14、ボウイが絆?

14、心の医者も自分の心は救えない?

 14、心の医者も自分の心は救えない?


 理沙は今日もまた自分で自分の気分をあれこれ探っていた。
(今日は――沈んでいる。昨日はいらいら。こう日替わりじゃたまったもんじゃないわ。)
このままでいいわけがない。でも抜け出られない。その理由も半分位はわかってる。
(多分・・・欲しいものが手に入れられないから。そう簡単に得られるものじゃないし。――共に生きていく人。お互いの日々を気付かう様な愛..・・・フゥ・・・なんか笑える。)



そうは言っても四十五にもなると愛なんてそうそうあからさまに口にするのは恥ずかしい。ただ現実は女である事をまだ捨て切れない中途半端な時期。それが腹立たしい。仕事もやめるわけにもいかない。どこをみても未練と現実に手足を引っぱられている気がした。
そして今日は月曜日。また似たような一週間が始まった。
 


 「おはよう。ところでお見合いはどうだった?」

「悪くはないかな。心配したより話もあうし。私、父みたいに無口でただ真面目って苦手で。」
恵美の中にあわい期待が見え隠れする。

「それじゃもしかしたら近いうちに結婚なんて事もあるかしらね」

「それはどうか。まだ知らない人も同然ですから。」

「確かにそうね。よく見極めないとね。」
そう言いながら理沙は十年付き合っても研二の気持ちを理解出来ずにいた自分を思い出して世の中の皮肉を感じていた。



「さて、仕事を始めますか。今日の予約は?」

「今日はびっしり詰まってます。忙しそうですね。」
忙しい――その言葉に理沙の心が凍っていく。かつては忙しさが自信と活力の源だったのに。理沙は診察室に入ると大きな窓をめいっぱい開け放し、ひんやりとした空気で雑念を凍らせる。その時恵美が受付から顔をだした。

「先生、そう言えばこの間来なかった人が今日来るみたいです。」

「本当に?今日は大丈夫かしら。」

「さあ・・・。でも今日の予約は本人からではないんです。」

「どういう事?」

「区役所の人からで。一緒に来られるそうです。」

「ふーん。もしかして――生活保護?」
恵美は首をひねって黙ったまま奥に消えた。



「それにしても一緒について来るなんて。余程どうにかしてるのかしら、その人。」
理沙はひっそりと呟いた。
理沙の気分はさらに重くなる。できる事なら面倒は避けたい。それが今日の正直な気持ちだ。だいたい始まる前から終わりが待ち遠しいのだから。ただし長いキャリアで仕事の進め方は体に沁み込んでいる。患者への思いやりの笑顔も、慎重な言葉の選択も忘れてはいけない。そうでないとつまらない失敗を招く。その為に自分の心の重さはひとまずどこかに投げやらなければ。理沙はそう言い聞かせながら夕方までの仕事をいつもの様にそつなくこなしていった。



そして五時半。次の患者との約束まであと三十分。推測に囚われるのを嫌いめったにしない事だが何故か次の患者が気になり思いをめぐらしていた。
(四十五歳。女性。多分――生活保護かわけあり。身内がいないとか。どちらにしても幸せには程遠そうね。)
そこまで来て理沙の気持ちがざわつく。
(どうしたのかしら?――事情を抱えた人なんて今始まった事じゃない。生活保護の人も何人も見てきた。どういう環境にあろうがここに来る時は皆幸せじゃないし。ただ――)



 理沙の住む駒沢には住む場所を失った人に一定の期間安い賃料で部屋を提供する区の施設があった。
そこには生活の更正を目的として監督を受けながら暮らす人と、単にわけがあって家に住めないかまたは住む場所を失った人に部屋を貸す宿泊所と呼ばれるものがある。どちらにしても幸せとは言えない事情を抱えていることは間違いない。家庭内暴力、借金、その上無職で頼れる身内もいない。万一いたとしてもいないに等しい関係しか持たない孤独な人達。普通に暮らしている多くの人には無縁の場所だ。そういう場合世間の評価は大きく二分される。



自分とは無縁だからこそ単純に気の毒と同情する者と、本人の生き方に問題があったと批判的に見る者。ただ両者に共通しているのは一つ。完全に自分とは切り離しているという事。そんな人々の中にもかつては自分と同じ様にごく普通に暮らし、幸せな家庭があったかもしれないなどとは考えない。この世には大きくつまずいて始めて知る身内の冷たさがあるなんて思いもよらないのだろう。
自分とは無関係と考えている世界に足を踏みいれる未来がくるかもしれないなどとは想像もしないのが人間というものらしい。



 一方人生の失敗にどうにかこの施設にたどり着いた人達もそんな世間の目を気にしている。当然そんな中で心の平静を保てず理沙の病院を訪れる人も少なくはなかった。時には病気に逃げ込み必要がないのに来る人もいる。
そのせいなのか理沙には実のところ心の奥にしまっている本音がある。それをどんな言葉で表現すればいいのか――努力の足りない人?――甘えている人?――どう言えばいいのかわからない。ただ他の患者と等しく接しているつもりでも自分にひそむ思いは隠しきれない。その本音が彼らへの誠実さを揺さぶっていた。



(人の幸も不幸もそのすべてが本人がもたらすものとは言えない。――そんな事はわかっている。だけど人生の無計画、忍耐のなさ、勝手な生き方が不幸を呼ぶのも事実だわ。その果てに病気に救いを求めるなんてどうかしてる。でも――医者としてそれは口にしてはいけない。)
そう思いつつ理沙も医者という肩書きを取ってしまえば普通の人と変わりはない。結果、心の奥に隠した彼らへの責めの感情を抑えながら優しい表情を浮かべながら薬を処方する。そこにはもちろん無理がある。


どれ程彼らの苦しみ、悲しさを頭では理解できても気持ちが彼らの内なる思いに到達しない。その事実が彼らにとって時に差別やおごりに見えている事まで思いいたらない。両者の間にはいつも一定の距離が存在し縮まる事はない。自分の知らない世界との交わりは口で言うほど容易ではない。
(ああ――なんてやっかいな仕事だろう。)

14、ボウイが絆?

14、ボウイが絆?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-04

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