伝えたい歌詞(ことば)
課題用
設定:1999年に首都直下型地震があった日本が舞台
近頃、日も短くなってきたな、ふとそんなことを感じながら、橙色に染まった校舎を横目に最寄駅とは反対方面の校門を出る。仕事帰りのサラリーマン、部活終わりであろう真っ黒に焼けた坊主の中学生たちとすれ違いながら駅周辺のビル街を歩く。錆びついたアーケードをくぐり、もうすっかり歩行者用の道路でしかないシャッター街を抜ける。
学校から歩いて二〇分もしないうちにコンクリートの壁が田園風景に変わっていた。坂を下ると道の両側には稲が収穫の時期を今か今かと待っている。左側にはその黄金色の上を走るように電車が通っている。歩く道の先には山があり、標高はそれほど高くなく地元の小学生は必ず一度は登るらしい。
山にある程度近づくと丁字路に差し掛かった。これをまっすぐ進むと上り坂があり、隣に走っている路線の駅前に出る。ここを右折して田んぼと森に挟まれた一本道を歩く、ここまで来れば目的地は目と鼻の先だ。
まだ日が出ているとはいえこの時期になるとさすがに冷えてくる。首をすくめ早足で進むとすぐに門の前に着いた。アイツの自転車が置いてある、通学用のママチャリだ。暖をとりたいので門をよじ登り、建物までの坂を上ってさっさとアイツがいる所へ向かうことにした。
ここはいわゆる廃校舎というやつだ。俺自身、そう何度も来たことはないがアイツはほぼ毎日ここに通ってるらしい。もう使われなくなった廃墟にしては机や椅子等の備品もまだ綺麗なままだ。映画のセットにも使えるかもしれない、それこそサバゲーなんかに使えたら最高だろう。四階建て校舎の三階に上がり「2―2」と書いてある教室に入る。
アイツは机に向かった状態でイヤホンを耳に挿し、右手でペン回しをしながらなにやら考え込んでいた。机の上には何やら参考書らしき物が開かれてる。考えが浮かばなかったのか、背もたれにもたれかかったところで目が合った。
「なんだ読(よみ)来てたのか、声かけろよ」
シャーペンを机に置いて俺と向かい合うように別の机に座った。
「ここ、あったかいな」
「周りが森だからな」
そうなんだ、と返しつつ近くにあった椅子に腰かけた。俺をこの廃校舎で待っていたこいつは小狭聴(こはざま・あきら)。出会って一年経つがまだあまりこいつのことはよく知らない、知っていることと言えば部活動には入っていないことと将来やりたいことに向かって放課後ここで勉強しているというくらいだ。まだ大学受験まで一年以上あるのに、真面目なやつだ。
「遅かったな、そういや」
「まあ、歩きならこんなもんだろ」
「は?お前、またそんな距離歩いてきたのか!?」
「まあ、このくらいの距離なら」
「電車は」
「ああ、あのローカル線だろ?本数少ないじゃん、待つの嫌じゃん?」
彼はなにやら溜め息をつきながらぶつぶつと「これだから体育会系は……」とか独り言を言って先程まで座っていた席に戻っていった。忘れてた、コイツ結構口悪いんだった。
彼は再び参考書を開き問題の続きを解き始めた。そんな彼の姿を見ながら、ふと気になったことがあった。
「なあ聴」
問題と顔を合わせながら「なんだ」とだけ返してきた。
「お前さ、いつからここ使ってんの?」
ペンの音が止まった。
「だってさ、ここ結構綺麗じゃん?」
風が校舎の周りの木々を揺らす音が聞こえる。
「こんないい所、どうやって見つけたんだろうって気になったんだよね」
ペンを置く音が聞こえた。聴は窓の方を見ている。しばらくすると、彼はいつもの調子で
「去年の八月だったな」
と言った。ということは……
「俺と初めて喋ったのは……」
「去年の夏明けだな」
彼は俺に向き直ると目線を少し下げて語りだした。その表情は何か儚さを帯びていた。
*
うだるような暑さの中、半袖ワイシャツの短い袖で汗を拭う。もうこの暑さだったら「暑い」じゃなくて「熱い」でもいいんじゃねえか。そんなこと考えている間も頭には太陽光が容赦なく降り注ぐ、周りに日差しを遮るものがないせいもあるだろう。右も左も見渡す限り緑、しかし田んぼしかねえな、ここ。
新しい音楽プレーヤーを買うのに電車賃をケチったのはまずかったか、暑い、ひたすら汗が流れる、いつも登下校の時音楽を聴いてるヘッドフォンもこの汗では使えない。あれもこれも自転車が大破したせいだ。
先週、強風吹き荒れる日に近所のCDショップに行った時、飛んできた木の枝が後輪に挟まりスポークがほぼほぼ破損、そしてその衝撃で焦った結果前輪を石垣にぶつけてチューブまでやられた。新車を買うより修理の方が安くあがるので現在修理中……。
おかげで夏季補習のこのくそ暑い中歩く羽目になっている。しかも講座が終わるのは一時半、この時間が一番気温が高いことなんて小学生で習うのに、いったい教師陣は何を考えているのか、もう今だったら何にでも八つ当たれる自信がある、ああ暑い。
いつもなら直進して市街地に入る丁字路を今日は右折する。遠回りにはなるがこっちは道沿いに森があるため道が影に覆われている。しばらく歩くと、掻いた汗を全て吹き飛ばすような風が駆け抜けた。木々が鳴き、石が地面を叩く。風が流れてきた方に視線を移すと目の前に門があり、その先に急な坂道がある。その奥には校舎が見える。
導かれるように施錠された門を越え、坂を上り始めた。爽やかな風が体を撫でる。一九九九年の首都直下型地震、そして二〇一一年に起きた東日本大震災が起き、この辺りの地域が首都圏と呼ばれなくなった頃、東北、関東の人口が西日本に吸収され、東日本では学校の大規模な統廃合が行われた。確かこの高校も三年前に廃校が決定し、去年の卒業式をもって閉校した。家から一番近かったのでこの高校に通うつもりだったのだが。
グラウンドには年季の入ったサッカーのゴール、荒れて雑草だらけになったテニスコートと人の立ち入った形跡はもうまるでない。校舎を見上げると、ところどころひび割れや錆、塗装の剥がれなどが見えるも、まだまだ綺麗でいる。ふと、何か窓の向こうで動く影が見えた気がした。校舎の周囲一帯が森なので時折心地よい風が吹き抜ける、ちょうどいいな、ちょっと中で涼んでいくか、さっき動いたのも何か気になるし、愛用のヘッドフォンを耳に当てて校舎内に入り込んだ。
校舎内も備品が使われていたままで残されている。だが木製の机、椅子も朽ちている様子はなくまだまだ現役で使えそうだ。一階は職員室、家庭科室などの特別教室、二階は「1―1」というプレートが掛かっているのを見たところで一年生のフロアであることがわかった。とりあえずこのフロアを散策、あの影は視認した限りではこの上の階にいた。階段を上がる、木々の影のせいか階段の踊り場が薄暗い。聴いていた音楽が途切れた、確認するとどうやらプレーヤーの充電が切れたらしい。さらに上り、三階のフロアに着く、太陽が周囲の木々に隠れたのか校舎に光が入らなくなってきた。ドアの上のプレートには「2―1」と書かれている、ここは二年生のフロアらしい。この教室には誰もいなかった。次の「2―2」と書かれた教室はちょうど昇降口の真上にあたる、ヘッドフォンからは何も聞こえない、耳に入るのは木々が擦れる音だけだ。教室の前に立つ、ドアの向こうからは人の気配はしない、引き戸を開ける、ドアも破損しておらず、なめらかに滑った。
ドアを開いた瞬間目に飛び込んできたのは激しく揺れるカーテンだった。先程、俺をここに導いたものと同じような風が駆け抜けた。不意のことであったので思わず目を細めた。しばらくして、風が穏やかになると目の焦点が合った。カーテンに人影が映っていた。人影はこちらの存在に気が付いたようで姿を現した。
正直に言うと、かなり焦った。相手が何者であるかはまだわからないが、目の前にいる女性が着ている服が廃校となったこの高校の制服であることは確かだった。
姿を見せた女子生徒は驚いたような目でこちらを見つめ、少し後ずさりをした。その時、窓の縁に手が当たりわずかながら音が鳴った。影もある、足も地に着いている、髪も風でなびいている。幽霊では、ないのか、な。
彼女が急に身を守るように腕を胸の前に組んだ。表情を確認すると頬に朱が刺していた。首をかしげる、いったいどうしたというのか。
「何?急に来たと思えば人の体をじろじろ見て」
彼女の目には侮蔑の念が交じっていた。ああ、確かに足元から頭まで舐めまわす様に見えたと言われれば言い逃れはできない。
「悪い」
とりあえず一言だけ言った。女子となんてまともに話したことがないのでこういう時、何を言ったら正解なのか見当もつかない。
「っていうかさ、人と話すときくらいそれ、取ったら?マナーだよ、マナー」
彼女は俺の頭部を指さした。ああ、音鳴ってないから気が付かなかった、そういえば被ってたな。
「悪い」
こう自分のペースで、他人の事を気にしないで喋るタイプはやっぱり苦手だ。あの狭い箱の中にもそんな奴等しかいなかったな、そういえば。
そんなことよりも、だ。ヘッドフォンを外しながら、俺は最も気になったことを単刀直入に聞いた。
「ところで、君はどうしてそんな格好でどうしてこんな所にいるんだ?」
彼女の顔から表情が消えた、またも風が吹き荒れる。カーテンは女子生徒を覆い尽くすように激しく揺れる、隙間から垣間見える彼女の姿からは何か憂いの様なものを感じる。白い布が映す影は泣きじゃくる少女のようにも見えた。
*
「え、それってこの教室のことか?」
「そうだよ」
俺は慌てて周囲を見回した。
「大丈夫」
「え、なんで」
コイツ除霊なんかできたんだっけとか考えていると、俺がコイツと初めて会った時のような覇気のない、弱弱しい声で言った。
「もう、いないんだ」
*
彼女はしばらくすると目に光を戻しゆっくりと近くの席に着いた。俺は立ってるのも億劫だったのでとりあえずすぐ目の前にあった椅子に腰かけた。
彼女はぽつりぽつりと一言ずつ絞り出したような声で語りだした。
*
私はこの高校の最後の入学生だった。この学校が良いと思った理由は特にないが、強いて言うなら家から近いこと、後はここの窓から見える景色、そして感じる風が心地こといいくらいだった。
入学して間もなく友達もできたし、学習面も困ることなかったから楽しく高校生活のスタートを切ることができた。高校一年生で初めての文化祭、中学の時とは比べられないほどの人が集まってきた。中学の時やっていた吹奏楽ではなく合唱部に入部した私もこの時に発表があった。吹奏楽のコンクールとはまた違った雰囲気にもちろん緊張したけど無事成功した。それからも友人関係、成績、生活面で特に問題もなく進級した。これからもっと刺激のある経験ができて、楽しい高校生活が続いていく、はずだったのに。
*
彼女はすっと立ち上がりこちらに微笑みかけた。俺はヘッドフォンのコードをいじりながら声をかけた。
「いつから」
「え?」
彼女は首をかしげた。
「いつから、ここに?」
ああ、と納得したような反応を見せる。
「わかんないんだよね、気が付いたらここにいたの」
さっきまで話していた少女とは別人のような笑顔で答えた。
「覚えてないのか……」
「うん、高校二年の一学期が終わった所までは記憶があるの」
でもね……、と窓に視線を移した。少しの間の後、彼女は何かに気づいたように振り返り、僕の目を見据えて問うた。
「ねえ、今って西暦何年なの」
彼女のその言葉に手に持っていたヘッドフォンを床に落としてしまった。語気には何か張りつめたような重いような物が感じられる。
「二〇一四年」
これだけ言うのが精一杯だった。いつの間にか呼吸も忘れていた。俺の言葉を聞いた少女は気の抜けた息をはいて椅子にへたり込んでしまった。俺もふぅ、と安堵しながらヘッドフォンを拾う。
「もうそんなに経っちゃったか」
彼女は指を折って何かを数えだした。
「みんなもう大学生だよ、なにしてるんだろうなぁ」
あと一言、何か言った様に見えたが風になびくカーテンの音でかき消された。
僕は黙ってその姿を見ていた。
「私が高校を卒業する予定が二〇一四年の三月だったから二年前か」
彼女は俺に向き直りあれっ、と思い出したように
「今、何年生だっけ?」
と聞いてきた。そういえば聞きたいことが多すぎてお互いのこと何も知らなかったな。
「高一」
答えるとしばしの沈黙が流れた、その後何故か彼女はむっとした表情になった。
「普通さ、お互い名前も知らないんだから自己紹介にならないかな、ここで」
何を言っているのか理解できなかった。俺は確かに問いに対して答えた。しかし彼女は聞いていないことまで要求してきた。それで機嫌を損ねたというのなら筋違いじゃないか。
「ねえ、声に出てるよ」
「……!?」
うっかりしていた。普段から思ったことを口に出してしまう癖はあったがここで出るとは、でも間違ったことは言っていないので開き直ることにする。
「別に間違ってなくないか?」
「君さ、友達いないでしょ」
彼女は呆れたようにそう言った。
「ああもう、名前言えばいいんだろ?」
俺は自分の名前、出身高校を彼女に告げた。ここまで言えば文句はないだろう。
彼女は満足げに微笑み
「鎖来看那(さこ・かんな)この高校の……」
えっと、と思案しながら指を折って何か数えている。しばらくすると納得したように手を叩きこちらに向き直った。
「二年生……だね、記憶のある限りではだけど」
そして彼女は自分の体を確認すると
「うん、体も高二で止まってるね、君の言った通り、今が二〇一四年ならホントは大学一年生でもう一九歳になってる頃かな」
生きてればね、と小声でこぼしたのを俺は聞き逃さなかった。
「外に出て行こうとは?」
気になったことを投げかけてみた。
「思ったよ、でも、校門から外には出れなかった。なんでかわかんないけど……」
まとめると、だ。彼女は二〇一一年に入学した後、この高校に通っていた。しかし高校二年(二〇一二年)の一学期が終わった後からの記憶がない。そして気が付いた時には当時通っていたこの教室に立っていて、外にも出れないというわけだ。
「そうそう、この体になってさ、試したいことがあったんだよね」
彼女の顔がいつの間にか目の前にあった。目が合う、反射的に顔を窓に向けた。気配を一切感じなかった。まあ、生きてるかどうかもわからないなら当然と言えば当然か。
「近い」
「え、ああ、ごめんごめん」
すっと距離を取る、彼女は何事も無かったかのようにそうそうそれでね、と話を続ける。
「私の体に触って欲しいの」
沈黙、そして口から出たのが
「は?」
すっとぼけたこの一言だけだった。間の抜けた俺の顔を見た彼女は胸の前で両手を振りながら慌てて訂正し始めた。
「いやいや、変な意味じゃなくてね。私がここで目覚めた時はもう既に閉校してたじゃない。わざわざ廃校に来る人なんてほとんどいないでしょ?この体になってから初めて会ったのが小狭君だったから。人には触れるのかなって」
確かに、今に至るまで彼女が生きているのかそうでないか確証が持てなかったのは、彼女の姿があまりにもはっきりと見えていることと、何より彼女がさも当然のように物に触れていたからだった。そして、この検証を行うことで彼女自身も自分が何者なのか知るヒントになる。
じゃあ、と立ち上がり彼女は右手を差し出し元気な声で言った。
「改めて、初めまして」
*
「んで、どうだったの」
俺は話が途切れたのを感じるとすかさず聞いた。触れたの?と聞くと少し曇った顔をしていいや、と首を振った。
「彼女はなんて?」
「看那さんは『やっぱりかー』とか言っておどけてたけど、やっぱり内心堪えてたんだと思う」
そう言うと彼は安らぎを求めるように夕日に目を向けた。深く差し込む橙色は枯れ落ちる葉を照らしながら教室内に気休め程度の温かさを与えている。俺はここで話を切られるのももやもやして嫌だったので
「それからは、どうしたの」
と質問すると彼は再び俺を見て
「ここからは……お前には言ったろ、夏休みに何度も通ってたって」
*
それから俺は夏期講習がある日もない日もこの廃校に通うようになった。当初は自分が実体のない存在だと気付いてしまった彼女が気掛かりだったため、様子を見に通っていたが彼女自身も気にしている様子を見せることもなく、話し相手が出来たことの方に喜んでいた。そのうち彼女は俺を聴、俺は彼女を看那さん、と呼ぶようになった。
俺自身も窓の外でさえ薄汚れたコンクリートに囲まれているあの息苦しい空間にいるより開放感のあるこの教室にいた方が自分の存在を確かに感じられる気がした。現に、ここには自分を認識してくれる人が居る、そしてここではありのままの自分でも受け入れられる。
直ったママチャリでビル街の淀んだ空気を切り裂く、初夏と比べて背の高くなった葉は少し黄色を帯び始めている。封鎖された校門の前に自転車を止める、校舎までの坂を歩く、木陰に入ると吹いた風が掻いていた汗を飛ばす。
教室に入ると退屈そうに椅子にもたれかかってる女子高生がいた。こちらに気が付くと絞り出したような声で「ひーまーだー」と呻いている。まあ、確かに何もすることないからな、しょうがないか。でも今日はアレ持ってきたし、喜んでくれるだろ。
「聴、何か部活やってるんだっけ」
首を振った。
「看那さんは合唱やってたって言ってたよね」
そう話をそらすと彼女は答えてくれた。
「そうそう、高校ではね。中学の時は吹奏楽やってた」
「この間そんなこと言ってたから、どんな音楽好きなのかなって気になってたんだよね。やっぱりオペラとか合唱曲とか聞くの?」
それを聞くと呆れたように説明される。
「それさぁ、毎回言われるんだけど合唱部だからって全然そんなことないんだよね。カラオケとかでもみんな流行りの曲歌うしさ、確かに歌い方に特徴はあるけど……」
声が徐々にフェードアウトしてきたところで本題に入る。
「俺がいない時間すごい暇してるって言ってたじゃん?だからさ」
夏季講習用のトートバッグとは別に持ってきたリュックサックから中身を取り出す。
「今日なんか荷物多いと思ってたんだけど」
まず机の上にCDプレーヤーを出す。近頃はMP3プレーヤー主流になっているが、家で聴く時は小学生の頃に誕生日にもらったCDプレーヤーを未だに愛用している。ところどころ塗装が剥がれているもののまったくもって故障はない。それにヘッドフォンを繋ぐ、つい一年前、高校祝いに買い替えて現役を引退した物だ。とりあえずCDプレーヤーを再生する。よし、全然聞こえるな。
確認し終わるとバッグから残りの荷物を引き出す。大量のCDが机に広がる。とりあえず家にあるのをバッグに入れられるだけ詰めてきた。自分は洋楽、八〇・九〇年代のJ―POPなど若い年層があまり聴かない曲を好んで聴いているため、最近の流行などはわからないし彼女の御眼鏡にかなうかはわからないけれども。
彼女は目を丸くしてCDと俺の顔を交互に見る。
「どうしたの、これ」
どうしたの、と言われても暇だろうから持ってきただけだしな。
「いや、暇つぶしにでもなればなと思って」
全部自分の趣味だけど、と付け足す。
「ありがとう」
普段から笑顔の絶えない看那さんがいつもの三割増しくらいの笑顔を見せてCDを漁りだす。ほんとにすることなかったんだろうな、なんて考えながら夏季講習の課題を広げる。脇から「英語読めないー」だとか「この曲お母さん好きだって言ってたな」という声が聞こえる。今の言葉刺さったぞ、特に二個目な。
「そうそう、イヤホンないの」
「え、ないけど」
「ふーん、そうなんだ」
「なんで」
「イヤホンだったら二人で聴けるじゃんよ」
「イヤホンか……」
音質とか音漏れとか気になるんだよな。まあでも、とにかく喜んでもらえて良かった。CD持ってきて正解だったな。
*
「なんかさ、聞いてる限りだと学校でのお前と全然違うな」
彼は口数が少なく人を寄せ付けないような雰囲気があり、教室内では若干浮いた空気が出ていた。最近では少しは表情も柔らかくなった部分はある、口の悪さは要改善だけども。
「まあ……な」
「確か、俺が聴と話すきっかけになったのも音楽だったよな」
無趣味かと思ってた彼がCDショップのビニール袋を持って登校して来た時があった。一度も話したことはなかったが気になったので声をかけてみることにした。一言で言うと、無愛想の塊みたいな奴だった。質問してもその返答だけしか言わないので話を広げるのに苦労した。しかし、一生懸命会話しようとする様子がわかるとちょっと好感をもてた。そこから度々話かけるようになり、今に至る。
「音楽の趣味的な部分はどうだったの?彼女との」
「ああ、その点は大丈夫だった、もともと好きなジャンル違ったんだけど気に入ってくれたらしい」
「ところで彼女は、いついなくなったの」
*
蝉の声も落ち着いてきたある日、看那さんが不意に聞いてきた。
「ほんとに友達いないの」
「何それ、どういう意味」
馬鹿にしてんのかな。
「だってさ、私とだってこんなに普通に喋れてるじゃない」
ちょっと癇に障る、ああ、この人も一緒か、周りと同調しない人間は迫害する。
「俺さ、そういう自分の考えとか人に押し付ける奴嫌いなんだよね、あいつらみたいに」
「でもさ、それって人と関わろうとする努力してないだけじゃない」
彼女の語気が強まる。
「偏見でしか物事を判断できない、誰かしらに流される様な奴らと付き合うなんて、俺にはできないね」
俺は呆れたように言い返す。
「でもそれって逃げてるだけじゃない?だったらまだ人と関わっているその人たちの方が君より優れてるよ」
劣ってる?俺が?あんな何も考えてない奴らより?
「うるさい」
呟くように言う。
「何?」
俺が苛立っているのがわかったのか不機嫌そうに聞く。
「うるさいって言ってるんだ、こっから出れもしないくせに外の俺のことに口出すなよ」
俺はそう吐き捨て、荷物を持って教室から出て行った。翌日、あの教室には行かなかった、行けなかったの方が適切か。
家に帰ってから一晩冷静になって考えた。確かに彼女の言い分は正しかった、俺は人と関われない自分の臆病さを隠すために彼らを見下して、彼らより優れていると思いたかっただけだった。そして彼女に軽々しくあんなことを言った俺が一番最低だったと。
こんな俺でも現状をどうにかしたいと思った。自転車のペダルが重い、廃校舎がいつもより暗く感じる、戸の前に立つ、よく見ると取っ手部分が錆びていて独特の臭いを発している。手をかける、扉が重い、数センチ開く、その隙間に手を入れ一気に開ける。体中を縛っていた鎖を教室から吹く風が引き千切る。
しかし、そこに彼女の姿はなかった。
俺は、その場に立ち尽くした。俺の中で渦巻いたのは後悔そして喪失感、それだけだった。
*
彼は全て語り終えると黙って窓際を見ていた。
「それで、またどうしてここに通い続けてるんだ?」
付き合いは長くはないが、聴だったらそんな辛い記憶が残っている場所には居られない、そんな強い人間じゃないと、今までの俺の印象とここまでの話を聞いたうえでそう感じていた。
「なんでだろうな、考えたこともなかった。」
そっと独り言のように呟く。そして彼は続ける。
「たぶんだけど、待ってんのかな。謝りたいんだよ、ちゃんと。いるかいないかもわからない亡霊をただただ追い続けているだけなのかも知れない、でも、それでも彼女が、看那さんだけが俺を見て俺個人に対して意見をくれた。彼女が生きていようが死んでいようが、存在していようがいまいが、今の俺は興味ない。幻覚や妄想だったとしても確かに彼女はいた。それだけで満足だ。」
今まで彼がこんなに熱を帯びた声で言葉を紡ぐ姿を見たことがなかった。今現在彼の家にあるCDの半分以上が合唱曲とオーケストラ等の演奏曲らしい。
「そう思いながらもここに通い続けてるってことは自分でもまだ自信ないのかな」
少しはにかみながら「でもここ静かで勉強しやすいし」と誤魔化そうとする。気持ちを汲んでやるかと話をそらしてやる。
「そんなに勉強してるけどさ、将来何になりたいのさ」
「音響機材、音楽機材とか作る仕事。これも看那さんと話してて決めたんだ」
額に手を当てた。痛いとこ突いてしまった。確実にやらかしたと思いおそるおそる顔を上げると、意外にも彼の顔は晴れていた。
彼は、自身の将来の夢を見つけるヒントを彼女に与えてもらったこと、目標に向けて志望大学を決定し、今そのために勉強に取り組んでいることを順を追って説明してくれた。
「唯一心残りなのは、これ、看那さんに言えてないんだ。俺が目標を見据えた時にはもういなかったから。そういえば、看那さんの目標ってなんだったんだろうな」
安心した。支えに寄りかかってなきゃ立つことすらままならない子どもも、何物にも頼らずに生きていけるなんて考えて生きてる少年も、もうここにはいない。いるのは後ろにできた道を確認しながらしっかりと自分で足を前に踏み出していける青年だった。
窓の外は藍色が夕日を追うように空を覆い始める頃だった。
*
眩しさで目が開いた。揺れるカーテンの隙間から木漏れ日が差し込む。目を擦りながら上体を起こす、いつもより体が重い。
見知らぬ個室を見回すと棚に鮮やかな色の花が刺さった花瓶、ベッドの脇には馴染みの無い電子機器がまるでメトロノームの様に等間隔に音を刻んでいる。置き型のデジタル時計が目についた。割と新しいタイプのもので年月日、気温まで表示されている。
