人間になれる薬

 この部屋には家具はあるけれど窓はない。眠気をこらえながら、電気の明かりを頼りにペン先をじっとにらむ。紙の上に綴られた文字がだんだんと形になってくる。僕はこの作業にいつもどきどきする。
 リビングの奥に隠されるようにあるこの小さな部屋で、僕はいつも博士との間に起こった出来事を日記に書き記しているのだ。
「おーいリオン、まだ起きてるのか! 何をやってるんだ、なんだ、また日記を書いているのか?」
 博士は部屋の扉を乱暴に開くと、僕が書いていた日記を見て、不満そうに鼻を鳴らす。
 床をギシギシ鳴らしながら近づいてきて、日記の置かれた机に手を伸ばしてきたので僕は日記を引っ込める。これは博士が見ちゃいけないことがたくさん書かれているんだ。
 大事な大事な日記なのだ。博士には絶対に秘密なのである。
「リオン、見せなさい。何を書いていたんだ」
「ないしょ」
「私に隠し事はしないでくれ、不安なんだ。眠れなくなる。今日も寝ていない。これで三ヶ月目だ」
 指を折って数える。ケガをした指に巻かれたばんそうこうがずきりと痛んだ。
 ひにちを何回数えたのか途中でわからなくなった。博士は言う、僕はポンコツのロボットだと。でも僕は、本当はロボットじゃない。
 僕が人間だってわかってくれないから、博士って本当は冷たいのかなって思う時もあるけど、だけど僕をロボットって言う時、博士は悲しそうなんだ。
「すごいね」僕はよくわからなくて笑った。
「笑うな、おべっかを使うんじゃない」
「ごめんなさい」
 博士は苦しそうに顔を歪めて、悲しそうになって。そっぽを向いて部屋を出て行った。こんな光景を何度も、僕が子供らしくしようとした時に見ている気がする。
「博士、どこいくの?」
「薬を飲んでくる」
 そうなんだ。また、お薬をのむんだ。
 僕は博士の飲むお薬というものを見たことがない。でも、博士がお薬というから、きっとそうなんだ。
 博士が出て行ったのを確認すると、僕は日記を引き出しにしまって、ベッドの中にもぐった。博士にはわるいけど、僕はもう眠いのだ。

 朝、小さくて白いベッドの上で目覚めると、玄関のベルがガンガンと乱暴になっていた。僕はすぐ扉を叩いていたのがバーバーおばさんだってわかった。
 電気の明かりをたよりに着替え、すぐに部屋を出る。ばたばた。おばさんは毎日のように博士の家を訪れて、僕の顔を見に来る。急いで玄関に出ると、扉の前にバーバーおばさんが立っていた。
「鍵は?」
「壊れてる」
「まだ直してなかったのかい」
 おばさんは、僕をギッと睨みつけて。乱暴に鍋をさしだしてきた。受け取って、蓋を開ける。中にはトマトのスープがはいっていた。
 本当はトマトはあんまり好きじゃないから、嬉しくなかった。
「ああなんだいお前、指怪我してるじゃないか。どうしたんだ?」
「包丁で切ったの」
「はあ包丁でねえ。ったく、どんくさい。これだから子供ってやつは」
 おばさんは僕を見下ろして、興味なさそうに言って、扉を開けて家を出て行った。お礼も何も言ってほしくないみたいだった。
 僕は黙って扉を閉めた。バーバーおばさんは嫌いだ。
 階段のずうっとうえのほうで、博士はじいっと玄関を見つめていた。
「また、あの女か……」
「うん」
「ああなんてお節介だ、今度きつく言ってやらにゃあな……ったく……」
「博士、僕、バーバーおばさんのところにいきたくないよ」
 博士は僕を無視して家の奥へと戻っていった。
 博士の寿命はもうながくない。おばさんからは、一年とも、一ヶ月とも言われている。
 博士とおわかれするのってどんな気持ちなんだろう。人がお別れするとどうなっちゃうんだろう。
 いつも意地悪なバーバーおばさんのところに引き取られるのは嫌だけど。
 だけど僕はポンコツだからよくわからないのだ。

