小さな人魚姫のラプソディ

 壊れた玩具から音が鳴り始めた。不器用でもどかしい、美しい歌だった。
 その玩具はオルゴールと同じで、背中のネジを巻くと歌い始めるものだった。いつ、誰がそのネジを巻いたのかは、永遠の謎である。だがいずれにせよその玩具の彼女は、歌うことをよく知っている、誇り高き人魚姫だった。
 身長およそ10センチの人魚姫は、くるくるゆっくりと回転しながら、かつては白かった薄汚れた肌と、鮮やかだが傷のある緑色の瞳とを、長く使われていない倉庫部屋の埃に晒して踊っていた。昨日も今日も明後日も、彼女はここで、天命を待ち続ける運命なのである。空からの祝福のような午後の日差しは彼女が唯一、己に身に纏うことを許したドレスであった。
 部屋の窓際には片翼の飛行機模型が吊るされていた。針金で編まれた、飛ぶことを知らない銀色の飛行機は、ただ黙って歌に合わせてプロペラを風に遊ばせていた。ちらちらと揺れる古びたレースのカーテンは、どことなくまとまったリズムで裾を膨らませながら、そっと窓の向こうの青空を覗かせている。
 飛行機はそよ風に乗って、ちょっとばかり人魚姫の方を窺った。人魚姫はその時ちょうど背中を向けて回り始めたところで、飛行機がそちらを向いたということには全く気が付かなかった。二つの玩具のタイミングはなぜか、滅多に合うことがないのである。飛行機は残念だという風でもなく、ゆったりとまた、元の位置へと機首を滑らせた。
 倉庫部屋の隣りの子供部屋から、時々、コンピュータ・ゲームの音が伝わってきた。そのゲームの電子音は妙に甲高く、質量のないゴムボールのように、急に一気に跳ね上がりながら、無遠慮に再び地に落ちて消えた。
 倉庫の隅に山積みにされた古いパソコンが、電子音の響く度に、懐かしそうにハミングしているのを、人魚姫は耳にした。もちろん電源の入っていないマシンは終始無言なわけなのだが、それでもけっこう、箱型のパソコンというのは何か喋っているなと、彼女は思うのだった。
 カラカラと部屋のどこかで風車が回っていた。飛行機は風に吹かれて回りながらのんびりと目を凝らし、やがてその隠れ家を発見した。百合の花に似た大振りの風車は、飛行機の対角線上の隅で、とっぷりと薄い影の中に浸り、いとも満足げに自身のアイデンティティを楽しんでいた。
 人魚姫の歌はたまに途切れつつ、流れつつ。音符の一粒一粒を大層丁寧に、風に手渡していった。
 ふいに、積まれた本の一番上に置かれた絵本が、ひとりでにパラパラとページをめくった。その本のパステルカラーの挿絵の上には、乱暴な、深緑色のクレヨンの落書きが描かれていた。見かねた風がもう1ページだけめくると、そこにはまっさらな、何も描かれていないページが、広がっているばかりだった。
 ほのかに温かい日の中へ、ちょっとずつ溶けて行けていってしまうではと思われるような気配が部屋を包みこんでいく。その中をつんざく子どもの笑い声は、素知らぬ顔で、元気よく空へと駆け昇って行く。人魚姫の歌が徐々にぎこちなく、あえかになっていく。
 ふっ、と、風の凪いだ時、人魚姫の歌はついに、ぴたりと止んだ。
 残された風と草花の囁きが、それからほんの少しの間だけ、部屋の中にこだましていた。

Fin.

小さな人魚姫のラプソディ

小さな人魚姫のラプソディ

置き忘れられたオルゴールが奏でる、暖かな旋律。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-27

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