決闘ララバイ

決闘ララバイ

 分厚い雲が空を覆い、薄暗いその中を乾いた風が一陣、吹きぬける。
 対峙するのは屈強な男二人。どちらも鋭い眼光が相手を威嚇するように暗く輝いている。手入れのされていない、伸ばし放題の黒髪を後ろで束ね、無精ひげを片手でなでると、ぞりぞりと硬い音がした。そしてもう片方の手には――拳銃。黒く無骨な凶器がきつく握られている。
「いいか。互いに背を向け、十歩歩く。それから振り返り、相手を撃つ。簡単なルールだろう」
「異論はない。ここで決着をつけよう」
 睨み合う二人の視線が重なり、不可視の火花が散る。
「こうするのが一番手っ取り早かったんだ」
「ああ。長年の恨み、ここで晴らしてやる」
「用意はいいか」
「いつでも」
「よし。では……」
 一人が(きびす)を返す。と、そこでもう一人が眉をひそめて、
「待て。ここは合図を決めてからにしないか? よーいドンとか、いちにのさんとか」
 それに相手はもう一度振り返り、
「それもそうだな。合図を決めたほうがいい」
 まったくそのとおりだとばかりに数度頷いてみせる。
「では、よーいドンにしよう」
「いや、いちにのさんにしないか? よーいドンだと、なんか急がなきゃって気分になる。走らなきゃって気分になる。歩くにはふさわしくない」
「いっせーのーせ、では駄目か?」
「うむ。俺もそれは考えた。だが、これは地域によって言葉が多少異なるだろう。たとえば今、ここではいっせーのーせと言っているが、実際作者の地元ではいっせーのーでと言うらしい。いや、どちらが正しいとかメジャーとかそういうことではないんだが、なんか気になるだろう。気になって判断が鈍るだろう」
「なるほど。それはよくないな。では、いちにのさんでいくか」
「それがいい。だが一つ疑問がある」
「なんだ。言ってみろ」
「なぜ、いちにのさんって言うんだろう。なぜ、『の』が入るのか、俺はそれが不思議でしかたない。いちにーさんでは駄目なのか? いや待て。『に』を伸ばすのも謎だな。いちにさんでもいいはずだ」
「たしかに一理あるな。ただ俺が思うに、文字数を合わせただけなんじゃないのか? いちとさんが二文字で、にが一文字だとなんか変だろう。かわいそうだろう、にが。他は二文字なのに、にだけ一文字じゃ不公平じゃないか。長男と三男がケーキを二個食ってんのに、次男だけが一個なんだぞ、言うなれば」
「しかし、だからと言ってお情けでオマケを貰っても、それはそれで次男かわいそうじゃないか? ケーキと一緒にご飯を貰っても嬉しくないだろう。ケーキをおかずにご飯は食えないだろう。胸焼けどころじゃ済まされないぞ」
「ご飯と考えるから駄目なんだ。紅茶ならどうだ。ケーキと紅茶。優雅だろう」
「待て。それだと今度は長男と三男がかわいそうだ。ケーキ二つも食って飲み物なしなんて、それこそ胸焼けするぞ。なにか飲ませてやりたい」
「じゃあ水でも飲ませておけばいい」
「ケーキに水なんて合わないだろう」
「しかし、味をつけると今度はまた次男が救われない。……いや待て。それでは緑茶ではどうだ」
「なるほど。緑茶ならケーキに合うのか合わないのか微妙だな。それなら紅茶の次男を立てつつ、長男と三男の喉を潤してやることができる。見事な配分だ」
「よし、それでいこう。紅茶を考慮して、いちにのさんだな」
「うむ。異論はない」
「では……」
 そして二人の戦士は「いちにのさん」で踵を返し、互いに一歩一歩前進する。
 もしかすると、次の瞬間、自分は死んでいるのかもしれない。
 だが、それでも悔いはない。三人兄弟が仲良くおやつを食べている風景を思い浮かべ、(わず)かに微笑む。自分の生きた証はこの兄弟の笑顔なのだと胸を張って断言できる。俺たちは生きたのだと。
「七……八……九……」
 そして最後の一歩を踏み出さんとするその時――
「けんちゃーん、おやつですよー」
「まーくん、お菓子買ってきたわよー」
 遠くから風に乗って聞こえたその声に、屈強な戦士二人は揃って声を上げた。
『はーい。いま行くー』
 
 
 二人の男は再び対峙する。
 長い髪を揺らし、刃物のように鋭い眼光で相手を睨み据えながら、
「今日のところは、勝負はお預けだな」
「ああ。おやつの時間だからな」
「明日また会おう。お前の命日にしてやる」
「すまん。明日は塾なんだ」
「塾か。それじゃ仕方ないな」
「あさってなら空いてるぞ。お前の命日にしてやる」
「すまん。あさっては俺がスイミングスクールなんだ」
「スイミングスクールか。それじゃ仕方ないな」
「じゃあ予定空いてる日が分かったらメールする」
「うむ。そういえばお前のメール、こないだかわいい顔文字あったな」
「ふふふ。毎日研究しているからな。だがお前こそ絵文字の使い方うまいではないか」
「まあな」
「では……」
「ああ。またいつか……」
 そして二人はそれぞれの帰路につく。いずれまた訪れるであろう決闘を思いながら。
 だが今は忘れよう。
 今考えるべきは――今日のおやつだ。

決闘ララバイ

決闘ララバイ

「では、よーいドンにしよう」

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

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