君と僕が会うために
その年の八月も菱井すみれは両親に連れられて軽井沢へと行った。近代的なビルに包まれた道を車で行き、やがて緑の多い、行き慣れた道を通り過ぎる。そうしてたどり着く軽井沢は昼間でまだ暑かった。
すみれの父は金持ちだった。曾祖父の代から財を築いてきた菱井家は、都内の田園調布に巨大な家を建て暮らしてきた。
すみれも小さいころからお金に困ったことは無かった。彼女が欲しいと思ったものはたいてい何でも買ってもらえた。それが、子供用のおもちゃでも人形でもゲームでも関係なかった。すみれは父から愛されていたが、とりわけ祖父の寵愛を受けていた。それはすみれの容姿や可愛らしい性格の為でもあった。他の兄弟よりもすみれは父や母や祖父の寵愛を受けて生きてきたのだった。そうしてすみれは両親や祖父から教育を受けた。いかにして人を操り、自身の利益を生むか。いかにして他人から好かれるようになるかなど、金持ちにふさわしい教育をすみれは小さいころから受けてきた。そうしてある一つのことを教わった。
(愛情などない)好かれるや好く、相手が欲しいなどの感情はあっても愛など無いと、すみれは祖父達から教育を受けてきたのだった。
そうしてすみれは大人になるにつれて美人になったが、同時に我がままにもなった。両親や祖父の前では演技をするが、付き合う男性はすみれにとって道具のようなものでしかなかった。
そうして彼女は二十一になった。
軽井沢の気候は毎年と同じように昼は暑く、夜は涼しくなる。そんな避暑地の生活を毎年、菱井家は過ごしてきた。
すみれには二人兄弟が居た。一人は年上の兄、すぐるである。もう一人は年下の妹、恵である。父と母と兄弟とで過ごす夏の軽井沢はすみれにとって退屈だった。毎年やるバーベキューや鬼押し出し園での散歩、そんなことにはすみれにはすっかり慣れきってしまっていた。
そうして一日目が終わり、すみれは夜の散歩に出る。辺りは涼しく、人は少なく、閑散としていた。
そんな通りを歩いていたその夜、すみれは一人の青年が道で誰かを待つように、座っているところに出くわした。その青年はなかなかの美男子だった。すみれには勿論、ボーイ・フレンドが居る。しかし浮気なんてすみれは気にしたことがない。夏の夜の思い出にその青年と過ごしてみるのもおもしろいかもしれない。そう思い、すみれはその青年に「何をしているの?」と声を掛けた。
それがすみれと要夏樹とのファーストコンタクトだった。
「何をしているの?」そうその女性は声を掛けてきた。夏樹は思わず、眼をあげた。声を掛けてきたのは、ノースリーブのワンピースを着た、美貌の女性である。どことなく魔性の女と言った雰囲気が漂っている。夏樹は返す言葉を失った。そうして心臓のあたりがどぎまぎし始めた。
「ちょっと休んでいるんです。家族と一緒に居ると疲れちゃって」
「そう。あなたもそう?私もなの。だからこうして夜の散歩に出たのだけどね」
「あなた、名前なんて言うの?」
「夏樹です。要夏樹」
「そう、私は菱井すみれ。あなた東京に住んでるの?」
「はい」
「暇だしちょっと私と話でもしない?」
「はい。喜んで」
「あなたはいくつなの?」
「十七です。高校生です」
「そう。高校生ね、懐かしいわ。私にも高校時代があったわ。とても楽しかった。あなた付き合っている人はいるの?」
「いえ、居ません。好きな人はいたんですけど、もう付き合っている人が居て」
「そう」そう言って彼女は天を仰いだ。
「きれいな星空ね。晴れていて良かったわ。私、星が好きなの。きれいだから」
「そうですか。僕は昼間の空の色の方が好きです」
「そう。あなた可愛い顔をしているのね。東京で私と会わない?欲しい物はたいていの物は買ってあげるわ」
「そんなことなんで僕に言うんですか?」
「さあねえ、気まぐれかな?私は家が金持ちで欲しいものはなんでも手に入ったんだけど、いずれ、結婚しなくちゃいけないの。それまで楽しみたいじゃない」
「そうですか。僕はあなたのことをもっと知りたいです」
「そう。じゃあ、あなたのことも私に教えて」
「僕ですか?僕はなんてことも無い普通の高校生です。友達も居ます。家はふつうの家庭です」
「趣味とかは無いの?」
「趣味ですか?実はあるんですが、笑われるのが嫌で・・・」
「なんなの?私は笑わないわよ」
「詩を書くことです。詩を書くのが僕は好きなんです」
「いい趣味じゃない」
「でも詩なんてもう時代遅れで・・・ネットで発表するけど、反響なんてまるでないんです」
「私はあなたの詩を読んでみたいわ。私は祖父から教育を受けたの。詩だってある程度は分かるわ」
「そうですか。じゃあ今度、会う時に・・・もってきます」
「そろそろ時間ね」
「はい」
「じゃあまたね、私とアドレス交換しましょう」そうして二人は携帯の電話番号とメールアドレスを交換した。
「それじゃあ、また」そう言って夏樹は自分の家族が居るホテルに帰っていった。彼の心には星空が浮かんでいた。それは紛れもない恋だった。それもこれまで経験したことのない強烈な恋だった。夏樹は帰りながら、彼女とのことを思い出してみた。彼女の言った言葉やしぐさ。それを彼は心で反芻してみた。東京でまた会ってくれるだろうか?それが夏樹には不安だった。彼女は美しい。まるで太陽のように。自分が彼女と釣り合うだろうか?そんなことも彼には不安に思われてきた。そうして彼はその晩、彼女とのことを詩に書いた。それはいい詩だった。十七才の恋と悩みを適切な言葉で表現していた。
夏はだんだんと過ぎていった。けれど夏樹はいつまでも軽井沢で会った彼女のことを考えていた。青春の日は過ぎやすい。彼女と夏樹が会ってから、約一か月が過ぎた。その間も夏樹は彼女とメールを交換していた。夏樹は会いたいという一言がなかなか言い出せなかった。けれど彼のこころは素直だった。会いたい、もう一度彼女に会いたい。夏樹はそればかり考えて、毎晩のように悩み、そうして詩を書いた。しかしある日、メールで彼女の方から会いたいと言ってきたのだった。
そうしてその日が来た。季節はもう八月末で夏休みが終わりそうな日だった。
待ち合わせのカフェで夏樹は早めに来て、彼女を待った。やがてやって来た彼女はあの軽井沢の彼女だった。何もかもがあの日のままだった。
「待った?」そう彼女は言った。
「いや、全然です」そう夏樹は嘘を言った。
「相変わらず暑いわね。ここで話をしたら、ショッピングでもしましょう」
「はい」
「この一か月、何をしてきたの?」
「あなたのことばかり考えてきました」
「私のことばかり?本当に?」
「はい」
「私は色々楽しいことをして過ごしてきたわ」
「楽しいことですか?」
「ええ。何かは内緒だけどね」
「そうですか」
「何を飲むの?」
「なんでもいいです。冷たければ」
「そう。じゃあ私はアイスティーにするわあなたはオレンジジュースでも飲みなさい」
「はい」
そうして二人は色々なことを話した。「初恋の相手は?」というすみれの言葉に夏樹はどぎまぎして答えづらかった。
「初恋の人ですか?」
「ええ」
「小学校の頃です。でも僕は彼女を遠くから見ているだけで」
「そんなの初恋って言わないんじゃない?次の恋は?」
「中学の頃ですかね。学校一番のきれいな先輩が居て、会いたさに同じバトミントン部に入ってました」
「そう、それで?」
「話はしましたよ。それで僕には良かったんです。話ができれば。なんて言ったって皆のアイドルですからね」
「それだけなの?告白とかは?」
「しませんでした」
「そんなのつまんないじゃない。青春は一度しかないのよ」
「それで、すみれさんはどんな初恋だったんですか?」
「私、私のは秘密」
「ずるいですよ。僕にばっかり聞いて」
「女は秘密を作るものなのよ。ミステリアスだから、いいの。モナリザと一緒」
「そうですか」
そうして話は終わり、二人はカフェを出てショッピングをしに都内のとあるショッピングモールを訪れた。
夏樹には特に買いたいものは無かった。彼はただ彼女と一緒に居ればよかった。しかし彼女は違った。彼女は夏樹を欲したし、買いたいものもあった。それで買い物はもっぱらすみれの物になった。
「本当に買いたいものはないの?」
「はい。特に」
「服でも買いなさい。私が買ってあげるから」
そう言って彼女は夏樹に夏物の服を買ってあげた。
やがて時刻が来た。二人は別れ、夏木は一人、電車に乗りながら。今日のことを思った。彼女は美しかった。昼で太陽が照っているせいもあるかもしれなかったが、彼女はやはり美しかった。そうして夏樹は買ってもらった。夏物のシャツを持ったまま電車に揺られていた。折からの西日が電車の窓ガラスに映り、真っ赤に燃えた。夏樹は家に帰ると、そのシャツを大事にしまった。
そうして二人は夏の短い間に逢瀬を重ねた。ある時は昼間の喫茶店で二人は会い、色々なことを話した。またある時は遊園地に行ってアトラクションやそこでの散歩を楽しんだ。夏樹はそれだけで幸せを感じた。しかしすみれはすべてを欲していた。すみれは夏樹を所有したかったし、彼に色々な要求をした。夏樹がその命令に従わないときには彼女は怒った。彼女が夏樹に寝ることを強要したときは、夏樹も怒った。
「どうしてそんなにわがままなんですか?」
「なぜって金持ちだからよ。嫌ならいつでも別れていいのよ」
「そんなことを言わないで。僕はこころから君のことを思っているんだ。愛しているんだ」
「愛?愛なんてないわ。私はあなたのことを好きだけど、それは愛じゃないの。ただの好意」
「でも僕は愛があると信じている。僕は小さい時から父や母に愛されてきたし」
「でも利害は誰でも考えるのよ」
「僕は違う。僕は利害の関係なしに君を愛しているんだ」
「そう。でも私は愛なんて信じないの」
「そうか。やっぱり僕達は別々の人間なんだね。違う家に育ったし、環境も違った。いいさ終わりにしよう」
「じゃあ、私と別れるって言うの?」
「ああ。その方がいい」
「そんなことは許さない」
「君が許そうと許さないとは関係ない」
「そんなことは言わないで。私、あなたのこと気に入っているんだから」
「ううん。さようなら」そう言って夏樹はその場を去った。すみれは彼に別れを告げられたことが信じられなかった。もっと彼を知りたかった。もっと彼と一緒に居たかった。それは愛だろうか。彼女はそれを認めたくなかった。しかし夏樹が去った今ではすべてが明白だった。しかし彼女はそれきり夏樹に連絡を取ろうとしなかった。そうして前から付き合っていた男と付き合い、一緒に寝たり、夏樹のいない憂さ晴らしをつづけた。
そうして一年が過ぎた。夏樹は相変わらず高校生だった。そうしてまだ詩を書いていた。彼はときどき、すみれのことを思い出すときがあった。そうして彼女のことをまだ想いつづけていた。けれど、彼はまだ彼女に連絡をしなかった。愛を知らない彼女になんとか愛を知って欲しい。夏樹はそのことばかりを考えていた。それには独立した彼の生活が必要だった。そうすれば彼はまっさきに彼女に会いに行くつもりだった。でもまだ高校生の身に社会人の生活は早すぎた。もし、詩人として有名になったら仕事はあるだろう。しかし夏樹はその仕事に期待していなかったから、大学を早く出て就職するしかなかった。もしかしたらその頃には彼女は結婚しているかもしれない。「その時はその時さ。僕はとにかく彼女に愛を知ってほしいんだ」
そう夏樹は考え日々を送っていた。
そんなある日だった。突然すみれから連絡が来た。
「久しぶり。元気にしてる?」そう電話ごしに夏樹は言われた。
「ええ。元気です。そっちは?」
「元気よ。ねえもし、よかったらもう一度私と会わない?」
「どうして突然に」
「どうしても会いたいの」
「わかりました。いいですよ。会いましょう」
そうして二人は会うことになった。
待ち合わせは最初に会った喫茶店だった。久しぶりに見る彼女は相変わらず美しかった。それは何かはかない花を思わせる美しさだった。
