東京下町ブギーTokyo Down Town Boggie~第1章「はじまりの音」~

東京下町ブギーTokyo Down Town Boggie~第1章「はじまりの音」~

僕の名前は米山涼。1980年生まれの28歳。もう東京に来てから、8年が経つ・・・・。

これは、人生の生き方を模索する青年の物語である。
華の都「東京」に憧れた青年・・・。だが現実は・・・。

東京の下町商店街の人々に触れ、涼の心は少しずつ成長していくのであった。

~第1章~「はじまりの音」

僕の名前は米山涼。1980年生まれの28歳。
もう東京に来てから、8年が経つ・・・・。
岡山県津山市内の高校を出てから、特に当てもなくバイト生活をしていたが、「東京」という町に強い憧れをもっていた。田舎者によくある事だ。
親の反対もあったが、バイト生活を続けるよりはマシと両親も折れ、しぶしぶ僕を東京に送り出してくれた。何のあてもなかった。若気の至りというやつだ。「東京なら今までの自分を変えられる」そんな漠然とした期待があった。

東京に出でからもそうそう上手くは行かず、相変わらず転々とバイト生活を送っていたが、近所のスーパーで買い物をしているときに「バイト募集!初心者大歓迎!」というチラシになんとなくやってみようと思った。スーパーの店員ならなんとなく楽そうだとも思った。それに、今やっている居酒屋のバイトも自分には向いていないと思っていたところだった。

そんなこんなで、京浜急行北品川駅に程近い商店街の食品スーパーで2年前から働いている。1年前から正社員として雇ってくれる事になった。
「フレッシュマート・ナガタ」は従業員は8名。内4名は永田さん一家だ。オーナーの永田夫妻の和夫さん、都子(みやこ)さんとその息子夫婦の義人くん、麻里子ちゃんだ。社員は僕と細野さんという24歳の女の子。「フレッシュマート・ナガタ」は昔八百屋をやっていたが、オーナーの和夫さんが20年くらい前に食品スーパーに改装したそうだ。当時はまだまだ景気が良く繁盛したようだが、近年は商店街自体が人通りが少ない。当然「フレッシュマート・ナガタ」の業績も右肩下がりだ。追い打ちをかけるように、近場に大手スーパーマーケットが先月オープンしている。
とはいえ、「フレッシュマート・ナガタ」は地元に密着した店だ、古くからの常連さんも沢山おり、僕も毎日買い物に来るおばあちゃん達とそれとなく会話も出来るようになってきた。

家族経営のスーパーはそんなに楽ではなかった。というより過酷だ。僕は毎朝5:20に起き、シャワーを浴び、簡単な朝食を食べる。食事は大抵売れ残った弁当を都子さんが僕に持たせてくれていた。5:45には家を出る。早朝、少し冷たい春先の澄んだ空気は原チャリ通勤には気持ちいい。早起きが苦手な僕だけど、意外と嫌いではない。6:00には店につき市場へ出かける、これは義人くんと僕の仕事だ。義人くんは僕より3歳年上の31歳だ、下町っ子で明るい性格、自分の仕事に誇りを持っている。僕とは正反対だ・・。
義人くんは車の中で、
「親父ももうすぐ、引退するんだよね・・。来年で定年だもんね。そん時は涼ちゃん頼むよ!」
「あっ・・あ、そうっすよね!」
僕は、少しだけ声を張って、笑顔を作ってみせた。実際はいつまでこの仕事を続けられるか不安だった。いい条件の仕事があれば、転職しようとも考えていた。ただ、ここの職場の人たちはみんないい人だ、だから自分が辞める事で、みんなに迷惑をかけたくないとも思っていた。

市場に着くと、いつものように市場のおじさん達が話しかけてくる。
「ヨシトちゃん、おはよう!今日は小松菜が安いよ!・・・安すぎてコマッツナ。だはは・・」
朝からしょうもないダジャレに義人くんはイヤな顔一つ見せず
「今度買うから、ちょっとマッツナ(まってな)!なんてね!わはは・・」
とさらっと返す。義人くんは意外と頭の回転が速いと僕はいつも感心する。家族経営の食品スーパーは大手スーパーと違って「データ!データ!」と騒がない分、自分の頭で瞬時に判断する能力が培われているんだと僕は想像している。
今日は、質のいい「タラの芽」を目玉として仕入れた。天ぷらにすると本当に美味しい。厨房で都子さんが作る日替わり弁当にも入れる予定だ。僕はまたいつものように弁当が余らないかと、心の中で少し期待していた。

8;15に店に戻ると、和夫さんと、麻里子ちゃんが店の準備をしていた。和夫さんは昨年腰を痛めてから、荷物を運ぶ時はいつも「あいたたたー」と言う。今は腰も少し良くなり、さほど痛くは無いようではあるが、「あいたたたー」が口癖のようになっている。義人くんはからかって
「あいたたおじさん、おはよう!」
といっていた。和夫さんは、
「うるさいわ、ジャガイモ息子が!もう、来年は仕事しねえからな」
と言いながらも顔は嬉しそうである。立派な後継ぎ息子に安心した表情をしている。
麻里子ちゃんはいつも義人くんの弁当を作ってきて、市場から帰るときに義人くんに手渡していた。なかなかマメな嫁である。
都子さんは厨房でお弁当や総菜を作っている最中だ。早速都子さんに今日の目玉のタラの芽を手渡した。
「まあ、おいしそうね。これ涼ちゃんが仕入したの?いい目してるわ。」
「はい、義人くんにアドバイスもらいながらでしたけどね。ありがとうございます!おいしいお弁当できますね。」
「天ぷらにしてあげるから、後でちょっと食べてみる?」
「いいんすか?ありがとうございます!」
都子さんは、本当に働き者で、面倒見がいい、僕の事も可愛がってくれている。タラの芽の天ぷらをつまみ食いさせてもらった。やっぱり美味しい。僕はちょっと塩をつけて食べるのが好きだ。

9:30には、細野さんも出勤してくる。細野さんは地元の子で、実家から自転車で通勤してくる。レジ打ちが得意でとても気が効く。気さくでお客さんからの評判もいい。生鮮担当の僕より親切丁寧に今日のおすすめ野菜をお客さんにすすめている。料理も得意で、美味しい食べ方まで付け加えられては、僕の出番はない。という事でお客さんは細野さんに買い物の相談する人が多い。

総出でバタバタと準備をし9:55に店を開ける・・・・・。
18年前に作ったという、店のテーマ曲も同時に流し始める。
(~フレッシュ~、フレッシュ~、ナ・ガ・タ~、あなたの冷蔵庫~、いいものいっぱい~・・・)
正直ダサイと思っているが、リピートして流れているので、頭に焼きついてしまう。気がつけば鼻歌を歌っている事が良くある。忘れようと思っても頭の中でずーと流れている。休みの日も無意識に口ずさんでしまうから厄介だ。
オープンした後も、品出しやら、値札の作成やら、特売コーナーの設営など、いろいろとやる事は山積みだ。近場のお宅には配達もやっている。お年寄りが多いため、配達サービスはとても好評だ。
夕方には商店街も車両通行止めになり、歩行者天国となる。ただ、昔のように人通りが多くはない。17:00頃が一番忙しい時間帯だ。店の前は自転車や、おばあちゃんの押し車でいっぱいになる。
「いらっしゃい!いらっしゃ!本日の目玉品!タラの芽~!大変お買い得!今が旬だよ~」
義人くんはマイクでお買い得品などのアナウンスをしている。
惣菜コーナーでは、今朝のタラの芽の天ぷらの入った弁当はとても人気があった。このままだと完売してしまうなと僕はおもっていた。今日の夜はタラの芽弁当は無しだなと思った。ばたばたと働いていると時間が経つのは意外と速い。外はだんだんと暗くなってきた。最後のお客さんを見送り20:10に閉店した。
店が閉まると、和夫さん、義人くん、僕の3人で、表の商品を店内に片づけていく。細野さんは売上の集計をして、20:30には帰宅する。和夫さんもそのころには、帰ってしまう。いつも最後は、義人くんと僕で片づけを終わらせる。
「涼ちゃん。おつかれ~。あっ、今日も弁当あるよ。持って帰るだろ?」
「え?いいんですか。いつも、有難うございます。」
てっきり売り切れたと思っていたタラの芽弁当。どうやら都子さんが僕の為に1個とっておいてくれたようだ。栄養ドリンクも1本入っていた。「都子さんありがとう。」涼は母の日には都子さんに何かあげようと思っている。

