大大名の子孫

 太一の郷里瑞浪市は土岐家発祥の地として知られている。土岐氏が同地に拠点をおいて活躍したのは百九十年間と郷土史に記されている。それだけの年月、国家と政治的な関わりを持っていたというのは市民の誇りだろう。土岐一族は戦国時代から江戸時代に栄え、最盛期は美濃、尾張、伊勢の三国の守護大名になった。父方の祖母フサはいつの頃からか、土岐家と血筋が繋がっていると言い出した。商売をしている太一の家にも時々訪ねてきて、自慢するので次男の父は、
「うちはそんな家柄やない。他所では言わないほうがいいぞ」
「わしはええ家の娘やったけど、ドン百姓の家に嫁にきて、えらい損をしたわ」
「農業も立派な仕事や」
 諫めた。父の実家は平凡な百姓家で武家とはまったく無縁である。フサがどうしてそんなことを口にするようになったのか、不可解だった。高齢のせいで、記憶に変調を来し、虚言癖になったのかもしれない。それでなくとも、太一はこの婆さんをあまり好きではなかった。
「太一も大きゅうなったなあ。おちんちんにも毛が生えたやろう」
 品のない祖母にはゲッときた。
 フサは長男の嫁と仲が悪くて、黙って家を出てしまうことがあった。行くところは大概決まっていて、親しい年寄りの家である。が、いつまでも居られず、しばしば太一の家で寝泊まりすることがあった。一日二日のつもりがずるずると延びてしまうのだ。そのことで父母はよくもめた。
「お祖母ちゃんは、そろそろ家に帰ってもらったら、ええのに」
「もうちょっとや、辛抱してくれ」
「この間なんか、自分の部屋にテレビを置いてくれと言わっせるから、かなわんわ」
「俺がよう言って聞かせるから、そのうち帰るやら」
 そんなやりとりをして間もなく、フサがいつものように勝手に出て行った。行き先は誰にも告げなかった。三、四日した頃、太一は鳥籠を掃除するためにインコを室内に放した。ところが、糞や羽毛を取り除いているうちに逃がしてしまった。家の中や周辺を捜したが、どこにも見当たらない。外は雲が垂れこめ、今にも雨の降り出しそうだった。しばらくして、近所の人が川向こうの雑木林で見たと教えてくれた。太一は籠を手にして、すぐに駆けて行った。
 商店街を突き抜けて、瑞浪大橋まで来ると、橋の真ん中辺りに大勢の人が群がっていた。中には欄干から身を乗り出すように川面を見下ろしている人がいる。野次馬によると、水死体が沈んでいるというのだ。川は昨日降った雨で濁って水嵩が増えている。普段は清(す)んでいて、魚が水を切って泳ぐのが見えるのだが。
 群衆はある一点に目を凝らしている。そこには着物の長い帯がユラユラ揺れている。それが如何にも身投げして流れついたように不気味な感じがした。その時、
「あれは土岐家のお祖母様かもしれんぞ」と言う声が聞こえた。
「ほや、帯の色も高貴そうやしな」
 太一は羞恥心で顔が上げられなかった。
 やがて、警察官が二人来て、衣服を脱いで水の中に入って行った。降ったり止んだりの秋雨で冷え冷えとしている。太一はいっときインコのことを忘れて、成り行きを見守った。フサでないことを祈るばかりだった。
「お役目ちゅうても大変や」
「放ったらかしておいたら、土岐家も浮かばれんからな」
 見物人達が冷やかしている間、警察官は川床を歩き難そうに進んで行く。滑りそうになったり、重心を失いそうになったりしながら、布に辿り着いた。た。深さは大人の下半身くらいだが、中年の警察官が腰をこごめて、体を水に浸すようにしゃがんだ。そして両手で水底に這わせた。皆が心待ちするように見ていると、立ち上がって帯らしい布を引っ張りあげた。死体ではなかった。人々から溜め息が漏れた。警察官はぼろ切れを腹立たしげに水に叩きつけた。太一は安堵感を覚えながら、とんだ寄り道をしたと再び川向こうに走った。黒ずんだ色の雑木林の一角に色彩の豊かな羽が見えた。インコは杉の木の枝にちょこんと止まっていた。先ほどからこうしてじっとしていたに違いない。それは家出娘が困り果てているような様子だった。太一は自分の背の高さほどの枝にそっと腕を延ばして掌に収め、鳥籠に入れてやった。
 フサは三年後に亡くなった。最晩年も相変わらず、土岐家は優秀な人達が何人も出ておると、折に触れて話した。そして父に、
「おまはんとこの太一はあかん子や」
 遠慮なく笑ったと言う。

大大名の子孫

大大名の子孫

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted