由香とトイ9

由香とトイ9

由香の親戚のおじいさん、稲川陽太は今年で89歳になる。そのおじいさんが最近県に貢献した人として表彰されたのだった。おじいさんは、何か災害があるたびに、募金をしたり現地に行ってボランティア活動したりしていた。といってもずいぶん前ことだった。その活動を評してということらしい。年が離れているせいかあまり話したことがなく。由香にとってはよく知らない人だったのでそう言われてもあまりピンと来なかった。由香の母の話では、最近ボケが激しくなってまともに会話もできないそうだった。若い頃は温和な人でとても優しい人だったらしい。由香的には、正月に親戚が集まる時にお年玉をたくさん包んでもらえた、そういう意味で大変お世話になった人であった。そういうことで親戚一同が集まって、表彰されたことに対するお祝いをすることになった。由香と由香の母は、おじいさんの長男の家に行き、お祝いの品を渡した。一同が集まって食事などをして、近況を話したりしているうちにおじいさんが変なことを言いだした。「リリアに会いたい、リリアはまだ比子街にいるんだよ」「はいはい。おじいさん。リリアはもうずいぶん前に亡くなったでしょう」長男の嫁さんが慣れたようにおじいさんをあやした。「この前に高野の友人に会いに行ったときにいたんだよ」「はいはい。でも、もうリリアがいたのは80年くらい前のことでしょう?」「リリアって誰なんですか?」まだぶつぶつ言っているおじいさんを尻目に、由香はリリアが気になったので隣で食べていた母の姉に聞いてみた。「リリア、ってのはおじいさんが小さい頃飼っていた犬の名前らしいよ」「なぁんだ。それじゃあ、死んでいて当り前だね。ただボケているだけなんだ」と由香は納得していった。「それがね。ちょっと困っているのよ」声を低くしておばさんは言った。「おじいさんの話では数年前に、おじいさんの故郷の街に行ったときにリリアによく似た犬を見かけたんだって」「でもよく似た野良犬ですよね?」「まあ普通ならそう思うよね。でも本当にそっくりだったみたいで、おじいさん、小さい頃のままのリリアがそのまま帰ってきたと思っちゃってねー。犬を見るたびにああいう風になってしまって周りが大変なのよ」「そうなんだ。ボケちゃうと大変だね」「そうね。私もいずれああなるのかしら」と言って笑った。「ちなみにどんな犬だったのですか」「当時では珍しいシェパードだったらしいわよ。あそこに写真があるわ」と言って指を差した。たしかに家にはシェパードの顔がかかれた写真が飾られていた。「ここの人たちアレルギーがあるでしょ。犬が飼えないからせめてもだって。ひどいよね」由香はおじいさんの顔を見た。祝ってくれたことを喜んでいるようだったが、なんか少し悲しげな顔だった。次の週末に由香はバイト先の病院で、犬のシャンプーをしていた。お客さんにそのおじいさんのシェパードの話をしてみると「ああ、聞いたことがある」と言ってきた。「高野の湖畔に住み着いている野犬の話でしょう」「そんなに有名なんですか」「有名って、今ニュースで流行っていること言ってるんじゃないの?」お客さんはそう言って由香にスマホの記事がかかれているページを見せてきた。記事の題名が湖畔に住み着く野犬の楽園と書いてあった。そこはずいぶんと前に閉めてしまった炭鉱があった土地で今では人は誰も住んでいないらしい。炭鉱が盛んに行われていた当時その土地を離れた炭鉱者たちの飼っていた犬が野生化した。高野の湖畔にはそうした野良犬のたくさん住み着いているという、そんな記事であった。取材に行った記者が写したのであろう野良犬たちのくつろぐ沢山の写真があり、その中にはシェパードの姿もあった。お客さんは「小さい頃飼っていた犬は流石にいないと思うけど、子供と言うか子孫がいるかもね」と冗談めかして言った。由香は「そうですね。おじいちゃんは子孫を見たのかも」とちょっと納得した。後日、由香が昼休みにお弁当を友達と食べている時にこの野良犬の話題になった。無類の犬好きで知られる由香の友達がそのニュースを見て行ってみたいと言いだしたのだった。「いいよねー。誰もいなくなった街に、ノビノビと暮らす犬たち。きっと可愛いに違いないよー」「でもさー、野生の犬って怖くない?下手すれば狼ジャン」「そーかなー、元は飼っていた犬だから、人を襲ったりはしないよ。キット」ネットで調べていた知子が「ああ、だめだってよ」と声を上げた。「高野にいる犬は危険ですので、むやみに近寄らないようにだってよ」と知子は犬好きの子の方を見て言い、スマホの画面を見せた。「本当だ。書いてある」と犬好きの友人は見て言った。今回の記事に対しての役人の対応であった。「なぁんだ。