戦慄!! 害虫伝

私は、その人生に於いて過去9度の引越を経験しました。
その引越先の家々では、信じられない位“虫”の被害に遭って参りました。
ここに紹介するのは、私とその家族が、過去から現在に至る迄の“害虫達との闘い”を綴った衝撃(?)の記録であります。
予め申し上げておきますが、虫嫌いな方、生理的に受け付けない方はどうか読むのをお控え下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。

戦慄!!“ヤスデ”騒動!!!!

「ヤスデ」という虫をご存知だろうか?
漢字では『馬陸』と書くらしい。
某検索サイト等で調べた処、種類はかなり多いものの、その殆どは山野や森林に棲み、人家に出没するのはごく一部の種類だそうだ。
その見た目は「ムカデ」に酷似しており、素人なら混同してしまう事も。
然し、ムカデのように刺したりはせず、触れると臭液を発する程度で実害は殆ど無く、所謂“不快害虫”の類いに含まれるという。

と、ここ迄書いてしまえばそんなに悪い奴でもなさそうなきらいもあるが、実際私とその家族は、貴奴等から多大な実害を被ったのである。

それは私が高校2年の夏の事 ――――、
その年の春頃、私の父は独立して小さな小さな会社を立ち上げた。無論事務所は“自宅”である。
その父が先ず始めた事業が、何を思ってか「簡易水洗トイレ」の設備工事だった。
今では当たり前になった水洗トイレだが、当時は普及率も50%程度で、和式の汲み取り式トイレもまだまだ普通に存在していた。
(斯くいう我が家も和式の汲み取り式だった。)
そこに着目した父は、郊外をメインにまだ普及が追い付いてなかった洋式の水洗トイレを広めるべく、知人に勧められた事もあってこの事業を始めるに至った、という事である。
ここで一応解説しておくと、「簡易水洗トイレ」とは、下水道がまだ整備されていない地区で主に使われる設備で、地下に浄化槽を掘り、そこで汚水をある程度綺麗にしてから河川に流したりするシステムの事、らしい。

まぁ余談はさておき、当時高校生の私から見ても、事業の才覚など皆無に近いような父は、あろう事か、事業の先行きも見定めぬまま、その胡散臭い知人の口車に乗って、約20台分の簡易水洗用便器を、しかも現金で購入したのである!!
そして、代金振込と同時に送られてきた約20台の便器は、それ迄私達が自転車置き場として使っていた外のテラスを完全に占拠した。

それから1ヶ月程経って………、
私の嫌な予感通り、便器はやっと1台売れた程度。
しかも、これは後に判明した事だが、父が取引した便器製造メーカーは、欠陥品許り造る悪質企業で、漸く売れた1台も欠陥品!! それで父は暫くは、その客のクレーム処理に追われていたようである。
更に最悪な事に、父が代金を振り込んだ後その会社は程無く倒産(計画倒産の疑いアリ)、何の補償も成される事無く、父に残されたのは20台近い粗悪便器の山だけだった。

実は、この山と積まれた便器達が、これから訪れる“ヤスデ騒動”の元凶になったのである!!
当然乍ら、便器は段ボール箱で梱包されていた訳だが、外のテラスに積み上げていた為に梅雨の風雨に晒され、段々と劣化していった。父はその後も営業活動はしていたものの、売れる気配は全く見られず、月日は徒に過ぎ、箱はみるみる朽ち果てていった。

そんな梅雨も空けた或る日の事 ―――、
突然、本来家の中に居てはならないモノが現れた!!!
それは、言わずもがな“ヤスデ”である!!!
第一発見者は母。先ずは1階の台所や応接間の隅に出現し、その範囲は日を追う毎に拡大していき、次第に壁や天井に迄その醜悪な姿が見られるようになった。
そして遂には、2階の私達の部屋に迄、貴奴等は日を重ねる毎に物凄い速さで増殖していった!!
この余りに異様な状況に敢然と立ち上がったのが、当時一緒に暮らしていた父方の祖父(当時齢80過ぎ!)であった。
祖父はある程度目算を立てていたのか、ヤスデが家中に湧いたその元凶がテラスに折り重なった便器の、劣化の進んだ段ボールだと見事看破した。
段ボールは緩衝用に波状構造の素材で形成されているが、そのミリ単位の隙間一つ一つに貴奴等は巣食っていたのだ!!
所詮は紙製の段ボールの侵食は予想以上に進行しており、約20台の便器の段ボール箱のほぼ全てが貴奴等の“コロニー”と化していた。

