卯の花腐し

卯の花腐し

目覚めたのは、桜散る前の、春のことだった。

八咫烏

 あったかい白飯が食いてえなと思ったのは、ちょうど昼下がりで、まだ動くのには早すぎた。そういえば昨晩から何も口にしてなかった。そう思い出して、二度寝するのを止めた。蚤だらけの畳の上から這い出して、箪笥に掛けっぱなしの着物を着る。歪んで滑りの悪い戸口を開けて、外に出ると明るい光がめいいっぱい射し込んできた。慣れない明るさに目を瞬かせる。段々、視界に明度の強弱がつき、彩度が戻り、世界を着色する。久々に会う太陽はまだ沈みそうにない。空は青々としていて、辺りは水の音と鳥囀りしか聞こえない。そんな長閑な雰囲気が、今が春だということを思い起こさせた。

 兎に角、腹が減っては仕方ない。作るのには今暫くも待てないと思い、戸を閉め歩き出した。村へ降りて食事処で何か食べよう。袂の中を探ると、定食くらいは食える銭が入っていた。よしと意気揚々に森に入る。



 男は八咫烏という名を持っていた。人とは異類であり、交わることもない。普段は神に仕える妖怪だ。今はお暇を貰い、悠々と一人暮らしをしている。八咫烏である身、仕える主人がいないことは同胞にも好かれないのだが、そもそも族と動いたことなど今の一度もないのだ。嫌われ者となっても、特に男が独りで生きていく上、あまり関係のないことだった。

 どうやら八咫烏というのは、人にまぎれことができるようだ。翼を隠し、人に化ければ、そこらの狐よりは、人らしく化けることができるだろう。何にせよ、烏は手の甲を舐めたり、尻尾を隠し忘れたりしないのだから。

 しかし、人に紛れるのは辛い。なにせ、過ごしてる時間が違うのだ。少し眠ってたようで、季節を一巡りしていたりする。その間、仲の良かった知人が、急に所在が分からなくなっていたり、ある者は死んでしまっていたり。男は、人の短命を哀れと嘆いたが、勝手だとも思った。自分を置いて去っていく人びとに、憤りを感じてからは、人に慣れることをやめた。人に紛れるのは、こうやって腹が減ったり衣服を新調したりするとき。利用目的に使うのがほとんどになった。

卯の花腐し

卯の花腐し

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-29

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