人間の本質は善である事を証明する実験

 

「――ああ、そうそう。これからうちのゼミ生が、ゼミのレポート用にちょっとした実験をおこないたいそうだ。どうも、小一時間ほどかかるらしいんだが、もし時間に余裕のある人は、申し訳ないが、協力してやってもらえないでしょうか?」
 四時限目の講義の終わりを告げるチャイムが鳴って、席を立とうとする学生たちに、敷島教授はそう呼び掛けた。
 一人の男子学生が、教卓へ上る。
 どうやらその学生が、教授のゼミ生らしい。
「うちのゼミ生の、坂元君です。協力してくれるという人は、あとは、彼の指示に従ってください」
 それだけ言うと、教授はいそいそと講義室を後にした。
「だってさ。どうする?」と、私はケイスケに尋ねる。
 このあと二人で、夕食の予定だった。
「俺は、参加するよ。お前も教授のゼミ志望だろ? 参加しておけば、教授の覚え、めでたくかもだぜ」
 心理学、それも犯罪心理学を専門とする敷島教授は、しばしばテレビでコメンテーターを務める、うちの大学の名物教授だった。
 コネがものいうマスコミ業界。教授のゼミはマスコミ関係への就職を希望する学生から人気絶大で、事実、毎年多くのゼミ生がマスコミ関係に就職している。その為、毎年教授のゼミには八名の定員に対して、その十数倍もの志望者が殺到していた。私も、その一人だった。そうしても勿論、ケイスケも。
「でも、ゼミ生でしょ?」
「なんだ、知らないのか。去年教授のゼミに落ちた、サークルの先輩から聞いたんだけど、面接には、ゼミ生も立ち会うそうだ」
「え、そうなの?」
「ああ、なんせ、志望者が多いから、教授一人じゃ捌ききれないのさ。な、参加しといて損はない。それに――」と、そこで一端言葉を切って、
「――たぶん、今残ってる他のやつらもそう思ってるぜ、きっと」と、ケイスケは小声で後を継いだ。
 私は、室内を見回した。
 確かに、席を立った学生は、わずか十数人程。
 講義室――定員144名の、ここの講義棟では二番目に大きな201号室には、ざっと数えても百数十名は残っている。因みに一番大きいのは101号室の定員200名。
 私も、実験に参加することにした――けれどここにいる皆が本当に教授のゼミが目的だとしたら、たいして覚えめでたくならないな、と苦笑しつつも。

「これから行う実験は、人間の善意に関する実験です。私は人間の本質は善であると確信しております。今回の実験を通し、私は人間の本質は善である事を皆さんに証明したいと思います。つまり今回の実験は、『人間の本質は善である事を証明する実験』であります。それではさっそくですが、これより皆さんから義援金を賜りたく存じます――」

「義援金?」
「お金、取るってこと?」
「ありえないんですけど――」

 口々に、学生たちのそんな声。
 201号室が、ざわつく。
 そんなことはお構いなしに、その坂元と言うゼミ生は続ける。
「義援金は、お一人につき千円でお願い致します。当然、ここで集められた義援金は全額、必ず慈善団体へと寄付することをお約束します。勿論、賛同頂けない方、私を信じられない方は、どうぞ退出頂いて結構です――」

 ざわつきは、収まらない。

「どう思う?」と、私。
「払うよ。たかが千円」と、ケイスケ。
「たかがって――」
 学生にとって、正直千円は、結構痛い。
 しかもこのあと、二人で夕食、それもケイスケのおごりでって、話なのに。
 ディナーの予算が、削られてしまう。
「でも、ほらこのあと二人で――」
「大丈夫、夕食なら、約束通り俺が奢るから。それに、臨時収入の予定あるし――」
「臨時収入?」
「そ、だから心配するな」と、ケイスケは自分の胸をポンと叩いてみせる。
「……でも、そもそも本当に、寄付するのかしら?」
「お前なあ、そりゃするだろう」
「でも……」
「周囲を見てみろよ――」
 ケイスケに促され、私は室内を見回す。201号室を後にしたのは、僅かに十数名だった。
 つまり講義室には、未だ百名以上の学生が残っている。
 私は、残ることにした。

「今、残られている方は、義援金に賛同頂けた方と存じます。では、早速ですが、これから義援金を賜りたく存じます――」
 そう言うと、坂元は教卓の上に、コンビニのレジ脇によく見かける、小さな南京錠の付いた透明な箱――義援金箱を置いた。
「この箱に千円を入れていってください。そうして、入れた方から順番に入り口側――つまり教卓から見て右端一番前の席から順に、横一列で座っていって下さい」
 誰が呼び掛けたわけでもないが、私たちは一列に並ぶと、粛々とその透明の箱に千円を投じて行く。その様は、まるで国会の首相指名投票のようだ。千円投じた者から順に、指示の通りに席に着く。室内の座席は、六人掛けの机が、横四列、縦六列に並んでいる。つまり201室の定員144人。
 十分ほどで、全員座り終える。私とケイスケは、三列目の中央の座席になった。
 振り返って確認すると、座席は五列目の半分弱まで埋まっていた。
「と言うことは、百人ちょい――」
 と言うことは、あの透明な箱には、およそ十万円が入っているわけだ……。

「さっそく、実験を開始したいと思いますが、この実験は、先ほど申し上げた通り、人間の本質が善である事を証明する実験です。ですから――先ず私から一つ質問です。『人間の本質は善である』という私の主張に対して、賛同頂ける方は、挙手を願います」
 私に限らず、ほぼ全員が周囲を見回している。それから、おずおずと数人が手を挙げたの契機に、後が続いていく。
「およそ、半数と言ったところですか。フィフティフィフティ。案外少ないですね、意外です。半数の方にご賛同頂けなかったにも関わらず、その半数の方は、こうしてしっかり義援金を投じて下さった。何とも不可思議。ひょっとして、彼らは何かしらの見返りを期待しているのでしょうか? 例えば教授のゼ――いや、止めましょう。私はあくまでも人間の本質は善である事を信じる人間です。半数の方は、ただそれに気付いていないだけなのでしょう。今回の実験の結果、私の主張の正しいことが証明されれば、恐らくその半数の方も、必ずや私の主張に賛同頂けるだろうものと確信しています。さあ、前置きはこのくらいにして、さっそく実験を開始します。
 今から私は、ある事柄に就いて、三十分間講義を行います。その講義中、皆さんはどうぞ思い思いに過ごされて結構です。他の講義のレポートの作成をされるもよし、スマホをいじるもよし、睡眠をとってもらっても構いません。勿論、これから行う講義内容をしっかりノートにとって頂いても構いません。ただし、決して席を立ったり、大声で話したり――いわゆる学級崩壊のような振る舞いだけは、厳に慎んでください。それでは、さっそく講義を始めましょう。講義内容は――」

『罪と罰』
 ラスコーリニコフの主張
 『普通ならざる人』は自分の欲望のままに『普通人』を犠牲に出来る。
 ある種の障害(法律、犯罪)を踏み越えることを、自分の良心に許す権利を持っている。 

 金貸し老婆アリョーナの殺害
 純粋な思想的殺人であるか否か?

 ――と、先ほどの『犯罪心理学』の講義で敷島教授が書かれた黒板の文字を消し、坂元が書いたのは次の一文だった。

 九十年代アニメに見られる作画崩壊に就いて

「九十年代アニメに見られる作画崩壊に就いてです」と、坂元は黒板に書いた文字をそのまま口にした。
  
「九十年代の、アニメ?」
 私は、思わずずっこけそうになった。これのどこが『人間の本質は善である事を証明する実験』だと言うのだろう?
 それとも、なにかあるのだろうか?
 やっぱり、201号室はざわつきだす。
「お静かに願います。先ほど申し上げた通り、これからの三十分間、みなさんはどのように過ごされても構いません。ただお喋りは厳に慎んでください。万一にも私の講義に耳を傾ける人もいるかもしれませんので、よろしいですか? では講義を開始します――」

 私は、取り敢えず冒頭、五分ほど講義に耳を傾けた。

 海外委託。
 ヤシガニ。
 南の島。
 バンク。
 総集編――云々、本当に坂元の講義内容はアニメの話であり、アニメの話でしかなかった。おそらく、このまま本当にアニメで終始しそうだった。
 私は、早々興味を失う。
 ただ――。
 私はケイスケを見た。
 そうして、私は案の定苦笑する。
 思った通り、ケイスケは熱心にその講義に耳を傾け、あまつさえノートをもとっていた。  
 要するに、ケイスケはアニメオタクなのだ。
 講義室を見回す。
 さすがにケイスケのようにノートをとっているものは――おいおい、数人居た。
 私はも一つ、苦笑い。
 きっと彼らは、ケイスケと同じ穴のムジナなのだろう。
 他の学生は、寝るか、でなければスマホをいじっている。
 私もスマホを取り出して、とりあえずこの退屈な三十分を潰すことにした。

 三十分後。
 予定通り講義を終えた坂元は、板書した文字を消し終えると、
「さて、ではこれから、皆さんには簡単なテストを受けてもらいます――」と、言った。

 テスト?

「――テストは、今の講義内容、すなわち『九十年代アニメに見られる作画崩壊に就いて』から出題します」
 ざわつく、201号室。
 が、お構いなしに坂元は続ける。
「テスト問題は、全二十問で、一問五点。つまり百点満点です。制限時間は二十分。テスト終了後、すぐさま採点いたしますので、時間内に解答を終えられた方も、席を立たないようにお願いします。なお、このテストはノート持ち込み可です。今さっきノートをとられた方は、それを見ながら回答してもらって構いません」
 
 ケイスケは、ノートをとっていた。
 そうしてケイスケは、サークルの先輩から、敷島ゼミに就いて色々聞いているようだった。
 だとすると――。
「……ねえ、もしかして、この実験のこと事前に知ってたの? だからケイスケ、あなたノートを――」
「まさか。ただ、ノートをとって構わないって、コウイチさ――坂元さんが言ってたろ。それで、何かあるなと、俺は一応ノートをとったまで」

 語るに、落ちてる!

 どうしてケイスケは、あのゼミ生――坂元の名前がコウイチだと知っている?!
 つまり二人は知り合いだ!

「ねえ、ひょっとしてこのテストの結果って、ゼミ生の選考に影響あるんじゃ?」と、学生の誰かが、そう言った。 

 その可能性は、あり得る!
 何せ、敷島教授のゼミは人気のゼミ。 
 毎年多くの学生が、そのゼミを希望する。
 そうして、面接にはゼミ生も立ち会う。
 私はケイスケを見た。
 ケイスケは、意味深長な笑みを浮かべながら、ちょっと首を傾げてみせる。
 何てムカつくジェスチャー。
 こいつ、絶対完全に知ってやがった。
 知ってて、私には教えなかったのだ。
 何のため?
 決まってる!
 自分だけ、教授のゼミに受かるため。
 マスコミ関係に就職するには、コネが必要。
 だからこその、敷島ゼミ。
 しかしそのゼミに受かるにも、よもやコネが必要とは!
 裏切られた。
 それもまさかよりにもよって今日この日に!
 なるほど、この実験は、まさに人間の善意に関する実験だと私は思った。もっとも、坂元の主張である、『人間の本質は善である』とは、全く反対だが。
  
 テスト問題と、答案用紙が配られる。
 全員に行き渡ったところで、
「制限時間二十分、では始めてください」と坂元。
 私は、必死で問題を挑むが、素より内容が内容――講義を真面目に聞かなかった私には、さっぱりだった。
 対してケイスケは――畜生! ノートを見ながら、余裕綽々、嬉々とした表情で問題を解いていやがる。

 二十分、経過。
 結局私は、解答用紙の、三分の一も埋められなかった。
 私はケイスケを見た。
 ケイスケは、満足そうな――憎たらしい顔をしている。

「では、これより採点に移ります。隣通しで答案用紙を交換してください」
 私は、ケイスケと答案を交換する。
 ケイスケは、ニヤニヤと笑っている。
 解答欄、全て埋まっていた。
「いいですか、採点は正確かつ厳密にお願いします。あくまでも、一字一句、完全一致で○。
漢字の間違い、勿論漢字で書くべきところを平仮名で書いていてもそれは減点ではなく、×としてください。では、これより解答を板書していきます」
 坂元が、黒板に解答を書いていく。
 私は、これでもかと厳格に採点してやった。
 けれどケイスケの点数は、二十問中二十問正解の、百点満点だった……。

「採点は、終わりましたか? では答案用紙を本人に返してください」
 私はケイスケに答案を返した。ケイスケからも、答案が返される。
 五問正解で二十五点。
 完全に赤点だった。
「返しましたか? 返しましたね? では皆さんに伺います。このテストで百点だった人は、起立願います!」
 起立したのは――ケイスケ一人だけだった。
「君、名前は?」
「は、はい。唐沢です。唐沢ケイスケ」
 白々しい。
 二人は、知り合いの癖に。
「では、唐沢君、どうぞ前へ」
「は、はあ」
 促されるまま、ケイスケは教卓の前へ。
 坂元は、小さな鍵を取り出すと、やおら例の義援金箱の南京錠を外し、箱の中の千円札を、まるでベテランの行員のように、見事に数えていく。
 しばし、みんなそのさまを見とれる。
「――総計十万八千円。皆さんの善意の合計です」と、坂元。
 十万八千円。かなりの大金。
「それでは、百点だった君には、はい。五万と、四千円」
「え?」と、私は思わず言葉を漏らしてしまう。
 そうしてそれは私だけではなかった。
 他の学生も、同様。
「え? ど、どういうことですか?」
 狼狽えるケイスケに、坂元は言う。
「ああ、勘違いしないで欲しいんですが、それはあくまで唐沢君、君の手で、いずこかの慈善団体に全額寄付をしてください。繰り返しになりますが、私は人間の本質は善であると信じています。ですから私は、君が必ずやその五万四千円を全額寄付するだろうと確信しています。当然、残りの五万四千円は、私が責任をもって寄付致します。さて、以上で『人間の本質は善である事を証明する実験』は終了です。それでは最後に、実験冒頭にした質問をもう一度皆さんにしたいと思います。『人間の本質は善である』という私の主張に対して賛同頂ける方は、挙手願います」

 誰も、手を挙げない。
 誰も本当に、その五万四千円が、寄付されるとは思っていないのだ。
 だからこそ、誰も手を挙げる事が出来ない。
 手を挙げる事は、即ち彼の『人間の本質は善である』と言う主張に同意することになる。
 それは本質的に彼ら二人が善である事を認めるわけで、その五万四千円は、必ず寄付されることになってしまう。
「おやおや、驚きです。どうも今回の実験では、私の主張が証明出来なかったようですね。仕方ありません。日を改めて、再度実験を行いたいと思います――」
 再度?
「――日時は、来週のこの時間。会場は101号室を既に押さえています。ちなみに次の義援金額は、二千円で行いたいと思います」
 ざわつく、定員144名の201号室。
 101号室の定員は、200名。
 義援金は、一人二千円。
 つまり総額、四十万円!
「尚、今回実験にご協力頂いた皆さんには優先的に次の実験にもご参加頂けます。次回の実験にも、ご参加ご協力頂ける方は、お手持ちの答案用紙を提出してください。それでエントリーは完了です」と、坂元。
 先程の義援金投票とはうってかわって、答案用紙を手に、我先にと教卓へ詰め寄る学生たち。
 私も、まるだ何かに操られでもするように、ふらふらと立ち上がる――そんな私の肩に、誰かがポンと手を置いた。
 振り返ると――ケイスケだった。
 ケイスケは、私の肩に手を添えたまま、静かに首を左右に振ると、こう言った。
「これから夕食、一緒に食べる約束だろ、俺のおごりで。何せ今日は、お前の誕生日な訳だし――」
「あ――」 
 ケイスケの言っていた、臨時収入――。
「お誕生日、おめでとう」
 人間の本質は――。

人間の本質は善である事を証明する実験

 

人間の本質は善である事を証明する実験

『人間の本質は善である事を証明する実験?』です。 6873文字。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-01

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