ブローブロー
がらりと教室の引き戸を開けて入ってきたのは、隣のクラスの里山くんだった。
容姿端麗、スポーツ万能。なんとも女子受けの良いスペックだ。
かと言って非の打ち所がまったくないかと問われれば実はそんなこともなく、この少年、ものすごく女癖が悪いことでも有名だった。
「やあ智美ちゃん、おれのことは知ってるかい?」
変な挨拶だと思うかたもいるだろうから解説。この男とわたしは、このとき初めて言葉を交わしたのだ。初対面でいきなりちゃん付けとは。
ともあれ、彼はわたしの教室にずかずかと上がり込み、女子の憧れの熱視線と男子の殺意を一身に浴びながら、それでもまるで事もなくへっちゃらな顔をして、颯爽とわたしの机へと歩いてくると、前の席に腰を下ろした。
で、開口一番これである。
「ごめんなさい、どちらさまかしら?」
知ってるけど、知らないふり。ちらりと顔を上げて彼を見てそう言うと、すぐにまた読書に戻る。
わたしの机に乗せられていた彼の手がほんのちょっと、ぴくりと動いたような気がした。
「へ、へえ、きみ、おれのこと知らないんだ? これでもけっこう有名なつもりだったんだけどなぁ」
それにわたしはたった一言。
「あっそ」
さっきよりも強く、今度はたしかにわかるくらい、彼の手がぎゅっと握られる。きっと彼なりのプライドがあって、わたしはそれをいともたやすく壊してしまっているんだろう。ああ、楽しい。でも気づかれてはいけない。あくまでさらりとやってのけるのがクールなのだ。
すると里山くんは制服の胸ポケットからひらりと紙切れを出して、わたしの前に差し出した。
「映画の割引券があるんだ。『特攻野郎イソノ家・地中海殴り込み大作戦』。これ、観たかったんじゃないの?」
思わず顔を上げる。その映画はたしかに観たい。でもなんだか気恥ずかしくて(タイトルがタイトルだし)誰にも言えずにいたのに。劇場で知ってる人に会うのがいやで、足を向けられないでいたのに……と、はたと思い出す。そういえば優子にだけ、ちらりと話した記憶がある。やつめ、親友を売ったな。今度会ったらくすぐりの刑だ。すでにとなりの席にいるけど。
なんて思って優子をじろりとにらんでいたら、里山くんの「次の日曜日に行かないか?」の言葉ではっと我に返った。
さて、どう返してやろうか。
「くれるの? ありがとう、嬉しいわ」
彼からチケットを受け取って確認する。間違いない。特攻野郎イソノ家の割引券だ。
「おれの服、周りからちょっと浮いてるかもしれないけど勘弁な」
わたしが彼に好意を持ったとでも勘違いしたのか、里山くんは顔の前で手刀を切って、ぺろりと舌を出してみせた。彼のこのポーズで、たぶんほかの女の子たちは胸がキュキューンとなるのだろうけれど、残念ながらわたしには通用しない。なよなよしてて気持ち悪いだけだ。だいたい周りから浮いてる服ってなに? きっと高級な、ガチガチの勝負服でかためてくるからって意味なんだろうけれど、そのなんちゃって自虐的な態度にはむかむかしてくる。
さあ、ここからだ。
「どうぞご自由に。わたしはこの割引券を使って、通常の金額を出すから」
意味がわからないという顔でわたしを見つめる里山くん。ごめんなさい、そろそろあなたの顔は見飽きたわ。
「どういう意味だい? それじゃあ割引券の意味がないじゃないか」
半笑いで訊いてくる彼。
この場にいる男子諸君、とくと聞きなさい。そして見なさい。この女たらしイケメンが崩壊する様を。
わたしはすっと席を立って、彼に背を向けて歩きだし、肩越しにチケットをぴらぴらさせながら言ってやった。
「わからない? わたしはこの割引券を使って、あなたの存在を割り引くのよ」
通常の料金一人分と、割引券二枚。二席ともわたしが占めれば、里山くん、あなたの席はないわ。
事のなりゆきを見守っていた男子たちからわあっと大歓声が上がる。
最後に肩越しに振り返って、呆然としている里山くんにウインクひとつ。
「じゃあね。ごめんあそばせ」
ブローブロー
灯挨五十題 02.「わからないのかい?」 http://kisstocry.web.fc2.com/title50/title50-04.html