クソゲーみたいなこの世界で

ゾンビ娘は頭が悪い。
あと、臭い。
いいヤツなんだけどさ……臭い。



                    『高校生、宇宙飛行士誕生!』



 世間をにぎわせたこの一大ニュース発表から半年。
 訓練を終えた一六歳の日本人少年は、世界の注目を一身に受けながら、いままさに旅立ちの朝を迎えていた。

「それでは、行ってまいります!」

 少年の高らかな声に拍手がわき起こる。
 この歳にして人類の注目を一身に受けて旅立つ少年の高揚感たるや、いかほどのものか。

 やがてカウントダウンが始まった。
 9、8、7、6……最後の「ゼロ!」の声とともに、シャトルは朦々と噴煙を上げて宇宙へと飛び去って行った。
 
 やがて、無事に大気圏を抜けたという知らせに、人々は沸き立った。

 そんな世界中の人々が、笑顔で少年を見送ってから…………三ヶ月が経過した。


                   その時、地球は……悪夢の底へと沈んでいた。







 ガンッ、ガンッ、というけたたましい金属音が響いた。
 ひときわ大きなゴガン! という音とともに蹴り開けられた扉。
 その向こうからは、黒髪をぼさぼさに伸ばした少年がゆっくりと姿を現した。

「…………まぶしいな」

 視界が白く染まった。
 数秒の後、視界が戻ると目の前に広がっていたのは青い海。
 そして、鼻につくのは生臭い潮風であった。

「……なんとか、生きて帰ったな」

 そう、そこにいたのは、あの史上最年少宇宙飛行士であった。
 およそ三カ月の宇宙生活を終え、彼はたったいま地球に戻ってきた。

 久々の重力の感覚にふらつく……が、その顔には隠しきれない笑みがこぼれていた。
 無事に帰還できた……再び地球の空気を吸うことが出来たから。

 だが、一つ問題があった。
 それは、自分自身がいったい地球のどこにいるのか、わからないということだった。

 彼が立っているのは、海に浮かぶスペースシャトルの上であった。
 本来はきちんとした軌道計算に基づいて指定された海域に着水、しかる後に、近くに控えていた船艇に回収されるはずであった。

 だが……。

「ったく……三カ月も指示がないなんて……いったい全体、どうなってんだ?」

 そう、それは宇宙へ向けて飛び立って数日後のことだった。
 それまで問題のなかった地球との交信が突然途絶え、一切の連絡ができなくなったのだ。
 少年はその後、シャトル中の通信機器をチェックしたが、問題は発見できなかった。

 もちろん、事前訓練においてはそうした万一のケースも想定はされていたので、仕方なく予定通りのスケジュールを淡々とこなし、単独で大気圏に突入して不時着をしたのである。
 ここまで簡単に述べたが、それは言葉に表せぬほどの逃げ出す苦労の連続。
 生きて帰れただけでも人類の奇跡、国民栄誉賞どころか国連に表彰されてしかるべき、史上初の大偉業であった。



 少年は、とりあえずシャトルの出口の縁に掴まりながら、周囲を見渡した。

 さすがに長期間の宇宙滞在によって筋力は衰えていたが、それでも人並み以上に動けるのはさすが史上最高の天才と言われるだけのことはあった。

 幸いにして不時着場所はどこかの海岸の近くであるらしく、すぐ先に岸が見えた。
 距離にして数百メートル程度。
 泳げない距離ではない。

 とりあえずここがどこなのか確認しようと、少年は宇宙服を脱ぎ捨て軽装になると、海へ飛び込んだ。
 近くに浮いていたシャトルのタイルに捉まり、陸へと向かって泳ぎ始めた。

 三か月前に地球を出発した時、日本は春であった。
 が、いまはもう七月も半ば過ぎだ。
 このあたりの気温は体感でおよそ34℃程度……日本とほぼ同等の緯度に位置している場所なのは間違いない。

 少年は考えた。
 ここはどこだろうか? 日本だとありがたいが。
 海があるという条件だとアメリカか、中東か……北朝鮮は勘弁してもらいたい……。

 だが、その不安は岸に近づくにつれ不要なものだとわかった。
 そこには『海の家』と手書されたボロ看板が、いかにも適当に砂浜に突き刺さっていたからだ。
 安い作りのプレハブ建築、砂浜にはラムネの空瓶。それはまさに、日本の海水浴場そのものであった。

 足のつくあたりまで来ると少年はタイルを放り出し、浜に向かって駆けだした。
 その顔は年相応の無邪気な笑顔であった。足がもつれて浜に倒れ込むと、そのままゴロゴロと砂の上を転がった。

