13、ボウイが絆?

13、二度目の初心

 13、二度目の初心


 数分後、二人は混んだ電車に揺られ三軒茶屋に向かっていた。
その店は駅から歩いて五分程のところにあった。ドアを開けるとギターの音が軽く流れて来る。そのつま弾きと一緒に時折笑い声がもれる。楽しんでいるのがなんとも心地いい。常連客が多いのもうなずける。店内には小野が話していた通り多くの楽器が所狭しと並んでいる。


ピアノ、ギター、ベース、キーボード、ドラムと定番は当たり前。さらにウッドベース、チェロ、フルート、中には見た事はあっても名前が思い出せないどこかの民族楽器まであった。マスターの話によれば父親が多くの人に楽器に触れて欲しいという思いで少しずつ集めたものらしい。音楽への愛着が深かったのか、それとも道楽なのかわからないが珍しい店である事は確かだった。


 二人が席に着くとまもなくだった。二十代後半かと思われる女性がしなやかなタッチでピアノを奏でる。ボサノヴァの名曲、イパネマの娘だ。
(なかなかのものだ。でもこの曲にはあの肌にまつわり付くようなけだるい歌が欲しい。)
裕一がそう思っていた時、またひとり若い女性がマイクを手に歌い始めた。それが合図でもあるかの様にギターとドラムが加わり今夜限りのライブになる。ここにはジャンルは関係ない。曲の精度も要求されない。求められるものはただ一つ、音楽を楽しむ事。 


裕一はふと学生時代の部室を思い出した。気楽で自由な音の共演。もっとも楽しむというよりは実力と理屈の戦いという面もあったけど。小野もあの頃を思い出したのか懐かしむ様に裕一に話かけた。
「なんか部室に似てるな。もっと勝手気ままだったけど。――あの頃俺、お前のギターが結構好きだった。ちょっと荒けずりのところがさ。」

「皆にもよく言われましたよ。とげとげしいとか、センスがないとか。まあ自己流だから。ボウイに憧れて、でも歌はさっぱりだし。それならジギーを追いかけようってね。」


「ジギースターダストか。架空のギタリストを目指したわけか。悪くないな、それ。」

「架空ですから誰も比べる事できないし。」

小野が目を細めて笑った。
「お前らしい。――俺もボウイは好きだ。俺たちにはリアルタイムではないのかもしれないけど色あせないな、あの人は。いつだったかな・・・?――何ヶ月か前に聞きたくなって動画を見たんだ。びっくりだよ!あのリアリティーツアー。お前見た?」

「もちろんですよ。」


「だろうな。で、とにかく格好いい。五十七歳であれはないよな。夢だ、あの人は。人生あんな風に生きて、あんな風に歳をとれたらなぁ・・・」

「まさか先輩がボウイを。知らなかったな。ツェッペリンの話をよくしてたから。まあ、それなのにギターじゃなくてベースというのが不思議だったけど。」

「ギターは目立ちたい奴にやらせておくさ。俺は根が地味だから。それにバンドの微妙な味はベースが出すもんだ。影がうすそうでひそやかにバリバリの自己主張をしてるわけよ。そこがおもしろい。」

「なるほど。――だけど確かに先輩のベースは評判よかった。一度だけ一緒にステージに立ててうれしかったな、あの卒業ライブ。」」


「そんな事あったか?――ごめん、忘れてる。俺にはお前が入部して来た時の印象が強くてさ。俺より若くて、ジャニーズ系の可愛い顔してやたら七十年代にはまった変な奴が入って来たと思った。おもしろいやつでもあったしな、理屈っぽくてなのに素直で。」

「まあ、若かったんですね。それにしても先輩はプロになると皆思ってましたよ。話もあるらしいって聞いてたし。」

「まあな。たいしたもんじゃないけど話はあった。でも俺は自分がプロで通用するとは考えられなかった。夢を見た事はある。それで今は――ならなくてよかったと思ってるんだ。アマからプロまでの距離はあまりに不確かで。あと一歩と感じてもその一歩にどれだけの時間がかかるのか・・・。プロになれても売れるかどうかは見当もつかない。余程自分を信じてないと持ちこたえられない。俺には人生を夢にかける度胸も勇気もなかった。」


小野の言葉の意味が今の裕一には痛いほど理解できた。二人は苦笑いを浮かべビールを飲みほした。そして暫く黙ったまま見知らぬ者どうしの演奏に聞き入った。

 「ジャズもたまにはいいな。」と小野がぽつりと呟いた。

「最近はジャズを聴く人も多くなりましたよ。僕も以前はあまり好きじゃなかった。と、いうより音楽の基本はジャズなんだっていう自信に満ちたジャズおたくが苦手だったのかな。このごろはたまに聞きます。オスカーとかマッコイとか。」

小野が深く頷いた。
「ジャンルも時代も関係なくいいものはいいという事だな。」


 店にはいつの間にかお客が増え、満席まであとわずか。時折お客の間を回って会話を楽しんでいたマスターが二人のテーブルにやって来た。
「いかがですか?こんなお店は。」

「いいですね。気に入りました。なんとも落ち着く。」

小野がそう言うとマスターがうれしそうに微笑んだ。
「それはよかった。おふたりもどうです?きっと何か楽器をやりますね?――うーん、ギターかベース。長くやってるのでなんとなくわかるんですよ。あたりですか?」

「すごい。こいつのギターは本物。伝説のジギーなんです。」
そう言いながら小野が裕一を指さした。


「いや、冗談がきつくて。」
裕一が小野をにらみ、マスターには間の抜けた笑顔を向ける。

「いやいやそれはいい。ボウイは私のカリスマですから。彼を見ていると元気というか勇気がでた。世間の当たり前にとらわれる事はないってね。もっとも彼はそう言われるのを好まないかもしれませんね。でも、聞きたいですね。ここは楽しむ所ですから。うまい、へたは問題じゃないんですよ。――伝説のジギーに失礼だったかな。」
そう言うとマスターは裕一の肩をポンポンと軽くたたいて通り過ぎて行った。裕一はこれもひとつの営業トークだと小野を見るとどういうわけか小野がにやにやして裕一を見ている。


(なんだ・・・?この笑いは。ん?この空気は嫌な予感だ。)

小野の半分冗談めいたいたずらっぽい顔に目がきらきら輝いている。小野はすくっと立つと裕一を見下ろして言った。
「よし、行くぞ。」
小野は明らかにその気に見える。

「ええ・・・いやぁ。」

「ほら、立って。」
小野が煽る様に裕一の背中を押した。

「もう何年も人前でやってないし。・・・指だって動きませんよ。」

「大丈夫だ。二曲目には動くさ。」

「はあ・・・?」
小野はいつになく強引で裕一をギターの前に引きずり出した。ここまできたらあきらめるより他ない。ギターを手にすると不思議な事にわくわくする感覚が裕一の中に溢れて来る。
そんな興奮とともに迷いが消えていく。


「で、何をやるんです?」

「おっ、その気になったな。俺はなんでも。お前に合わせる。」

「そう言われても――。」
裕一の頭の中を多くの曲が浮かんでは消える。悩む裕一を見て小野がマイクを取りお客によびかけた。

「ええーと、これから演奏させてもらいます。ただ、曲を決めかねているのが約一名ここにいまして。――この中でデヴィット・ボウイを好きな人いませんか?」
そこで意外にも多くの歓声があがった。


「いや、これは驚きです。世界では二十世紀最も音楽に影響を与えた人物としてつい十年前のアンケートで選ばれているのに日本では昔の人だと思ってる。特に若い人達は。――ここは見た目より歳の人がおおいのかな。じゃあどなたか彼の曲でリクエストお願いします。そこにポカンとしているのが実はボウイの曲ならなんでも来いという奴ですから。」
途端に拍手が店の中を走り回る。裕一はとんでもない紹介に緊張で顔がほてるのを感じた。あちこちからいろんな曲が飛んで来る。


「裕一、どうする?」

「ん――じゃあ、スターマンで」

「可愛い曲からいくね。」そう言うと小野が静かな目で裕一を包む。ふぅっと裕一の体から緊張が溶けていく。そして二人の若い男の人がドラムとキーボードに加わった。彼らの実力がどの程度のものかはまるでわからない。ただ一つの曲の為に手を組んだ人という奇妙な一体感が生まれた。曲のイントロを弾き始めると裕一の心が興奮に目覚めていった。 


二曲、三曲と時が駆け抜ける。そして次の曲が最後だと小野から声がかかった。すると最後ならもちろんジギースターダストをと客席からのリクエスト。続いて起きる拍手。店の空気がボウイに染まったようで裕一にとって夢の時間になった。最後の曲を弾く指は熱く、若い頃のボウイの映像と、最後になってしまったあのツアーの彼の姿が裕一の中によみがえった。


(なんだろうか?この気持ちは・・・。俺の音楽の原点はやっぱり彼だった。それも遠い感覚になっていたのか。彼の曲は確かに素晴らしい。同時にステージで見せるあの人間的で、無邪気にも見える笑顔、自由で気ままに思えてけして無礼ではない正気さ。つまるところ彼という人間が多くの人を魅了する。だから曲に力が生まれるんだ。それを俺は忘れていた。)
裕一の夢の時間が終わりをつげた。共に演奏をしてくれた二人と固い握手を交わし席に戻る。裕一の心は妙にすがすがしかった。当然気持ちは顔に表れる。


「すっきりしたか?」

「ああ・・・なんかいい気分です。」

「よかった。俺もお前もそれなりに理由があってプロの道はあきらめた。なんと言っても夢じゃ食べていけないしな。だから俺は後悔してない。ただあの時一つの夢を捨ててしまったのは確かだ。だけど稀にいるだろう?――自分の夢は必ず叶うと本気で信じている奴が。時代の進むのも近頃やけに速くて自分を売る手段も、売れるものも昔とは変わった気もするけどもしかしたらそれは錯覚かもしれないな。人気を得るのも、名前を売るのもパソコンという武器を使えば手に入れる事はできる。だけど本物はそう簡単には見つからない。お前が探しているのは本物だろう?」


「――そうです。でも時々ふと思うんですよね。自分の求めているものと、多くの人が求めているものには開きがあるのかと。かみ合ってない気がして。世界に通じるアーティストがどこから出ても聞く人にとっては関係ない。自分がいいと思えばそれでいいわけで。」

「それはそうだ。聴くほうにとっては。でも日本で発信された音楽が世界で認められ、そのアーティストの名前が多くの国で意味を持つとしたらそれは日本の音楽史を変えるかもしれない。アニメや映画やスポーツではまだ小さいけど近頃芽がみえる。なのに音楽に関してはいまだ島国アジアという枠があるという気がしないか?――どちらにしてもお前が自分の夢に近ずきたいならお前自身あきらめムードじゃ何も起こらない。本気の所にしか夢は咲かない事になっている。」


小野の最後の言葉が裕一に沁みこんでいく。裕一の中で暫く眠っていた追う気持ちが音をたてて動き始めた。それはまだ小さく、速度も遅い。でも確かに聞こえる。裕一は体の中で熱い血がもう一度流れ出したのを感じていた。

13、ボウイが絆?

13、ボウイが絆?

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-02

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