シンデレラ少女
よく晴れた日曜日。残暑という名の猛暑の中、ここ、市民会館にはずらりと長蛇の列ができていた。
角ばった巨大なコンクリートの箱に向かうのは、千人を超える少女たち。腕章をつけ拡声器で叫ぶ係員たちに、うるさそうに顔をしかめながら、それでも心はどこかうきうきと浮き足立って、前後の女の子たちと楽しそうにおしゃべりしている。ガラス製のスイングドアは開け放たれたままで、その奥から乗りのいいアップテンポの楽曲がかすかに聴こえてきていた。
その曲を歌っているのは、数年前に結成された、少女のみのグループ『サンライズ娘』である。今日に至るまで、何度もメンバーの入れ替えをしながら有名になった大所帯グループで、現在は十三人もの少女たちが属している。
玄関口に立てられた大きな看板にはでかでかと、『サンライズ娘、第六期メンバーオーディション』なんて書かれていて、おしゃべりの合い間にちらちらとそれを見る女の子たちは、みんなあこがれのため息をこぼすのだった。
係員のお兄さんが、今度は二十人ほどまとめて会場内へと誘い入れた。この調子でいけば、あと十五分ほどで自分の番だ。桜子はだんだん早く、大きくなっていくドキドキを必死におさえ、居住まいを正して正面を見つめた。『サンライズ娘、第六期メンバーオーディション』の文字は、彼女の心をこれでもかと興奮させた。
(受かるはずないと思うけど……でもやってみないとわからないもの。わたしにだって可能性が……可能性が……あれれ?)
夢から覚めるように、はっとして周りを見回すと、どこもかしこも自分よりかわいいと思える少女ばかりだった。中には発声練習をしている子もいて、その声はどうにも愛くるしく、かわいらしい。桜子の、女の子にしてはちょっと低い声などでは、到底たち打ちできないような気がしてきた。見た目にしても、みんな思い思いに着飾って、他人よりすこしでも目立とうとがんばっている。桜子は普段着のTシャツにジャージ。これではどこに可能性を見い出せばいいのか、今さらながら真剣に悩んでしまう。
(歌うのは好きだけど、わたしって声低いしなあ……。服だってこんな地味な格好だし、かわいい顔してるわけでもないし……ひょっとしたら、ううん、ひょっとしなくても、わたし勝ち目なし?)
だんだん不安になってきた桜子は、急におどおどして身を縮ませた。自分がこの場にいることがひどく滑稽で恥ずかしいことのような気がしてきた。周りのみんながちらちらとこちらをうかがって、蔑むような、哀れむような冷たい笑みを浮かべているように思えてくる。
(……ううん、大丈夫。きっと大丈夫!)
ジャージのポケットに入れておいたお守りを、手を突っ込んでぎゅうっと握りしめる。今月の残り少ないお小遣いをはたいて買ったお守り。間違えて安産祈願を買っちゃったけど、お守りはお守りだ。きっと神様は見ていてくれる。
そんなことを思っていると、係員のお兄さんがまた二十人ほど中に入れた。次は桜子の番だ。
(よし、がんばるぞ! ファイトだ、桜子!)
と、そのとき。
視線の端に、うずくまっている老人を捉えた。
彼は倒れた杖もそのままに、じっと屈んでいる。気づいた少女も何人かいるのだろうが、誰も駆け寄ろうとしない。しかしそれもそのはずで、せっかく並んだ列を離れてしまったら、また最後尾から並び直しなのだ。その間に新メンバーが決まってしまうかもしれないし、ともすればオーディションは終わってしまう。自分が何万分の一のシンデレラガールになる夢を、誰もが捨てられないでいるのだ。
もちろん桜子だってそうだ。夢を叶えるために、今日は朝早くから並んでいた。
しかし――その列にはもう、彼女の姿はなかった。
「おじいさん、大丈夫ですか?」
依然うずくまったままのおじいさんの横にかがみ、桜子はやさしく訊いていた。
「おじいさん? もしもし、おじいさん?」
老人は答えない。心配になって下から覗き込んでみると――
「ぐー……ぐー……」
「ね、寝てるだけっ?」
ぎらぎらと熱い太陽の光を浴びながらも、老人は気持ちよさそうに居眠りしていた。
「ちょっと、こんなところで寝ちゃダメですよ、おじいさん! 紛らわしい!」
緊張が解けて、しなしなと力が抜けていく。そのままぺたんと地面に女の子座りをして、たまらず両手をついた。
「心配して損したなあ。でも寝てるだけでよかった。具合が悪かったら大変だもの」
放心したように気だるげにつぶやくと、老人はむにゃむにゃと目を覚ました。
「ふわぁ~、よく寝た。……おや、あんたはオーディションを受けに来た子かい?」
いまだ眠そうにとろんとした目を小さくぱちぱちしながら、老人が訊いてくる。
「そうですよ。でもおじいさんがこんなところでうずくまってるから心配になって、つい列から離れちゃいました」
「それはすまないことをしたね。わしはもう大丈夫だから、列にお戻り、お嬢さん」
「無理ですよ」
少しでも早く自分をアピールしなければと躍起になっている軍団の列なのだ。友人ならともかく、見ず知らずの人のために空けておくスペースなんてほんの少しもないだろう。桜子はまた最後尾から並び直さなければいけない。知らず、大きなため息が漏れた。
「おじいさんはなんで、こんなところで居眠りなんてしていたんですか?」
この老人さえいなければ、自分はもうすぐあの夢と希望できらきらときらめく空間に招かれていたことだろう。そう問うてみると、
「もうすぐ孫ができるんだよ。嬉しくて昨日は全然眠れなくてねえ。朝から眠くて、ひと休みしようと座った拍子に、ついつい眠ってしまった」
さも嬉しそうに老人は笑ってみせた。でもだからといって、こんなかしましい場所で居眠りするのもどうかと思うが、お年寄りというのは意外とそんなものなのかもしれない。桜子はそう思うことにした。それから、はっと気づいてジャージのポケットをごそごそ探って、握り潰された安産祈願のお守りを老人に差し出した。
「これ、ご利益があるかもしれないから、あげます。ちょっといびつな形だけど」
「お嬢さん、どうして安産のお守りなんて持ってるんだい?」
「うっ、それは……」
桜子が理由を話すと、老人は声を上げて笑った。
「歌のオーディションで安産祈願なんて、なんの役にも立たないだろう」
「だ、だって……」
口ごもる桜子を見て、老人はふっと微笑んだ。
「ありがとう、お嬢さん。孫ができたら、近い将来きっと返すよ。約束だ」
「いえ、返してもらっても、わたしの出産なんてまだずっと先だろうし……。あ、そうだ。これもまだ先の話だけど、生まれてくる子、いい子に育つといいですね」
照れて話題を逸らそうとする桜子に、
「いい子に育つとも。わしが選んだ子だからね」
「え? 選んだ子?」
「さあさ、どうするんだい、お嬢さん。この音楽グループのオーディションは、聞くところによると年に一度はやってるそうじゃないか。また次回に賭けるのも手だと思うよ。それでなくとも、きみは大事なお守りも、列の順番も譲ってしまったんだから」
そんな老人に、桜子は力強く微笑んで、
「もちろん並びます。わたしは今日、ここで、サンライズ娘の一員になりたいから」
ひざを伸ばし、すっくと立ち上がった。
「がんばってな、お嬢さん。応援しているよ」
「ありがとうございます。それじゃ」
果ての見えない最後尾へと、桜子は消えていった。
手を振って、しばらくそれを見送っていた老人の後ろから、スーツ姿の男が現れた。見る人が見れば分かっただろう。四十絡みのこの男こそ、サンライズ娘のプロデューサー、坪井だった。
「会長」
坪井は老人に声をかける。老人は振り向かずに返す。
「どうだね、坪井くん。今回のオーディションは」
「ダメですね。どの子も見た目ばかりを気にしています。中身がまるでない」
肩をすくめ、首を振る坪井。
「今回はハズレですね。あとはスタッフに任せて、私はそろそろ会社に戻ろうと思います。会長もご一緒にどうですか?」
「まあ待ちたまえよ、坪井くん」
車に誘いにきた坪井に、老人は待ったをかける。
「最後まで見ていきなさい。きっと素晴らしい子がいるからね」
「はあ……。会長はなにかご存知なのですか?」
「ふふふ、さてね」
頭をぽりぽりかきながら会場へと戻っていく坪井を尻目に、老人は楽しそうに目を細め、
「ふふ、新しい孫はそろそろ無事に生まれそうだなあ。そうしたらこの安産祈願のお守りは、わしの手から返してやらんとな。心やさしい、素晴らしい孫に」
果ての見えない列の終わりを眺めながら、そうつぶやいたのだった。
シンデレラ少女