くちさけおんな
この作品を私のフレンドのHISHIGAKIさんにささげます。
1
私が夏休みの部活を終えて、昼過ぎて家に戻ると母さんはお庭の一角で草むしりをしていた。
そして柔らかな笑顔を一人娘に投げかけて、
「お帰りなさい、奈津美。冷蔵庫にスイカが冷えているわよ」
額の汗をスポーツタオルで拭いつぬぐい、
「昼食のメニューは、何?」
という私の問いかけには曖昧な頷きでいなし、もう鎌振りに余念がない。
雪どころにして岐阜の夏はひどく暑い。
多治見市は日本最高気温をかつてはじき出した場所なのだから。
ただし七月の陽光は肌に厳しすぎるとしても、母の顔の半分の美しさの敵ではないようにすら思えてしかたない。
半分!
そうだ、私は生まれついてこの方、母の全てを知らないまま生きてきたことになる。
というのも、母は絶対にマスクを外さないからだ。
どうして?
そんな質問を小学生低学年の頃は何度か母に試みたけれども、母が理由を説明してくれた記憶もなければ、マスクをとってくれたという覚えもまるでなかった。
お風呂は、もちろんいっしょに入らないけれども、もっと私が小さかった頃は父とのみ入浴していたし、母の食事はいつも私のいない間にすまされてしまう。
母の素顔を見たい一心で、寝ぼけたふりをして深夜、そっと母の寝室に忍び込んだこともある。
けれども安らかな夢の中にいてなお、母はマスクを決して脱いだりしないのだった。
しかし私が中学生になると、そうした探究心やら疑問をもかき消す垣根みたいなものが、ついに親子の間にできてしまうものだ。
私はマスク付の母を、母として自然に受け入れて、どうやら自分を納得させることに成功したようだった。
父はどう思っているのだろう?
残念ながら私には父にその事をたずねる時間が許されなかった。
私が小学校に入学する前に父は事故で亡くなってしまっていたからだ。
でもまさか結婚式とかでまでマスクはするまい、との私の考えを母が察知したのかどうか、我が家にはどこをどう探しても、写真のアルバムやらPCのデータやらが残されていない徹底ぶり。
もちろん、母は当然のように父の葬儀でもマスクを外さなかったような、そいつはどうも私の幼稚であやふやな記憶ではあるが、ともあれ母が誰にもマスクの下を見せたくないのは間違いではあるまい。
この実の娘にすら。
そいつは母の均整のとれたスタイルとあわせて、マスクで隠されていない部分の美しさを否定する存在であると私は推理する。
火傷のあとか、もしくは酷い傷跡でもあるのかもしれない。
頭髪が薄くなった男の人が帽子をぬがなくなるように、母もその部分の醜さを隠しているのであろうか。
醜いといえば、私も相当に醜いのだが。
四角い顔の輪郭と低いだんごっ鼻は、私の思春期のコンプレックスとしては必要十分なのである。
娘は父親に似る、なる法則通りに、私は母の美を遺伝することがかなわなかったのだ。
だからといってクラスでいじめられる、とかそういうことはないので、ありがたいといえばありがたい。
いやむしろ、クラスでは人気者だと思う。
足が速いからだ。
絵がうまいからだ。
学校ではこの二種はとても重宝。
快速はスポーツ万能の証たるもので、体育祭やらクラス対抗球技大会などで引っ張りだこであるし、また、ちょいと誰かの似顔絵を美化して描いてあげれば、喜ばれること疑いない。
それで私は学校のクラブに関して、美術部と陸上部で二足のわらじをはいているわけだ。
複数の部活に所属することは校則で認められているが、文系と体育系両方に属しているのは珍しいらしい。
ともあれ、快速については母からの遺伝らしい。
母はかつて、買い物をした帰り道、初老の女性が自転車の男性にバッグをひったくられるのを目撃したという。
そのとき母はヒールの高い靴を路上に脱ぎ捨てるやいなや駆け出して、みごと犯人からバッグを取り返した、とは警察から表彰され新聞にその武勇伝が掲載されたのだから嘘ではあるまい。
なんでも母は陸上女子400メートルにおいて、一昔前、岐阜県の記録保持者だったのだからすさまじい。
けれども、そうした足の速さと、母のマスクは、今現在、私に一抹の不安をよぎらせる種になっているのだった。
その理由とは、帰宅前に大親友と、こんな会話のやりとりがあったから。
2
「ねぇ、口裂け女って、知ってる?」
「なに、それ?」
「口が耳まで裂けてる女の人がね、町に出没するんだって」
「怖いね」
「うちのママの若い頃、そういう怪談がはやったんだって。最近また見たっていう人がでてきて」
「へぇ」
「なんでも、いつもマスクをしていてね、わたしきれい?ってきいてくるんだってさ」
「口が裂けているのにきれいなの?」
「マスクしてるから。その部分以外はすごく美人なんだってさ」
「そうなんだ。で、きれいって言ったらどうなるの?」
「いきなりマスクを外して、これでもきれいかぁーっ!と叫ぶらしいの」
「私なら逃げる」
「逃げても追いかけてくるってさ、どこまでも」
「私足速いし」
「口裂け女もすごく速いらしいよ。それに鎌もって追っかけてくるって」
「こ、殺されちゃうのかなぁ」
「わかんないけど。なんか岐阜県がこの噂の発祥地だってさぁ」
「ってことは、このあたりにいるってこと?」
「いるんだって~」
「まじで?」
「さる確かな筋からの情報だから間違いないって」
友人は情報通だけれども、芸能人のゴシップ記事くらいに、いいかげんである。
3
その話を彼女から耳にしなければ、母のマスクのことが、こんなにも気にならなかったであろう。
せっせと草刈をしている母の背中。
私はそれを見つめながら、もしマスクの下に大きく裂けた口が潜んでいたならばどうしよう、と心配してしまうのだった。
「どうしたの?」
私が玄関口で突っ立っていたからだろう、母はその気配を背中に感じて肩越しに振り返りつつ私に曇った言葉を投げた。
「え、な、なんでもないの」
「なんでもないことないでしょう。言ってごらんなさい。学校で何かあったの?」
「何もなかったよ。クラブ活動だけで。ただ……」
口裂け女の話題を口にするのはためらわれた。
「ただ、なに?」
ここで話を打ち切るのは、ひどく不自然な気がした私は、つい、
「あ、母さんは、いつまでもきれいだなぁ、って思っていたのよ」
お世辞めいたことを言ってしまって、しまった、と唇を噛んだ。
綺麗なのはお世辞でもなんでもないが、それが母さんの次の言葉を引き出させてしまう。
「あら、お上手いったりして。そんなに母さん、きれいかしら?」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
母は目で美しく笑い、手によく切れる鎌を持っている。
それに気のせいだろうか、母は、すぐにも立ち上がれるような体勢をつくっているような。
まるで、私がきれいと褒めたら、鎌を凶器に代えて襲い掛かってくるみたいな、そんな不気味な雰囲気すら漂っている、なんて私の考えすぎだ、考えすぎだとも。
閑静な住宅地に夏ゼミがシャカシャカうるさい。
それ以外の時間がすっかり止まったみたいになって、母はただ、私が口を開くのを今か今かと待ち構えているようだった。
「きれいだよ、母さんは」
枯れた喉で私が言う、その瞬間である、母は、
「きゃっ!」
と鋭い悲鳴をとどろかせた。
その甲高い声は私の腰を半分コンニャク状態に、心臓の体積を半分縮めるくらいの効果があったようで、動揺した私の脳みそでは、その母の恐怖の原因をつかみ切るまでに三十秒は要したかもしれなかった。
「か、母さん、大丈夫っ?」
母のもとに駆け寄って無事を確認する私が見たものは、見る見る赤くなってゆく母のほおだった。
「アブか、蜂がいたのね。ミツバチね。刺されたみたい」
その刺した犯人が私のすぐ目の横を通過していったが、当然、犯人の逮捕より母の手当てが優先されなければならない。
「ど、どうすればいいの? こういう場合。救急車呼ぼうか?」
「そんな、おおげさな。ピンセットか毛抜きを持ってきてちょうだい」
母はもう冷静さを取り戻している。
「わ、わかった」
私は大急ぎで現場を去り屋内に入り、目的の毛抜きを探し当てて戻ってくると母はまだ草取りに汗を流している最中だった。
「も、持ってきたよ」
「ありがとう。針がまだほほに刺さってるみたいだから、あなた、抜いてちょうだい」
母は柔らかくそう指示したが、私は生涯で一番の驚きを目の当たりにしている。
母は針を抜きやすいようにと、マスクを取り外していたのだった。
私は本来母の傷を心配せねばならないのに、初めて見る母の口もとに言葉を失ってしまっている。
口は耳まで 裂けて いなかった。
それどころか、美しい。
母は口裂け女ではなかったのだ。
なのに、どうして、母はマスクをずっとして生活をしていたのだろう?
