彼の得意芸

木坂 広


 エレベーター係の塚田一雄は若い頃、コメディアン志望だった。週刊誌にビートたけしが自伝風のエッセーを連載していて、その中に浅草のフランス座にいた頃のたけしと一緒に写っている写真があった。
「ビートたけしは、どんな人だったの」私が聞いたら、
「頭のいい男だったよ」
 そう答えただけで当時のことは話題にしたがらなかった。彼は家具会社のエレベーター係でしかないことに屈折した思いを抱いている。私は別の兄弟会社で仕事をしているので、あまり行き会うことがない。が、その日は昼飯を食べた後、珍しく広場で立ち話をした。
「俺もいっぱしの芸人になって、郷里に顔を見せたかったな」
「テレビで売れればたいしたもんだけどな」
「そうはならなかったよ」
「ところで、田舎はどこ?」
「北海道。先祖は樺太(からふと)だけどね。チェーホフがサハリンに取材に来た時、島民の曾祖父だかが、握手したという逸話が伝わっているよ」
「へえ、凄いな」
「あんた、チェーホフを知っているかい」
「知らないはずはない。だって俺、作家志望だもん」
「やっぱりそうか。あんたを見た時、小説家とかそういう人に成り損ねた人に見えたな」
「成り損ねたねえ」
 少し腹を立てながら、そういうお前は何だと心の中で呟いた。塚田一雄は小柄で地味で、と言うよりもパッとしない男である。酒が好きで飲み過ぎることがあり、しばしば前借りをした。
 花見シーズンで、世間が浮かれていた頃、現場に通りかかったら皆が車座になって、塚田が飛鳥山に行ってきた話を聞いている。
「疲れたから、どこかのシートの片隅に座ったら、飲みなさいと缶ビールを奢ってくれたよ。三個くらい飲んじゃったな」
「見知らぬ人に奢るなんて、親切だね」
「だけど、そんなところに座るもんじゃないよ」
 私は侮蔑したような顔付きをしたかもしれない。塚田は怒った。
「ほかに場所がないから、仕方がないだろう」
「物欲しげに見えて、惨めだ」
「そういうつもりじゃない!」塚田は自尊心を傷つけられてムカッとした。「俺はチャンとお返しをしたんだ。演技を見せてやって、凄い笑いを取ったんだから」
「そうか、それはいい話だ」
 別の男が言った。彼の得意芸はストリッパーの真似である。私は合同の飲み会の時に見て知っている。一枚一枚脱いでいって最後に全裸になるという仕種を面白おかしくやってのけた。むろん服は着たままである。社員達は大喜びした。
「ところで、あんたは本気で作家になるつもりか。今いくつなの」
「本気だ。五十八になるけどね」
「師はいるの」
「ああ、深沢七郎先生だ」
 私はデタラメを口にした。深沢とは会ったこともないし、近づくにはあまりにも大き過ぎる存在だった。
「深沢七郎ってどんな人だね」
 そこで文学志望の友人が深沢に会いに行って、同人雑誌の小説を見せたら、キスするところがうまいと褒めてくれた、また弟子には、友人のことを「北海道から歩いてきた男」と誇張して紹介した。ハンサムな彼は深沢に無理やり、ズボンを脱がされて尻に入れられそうになったことがある。ついには逃げ出した……そんなエピソードを聞かせてやった。
「その人、ホモかい」
「そうらしいな」
「でもな、世間から認められるってことっては、大変なことだぜ」
「それはそうだ」
「まあ、小説家になるのは無理だろうな」
「簡単に決めつけるなよ」
 二ヵ月ほど経った頃である。エレベーターに乗ると、塚田が暗い顔付きで話しかけてきた。
「会社を首になったよ」
「え、何だって。どうしてだね」
「俺の仕事は必要なくなったからさ」
 つまり、会社は経費節減でエレベーター係を置かなないことにした。エレベーター以外の仕事ならあると言われたが、彼は頑として受け付けなかった。誰かの指示で動くのが嫌いである。その点、今までは人の支配下に置かれることがないので、プライドを保つことができた。
 私は返事に窮した。思いやりのない人間に見えたかもしれない。帰りは階段で降りた。彼と顔を合わせたくなかった。
 やがて塚田は会社に来なくなった。社員でなくなると、寮から出ることになるので、どうして暮らしているのだろう。彼は無口で無愛想で、常に単独行動を好んだ。そういう性格ではなかなか雇ってくれないから気の毒だ。忘れかけていた頃、塚田が亡くなったという話が伝わってきた。享年六十歳で死因は自殺だった。密葬は離婚した奥さんと娘とですました。後日、お別れ会があり、私も顔を出した。奥さんが私のところにも挨拶にきて、
「あなた様は小説を書いている方ですか」と聞いた。
「ええ、そうです」
「電話で話したことがあります。塚田は落伍者のような人が大好きなんです」
「私が落伍者ですか」
「いえ、あなた様のことではないですよ」
「じゃ誰のことですか」
「誰というわけではないのですが」
 元妻は平気な顔をしている。(ひつぎ)には娘の描いたというストリッパーの父親の絵を入れたという話が出た。似顔絵の父は、人間というよりも滑稽な人形みたいだったそうだ。私は落伍者という言葉がいつまで心に残った。

彼の得意芸

彼の得意芸

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted