10、ボウイが絆?

10、女の更年期はなんてやっかいな

10、女の更年期はなんてやっかいな 


 理沙は自分の部屋に戻るとベッドの上に膝を抱え座りこんだ。真っ暗な部屋でじっと目をこらしていると明るく、きらきらしていたあの頃の自分がこちらを見て笑っていた。
「私、こんなだったかしら。」
理沙の独り言に過去が揺らめいて理沙に寄り添う。


そうだった――学生時代は本当に楽しかった。もちろん勉強はきつかったけど。とにかく今ではけして手に入らないものが目の前にいくつもあった。夢、友達、時間、そして恋。――研二と出会ったあの夏。

 あれは大学二年の夏休み。女友達三人で行った高山の旅だった。あの夏から私の人生が始まった。だって研二と出会った瞬間にはもう恋をつかんだと確信していたもの。不思議な程自信にみちていて運命というものをはじめて感じていた。


それまでは運命なんて何も自分ではできない人が口にする言葉だと思ってたのに。
だって高山で出会ったのに実は同じ大学に行っていたなんて運命が連れてきたとしか思えない。もう、それがうれしくてその思いを友達に隠すこともできない程舞い上がっていた。たった一週間の旅が結婚への始まりになるなんてね。東京に戻ってからの恋の速度は速かったわ。
理沙は忘れかけていた研二の顔をぼんやりと思い浮かべていた。
(私達別れてから一度も会ってない。記憶の中の彼は昔のまま。――変よ。私だけ歳をとったみたい。)
 


桜井研二。あの夏、彼は学生生活最後の夏休みを楽しんでいた。就職も決まり男友達五人のバイクの旅だった。
やわらかく茶のかかった長めの髪にすっきりした瞳。ひきしまった細めの体。まるで絵に描いた様な容姿、もてる男であるのはだれもが認める所。その上テニス部の部長で、友達も多い。彼に近ずく女性は当然多かった。

一方理沙も頭のいい切れ長の美人と呼ばれていた。でもどういうわけかお互い出会うまで本気になれる相手は見つからなかった。多分それは二人の心の底に眠っている無意識のこだわりのせいだろう。そしてそのこだわりがお互いを引き合う要因にもなった。


研二も理沙も謙虚という美徳の下に自分は特別かもしれないというプライドをたっぷりと隠していた。自分への自信、将来への期待、だからこそそんな自分にふさわしい高いレベルの相手を望んでいた。
(今考えるとつまらないプライドね――。)
でも――あの恋は本物だった。楽しくて、辛くて。何より研二は私が女である事を強く意識させた。女らしさなんて男の抱く身勝手な幻想だと思っていたのに。その私が研二の前では自ら女らしさを求め、捜していた。


研二は優しかったし、時に強引で、私の人生であんなに蜜がいっぱい詰まった時期は他にはない。
でもそんな時は長くは続かない。一年くらいたった頃だったかしら――突然不安が私を覆うようになった。いつも怖くて。別れがすぐそこにある気がして。研二が誠実だと思いながらわざわざそれを自分で打ち消す。まったくばかな行為..妄想に頭は混乱、心は疲れて、眠れない日が何日も。あれは彼とというより自分の妄想との戦いだった。それでも私達はそんな時期を乗り越えた。時間と歳が二人に程よい距離と穏やかさを連れてきてくれた。
ああ――本当に長い付き合いだった。出会って結婚までほぼ十年。その間に研二は外資系保険会社に就職し、私は今の仕事についた。


(顔もぼやけてるけど私の人生から彼ははずせない。あれがなければ本当に仕事だけの女になっちゃう。あんなに短い結婚生活なのに。もう昔の話なのにこの期間しか色のついた時期がないなんて情けない。あとはほとんどセピア色ね。)
 


 私が二十九歳で結婚を決めた時、二年で別れるなんて誰が想像したかしら。
育った環境、経済面、長い付き合い、問題はどこにも見当たらなかった。二人ならなんとかうまくやるだろうと本人達も考えていた。ただひとり母だけは別だが。仕事がまだ半人前で上昇志向の強い理沙が家庭と仕事を両手に乗せてうまくバランスをとれるのか心配していた。
(あの時私は母の心配を取り越し苦労だと笑っていた。仕事への情熱と研二の愛情はまったく別のものなのだから。だけど重要な事実を忘れていた。体も心もひとつだという事を。しかも私は我慢が苦手だった。母の不安は大当たり。十年の恋愛はわずか二年の結婚生活で終わった。――母の感は恐ろしいものね。)