貴奴等は何処でもお構い無しに這い回り、時折天井から落下もする。それがどれ程の恐怖を我々家族に与えるものなのかは、正に筆舌し難いものがあった ――― !!!!
先ず、普通に部屋で過ごしていると机の上は勿論の事、肩や腕、頭に迄落ちてくる。
更に食事中、料理の上に落ちてくる。私達は常に天井を気にし乍ら食事を摂らなければならなかった。
それに、おちおち眠る事も儘ならない。万が一、無意識に口を開けて眠ってしまうと、誤って口の中に迄入り込んでしまう危険性もある。そんな恐怖に毎夜毎夜、我々家族は全員晒されていた。

貴奴等は見た目が先ず不快なのは言うに及ばずだが、それ以上に、前述の通り触れた途端激臭を放つ。それは何かの薬品にも似た異様な臭気で、兎に角鼻が曲がりそうな程臭い!!
(実際その臭気で、出したヤスデ本人(?)達が死んでしまうという事例も報告されている位である!!)
ましてや、誤って踏んだりしたものなら最悪だ。直に触れると、その臭液の臭いは石鹸で洗っても中々取れない。
よって我々は直接潰したりして殺す事はせず、非常に非効率的でまだるっこしい方法ではあったが、見付け次第要らなくなった割り箸で一匹一匹摘まんで、ナイロン袋に入れ窒息死させて捨てていた。

こうして我々がその場凌ぎの退治に従事し、根本的な根絶法も見出だせず手を拱いている間も、貴奴等は加速度的に増え続けていった。
月日は経ち我々子供達は夏休みを迎えるも、心は晴れる処か真っ暗だった。そして遂に、我々の限界もピークに差し掛かった頃、漸く祖父が父に噛み付いた。
「あの便器、どうにかならんのか!?」
ところが父の態度は煮え切らない。何しろ大枚を叩いて買った代物である。1台でも多く売らないと、支払った金が全て“ドブ銭”になってしまうと思っていたのだろう。

だがそれから数日後 ―――、
私が学校の夏期補習を終えて帰って来ると、家の正面の休耕田から、真っ黒い煙がモクモクと立ち上っているのが見て取れた。
それは、明らかに約20台に及ぶ便器の入った段ボールの煙であった。
父は遂に決心し、その全てを文字通り“灰燼に帰した”のであった。
(今こんな事をすれば、ほぼ100%通報されるであろうが…。)

その甲斐あってか、それから数週間の時を経て、貴奴等は徐々に鳴りを潜め、遂にはその全てが居なくなった。私達は漸く、ヤスデの恐怖から解放されたのであった!!

これが、私の人生の中で最も辛く、衝撃的な“虫”の受難である。
果たして、あれが3~4ヶ月の出来事だったのがまだ救いだったのかも知れない。
祖父の諫言に従わず、父があの段ボールを放置し続けていたとしたら、我々はいつ迄あの恐怖と向かい合わなければならなかったのか………、
想像するだけで今でもぞっとする。
尤も、これら全ての大凶事を招いたのは他ならぬ父本人である事は言う迄もないのだが…。

今でも、梅雨のじめじめとした日、陽当たりの悪い箇所にたまにヤスデを見掛ける事がある。彼等は単なる“不快害虫”と解ってはいるものの、その姿を見ると、やはりあの頃の恐怖の記憶が鮮烈に甦り、思い出さずにはいられない!!
所謂これが「トラウマ」というものなのであろう………。

戦慄!! 害虫伝

最後迄お読み頂き、本当に有難うございました!!
実は書く前からかなり“危険な内容”になるのでは…?と懸念しておりましたが、案の定でした。
然し乍ら、書き手側としましては、結構ノリノリで書けた感も否めませんで…。
そんな訳で、これからも徐々にではありますが、更に強烈なエピソードを書き綴っていく所存でおりますので、楽しみに(?)お待ち下さい。(笑)

戦慄!! 害虫伝

謂わば、先に著した「私見 昆虫記」の“外伝”的エッセイで、とりわけ“害虫”にスポットを当てた内容になっております。 「昆虫記」より更にショッキングな描写もあります。 なので、特に虫が生理的に無理な方は、“要・閲覧注意”でお願いします!!!!

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更新日
登録日
2015-07-26

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