封月端月の受胎

封月端月の受胎

   幻覚が私を守る恩寵なのだとするならば、
   現実と幻覚の境界はどこにあるのだろう。

執筆時期は学生時代なので今の僕からすると読むのはちょっと恥ずかしい。いつか書き直せたらなぁ……

001

――あの腹の子は何?――

 封月(ふうづき)家の屋敷。
 大広間に呼び出され、この俺、尾田切(おたきり)(あかし)は目の前の人物に尋問を行われている。
 俺は封月家の娘、封月端月(はづき)の世話係として身の回りの世話を行っていた。その内に俺と主である端月は惹かれ合い、一度だけ体を重ねた。一度だけ。
 それが今の状況に繋がる。
 詰まる所、目の前の人物は二人いる。封月端月の父と母である。
「あの腹の子は何?」
 主の母は氷柱のように冷たく突き刺すような声でもう一度問う。
「…端月と………私の子供です」
 恐怖に怯えながら、振り絞るように答えた。その言葉に、端月の母の後ろで腕を組んで考え込むようにじっとしている端月の父は、「うぅん…」と声を漏らし、また考え込んだ。
「………娘ももう子供ではありません。あなたに責任問題を追及するつもりもありません。しかし、なぜ? 子を埋めない端月が妊娠しているのですか」
「…わ、わかりません………」
 そうなのだ。俺の主、封月端月は女性機能を備えておらず。本来妊娠することはありえないことなのだ。今こうして端月の両親と三人で深刻に話しているのは、腹の子が何なのか? についてである。
 腹の子が『何』なのか………。
 人間なら、封月家の呪いはまだまだ終わっていないことを意味するが、女性機能はなぜ復活したのか疑問が残る。
 もし、人間でないのなら、それが何を意味するのか見当もつかない。

「尾田切君は、娘が妊娠出来ないことを知って、娘を抱いたのか?」
 考え込んでいた端月の父は唐突に聞いてきた。俺が、妊娠する心配のない端月が都合が良いからと身体を求めたのか。と。
「子を産めない身体をであることは知っていました。そして私は以前から端月のことを愛していました。しかし、あの時まで何もしていません。そして、あの時は端月から私を求めてきました。」
「娘が悪いと?」
「いえ、しかし、正確に状況を説明するべきだと判断しました。今問題なのは端月が本当に妊娠しているのか、それとも想像妊娠であり、幻覚の一つであるのかが問題だと考えています」
「…そうだな。………となると、いくら文殊の知恵といえど、当人が不在では答えが出ない」
「しかし、端月は今、不安定過ぎます」
 端月は今、腹の子を守る一心で誰にも心を開かない。屋敷牢で閉じ籠り身体的にも精神的にも不安定な状態だ。
「何かいい方法は無いものか………?」端月の父は再び考え込む。
 どうしたものか。
 実は俺の中では一つ考えがある。しかし、ある意味ではこの事件の原因である人物を呼び出さなければならないのが、すごく不安だ。
 わずか二週間で五ヶ月程の膨らみとなった腹の子を察するに、事態は急を要する。背に腹は変えられない。俺は腹を決め、貝木椛を呼び出すことにした。

002


「…んで、呼ばれたわけね。」
 居間でふて腐れている貝木椛に御茶と和菓子を持って来て卓袱台に座る。
「…すみません。たった一ヶ月も待たないうちに呼び出すことなってしまいました。」
「いーって、いーって。もともと月ちゃんは危ういのは知ってることだし。」
 それよりさ、と貝木椛は卓袱台に身を乗り出して、
「妊娠だって聞いたよ。相手はアンタなの?」
「…」
「あらあら。うふふ。やっぱりアンタなんだー」
「呑気なことを言わないでください。今回は周波数調整員(バランサー)として依頼しているのですから」
「箱の中身は『人か化物か』って?」
「えぇ。そうです」
「なら、そんなの病院で診てもらいなよ。エコーですぐにわかる。ってか、本当はわかってるんでしょ?」
 二週間で妊娠五ヶ月程に成長する赤ちゃんなんていないでしょーよ。
 貝木椛は和菓子の包装を開けて中にある最中を取り出すと最中を綺麗に分解して、ふたを開けるような動作で中に詰められた餡子を見せ付けて言う。
「私に何を依頼するかが問題よ。」
 貝木椛は露出した餡子を器用に摘み、取り上げると再び俺に見せる。
「出産の手助けか、はたまた中絶か」
「お、俺は………」
 きっと今ここで端月(はづき)の両親を呼び出してどちらにするか決めることは出来ない。男としてそれは出来ない。ここで俺の気持ちを聞き出すつもりなのだろう。
「俺は、端月の子供を育てたい…!」
「ふーん」
 そう言ってつまんでいた餡子を最中に戻し、上に蓋をして、もとあった最中の姿に直すと一口かじる。
「よろひい(よろしい)」
 ………貝木椛。俺の手にはおえない存在であることはもう十分に伝わった。
 恐ろしい女だ。
 貝木椛は最中の残りを頬張り飲み込むと手を打ち鳴らし、
「…よし! 屋敷牢に行きますかぁ」
 と立ち上がった。

003

 屋敷牢には、端月(はづき)が籠城をしている。
 屋敷牢には、端月が幽閉されている。
 出たいと思えば城になり、出たくないと思えば牢になる。
 今の端月は、あまり人に見せられる状態ではない。
「うわ、煙が充満してる。入れないじゃん」
 貝木椛は屋敷牢に繋がる地下階段の扉を開けるとすぐに紫煙が天井を這う。鼻腔に染み込む紫煙の匂いにすぐさま息を止める。
「今、端月は防毒面(ガスマスク)を受け付けないので、直接屋敷牢の中に煙を焚いているんです。入るときは、これを」
俺は廊下の壁にぶら下げてある天狐の防毒面を二つ取ると、一つを貝木椛に渡した。
「…本来の意味での防毒面か。屋敷牢にいる月ちゃんは酸素足りてるの?」
「大丈夫です」
 貝木椛の軽口を受け流して階段を降りる。実際。酸素が足りなくなるほど煙が濃いわけではなく。空気より軽いため、階段の上にある入り口に煙が溜まっていただけで降りていけば煙と空気が程よい濃度になる。
「誰?」
 端月の声がする。
「俺です。気分はどうですか?」
「話しかけないで。」
「………き、今日はよく眠れましたか?」
「………。」
「…まだ、機嫌を直してくれないのか。」
「………。」
 冷たい態度を取る端月に、俺はやるせなくなってしまう。ここ数日、ずっとこうだ。
「俺は端月の敵じゃない。機嫌をなおしてくれないか?」
「………。」
 貝木椛は俺と端月の様子を階段の近くで隠れて見守っていたが、見るに堪えないといった様子で、つかつかと近付いてきた。
 その足音に反応して端月は顔を上げた。
「誰?」
「助産師ですよー。やっほ。久しぶり」
「椛…」
「どしたん? 前とは随分雰囲気違うね」
「………。」
 端月は膨らんだ腹を隠すように(うずくま)り、驚きと怒りと居心地の悪さをない混ぜにした顔をする。
「依頼されて来たんだ。月ちゃんの子供を見て欲しいって。」
「………。」
「言っておくけど、これが依頼である以上、月ちゃんであろうといかなる友人でさえも、割り切って依頼を完了するのが、ポリシーでね。そうやって腹を隠すなら、それなりに力技も使うよ。」
「話したくないの。」
 端月は重い口を開けた。相手が貝木椛でなければこんなに素直にはならなかっただろう。
「まぁまぁ。腹を割って話そう。いや、本当に割ることはしないが」
「………。」
「………。」
「………入っていいよ。」
 !!
 端月が屋敷牢の中に貝木椛を招き入れた。俺は牢の鉄格子を隔てた外側から立ち尽くしてただ見つめている。貝木椛は牢の扉を開けて中に入る。
「今って、月ちゃんは煙がないと見えなくなる?」
「………ううん。これは、『罰』。」
「罰?」
 椛は振り返り後ろにいる俺に説明を求めた。