慌しい1日が終わり、店から原チャリで8分程の所に僕の家がある。と言っても築40年のボロアパート。帰ってきたのは夜の22:25。今日は月末の処理で時間がかかってしまった。明日も朝は早い。
帰りのコンビニで買ってきた缶ビールを開けながら、タラの芽弁当を食べている。もう体はくたくただ。僕は弁当を机に置いたままテレビをつけた、しょうもないバラエティー番組に少し可笑しく思えたが、内容はさほど興味が無かった。僕はひとりぼんやり自分の人生について考えた。考えたというより、独り言に近いものだった。
「僕は何のために東京に来てるんだろうか?・・・」
「僕の人生っていったい何なんだろうか?・・・。」
「僕はいったい何がしたいんだろうか?・・・」
涼はいつの頃からか、心の中でそんなことばかりつぶやく様になっていた・・・。もはや、東京に来たばかりの不安と希望が入り混じった緊張感はどこにもない。ただ惰性で生きているように思えた。

涼の仕事は、決して誰もがうらやむ仕事でも無ければ、待遇がいいわけでもない。むしろ、昔の同級生達と比べれば比べる程惨めな気持になった。
見渡せば、築40年の小さなボロアパート、仕事にそこまで想い入れもない。ぼくはこのままずっとここで生きていくのかと情けなくなってきた。職場の仲間はみんないい人ばかりだ、自分の仕事や人生もそれなりに充実し、裕福ではないにしても活き活きと暮らしを送っているように涼には見えた。
・・・うとうとと、涼はそのまま布団に倒れ込むように寝てしまった。

数日後・・・
朝9:00頃、義人くんから電話があり、僕は慌てて飛び起きた。「やべ~遅刻した」と思ったが、今日は定休日だった事を思い出しホットした。
「お~涼ちゃん。朝早くごめんね。今夜近くのバーでライブがあるんだけどさ~見に来ない?友達がライブするんだよ。今夜時間ある?ってか来るよね。あはは」
と誘われて、僕は特に用事もなかったので、行ってみる事にした。
「あ・・。はい、大丈夫です。」
「ん?大丈夫ってどっちだよ?あは・・相変わらずはっきりしないやつだな。ま、いいや、じゃ18:00に店においでよ。悪かったな、休みの朝に。・・・じゃあね。」
店に来いというのは、「フレッシュマート・ナガタ」の事である。永田さん一家は店の裏に住まいがある。
今日行く、バーは「フレッシュマート・ナガタ」から歩いて5分程の駅前の商店街にあるらしい。
ライブにはさほど興味も無かったが、気さくな義人くんと飲みに行くのは好きだった。自分の事も何でも話しが出来た。なんだか実の兄貴みたいに思えた。義人くんの電話を切り、そういえばライブなんて今まで行った事ないなと想いながら、また眠りについた。

起きたのは、16:40頃だ、ずいぶんと寝てしまった。日ごろの疲れがたまっており、最近は休日と言えばほとんど寝ているなと思った。
17:50に涼は「フレッシュマート・ナガタ」についた。休みの日に店に来るのは初めてだった。20年前改装したスーパーの看板の下には、昔の八百屋時代の面影が見えた。「永田生鮮店」と小さな文字の跡がうっすらと読めた。和夫さんが食品スーパーに改装した時どんな気持ちだったんだろうかと思った。きっと人生の一大イベントだったに違いない。僕が東京に来た時と同じ様に、不安と希望が入り混じった緊張の連続だったに違いない。いやいやフリーターだった僕とは比べ物にならない壮絶なものだと思った。今では「あいたたおじさん」と呼ばれている和夫さんの事が、とても大きく思えた。

18:03頃になり、義人くんから電話があった。
「お~今どこだ?」
「お疲れ様です。あ、もう店の前にいます」
「来てるなら、連絡しろよ~。涼らしいな。あはは」
「すいません」
「ちょっとまってて、今行くから」
数分してから、義人くんが出てきた。仕事中はだいたいベージュのズボンと、店のジャンバーにスニーカーという格好だが、飲みに行くときはラフな服装だ。あたりまえか。まだ私服を3~4回しか見た事がないので新鮮である。
今日は、ジーンズをはいている。赤と黒のチェック柄のシャツで、皮のブーツ、ハンチング帽子をかぶっている。
そこまでおしゃれとは言えないが、年相応な見た目だ。正直普段は40代と間違えられている。お客さんに和夫さんの弟と言われた事もあるらしい。
涼は、細めの黒いパンツと、濃いめのデニムシャツ。今日は寒いのでグレーのパーカーをその上から羽織っていた。出かける時はだいたいそんな感じだ。というか服をあまり持っていない。、
「お~、涼ちゃん休みの日に呼び出して悪かったな。」
「いえ、僕ライブにいくの初めてなので、楽しみです。」
と涼は、少し大きな声で笑顔を作って見せた。
「マジ?そっか~。ライブいいよ。さ~今日は飲むぞ~」
「はい、ごちになります!」
「お前、ちゃっかりしてるな~。まっいいや、今日はおごってやるよ。いっつも涼ちゃん頑張ってるからな。」

2人はバーに向かって歩き出した。夕日はもう沈みかけ、商店街の街灯がついている。涼はなんで突然ライブに誘ったんだろうかと少し気になったが、特に義人には聞かなかった。
義人は、相変わらず野菜の話しばかり熱く語っている。涼はただただ頷いていた。涼は自分にはこんなに熱く語れるものがあるだろうかと思ったが、特に浮かんでこない。自分はこの28年間いったい何をやっていたのだろうか?と心が暗くなった。ライブに行くのも億劫になっていた。でも、そんな義人を見るのは好きでもある。自分にはない物を感じていた・・・・。

店は、渋めのライブバーの様だった。入口に「LIVE BAR MUDDY WOOD」と書いてある。
オーナーの木田さんの名前からとった店名と義人くんから聞いた。
アメリカっぽい感じだ、正直若い人と言うより、中年層が多そうだった。木造っぽい作りで、ネオンやら、英語のプレートやらで装飾されている。表の看板には、「本日のライブ BIG ONION ~この3匹の野良犬に注意せよ~」と書いてある。
ダサイ名前だと思ったが、義人くんの友人と言う事を思い出し、言葉を飲み込んだ。

店内には、古いアメリカっぽい音楽が流れていた。予想通りの雰囲気と客層も中年層がやはり多い。30人位はお客が入っていた。若い人は、端っこのカップルと、いかにもバンドやってますっていう感じの若い男子が3人いた。

こじんまりとした店内に所狭しとライブの機材が並ぶ。僕たちが座った席はステージ横のテーブルだった。
「涼ちゃん、なんか食うだろ?」
「あ、はい。おなかへっちゃって。」
「これうまいよ」
義人くんは、メニュー表を指さし焼き肉丼を2個注文した。店の雰囲気とメニュー内容のギャップに違和感を感じたが、義人くんはたぶんよく来る店だと思ったので、何も言わなかった。オーナーの木田さんは、元々ここで定食屋をやっていたらしい。メニューはその名残のようだ。客層に中年層が多いのも定食屋時代からのお客さんも多い様だ。
「あと、生2つ、あと、これとこれも2つづつ」
焼き肉丼とビールと幾つかのつまみを食べた。ライブは19:00からだ。まだ時間は少しある。腹ごしらえをして、ゆっくりビールでも飲みながらライブを見る考えだと思った。

ちょいちょいいろんな人が、義人くんに話しかけてくる。よっぽど常連なんだろう。すると30代前半くらいの2人が僕たちの横に座ってきた。
「よっちゃん、おつかれ~」
「よっちゃん、どもども~」
とても親しそうである。ちょくちょく会っているのだろう。
「おめーら、どこいたんだよ~」
と義人くんは2人に言う。
「いやいや、リハ終わったからちょっと、近くの居酒屋いってきてさ~」
そこで今日のライブは義人くんの友達がやる事を思い出した。きっとこの2人の事だろう。僕は話掛けることにした。
「あ、はじめまして。義人くんの店で働いている米山涼と言います。今日ライブ楽しみにしています!」
義人くんも慌てて、僕の事を紹介した。
「あ、ごめんごめん。うちの店の子。いつも頑張って働いてるからさ、今日は楽しんでもらおうとおもってつれてきたんだ・・・で、こちらはBIG ONIONの、山根と鈴森。あ、高校の同級生・・そうそう。」
「ど~も、山根で~す。涼くんの事よっちゃんからちょいちょい聞いてるよ。なんか頼りなくて、兄貴づらしちゃうんだよな~とかいっちゃって~こいつ~。あ~ごめん。頼りないって、別にそーいう意味じゃないからさ」
山根さんは少し酒臭かった。だいぶ酔っているらしい。
僕はうれしかった。義人くんがそんな風に僕の事を想っていたんだと始めって知った。
「おめーら、いちいちそんな事言わなくていい~んだよ」
と義人くんは少し照れくさそうである。

時計を見ると、時刻は19:12を回っていた。そういえば19:00スタートとなっていたはずだが、こういう店では多少その辺はルーズなんだろうと思った。僕は、山根さんに言った。
「山根さん。時間大丈夫なんですか?」
「ん?あ~、そうだな。そろそろ準備すっか」
山根さんは立ち上がり、ステージに向かいドラムの調整を始めた。鈴森さんも何やらベースアンプのツマミをグリグリと回している。
いったい、どんなライブをするんだろうか。僕はだんだん楽しみになってきた・・・。

そういえば、表の看板には「この3匹の野良犬に注意せよ」と変な事が書いてあったが、今ステージには山根さんと鈴森さんの2人だけだ。僕はなんかすっきりとしない感じがした。

涼の隣では、義人がごそごそとしている。
「じゃ、俺もいってくるわ」
義人は、涼の肩をポンと叩いて立ちあがった。涼はぽかんとした。しばらく状況が飲み込めないでいた。
義人は、ゆっくりとステージに向かって歩き出した。そしてステージに上がった・・・・。
涼は、ハッとした。口はぽかんと空いたままだ、瞬きもするのを忘れていた。
「え・・義人くん!・・義人くんがやるの!?」
涼は自分でもびっくりするくらい大きな声が出ていたが、周りの歓声にかき消された。近くの数人は「こいつは、何を言ったいるんだ?」といった表情で涼の事を見ていた。
義人は涼に拳をかざしたあと、山根に合図を送った。会場は歓声に包まれ、山根のドラムがダダダダッダと轟き、ライブは始まった。いい感じの所で鈴森の軽快なウォーキングベースが走り出した。義人は目をつむってリズムをとっている。しばらくしてブルースハープをポケットから取り出して、ブホッ、ブホッ、ブホッ~と聞いた事もない泥臭い音で、メロディーを吹き出した。いや、メロディーと言うほどきれいなものではない。トラックの排気音みたいな音だった。だがとても心地いいと涼は思った。
ひとしきりブルースハープを吹いた後、義人はスタンドに立てかけてあった、ギターを担ぎ、素手でベキベキと弾き始めた。刃(やいば)同士がぶつかり合うような鋭い音はとても攻撃的である。だがなぜか楽しい気持ちになった。ノリはいい。観客も1人、2人と踊りだす。
この音楽はいったい何だろうか・・・・?
涼の頭の中は、まだはてなマークがいっぱいである。
ようやく、義人は歌い出した。これは英語だ、聞きなれない感じの音楽だ。義人は仕事の時とは別人同然だった。ネイティブな発音に、ざらついた歌声。「この3匹の野良犬に注意せよ」という紹介文の意味を涼はようやく身をもって体感した。涼の足はリズムに合わせてステップを踏んでいた。

5曲目が終わり、45分のライブも終盤に差し掛かった。義人はいつもの職場の義人の雰囲気にふっと戻りこう告げた。
「次が最後の曲です。今日は、ゲストが来てます。」
観客席ははてなマークだ。メンバーの山根と鈴森も「きいてねーよ」と言わんばかりに、顔を見つめあう。

「涼、あがってこいよ!」

涼は耳を疑った。聞き間違いだろうと無視していたが、義人は明らかに涼の目を見ている。涼は、頭が真っ白になった。「なんで?なになに?・・・。」ぜんぜん意味が分からなかった。
「だいじょうぶ、涼あがってこい!」
義人の目は、いつもの職場の目だった。いわれるがまま涼はステージに恐る恐るあがった。ステージからは観客がライトで見えにくいが、観客の顔が強ばっているのを感じた。隅っこで、「誰、あいつ?」という声も聞こえ、涼は一層顔が引きつっていた。
「こいつは、俺の店で働いてる涼だ。いいか、ブルースが生まれる瞬間をみんなに今から見せる。」
と義人は言い切り、僕にブルースハープを手渡した。
「え?・・・・僕吹いた事無いよ・・・・無理無理・・」
涼は、義人に小声で言った。
「だいじょうぶ、ここの穴をだけを吸えばいい、リズムはお前の好きなようにやればいい。思いっきり吸えばいいんだ」
ブルースハープの10個の穴の内、1つの穴を指さし、義人は小声で言った。
「えっ、え~・・無理無理。無理です・・・ちょ、ちょっと。・・え~。」
涼の言葉を聞こえないふりして、義人は山根に合図した。
山根は、何かを察したしたようだ。躊躇なくドラムを叩き始める。同じく鈴森もにやにやしながらベースラインを弾き出した。義人は涼の肩を叩き、
「よし、吹け。いまだ!」
といい放った。観客は僕に注目している。もう後には引けない。

・・・・吹いた・・・。

というか、言われた通りの穴を吸った。思いっきり吸った。

(ブヲ、ブヲ、ブヲヲ~)

自分でも聞いた事のないハーモニカの音が、アンプを通り、会場に響いていた。決して上手くはない。当たり前だ。それでも観客は楽しそうである、また踊り出す。
いつの間にか、緊張感は無くなり、思いっきり吹いた。というか吸った。思い切り吸った。息が苦しい。途中で何度も咳き込んだ。でも何だか今まで体験した事がない胸の高まりを涼は感じていた。演奏はあっという間に終了した。それでも4~5分はやっていたようだった。
演奏が終わっても涼の足は、まだガタガタ震えている。耳もキンキンしている。汗だくだ。現実と思えない感覚に浸り。しばらくまたぼ~としていた。

義人はそんな涼を満足げに眺めて、にやにやしていた。涼もなんだかにやにやしていた。
ライブは終了した。

ライブ終了後は、お客さんもステージに上がりセッションが始まっていた。みんな上手だった。お客の中に近所のすし屋のおじさんもいた。人っていろんな側面があるんだなと涼は思った。

義人と涼は明日も朝が早い。まだ冷めやらぬ熱気の中先に帰る事にした。
「涼くん、またね!」山根は言った。
「すいません。下手くそで・・・」
「ん?・・おれも下手くそだからね。あは。いいんだよ~じょうでき。じょうでき~」
涼は相変わらず山根は適当な事を言う人だなと思ったが、少し可笑しく思えた。

店の外に出ると、ひんやりとした風が心地よかった。汗がすぅーと引いていく。
街はいつもの街となんら変わらない。だけどいつもの街が新鮮に思えた。
帰りに、義人は涼に言った。
「明日は、小松菜を沢山仕入よう~。沢山買って市場のおっさんにもっと値切ってやるわ。あはは・・」
義人はいつもの義人に戻っていた。涼は、この人変な人だと改めて思った。でも、涼の顔はにやついていた。
義人はライブの事や、今日やった音楽の事には特に触れない。涼も何となく触れなかった。いったい今日のは何だったんだろうか?
でも何となく、わかる様な気もした。義人から何かを受け取った気がした。
涼はこのとき「フレッシュマート・ナガタ」でもう少し働く決心がついた。義人ともう少し一緒に働きたくなった。
今日は多分なかなか寝付けそうにない。涼の心はまだ興奮していた・・・。


つづく・・・・・。

東京下町ブギーTokyo Down Town Boggie~第1章「はじまりの音」~

つづく・・・かも。

東京下町ブギーTokyo Down Town Boggie~第1章「はじまりの音」~

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-08-03

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