星の石

星の石

 実に二十年ぶりとなるこのちいさな村は、私たちが学校を卒業して出ていってからほとんど変わるところもなく、当時の面影を存分に残したままそこに存在していた。
 同窓会の案内が届いたのは一ヶ月前。それから今日までずっと楽しみにしてきた。
 久しぶりに再会する学友たちは、二十年を経てどれほど様変わりしただろうか。もちろん何人かは結婚もしているだろうし、ひょっとしたら全員所帯を持っているかもしれない。だとしたら、私だけ蚊帳(かや)の外になってしまう。それだけがちょっぴり不安だけど、でもやっぱり昔共に野山を駆け回った友人たちとの再会が楽しみで仕方がない。
 びしっとスーツで決めこんだ私は、舗装されていないむきだしの砂利道をのんびりと歩いていった。
「おや、香織ちゃんじゃないかね」
 声をかけてきたのは、昔近所に住んでいたおばあちゃん。すっかり腰が曲がってしまって、でも元気そうに朗らかに笑って、田んぼから手を振ってくる。
「お久しぶりです。おばあちゃん」
 手を振り返し、近くまで歩く。おばあちゃんもこっちに歩いてきて、よっこらしょと田んぼから抜け出した。近くで見ると、やはり私の記憶にある彼女よりも数段年老いている。当たり前のことなんだけど、どうにも物悲しくなってしまう。
「元気にしとったかね」
「ええ。おばあちゃんもお元気そうで」
「あっはっは。わたしゃあ元気だけが取り得だもんでよう」
 声を上げて笑うおばあちゃんは私の知ってる彼女のままだった。ほっと胸をなで下ろす。
「今日はどうしたね?」
「同窓会なんですよ。昔の友人たちと小学校で集まる約束をしているんです」
 そう答えると、「ええことやねえ」とおばあちゃんはまた笑った。
 それからしばらく世間話なんかをして別れ、その辺をぶらぶら散歩していたら、あっという間に夕方になってしまった。遠くから風に乗って学校のチャイムが聞こえてくる。音の割れた、昔のままのチャイム。懐かしさに表情が緩む。
 さて、そろそろ時間だ。私はチャイムの聞こえた方向へと足を向けた。
 
「うわあ……」
 というのが、久々に学校と対面した私の第一声。
 おんぼろだった木造の校舎がさらにおんぼろになって、老朽化というよりは風化といったほうがしっくりくるような、ひどく痛々しい姿になり果てていた。
 二階建てのこじんまりした校舎。それでも村の子供たちを詰め込んでもじゅうぶんに余りある、格式――いや、歴史ある学校。二棟あって、手前が小学校。奥に中学校と高校が並んでる。村から一時間ほどバスで行ったところに別の中高があり、小学校を卒業した生徒の半数がそちらに通うため、こっちの校舎は小規模でも問題ないのだ。
「香織か?」
 校舎をまじまじと見上げていると、横手から声がかかる。顔を向けると、そこには日焼け顔の男が立っていた。黒のスーツをゆったりと着こなして、微笑みながら私を見つめている。えっと、誰だっけ?
 私の疑問が伝わったのか、男は苦笑して「ほら」と前髪をかき上げてみせた。
「あっ、卓男?」
 額の傷跡を見て思い出す。たしか小川で遊んでいるときに転んで頭に大怪我をしたんだ。
 卓男は「当たり」とにっこり笑って手を差し出す。その手を握って軽く上下に振る。
「久しぶりね。すっかり変わっちゃったじゃない」
 小柄で臆病だった頃の面影はみじんも残っていない。
「ははっ。二十年も経てばさすがに変わるさ。そういう香織だって変わったじゃないか」
「私?」
 言われて戸惑う。変わったという自覚はない。ちょっとは垢抜けたかなとは思うけど。そんな私を楽しそうに見ながら、卓男は言う。
「変わったよ。綺麗になった」
「…………なっ、なに言ってんのよ!」
 あんまりといえばあんまりな不意打ちに、思わず顔が火照る。
「ははは。さ、そろそろ入ろうか」
 私から逃げるように、卓男が校舎へと小走りに去っていく。まったくもう。
 彼のあとを追って、私も校舎に入っていった。
 
 踏むたびにぎしぎしと悲鳴を上げる床。今にも抜け落ちてしまいそうで、自然と歩調が慎重になってしまう。それでもいまだ現役のこの校舎。現在の生徒たちがしっかり清掃してくれていて、(ほこり)っぽさはまるでない。壁には『廊下は静かに歩きましょう』とか『手洗い、うがいは忘れずに』とかいった手書きのイラスト入りポスターが貼られていて、とても微笑ましい。同窓会の幹事である卓男が学校側に言って、廊下の電気は点けっぱなしにしてもらっている。磨かれた窓から外を見ると、だいぶ日が落ちて暗くなってきている。
『五・六年』とプレートのかかった教室のドアを開ける。入るとすでにみんな揃っていた。
「あー、香織だー」
「卓男。久しぶりだなあ」
「変わったなあ、お前」
「元気そうだね」
 みんなの歓迎を受けて見回す。
 おっとりした口調で話す明子。やんちゃで手がつけられなかった武。病弱で物静かな良幸。快活な少女だった圭子。学年で一番頭の良かった誠一郎。
「わあ、みんな久しぶり」
 感極まって全員に抱きついて回る私を、卓男はやれやれと眺めている。
 が、突然「あれ……?」と眉をひそめた。
「どうしたの?」
 訊くと、卓男は首を傾げて「おかしいんだ」と切り出した。
「俺が招待状を出したのは五人だったんだけど……」
 明子。武。良幸。圭子。誠一郎。そして卓男と私。手紙を出した卓男を除けば六人だ。
「なに言ってるの。六人じゃない」
「いや、たしかにそうなんだけど……あれ?」
 難しい顔で唸っている卓男に武と圭子が飛びつく。
「俺たちは全員で七人だったじゃないか。お前の数え間違いだって」
「そうそう。間違えるなんてひどいんじゃないの? あはは」
 左右から飛びつかれ、さすがの卓男も苦笑して「分かった分かった。分かったから離してくれ」と両手を挙げて降参のポーズをとった。まわりから笑い声が上がる。
 それから持ち寄ったビールで乾杯。それぞれ持ってきた各地のお土産をつまみにしながら、現在の生活と子供の頃の思い出話に花が咲く。
「わたしは元気ですよ。うふふ」
「いや、そうじゃなくてね、明子。もっとこう具体的な話はないの?」
「僕は今、とあるIT企業で画期的なパフォーマンスを企画していてね。これが通れば世界はまたひとつ大きな変革を迎えるだろうね」
「相手奇病? 誠一郎。お前、なんか変な病気うつされたのか?」
「奇病じゃない! 企業だっつーの!」
「はいはーい。私、結婚しましたー」
「うっそ、マジ? うわあ、圭子に先越されるとはー」
「なによ武。どういう意味よっ」
「うわわ、ごめん。卓男、助けてくれー」
 もともと陽気なメンバーだけど、お酒が入ってさらにテンションが上がったみたい。みんなを眺めながら、となりで缶ビールを傾ける卓男に声をかける。
「みんな変わってないわね。元気そうでよかったわ」
「そうだな……」
 しかし卓男はやっぱり釈然としない様子で。
「どうしたの? まだ考えてるの?」
「ああ。家で数えて、郵便局でもしっかり数えてもらったから憶えてるんだ。俺が出したのはたしかに五通だった」
「ふうん……。でもま、いいんじゃないの? 結果、こうやって全員揃ったんだし」
 笑ってみせると、卓男はふっと息をつき、「そうだな」と笑い返してくれた。
 他のみんなはすでにできあがっていて、子供の頃の思い出話で盛り上がっている。
「やっぱ一番の事件っていえば、あれだよな。スタンド・バイ・ミー事件」
 缶ビール片手に武が言うと、みんなが大きく頷いた。
「あれはほんとヤバかったよね。あとでめちゃくちゃ怒られたし」
「そうそう。ふだんは優しい村長さんまで顔を真っ赤にしちゃってさ」
 スタンド・バイ・ミー事件。私たちがそう呼ぶ事件は、小学校五年生の頃の話。
 同名の映画を観て言いようのない冒険心にかられた私たちは、映画と同じように線路の上を歩いていたんだ。それも廃線ではなく、現役の線路の上を。
 特にこれといった発見はなかった。武が星の形をした石を見つけて「これ、宝物にしよう!」なんて言ってたくらいで、あとはなにもない、ただただ歩くだけの冒険。それでも自分たちは映画の主人公になった気分で、うきうきと浮き足立っていたように思う。遠くから電車の音が聞こえては近くの茂みに身をひそめ、目の前を大音量で横切っていく電車を興奮しながら見送った。駄菓子屋さんで買ったお菓子を広げて、みんなで食べた。ただそれだけなのに、ものすごく楽しかったんだ。
 ……あれ?
 なんだろう。なにかが引っかかる。
 顔を上げると、みんなも同じような表情を浮かべている。
「ねえ、卓男……」
「分かってる。思い出そう」
 卓男は目を細め、そこから遠くを見つめているようだった。ここではないどこか――子供の頃の自分たち。山と川と田んぼの世界。
 あのあと、私たちは大人に見つかった。電車の乗客が私たちを見つけ、村で降りて交番に報告したんだ。私たちを追いかける大人たち。つかまったら怒られる。
「逃げろ!」
 武が叫んだ。みんなが一斉に線路の上を走り出す。大人たちがなにかを叫んでいたが、そんなものは届かない。ただひたすらに、がむしゃらになって逃げ走った。
 そして小規模な鉄橋に差し掛かって――
「そうよ! 鉄橋!」
 思わず声を上げる私。缶ビールを落としそうになって、あわてて掴みなおす。みんなが私を見ている。そう。鉄橋。あのとき、私たちは鉄橋で忘れられない事件を体験したはずなんだ。
 たしか……そう。誰かが足を滑らせて落ちそうになって。
「あれは……鉄橋から落ちたのは……」
 思い出す。忘れちゃいけない事件。そしてみんながそちらを向く。
 そこにいるのは――良幸。
 良幸は病弱な子供だった。よく風邪をこじらせては学校を休んでいた。出席しても体育の時間はたいてい見学で、そんな彼が私たちと同じように走り続けるなんてできるわけがなかったんだ。よろけて鉄橋から足を踏み外した彼は、そのまま下を流れる小川へ――
「……いや、違う」
 私の記憶を遮るように、良幸がゆっくりと口を開く。大人になっても青白いままの顔を静かに伏せて。
「ぼくは落ちていない。落ちたのは……」
 視線を向けた先には――
「ああ。俺さ」
 肩をすくめ、苦笑する武。
 そうだ。あのとき、落ちそうになった良幸の手を掴んだのは武だ。
 
「いま引き上げてやるぞ! もうちょっとだけがんばれ!」
 良幸の手を握る武の腕はがくがくと震えていた。当然だ。いくら強いといっても所詮は子供。自分と同等の重りを片手で支えるなんて無理というものだろう。それでも武は良幸の手を離さなかった。空いた手で鉄柱を握りしめ、必死に良幸を持ち上げようとしている。
「俺たちも手伝うぞ!」
 卓男が(げき)を飛ばし、みんなで良幸の手を引いたり武の身体を引っ張ったりした。
 そして良幸の身体が上がり、誰もが安堵のため息をこぼしたそのとき。
 一陣の風が吹いた。
 それは力を使い果たしてよろめいていた武の胸を押して。
 武の足が鉄橋から離れた。
 誰も、一言も発せなかった。
 ただ呆然とその様子を、まるでテレビを観ているかのように。
 スローモーションで、武の身体が消えていく。
「ああああああああああああああああ……!!」
 声が出たのは、それからしばらくしてから。
 駆けつけた大人たちに頭を殴られ、叩かれ、叱られた。武はどこへ行ったのかと訊かれた。私たちは泣きじゃくり、鉄橋の下を指差して叫んだ。泣いて、叫んだ。
 
「そうだ……なんで忘れていたんだ……」
 卓男がうめく。
「武……!」
 でも、みんなの視線を一身に浴びるべき武の姿はもう、そこにはなかった。
 代わりに机に置かれていたのは――
「これ、あのときの……」
 いびつな、星のような形をした石。武が宝物にすると言っていた石。それには、私たちの子供時代の宝石のような思い出がぎゅうっと詰められているような気がして。
 もう誰も、なにも言わなかった。ただ黙って、星の石に缶ビールを重ねた。カコン、と軽い音が鳴って、古びた教室にちいさく響いた。

星の石

星の石

「ぼくは落ちていない。落ちたのは……」

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-02

Copyrighted
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