証券マン北山拓

山下 太一

野山證券から独立した北山は、ある大きな宗教法人の本部に向かっていた。

 うだるような夏の暑い日だった。男は37度の炎天下にも関わらず、紺のスーツに紺のネクタイをを締め、京都市内の外れの小高い山の中にある巨大な建物の中に颯爽と入っていった。日本でも有名な新興宗教法人・縁起宗の教主との面会のためにここに来ていた。この二ヶ月毎日のように電話をかけ、資料を持参して飛び込み訪問をしたり、20枚以上も手紙を書いて送っていた。
 男の名前は北山拓。独立した証券マンとしてクライアントの資産を増やすお手伝いをしている。拓は京都の大学を卒業後、証券最大手の野山證券に入った。12年間営業の第一線で三千人以上の顧客と接してきた。仕事は充実していたが、会社の方針で自分の心に嘘をついて仕事をするのが嫌になっていた。拓が野山證券に入社したのはバブル崩壊後に金融危機が起こっていた1998年だ。入社した4月に日経平均は一万八千円近くを付けていたが、秋には一万二千円代まで落ちた。拓は来る日も来る日も飛び込み外交を繰り返すが、新規のお客様を顧客にするのは、砂漠でダイヤモンドを探すようなものだった。
 入社して丸一年を迎えようとしていた3月、この10ヶ月でお客様は少しずつ増えていったが、これといった大きな成果は出ていなかった。新人の指導係であるインストラクターの玉井課長代理に営業責任者の山村課長から呼び出しがあった。「玉井、北山と出口はどうしたもんだ。お前の指導だけでは心もとないから、4月からは俺が直接指導に関わっていくから。依存ないな。」「わかりました。よろしくお願いします。」拓にとっては地獄のような苦しい日々が始まりだった。毎日、夕方、営業から帰ると、山村課長に今日の成果を報告しなければならない。これといった成果がなければ、2時間近く立ったまま説教が続く。「なぜ成果が出ないんだ。成果の出せない奴は人間的にダメだ!」と罵られる。怒られる方も当然だが、それ以上に怒る方が相当エネルギーを使ったのではないかと思う。毎日怒られるが、具体的にどうしろといった指導はない。精神的な話がほとんどだ。だから、自分で考えるしかない。拓は営業補助の宮川さんに頼んで、エクセルで新規の対象先のリストを作ってもらった。対象先は、売上5億以上の中堅企業、開業医、高額納税者である。そのうちに、リスト作りを宮川さんから教わり、自分でリストを作れるようになった。そうしているうちにリストは1000件に集約された。この1000件に対して拓は毎日毎日丹念に外交していった。基本的に電話で反応のあった先に訪問したり、資料を送ってまた電話するという動作を繰り返した。そうこうしているうちに少しづつお客さんが増えていき、成果が出始めてきた。そうなると山村課長の説教は次第に無くなっていく。会社というものは面白いものだ。特に野山證券は数字がすべてだ。数字さえ出来ていれば何も言われない。数字が人格なのだ。おそらく野山證券は、日本の企業の中で一番フェアな会社ではなかろうか。
 拓は毎日電話外交を100本以上繰り返す中で、偶然、金属加工会社を経営する池井戸社長と電話で話すことができた。その時期は1999年の秋、ちょうどITバブルの真っ只中であった。ソフトバンク、光通信、ヤフー等インターネット関連の銘柄が軒並み上昇して今までにない大相場を形成していた。ソフトバンクの株価は10万円を超え、ヤフーの株価は1株1億円を付けていた。電話口で池井戸社長のお話を伺うと、どうやら地元の証券会社で数千万単位で株の取引をやっていらっしゃるようだ。拓は電話を切り、すぐに池井戸社長のご自宅に向かった。ご自宅は福山市内の中心部から20分くらいのところにある小高い山の高級住宅の一角にあった。平屋の大きな邸宅の前に白のベンツS500が止まっていた。ご自宅では社長と奥様が既にお待ちだった。池井戸社長はメガネをかけていらっしゃり、白髪の穏やかな紳士であった。奥様がリビングへと招いて下さった。お金持ちのお宅はどこもシンプルでとてもキレイにされている。部屋には高級な調度品がさりげなく飾ってあり、さすが創業オーナーだなと拓は感じた。
 簡単な挨拶を済ませて、早速仕事の話に入った。NTT株の公募売り出しの話である。公募売り出し株とは上場企業が資金調達や保有株の売り出しの為に、株式市場を通さずに、投資家に直接購入してもらう株式のことを言う。通常、購入価格が決まる日程は、申込みから1週間から2週間後である。価格は市場価格から1%~5%前後ディスカウントされて、手数料なしで購入できる。必ず儲かるとは限らないが、公募売り出しをする会社は業績が良かったり、何か材料がある会社が多いのでお客様で公募売り出し株を欲しがる方は多い。野山證券もそうであるが、大手証券会社は公募売り出しの株の割り当てが多いので、新規のお客様を開拓するためによく使っている。
 拓はNTTの魅力について、持参した資料やチャートをもとに今後の見通しや事務的なことを一通り説明した。しばらく黙っておられた池井戸社長が口を開いた。「そしたら、80株ほど買えるかな?」(その時NTTは1株100万円を付けていたので、80株というと金額にすると約8000万円である。)「80株ですか?少しお待ちください。支店の上司に掛け合ってみます。 」拓は喜びと興奮を抑え、冷静に支店に電話を掛けた。「玉井さん、今、池井戸社長とお話しておりまして、NTT80株もし取れれば購入しても良いとおっしゃっています。80株大丈夫でしょうか?」「ちょっと待って、山村課長に聞いてみるから…。」「よし、社長に80株とれますと返事しろ!」「わかりました。」「社長、80株なんとかとれそうです。」「そうか、じゃあ、買おう!条件など決まったら連絡してくれ。」「ありがとうございます。」
 拓にとって初めての大口約定であった。支店に戻る車の中で豪のテンションは最高潮。うれしくてうれしくてたまらなかった。支店に戻ると玉井さんや、山村課長、支店長が「よっしゃー、北山良かったな―!」と握手して下さった。仕事の達成感にあふれていた。
 その後、池井戸社長は、拓の大手のお客様になり、1億円の投信を買って下さったり、数千万円単位の株式売買をして下さるようになった。拓にとって何より思い出深い取引きはロック社の株の取引だ。地元の銘柄であり、ITバブルの相場にあまり反応していない、出遅れ株だった。半導体の製造装置を作る会社で独自の技術で世界から評価されていたが、株価は割安な状態だった。拓は池井戸社長にロック社の株でひと勝負しましょうと提案した。池井戸社長に、ロック社のチャートと業績予想、会社概要のデータを示しながら、「今の状態はかなり割安なので、株価は上方に修正されると思います。少しづつ買い集めましょう!」「よし、やってみようか。」ロック社の株は出来高が少ない銘柄であったので、毎日、2000円前後の指値で、千株~二千株づつ、1ヶ月程かけて買い進んでいった。買付けた株数の合計はざっと二万二千株、金額にして四千万円である。三月中旬に買付が完了して、株価が動き出すのをじっと待っていた。
四月二十日、ニュースが飛び出した。ロック社が業績の大幅上方修正をしたのだ。翌日、株価はストップ高を付け、その後もじわじわと買いを集め、四月末には四千円あたりを付けていた。拓は池井戸社長に毎朝、相場の状況、売買の手口を報告していた。現在、売買の手口は公表されていないが、17年前は、個別株式毎にどこの証券会社から何株の売り買いがあったかという手口が夕方に公表されていた。その手口から、ロック社は外資系のドライ証券、UBT証券の買いが目立っていた。「池井戸社長、外資系証券が買い進んでいます。まだ上に行きそうなので、まだ持ちましょう!」「わかった、君に任せるよ。」四月末の時点で、池井戸社長のロック株は四千万円の投資額が時価で八千万円になっていた。五月十五日に再びロック社の業績上方修正のニュースが新聞紙面を賑わした。ロック社は二日間ストップ高を付け、五千八百円を付けていた。ここは潮時だ。拓は池井戸社長にすぐに電話した。「社長、売りましょう!」「わかった。売ってくれ。」一度に二万二千株の株を売りに出すと、値を崩してしまうので、三千株から五千株づつ価格を分けて売っていった。買いが優勢だったので午前中にすべて売り切った。売却価格の平均は五千六百円である。金額にして一億二千万円だ。三ヶ月の間に四千万円が一億二千万円になった。そして、

証券マン北山拓

証券マン北山拓

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-28

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