クソゲーみたいなこの世界で 3


「ちょっと待ってくださいよ~、疲れましたよ~」

 リサの言葉に穂茂は足を止めた。

 ひび割れたアスファルトの道路を行く二人には容赦のない夏の日差しが降り注ぐ。
 二人の額は、汗でテカテカと光っていた。

「ホモさん体力あり過ぎですよぉ、宇宙飛行士と可憐な乙女を同じ体力と考えないでくださいぃ……」

「なぁ……さっきからさ、なんで死体なのに疲れてんの? 死体でも乳酸って出るのか?」

「え? お乳なんて出ませんよ?」

「……いや、お前に聞いた僕が間違ってた、脳ミソ足りないもんな……」

 そもそも死体なのに発汗作用とか……いや、考えるな。
 どうせ非常識なんだ、考えるといずれ発狂するしかない。

 もう……あるがままを受け入れろ、穂茂鎌太郎。

「あ~も~、こんなに暑いとお肌が傷んじゃう、せっかくの美少女が台無しですぅ。体が溶けちゃいそうですぅ」

「腐敗の間違いだろ、なんか心なしかハエの数も増えてるし……」

 まるで天使の輪のようにリサの頭の上をくるくる回るハエの群、無論天使ではなくただの死体である。

 少し休みことにするか、と穂茂の許可で、二人は道に突き刺さっている傾いた立て看板の陰に腰かけた。

 周囲には廃墟と化した住宅やビルが立ち並ぶ。かつてはそれらを冷やしていたであろうクーラーの室外機は、もちろん作動していない。

 日陰に入ると意外にも涼しいと感じられるのは、人間がいなくなったことによる機械の停止、文明崩壊の数少ない恩恵と言えるかもしれない。


「はぁ……で、本当に間違いないんだろうな?」

 穂茂が途中で自販機を壊して手に入れたミネラルウォーターのペットボトルを飲みながら尋ねた。

 リサは「はぇ?」とバカみたいに口を開けた。

「なんですかぁ? あたしが美少女なのは間違いない事実ですよぉ?」

「そんなこと聞いてねえよ。ポッポの居場所だよ、あんまりふざけてると、そのまま埋めて地面の肥やしにするぞ」

「あ~……はいはい、間違いないですよぉ。ポッポの居場所は……そう、秋葉原です!」

 そう、なぜかよりにもよって敵のアジトは……電脳と萌えの街、アキバであった。

「しかしなんでまた秋葉原なんかに……オタクなのか? ポッポってやつは」

「あ~、なんかネクロマンシーは……あ、ネクロマンシーっていうのは死体を操る魔法使いでして……なんでも人々の邪気が集まるところが一番能力を発揮できるとかで、あそこは最適らしいですよ」

 日本で一番の邪気スポットがアキバか……由緒のある史跡とか、死人の怨念よりも、生きている人間の欲望の方がはるかに強力ということなのか。

 つくづく人間の業の深さというものを感じざるを得ない。

「あ~、それでホモさん? いったい、いまここはどのへんなんですかぁ? あたしたちが昨日オダワラを出発してからもうまる一日……いい加減疲れましたよぉ……もう九割くらいは来ましたかぁ?」

 瓦礫によってふさがれた道を何度も迂回し、あちこちうろついているゾンビたちを時には倒し、時には避けて進む。

 そんな緩急つけた有酸素運動は宇宙飛行士の訓練で鍛えていた穂茂にしてもなかなかの重労働であった。

「ちょっと待ってろ、いまさっき拾った地図を見てみるよ……って、えぇい! 近寄るな臭い!」

「うぅ、そんないい方しなくても、スキンシップじゃないですか……乙女の心がユーアーショックですよ……」

 だんだんとこの異臭にも慣れてきた。そして慣れつつある自分が嫌になっていた。

「……街のあちこちが崩壊しているから確実なことまではわからないが……あそこにあのビルがあって……あそこにバス停があるから……そうだな、ここはだいたい平塚のあたりだな」

 相模湾の近く、河を越えれば茅ヶ崎であった。

「平塚っていうと……もう長崎県に入ったんですか?」

「……おまえのその症状は脳が腐ってる影響なのか? それとも元々なのか?」

「ヴェーイ? なんのことだYO?」

 たぶん……両方であろう。むかつくモノマネには一発蹴りを入れて黙らせた。

「まあ……大体四分の一くらいは来たかな」

「え~、まだそれだけなんですかぁ!?」

 面倒くさいよぉ! と叫んでゴロゴロ転がりまわる。

 「疲れたぁ、おんぶぅ」と叫ぶその姿はウザいことこの上ない……しかし、しばらく放置していると、いきなりリサはピタリとその鬱陶しい動きを止めた。

「どうした? ガラスでも刺さったか?」

 どうでもよさげに眺めていると、リサはまるで犬のようにふんふんと鼻をひくつかせて……顔をしかめた。

「ん~? ホモさん……なんか……臭いませんか?」

「死臭だろう、主にお前の」

「いや、そうじゃなくて……もっとこうなんていうか……ピータンというか、温泉というか……そんな……」

 そして穂茂もまた気が付いた。それは……硫黄の……火薬の臭いであった。

 その時ふと、リサの頭になにやら赤い光があたっているのに気が付いた。ホモは瞬時にそれが、銃のポインター光であることに気が付いた。

「伏せろ!」

「え? うわあっ!?」

 穂茂はリサに飛びかかった。二人の体が重なり、もつれるように転がるのと、乾いた発砲音が聞こえたのはほぼ同時であった。

「きゃー! やめてぇっ! 犯さないでえぇっ!!」

「頼まれたって誰が犯すかノータリンがっ! 銃撃だっ!」

 穂茂は思いっきりリサの頭を抑えつけながら、周囲を見渡した。

 昨日からの道中、途中ではゾンビ以外、つまり生きた人間には一度も出会わなかった。
 それは世界がどうしようもないほど崩壊しているという現実とともに……わずかながらの安堵感を穂茂にもたらしてもいた。

 そう……秩序をなくした世界においては、ゾンビよりもむしろ人間の方が怖ろしいということを、穂茂は理解していた。

 たとえば、銃を持った狂人など……。

 穂茂は瓦礫に身を隠しながら周囲を警戒する。だが、そんな二人にゆっくりと一人の人間が、銃を高らかに掲げながら近づいて来た。

「お~い! 大丈夫か~?」

 それはあきらかに敵意のない、申し訳ないという気持ちを含んだ声色であった。

 声は澄んでいる、美声といってもいいだろう。子どもか若い女性か……少なくとも男性のそれではなかった。

「もしかして人間だったぁ!?」

「……もしかしなくても人間だよ!」

 穂茂は叫びつつも、その近づいてくる人間を入念に観察した。まるで鳶職のような緩みのある作業ズボン、そして黒いタンクトップ。

 注目すべきは……かなり胸がでかかった。

 近づいてくるにつれ、その顔もよく見えてきた。

 歳は穂茂と大差ない、おそらくは高校生くらいだろうか。
 茶髪で背はかなり高い、一八〇近くあるだろうか。
 一目でスポーツか……それとも見た目通りの力仕事をやっているとわかる、ガタイのいい体つきをしている。

 化粧っけはないがそれでも十分に美人とわかるさわやかな顔立ちであった。

 穂茂は一応注意しながら……その女性に対して両手をあげて無抵抗の合図をしながら立ち上がった。足ではリサの頭を踏みつけていた。

「まったく……いきなり発砲とはいただけませんね?」

「いやぁ、ごめんごめん、ついついゾンビかと思ってね……って!?」

 穂茂の足を払いのけて立ち上がったリサを見て、女性は慌てて銃口をリサに向けた。

「ゾンビじゃないの!?」

「ぎゃー! 人殺しぃっ!」

 リサは叫んだ。人ではないし、すでに死んでいる。穂茂はなんと説明したものかと遠くの空を眺めていた。

「ぞ、ゾンビがしゃべった!?」

「しゃべって悪いか!?」

 どちらもテンパって話になっていなかった。撃つぞ! 撃つな! の応酬に、穂茂が仕方なく割って入る。

「まぁ、まぁ、落ち着いて……」

 別にリサが撃たれるのはかまわないが、自分まで巻き添えで撃たれるのはまっぴらごめんであった。

「あ~、お嬢さん。できればその……銃おろしてもらえませんかね? こいつは……まぁ、バカだし……臭いし……かなりウザいけど」

「ちょっとホモさん! なんですかその言い方は!?」

「他はまあ、害はないからさ……たぶん」

 女性は平気でしゃべり続けるゾンビの少女に、まだ混乱した様子であった。

「こ、こいついったいなんなの!? あぁ、これは夢なの、現実なの? まさかこいつが人間だっていうの!? 教えてよ、ねぇ!?」

「いやこいつは……見ての通りの……」

 ゾンビだよ、と言おうとしたが。

「そうです! ただの美少女ですよ!」

 穂茂は蹴りを入れた。リサは「なにすんですか!」と怒っていた。ついでにもう一発蹴っておいた。

「ただのくさった死体です」

 女性はしばし不審そうな眼でリサを見ていたが、やがて少なくとも物理的にはなにもしてこないということが分かったのか、少々疑わしげながらもゆっくりと銃口をおろした。

「ほ、本当に害はないの? 油断させて襲おうってんじゃないの?」

「失敬な! あたしはベジタリアンですよ! 肉なんか頼まれたって喰いませんよ!」

 世界のゾンビの常識を覆す爆弾発言であった。はたして肉を食わないゾンビのアイデンティティーはどこにあるのだろうか……アリを食わないアリクイ……。

「えぇ!? ゾンビなのにベジタリアンなの!? ちょっと! ほ、本当なの?」

「モチのロンです! ねぇホモさん?」

「いや……俺も初耳だよ、その情報は」

 正直な言葉を出すと女性の顔の不信感が増した。当然であろう。慌てたのはリサであった。

「ちょっ、穂茂さん! あたし昨日から肉食べてないでしょ!? 知ってるでしょうが!?」

「そういえば……道すがら雑草をむしゃむしゃとちぎっては食べてたな、ヤギみたいに」

「ね!? そうでしょう!?」

「いかにも犬や猫がマーキングしていそうな、電信柱周りの雑草を実にうまそうに食べていたよな」

「えへへ、いわゆる草食系ってやつですかね? かわいかったですか?」

「キモイだけだ、もうしゃべるな、臭いから」

 不毛な会話であった。

 しかし、そんな緊張感のかけらもない会話が、ある意味ではなによりもこのゾンビの人畜無害さをアピールしていた。

 女性は『こいつはたしかに害はなさそうだ……バカっぽいけど』と非常に的確にこのゾンビ娘の本質を見抜いていた。

「えぇと……それであなたたち、いったい何者なの? 見たところここらの人間じゃないわね? いや、そもそもそっちは人間でもないのか……」

 リサは不思議そうに女性の持つ銃を……ライフル銃を眺めながら「あのねぇ」と子どものように無邪気な笑みを向けた。

「あたしたちはねぇ、秋葉原にポッポを倒しに行くところなんですよぉ!」

「え……ポッポを?」

「そうです! すごいでしょう!?」

「……そうね、そうか……なるほどね」

 女性は一人でなにか納得したような顔であった。
 そう、それはまるで子どものとりとめもない行為を、その子どもがあたかもすごい手柄であるかのように自慢してきたときの、大人の余裕の反応であった。

「なんですかぁ?」

「いえね……あなたたちみたいな連中がいままでもたくさんこのあたりを通って行ったから……ついね」

「へえ! そんな人たちがいたんですか! でもそうですよねぇ、いますよねそりゃあ、あたしたちみたいな人たちも。そうかぁ、みんな頑張って世界を救おうとしてるんですね!」

 あの手紙は二カ月ほど前に全国にばらまかれたとリサは言っていた。ということは、自分たち以外にも東京にポッポ討伐に向かっているやつらがいるのも当然のことであった。

「一月くらい前まではそういう人がたくさんここを通って行ったよ。でも、それも少しずつ数が減って……ここ二週間くらいはすっかりいなくなったけどね。もっとも、そうやって行った人たちは誰も帰って来ないし、相変わらずゾンビもいなくならないわけだから……みんな……死んだんだろうけどね」

 あなたたちもそうなるのだろうね、と寂しそうに呟いた。

 まるで自分たちがこれから死ぬと言っているかのようであった。

 だが、そんな言葉にいちいち怒るほど穂茂も大人げなくはない。大人げないのは……リサだけであった。

「ふん! そんな役立たずどもと一緒にしないでください! あたしたちはゾンビなんかに負けませんよ、きっとポッポを倒してゾンビたちを元に戻すんです! ねぇホモさん?」

「おまえもう黙れ、頭が痛くなるから……」

 ゾンビに噛まれてゾンビになったやつに『ゾンビなんかに負けるもんか、ゾンビを倒してゾンビを救うのだ!』と言われても、いったいどうしろというのか。

「ふふ……面白いわね、あなた」

「わぁ、褒められましたよ、ホモさん!」

「そうだな……そういうことにしとこうか……」

 多分にバカにしてる雰囲気だったが、もうどうでもよかった。

「そうね、とりあえず私の家で休んでいきなさいよ。攻撃しちゃったお詫びにね……あぁそうそう、私の名前は……マナよ」

 女性は初めて笑った。口の端から覗く矯正していない真っ白な八重歯が、まるで吸血鬼の様であった。




 マナの家はどこにでもある、二階建て、敷地四〇坪ほどのガレージ付き一軒家であった。

 ただし、その周囲には鉄パイプや有刺鉄線などを組み合わせた、手作りのものと思われるバリケードが頑丈に組み上げられていた。

 マナと合流してからここに来るまでの途中、ゾンビには三回ほど出会った。

 だが、マナはそれらを実に的確に射殺していった。見事なヘッドショット、そして反動にぶれない上半身。非常に戦闘慣れした、軍人のようであった。

「マナさんは、なにか特別な訓練でもやっていたんですか?」

「え? あぁ、ムエタイとキックボクシングをね。そうそう、ちなみにこの銃は拾いものよ。警察の特殊部隊だか、自衛隊だかのね」

 マナが幾重にもかかった鍵を外しバリケードを解除する。そして家の扉を開けると、家の主よりも先にリサが中に飛び込んだ。

「おかえりなさいあなた。お風呂にする、食事にする、そ・れ・と・も……ゾ・ン・ビ?」

 リサの言葉に、穂茂もマナも特に反応することなく静かに家に上がり込んだ。「無視って一番ヒドイ行為だとあたし思うんです……」と、玄関で一人取り残されたリサは家の内鍵を閉めながら、静かに涙ぐんでいた。

 きれいに掃除された木張りの廊下。真っ白い壁紙。それは、この狂った世界の中にあって、まるで平和な頃の日常がそのまま残っているかの様であった。

「いい家ですね……マナさんは、この家で一人暮らしなんですか?」

「いえ、姉と二人で住んでるんだけど……その……」

 少々言いにくそうに目を伏せた後。

「変わり者で……多少のショックを受けるかもしれないけど、どうか温かく接してくださるとありがたいです……」

「いいですよ。もう多少のことでは驚かないですから」

 この一日間でだいぶ非常識への耐性がついていた。たぶん幽霊やホッケーマスクの殺人鬼が出てきたくらいではもう驚かない。

「はいはい! 質問です! お姉さんは美人ですか!? パンツの色は何色ですか!?」

 後ろからついて来たリサが大きな声でボケをかました。穂茂とマナはそれを聞こえないことにした。だって全然面白くないから。

「お姉さんにも挨拶しないといけませんね」

「ありがとうございます、こちらが姉の部屋です、どうぞ」

 後ろからすごすごついてくるリサは、消え入りそうな小さな声であった。

「……また無視ですか? あんまり無視されると、寂しさのあまり自殺しますよ?」

「そうか、じゃあ死ねよ」

「わあ! やっと反応してもらえました! うれしいなぁ!」

 えへへ、と笑顔のリサである。ウザいしギャグは全く面白くないが、この単純な性格は少しだけ可愛げがある、と穂茂もちょっとは思っていた。

 ほんのちょっとだけであるが。ミジンコくらい。

 さて、廊下の奥に進んでいくと、そこにはなんだか不気味な雰囲気を醸し出している扉があった。

 鈍く輝く銀色の扉、そこには大きな張り紙で『勝手に入るな』『侵入者には死の鉄槌を』『神々の黄昏』と乱暴に、怪しい文字が書かれていた。

 マナはそのドアを軽く二度ほどノックした。やがて中から小さくか細い声で「……なんじゃ?」と返事が返って来た。

「お姉ちゃん、開けるよ?」

「……よかろう、入室を許可する」

 そして、ゆっくりと開けた扉の中からは。

「うおおっ!?」

 大量の紙の箱が、まるで雪崩のように流れ出てきた。

 ゲーム、プラモ、フィギュアにお菓子……その他もろもろ、天井すれすれまで積み上げられたそれらが勢いよく廊下に散乱した。箱は湿気にやられ、なにやら茶色く変色していた。

「うわぁ、汚いですねぇ!?」

「まったくだな……なんかカビがあちこちに生えてるし……」

 リサの意見に素直に頷いてしまうほどに、それは圧倒的なゴミ屋敷であった。

「おまけに生ごみの腐ったような臭いもしますよ!」

「それはお前の体臭だ」

 その時、部屋の奥からゆっくりとなにかが近づいて来た。

 夏だというのにどてらを着こみ、床につくのではないかというほど伸ばしに伸ばした黒い髪。そして目の下には黒いクマ。

 どことなく気だるげな、狂気をはらんだ瞳でこちらを見つめているそれは、どうやら人間のようであった。

「……マナちゃん……その人たちは……誰?」

「お客さんよ、お姉ちゃん」

 お客さん、と言われて穂茂も慌てて自己紹介した。

「あ、はじめまして。僕は穂茂鎌太郎と申します、よろしく」

 少々気おくれしたが、ぺこりと頭を下げた。

「……ホモ……カマ……なんかどっかで聞いたことがあるわね……」

 しばし首をかしげて、ぼりぼりと頭を掻いた。ボロボロとフケが落ち、雪のように床に降りいだ。

 内心どん引きしていた穂茂。そして、その女はやがて思い出したようであった。

「あぁ……もしかして、宇宙飛行士の?」

「はい、ご存知でしたか」

 さすがに僕は有名だな、と思っていると。

「そうか、氏ねよ」

「……はい?」

 わけの分らぬ罵声を浴びた。

「リア充は氏ねよ。なにが宇宙だよ、シャトルとシャトルでドッキングか? 液体燃料逆噴射か? 空中爆発すればよかったんだよ」

 呆然とした。いままで色々な人間に会ってきたが、こういう人間は初めてであった。

 なんというか……怒る怒らない以前に、理解ができなかった。

 「すいません……」とマナが謝っていたが、穂茂の耳には入っていなかった。

「ちょっと! あなた!」

 代わりに声をあげたのは、リサであった。

「黙って聞いてればホモさんになんて言い方ですか! 確かにちょっと死体の扱いが荒い人ですけど、曲がりなりにも世界を救うために旅してる勇者様ですよ!? もう少し丁寧にふぁべってぽ!?」

 突然、リサのろれつが回らなくなった。さらに床に伏せてしまう。

「ど、どうした?」

 穂茂が訪ねると、リサはまるでコンタクトを落としたかのように床に手をついていた。

「ばべ、ひたふぁおふぃまふぃた、ふはっふぇ(訳 やべ、舌が落ちました、腐って)」

 あわてて床に落ちた舌を拾って口に入れていると(それで治るのか? と穂茂は疑問に思った)、黒髪の姉は(穂茂はいい加減面倒なので以下、貞子と呼ぶことにした)は興味深そうにリサを見つめていた。

「ふう、治った治った……って、な、なんですか!?」

 息がかかるほどの近距離で見つめられていることに気が付いたリサは貞子(仮名)に思わずたじろいだ。

「ゾンビっ娘? あなたゾンビっ娘なのね?」

「ゾ、ゾンビっ娘?」

「ゾンビの女の子なのね?」

「そ、そうですよ……見ればわかるでしょう」

 いや、わかんねぇよ。ただの化け物だよ。

「それで、歳は?」

「と、歳? なんで?」

「とっても重要よ……で、いくつ!?」

 なんだか異様な迫力であった。リサはただ呆然と「十五歳です……」と答えた。

「処女?」

「……はぁ!? あ、あったりまえでしょうが! 正真正銘の乙女ですよ!」

 その答えに、貞子(仮名)は「ぴゃーっ!」と謎の奇声をあげてリサに飛びかかった。

「うっは!?www」

「ちょちょちょ、なにすんですか!? やめて押し倒さないで!」

「ふんふんふん! すーはーすーはーすーはー!」

「ぎゃー! スカートの中に顔突っ込むなぁ!」

「くんかくんか! んああああああぁぁぁ!! キッツイ臭いだわああああ!」

「やめてくださあああぁぁぁいっ!! 臭い嗅がないでくださいいいいぃぃぃっ!! もう三カ月もお風呂入ってないんですぅ!! おまけに腐敗が進んでるんですぅ!!」

「かまわん! むしろ我々の業界では!! ご褒美ですうぅ!!」

 べろべろと音を立てて貞子(仮名)はリサの内股を舐めまわしていた。

 いったいこれはなんなのだろうか? 悪夢なのだろうか? 

「いやぁっ!! 舐めないでえぇっ! なんか出ちゃう! ハエに産みつけられたウジ虫出ちゃうぅっ!! ほあほあっ!! フングルイ!! イアイア!! 助けてホモさあぁーん!!」

 目の前で行われる光景に穂茂は思わず「神様……あなたはなぜかくも僕を苦しめるのか……」と現実逃避した。が、そこは元宇宙飛行士としての現実対処能力、気持ちを切り替えてマナに説明を求めた。

「あー……これは……世界が崩壊した時のショックで脳がダメージを?」

「いや……もともとです、残念ながら」

「……そうですか」

 世界が狂ってしまう以前から、こんな人たちがいたのか。世の中ってのは、まるで岩の下のダンゴ虫のように、普通に生活しているだけでは知ることのない広大な世界が広がっているのだなぁ、とぼんやりと感慨にふけっていた。

「すいません、姉が少しだけ取り乱しまして」

「いえいえ、お気になさらず。僕は一向に気にしてませんから」

 どうせ被害を被っているのはリサであるから、関係ない。

「助けて! 誰か! いやあぁぁ!!」

 聞こえない聞こえない、僕は朗らかに笑っていた。

「それで、ゲイさん」

「なんですかマナさん。あと僕はゲイじゃなくてホモです、いや穂茂です。ナチュラルに間違いましたね」

「ホモさん、それで……あなたたちはポッポを倒しに行くと言ってましたけど……私たちの両親は……今回の騒動でゾンビになってしまいまして」

「あ~……それはお気の毒に」

 普段ならもう少し気のきいた慰めの言葉も出るのかもしれないが、いかんせん、そういう常識的な感覚はすでに麻痺していた。

「私も何度も、ポッポを倒しに行こう、両親をよみがえらせるために戦おう、そう思いました……でも、私には姉を守る義務があります」

「お姉さんをですか?」

 目の前の床でリサを嘗め回す狂人を眺めた。恍惚とした瞳で腐った肉体に抱き着いている。ちなみにリサはぴくぴくと痙攣いた。

「姉は見てもらって分かると思いますが……重度のひきこもりで……」

「精神障害の間違いでは?」

「まぁ、それもありますが……私が一人で秋葉原まで行ってしまっては、姉が飢え死にしてしまいます。掃除洗濯、しかもここ最近はオンラインゲームもインターネットもできなくて姉の精神状態は最悪です。とても置いていけないんです」

