ライターゴースト
某出版社の文芸雑誌編集部。
「編集長、すごい新人を発掘しましたよ!」
興奮を隠し切れない様子で入って来たのは、三十代前半ぐらいのボサボサ頭の男である。
帰り支度をしていた初老の男は、入って来た男を見もせず、ボソリとつぶやいた。
「おまえの『すごい新人』は聞き飽きたよ」
「いえ、今度こそ本物です。十年に一人、いや、百年に一人、いや千年に」
「もう、いい。おれはこれから接待がある。話は明日聞く」
そのまま出て行こうとする編集長を、ボサボサ頭が慌てて止めた。
「せめて、ちょっとだけでも目を通してもらえませんか。読めばわかります」
何か言いかけた編集長は、諦めたように溜め息をついた。
「見るだけだぞ」
「ありがとうございます。お願いします」
ボサボサ頭は、ペシャンコの鞄からA4サイズのコピー用紙を取り出した。
「何だこれは。ちゃんとした原稿じゃないのか」
「ああ、すみません、説明するべきでした。作者は自分のブログに作品を発表しているだけなので、ぼくがプリントアウトしました」
「そんなやつ、世の中にゴマンといる。どうせ、小学生の作文レベルだろう」
「違います、違います。とにかく読んでみてください」
編集長はチラリと時計を確認した。押し問答する時間の方が惜しい。しかたなく原稿に目を通したが、次第に戸惑ったような表情になってきた。
「うーん、斬新というか、癖があるというか、見たことのない文体だな」
「でしょう」
嬉しそうに言うボサボサ頭に、しかし、編集長はピシャリと釘を刺した。
「だが、内容はちっとも面白くない。平凡な日常を、変わった文体で書いているだけだ」
「そうです、そうです。そこが新しいんです」
「新しければいいってもんじゃない。どうせ、中二だろう」
「いえいえ、作者は六十七歳、しかも、科学者です」
「まさか」
編集長は原稿の作者名を見て、ギョッとした表情になった。
「古井戸淳之介って、あの古井戸博士か」
「そうです。ご存知ですか」
「以前、別の雑誌の担当の頃、インタビューしたことがある。変わった博士だが、小説を書くようには見えなかったが。うーん、しかたない。乗りかかった船だ、明日にでも行ってみるか」
翌日、編集長は古井戸博士の研究所を訪れた。
「突然押しかけまして、すみません」
白衣で白髪の博士は、にこやかに出迎えた。
「いやいや、いいんじゃよ。ちょうど研究が一段落したところじゃ」
編集長は応接間に通された。
「さっそくですが、博士がブログにアップされている小説のことで伺いました」
「ほう。あれがどうかしたかね」
「あ、いえ、失礼を承知で申し上げますが、意外でした。博士にああいう御趣味がおありとは」
博士の頬が赤く染まった。
「すまん。やはり、プロの目は誤魔化せんかったか」
「えっ、どういうことですか」
「実は、あれを書いたのは、わしではないんじゃ」
編集長は少しホッとしたような、少し残念なような表情になった。
「はあ。では、ゴーストライター、ということですか」
「うーん、というより、ライターゴースト、じゃな。ちょっと、待っておってくれ」
博士は、自分のデスクからノートパソコンを持ってきた。
「このPCに、わしの作った『ライターゴースト』というプログラムが入っておる。このプログラムはネットを通して世界中の文学作品を読み漁り、その断片を適当につなげて新しい小説を書くのじゃよ。とにかく、早いのが取り柄で、ショートショートなら一分間に千作以上書ける。もっとも、大半は意味不明、支離滅裂じゃがね。残念ながらコンピューターには、文学作品の良し悪しがわからんらしい。それでも良ければ、もう何百万作かストックがあるから、好きなものをさしあげるよ。遠慮はいらん」
「あ、いえ、結構です」
編集長は逃げるように帰って行った。
(おわり)
ライターゴースト