僕の影の話(プロトタイプ)(未完)

釘島滝子

現在連載している「翳踏むばかり」のプロトタイプ作品。収拾がつかなくなったのか未完成です。
もったいないのであげておきます。


「君は一体誰なんだい…」

 少し前から、下宿している学生に混じって、家に住みついた奴がいる。
 それは人の形をしているが、僕はある種の直感に拠り、そいつを「一人」と数えるのには躊躇するところがある。しかし動物ではありえないし、ましてや物でもないので、しかたなく「ひとり」としている。
 そいつはちゃんと一人前に喋ることができるので、よく書きもの仕事ばかりで退屈な僕の話し相手になってくれる。知識は乏しいが、物を教えると決して忘れることはない。
 また、そいつは少年のような見た目をしている。前髪が長く目を覆い隠し、その隙間から見える瞳は暗い。人の形をしていながら、雰囲気には獣のような香りが混ざっている。僕がそいつを人として扱いかねているのはそういうわけである…。

 だから僕は時々尋ねる。「君は一体誰なんだい」と。
 部屋の片隅に、そいつはいつも蹲るように座っている。壁に挟まれるようにして、時々眠っていることさえある。
 そんな最中でも、僕が「君は一体誰なんだい」と訊くと、そいつは閉じた瞳を重そうに開いて、億劫そうに答える。

「………さァ、ね…」


 気づいたら家に『居た』そいつは、はじめのうちは玄関の軒先にいた。壁に凭れかかって、すやすやと穏やかな寝息を立てていたのが、僕がそいつを見た一番最初である。奇妙だとは思ったが、そいつは初めからここに居たような気がしなくもなかったし、不思議とつまみ出す気にもなれなかったので、放っておいたらいつのまにか土間に入りこんでいた。やっぱり片隅に縮こまるように座っていて、時折寝息を立てているのが聞こえた。起きて動いているところは見たことがなかった。その段階で、三人いた下宿(どうでもいいことだが、下宿人というよりは、一昔前の書生に近い)の学生のうちの一人から、気味が悪いので追い出してくれと頼まれたが、何故だかそういう気にはなれなかった。加えて、そういうことを言ってくる人も、同じ玄関を利用してるにも関わらず、その一人の学生しかいなかったので、僕はそいつを放置していた。気になりつつも触れなかった。触れたら何かが変わってしまう気がした。
 それからしばらくそのままでいた。そいつはずっとそこにいて、いつでも目元が暗いままだったし、ちっとも動く気配は見せなかった。僕はそいつを、妙に生々しい置物程度に考えていたし、あながちそれでも間違ってはいないように思えた。けれども、あいつが立ち上がったらきっと僕よりも背は低いだろうなとか、声はどうだろう、少し低い程度かなとか、十六、七歳程度に見えるけど実際はどうなのだろうとか、その程度の妄想はしていた。もしもあの置物が、僕の目の前で動いたら、そいつに何て話しかけよう。あの存在感だから、人間ではないかもしれない。それだったらきっと面白いだろう。
 そのまま、数週間ほど経ったある日のことだ。ほんとうに突然、そいつは僕の部屋の片隅に『来た』。
 そこは所謂仕事部屋、だったので、朝方に昨日の書きものの整理をしようと思って僕が部屋を訪れると、そいつは当たり前のように、直角に交わった二つの壁に挟まるようにして蹲り、穏やかに眠っていた。僕は部屋の扉を開けた姿勢で固まり(僕にしてはそれなりに驚いたのだ)、声をかけようか迷っていると、そいつが小さく身じろいだ。それから重たげに瞼を開け、重い色の前髪の隙間から、つ、と瞳を回し、僕を見た。濁った瞳孔が小さく動いた。
「………どうも…」
 目が合ったまま何も言わない僕を見て、そいつは挨拶のつもりか、無表情に会釈した。その声は、ボーイソプラノから少し低まったくらいで、想像していたよりも少し高かった。野獣のような気怠さで、そいつは少し首を回した。
「…人形か何かかと思っていたよ」
「…人形じゃあ、ないぜ」
「そりゃ…見ればわかるさ。何せあんまり動かないから…」
 言うと、そいつは無気力な笑いを口の端に浮かべた。
「動かねえからって、酷ぇな。眠るところはあんたも見てるだろう」
「眠っているところだけだからね。疑いたくもなるさ」
「そういうもんかな…」
 倦怠感を纏って話すそいつは、やはり人には見えなかった。そこに人間ではない空気を見た僕は、当然の疑問をぶつけようと思った。
「……、ところで…君は一体誰なんだい」
「…………」
 するとそいつは上目遣いに、僕をじっと見た。少しだらしなく、僅かながら開いた口元に、映ったのは真っ赤な舌と、その角度では見えないはずの犬歯が、二対。そいつはにやにやと笑っていた。
「…さァね」
「判らないって言うのかい」
「そうじゃない。ただ、…」
「……何だい」
「……さァねぇ…」
「…………」
 堂々巡りだ、と思った。
「……せめて、名前は」
「…そンなものは記号だぜ」
「…呼ぶには困らないよ」
「……呼び名なんざ、おまえ、あんた、その程度で十分だろうに」
 くつくつと邪気もなく笑うのだが、そいつはのらくらとしているように見えて十二分に頑なだった。暗に「関係ないだろう」と僕に言っているようにも取れた。それでも、先にこちら側に『這入って』来たのはそいつの方なのだから、そう聞くのも無理からぬ話だろうとも思って、自然と眉間に、少しばかりのしわが走った。
「…他に聞きたいことがあるンなら、答えるが」
「……素性は教えてくれないのかい」
「まァ…必要、ねぇよ」
「僕が一番知りたいことなのに」
「だろうなァ」
 そいつは気怠く笑った。
 その後も、話は堂々巡りの延長線だった。それでも、僕は多少の仕事をしながら、突如現れた奇妙な居候に質問を続けた。暇だったのだ。
「…何か食べなくても、平気だったの」
「別に…ちゃんと食うものは『食って』たからな」
「そう。…ねえ、そんなところに居て、窮屈じゃないのかい」
「…むしろ、広々したところは苦手なんだよ。箱の中は理想だぜ、…それにここは丁度いいのさ、見るべきものはキッチリ見える」
「…よくわからないね」
「わからなくても良いことさ」
「…、……君は、ずっとここに居たのかい」
「そういうわけじゃ、ねえよ…ここに来たのはホンの最近だ」
「…君はどこから来たんだい」
「ン…前、居たところは山だったぜ。田舎の真ん中の、でかい山」
「…じゃあ、どうしてここに? そこに比べたら、空気も悪いだろう」
「…さァね。当ててみなよ」
「……」
 ……聞きたいことの肝心なところを、すべてはぐらかしてくるのが気に食わない。今の自分の素性に関することは徹底的に隠していやがる。
 少し機嫌を損ねた僕が黙っていると、またくつくつとそいつが笑う。ひやりと冷たくとろみのある三白眼が、微妙に細まって僕を見ていた。その顔に落ちた淡い翳は、どこかからどす黒い色になっていて、髪の毛と同化している。不思議なものだった。
「…なあ、おれ、ちゃんとあんたに用事があって来てるんだよ」
 ふと、そいつが思い出したように言う。
「……じゃあ、早く果たせばいいだろう。何だよ、用事って」
「…それはあんたが思い出すことだ。あんたが思い出さなきゃ、おれもそいつを果たせないのさ」
「………」
「……いずれにしても、僕にはわからないよ」
「ああ、そのはずだよ。でもあんたが無自覚におれを呼んだんだ」
 
 



 と、ここまで書いただけで終わってしまっております。
 収拾がつかなくなったんでしょう。情けない話です。
 「翳踏むばかり」は、二年前の夏に書き始めたシリーズになりますが、最初のうちはこういう話だったんです。この後、いよいよ行き詰ったので、いっそと登場人物の設定の一部と、ストーリーの大半を変更し、今みなさんに読んでいただけているあの話に至るわけです。
 このまま埋まらせるのももったいないかと思ってアップしましたが、黒歴史のようにも思えて良いもんじゃありません。気が向いたら、パラレルの感覚でこっちの話も書いてみたいものです。

2015年 夏 釘島滝子

僕の影の話(プロトタイプ)(未完)

僕の影の話(プロトタイプ)(未完)

  • 小説
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  • ファンタジー
  • ホラー
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