私がこれといって何も動きを見せないので母は、
「ああ、マスクをはずしたの、これが初めてだったわね。きっと、それで」
と毒虫に刺された後だというのに、朗らかに優しく少女を思わせて笑った。
「う、うん。びっくりしちゃったぁ」
私は毛抜きで母の白い頬をにらむ。
そうして、本当に微小な犯人の忘れ物を見つけ出し、それを毛抜きで恐る恐るつまんで捨てた。
ほほは赤く腫れているのに、母はそれを痛がっている表情でもないのは神経が妖怪なみだ。
私なら、とても作業などしているような精神状態ではいられないだろう。
「ありがとう。そこの茂みの花にでも蜂がひそんでいたのね。ミツバチは本来おとなしいのに、たぶん鎌が体に触れたりしたのかもしれないわね」
「冷やしたほうがいいよ」
「まず傷口を洗い流さないと。もう草刈はこのくらいでいいわ」
「どうしてそんなに落ち着いていられるの?」
「話してなかったっけ? 実家が養蜂業していたから、蜂には刺され慣れているのよ」
「そうなんだぁ」
「免疫ができると、さほど痛くもないし、腫れ上がることもすくないの」
「ふうん」
母の素敵なマスクの無い状態の横顔は強い日差しを反射して、ことさらに美しい。
ふたりで台所におもむいて、母の患部の処置を手伝いながら、私は言いにくい事を尋ねる機会を失いたくはなかった。
「あのさ、母さんは、どうしてマスクしていたの? そんなに、きれいなのに」
「きれいかしら?」
「きれいだよ」
「見られたくなかったの、このホクロを」
「え? ホクロ?」
なるほど、見ると、確かに鼻の下に突起したホクロがある。
つまり母はこんな小さな黒い点を誰にも見せたくないためだけに、マスクをずっとはずさないですごしてきた、ということになる。
母は実際恥ずかしそうだ。
他人から見たら全然気にならないレベルの、その汚点はブス顔に生まれついた私なんぞには、とうてい理解できないかもしれない。
美しいがゆえに、たった一つのホクロが母を苦しめてきたのだろう。
私なんて、どこにホクロがあったって、どうということはない。
私は母がおかしくもあり、同時に哀しくもあった。
自分がブスに生まれついたことすら、今は少し嬉しくもある。
「そんなに気になるなら、手術でとってしまえばいいのに」
今の形成技術なら難なくできるだろう。
が、母は意外にも、
「しようとも思ったの、でも弘さんが、しないでくれって言ったから」
と言った。
弘とは死んだ父の名前。
「父さんが?」
「そう。人は、生まれたままの姿を勝手に変えるものじゃないって」
私の脳裏にはるか昔の父の記憶がミストとなって浮かび上がった。
母は父の言いつけを守りつつ、同時に自らのコンプレックスを悩んできたのであろう。
「ねぇ、父さんは、そのホクロ気にいっていたんじゃないのかなぁ?」
「え?」
「だから遠まわしに、とらないでって言いたかったのよ、きっと」
「そうかしら?」
「そうだよ。私だって、そのホクロ、言われるまで気づかなかったし、ましてや醜いなんて思わない」
「………」
「きっと天国から見てるよ、母さんの、そのホクロが見たいって」
「そう……、かなぁ。そう、かもね」
母はそれから念のためにと病院に出かけていった。
一人残された私は昼食の冷やし中華とデザートのウォーターメロンをいただきながら、夏休みの課題である家族の肖像画という水彩画の題材に母を選んだ。
もっとも選択肢は自身か母か亡き父しかいないのだけれども。
4
「おめでとう」
「あ、痛っ。ありがとう」
九月も終わりという、とある水曜日の学校からの帰り道、親友は手痛い祝福の平手打ちを私の背中に見舞ってくれている。
夏休みの課題の水彩画が校内コンクール金賞の栄誉に輝いたのだった。
母の肖像画は自他ともに認める良い出来であったが、むろんマスク姿の母ではない。
しかも鼻の下にはホクロを誇張して描き添えてある。
選考委員長の美術部の先生に言わせると、そのホクロが実に絵にインパクトを与えているのだという。
もしそのホクロがなければ、普通の絵になりさがっていたかもしれない、とまで言われた。
この結果は当然私が大いに脚色をほどこしてのち、母に伝達されることになるのだが、母は、蜂事件からこっちマスクをつけない日、つける日半々になっている。
自分が気に病んでいること、たとえば身体的な劣等感は、他人から見ると、それほど悲観的なものではなく、あるいはその人のチャームポイントにすらなっているのかもしれない。
とはいえ私の四角い顔や低い鼻は、もうすこしなんとかならないものかと、考えない日は、やはり女の子だもの、なくなることはないのかなぁ。
「そうだ、あのね、B組の武田って男の子知ってる?」
「ああ、あの、サッカー部の」
「彼、あんたのこと好きだってさ」
「うっそだぁーっ! あんなかっこいいのが、私なんか好きになるわけないでしょっ」
「ほんとだって。さる確かな筋からの情報だから、間違いないって」
ウソかマコトか、どちらにせよ、気分が良すぎて気持ち悪い。
私は照れ隠しに夕焼け空の下を全速力。
川沿いの堤防に築かれた細長い道。
途中でコートを着てマスク姿の美しい女性に呼び止められた。
「ねぇ、あなた、わたし、きれい?」
と言われたが、彼女がマスクを外すその前に、
「自信をもってください」
と自信をもって言えた。
おしまい
7
くちさけおんな