18、ボウイが絆?

18、人が絡み合うのが」この世です

 18、人が絡み合うのがこの世です 


 「瑠衣ちゃん、明日牧田さんのお母さんと面会する事にしたわ。娘さん抜きで。」

「つまり患者本人を抜いてという事ですか?――あのお母さんがよく承知しましたね。この間先生がこういうケースには両親に問題がある場合もあると話した時はかなりヒステリックになっていたから。あの人、自分は絶対にいい母親だという自信があるんですかね。――私も同席してもいいですか?」

「ええ、そのつもりよ。」



 大沢は豊かな髪をかき上げ瑠衣をみるとにこっと微笑んだ。裕一がいつか言ったように心療内科医としての瑠衣はまだまだなのだ。だからこうして日々病院の中で絶大の信頼を得ている大沢女医について学んでいる。 
その上大沢は理沙の一年先輩で古くからの知り合いでもある。その後輩の姪という事で何かと瑠衣を気にかけてくれた。
それは瑠衣にとってもちろん幸運な事には違いない。どんな世界も人間関係が人生にもたらす影響は大きいのだから。ただ、瑠衣にとって大沢はある種悩みの種でもあった。
医者としての腕や人望に疑いはない。ところが一対一で向き合うとどうにもよくわからない。合理的なのか、達観しているのか、それとも胸の底に冷たさを秘めているのか理解に苦しみ混乱する。そのくせ患者の心をつかむ速さは賞賛にあたいする。



「あのお母さんはこれまで仲のいい親子だったとよくいいますけど先生はそう思いますか?――なんか私にはお母さんの独りよがりにみえて。だって沙織さんはお母さんの前だとなんか遠慮がちな気がして。気を使っているというのか。」

「そう見える?じゃあ気を使っているんじゃない。」



こういうところがさっぱりわからない。教えようとか育てようとかそういう気があるのかないのか。
「でも親子ですよ。実の。どうしてそんな必要が?」

「ふーん。普通人が気をつかうのは?」

「力関係で上下がはっきりしてるか弱みをにぎられているとか。あとは・・・嫌われたくないとか。単純によく知らない人だからとか・・・。」

「理由はひとつとは限らない。その全部という場合もあるしね。だから難しい。」



「――でも、沙織さん以前言ってたんですよね。なんでも話せたし、二人で買い物にもよく行ってたと。」

「そう。でもそれは彼女の言葉通り以前はという事でしょう。いい関係というのはどちらか一方が変わればそうでなくなる場合もある。彼女は大学に行くようになって何かが変わった。視野も広がり、価値観も多様である事を身を持って感じた。これまでの自分の世界に疑いの目を持ち始める。まあ、当然ね。むしろ遅すぎたくらい。でも面と向かって母親にその事をぶつけられない。だから口を閉ざす。母親は娘の変化を受け入れられない。それどころかあれはもうパニックね。あのお母さんみたいに子育てに自信のある人ならそれも自然なことだわ。」



瑠衣は自分と母親の関係を思い浮かべていた。よく考えてみると母と仲がいいとか、悪いとかいう意識を持った記憶もない。
現実に母であり、娘でありそれ以上の存在である必要がどこにあるのかわからない。親子であるからこそ起きる喧嘩も、すれ違いも当たり前と考えてきた。ただ世間にはその当たり前が大きな問題になるか家族もあれば、それを許せない関係の親子もある。

「私はそんなに母に気を使う事もなかったから。口うるさくて面倒臭い。それでも元気でいてほしいとは思いますけど。」
瑠衣は少しのあいだ目を細めて考え込んでいた。



「親子も、夫婦も、兄弟も、家族もいろいろなのよ。普通の家族なんて曖昧な概念で本当はそんなものないのかもよ。」
大沢が突き放す様に言った。

「そう――ですね。」
「家族も長い付き合いよ。長い間にはつまずきがあるのが普通。子供が親を一度は批判的に見るのも当たり前。親がそんな子供に悲しみやじれんまを感じるのもごく自然。問題はその時どうするか・・・。」



「つまり反抗期や子離れという時期をどう乗り切るかという事ですか?」

「まあね――でもそう簡単ではない。人間って自分の中に持ち続けた思いを変えるのは結構辛いものだから。すばらしい人生の教科書ですと言われて本を買ってもなかなかその通りにはできないでしょう。単純じゃないのよ、多くの事は。」

「そこなんですよね。人って考えてた程単純じゃないのかな。もしかしたら私の方が単純なのかな。」



その時瑠衣の頭には裕一の事がよぎっていた。
(裕一より私が単純?――まさか、あり得ない。)
瑠衣は頭を抱えていた。その様子を見ながら大沢はコーヒーを入れに席を立ち少しすると瑠衣の耳元でささやいた。
「単純は悪い事じゃない。その方が生きやすい。」
そう言うと瑠衣の前にコーヒーを置いた。



「ああ、すみません。」

「いいえ。そういえば理沙さんは元気?」

「体は。でも最近少し変で。悩みにつかっているみたいなんです。」

「そう。更年期とか?」

「さあ。だけどちょっとやっかいな感じです。」

「四十代、五十代はね。――微妙なのよ。個人差はあるけど多かれ少なかれ気持ちがねうまく流れない。」

「先生もですか?」
大沢の目がキラッと光る。



「当然よ。正直人の悩みを聞いてる場合じゃないのよね。――この歳でまだ独身。老後は目の前にちらちら。かといってこれからの出会いもそうそう期待できない。かなり深刻でしょう?――あなたもうっかりしてるとひとりきりの老後よ。まあ、それも人生だけど。」
大沢の話はいつものようにどこまで真面目なのか、それとも皮肉なのか瑠衣にはわからない。

「そうですか――。なんか気分が重くなりますね。」

「大丈夫。あなたがそうなるにはまだ二十年くらいあるから。」
そう言うと大沢は瑠衣の肩を軽くたたいた。そして時計にちらっと目をやるとすくっと立つ。



「あら、やだ。もうこんな時間。瑠衣ちゃんは今日はもう帰っていいわよ。明日の面接は三時からだから。」

「はい。じゃあお先に失礼します。気分も落ちてきたし頭をきりかえないと。」

瑠衣が部屋を出ると大沢は深く椅子に据わり直しぼんやりと思いをめぐらした。
(ひとりで生きるのも本当のところそれ程悪くもない。夫の身勝手や子供の我がままにふりまわされる事もないし。歳をとって子供もいなくなり、夫もこの世を去り突然ひとりになるより孤独に慣れているしね。人はどこかで一人を覚悟しなくてはならない時が来る。――この考え方少し寂しすぎるかしら。)
 


 病院を出てバス停に向かう瑠衣の頭はいろんな人への思いで行ったり来たりしていた。
理沙と大沢。共に四十半ば。職業も同じ。そして現在独身である事も。それでも瑠衣が感じる今の二人はあまりに違った。
大沢はもうとっくの昔に人生は悲しみと皮肉だと覚悟を決めたのか今の自分さえも遠くから見ている気がする。それに比べると理沙にはまだあきらめきれない夢を追っているのか純粋なもがきを感じる。それからあの親子――ここまで表面だけを繕ってきたのだろうか。親が望む事と子供が望むものは違うという事くらいわかってもよさそうなのに。
(そして・・・裕一。あれからどうしたかな?あの日の裕一は本当に私の知らない裕一だった。)
        

18、ボウイが絆?

18、ボウイが絆?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-11

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