9、ボウイが絆?

9、実は似ている理沙と瑠衣

9、実は似ている理沙と瑠衣?
 

 その夜駒沢の家には久々のにぎやかさが戻っていた。孫の瑠衣が父と母に命を吹き込んだ様だった。
やはり時には違った風は必要なのだ。そしてなんといっても若さは圧倒的なエネルギーを持っている。瑠衣の無邪気な自信がじりじりと理沙にも押し寄せていた。


瑠衣は母の自慢の手料理、ビーフストロガノフをきれいにたいらげさらにデザートのケーキにも思い切り満足な顔をみせた。
母はそんな瑠衣にうれしそうな笑顔を向ける。父はその二人を見て心がなごむ。こうして幸せの連鎖がうまれる。幸福というものは単純なものなのかもしれないと理沙は思った。
「瑠衣ちゃん、今日は泊まっていくでしょう。ね、そうしなさいよ。」
母の声が心なしかはずんでいる。理沙がまだ小学生の頃の母に戻ったのではないかと錯覚に落ちるほどに。


「そのつもり。だけど明日の朝は早いの。おばあちゃんは寝てていいからね。」

「どうせ五時頃には目が覚めちゃうのよ。朝はパンでいい?」

「どっちでも。朝はそんなに食べないから」

「だめだめ。朝が肝心なのよ。」
この日の父と母を見る限り孫は子供より可愛いというのは本当らしい。それでも眠気にはかてず先に横になったふたりだったがきっといい夢を見た事だろう。
 

ふたりになり理沙は瑠衣を泊まる部屋へ連れて行った。
「ここは私のお母さんの部屋だったのよね。」

「そう。机も本棚もそのまま。お姉さんはきれい好きでいつもこんな風に片付いてたわ。私の部屋とは大違い。」

「ああ、わかる。私の母もそう。ほこりをみつけてはすぐ掃除機。あの時間をもっと他の事に使えばいいのにね。ほこりで人は死なないんだから。理沙おばさんと私の母は姉妹なのにまるで性格が違うのね。姉妹、兄弟が性格が正反対ったよく聞くけどこれってこの世の大きな謎よね。だって同じ親から生まれて、同じ親が育ててさ。」
瑠衣はそう言うと肩をすぼめた。


「ねえ、叔母さん少し話す時間ある?」

「いいわよ。何?――仕事の話?」
二人はベッドに並んで座りこんだ。

「仕事というわけじゃ。でもこの仕事は大変だってつくずく感じるけど。それでも心療内科医になってよかったと思うから私の天職だったのかも。やっぱり仕事は好きなものを選ばないとね。そうでないと生きてる意味がわからなくなりそう。」

「そうなの――。」理沙がボソッと言った。

「そうでしょう。叔母さんだって好きだからこそ続けてきたんでしょう。家と子供と旦那にしか関心のない私のお母さんとはまったく違って見えたもの。いつもきらきらしてた。」

「そうかな・・・。お姉さんだって楽しそうで、今も幸せそうだけど。」

「まあ確かに普通には幸せかもね。でもあんなちっぽけな家の中の事で怒ったり、笑ったり、悲しんだりあたふたして生きるなんて私は嫌。世界は広いのに。」
瑠衣の言葉があまりに子供じみて聞こえる。心に何も止まらないつまらない映画を見ているような気がした。


(育ちもそこそこ。頭もいい。経済的な苦労もない。本人がどう思うか別にして両親にも愛され、悩みと言えば恋愛か友達の事か自分の生き方。そういう人間は自信もあり優しい面もあるがどうにも頼りない。――あれ、それって私の若い頃と同じ?)
理沙は心がひりひりするのを感じた。


「だけど何十年も家庭を守るとか、夫婦を続けていくのって考える以上に大変なのかもしれない。瑠衣や私がやってない事をしているんだから。う――ん、私の場合は出来なかったんだけどね。ひとりくらいその小さな世界に必死になる人がいないと家庭ってばらばらになるのよ。あっけなく。」

「いろんな考え方はあるとは思うけど、私は自分の可能性を追いかけたい。人に認められたい。」

「その言い方変よ。主婦には可能性がないみたい。――つまり、瑠衣の中にはある思いがあるんでしょう。主婦の仕事なんて誰でもできる。自分はその上を行く女なんだと思ってる。違う?
でもそれを言えば私達の仕事だって代わりはいつでもいるのよ。専門用語をならべて少しえらそうに見えるだけ。自分の仕事にうぬぼれちゃだめ。親だって変に子育てに自信を持ってる人程失敗するでしょう。」


