すーちーちゃん(4)

阿門 遊

四 プールの七月

 今日の体育授業は、水泳だ。暑い。こういう時は、プールに限る。給食を食べた後、水着に着替え、プールに向かう。
「きゃあ、冷たい」
 シャワーと消毒水に浸かる。次々と行列が続く。シャワーを浴びた人は、プールの前に並ぶ。先生がプールサイドに立つ。体操の時間だ。屈伸し、アキレス腱を伸ばし、膝をぐるぐる回し、肩を上下して、深呼吸。準備OK。
「さあ、水の中に入って」
 先生の号令の下、ゆっくりと足をつける。
「ドブン」
 男子の一人がいきなり飛び込んだ。
「こらっ。勝手に飛び込んだら、危ないでしょう」
 先生が注意する。みんなが並んで、プールの縁を掴む。あたしの横はすーちーちゃんだ。
「さあ、バタ足をして」
 一斉に、プールが泡立つ。顔を浸けていないので、足が、腰が、お腹が斜めに沈みそうになる。だから、よけいに、足をバタつかせる。すーちーちゃんはにこやかだ。あたしも笑顔で返す。
「さあ、顔をつけて」
 先生が指示する。あたしは顔をつける。本当は、顔が水に濡れるのはいやだけど、顔をつけないと泳げない。
「ぷわおお」
 すぐに息が苦しくなって、顔を上げ、足をつける。横を見ると、すーちーちゃんは、まだ、顔をつけている。すごい。息が長く続くんだ。
「ピー」
 先生の笛が鳴る。
「さあ、顔を上げて」
 クラスの全員が顔を上げた。いや、一人まだ顔をつけたままだ。すーちーちゃんだ。
「すーちーちゃん。もういいのよ」
 あたしはすーちーちゃんの肩を叩く。でも、すーちーちゃんは、顔をつけたまま、バタ足キックを続けている。
「すーちーちゃん。すーちーちゃん」
 あたしは声を掛け続ける。だが、すーちーちゃんは相変わらず顔をつけたまま、バタ足を続けている。でも、少し様子が変だ。すーちーちゃんの体が膨れてきている。そんな馬鹿な。あたしの気のせいか。いや、確かに膨れている。あたしの周囲の水がすーちーちゃんの方に勢いよく流れ込んでいる。渦が出来ている。すーちーちゃんが水を吸収しているのだ。様子がおかしいのに気が付いたのか、先生が近づいてきた。
「龍野子さん。龍野子さん」
 先生がプールに飛び込んだ。
「誰か、引っ張り上げて」
 先生がすーちーちゃんの体を抱く。男子がすーちーちゃんの両手を持つ。よいしょ、の掛け声で、すーちーちゃんをプールサイドに引っ張り上げた。すーちーちゃんは、目を瞑ったまま気を失っていた。だけど、口だけはパクパクと動いている。体は倍ぐらいに膨れ上がっていた。
 すーちーちゃんが目を開けた。
「すーちーちゃん、大丈夫?」
よ かった。気が付いた。すーちーちゃんは、保健室のベッドで横になったままだ。
「うん。元気よ。でも、おしっこがしたい」
 すーちーちゃんは、ベッドから素早く起き上がると、トイレに向かって駈けて行った。後ろ姿がポタン、ポタンと揺れている。しばらくすると、すーちーちゃんが帰って来た。元のスマートな体に戻っていた。すーちーちゃんは照れたように笑っている。
「先生。すーちーちゃんが目を覚ましました」
 あたしは教員室に先生を呼びに行く。先生が、保健室に戻って来た。先生は、すーちーちゃんのおでこに手を当て、体温を測ったり、手首を掴んで、脈を測ったりしている。
「もう、大丈夫のようね。教室に戻ってもいいわよ」
 あたしとすーちーちゃんとあたしは教室に向かう。
「ほんと、びっくりした」
「ごめんなさい。なんだか、急に、気を失ってしまって」
「でも、すーちーちゃんが、倍ぐらいに膨らんでしまったのには、びっくりしたわ」
「あたしもわからないけれど、水を飲み続けていたみたい」
「もう、お腹は大丈夫?」
「大丈夫。おしっこで全部出したから」
 あたしたちは教室に戻った。
 昼からの授業だ。すーすー。と寝息が聞こえる。
「誰、誰だろう」
 隣を見る。すーちーちゃんだ。すーちーちゃんが顔を机にうつ伏せになって、寝ている。多分、午前中の、プールの出来事が影響しているのだろう。あたしはそっとしてあげた。
 しばらくして、横を見る。すーちーちゃんは、まだ、寝ている。でも、様子が変だ。体が膨れ上がって来ている。プールの時と同じだ。確かに、寝息を聞くと、すーすーという寝息を聞くだけで、はーという吐く音が聞えない。
「すー、すー、すー」
 つまり、吸う、吸う、吸う、だ。でも、吸うばかりで、吐かないと、体が膨れ上がるばかりだ。いま、すーちーちゃんはそういう状態になっている。
「すーちーちゃん。すーちーちゃん」
 あたしは、すーちーちゃんに声を掛ける。でも、すーちーちゃんは返事をしない。今だに、息を吸い続けている。そして、すーちーちゃんの体が浮いた。足が床から離れた。人間風船だ。人間気球だ。どこかに飛んでいくのか。あたしは、すーちーちゃんが飛び上がらないように、すーちーちゃんの服を引っ張った。
 このままじゃ、いけない。あたしは立ちあがった。
「先生、すーちーちゃんがおかしいんです」
 あたしの切羽詰まった声に先生はすぐに飛んできた。すーちーちゃんの異変を見て、地面から少し浮かんだすーちーちゃんの手を引っ張って、教室から出て行った。
 授業が終了した。先生によると、すーちーちゃんは、保健室では、目が覚めて、息をすったり、吐いたりしているそうだ。万が一に備えて、まだ保健室で寝ている。あたしは、保健室に向かった。保健室の扉を開く。すーちーちゃんはベッドに座っていた。
「大丈夫?」
 すーちーちゃんは、にこっと笑って、大丈夫、すー、はーと答えた。あたしは、すーちーちゃんにカバンを渡すと、帰ろうと声を掛けた。二人で学校を出た。あたしは、すーちーちゃんに、息を吸い続ける発作が起きないか、注意深く見守る。今のところ、変化はない。すー、はーとちゃんと呼吸をしている。すーちーちゃんの家の神社に着いた。
「さやかちゃん。ありがとう」
 すーちーちゃんと神社の鳥居で別れた。ほっと安心。その時、再び、すーすーすーという音が聞えた。あたしは振り返った。すーちーちゃんの発作だ。すーちーちゃんの体がまるまると、見る見るうちに膨らんでいく。あたしはすーちーちゃんの下に駆けつける。すーちーちゃんは風船のように膨らんで、浮かび上がっている。
「それ」
 あたしはすーちーちゃんを捕まえるためにジャンプした。でも、届かない。すーちーちゃんは鳥居よりも高く浮き上がった。なすすべもなく、茫然と見つめるあたし。
「すーちーちゃん」
 大声を上げて、呼び掛ける。
「すー、すー、すー」
 息を吸い続けるすーちーちゃんからの返事はない。その時、何かがすーちーちゃんにぶつかった。ふーという音とともに、すーちー風船はしぼんでいき、地面に落ちた。あたしはすーちーちゃんの下に駆けつける。
「大丈夫?」
 座り込んでいるすーちーちゃんの両手を握った。
「お尻が痛い」
 すーちーちゃんは、お尻を撫でながら、立ち上がった。
「何回も心配掛けてごめんね」
 すーちーちゃんは、神社の鈴を鳴らし、二礼二拍手すると、本殿の中にはいっていった。その側を黒い影のようなものがついて行く。その影に向かって、すーちーちゃんが「いきなりぶつかってきたら、痛いじゃない」と、怒っている。その影は
「折角、助けてやったのに、なんだい。恩知らず」と答えると、どこかに飛んで行った。
 すーちーちゃんには、本当に、謎が多い。
 また、体育の水泳の時間だ。すーちーちゃんは、今日の授業を休んでいる。前回、水や空気を吸い過ぎるという発作が起きたので、今日は、プールサイドから、みんなの様子を見ることになった。
いつものように、みんなは体操をして、プールサイドに座った。足はプールの中。
「さあ、バタ足の練習ですよ」
 先生の笛で、一斉に、バタ足をする。
「ジャバジャバジャバ」
「ジャバジャバジャバ」
 全員がバタ足をすると壮観だ。足を水面に打ちつけ、水面から上げる度に、水しぶきが上がる。噴水のようだ。
「ちょっと、用事を思い出したから、みんな、そのまま、バタ足を続けていて。絶対に、プールの中に入っちゃだめよ」
 先生がプールサイドから立ち去った。あたしたちは、ひたすら、バタ足を続けている。
「へえ、これ、面白いや」
 誰かの声がしたかと思うと、水しぶきが通常よりも高く上がった。
「負けるもんか」
 誰かが直ぐに声を出し、更に、水しぶきが高く上がった。
「俺の方がもっとすごいぞ」
 別の場所の男の子が足を大きく上げ、そのまま水面を打ちつけた。
「バシャン」
 噴水と言うよりも水柱だ。水柱は最高点に達すると、水玉となって水面に落ちる。花火ならぬ、花水だ。真っ青な空には届かないけれど、あたしたちの目の高さまで、花水玉が上がる。それを見て、みんなが真似をする。プールサイドには、一段と大きな水柱が上がり、花水が咲く。
「バシン」
 一段と大きな音がした。その方向を見る。すーちーちゃんだ。制服のまま、プールサイドに座って、両足を打ちつけている。水柱が自分の体より高く上がり、水は自分にもかかり体が濡れているけれど、全く気にしていない。
「すーちー、すごいや」
「俺も、やってみよう」
 あたしたちは、バタ足から両足に変わって、水面を打ちつける。
「バシン。バシン。バシン」
 これまで以上の高さの水柱が、次々と上がる。
「どうせだったら、みんな一緒にしようよ」
 あたしが提案した。
「おっ、いいね」
「さやか、号令をかけろよ」
 あたしは、いち、に、さん、と大声を上げた。さんの合図で、プールサイドのみんなが一斉に両足を、水面に叩きつけた。
「バシーン」
 プールの水面は、あたしたちの両足で押しつけられて、その反動で、盛り上がった。
「まだ、まだよ。もう、一回。いち、にい、さん」
「バシーン」
 さっきよりも大きな音がしたかと思うと、水面は盛り上がり、巨大な水柱となった。頂点の水玉があたしたちの体に降り注いだ。
「虹だ、虹だ」。
 誰かが喜びの声を上げた。プールの端と端とを結んで虹の橋がかかった。その時、バシン、バシンと強烈な音がする。誰かがプールの水面を歩いていた。すーちーちゃんだ。
「すごいな、龍野子」
「水の上を渡れるんだ」
「俺、聞いたことがある。右足が沈む前に左足を出して、左足が沈む前に右足を出せば、水の上を歩くことができるんだって」
「でも、龍野子は水の上を叩いているぞ」
「俺たちにもできるかな」
「龍野子にもできるんだったら、できるよ」
 男の子たちが一斉に、すーちーちゃんの後を追った。
「ボッチャン。ボッチャン」
音の子たちは一歩も水の上を歩くことなく、差し出した足から水の中に落ちた。
「誰。先生の許可なく、プールの中に入ったのは」
 ちょうどその時、先生が戻ってきた。
「それにしても、ちょっと、プールの水が減っていない?」
 あたしたちは素知らぬ顔で、プールサイドに立った。
「バシン。バシン」
 プールを渡り、反対側のプールサイドに座っているすーちーちゃんだけが、引き続き、足を水面に叩きつけていた。その上には、虹がかかっていた。神々しいすーちーちゃんだった。

すーちーちゃん(4)

すーちーちゃん(4)

ある日、転校してきた女の子が吸血鬼だった。四 プールの七月

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-01

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