春の風 - ある定食屋での小話 -

ある日、私は出張で小さな町へと来ていた。
3月になったけど、相変らず風は冷たかった。
外で作業する時間が多い私にはこの風が身に堪え、疎ましく思う。
そんな時、ついつい口に出てしまう。
「まったく、いつになったら暖かくなるのだろうか。」
私の表情が、この寒さにこわばっていることは言うまでもない。
羽織っていたコートを更に深くし、小道を急いだ。

しばらく行くと、小道はやや開け、少し歩いたところに商店街・・・
と言えるほどもない、左右に5軒ずつが並ぶ路地へと足を踏み入れた。
その店群の端にある定食屋を見つけた。
ふと時計に目を向けた。
「とりあえず、飯でも食べるか。」
昼時よりはやや早いものの、寒さから逃げたい私は、小さな定食屋へ入ることにした。
出張の多い私には、私には予感があった。
実際には、こういうやや寂れたような感じのお店の方が、意外に美味く、雰囲気もよかったりする。
そんな期待を胸に、私は暖簾くぐり、店内へと入った。
カラカラと、昔ながらの古い引き戸が小気味良い音を立てた。
「いらっしゃいませ」
その奥から、やや小太り気味の、人のよさそうな淑女が、私を出迎えてくれた。
そのおばさん店員の笑顔と店内の暖かさに、私のかじかんだ表情もすぐに緩んだ。
店内には、テーブルが15セット。コンクリ打ちっぱなしの床の上に無造作に並んでいる。
私は一番奥のテーブルへと着いた。

入店直後はまだ昼前だったからか、店内は比較的空いていた。
しかし、12時に近づくにつれて客が次第に入り、すぐに店はいっぱいになった。
店の客層は様々。
おじさんから、若い人、それに子供連れの人もいる。
一気に活気付く店内。同時に厨房はてんやわんや。
そんな状況にしびれを切らしたのが若い客だった。
「おいっ!一体いつまで待たせるんだよ!」
奥からおばさん店員がやってくる。
「すみません。もう少しで出来ますから。」
しかし、しばらくすると、また若い客が騒ぎ出す。
まだ1分も経っていなかったのだが・・・。
すると、その様子を見ていた、この町の常連さんらしい、作業服を着たおじさんが声を荒げた。
「おいぼうず!何さっきからわめいてんだ。文句あるなら他の店に行け!」
その言葉に若い客は即反応。
「なに!やるのか、おっさん!」
「おう、ぼうず!表に出るか?」
一瞬にして店内の空気は外気並みに張り詰め、同時に重苦しさに包まれ、静まり返る。
淑女店員も、心配そうに、しかし手立てなく、おろおろと二人を見つめるだけだった。
妙に生々しく、テレビの音と厨房の食器の音だけが聞こえる。

そんな雰囲気を、心地よい春風の様なすごく大きな声が吹き抜ける。
「ごちそうさまでした。」
私を含め、店内の全員がいっせいに声のほうに顔を向けた。
大きなどんぶりがテーブルの上に立っている。
誰も見えない・・・と思ったとき、その陰に、声の主が顔を覗かせた。
大きな栗瞳に大福頬。
なんとも可愛い男の子が、淑女店員ににっこりと笑っていた。
「あ、お、お粗末さまでした。」
我に帰った淑女店員。慌てて返事を返す。
男の子の母親は、ばつが悪そうな表情。
母はすぐさま席を立つと会計を済ませ、男の子の手を引いて出口へと向かった。
「それじゃあ、またね。」
男の子はにっこりと笑いながら、店の中に居たお客、全員に手を振りながら母親に引かれていった。
その笑顔に、店内の客がその子に笑顔で手を振り返し、親子の姿を見送った。
今にも掴みかかりそうになっていた若い客とおじさん客も、同じように笑って送り出していた。

私は食事を済ませ店を出た。
相変らず少し冷たい3月の風が私の頬を撫で、ちらつき始めていた春雪が私の肩を侵食する。
しかし、その風はなぜか心地よく、降雪は春の予感を感じ、私の顔がこわばることはなかった。

春の風 - ある定食屋での小話 -

春の風 - ある定食屋での小話 -

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-13

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