理沙の言葉はある意味瑠衣の本音をついていた。はっきり言うのは抵抗があるが主婦をどこかで気楽な生きものと見ていた。でもそこを突かれたくはなかった。
いつもと違う理沙に瑠衣の表情が硬くなった。少しの沈黙――そして瑠衣を慰めるように理沙が口を開く。

「仕事も結婚も子育てもうまくこなせば問題ないけどね。そういう人もいるし。ただ結構難しい。だから生きる場所を選ぶ。私の場合それは仕事だった。でも・・・本当は・・・」
理沙はふと昼間自分に問いかけた疑問を思い出した。
(私はどうして研二と別れたんだろう?)
もうとっくにでていたはずの答えが揺れている。
(まさかあの決断が間違っていたとでもいうの?――そんな)


瑠衣は妙に神経質な理沙に戸惑いを覚えていた。
(今日の叔母さん、本当に変だわ。いったいどうしたわけ?)

瑠衣は話題を変える事にした。
「そうだ。叔母さん裕一の事おぼえてる?」

「裕一?――ああ、近所の同級生だっけ。いつも瑠衣に従順なナイトって感じだったわね。で、その裕一君がどうしたの?」
「うん。変なのよ。珍しく落ち込んでいるの。まるでらしくないわけよ。だって深刻に悩むタイプじゃないもの。それがこの間久しぶりに会ったら違うのよね。あんな裕一始めてだった。仕事が思う様にいかないみたいで。」


「そう。それで?」

「――それだけなんだけど・・・。気になって。」

「彼は――瑠衣と同じだから三十二歳でしょう?社会人になってもう何年よ。そろそろ彼の本領が出て来る頃よ。人は変わる。瑠衣の知らない彼が姿を見せ始めたのかも。もしかしたら瑠衣が考える以上に大きく化ける男なのかも。一般論だけど。」

「化ける?――裕一が。いやぁ、まさか・・・」
瑠衣の声には昔のままでいて欲しいという響きがあった。

「男の三十二歳。当然悩みも迷いもあるのが普通よ。なのに瑠衣がそんなに気にするのは何故?友情?それとも特別の感情?」


瑠衣はなんの迷いもなく答えた。
「もちろん友情。裕一に関して言えばその先はありえない。」

「そう。それなら彼の心の中を先取りしない事ね。こういう仕事しているとつい人の心を読み取ろうとするから。悪い癖よね。でもそれは普段の生活では危険なの。相手にしたら余計なお世話。答えをもとめてはいないんだから。」

「だけど・・・友達を心配するのは悪い事じゃない。特に裕一みたいな人はね。話しやすい状況を作ってあげないと。」
理沙はうっすらと笑みを浮かべた。
「あまりやりすぎないようにね。」


理沙の言葉にはいつもの力強さが見えない。二人の間にちぐはぐな波が漂っている。ただその波の正体がつかめない。
「叔母さん――、」
理沙の様子をうかがいながら瑠衣はためらいがちに声をかけた。理沙が目で先をうながす。
「もしかして叔母さん――離婚した事後悔してる?」
瑠衣がまっすぐに理沙の目を射抜く。

「聞きたい?」

「もしよければ。」


理沙も少しの間じっと瑠衣の目を見つめた。それからふっと肩の力を抜く。
「わからないのよね。――後悔とは違うと思うけど――ただあの時は夫と仕事を天秤にかけたら明らかに仕事のほうが重かった。納得してた。でも本当に他の選択肢はなかったのかなと考える時があるの。今だからそう思うのかな・・・。」

その声は弱々しい。あれ程いきいきしていた理沙はどんな迷路に入ってしまったのだろうか。瑠衣は今の理沙をそのまま受け入れるのが怖い気がした。憧れの人には輝きを失くしてほしくないものだ。瑠衣は元気のない声でポツリと呟いた。
「やっぱり結婚は無理かな・・・私は。」

「そんな事言ったらおばあちゃんががっかりするわよ。瑠衣の結婚式に出るのにそれまでは元気でいなくちゃって頑張ってるんだから。」
こうして二人のぎくしゃくした会話が終わりを向えた。お互いそれぞれひとりになると瑠衣には少しの寂しさと不満が残っていた。
        

9、ボウイが絆?

9、ボウイが絆?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

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