あっちに行ってみない」
 あたしはすーちーちゃんを誘った。道草だ。
「いいよ」すーちーちゃんは二つ返事だ。「それでどこに行くの」
「公園よ」家の近くの中央公園だ。近所の子どもたちの遊びの中心だ。家の近所では、広い場所がない。家の前の道路では、車が通る多恵、その度に、遊びをやめて、道の端に寄らないといけない。その点、中央公園では、野球やサッカー、バスケットボール、ドッジボール、バドミントン、鬼ごっこなど、何でもできる。公園に着いた。
「もういっぱいだね」
「いっぱいだね」公園では、同級生たちが、所狭しと遊んでいる。あたしたちは公園のベンチに座った。
「あっちに行かない」すーちーちゃんが右手で指を指した。池だ。池の土手だ。
「うん。行こう」
 あたしたちは公園から池に向かう。
「広いね」
「広いね」
 池の土手の上には道があり、一周できる。お年寄りたちが散歩をしている。風が吹いてきた。
「気持ちいいね」
「気落ちいいね」
 もう夏休みは終わりだ。来週からは学校が始まる。あたしたちは土手の草の上に座った。土手の反対側では、男の子二人が、虫取り網を肩に掛け、自転車に乗って走っている、競争しているのか、かなり飛ばしている。こちらの方に近づいている。
「勝負だ」「いいとも」男の子の声が聞こえた。自転車はあたしたちの前を猛スピードで通り過ぎた。
「ガチャン」大きな音だ。自転車同士がぶつかった。「あっ」あたしたちの驚きの声の中で、一方の自転車は土手の草むらの方へ、もう一方の自転車は土手の池の方へ落ちていく。
「ザザン」「ドボン」二つの大きな音。
「池に落ちたわ」「ほんと」
 あたしたちは池の堤防の方に降りていく。
「助けて」男の子が叫んでいる。周りを見渡す。運悪く、散歩をしている大人はいない。あたしはどうすることもできなくてただ見守っていると、突然、すーちーちゃんがひざまづいて、顔を池に近づけた。
「ぶおおおおおおん」ポンプのような音がする。その音とともに、池の水が減っていく。池の水が減るとともに、すーちーちゃんの体も膨れていく。
「大丈夫か」草むらに落ちた男の子が池の土手の方に降りてきた。
「ぶおおおおおおん」ポンプの音が続く。
「あれ」手を振り上げて助けを読んでいた男の子が池の中で立っていた。
「なんだ。足が着いたぞ」男の子は池から首を出していた。
「今、助けるぞ」草むらに落ちた男の子がバシャバシャと池の中に入っていく。
「グビ」すーちーちゃんがしゃっくりをする。何かが喉に詰まったみたいだ。あたしはすーちーちゃんの背中を叩いた。
「ゴボ」口から出てきたのは鯉だ。池の鯉だ。大きな鯉だ。
「わー。水が増えた」男たちの叫び声がする。おへそまでに減った水が胸までにせりあがっていた。鯉と一緒にすーちーちゃんが飲み込んだ池の水が吐き出されたのだ。
「すーちーちゃん。がんば」あたしは近くに落ちていた、男の子たちの虫取り網を持つと、すーちーちゃんの口先に浸けた。再び、鯉が吸い込まれないようにするためだ。
 すーちーちゃんの体がぶくぶくと膨れる度に、ずんずんと池の水が減っていく。水位は男の子たちのおへそまで下がった。
「もうだめ。グビ」すーちーちゃんの体は二倍以上に膨らんでいる。
「早くして」あたしも限界だ。虫取り網には何匹もの鯉が入っている。鯉と網と一緒にあたしもすーちーちゃんに飲み込まれそうだ。男の子たちは、ザボン、ザボンと音を立てながら、土手の上に自転車を持ちあげた。
「もう大丈夫よ」あたしはすーちーちゃんに声を掛けた。
「ぶわああん」
 すーちーちゃんの口から池の水が勢いよく噴き出した。まるで噴水だ。水はそのまま空高く吹き上がる。急に、空が暗くなった。しかも、池の上だけだ。すーちーちゃんが吐き出した水が黒い雲になったのだ。雷が鳴る。
「きゃあ」あたしは叫んだ。すぐに雨が滝のように降って来た。しかも、雨だけではない。すーちーちゃんに吸い込まれた鯉や鮒、どじょうにザリガニなども降って来た。鯉の滝登りならぬ、鯉の、池の生物たちの滝降りだ。池がお帰りなさいと迎えている。魚たちは、訳がわからいまま、目を点にして、元の住処に戻って来た。しかも、雨は、不思議なことに、池の上だけに降っていた。周辺には降っていない。雨がやんだ。膨れ上がっていたすーちーちゃんの体は元の姿に戻っていた。
「ふう」最後の池の水を出したのか、膝まづいていたすーちーちゃんが立ち上がった。
「ありがとう」「助かったよ」
 自転車の二人の男の子は、草まみれと濡れた自転車を押しなが、お礼を言いに近づいてき。すーちーちゃんは土手に座り込んだままだ。あたしは男の子たちに虫取り網を返す。
「助かってよかったね」代わりにあたしが答える。
「じゃあ」
「じゃあ」
 男の子たちは網を肩にかつぎ、草まみれと水に濡れた自転車に乗って、今度は、競争することなく、ゆっくりと帰って行った。すーちーちゃんはかなり疲れているみたいだ。
「帰ろう」
「うん」
「あれ、虹よ」池の端から端まで半円の光の輪の端ができている。
「きれいね」
「うん。きれいだね」
 二人はの土手を降り、公園の横を通り、神社の前に来た。
「さよなら」
「さよなら」
 すーちーちゃんは神社の中に入っていく。あたしはその後ろ姿を見送った。すーちーちゃんは不思議な子だ。池の水をあんなに飲めるなんて。でも、そのおかげで、男の子が助かったんだからいいか。それに、鯉の滝降り?に、虹も見えた。でも、やっぱり変だ。あたしは納得したような、納得していないような気落ちで家に帰った。

すーちーちゃん(6)

すーちーちゃん(6)

ある日、転校してきた少女は吸血鬼だった。六 虹の九月

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-15

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