 翌朝。目が覚めると、バーバーおばさんが大きな声をあげていた。部屋の家具がカタカタ震えている。僕は驚いてベッドから飛び降りた。足がふらつく、急いで部屋をでて、玄関に行くと、おばさんが博士を怒鳴りつけていた。心臓が急にしめつけられた。
 博士は今まで見たことがないくらい怒って、おばさんを睨みつけていた。
「黙れ、研究の邪魔だ! 私はまだまだやらなきゃいけないことが沢山あるんだ! 消えろ!」
「消える? あんたが消えるんだ! この家だってただで住めるんじゃあないんだよ!」
「あの子の幸せを考えろ!」
「幸せ! はっ! よくいえたもんだね! あんたのせいであの子は不幸になってるんだ! 数字も数えられない! いい加減研究なんてやめちまいな!」
 僕は、大きな声を出した。強い声で叫んでいた。バーバーおばさんは本当にひどいやつだった。
 僕にはおばさんが博士をいじめているようにしか見えなかった。
「嘘つき! やめてよ! 博士をいじめないでよ!」
「誰が嘘つきだって!」
 バーバーおばさんが叫んだ、僕は怖くなって息が止まった。怒られると思った。
 とても怖かった。おばさんが急に顔を真赤にして、博士を突き飛ばした。
「子供ってやつは!」
 バーバーおばさんと目があった、おばさんは、博士に背を向けて扉を強く閉めた。
 博士は、ひっひと笑っている。
「いい気味だ、リオン、酒を持ってきてくれ。のどが渇いちまった」
「うん」
 僕は涙をこらえて、コップにお酒をくみに向かった。
 台所にはお皿がたまっていた、コップを取りワインの栓を開ける。
 ワインはとっても変な臭いがする。
 玄関に戻ると、博士は三ヶ月ぶりに眠っていた。

 今日の博士は、機嫌がいい。聞いてみたら、研究がうまくいってるんだって、そう言ってた。
 研究室にはよくわからないビンがいっぱい並んでいて、本棚にたくさんの本、床にはものが散らかっている。僕がこの部屋の物に勝手に触るといつも怒られる。
 僕は博士の研究室で腐った水とよくわからない液体の入ったガラスビンを眺めながら、博士のいう研究をじっと観察していた。
 博士はとっても頭がいいけど、僕には何がすごいのか全然わからない。
「爪を噛むな」
「はい」
 博士には夢がある。それは、僕を本当の人間にすることだ。って、前に言っていた。
 僕は人間だけど、博士にとってはロボットだからしかたないのだ。
 ガラスのビンに僕の顔が映る。大きな目があって、丸いガラスに映るともっと大きく見えた。
「楽しいか?」
「うん」
 僕はうなずいた。博士は鼻で笑った。
「部屋に戻ってろ」
「はい」
 僕は部屋に戻って、日記を書くことにした。
 寝起きの博士は優しい。博士は怒ると怖いから、ずっと笑ってればいいのに。
 急いで部屋に戻る。それから、ご飯の支度をすることにした。博士はいつも一人で勝手に食べちゃうから。僕はバーバーおばさんからもらったスープと、チキンを一人分だけ切り分けて皿に並べた。
 それから、食卓にお皿を運んで一人でごはんを食べる。ご飯の時間になると、いつも博士がお酒を飲みに来るから、僕はコップいっぱいのお酒を用意して待っている。
 博士と一緒にご飯を食べていると、博士が突然、つぶやいた。
「リオン。お前は人間になりたいか?」
 それは僕には難しい質問だった。だから、僕はお肉の入ったスープをフォークでつつきながら。
「よくわかんない」
 そう言った。僕は博士の様子が変だと思った。
 スープはトマトが入っていたけど、おいしかった。

 食事を終えてお皿を片付けていると、僕はいつのまにか眠くなっていた。なんだか優しい気分だ。博士はいつの間にかテーブルの前からいなくなっていた。
 いつも勝手に出歩くからなんとも思わなかった。
 お皿を片付けてから、博士の研究室を覗きに行くと、博士は一本のビンをじいいっとにらんでいた。
「どうしたの?」
「完成したんだよ」
「なにが?」
「お前を人間にする薬がだよ」
 博士は難しい顔で言った。僕は人間だからそんな薬はできっこないのに。
 そう思った。
「そうなんだ」
「ああ、でも、お前が人間になったら、お前はわしを嫌うかもしれんな」
「嫌わないよ」
「口ではなんとでも言えるんだ。あのバーバーを見てみろ、あれがいい例だ」
 おばさんの話をされてつまらなくなった。
 博士は、液体の入った薬のビンを引き出しにしまった。玉ねぎのスープみたいな色をしていた。

 朝、僕はいつもより。ずっと早く目が覚めた。今日はバーバーおばさんは来ないのかな。そわそわして、落ち着かない。
 家はとても静かだった。僕は部屋を出て、玄関や階段を歩きまわった。
 博士の足音が聞こえなくて、二階の研究室に顔を出した。だけど、いなかった。
 僕はいつも起きているはずの博士がどこにもいないのがとても怖くなって、博士のことを呼んだ。
「はかせー?」
 それでも誰も来てくれないから、僕は、博士を起こすために、博士の部屋に向かった。
 扉を開ける。いつもよりもスムーズに扉は開いた。ひんやりとした空気が流れた。ベッドの上に、博士が座っていた。僕はすこしだけ、博士じゃないと思った。
 抜け殻のように動かない。すごく大きくて、ちょっと怖かった。近づいても、怒らないし、笑わないし、何も言ってくない。声をかけても。
 僕は思い切って机の脚に触れた。だけど博士は怒らなかった。博士に触ってみると、鉄の感触がした。
 博士の足元に、薬のビンが転がっていた。僕の体は寒くなった。
 博士は薬を飲んでロボットになっちゃったんだ。
 熱くて痛いものが目頭から溢れだしていた。怖かった、それに、お別れするのが悲しかった。
 玄関にバーバーおばさんが立っていた。
 僕を見ると、いつもみたいに嫌そうな顔をした。
「なんだ、喧嘩でもしたのか?」
「違うよ、博士が、ロボットになっちゃったんだ!」
「ああうるさい、泣くんじゃないよ」
 おばさんは、僕を押しのけると、家に上がった。それから、まるでわかっていたかのように博士の部屋にはいると、博士を見た。
 それからおばさんは僕に冷たく言った。
「今日からあんたは私が引き取るから、荷物をまとめときな」
 僕はようやく、博士が居なくなったんだって気づいた。
 まぶたをこする。痛かった。部屋に戻ると、僕はしばらくベッドの中から出られなかった。
 家の中が騒がしかったけど、いつの間にか静かになった。一人になったように感じた。
 それから、僕は一冊の日記を持ってバーバーおばさんの待つ玄関に来た。色々かんがえたけど、もう荷物はなかった。なんだかとても緊張して、気持ちが悪い。
「準備出来た」
「それは?」
「日記。毎日書いてると、頭がよくなるんだ」
「そうかい」
 僕は生まれて初めて博士の家を出ることになった。扉が開くと緊張して震えて、足が動かなくて。僕は玄関扉の前でじっと俯いて、固まってしまった。
 そんな時、バーバーおばさんに急に手を引かれて。僕は外に飛び出した。
 その時、気づいたけど。おばさんの手は、ロボットみたいに鉄で出来ていた。関節が硬くて、機械みたいでとっても悲しかった。

 僕はロボットの国で生まれた。
 僕は博士と二人で過ごしていた。
 僕はロボットになれなかったけど。
 僕は博士との時間を愛している。それは一生変わらない事実である。

人間になれる薬

人間になれる薬

小さな人間の少年、リオンは博士と一緒に暮らしていた。リオンは博士のことが大好きだった。 博士はリオンのことをロボットだと言い、彼を人間にするための薬を研究している。 リオンはそんな薬なんてできるはずがないのにと、そう思っていた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

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