つまんないの」と犬好きの友人はがっかりした。「そもそも炭鉱後は危険だから安易な気分で近寄らないでくださいってあるじゃん。やめようよ」と由香は言った。以前、古井戸に落ちたおじさんを助けた事のある由香は危険なことには首を突っ込みたくないのであった。「まあ、ちょっと遠いしね、犬にかまれたくないしね。なしで」暑さがなくなり、大分過ごしやすくなった頃。由香が文化祭に出す編み物の仕上げを学校でしていると犬の吠える声がした。おそらく吼え声からして喋るトイプードル、トイだろうと由香は思った。編み物がちょうど区切り良くできたところだったので、由香は手芸部の皆に「ごめん、ちょっと用事があるから先に帰るね」と言って外に出た。校門の所に日を背に小さいシュルエットを映している犬がいた。案の定トイだった。由香たちは人のいないところへと歩いて移動した。トイは真剣な顔で言った。「手伝ってほしいことがある」「何?」「高野に行きたい」「高野って野良犬の楽園の?」「そう。由香も知っているなら話は早いナ。そのニュースで有名になってしまったのが悪いのか、高野に人が来るようになってナ。野良犬が見に来た人を噛んでしまったんだ」「そうなんだ。やっぱり野犬は危険なんだ」「人に慣れてないからな。誰だって自分より大きい動物が来たら怖いだろ?それで噛んだことが問題になってナ。役人によって野良犬の駆除がされるようだ」「駆除って?」「毒を撒いたり、罠を仕掛けて捕獲したり、だろう。捕まればまず助からない」「そうなんだ。酷いね。そこまでしなくても。別にほっておいてあげればいいのに」「狂犬病や人を襲ったりしたら大変だからナ。やむをえん事情もあるのだろう。犬の僕が言うのもなんだけど」「トイさんが行ってどうするの?」「野良犬たちにこの場を離れるように伝えるよ。ただ黙って捉えられるよりはいいだろう」「私は行ってもいいけど、安全は大丈夫かな?」「由香は前の時みたいに僕を連れて行くだけでいい。何も問題ないと思うよ。頼まれてくれるか?」「いいよ」「ありがとう。では明日でいいか?なるべく早く7時くらいで」「うーん、忙しいけどいいよ。じゃぁ、駅で待ってて」「頼むよ、由香」と言ってトイは夕日の作りだす影の中に消えて行った。由香は帰りに荒井教頭の家に行った。子犬用のゲージを借りるためだ。荒井教頭は由香が来ること事前に知っていてすでにゲージは用意されていた。荒井教頭は「ごめんなさい、由香さん。話はモコから聞いています。私が行きたかったのですが、もし私が行ってしまって、町の人に会って、捕獲に反対とか言ってしまうと複雑な問題になってしまいます。モコが言うには事を荒立てたくないそうで、由香さんに頼むことにしたと」荒井教頭は本当に申し訳なさそうに言った。「そうですよね。私だったら興味本位できた、ごめんなさいで済むけど、教頭先生だったら面倒になりそう。ここは私が行きます」「ありがとうございます。由香さん。よろしくお願いしますね」次の日、由香は駅に行くとすでに待っていたトイと合流した。トイを子犬用のゲージにいれて、由香は日に5本しかない、高野行の電車に乗った。2時間ほどで由香たちは高野に着いた。高野駅はさびれた無人駅だった。駅周辺には閉店したのか何も飾られていない店やシャッターが下りてしまった店があり、明らかに人がいなかった。由香は駅を出て、念のために人に見られづらい所に移動するとトイを子犬用のゲージから出した。トイは「ありがとう。由香。後は僕で何とかするから、由香は次の電車で帰ってくれ」と言った。「うん。でも次の電車まで一時間くらいある」由香は笑って言った。「そ、そうか。だったらどっかの店に入って時間を潰しな。外はあまりいないほうがいいだろう」「うん」「じゃあ、僕は行くぞ。リミットまであと2日しかないからナ」「気をつけて」トイはそう言うと、路地裏に入って消えてしまった。由香は人気のない街をぶらぶらしていると、帽子をかぶったおじいさんが歩いて来るのを見かけた。由香は話かけようとした瞬間おじいさんが由香に向かって怒ったように言った。「あんた、よその人だな」「は、はい」「犬の楽園とか言うニュース見て、興味本位で来たんだろ、違うか」「え、ええ、まあそうですけど」「チッ。またか。いいか今ここは野良犬がいて危険だ。特に湖畔の方には行ってはいかんよ。次の便ですぐに帰りなさい」「は、はい。でも」「なんだ」「次の便まで一時間くらいあるので、どこかコンビニとかで時間を潰したいんですが」「コンビニなんかないぞ。ミラに行け。この街にある唯一の飲食店だ。ここをずっといってな、いや連れて行ってあげよう。変なところ行かれたら困る」おじいさんはそう言って由香を案内した。ミラという店は喫茶店らしい。おじいさんは店に入ると、由香を席に着かせ奥に行ってしまった。そしておじいさんは由香の席に戻ってくると「コーヒーでいいか」と由香に聞いた。由香が頷くと、「マスター、コーヒーを出してあげて」とおじいさんが言った。おじいさんは由香に「時間までここにいるといい。次の便で帰るんだよ」と言い残すと、店を出て行ってしまった。しばらくして、喫茶店のこれ又おじいさんのマスターがコーヒーを持って現れた。「ごめんね。わざわざかわいい子が来てくれたのに何もなくて」「いえ、立ち入り禁止だとは思ってなくて来た私が悪いです」「別に立ち入り禁止ってこともないんだけどね。町長もね、野良犬が人を噛まなければなんなに神経質にならなかっただろうに」「さっきの方は町長さんだったのですか」「そう、あの記事さえなければこんな面倒なことにならなかったのにさ。野良犬だって滅多に人前に姿を現さないし、何も処分しなくてもって思うよ」その時、店内に女性が入ってきた。「それ。その記事を書いた張本人が来たよ」と言ってマスターは注文を取りに行った。女性は年が三十台後半の痩せ形の眼鏡をかけた人だった。女性はコーヒーを注文するとパソコンを取り出して作業をはじめた。マスターがコーヒーを女性に出すとまた由香の所にやってきて言った。「あの人がニュースを書いた人だよ。あの子が色々ひっかきまわしてくれたよ」マスターの話を要約すると、あの人が記事を乗せたことで、それまで内緒にしていた野良犬たちに光が当たってしまった。さらに悪いことにその記事を見てやってきた人が噛まれてしまった。それまで放置していた野良犬を処分するしか無くなってしまったと言うことだった。女性記者は自分がきっかけを作った癖に、最初犬を処分するなんて、と言っていたが、日本での犬の扱いを知ると、いずれ明るみに出てきた街のモラルが悪いと意見をコロコロ変えているらしく、町人に嫌われているようだった。女性は事の結末までここに滞在するつもりらしく、よく店に来るようだった。由香は待つついでにおじいちゃんの犬の事をマスターに話してみた。記事の中で写真に写っていたシェパードの犬のことである。マスターはその話を聞いて神妙な顔つきになった。そして言ったのだった。「それ、君のおじいさんの犬の子孫で間違いないと思うよ」そのシェパード犬はここら辺ではリリアと呼ばれていた。というのも、その犬が住んでいる場所にある今は廃墟になった湖畔の家の、犬小屋にリリアと書かれていたからである。「リリアはここらではちょっと有名なんだ」とマスターが声を潜めて言った。どうもあの女性記者に聞かれたくないらしい。ある日、ガリガリに痩せたシェパードがこの街に来ていた。それを哀れに思った、農家のお婆さんが餌を渡したところ、その犬は葉っぱに餌を包んで咥えるとどこかへ持ち去って行った。その後、そのシェパードは不定期にそのお婆さんの所へ餌をもらいに来るようになった。その犬は少しだけ食べると、やはり葉っぱに包んで咥えてどこかに行ってしまっていた。おばあさんは、犬が持って行きやすいように袋に入れて餌を上げるようになった。ある時、どこに持っていくか気になったお婆さんの子供が、その犬の後をつけてみた。そしてその犬が、5キロ離れた湖の住処へ戻り、持ち帰った餌を種類の違う野良犬たち、みんなで分けていたのを発見したということだった。その時にその家の名前が稲川、犬小屋の名前がリリアと書かれていた。そのためそのシェパードはリリアと呼ばれるようになったということだった。「あの子はどうなっちゃうんだろうね」とマスターはため息をついた。そんなおしゃべりをしているうちに、帰りの電車の時間になった。マスターは「とにかく君は帰りなさい。君に帰ってもらえないと私が町長に怒られてしまう」と言った。由香はマスターに別れを告げ、駅に向かい電車に乗って家と帰ったのだった。二週間後、由香が学校から帰っていると、トイが由香の前に姿を現した。「久しぶりだね、トイさん。いつも突然だね」由香は例の女性が書いた記事で高野の野良犬がどうなったか知っていた。対象となる犬が突然いなくなったため、捕獲は中止されていた。「もう知っているかもしれないけど、うまくいったよ。野良犬が居なくなって捕獲は中止になった」「さすがだね。トイさんの説得がうまくいったんだね」「そうだナ。説得に骨折れるやつもいたけど、まぁ、全員立ちのいてもらったよ。目立たない様にしていればその内に戻ることもできるだろう」と言ってトイは満足げに頷いたのであった。

由香とトイ9

由香とトイ9

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted