ニューハコダテ成立と現代のクローン生産
これから作りはじめる予定のお話の舞台がどうできあがったかを整理しました。注釈もページ下部に設けていますのでご活用下さい。
20XX年。文明がゆるやかに頂点を過ぎつつあった頃、世界は未曾有の危機に見舞われた。
『大災厄(メイルストロム)』(*1)。
ある朝、鼻につく異臭で目が覚めると、その源がベッドに横たえられた自らの身体であることに気づく。上体を起こそうとする。するとマットレスの上で体を支える腕が、ぼろりと落ちる。呆然とする。そこで顎を引き、己の胴体を見やると、肉が、隠れた骨が、それらを覆う皮膚が、至る所で腐って剥がれ落ちている。大変恐ろしいことに、複数の人間が――億単位の人間が、同時多発的にこの夢見を体験していた。そして実際、夢では終わらなかったこの現象は、のちに『大災厄』と称されるようになったのである。
『大災厄』以後、各国及び国連の議会は紛糾し、医療機関はパンク状態に陥り、民は混乱の只中に叩き込まれた。これが人類の歴史の締め括りになると予言した点では、識者も教祖も変わりがなかった。日々マスメディアが報せる犠牲者数は、もはや信憑性を失った。人が大勢死にすぎたのだ。
連日、あらゆる可能性が噂された。未知のウイルス、宇宙人の生物兵器、果ては神罰とまで。しかし人々は正体を探りたいわけではない。そもそも、真相を知りうる存在がいるとは思っていなかった。黙示録にも、コーランにも、どの仏教典にも、このような終わりの到来は示されていなかった。気休め、それしか目的はない。ただひとつ言えるのは、もし当時の世界を端的に言い表すならそこは、「地獄」そのものであった。
それから十年が経過した日本。列島の最も北に位置し、かつて北海道と呼ばれた巨大な孤島はいまや一大産業地域として発展し、サッポロシティ(*2)は首都・トーキョーに取って代わりつつあった。作っているのは主に食料、そして人間。
今から八年前、つまり「災厄」から二年後のことだった。ある日本の科学者グループが、「腐敗の進んだ臓器及びその他の器官は、交換移植すれば延命可能性(life-extensibillity=LEB、*3)が飛躍的に向上する」と発表したのがきっかけだ。彼らはこうも続けた。
「ある優秀なサンプルの協力を得た。あらゆる器官の機能が平均以上だ。この男性、A氏は既に我々と『合法的な』協議を重ね、被検体として扱われることに法的手続きに則り同意している。スポンサーさえ見つかれば、A氏のゲノムデータに改良を加えたドナークローンの量産体勢に入る準備がある」
腐り死に絶えつつある人類は、この提案を受諾し、自らの生命維持のため遂に科学的道徳の一線を越えた。すぐに国内外の数十の企業・団体から支援の申し入れがあり、世界中の「善良な」民衆もクローン生産に賛同したのだ。もちろん反対派もいたが、長くは続かなかった。みな、コピーアンドペーストされた生命よりも、「わたし」という唯一性の存続が大事だと考えた。我が身可愛さで、複製された誰かをばらばらにして自身に接ぎ合わせる商品として扱う世界を選んだ。
六年前。研究者グループは日本や中国のいくつかの企業と提携して、肥沃で広大な土地を有する北海道を拠点と定め、ドナークローンの製造を始めた。あちこちで「ファクトリー(生産工場)」と「ファーム(育成・管理施設)」が稼動しはじめ、新たな産業の時代が幕を開けた。クローンから文字通り「切り売り」されるパーツは比較的安価なうえ、施設の運営に協力する農家・漁師などの一次産業従事者(*4)には部位のいくつかが無料であてがわれたため、北海道の人々は諸手を挙げてこれを歓待した。
こうして着実にニーズを拡大し、国内の七割にまでドナーパーツが行き渡ったところで、これまで名無しだったグループは主任研究員の名前を取って「イシド・インダストリイ」と正式に命名、ハイエンドモデルのドナーの製造と、函館の町を改修し名を「ニューハコダテ」(*5)と改め、その港を唯一の窓口としたパーツの海外輸出開始を宣言した。これが二年前の出来事である。
余談ではあるがこの年、主任研究員兼CEOのイシド・コウセイ(*6)は「世界が注目する経営者10人」「今年の顔」などのメディア主催の企画において、いずれも一位を獲得した。
そして現在。ハイエンドモデルは未だ試作段階であるが、予約注文が世界中から殺到しており、初期ロット以降の追加生産もすでに決定している、とイシドCEO自らが明かした。イシド・インダストリイは、ニューハコダテがかつて函館と呼ばれていた頃のランドマーク=五稜郭を買い取って再建、「ゴリョウカクFLF(*7)タワー」と改称して、北海道のファクトリー・ファーム全体の統括やハイエンドモデルの研究開発を行っている。
・注釈集
*1 『大災厄』…本文中に詳しい。
*2 サッポロシティ…北海道最大の都市。元々日本有数の地方中枢都市であったが、クローン生産が本格化してからは日本国政府を凌ぐ権力を持つようになる。現在の北海道はサッポロを首都とする独立国家に等しい。
*3 LEB…グループによる造語。この年の流行語大賞を受賞した。
*4 施設の運営に協力する一次産業従事者…ドナークローンも生物学的にはヒトであるので、食事は必要不可欠である。
*5 ニューハコダテ…かつての函館。道内でも特に長い歴史がある港湾都市で、昔から海外との貿易で栄えてきた。『大災厄』以降は荒れ果て、違法行為の蔓延する土地に変貌していたが、その後イシド・インダストリイによって整備され、無法者も鳴りを潜めた。
*6 イシド・コウセイ…生年不明。201X年、EU圏内の某大学を卒業。帰国後はK大大学院で遺伝子医学を研究。現在はイシド・インダストリイCEOとしてクローン産業を推進する。
*7 FLF…Farm・Laboratory・Factoryの略。
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