すーちーちゃん(5)
五 夏祭りの八月
夏祭りだ。港では、花火大会が開催される。あたしは、すーちーちゃんと花火大会を見に行くことにした。すーちーちゃんの弟の竜太郎君も一緒だ。あたしも、すーちーちゃんも、竜太郎君も浴衣を着た。
花火は、港の沖合三百メートルで打ち上げられる。観覧会場までは電車で行ける。電車を降り、駅の外に出ると、周囲はもう、人で混雑している。あたしたちは背が低いので、周りを大人たちに取り囲まれると、どっちに行ったらいいのかわからない。竜太郎君が飛び跳ねている。でも、前は見えない。仕方がないので、他の人が動く方向に進む。いや、進むと言うよりも、人波に流されていると言う方が正しい。
「わーい」
竜太郎君が歓声を上げた。あたしたちが流れついたのは、広場だった。そこの周りには、お店が並んでいた。たこやき、スイートコーン、りんご飴、お好み焼き、ジュースに、綿菓子などを売っている。茶色や黄色、赤に、緑色など、いろんな色が出迎えてくれた。竜太郎君だけでない。あたしだって、「わーい」と喜んだ。すーちーちゃんも笑顔だ。竜太郎君が走り出した。
「竜太郎!どこへ行くの」
すーちーちゃんが呼び止めた。でも、すーちーちゃんの声が聞えないのか、振り返らない。 仕方がない。あたしたちは竜太郎君の後を追って走った。竜太郎君が急に立ち止った。たこやき屋の前だ。
「ねえちゃん。お腹空いた!」
自分の都合のいい時だけ振り返る竜太郎君。八重歯がきらりと光っている。すーちーちゃんと同じ八重歯だ。あたしたちは竜太郎君に追いついた。
「しょうがないわね。おじさん、一皿ください」
すーちーちゃんがバッグから財布を取り出した。
「はい。ありがとう。五百円ね」
たこ焼き屋のおじさんが一皿差し出した。すーちーちゃんがお金を払う。受け取るのは竜太郎君。早速、蓋を開ける。たこ焼きは全部で六個。
「一人二個ずつよ」
すーちーちゃんが仕切る。三人は立ったまま、楊枝でたこやきを突き刺す。竜太郎君がたこ焼き一個をまるごと口の中に放り込んだ。
「あっちっち」
竜太郎君の口のたこ焼きは、満月になったり、半月になったり、三日月になったりしている。
「変なことしないの」
すーちーちゃんが叱る。
「だって。熱いんだもん」
竜太郎君は、右側のほっぺを膨らませたまま答えた。
「一度に、全部、口の中に入れるからよ。半分ずつ、食べなさいよ」
「だって、お腹が空いたもん」
また、口からたこ焼きが噴き出ている。今度は、平成新山だ。
「さっさと食べなさい」
あたしとすーちーちゃんは、たこやきを半部ずつ齧る。すーちーちゃんの八重歯にソースが付着して、黒光りしている。怪しい光だ。あたしたちは二個目に挑戦。
「ちゅう、ちゅう、ちゅう」
また、変な音がする。ねずみじゃない。竜太郎君が口を膨らませているのだ。
「何しているの。竜太郎」
「たこ焼きの中を吸っているんだい」
竜太郎君は、今度は、左側のほっぺを膨らましている。
「また、変な食べ方して・・・」と、言いながら、すーちーちゃんも、ちゅう、ちゅう、ちゅうと音を立てている。やっぱり、血は争えない。姉弟だ。
「なんか、つい、吸っちゃうんだね」
すーちーちゃんは笑った、八重歯に付いていたソースは消えていて、元の通り、歯は白く光っていた。あたしもすーちーちゃんや竜太郎君の真似をして、たこやきの中身を吸ってみたけれど、どうも食べた感じがしない。やはり、たこ焼きは噛んだ方がいい。たこ焼きは白い皿から全てなくなった。黒いソースだけが、たこやきがあった証拠を示している。
「さあ、花火を見に行きましょう」
すーちーちゃんが先頭に立つ。
「僕が一番だい」
竜太郎君が走る。ただ、走った先は花火の観覧会場ではない。そのずっと手前のテントの前だ。そこではジュースを販売していた。
「お姉ちゃん。喉が渇いた」
竜太郎君が手招きしている。
「ホント、あんたは世話がやけるんだから」
すーちーちゃんは、再び、財布を取り出した。ジュースなんて、自動販売機やコンビニで売っているので、珍しくはないけれど、お祭りの時は、いつもと違う、ひと回り大きな容器で売っている。なんだか、美味しく感じる。小学生のあたしたちでは、とても一人では飲めない量だ。
「何にする、竜太郎」
「オレンジ。いや、メロンソーダ。いや、グレープ。コーラもいい」
「ひとつにしなさい」
「じゃあ、メロンソーダ」
「メロンソーダをひとつください。ストローは三本をお願いします」
「はい」
縦じまのユニフォーム姿のお姉さんが返事をした。すーちーちゃんがお金を払い、竜太郎君がジュースを受け取る。
「わーい」
竜太郎君がストローに吸いつく。あたしも咥える。残り一本をすーちーちゃんが吸った。三人の喉が勢いよく上下する。一挙に、ジュースの容器が軽くなった。
「ぶくぶくぶく」
泡の音がする。三人が互いに目を合わす。
「竜太郎。なんで、吹いているの?」
すーちーちゃんがストローをはずした。竜太郎君も口からストローをはずした。
「だって、ジュースが残り少なくなったから、吹いたら、量が増えるかもしれないから」
「増えるわけないでしょ」
竜太郎君の予想通り、ジュースはあっと言う間になくなった。あたしとすーちーちゃんは、ストローから口を離した。それでも竜太郎君はまだ、ジュースの器を持っている。
「ずーずーずー」
強烈なバキューム音だ。あたしとすーちーちゃんが竜太郎君を見る。竜太郎君は器から手を離し、ストローの吸引力だけで、重力に打ち勝っている。竜太郎君は、両手を水平に上げ、ポーズを決める。
「何やってんのよ。バッカみたい」
すーちーちゃんは冷たく言い放つと、歩きだした。あたしも続く。
「お姉ちゃん。待ってよ。吸う力の練習を.しているんだから。お姉ちゃんだって、毎日、やってるんじゃない」
竜太郎君の声を無視して、すーちーちゃんは進む。あたしは、すーちーちゃんと竜太郎君の間に立って、おろおろしながら、すーちーちゃんの背中とジュースの紙箱に吸い付いている竜太郎君の顔を見比べていた。
「あっ、きれい」
「ホント」
「すげえや」
夜空に燦然と輝き、消えていく花火。あたしたち三人は、芝生広場に座ったまま、眺めている。
「もっと近ければいいのに」
あたしはボソッと呟いた。
「じゃあ、行ってみる」
竜太郎君が立ち上がった。
「えっ。どこへ行くの。竜太郎君」
あたしは思わず尋ねた。
「もっと花火の近いところ」
「やめなさい。竜太郎」。
すーちーちゃんが止める。
「お姉ちゃんたちも行こうよ」
「もっと、近くで、花火が見えるのだったら、あたし、行ってもいいよ」
あたしも、竜太郎君に続いて、立ち上がった。しょうがないなあ、という顔でっすーちーちゃんも立ち上がる。浴衣のお尻に着いた芝生を払う。
「じゃあ、さやかちゃん。ちょっと目を瞑っていて。あたしがいいと言うまで、目を開けちゃだめよ」
すーちーちゃんは何をする気だろう。でも、近くで花火が見られるのであればいい。それならばあたしはすーちーちゃんの言うことに従う。
体が何かの上に乗った。目を開けちゃいけないけど、触るのはいいだろう。何だか、動物の毛のようだ。でも、座り心地はいい。座布団か。足が浮いた。顔に風が当たる。気持ちいい。火薬の匂いがしてきた。大きな音も間近に聞こえる。
「もう、いいよ」
すーちーちゃんの声がした。あたしは目を開けた。目の前には巨大な光が開いていた。でも、すぐに、パチパチパチの音ともに、下に落ちていく。すごい光景だ。ほんとに、近づき過ぎるくらい、花火が近い。 その側で、
「ほら、やっぱり近い方がきれいじゃないか」
と、竜太郎君の自慢する声が聞えるけれど、姿は暗くて見えない。
「あれ、すーちーちゃんは?」
「ここよ。心配しないで」
あたしはすーちーちゃんの背中に乗っているようだった。まさか。夢だろ。
「もう、いい?」
すーちーちゃんが尋ねてきた。
「うん。ありがとう」
「もう少し、いようよ」
竜太郎君がダダをこねた。
「あんまり長くいると、花火に当たっちゃうよ。そうなっても知らないから」
すーちーちゃんの言葉に、「ちぇっ」と竜太郎君が舌打ちをした。
「じゃあ、また、さやかちゃん、目を瞑っていて」
「はい」
あたしは、また、目を瞑った。瞼越しに、花火の光と火薬の匂いがどんどんと遠ざかっていくのがわかった。変わりに、観客の歓声が近づいてきた。
「はい。もう、目を開けてもいいよ」
すーちーちゃんの声がした。あたしが目を開けると、さっき、座っていた場所だった。
「面白かった?」
すーちーちゃんがいたずらをした時の目で、あたしに尋ねてきた。
「うん。面白かった」
あたしは、どうして、目の前に花火が見えたのかは、あえて尋ねなかった。魔法なのか、手品なのか、わからない。でも、真近で花火が見えたことは、あたしの網膜を通じて、あたしの脳の中に刻み込まれている。また、火薬の臭いも染みついている。まだ、花火は打ち上げられている。
「もう一回、行こうよ」
竜太郎君がすーちーちゃんの裾を引っ張っている。
「もう、お終い」
冷たく言い放つすーちーちゃん。
「ちぇ」
ふてくされる竜太郎君。
「これは、どう?」
あたしは、袋から線香花火を取り出した。それを目ざとく見つけた竜太郎君。
「やろうよ。やろうよ」
「でも、こんな場所で、花火をしてもいいのかな」
あたしは自分が提案したくせに、否定的な意見を言った。
「いいんじゃない」
すーちーちゃんが応援してくれた。あたしたちは、広場の隅に移動し、輪となって、線香花火に火を点けた。
ぱちぱちぱち、ぽと。
夜空を彩る花火の迫力には負けるけれど、目の前で見られる線香花火は、なんだか自分専用の花火で嬉しい。空の上と地面との両方での花火大会。あたしとすーちーちゃんと竜太郎君の顔を両方の花火の光が照らす。
「うわー、いいな」
いつの間にか、あたしたちの周りを花火を見に来た人たちが取り囲んでいる。
「花火だ、花火だ」
「花火をやろうよ」
あたしたちは周囲のみんなに線香花火を配る。みんなは線香花火に火を付けながら、時に、空に輝く、花火を眺める。花火会場全体が花火の光に照らされる。
「よかったね」
「うん。また来ようよ」
あたしたち三人は、まだ、花火で輝いている会場を後にして、家に帰った。でも、ほっぺは赤く染まっていた。
すーちーちゃん(5)