「人間のクズですね……いや、失敬、つい本音が」

「いえ、本当のことですから……でも、そんな姉ですけど、私にとっては大事な家族なんです……」

 その時、体中を唾液でヌメヌメにされたリサが狂ったように声をあげた。

「ちょっとおぉっ! なんで助けてくれないんですかぁっ!? 貞操を奪われそうなんですよぉ!? なんで朗らかに会話してんですかぁ!?」

「お~、よかったな。奪ってもらっとけよ、良い機会だからさ」

「いやああぁぁ!」

 リサは手近転がっていた貫一お宮の置物(例の熱海名物のアレである)を握りしめ、全力で貞子(仮名)の顔面を殴りつけた。
 
 骨のひしゃげる嫌な音ともに貞子(仮名)は床を転がりまわった。命からがら脱出したリサは、必死に穂茂の足にしがみついた。

「ホモさん! この家は魔窟です、ヘルハウスです、呪われし間宮邸です! 早く出ましょう、一刻も早く!」

「待って!」

 貞子(仮名)は瞬時に蘇り、再びリサに覆いかぶさった。

「ぎゃあ、バケモノ! なんでそんなに復活早いの! ぞ……ゾンビぃっ!!」

「それはおまえだ」

 今度はうまくリサに寝技をかけ、反撃のチャンスを一切封じた貞子(仮名)は、鼻血を垂れ流し息を荒くしながら、妹であるマナに笑顔を向けた。
 
 その口の端から覗く八重歯は、いかにも姉妹らしく、リサに殴られた頭から流す血の色も相まって、吸血鬼という感じであった。

「マナちゃん! すぐに仕度なさい!」

「え? 仕度?」

 マナはちらりと壁に掛けられた時計を見た、時刻は午後の一時であった。

「あぁ、そう言えばもうこんな時間か……もうすぐ朝ごはんだよね、お姉ちゃん夜型だし」

 ニートの生活リズムにすっかり順応している可哀相な妹であった。だがその妹の言葉に貞子(仮名)は首を振った。

「違うわ! 秋葉原に出かける準備よ!」

「え?」

 貞子(仮名)の視線が穂茂に向けられ、「あぁ、やっかいなのに目を付けられた」と穂茂は内心嫌になっていた。

「ゲイさん! お願いがあります!」

「ホモです、いや穂茂です。そろそろ温厚な僕でもローリングソバットくらい出しますよ? んで……なんですか?」

「私たちもお供させてください、ポッポ討伐の旅へ!」

「……え!?」

 マナは、その姉の言葉を聞いて「信じられない」という表情であった。だがあきらかに貞操を狙われている腐った死体……リサは呆然としている余裕など微塵もなかった。

「うええぇぇ!? ダ、ダ、ダ……ダメですよホモさん! こんな変態、一緒に連れてってもいいことないですよ! 性犯罪者のロリコンのレズの引きこもりのキモオタですよ!?」

「そうだな、その通りだ。でも腐った死体が言えた義理じゃないから黙ってろ」

「ヴェーイ!?」

 こいつを連れていくのか? と、その怖ろしい未来を一瞬想像し、穂茂は危うく失神しかけていた。一方で姉の突然の宣言に、妹は慌てていた。

「で、でもお姉ちゃん!? お姉ちゃん『拙者、外に出るくらいなら部屋で布団にカラフル達と一緒に光合成して生きるでござる、カビルンルンwww』っていつも言ってたじゃない!?」

「うわぁ……」

 これはひどい……と、リサすらどん引きしていた。

「そうね、マナちゃん。そんなことを言ってた頃も確かにあったわ……でもね!」

「ひぃっ!?」

 貞子(仮名)はリサの首を一八〇度捻り回した、そしてそのまま口に……。

「むぐううぅぅ!?」

 ディープキスしていた。

「うおぇ……」

 地球に帰還してから、ついに初めて穂茂は嘔吐した。本気で吐き気を催す光景であった。あと、リサの目が死んだ魚の様であった、あ、もともと死んでるか……。

「ぷはぁ……マナちゃん、この子が命をかけて悪の魔王を倒しに行くっていうのなら、恋した乙女としてついて行くのが女の操ってもんでしょう!?」

「お姉ちゃん……うぅ……」

 マナは床に突っ伏して泣きだしてしまった。

 穂茂は心の底から同情した、もしこんな生き物が自分とほとんど同じDNAを持っているという運命のもとにこの世に生を受けたならば、自分であったらたぶん自殺していただろう。

 あまりにも世間に申し訳がなくて……。
 ごめんね、マイ・ガイア……。

 だが親の心子知らずならぬ妹の心姉知らず、貞子(仮名)はそれを賛同の涙だと勝手に解釈していた。

「おぉ、感動で泣かないで頂戴、妹よ! お姉ちゃんは愛に生きるのよ!」

 その時、リサは一瞬のすきをついて貞子(仮名)の寝技を外し、大慌てで床を這うように……そう、ある意味じつにゾンビらしい動きで穂茂に近づいて来た。

「ホ、ホモさん、いまのうちです。早く逃げましょう! これは正気の沙汰ではないですよ! あきらかにあっちの世界の住人です!」

 しかしそんな訴えはすぐに貞子(仮名)によって却下された。三度にわたりリサに覆いかぶさった貞子(仮名)はリサを押さえつけ、悲鳴を上げるリサの頬に顔をすりよせながら穂茂に目を向けた。

「ホモさん! そういうわけで私たちもついて行きます!」

「えぇと……お姉さんがそうおっしゃっていますが、マナさんどうします?」

 おそらくはこの場で唯一の自分以外の常識人に意見を求める。もう、自分で思考するのが、正直言えば面倒くさくなっていた。

「うぅ……ご迷惑おかけします……ですが、お姉ちゃんは一度言いだしたら聞かない性格で……こんなんでも姉でして……家族でして……申し訳ありませんが……私もついて行きます……」