二人の生活がうまく流れたのは――そう、半年?そこから何かが二人の間に割り込んで。気ずいた時にはもう気持ちがかみ合わなかった。悩んで、幾度も話し合って頭で考えられる事はなんでもしたわ。研二は今まで以上に家事に協力もしてくれた。私だって二人の時間の為にできる限り仕事を持ち込まないようにした。忍耐と努力だけが私達をつないでいた。でも結局お互い納得していなかった。心のこもらない努力が愛を呼び戻すわけがない。忍耐はいつしか不満に変わり、不満は不信をつのらせた。



(だいたい私が仕事を続けるのを研二はむしろ望んでいたはず。少しくらいの手抜きは仕方ないとも言ってた。なのに勝手なもんだわ。仕事と家事のバランスくらい上手にこなす賢い女だと思い込んでたんだから。まあ、私も研二は私の仕事の最大の理解者だと信じ込んでたけど。お互い自分の都合のいい思い込みで結婚したのかしら。――なんてありがち。私達って思ってたよりバカ・・・。)



そんな時だった。ある日研二が突然私に決断をせまった。まさかそれまでは研二に別れる覚悟があるとは思わなかった。――あの時、彼の声がいつもより穏やかで、優しかったのが妙な気はしたけど。
「理沙はこの先どうするつもり?――俺達結婚しない方がよかったのかもな・・・。」

「それは――結論をだすのはまだ早過ぎるわよ。二年じゃね。」

「そうかな。本当にそう思ってる?――俺はなんか結婚した気がしないんだよ。二年もたつのに。これからの事とか、子供の事とか話した事ないよね。時間もない。君が話す事は患者の事と、明日の予定と、自分の仕事への思いだけ。理沙の頭の中には俺の人生の将来というのはあるの?理沙にとって結婚は生活の場所と暮らす相手を変えただけじゃないのか?」

「――そんな事ない。研二の事だって子供の事だって考える。ただまだ早すぎる気がして。」

「早すぎる?もう三十を過ぎてるんだよ。俺は子供も早く欲しい。理沙は?」

「私は――今はまだ。もう少し仕事に余裕が出ないと――。」

「で、それはいつ?どのくらい待てばいい?」
「んん・・・何年か先かな。」

研二が悲しそうな笑みを見せる。
「そうか。俺は限界だ。決断するなら早い方がいい。今なら悲しむ子供はいない。お互い人生を無駄にしないためにも。――理沙の考えは?」
あの時の研二のまなざしはおかしなことだがこれまでで一番素敵なまなざしだった。真剣で優しくて。私は少しだけ迷った。そしてこう答えた。


「そうね。それなら二人の生活をやめましょう。」と。
(そう言うのに五分もかからなかった。あまりにあっさりと決めていた。自分でびっくりするほど。まず頭をよぎったのはこれで何にも制約されず仕事に打ち込めるという事だった。なんていう女だろう。おかげで私は思い切り自分の為に時間を使えた。その結果ひとりで幸せは程遠いと感じてる今の私がいる。勝手な女の結末か・・・これって笑えないジョーク?ただの更年期?)
 

女の更年期はやっかいだ。わけもなく沈み、苛立ち、不確かな期待やいさぎの悪い後悔が目まぐるしく心を揺さぶる。どことなく思春期にも似ているが人生の現実もそれなりに味わって来た分悲しみも怒りも残酷なまでに自分を突き刺す。
理沙は急に立ち上がり息を大きく吐き出し頬を手の平でたたいた。そして埃をかぶった昔のアルバムを手に取ると布団にくるまった。それからゆっくりと開く。そこには無邪気な笑顔の自分がいた。
(これは――まるで今の瑠衣みたい。)
理沙はいたわるように写真の自分を優しくなでていた。

10、ボウイが絆?

10、ボウイが絆?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted