数ある学校の七不思議の一つに異次元の鏡がある。特定の時刻に階段の鏡に触れると、鏡の異次元世界に閉じ込められてしまうそうだ。もし本当に異次元世界が存在するとしたら、そこはどうなっているのだろうか。

 二人の少女が別々の場所で鏡に映っていた。

 一人はマンションの洗面所にいた。薄暗い照明がぼんやりと照らす中、少女は洗面台に付いた鏡の前に立っている。暗い表情と泣き腫らした目が鏡に映されている。
 少女の名前は有子と言う。有子はある女子グループに変な言い掛かりを付けられていじめに遭っていた。クラスの担任は有子がいじめられているのを知っていたが、その女子グループの一人が大金持ちであり、学校に多額の献金をしたため、高校全体で女子グループの非行を黙認することになった。
 その絶望的な状況でも休学、退学、転校などの抜け出す選択肢があったが、両親が無理解で学校に通い続けることになった。
 裕子にとって最後に残った手段は自殺だった。だが、まだ踏み出す勇気が持てず実行できずにいた。いつ死ぬ決心が付くのか、最近はそれだけしか頭になかった。
 今日も校則に従った長いスカートで苦しみに満ちた高校へ向かう。

 もう一人は豪邸の一室にいた。お洒落な照明が部屋を明るく照らし、少女は姿見鏡の前に立っている。生き生きとした表情でギラギラとどぎつく光る目が鏡に映されている。
 少女の名前は虐子と言う。虐子は仲間と一緒に有子をいじめていた。圧倒的な力の差で肉体と精神的に痛み付け、有子が日に日に弱っていく様を見るのが面白いと感じている。
 学校は、通常の社会とは違い、未成年者や閉鎖的な社会という環境のせいで法律はあってないようなものとなっている。所属する生徒たちはまだ成長し切れておらず、自立した考えや一般常識を持っていないため、犯罪行為を働く者たちにとっては格好の獲物であった。まして私立学校であるなら一会社と同じで利益を得るために学校活動をしていて、もしもとある人からの献金で利益が増えるのなら、そのご子息の行動に多少目を瞑ろうと考えてもおかしくなかった。
 虐子は父親を利用して高校全体を買収していた。成績は勿論、ずる休みや問題行動なども黙認され、クラスメイトに対して女王のような振る舞いをしていた。
 ふふふ、と虐子の歪んだ笑みが鏡に浮かび上がる。
 いじめは優越感を与えてくれた。頭の中がスカッとしたあと、甘い飴をずっと嘗めているみたいに思う。その味は不思議と飽きない。有子を見るといじめ足りないと憎悪と甘美を感じさせた。
 有子が全て悪くて、いじめられて当然だと思う。あの時、そう家でパーティーを開いた時に都合が悪いからと虐子の誘いを有子だけが断った。せっかくわざわざ誘ってあげたのに、人の気持ちを踏みにじったのが許せない。こんな不快な気持ちにさせられたのだから示しを付けないといけないと思う。
 今日も流行に従った着崩したワイシャツと短いスカートで嗜虐に満ち溢れた高校に向かう。

「ねえ、有子~」
 虐子に声をかけられて、有子は思わず小さな呻き声を口から漏らした。目の前がチカチカと光りだし、トラウマがフラッシュバックする。
 どうして一日中虐子たちといるのか自分でもわからない。もう頭で考えられなくて、人の話を聞くことやノートに文字を書くこと、時には教室を移動することすらもできなくなる。その結果、成績は急激に下がり補習を受けるが、頭に残らず負の連鎖が続く。
 虐子たちの最近のお気に入りは有子の成績を馬鹿にすることだったが、これぐらいは大したことなくて既にかすれた心に響かない。
 虐子にやられて一番ショックだったのは公園で可愛がっていた猫を殺されたことだった。悪いと知りながらも有子は捨てられた猫に餌をあげていた。灰色の毛並みのロシアンブルーで、名前は猫吉と勝手に名付けていた。本当は家に持ち帰りたかったのだが、両親が絶対に許さないことをわかっていた。
 学校のない日も、天候の悪い日でも、毎日公園に立ち寄って世話をしていた。虐子にいじめられている中で唯一の安らぎになっていて、名前を呼ぶとにゃーと可愛い鳴き声を出して冷え切った心が暖かくなった。
 ある日、虐子に猫吉のことを知られ、毒を混ぜた餌を与えられた。気付いた時は手遅れで、猫吉がぐったりとした動かなくなった様子を今でも忘れることができない。有子と関わらなければ生きていられたかもしれないと思うと涙が止まらなかった。そこから有子の中で致命的な何かが壊れてしまった。
 昼食のお使いと名ばかりのパシリを終えると、虐子たちが楽しそうに談笑をしていた。今日は機嫌が良いみたいだった。話から猫吉を殺して有子の様子が激変したのに満足しているようだった。有子は目の前が急に真っ暗になって立ち眩みを起こしそうになったが、なんとか自分の席に戻った。
 虐子たちの機嫌が悪いとお使い程度では済まされない。罵倒、嫌がらせ、暴力、それよりももっと酷い目に遭うこともある。けど、今は何をされても平気かもしれないと思った。
 自殺するのは今日が良いかもしれないとふと思う。帰りにホームセンターで縄を買って今度こそ首を吊ろうと決心する。
 放課後、有子は急いで学校を出ようとするところに虐子が現れた。
「有子、学校の七不思議って知ってる?」
 首を振って知らないと言った。
「この高校にも七不思議があるみたい。七つ全てを知ると死んじゃうんだって。今日の深夜、学校に集まって七不思議を確認することになったから来てくれるよね」
 と強制的に頼みごとをする時の清々しい笑みを虐子は浮かべた。
「私、有子が死ぬところ見てみたい!!」
 普通ならドキっとするところだが、今の有子は七不思議を知るくらいで死ぬことができるなら良いかもしれないと思ってしまっていた。
 校門までの途中、ふと何かを感じて振り返ると校舎と夕日が被って光り輝いていた。ぼうっと見とれてしまい、夕日が沈み、辺りが暗くなるまでそこにいた。

 丑三つ時、現在の時間で午前二時から二時半の辺りを指す。草木も眠る時間と言われ、化け物や幽霊などが現れやすいと言われている。
 ちょうどその時間帯に校門の前に集合することになっていた。
 有子は両親の目を盗んで家から抜け出した。両親は普段厳しいことを言って縛り付けるのに、こういう時に限って有子の変わった様子に気付かないのはどうしてなのだろう。両親の矛盾した行動に不快感があるが、何をしても解決しそうにないので受け入れて諦めるしかなかった。
 校門の前にはまだ誰もいなくてほっとする。虐子たちよりも遅く来たら何をされるか想像すらしたくない。と言っても死のうと思っているわけだから遅れても、来なくてもどうでも良いのだが、いじめられている体質が染み付いたようにいつも通りの行動をしてしまっていた。
「ったくアイツら、怖じ気付きやがって」
 しばらくして虐子が一人だけでやってきた。スマートフォンを耳に当てていたが、何も応答がないらしくバッグにしまった。
「あ?」
 有子と虐子の目が合う。虐子は仲間が来なくて、酷くイライラしているようだった。
 集まったのは有子と虐子の二人だけだった。
「さっさと行けよ!!」
 虐子に言われるまま校舎に入っていく。
 中は、緑色の非常灯がぼんやりと辺りを照らすだけで殆ど真っ暗だった。
 持って来いと言われた懐中電灯を付ける。暗がりに対して左右に何度か振りながら慎重に進んでいく。静かな中を上履きのぺたぺたした音が響いた。
 有子が前で、虐子は少し離れた後ろから歩いている。時折、祐子は後ろの虐子を見ると腕を組み、ぶすっとした顔をしている。
 有子は懐中電灯を頻りに振っては何もいないことを確認している。見通すことのできない暗がりに何か潜んでいるように思えて仕方がなかった。死にたいはずなのに、怖くて自分の身を守ろうとする行動は忌み嫌う親と同じように矛盾していたが、気が付かなかった。
 虐子はまるで怖いものがないみたいに平然と歩いている。仲間もいないのに七不思議をまだ探そうとしている精神が凄い。よほど有子の死ぬ姿が見たいのかもしれないと思うと、ある意味学校の七不思議よりも怖かった。
 ××高校の七不思議は以下の六つがわかっている。
 笑うベートーヴェン。
 走る人体模型。
 十三階段。
 花子さんのトイレ。
 赤マント、青マント。
 異次元の鏡。
 七不思議だから七つあるはずなのだが、最後の一つはわかっていない。七つ全てを知ると死ぬとされていて、六つの不思議を確認すると七つ目が現れると言われている。
 虐子に命令されるまま七不思議の起こる場所を確認する。音楽室、理科室、北東の二階から三階の階段、三階の女子トイレの三番目の個室、体育館近くのトイレの四番目の個室と、合計五つ確認したが、何も起こらなかった。
 有子の安心感とは反対に、虐子の機嫌はどんどん悪くなっていた。思っていた通りのことが起こらず苛立っているみたいだ。
 そして、異次元の鏡の場所に着く。ゲタ箱を通り過ぎた先に大きな階段がある。一階から二階まで幅の広い階段で、二階から三階は左右に分かれた二つの細い階段となっている。
 二種類の階段の間にあたる二階部分に異次元の鏡と噂されている、大きな鏡が置いてあった。こんな目立つところにある理由は自分の姿を見る機会を増やし、服装や容姿に気を使う社会人になるためと学校案内のパンフレットに書いてあった。
「さっさと歩いて確認して!!」
 げた箱から幅の広い階段を上っていく。大きな鏡が少しずつ見えてくる。
 鏡は相当大きそうだった。二メートルぐらいの正方形で有子の全身と一階にいる虐子の小さくなった姿が映されている。
「あ、言い忘れていたけど、これで何もなかったらね」
 虐子が一階から二階に向かって何かを投げ、有子はとっさにしゃがんで避けた。それは鏡に当たり床に落ちた。
 刃渡り十センチほどのナイフだった。切っ先が懐中電灯で光り、いかにも鋭く見える。こんな危ないものを平然と投げることができるのが怖い。
 虐子はそれよりももっと怖いことを口にした。
「ナイフで自殺してね。昔の人みたいにお腹を切っても良いし、神経の集まっている首もお勧めかな」
 冷や汗が出る。七不思議を全て知っても、それがデマだとしても、どの道、有子は死ぬ運命らしかった。
 首や腹にナイフを突き立てて切り裂く。そんな想像するだけでも痛い死に方は嫌だった。なんとしても学校の七不思議があって欲しいと思った。
「おい!!」
 下の虐子が有子とは反対側のゲタ箱の方を向いて大きな声を出している。
「あいつは誰だ。お前見たか?」
 急に聞かれて質問の意味がわからなかった。何て答えればいいのか考えていると、虐子がまた大きな声で有子に言う。
「小さい子供だ、子供を見たか?」
「いや、見てないけど……」
「なんなんだ、あれは。けど、たしかに。いや、ただの空見か。良いから続けろ!!」
 有子は左手に懐中電灯、右手を伸ばして鏡に向かっていく。
 異次元の鏡。特定の時刻に鏡に触れると、鏡の異次元世界に閉じこ込められてしまう。
 異次元世界とは、どんなところなのか想像できない。けど、そんな世界に閉じ込められてしまった方が、今いるこの世界よりも良い気がしてしまう。
「ふふふ」
 後少しで鏡に触れそうな時に、子供の笑い声が後ろから聞こえた。
 鏡には少年が映っている。
 有子よりも大分小さい。小学校低学年くらいの歳だろうか。軍人や警察官が身に付けているような制帽を被り、上下黒一色の学ランを着ている。
 こんな服装をした小学生は今まで見たことない。なんとなくだが、昔の時代を感じさせる服装をしていると思った。
 有子は少年に不思議と恐怖を感じなかった。理由はわからないが、謎の親しみを感じていた。
「お前が最後の七不思議か!!」
 虐子が二階に上がってくる。少年を掴もうとした時、ちょうど有子は鏡に手を触れた。すると鏡から目映い光が溢れ出し、有子と虐子を包み込んだ。

 光が弱くなっていき、段々と視界が開けていく。
 鏡に有子の姿が映っている。右手を鏡に付け、左手に懐中電灯を持っている。鏡が光り出す前の姿と一切変わっていないようだった。
 ただ一つ不思議なのが、夜中にいたはずなのに、周囲は明るくまるで昼間だったことだ。
 それを証明するかのように学生が歩いたり階段を上ったり下りたりして通り過ぎていく。どの人も怪訝そうな顔をして有子を見ていた。
「痛てて」
 虐子は少年に触れようとした手が空を切り、バランスを崩して床に倒れていた。
「な、何これ? 夜中にいたはずなのに、どうして昼間になっているの、いったい何が起こったの!?」
 虐子は何が起こっているのかわからず苛立っているみたいだった。辺りを見回すと不安な気持ちの有子と目が合う。
 何故だか虐子はドス黒い笑みを浮かべる。これから何をするのか、有子は怖くなった。
 ちょうどその時、廊下の方から虐子の仲間たちがやってきた。こちらに気付いたようでニヤニヤとした笑みを浮かべて向かってくる。
「有子、ちょっと違う場所に行こう。誰にも見られない目立たないところでね」
 床に落ちたナイフを拾ってそっと服に隠すと虐子は有子に近付いた。
 その時、虐子の仲間たちが急に走り出した。
 有子は絶体絶命に思った。死にたいと思っていたのにいざ死ぬかもしれないと涙が止まらない。心底臆病であることを自己嫌悪し、余計に辛い気持ちになって動けなかった。
 虐子たちの仲間が傍に来ると目を瞑った。
 大きな音がした。
 何も感じない。感覚を感じる前に即死してしまったのだろうか、それとも目を瞑っている間は何も起こっていないと脳が誤認している気もした。だったら目を開けた途端に激痛が走り出すと思うとずっと目を瞑っていたい。
 長い時間経ったように思えた。さすがに大丈夫そうだと思い、恐る恐る目を開けると信じられない光景が広がっていた。
 虐子が一階の階段下に倒れている。手や足に青痣があって階段から転げ落ちたことがわかった。
 先生たちがやってきて虐子を抱えて運んでいく。虐子のいた場所に血溜まりがあり、虐子の右頬に一筋の傷があった。近くに刃先が赤く染まったナイフが落ちている。
 有子の近くに虐子の仲間たちが立っている。「あいつナイフを隠し持っていやがった」、「大丈夫か」と聞かれて、何が起こっているのか訳がわからず呆然とした。

 そのまま虐子の仲間に引っ張られて授業を受け、そして放課後になった。
 何故か虐子の仲間たちと一緒に帰ることになった。たわいのない話を振られるが、違和感しかなかった。途中の分かれ道でようやく一人になれてほっと溜息を吐く。何が起こっているかさっぱりわからなかった。
 家が見えてくると、また思考が止まった。
 元の有子の家ではない。マンションが建っていたところに豪邸が出来上がっている。門の前に執事らしい人がいて有子を見つけると声をかけてきた。本当に訳が分からない。
 しばらくすると、なんとなくわかってきた気がした。この世界は元の世界と少しだけ違う世界のようだ。その少しの違いは、有子と虐子の立場が入れ替わっていることだった。有子はお金持ちでいじめる側になり、虐子はお金持ちでなくなりいじめられる側になった。
 この世界にいたとされている有子は虐子を主導でいじめていたらしかったが、今の有子は自分がいじめられた辛い経験があるから虐子をいじめなかった。だが、有子に代わってかつての虐子の仲間たちが積極的にいじめていた。
 最初、虐子は元の世界にいた時のように高慢な態度を取って反抗していたが、次第にその力もなくなって、なすがままにされるようになった。
 虐子の日常が大きく変わったように皮肉にも有子の日常は大きく変わった。普通の学校生活を送ることができるようになり、以前のように死ぬことばかり考えなくなった。
 だが、それで順風満帆になったとは言えなかった。
 この世界に居心地の悪さを感じる。あまりにも上手く行き過ぎて気持ちが悪い。今まで悩んでいたことがまるで馬鹿みたいに思えてくる。
 それは良いことなのかもしれないが、都合が良すぎて信じることができない。
 まるでここは現実感のない作り物の世界のようだ。根本的な解決がされていないはずなのに、何故か正常に機能している。有子にとって違和感しかない世界だった。
 といってもこんな不快感は今の虐子に比べれば大したことがない。いじめる側からいじめられる側へ、天国から地獄のような落差に大きな苦しみを覚えたに違いなかった。
 今までいじめていたから、自業自得と言えばそれまでかもしれない。だが、被害者だった有子からしてみればやっぱり可哀想で同情してしまう。しかし有子が何を言ってもいじめは収まらなかった。
 虐子から通話やメールが頻繁に来ていたが、激変した慣れない学校生活に対応できず返答できなかった。
 ある日、有子が家に着くと虐子が待っていた。
 変わり果てた姿だった。以前とは違い、髪はボサボサで、目は落ち窪み、頬は階段に落ちた時の一筋の傷跡があった。
「スマホ見た?」
 声が小さく控えめに話していると感じた。
「私が悪かった。有子がこんなに辛い思いをしているとは知らなかった。本当にごめん。始めのメールで色々言ってしまったけど、私がよくわかっていなかった。なんて馬鹿だったんだろうと心から反省している」
 虐子が深く頭を下げる。今までの見たことない変わりように有子は驚きを隠せない。
「有子はこの世界にいた方が良いと思うかもしれないんだけど、私は帰りたい。だからその助けをして欲しい。私にはもう信用できる相手は有子しかいないから」
「私も同じで、この世界は居心地が悪く感じている」
 有子がそう答えると、虐子は小さく笑みを浮かべた。
 有子と虐子は前と同じように丑三つ時に校舎に入り七不思議を確認する。この世界に来た時にしたことを繰り返す。そうすれば元の世界に戻れると虐子は思っていたようだった。
 五つを終えた後、異次元の鏡と噂される大きな鏡に触れるが、何も起こらなかった。
「まただ、また同じ!! 条件が全部揃っても変わらない!! あとは何が必要って言うの!!」
 虐子が取り乱して頭を抱える。ぶつぶつと何かを呟いている。
 有子はぼうっと立って鏡を見ていた。鏡には有子と虐子以外何も映っていない。
「お前のせいだ!!」
 虐子が突然有子に向かって怒鳴り始めた。
「死ね!! 死んじまえ!! 死んでしまえ!! お前がいるから帰れないんだ!! 殺してやる!!」
 虐子の取り乱した様子を、有子は冷ややかに見下した。
 少し前の謝罪は上っ面だけで、本心は今口にしたような言葉なのだろう。有子が今まで受けてきたことを、虐子はまだわかっていないようだった。
「何笑っているんだ!! 何がおかしい!?」
「え?」
 鏡の方を向くと、楽しそうに笑う有子の姿があった。虐子は有子の変わり様にすっかり怖じ気付いて逃げ出していった。
 有子はまだ自分が自分じゃないみたいに信じられなくて顔を手で何度も触った。笑顔は笑顔のままで、何だかそれをずっと見ていると心から楽しい気持ちになった。

 異次元世界からの脱出の仕方はなんとなくわかっていた。こちらの世界にやってきたのが昼間だったから、七不思議を昼間に確認するのが正しいんじゃないかと予測した。一つ問題なのが、最後の七不思議である少年が現れるかどうかだった。元の世界に帰るためにも少年が必要かもしれない。
 だけど、考えるよりも試すことができるなら試すしかなくて、結果少年は現れなかったが元の世界に帰ることができた。
 あの少年は一体なんだったのだろう。
 虐子は元の世界に戻ると狂喜乱舞して意味のわからない言葉を叫びながら走り去っていった。
 そしてあれから何年か経った。
 有子は大学生になり、環境が変わって今を楽しんでいる。それは細かい変化が良い方に作用していったのかもしれないが、やはりあの鏡があったおかげのように思ってしまう。
 鏡の異次元世界で環境が変化すれば全て変わることを知った。そこは今までと違い、居心地の悪さや気持ち悪さを感じるかもしれないが、次第に慣れて肯定できるようになっていくことを知った。
 有子は世の中には二種類の人間がいると思っていた。
 生きるべき人間と死ぬべき人間。
 有子がいじめを受けているのは死ぬべき人間だからと思っていた。けど、それは自分自身が勝手に決めたことで、本来人間は分類なんてできるはずがない。
 不幸であり続けていたとしても、いつか幸福はやってくるはずだ。それはひょっとしたら根本的な問題を変えてしまうくらいのことかもしれない。
 有子の場合、環境が変わって深刻に悩んでいたことが嘘みたいに消えてしまった。それまで自分の中にあった誰が生きるべきで、誰が死ぬべきなのかすっかりわからなくなってしまった。
 今になって自分自身を苦しめるような決まり事を勝手に作っていたことに気が付いた。まるで全てがその指標通りになっているように勘違いし、抜け出せない絶望に囲まれるようにしていた。
 けど、それは違う。人間が生きるか死ぬかなんてもっと単純なものだ。生きたいと思えば生きられるし、死にたいと思えば死ねる、初めから決まっていることなんて何もない。
 話は変わるが、あれ以来虐子と会っていない。噂では交通事故に遭って死んだ、自殺した、精神に支障を来たして入院したとはっきりしたことはわかっていない。元気にしているか少し気になっていた。
 帰路の途中にある公園をふと見た時、見覚えのある制服を着た人がいた。
 あれは高校時代の制服だろうか、けど着ている人の年齢と服装が合っていない。まるで下手なコスプレをしているようだった。その人は口の端から涎を垂らして目が虚ろでどこを向いてるのかわからない。始めは誰なんだろうと思ったが、頬に一筋の傷跡があるのを見て虐子だとわかった。
 不思議と楽しく笑ってしまう。だが、自分でおかしいことに気づいて、首を振って気を紛らわした。
 人間には自分でも気が付かない嗜虐心があるように思えて仕方がない。いじめていた虐子もそうだが、いじめられていた有子にも確かにあった。それが消えない限り、また同じいじめが起き、人を苦しめ続けるような気がしてならない。
 嗜虐心を持ち続けてしまうのは人間の性なのだろうか。信じたくはなかった。
 人間には他の動物と違って理性がある。きっとそれは人の不幸を可能な限り取り除くことのできるはずだと考えたかった。

いじめられる有子といじめる虐子が異次元の鏡によってへ謎の世界に飛ばされる。そこは有子と虐子の立場が逆転した世界で、いじめている有子といじめられている虐子になった。有子にとってその世界は都合が良かったけど、同時に居心地の悪さを感じる。あまりにも上手く行き過ぎて気持ちが悪かった、みたいな感じです。 内容は説教臭い話だと思います。

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-08-07

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