「二〇一五年八月二六日……」
これが今日の日付、らしい。時刻は一二時四一分と表示されている、複数の管が体の自由を奪っているため動かせる範囲でこの無機質な空間の情報を収集する。
しばらくすると私の寝ている位置から死角となる所から音がした。どこかで聞いた錆びたサッシに引っ掛かるようなものではなく、滑るように開くドアの音だった。
入ってきたのは見覚えのない女性、部屋の色と同じ白い服を着ている。彼女は部屋に入ると誰にも見られていないと思ったからか軽い溜め息をついた。バインダーとボールペンを手にし、慣れたように無言でベッドの脇にある電子機器に近づいた、ところで目が合った。
「ひゃっ」
素っ頓狂な声を上げた彼女の姿を見て無意識に微笑んでしまった。確かに何年も眠ったままの人間が何も言わず起きていたとしたなら当然の反応ではあるけど。若い看護師はまだ状況を飲み込めてないのかお昼の問診に来ました、先生に連絡した方がいいのかな、最近彼氏に振られてとか誰に向けて言っているのかもわからない言葉を慌ただしく口にしている。特に最後のは完全に私情だったし、患者に言うことじゃないしね。
「そういえば、私はどうして入院してるのでしょうか」
質問を投げかけられると看護師は先程とはうってかわって冷静に穏やかな声で話しだした。
「二〇一一年の三月一一日に東日本大震災があったのは覚えてるよね」
黙って頷く。
「そのちょうど一か月後の四月一一日の夕方に大きな余震があって、その時学校の図書室にいたあなたは本棚の下敷きになった、そこで足など数ヶ所を骨折、それは大事に至らず完治したんだけど頭部を強く打ったらしくて意識が戻らなかったの」
今まで知りえなかった事実を手に入れ安堵感を覚えると共に今までそんな危険な状態であったことを今更ながら実感し、怖さを感じた。
「あと、必ず週に一回お母さんがお見舞いに来て下さってますよ」
看護師は微笑みながらそう言うと、先生を呼びに言って来ますと言い残し病室を後にした。看護師と共に私の主治医らしい人が病室に息を切らして入って来た。その数時間後、病院から連絡が入った両親が涙ながらに駆けつけた。
その翌日からリハビリが始まった。数年間動かしていない身体は筋肉が衰え、歩くことも難しいな状態であったため病院内は歩くことができるようになるまで車椅子での移動になった。
九月半ばを過ぎると杖を突いてようやく一人で歩ける程度には回復していた。一〇月の頭には自宅での生活に戻ることになった。久々の自宅で心に余裕ができると、存在すら曖昧な夏の思い出が頭を掠めることが多くなった。
ある平日、リハビリも兼ねて事故の前まで通っていた高校に足を運ぶことにした。一年ほど通った通学路に懐かしさを覚えると共に周りの風景から時間の経過が見てとれ、一抹の空しさを感じた。
この学校で一つしかない校門は施錠されていた。その校門の前には見覚えのあるママチャリ、どうにかして学校内に入る、衰えた身体にこの坂は辛いものがある。校舎から吹く風も私を追い返すようにぶつかってくる。昇降口に入る、私が覚えている風景と変わらない、ベッドで寝ている間に見ていたあの光景と。だったら、もしかしたら、いるかもしれない、謝らなきゃいけない、また話したい。息を切らしながら真っ直ぐ、私がいるべき場所を目指した。
この校舎の三階「2―2」の教室の前、何かに導かれるように私はこの扉の前に立っていた。あれは本当に夢だったのかもしれない。でも、この扉の向こうには私の欲するものが何かあるはず、そう確信している。
手掛けを両手でしっかりと掴み、目の前の壁を勢いよく取っ払った。
湿り気の無い秋風にカーテンが揺れた。
伝えたい歌詞(ことば)