 罰。
 それは妊娠が発覚されて数日のことだった。
 この時はまだ端月は俺に冷たい態度を取ることもなく、精神的に不安定ではあったが、ここまで悪化していなかった。
 俺は端月の世話係として、何時ものように身の回りの世話をした。食事の配膳や話し相手など細々したもの。それと防毒面の完了だ。
 端月の防毒面は、内部に紫煙が発生するようになっていて、酸素マスクと同じ原理で投薬を行う。紫煙の素になる薬が切れたら交換してやるのも俺の仕事の一つだった。この日の夜も薬が切れて、防毒面を取り換えた。
 しかし、端月は防毒面の薬を抜いて、俺を欺いた。紫煙の、麻薬の中毒性にも堪えて、静かに幻覚の呪いの中に身を置いた。
 一晩が経ち、朝になると屋敷牢は蛻の殻(もぬけのから)で、すぐに屋敷の中を捜索した。
 端月はすぐに見つかった。何処かから手に入れたビニール紐を木の枝に結び、ぶら下がる端月が。
 実体化した幻覚たちが不定形の蛸のように端月に絡みつき、ビニール紐をくくりつけられた首に体重が掛からないように持ち上げていた。幻覚が存在しているということは、端月は生きている。俺は硬直した体を遮二無二働かせて、端月を救い出した。驚いたことに端月の頭には二本の角が生えていた。幻覚の世界に身を置いた影響だ。幸いなことに今は角も消えている。屋敷牢に紫煙を焚いているおかげだろう。
 この事件は端月の両親にも伝えていない。
 そして、事件以降は屋敷牢内部に紫煙を焚いて、また同じ過ちが起きないようにしている。

「子供を妊娠した時、それが人間じゃないことはわかってた」

 端月は口を開いて、俺の説明に続いた。
「いよいよ人間じゃなくなるんだって思うと、今死なないとだめかなって」
「………へぇ。」貝木椛は続けた。「いや、わからないな。尾田切(おたきり)君と恋仲になってこれからって時に、妊娠した。確かに自分の感覚でそれが人間ではないと確信しただろうさ。でも、それこそ尾田切君にもっと相談なりすればいい。自殺を決断した理由が弱いというか、不鮮明だ」
「………。」

 ………。
 もともと、端月は貝木椛が好きだった。
 目の前にいる貝木椛は、存外、鈍感というか、なんでこうも拗れているのか。
「だから、俺は貝木椛さん。あなたを呼んだんです」
(あかし)っ………!」
 俺は屋敷牢の外から鉄格子を掴んで貝木椛を見つめる。その後ろで端月は『言わないで』という眼をしている。ここ最近冷たい表情ばかりだったから、すごく嬉しくて。
 悲しい哉。俺は昂揚感に任せて自制することができなかった。

「端月は、あんたが好きだったんだよ!」

 しん。
 屋敷牢は時間が止まったのかと錯覚するほどに無音となる。貝木椛は始めて動揺を顔に浮かべて、すぐに端月を見る。端月は顔を伏せて、その視線に堪える。
「…え? 月ちゃん………?」
「わ……れて…」
「いつから」
「わすれてっ!!」
「!?」
 端月の叫び声に驚き俺と貝木椛は押し黙った。
「もう…なんなの。 ………生きててぜんぜんいい事無い。辛いよ。これが呪い?」俯いているせいで顔は確認できないが、屋敷牢の畳にぽたぽたと涙が落ちる。「叶わないままなら秘密にしてようって思ってた。この世界で叶わないことはいっぱいあるよ。今では屋敷の外に出れないし、子供も作れない。」涙声になって、畳には池ができる。なにより悲痛な叫びに心が痛む。なんで俺は、なんで端月は、貝木椛は…。
 なんでもっと上手く生きていけないんだろう。
「死にたくなって首を吊る前、幻覚たちが『生きたい』って、私を止めて、首を吊っても私を抱いて助けてくれた。死ぬこともできない。私はこれからも煙を吸って、人間じゃない何かを産んで、………その先に何があるの?」
「月ちゃん。」
「…なに?」
「ごめんね。…気付けなくて。辛かったね」
「!」
 貝木椛は端月を後ろから抱きしめた。
「…もともと秘密だったのに、今更………」
「気持ちに応えることは出来ないけど、私も月ちゃんのことは大切に想ってる」
「………っ。……ぅん。」
 俺も屋敷牢の中の二人に近付いて、端月の側に座る。そっと端月の右手に手を乗せる。
「………俺も、大切に想ってる。」
「………うん。…冷たくして、ごめんね」
 言葉尻はまた涙に歪み、端月は滂沱の涙を流した。感極まり、涙の池が幻覚の力を受けて光を放つ。
 すぐに透明な結晶となり、一つの塊になった。

004


 『幻覚の姉を持つ双子の話をしよう』
 落ち着きを取り戻した屋敷牢の中で、貝木椛は語り出す。

 これは最近知った話でね。老夫婦の妻のお腹の中に双子が出来た。最初はすくすくと大きくなったが、ある時双子の成長が止まり、危険な状態になった。
 お医者さんがお腹の中をモニターで観察すると、時間をかけて双子が一つになって行くのがわかった。不完全な二つが完全な一つになることで、なんとか生き残ろうとした。
 そして出産。一人の女の子が生まれたが、やっぱり無理をしてきたのか、かなり危険な状態で、何度も手術を受けて、最近やっと問題なく健康に暮らせるようになった。
 …ここまでは普通の話だけど、その子はそれまで幻覚を見ていたと語ってくれた。
 それが、幻覚の姉。
 お腹の中で体を妹に譲り、精神体だけになって生まれた姉がいたという。
 そして、長い手術を受けて健康になると、姉は別れを告げて消えてしまった。

「…っていう話」
 椛は端月(はづき)のお腹を撫でながら、話を終えた。
「…それが?」俺はその話をした意味がわからず、説明を求めた。
「もしかしたら、似てるのかもって。」
「?」
「幻覚は『生きたがっていた』。そして端月の自殺を妨害した。…自決できない呪い。では無くて、もっと好意的解釈もできる」
「端月を好いている…とか?」
「あり得るかもね」
 俺の適当な仮説が、あり得てしまうと言う。椛は真面目な顔を崩さない。本気でそう思っているらしい。
「だったら、俺への攻撃性はなんだ? 嫌われているのか?」
 蛇の津波に溺れたり、メデューサに石化させられた俺はどうすればいい。

「………いや、幻覚は操れるの。(あかし)を襲う幻覚は、本当は私が操作してる。」
「! どういうことだよ? 本当は嫌い………なのか?」
「………男の中では一番好き。椛の次に好き。実は、灯を石化した時とかは、その…キス。………したりとか、してた」
「お、……おぅ。」
 それはそれで、反応に困るというか。
 照れるというか。
「フフン。 ま、という事は幻覚が敵ではないことは確認できた。」
 椛はなにやら納得し、しきりに頷いている。椛の中では何かしらの結論が出ているのだろう。
「じゃあ、なんで幻覚を紫煙で抑えているんだ?」
「それよそれ。私の仮説が出たわ。」
 椛は端月のお腹を触診しながら、続ける。
「多分、それは………。」

005

 翌日。端月(はづき)の父の部屋にいる。
 椛の仮説と、答え合わせをするためだ。昨晩、椛が立てた仮説はこうだった。

 元々呪術師の家系で、幻覚を操っていた。現にそれは封月(ふうづき)家に伝わる家系の話として存在する。そして、呪術が必要とされなくなった時代には、幻覚は生活していく上で大きな障害となった。
 その幻覚を操れる封月が、もし本気でこれからの時代を混乱に陥れようとするのなら、誰も止められない。
 そこで、お偉いさんは封月家の分家を買収し、紫煙を作らせた。

 紫煙には、幻覚を抑える効果。これは呪術師から手を洗う場合、都合がいい効果だった。

 そしてもう一つ。強い中毒性。
 この麻薬のような中毒性で、幻覚の能力を閉じ込め、呪術によって反逆される可能性を消した。

 こうして、今に至る。…という。
「………封月家の真相は、この仮説と違いますか?」
 端月の父は椅子に深々と座り、目を閉じている。
「聡明だな。なかなか鋭い。君が呼び出した『医者』は呪術師への造詣が深いようだな。」
 と告げた。屋敷牢に端月が閉じ篭った際に、俺は『特殊な医者』といって貝木椛を招き入れたことを思い出した。
「その仮説でほぼほぼ真実に近い。悲しいことに、代を受け継ぐに連れて、歴史背景は詳しく教えて貰えなかったせいで、私も完全な事実を知らないのだがね」
「はぁ、そうなんですか」
「いや、それでも朧げな記憶だが、若い頃に調べたことがあってね、大筋は同じ筈だ。」
「もともと、語り継がれてはいないんですね」俺は思ったままを口にする。
「受け継がれるには長すぎる歴史だ。そして、その中で形骸化してしまい、文献も記憶も風化した。私達は忘れたいのかもしれないな。」呪いというものを。と端月の父は目を細める。自身の妻。端月の母もまた、こんな時期があったのかも知れない。

 真実と答え合わせをするという目的も果たして、早々に部屋から出る。今度はこの答え合わせの結果を椛に伝えなければならない。

 俺は客室で寝ている椛の所に着く。
「もう昼ですよ。起きましたか」
 返事がない。そっと扉を開けると椛は端末に向かって何か文章を打ち込んでいるらしかった。
「起きてるなら返事をして下さい。入りづらいじゃないですか」
「んにゃあ、ちょっと立て込んでてね」
「何を?」
周波数調整員(バランサー)の報告書」
「端月のことですか?」
「仕事だからね。これが問題解決に繋がることも多いし、情報は共有しないと。それに、こういうのは報告書が報酬に繋がるから」
「はぁ。俺は屋敷牢に行ってますよ」
「う、私も行く」

 屋敷牢に着くと、いつもの端月がいる。腹は日に日に大きくなっているが、態度は冷たくなくなり、安定している。
「おはよう」
「お昼ですよ。今日は食事は三人で、居間で。」
「うん。わかった。………っ!?」端月は急に驚いてお腹をさする。
「どうした?」俺は端月に聞く。腹の子については、半分俺の責任だから、何かあれば知っておきたい。
「え?………ううん。」
「?」釈然としないが、端月の表情は明るい。

 屋敷牢から出て、居間に昼食を配膳する。
「両親は?」と貝木椛。
「別々です。基本的に屋敷牢で食べるので」と俺が答える。
「じゃあ、この料理は誰が?」
「俺です」
「…はぁー。…端月は案外幸せものかもね」
「もう、そう言うのはいいから。で、昨日の診断結果を教えてよ」端月は箸を咥えて少しだけ拗ねる。椛の意地悪に抗議しているようだ。
 昨日の夜は端月の腹を触診したり、耳を当てて中の音を聴いていた。椛はその結果をもとに、他の周波数調整員から情報を集めて、今さっき報告書を提出した。現段階での診断結果を聞きたいのは俺も同じだ。

「うむ。結論から言えば、人の子ではない。というのがまず悪いニュースだ。…そしていいニュース。その子は人の子だ」
「………??」
「うん。そうだな、まず、人間かどうかを定義する線を何処にするか。その辺りから話そう。」
 そう言って箸を休ませながら、説明を始めた。

 例えば、街で見かける人間が、本当に人間か確かめるには、色々な手段が選べる。
 まず会話をしてみる。次に両親について訊ねる。戸籍を聞くのもありかもしれない。
 相手はその全てに答えられたら、恐らく人間。人間に近い存在ではある。

 端月の腹の中にいる子供は、会話が可能で両親は君たち。戸籍もある。人間社会に溶け込むことができ、人格を認められるであろう存在だ。簡単に言えば街で見かけても違和感が無いだろう。
 では、別の事例。
 実は手に入れた情報では、ある可能性が出てきた。人間に無い特徴。身体的な差異がある可能性がある。事例では、瞳孔の形、骨の本数、髪や肌の色、尻尾。それなりに事例があって、今回、端月の幻覚では…

 最悪、紫煙を吸っている間は姿が見えない可能性が僅かにある。
 これは、可能性としては薄い。現に、紫煙を焚いていても腹はしぼんだりしないから、実態を持っている可能性が強い。

 次に、遺伝子の情報で人間かどうかをを定義する場合。
 全く未知の領域だが、遺伝子が違う可能性がある。

 ………大雑把に現状を伝えるとしたらこんな感じかな。
 あと、今のお腹は八ヶ月程だと思う。昨日から比べて成長が著しい。
 ………母体である端月の方が、ダメージはきついかもね。というか、今ももうだいぶ来ているでしょう…。

「妊娠線。」
「………あー。うん。今は収まってるけど、前までは凄い痛かった。」

 僅か一ヶ月程で成長して、もうすぐ産まれようとしている。…これだけ急な成長。屋敷牢より整った設備でも、ケアなんて出来ない位じゃない?

尾田切(おたきり)君にはショッキングかもしれないから、ご飯終わってから、服を脱いで見せてもらうよ。」
「え? 見せるの? 昨日の触診の時に分かってたでしょ?」
「わかってるけど、百聞は一見にしかず。尾田切君にも見せるわ」

 昼飯を食べ終わり、屋敷牢にて。
 椛は恐怖を煽るような事を隣で言い続けていた。

「………さ、じゃあ先ずは私だけに見せて。」
 端月は俺に背を向けて、上着をはだけさせる。
「…引かないでよ?」
「私も女。引かないわよ。」
 端月はゆっくりお腹を晒す。後ろからは上着の布が目隠しになって何も見えない。
「………どう?」
「………予想よりヤバい。消えないわよこれ。だいぶ深い。」
「確かにショックだったけど、今はもう大丈夫。(あかし)との子供だから。後悔はないわ」
「………強いね」椛は少しだけ目に涙を浮かべて、そっと端月を抱きしめた。

「………さぁ、尾田切君。覚悟は出来た?」
「う、うーむ。」
「成長スピードが恐ろしく速い。十月十日と言うけれど、端月のは一月一日。恐らく明日明後日産まれる。尾田切君にはこれから父としての自覚と責任。そして月ちゃんに刻んだ痕を見なさい。」
「はい。」
 俺は気を持ち直して真剣な顔をする。自覚を持たなければ。
「じゃ、月ちゃん。振り向いて」
「………私の心の準備がまだよぅ…」
 服で隠しながら振り返る。この姿は前にも見た。
 そうか、ずっと前から一人で抱え込んで、傷も痛みも隠してたんだな。
「俺は受け入れる。いつでもいいぞ」
「じゃあ、いくよ…」
 服の裾を掴んで恐る恐る広げる。お腹が丸く膨らんでいる。そして何より皮膚が裂けて薄桃色の雷が走っている。これが妊娠線。出産したらその裂け目が深い谷になって消えない痕になる。
 その妊娠線は、端月が首を吊った時に支えてくれた蛸の触手に似ていた。
「…なんというか、すごいな」
「引いた?」
「いや、引くというか、なんとも言えない。衝撃的?」
「衝撃…」
「いやいやいや、本当になんとも言えないんだ。確かに雷みたいな傷だけど、怖いというよりもっと神秘というか、近代芸術というか」
「近代芸術…」
 もう何を言ってもフォローにならない。俺は少し落胆して肩を落とす。
「…それより、明日明後日産まれるっていうなら、どうするんだ?」
「これから病院に行きます。月ちゃん。尾田切君。準備して下さい」

 椛は唐突に進める。先の見通しがあるなら前もって知りたいのだが。

「病院? 医療機関で通用するのか? …その、人間でなければどうする」
「むしろ、医療機関以外にどこで通用するの。蛇が出るか邪が出るか。封月家の御用達の病院なら多少は理解してもらえるでしょ」
 今回も娘が産まれるのでしょう?

006

「…しかし、尾田切(おたきり)君も凄いわね。」
 私は椛の言葉に顔を向ける。言わんとしていることは、なんとなく分かっている。

 陣痛は昨日の早朝にやってきた。(あかし)は分娩室の外で待ってもらい、私一人の闘いとなる。激しい痛み。陣痛の波は断続的に続き、その感覚は狭くなる。一分間隔になるといよいよ意識は切り詰められて下半身から裂けてしまうような気さえした。
 痛みに意識を蹂躙されて、子供のいたずらのように振り回される。目の前がちかちかと明滅して、紫煙を焚くこともできない分娩室で幻覚が壁から滲み出てきている。
 蛇だ。
 私の幻覚にはよく出てくる。蛇。
 湧き出るように蛇は湧き出てきて、私の中に潜り込む。熱い身体を冷やして溶けてゆく。時には腰に噛み付いて毒を注ぎ込む。鎮痛剤になるのか、少しだけ意識に余裕が生まれる。
 現実と幻覚が綯い交ぜになり、蛇が本当に実体化しているのに気付く。
 長年封月(ふうづき)家を相手してきた医者達だからか、この状況でも取り乱すことはなかった。蛇と息を合わせるような動きで腰の痛みを指圧してくれた。

 子宮から蛇が躍り出る。羊水と共に蛇の津波。
 そこから記憶が曖昧で、強い痛みと幻覚の最中、私が開かれて行く感覚を覚えている。

 そして、無事に娘が産まれた。頭角の生えた可愛い娘だ。

 そして今。椛は私のベッドに凭れて眠る尾田切灯を見ている。
「びっくりしたわよ。尾田切君が蛇になって分娩室に消えていったのを隣で見てたけど、まさか彼が幻覚だとは思わなかった。」
「うん。私も。」
「ちょっと!? 月ちゃんの幻覚から出てきたんでしょうが」
「…うーん。今思えば、椛が居なくなるのと入れ替わるように灯が来たなぁ。」
「寂しさを紛らわすためにいつの間にか出てきた?」
「そうかも。」私は灯の頭を撫でる。

 私の幻覚にはよく出てくる。蛇。尾田切灯。

「…んで? 娘の名前は考えてるの?」
 椛は頬杖をついて聞いてきた。少し眠そうだ。椛もまた、夜通し心配してくれたのだから。疲れが溜まっているのだろう。それはそうと、名前。
「…実は、考えてあるんだ」
「へぇ、どんなの?」
「『謳歌』。…これからの人生を、この娘には思い思いに生きて欲しいっていう願いを込めて」
「封月謳歌………。なるほどね。いい名前かも。」

 私は「でしょう?」と椛に微笑んで、傍に眠る我が娘の小さな二本の頭角をそっと撫でる。

封月端月の受胎

 …『尾田切灯の幽閉』では、想像の余地を残していたいと書いていますが、続きを書いてしまいました。
 別の結末を描いていた読者がもしいるとするのなら、それを納得させるものが出来たのか、考えてしまう。

 とはいえ、あくまで結末の一つとして楽しんでいただければ幸いです。

封月端月の受胎

屋敷牢の中で過ごす女、封月端月。彼女は子を成すことができないはずだった。 彼女の胎内に芽生えた命ははたして人か妖か。混迷極めるこの屋敷牢は果たして『幻覚の城』か、『現実の牢』か………。 屋敷牢シリーズ・下

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-02

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