“(自分)史上最恐”の恐怖体験!!!

私はこれ迄、所謂“心霊現象”と疑わしきものを幾つか体験してきましたが、それは何れも殆どが曖昧で、確証の於けるものではありませんでした。
然し、これから語る出来事はほぼ絶対的な“心霊体験”と呼べるものだと思っております。
私的にはかなり怖かった、もしかすると生命の危険さえ孕んでいたとも言える恐怖体験で、今思い出しても恐ろしいです!!

一.プロローグ ー “都市伝説”ー

私の住むE県には、地元では“知る人ぞ知る”心霊スポット(?)的場所がある。
そこは、私が現在住んでいるM市(県庁所在地)から程近いI市にある「O池」という所だ。
聞く処によると、そこは人工の溜め池で、嘗ては“人柱”があったという曰く付きの池だそうだ。
私はその池の存在を、高校時代に地元のクラスメイトを通じて知り、大学に入ると何故だかまるで周知の事実のような、今で言う“都市伝説”的扱いになっていた。

或る時、学校会報のような冊子が部室に置いてあり、何気なく閲覧していると、
「真夏の怪談特集」
と題し、当時地元近辺で起こった学生達の体験談がイラスト付きで掲載されていた。
ホラー映画や怪談話には滅法目のなかった私は、思わずその特集記事に読み入ってしまった。中でも特に私の目を惹いたのが、例の『O池の怪談話』だった。
その概要を紹介すると………、

或る夏の事、
同大学のボート部が、夏合宿という事で「O池」に来ていた。
昼間はどうという事もない只の静かな池である。
一頻り練習を終え、その夜は池の畔にテントを張り夜営したのだそうだ。
そして夕食も済み、そこそこ酒も入りいい気分になっていた頃、部員の一人が突然池に向かってボートを漕ぎ出した。恐らく酒の助けで気が大きくなっていたのだろうか。
彼は仲間の制止にも耳を貸さず、どんどんボートを沖の方へ進めていった。
折しも月の明るい夜、彼は池のほぼ中央程の所で一旦ボートを停め、岸辺の友人達にふざけて手を振って見せた。悪ノリした友人の一人が記念にと、持参していたカメラでその光景を写真に収めていた。
その時 ―――― !?
ボートの彼に異変が起こった!!!
「助けてくれ ――― !!!」
彼が叫んだのとほぼ同時に、ボートが一瞬にして転覆、彼は暫く水面でもがいていたが、やがてそのまま池の中に沈んでいった………。
岸辺でその一部始終を見ていた仲間は、その一瞬の出来事に全く成す術が無かったという。
翌日警察が池を捜索、変わり果てた彼の遺体を発見し、当時この事件は新聞等にも取り上げられたという事だ。

然しお話はまだこれで終わらない。
後日、あの日の夜亡くなった彼の写真を撮っていた友人が、ボート部のメンバーに現像した写真を見せた。
(当時はデジカメやスマホなど無い時代で、写真を現像・プリントするのにも多少の時間を要した。本当、今は便利な時代になったものだ…。)
そして一同は驚愕する!!!!
手を振っている彼のボートの周りに、白い人の手のようなものが無数に写っていたのだ!!!!
それは恰も彼の乗ったボートを引っくり返そうとするかの如く…。
更に、彼等にはもう一つの疑念があった。
ボート部といえば、立派な水上スポーツである。
当然泳ぎも出来なければ務まらない。「カナヅチ」など部員の中にいる筈もない。
しかも亡くなった彼は、部内でも泳ぎは達者な方だったという。
そんな彼が、ボートが転覆して数分も経たぬ間に溺れてしまうものだろうか……!?
恐らく彼が「助けてくれ ―― !!」と叫んだ時、彼には水面の白い手が見えていたのだ。そしてその“手達”は、泳ぎ上手な彼に抵抗させる暇も与えず、水中に引きずり込んだのだ!!!

―――― とまぁこれが、会報に掲載されていた『O池の怪談話』の大まかな内容である。
よく出来てはいるが割と有りがちな話で、当時の私にとっては特に取り立てて感銘を覚えるものでもなかった。
唯その内容は不思議な事に、何故か深く頭に刻まれたのだった。
まるで近い将来に起こる“あの恐怖体験”を暗示するかのように………。

ニ.実録 ー 恐怖のO池!! ー

それから数年後 ―――― 、
私は何とか無事4年で大学を卒業し、幾つかの会社を経て漸く、とある出版会社に落ち着いた。

そこで私は、以降長きに渡り交遊関係を持つ友人"M"と知り合った。
彼は私より(たった)1ヶ月遅れの後輩で、年齢も4コ下と比較的近く、その温厚な人柄もあってすぐに仲良くなった。
その"M"の実家が正にI市で、例のO池も車で目と鼻の先の距離らしく、彼は幼少の頃より現在に至る迄幾度となくO池を訪れていた。
例の“怖い噂”も知ってはいるようだったが、全く意に介していない様子だった。

それから更に数年後、私は晴れて念願のマイカー(古い表現だが)を手に入れた。
と言っても、そんなご立派な代物ではなく、中古の軽である。
そんな私以上に、"M"は殊の外喜んでくれ、仕事が終わると毎晩のように“慣らし運転”と称し(中古車に“慣らし運転”もないのだが)、あちこちへドライブに誘われ私もそれに応えた。無論、車を出すのも私、運転するのも私である。だが、彼の人柄も相俟ってか全く嫌な気持ちにはならず、むしろその時はそれが楽しかった。
休日ともなれば、少し遠く迄足を伸ばし、県内のかなり色々な所を走ったものだ。
お陰で苦手だった運転技術も、多少なりとも上達した。

そんな休日の或る日、彼が突然
「O池に行ってみましょう!!」
と言い出した。
実はこのO池、ドライブ的にはちょっとした難所で、山と言っても良い位、結構標高の高い場所に位置する。
ルートは基本2箇所あるが、一方は九十九折のジグザグ道で険しい上、道幅もかなり狭く、軽乗用車がほぼギリギリ通れる位のコースが延々続く。
これ迄私は、“慣らしドライブ”中は、努めてそういう難所は避けてきた。運転技術の中でも、私は特に“離合”が兎に角苦手だったのだ!!
が、ここにきて"M"は、
「〇〇さん(私の本名)もかなり運転技術が上がったと思うので、言わば“卒業検定”のつもりで行きましょう!!」
と、無茶苦茶な理屈で推してきた。
コースは私的に超難所、おまけに例の噂と嫌な予感だらけだったが、彼の余りの熱意に根負けし、遂に覚悟を決めた。

そして、迎えた当日 ―――― 、
その日は生憎の空模様。厚ぼったい雲が広がる天気で、お世辞にも好天とは言えず、仕舞には小雨迄ぱらつく有り様だった。
が、それに反し彼は行く気満々。その日の天気と同じテンションだった私は、半ば渋々車を出した。
当時私はO池迄のコースを知らず、彼がナビゲーターとして横に座り、現地迄の道案内をしてくれた。
(当然である!!)
I市で彼を拾い、国道から脇道に入り、更にそこから脇道へ………。
道幅も徐々に、徐々に狭くなってくる。
そして遂に、O池の入口とも言うべき道に辿り着いた。
そこは狭い上にかなりの勾配で、私のオンボロな中古の軽がやっとこさ登れる位のキツい坂だった。
そして山の中腹に差し掛かった頃、俄に霧が出始めた。霧は段々と濃くなり、山頂に近付く頃には対向車がライト無しでは全く見えない程、視界は悪くなっていた。

そして ―――― 、
「さあ、ここが『O池』です!」
彼に言われフロントガラス越しに外に見入るも、眼前には厚い霧が一面に立ち込め、辺りの景色など全く見えない。
取り敢えず道の脇に車を停め、二人で一旦外に出てみる事にした。
我々の眼前には一応池があるようではあったが、濃霧によってその景観は完全に遮られていた。
正に『霧の摩周湖』状態である!!
(例えが古いか …?)
おまけに、池と道路の間にはガードレールのような防護柵も無く、もし路肩にタイヤを取られでもしたら、恐らく“一巻の終り”である。
「こんな事初めてです…。」
車から外に出て初めて、"M"がポツリと呟いた。
「僕、もう何十回もここに来た事あるんですが、こんなO池は本当初めてです…!」
そして、更に一言…。
「〇〇さん、これはマジでヤバいかも知れません、早く下りましょう!!」
今更 ―――― !?
そう思いもしたが、事ここに至っては致し方ない!!
我々は急いで車に戻り、下山を開始しようとした。
だが、その時 ――――― !!??
車のエンジンが何故か全くかからないのだ!!!!
幾らキーを捻っても、空回りの音がする許り…。
更に運の悪い事に、フロントガラスが急に真っ白に曇り始め、前方が全く見えなくなってしまった!!
当時は“携帯電話”などと言う便利な物は全く普及しておらず、亦周辺に公衆電話があるでも無く、無論近くには人っ子一人いない。救援を呼ぶには絶望的な状況だった。
すると"M"が思い余ったのか突然、
「〇〇さん、ここは僕が外に出て車を押すんで、(エンジンを)押し掛けして下さい!!」
と言うが早いか外に飛び出し、後ろから車を押し始めた。
“押し掛け”はバイクなら何度も経験のある私だが、車の、しかもオートマの車のそれは初めてで、正直自信は無かった。
が、彼を信じ、何としても無事に還る為、私は必死で“押し掛け”の為の操作を行った。
キーを「エンジン起動」に固定し、やにわにギアをニュートラルからローに繋ぐ一連の操作を繰り返し続けた。
然し、我々の思いとは裏腹に、エンジンは全く反応しない。
「これは本当にまずいかも…。」
半ば諦めの思いがふと頭を過ったその時、エンジンに微かな音がし始めた。
"M"が更に必死で車を押す。
僕もそれに呼応して一連の“押し掛け”操作を続ける。
すると ――― 、正に“奇跡”が起こった!!
エンジンが漸くかかったのである!!!
その時偶々私の眼に、霧でよくは見えなかったものの、小さな祠のようなお社が確認出来た!このお社が我々を護ってくれたと、私はその時そう思った。

私はエンストを防ぐ為ニュートラルのままアクセルを空吹かしし乍ら、汗だくの"M"を車に招き入れた。
相変わらず視界は最悪の状況で、濃霧とフロントガラスの曇りで殆ど「視界0」の状態。曇り止めのエアコンも、何故か全く用を成さない。
「〇〇さん、左側気を付けて!!」
突然"M"が叫んだ。聞けば、車は道の路肩ギリギリの所を走行していた。それを彼が咄嗟の判断で窓を開け注意してくれたのだ!!!
恐らくあと10㌢ズレていたら、あと数秒彼が気付くのが遅れていたら、我々は池に転落し二人共御陀仏になっていた事だろう。

私はギアをローに入れたまま徒歩程度の速さを保ちつつ、慎重にハンドル操作を行った。
それこそ、いつもより更に、更に慎重に………。

そしてやっとの事で元来た道に辿り着いた。距離にして多分数10㍍といった位だろうが。
その後は、来る時に苦労した幅の狭い道をゆっくりと下っていき、どうにか下山する事が出来た。
その頃にはあれだけ濃かった霧もすっかり晴れ、フロントガラスの曇りも嘘のように消えていた。

正にその日は、大袈裟かも知れないが“命懸けのドライブ”と言ってもよかった。
"M"ともお互い命拾いをしたと、暫くはその話題で持ち切りだった。

三.エピローグ ― 後日談 ―

以上が、私が実際に体験した“O池での恐怖体験”の一部始終である。
が ――― 、
実はこの話には後日談がある。

それから数年後、突然配置転換を命じられた"M"はそれに堪えられず会社を退職した。
そしてそれから程無く、私も訳あって同社を退職した。
その後彼とはメール等での交流はあったものの、会う事は滅多に無く、段々と疎遠になっていった。

それから更に数年が経ち、私はそれ迄に培った知識と経験を元に個人でデザイン事務所を開設していた。当時私には新たに友人がおり、彼も亦私と同じく小規模な印刷・デザインの会社を営み始めていた。
彼は前に勤めていた会社の部下だったが、趣味等色々と馬が合い、仕事を離れても交流があった。
亦彼は、自ら“霊感の強い人間”と語り、それは祖母の代から受け継がれているらしく、本人も幾度となくそういう類いのものを実際目の当たりにしてきたという事だ。
(彼の霊感体質については、別作品『世にも不思議な本当の話』の第1話でも触れている。)

或る時、雑談をしていた話の流れで、私はふっと思い出し、過去に体験した“O池のエピソード”を彼に話して聞かせた。
暫く黙って聞き入っていた彼だったが、一頻り私の話が終わると徐に口を開いた。
「〇〇さん、それって白い車で行きませんでした?」
何やら意味深な質問だったが、言われてみれば白い車であった。
「それは相当ヤバかったです!!」
彼が言うには、理由は定かではないが、白い車でO池に行くと必ず霊に取り憑かれるというのだ!!!
そう言えば、O池から無事還ったそれ以降、走行中道のド真ん中で突然エンストするなど、車はやたらトラブル続きで、有り得ない話だがエンジンを丸々2度も交換している。
更には人身事故迄引き起こした。
後日知人の自動車修理工場の人が診た処、車自体が“事故車”だったようである。
(道理で滅茶苦茶安かった訳だ。)

更に彼は続ける。
車を再発進さそうとした際、俄に曇ったフロントガラスだが、あれは気象のせいではなく、実は霊の仕業だと言うのだ!!!
何故そうも断言出来るのか!!??
それは、実は彼も私と似たような体験をしたらしいからである。

彼が専門学校時代、車を買って浮かれていた事もあって、気の合う友人達3人と薄暗くなりかけた頃O池にドライブに出かけた。無論車は"白"の普通車である。
当然彼等は"例の"噂も熟知していたらしく、半ば肝試しの意味合いも込めて行ったようだ。
前述にもある通り、進む程に細くなっていく道を上り切り、漸くO池に着いた時には陽はとっぷりと暮れていた。
その余りに静寂で不気味な光景に彼等も居たたまれなくなり、足早に立ち去ろうとした。
その時 ――― !!??
車のフロントガラスか一瞬にして曇り前が全く見えなくなった!!
ワイパーも、曇り止めのエアコンも利かない。
彼等は私と同様、徒歩程度のスピードで下山を始めた。が、山の中腹程に差し掛かると、徐々に視界も開けてきたらしい。
ここ迄は私の体験とほぼ同じである。
が然し ――― 、
彼の連れで、メンバーの中でも一際霊感の強い女子の様子が急変した。
顔面蒼白で全身がガタガタと震え、何やらブツブツ言っている様子だったという。
どうにか下山後、他の友人二人を家迄送り届け、最後に霊感の強い女子の家に着いた時、彼女の母親が出迎てくれた。実は彼女の母親も霊感体質で、簡単なお祓い位なら出来る実力を持っていたという。
その母親から衝撃の一言が返ってきた。
「貴方、この車は早くお祓いして貰いなさい!!」
「車がどうしたんですか?」
意味が解らず彼が問い質した処、母親から更に信じられない一言が…。
「その車の窓、よぉく見てみなさい!!」
彼が注意深く見てみると ―――― 、
そこには大小様々な無数の手の跡らしきものが一面に付いていたのだ!!!!
しかも窓という窓にびっしりと!!!
全身が凍り付くような感覚に襲われた彼は、翌日早速霊験灼かな近所の寺でお祓いをして貰ったという事である。
以降その車には何事も無かったという事だが、最後に送り届けた彼女と、何故か母親迄が数日間原因不明の発熱で寝込んだという。

その一連の話を聞き終え、私は一瞬悪寒が走った。
「〇〇さんがもう少し霊感が強ければ、窓に無数の手が見えてたかも知れないですね…。」
彼の一言に、私は心から霊感が無かった事に感謝した!!
もし何か見えていたら、恐らく恐怖の余りタダでは済まなかっただろう。
それは同乗していた"M"にしても同じ事である。

今にして思えば………、
あの濃霧は我々をO池に行かせぬ為の何かの暗示だったのだろうか。
亦、図らずも祠の前で無反応だったエンジンがかかったのも、何かの導きだったのだろうか。もう10数年も前の話になるが、様々な事が思い出される。

生まれてから今日に至る迄、私はこれ程迄の恐怖体験をした事が無い。
正に、"自分史"上最恐の恐怖体験だった。

所で余談だが、あれから後も私は数回アノ「O池」を訪れてはいるが、あの時のような恐ろしい体験は全く無く、池も極々普通に静かな様相を呈している。
因みに、あの時の曰く付きの白の軽は1年後に廃車にし、その後度々O池を訪れた際の車の色は"パールグリーン"である。

“(自分)史上最恐”の恐怖体験!!!

最後迄お読み頂き有難うございました。
今回、「世にも不思議な本当の話・番外編」という事で、本編から独立して書かせて頂きました。
尚重ねて申し上げておきますが、ここに書いた事、少なくとも私の体験談は全て真実であります。
最後に私から一言 ――― !!
呉々も、O池について調べて"白い"車で行ったりしないように!!!
興味本意やおちゃらけた気持ちで行為に及ぶととんでもない目に遭うからです。
あと、補足ですが、当の「O池」、普段はとても静かで風光明媚な池なので、近所の小学校の遠足場所になってたりしています。

“(自分)史上最恐”の恐怖体験!!!

私がこれ迄体験してきた中でも、ダントツに怖かったもの。 友人とドライブに行った場所は、地元でもヤバい噂の絶えない心霊スポットだった!? ジャンル的には『世にも不思議な本当の話』に含まれますが、若干長い内容になった為、一つの独立したエッセイにさせて頂きました。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 冒険
  • サスペンス
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 一.プロローグ ー “都市伝説”ー
  2. ニ.実録 ー 恐怖のO池!! ー
  3. 三.エピローグ ― 後日談 ―