 思いっきり砂に顔を埋め、ゲホゲホとむせかえった。しかし、その息苦しさすら楽しくてたまらない。
 この三か月、夢にまで見た大地の感覚であった。

 しばし一人でおかしげに笑うと……少年は、ふっと真面目な顔に切り替わった。

「さて、と……やっぱりおかしいな、これは」

 そう……この状況は、あきらかに異常であった。

 宇宙滞在中に何度も調べたが、シャトルの通信機器に故障は見当たらなかった。
 すると、地上のほうでなにか問題があったということになる。

 シャトルが落下する位置を完全に予想することは難しいとはいえ、巨大な物体が空から降ってきて落下したのだ。
 なのに、目の前の海岸には人っ子ひとりいない。これはいくらなんでも普通ではない。
 ここが日本ならば、自衛隊なり警察なり……少なくとも地元住人の野次馬くらいはいるはずである。

 さらによく見れば、海岸沿いの国道向かいに建つ家々もあちこちが壊れていた。
 壁が崩れた家、窓ガラスが割れている家。路上には車が大破して転がっているし、波の音以外に何も聞こえない……異様な静けさであった。

 それはさながら、無人島の様で……。

「……首都直下型地震でも来たのか? それともまた原発事故でも起きたのか……?」

 さて、どうしたものか……ここで考えていても何も進展がないし、どこかに行ってみるか、そう思っていると。



                        …………ぅ…………ぉ…………



 と、かすかに、何かの声が聞こえた。

「……なんだ……人の呻き声のような……?」

 そう、なにか……苦悶に満ちた声が聞こえた。

 少年は静かに耳を澄ます。波の音、風の音にまじり奇妙な声は……たしかに人間の発するものだった。それは、海の家の奥から響いていた。

 少年はその声に惹かれるように、海の家へとゆっくり近づいて行った。
 折れたのぼり旗、床に転がったカラフルなシロップのビン。そして、薄暗い畳み敷きの先には、ハエが飛びまわる不潔な台所。
 声はまさに、その台所から発せられていた。

「……うぅ……うぁ…………」

「……誰かそこにいるんですか?」

 足元には腐りきった焼きそばやフランクフルトなど、かつて食べ物だったものが散乱している。
 少年はゆっくりと奥に向かって歩いて行く。ゴキブリだかフナムシだかわからない、細かい生き物をプチプチと踏みつぶしながら。

 そして、日の光もほとんど射さぬ店の奥。その薄暗い闇の中で、こちらに背を向けてしゃがみ込む、一人の男にいた。

「……あの……すいません」

 少年は声をかけた。
 そして、その声に反応した男は……ゆっくりと振り向いた。

「うぉ……うおおぉっ!」

 奇声を上げて立ち上がった男を見て、少年は驚愕した。男の腹は、まるでアジの干物のように、ぱっくりと開かれていた。

 その傷口は血で固まって、まるでザクロの様になっていた。
 全身にはワンワンとハエがたかっている。体中に黒い小さな虫が這いずる様は、まるでホクロが動き回るかのようであった。
 その人間は……いや、それは人間と言うにはあまりにもグロテスク過ぎた……ブルブルと全身を震わせながら、ゆっくりこちらに歩いて来た。

 少年はゆっくりと後ずさりした。本当は走って逃げたいのだが、足が震えてうまく動かなかった。
 近づいてくる男からは鼻の曲がるような異臭がする。すさまじい吐き気に襲われる。目の焦点の合わない男はゆっくりとこちらへと近づいて来た。

 その時、少年は咄嗟に目についた調理台に置かれていたビール瓶を握りしめた。

「オーケー、オーケー……あんた日本人か? 日本語は……わかるか?」

 男の歩みは、止まらない。少年の言葉に対して、何一つ人間らしい反応を示さなかった。

「ストップだ、フリーズ……言葉はわからなくても、意味はわかるよな?」

 ビール瓶を振り上げる。それが威嚇のポーズであることは誰にでも理解できた。
 しかし、男は少しも動きをゆるめようとしなかった。あごが外れたかのように大きく口を開き、両手を力なく前に突き出して近づいてくる。

「最後の忠告だ……止まれ……さもなきゃ……」

 距離は……歩数にして三歩ほどにまで迫っていた。

「警告は……したからなっ!」

 男が組みかかろうとした瞬間、少年はビンを振り、思いっきり男の脳天に叩きつけた。
 ガラスが粉々に砕け散り、男は前のめりに倒れ込む。少年はさっと横に飛んでそれを避けた。

 うつぶせに倒れた男の脳天には、大きな茶色いガラス片がいくつも突き刺さっていた。
 殺してしまったか……と思ったが、その手はいまだにしつこく、ふらふらと少年を掴まえようと動いていた。

「し、しつこいなあんた……」

 これはもう無視して、とっとと警察を呼んだほうがいいかもしれないな……そう考えながら、とりあえず掴まれないように注意して、少年はゆっくりと後ずさった……が!

「ぐぼあああぁぁぁっ!」

 その凄まじい雄叫びに、少年は慌てて振り返った。

「うわぁっ!?」

 不意打ちであった。
 不審者は一人ではなかったのだ。少年の後ろには、いつのまにかもう一人の男が立っていた。
 その男もまた、胸のあたりが引き裂かれ、腐った内臓が見えている。
 
 男は少年に覆いかぶさった。
 その男は、身長は少年と同程度だが、かなりの肥満体だった。体格で勝る大人に組み倒され、少年は床に顔をぶつけた。

「くっ……! 放せっ!!」

 男は少年の喉元に噛みつこうと、ネバネバと糸を引く口を開けた。
 少年は咄嗟に男の首を掴み、必死にもがく。
 しかし、そうこうしているうちに、先ほど倒した男が呻き声を上げて、ずるずると這いずりながら、こちらに向かっていた。

「これは……マズイ……!」

 非常にマズイ……このままでは……やられてしまう。

「くそ……誰か……誰かいないのかぁっ!?」

 この状況を救ってくれる正義のヒーローはいないのか! そう叫んだ時だった。

「はぁいっ! ここにいますよぉっ!!」

 突然のことだった。間の抜けた大声と共に、店の入り口から太陽光をバックにして一人の少女が飛び込んできた。

 強烈な逆光でその顔を確認することはできない。しかしその手には、少女の身長を上回るほどの大きなシャベルが握られていた。
 そのことだけは、くっきりとしたシルエットで理解することができた。

「うおりゃああああああっっっ!!」

 少女は風車の様にシャベルを振り回して、少年を組み敷いていた男の頭に叩きつけた。
 目の前の男の頭が一気にひしゃげた。
 なにかの液体が男の頭から飛び散り、少年の顔に降り注ぐ。ぬるりとした、生暖かい、何とも不快な感触であった。

 少女は足を止めることなく、そのまま全力で助走をつけてジャンプした。
 少年と、頭を叩き割られた男を軽々と飛び越え、空中でシャベルの刃を下に構えつつ、その柄に全体重をかけた。

「どっっっせえええい!!」

 シャベルの刃を、残るもう一人の男の首に叩きつけた。その様はまるでにギロチンのようであった。
 一瞬にして切り離された男の首は、サッカーボールのように転がり……見事な着地を決めた少女の足によって、完熟トマトのようにグチャリという音を立ててつぶされた。

 それはまるで、出来の悪いスプラッター映画を見ているかのような……凄惨を通り越して一種のバカバカしさすら感じる、衝撃的な光景であった。

「あ……あぁ……うあ……」

 ありとあらゆる訓練を受けてきた少年も、さすがにこの光景には言葉が出てこなかった。
 とにかく、覆いかぶさっていた男をなんとかどけると、上半身を起こして服の袖で顔についた液体を拭きとった。
 ぬるりとしたそれは、どうやら男の脳と髄液であるらしかった。

 少女はゆっくりとこちらに近づいて来た。引きずるシャベルが床に擦れてガリガリと音を立てる。
 へたり込んだままの少年に向かい、少女は右手を差し伸べた。

「大丈夫でしたか? 立てますか?」

「あ……あぁ、大丈夫……助かった……っ!?」

 少年は目の前に立つ少女の顔を見て、思わず出しかけた手をひっこめた。

「君は……何だ!?」

 少女の顔は青かった。
 不健康などというレベルではない、あきらかに青いのだ。
 そう、それはまるで死体に浮かぶチアノーゼの様で……全身くまなく真っ青だった。

 いや、それだけではない。さっきの男どもと同じ、強烈な異臭がこの少女から漂っていた。
 夏場に長時間放置した生ゴミの様な、なにかこう……すえた臭いだった。

 ありていに言えば……死臭であった。

 少女はそんな少年の反応を見て笑った。そう、それは実に屈託のない……まるで人間の少女の様で……。

「あ、申し遅れました。あたし、リサっていいます」

「……リサ」

 少年は少女の瞳を見つめた。純粋そうで、人懐っこい……深い井戸の底のような、黒い瞳であった。

「…………君は……なんなんだ?」

 その言葉に、リサはキョトンとした顔をして、「あぁ」となにか納得したように頷いた。

「そうか、そうですよね。あなたはいま宇宙から帰って来たばっかりですもんね。地球の事はわかってなかったんですね」

 混乱する少年に、リサは優しく諭すかのように。

「あたしはゾンビですよ」

 はっきりと、そう言った。
 それはまさに、悪夢の始まりであった。

クソゲーみたいなこの世界で

続きは近いうちに投稿します。
もう、全部書きあがってますから。

クソゲーみたいなこの世界で

しばらくぶりに故郷(地球)に帰ってきたら、ゾンビ(かわいいけど)とバカ(かわいくないけど)しか生き残ってなかった。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-08-09

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