「久しぶり」と彼女は言った。夏樹も返事を返した。そうして二人とも離れていた月日を改めて感じるのだった。
「どうして突然、僕に連絡してきたんですか?」
「それはね、私の命がもう長くないからなの」
それは夏樹には衝撃的だった。
「長くない?」
「うん。私はもう癌で死ぬの。残された時間はあと三か月。だからどうしてもあなたに会いたかったの。私を愛してくれると言ったあなたに会いたかったの」
「そんなひどい、あんまりだ。もうどうしようもないんですか?」
「ええ。だから私のことを忘れないでいてね」
そう言って彼女は黙った。
「残された時間はわずかだけど。その間、私を愛してくれる?」
「はい。勿論です」
「良かった。そう言われたかったの。短い間だけど、私とできるだけ一緒に居て」
「はい」
「この一年間、どうだったの?」
「毎日、あなたと会い、愛を教えることばかり考えてきました。わがままだったあなたにそれをなんとしても教えたかった」
「そう。私は空っぽの暮らしをしてきたわ。私は他の人とあなたと二股をかけていたの。でもその暮らしにあなたが居なくなったら、なんていうか味気ない生活だったわ」
「そうですか」
「最後に大人の恋愛をあなたに教えてあげたいの。あなたのこれからに役立つと思うし。あなたには幸せになってほしいの。この一年間、私は自分をごまかしてばかりだった。あなたを愛しているのに愛していないと思いつづけてきた」
「だから最後に私と一緒に居てくれる?そうすれば私、もう思い残すことは無いわ」
「もちろんです」
「じゃあ、行きましょ」そうして二人はすみれの家へと行くことになった。すみれは一人暮らしをしていた。A区にあるとある高級マンションがすみれの住処だった。そこで二人はキスをすると服を脱ぎ、裸になった。そうして一つになった。それは勿論夏樹には初めての体験だった。それは彼を幸福にした。しかしまた同時に悲しませもした。この彼女との生活があと三か月しかないのだ。そう思うと二人は悲しかった。
夏樹は親に高校を休学することを告げ、学校にも言うと、すみれと一緒に生活するようになった。そうして彼らはできるだけ残った時間を慈しむように暮らした。家事をやるのはもっぱら夏樹の役目だった。食事は外で済ますほうが多かった。
ある時、彼らは飼っている猫のことで喧嘩になった。それまではすみれが面倒を見ていたのだが、夏樹はすみれから面倒を見るように言われていたのだ。しかしある日、夏樹は猫の餌を代えわすれた。そのことで二人は軽い喧嘩になった。そうして夏樹は一度家を出た。彼女は自分を追ってくるだろうか。きっと来てくれる。いや来るはずだ。そう思いながらも夏樹は不安な気持ちでマンションの外で待っていた。
果たして彼女は来た。真っ先に彼女は夏樹に謝った。
「ごめんなさい。あんなことで怒るべきじゃなかったわ」
「僕の方こそ。こんなことで家を飛び出すべきじゃなかった」
「いいの。もう少しで私は死ぬけど、こんな風にいっぱい思い出を作りましょう」
「そうだね」
そうして家へ帰ると二人は再び愛し合った。
そんなある日のことだった。すみれは用があると言って、その日外出した。夏樹はやることも無いし、ついて行こうと言ったが、すみれはそれを断った。
「プレゼントがあるから、楽しみにしておいて」そう彼女は言った。そうして彼女は夕暮れに帰ってきた。夕食の席ですみれは小さい小箱を夏樹に渡した。
それは指輪だった。夏樹のとすみれの二つの指輪だった。
「付けてみて」そうすみれは言った。夏樹は言われるままに付けてみた。
「薬指に付けるのよ」そう言ってすみれは中指にした夏樹の指輪を彼に付け直した。
「これは?」
「私達の結婚指輪よ。結婚はできないけど、これをずっと付けていて。そうして見るときには思い出して。かつてあなたを愛していた人がいたことを」
「ありがとう。なんて言うか、嬉しいよ」
「そう。良かった」
そうして三か月あまりが過ぎると、彼女は寝たきりになった。
「私、もう死ぬのね」
「そんなことを言わないで。余命を越えて生きる人だっているんだ。まだあきらめないで」
「ええ。でも予感がするの。私はもう壊れて無くなっちゃうんだっていう予感が」
「そんなの気のせいだよ」
「私が死んだら、毎年お墓に花を供えに来てくれる?」
「勿論だ」
「ずっと忘れないでいてくれる?」
「勿論だ」
「あとちゃんと私のことを乗り越えて、他の人と幸せになってね」
「ああ」
「最後にあなたの詩が読みたいわ」
「ああ、読むよ」そうして夏樹は彼女の為に書いた彼の詩を読んだ。
「これからも詩を書いてね。ありがとう」
そう言って彼女はこと切れた。夏樹はしばらくぼうっとしたままだった。やがて彼女の死を受け入れると彼は涙を流した。
すみれの葬式は彼女の希望もあって遺族と夏樹だけで行われた。その葬式で夏樹は初めて彼女の兄弟と会った。恵は優しそうな女の子だった。
「お姉ちゃんと一緒に居てくれてありがとう」
そう彼女は言った。また夏樹はすみれの兄すぐるとも会った。冷たい感じのする彼は夏樹にちょっと言葉を掛けるきりで打ち解けて話そうとはしなかった。そうしてあっという間に葬式が終わった。夏樹は葬式が終わると、通夜に参加せずにそのままもと居た両親の家へと帰って行った。
「彼女は今頃どこに居るのだろう?」そう考えて夏樹はすみれの霊がどこに居るのか、考えた。
「今も僕と一緒に居てくれたろうか?」しかしそれは彼には分からなかった。そうして彼はこの三か月あまりを、さらに初めてすみれに会った軽井沢のころを思い出した。(僕は永久に彼女のことを忘れないだろう)そう思いながら夏樹は家への道を歩いていった。
それから六年の歳月が流れた。夏樹は一応詩界では名の通った詩人になった。そうして彼女との思い出は大事に胸の奥にしまわれていた。
また夏樹はある美しい女性と結婚していた。その彼女にはどことなくすみれの面影があった。そうして彼にとって幸せな時間が流れていた。
詩人としての仕事もあった。詩集もわずかながら出版していた。
そうして毎年のように十一月になると夏樹は命日にすみれの墓を訪れるのだった。
「すみれ、元気にしてる?僕は元気だ。僕はもう詩人になったし、結婚もしているよ。でも君のことは片時も忘れたことがない。これからもきっと忘れないだろう。指輪も時々付けているよ。君との結婚指輪も。君は今頃何をしているのだろうな。僕には分からない。僕はきっといつか有名な詩人になってみせる。そうして死んだらまた会おう。それじゃあまた次の墓参りまで」そう言って夏樹はその場を離れようとした。すると一人の花を持った美しい女性がこっちに向かってきた。それは菱井恵だった。
「お久しぶりです」そう彼女は言った。
「僕のことを覚えているんですか?僕は要夏樹です。昔のすみれさんの恋人です」
「勿論、覚えています。あれからだいぶ日も経ちましたね。姉はあなたに会えて幸せだったと思います」
「そうでしょうか。そうだったらいいんですが」
「今は何をしているんですか?」
「今ですか。僕はあまり有名じゃない詩人をやっています」
「そうですか」
「ちょっとそこらでお話をしませんか?すみれの昔のことなんかを教えてくれませんか?」
「いいですよ」
そうして二人は近くのカフェに入った。
「姉はあなたに会えて幸せだったと思います。あんな風に病気になってしまいましたが、それでもあなたの生活があった。それは私にも羨ましいものです」
「昔のすみれさんはどんな人でしたか?」
「それはもう酷い人でした。私は昔、姉にボーイフレンドを取られたこともあります。でもあなたが姉を変えてくれました。姉とのおことは今は美しい思い出となって、私の記憶の中にあるんです」
「そうですか。それが聞けてよかった」
そうして二人は別れた。外はすっかり夕暮れになっていた。夏樹は電車に乗り、すみれのことを思い出した。「いつか必ず有名な詩人になってみせる」
彼はその言葉を反芻しながら帰り道の電車に揺られていた。
君と僕が会うために