考える自由を与えられていない人たち
考える自由を与えられていない人たちがいる。
何が正しいかを決めるのは全て上の(偉い)人たちで、自分たちはただそれに従うだけ、
もしも、それに逆らったりすると、(見せしめとして)袋叩きにあって、しかも誰も助けてくれない、
という世界の中で生きている人たちだ。
(正確には、<世界>というよりも、そういった<世界観>)。
上の人の決めたことに従うことで自らの安全を得ている(/自らの安全が保障される)わけだから、自分で勝手に考えるなど、もってのほか。
できる(=許されている)ことと言えば、せいぜいが、
上の人たちが決めた枠の中で攻撃してもよいとされている対象(※仮想敵とか)に関して、「あれはけしからん」「そうだ、そうだ」と、くだを巻くか、
あるいは、上の人たちが決めた方針がうまく行くように裏で画策したり、
その方針をうまく行かせるための方策を発案することくらい。
いずれの場合でも、決められた枠に触れないようにその中で動くことが最優先。
上の人たちが間違っているかも知れないとか、上の人たちよりももっといい考えがあるかも知れないといったことは、最初から考えないことになっている(/している)。
ただ、それでは立ち行かない時が来るのだが、残念ながら、その時が来るより前に、当人たちがそのこと(=それでは立ち行かなくなるということ)に気づくことは、あまり、無い。
なぜなら、世の中にはそういった上の人たちにこびへつらうことで自らの地位を確保している人たちがいて、そういった人たちが、<上の人たちの言うとおりにしたことで、成果や栄光につながった>といった話を流布するので、それを鵜呑みにしてしまって、<この先には成功や栄光しか無い(=これ以外に道は無い)>なんて思ってしまうのだ。
ただ、流布されているそういった話は、(第三者から見れば)かなり都合よく再構成されている場合が多いのだが、<上の人たちに従ってばかりだと、まずいことになるかも知れない>なんて考えると自分の立場が危うくなってしまうので、<流布されているそのような話がまぎれもない真実で、だから、今現在、上の人たちに従っている自分の将来も絶対、安全なのだ>と信じてしまうわけである(=万一、それが真実でないと自分が困るから、<それは真実に違いない>と思い込むということ)。
考える自由を与えられていない人たち