「ちょっとおぉ!? やめとくべきです、ホモさん! こんなもん連れて行ってもいいことありませんよぉ!!」

 穂茂は……先ほどの思考の放棄を訂正し……脳をもう一度動かして考えてみた。いったい、どうすればわずかでも自身の精神を、この狂気から守ることができるのかと、必死に考えたのだ。


 ケース1
 リサと二人きりの場合……。

  ・良い点、特になし。
  ・悪い点、臭い、ウルサイ。


 ケース2
 マナと貞子(仮名)を連れていく場合……。

  ・良い点、マナは銃もあるし戦力になる。
       貞子(仮名)がリサを捕まえておいてくれるので、自分がリサの相手をしなくてよい。
  ・悪い点、臭い、ウルサイ。



 結論、連れてく方が被害が(わずかながら)少ない。


「…………これからよろしくお願いします」

「ちょっと、ホモさん!? なに言ってんですか!?」

 事実上の死刑宣告を下されたリサの叫びは悲痛なものであった。しかし。


「うるさい、僕の幸せのためだ、おまえは犠牲になれ」

「人でなし!」

「それはお前だ」

 話はまとまった、平和的に。

「そうと決まれば、いよいよアイツを登場させるときね!」

「アイツ?」

 貞子(仮名)は不敵に笑った。ついてらっしゃいと言ってガレージに向かった。無論、リサを羽交い絞めにしたままであるが。

「ふっふふふ、秘密兵器よ」

 三人とゾンビ一匹は家の外にあるガレージの前に来た。

 シャッターを開けると、中には普通の乗用車が一台あるばかり。

 しかし、倉庫奥の棚をずらす(ずらしたのはマナである)と、その陰から謎のレバーが出現した。それを引っ張ると。

 ゴゴゴッ、という地響きとともにコンクリート製の床が開いていった。

「ちょっとお姉ちゃん! な、なにこれぇ!?」

「まぁ見てなさい、マナちゃん」

 そして、その隠し倉庫から出てきたのは……。

「な……に……これ?」

「え、知らないの? 六一式戦車よ」

 そう、戦車であった。

「知らないよ! ていうかどうやってこんなもん手に入れたの!?」

「自衛隊の放出品よ、アマゾンで買ったの」

「アマゾンぇ……」

 唖然としたまま固まっている穂茂とリサを放置して、貞子(仮名)は悠々と戦車に乗り込んでいく。もう一度言うが、リサを抱えたままである。

「て、ていうかお金は!? お姉ちゃんニートじゃない!」

「あぁ、アフィリエイトで月々百万ほど収入が」

「じゃあ家に食費入れてよおおぉぉ!」

 もう戦車に対するツッコミは終わったらしい。涙を流しながらも次々と食糧やらの荷物を戦車に運んでいくあたり、この妹も狂気によく順応していた。

「よっしゃ、みんなとっとと乗り込んでくれ! 四十秒で仕度しな!」

 仕度も何もそのままの格好いがいないだろう……と、穂茂は中に入り込む。狭い……そして臭い……。密閉空間のリサの体臭は殺人級であった。

「ところで、あんた……運転……できるんだろうな?」

 複雑そうな計器類が並ぶ車内。貞子(仮名)はてきぱきとそれらをチェックしていく。

「もちろん!」

「いつ……覚えた?」

「野暮なこと聞くなよ、ゲームに決まってんじゃん」

「そう言うとは思った……」

「不安か?」

「……あきらめた」

「人生を楽しく生きるのに大切なことだね」

 やがてマナも加わり、出発の準備が整った。ちなみにさっきからリサが静かなのはおそらく首をずっと絞められているからであろう。窒息してるかもしれないが、別にどうでもよかった。

「目標、秋葉原! いざ出撃!」

 高らかな貞子(仮名)宣言とともに、戦車はエンジンを起動させた。凄まじい振動とともに、キャタピラが回転を始める。

 戦車は路上に躍り出た。そして……。

クソゲーみたいなこの世界で 3

クソゲーみたいなこの世界で 3

ゾンビ娘は腐ったなりの脳みそで恐怖した。「犯される……」

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-08-14

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