7、ボウイが絆?

7、若くもなく、老いてもいない

7、、若くもなく、老いてもいない
 

 居間に戻ると母がひとりテレビを見ていた。そして理沙の顔を見ると

「あら、もうそんな時間」と驚いて見せる。

理沙は理沙で「お腹すいたぁ。お昼、何?」と決まり文句で答える。

この会話がほぼ毎日、この時間に繰り返される。日常というのはそんなものだ。
別になくても困りはしない。だけどある日突然それが二度と訪れる事のない場面だったと気付く時が来る。するとまるで意味のなかった会話まで大切なものに思えたりする。
四十五歳の理沙にそのはかない日々の大切さが分からないわけではない。でもそれを喜びに生きるには多分まだ若過ぎる。――若くもないし、老いてもいない。ただ物足りない人生が残り少なくなっていく。(それは、とても残酷よ。)
中途半端な年齢が少しずつ理沙をしめあげていた。
 

 母は七十二歳。白くはなったものの運よく今でもボリュームのある髪が上品な印象を与えていた。良き妻、優しい母というのが昔からの母への周囲の評価だった。

確かにそれは間違いとは言えない。ただ当然家族だけが知っている母もある。

皮肉やで、父以上に度胸がすわり頑固な母の姿だ。それも年月と共に少しずつ変わってきた。今では平凡な日常に幸せを感じている。理沙が離婚を決めた時も、病院をやめた時も父より厳しい事を言った母だったが近頃はこうして娘と一緒に暮らせる日々を内心喜んでいた。



 「お父さんは?」

「今日も叔父さんのお見舞い。仲のいい兄弟だから。」

「本当ね。それで叔父さんはどうなの?」

「あまり・・・。この寒さもよくないわね。」
母の声がだんだん重くなる。

「肺ガンじゃ厳しいかもね。」

「皆歳をとって――でも最後に残るのも嫌だけど。」

母の言葉に理沙はうっすらと笑顔で答えた。
「叔母さんが亡くなってから元気なかったものね、叔父さん。好きな釣りも行かなくなったし。」
 


 理沙は二年前に亡くなった叔母を思い出していた。叔母は若い頃から病気がちで母とは対照的に影の薄い人だった。幼い時に見た叔母の笑みはいつも寂し気だった。ひとり息子の慎が結婚してべつべつに暮らすようになるとその微笑はすっかり悲しいものになっていた。

その叔母がいなくなり叔父はきっと生きる意味を見失ってしまったのだろうか、思い出ばかりの家でひとり過ごす事が多くなった。そして三ヶ月前病院にかつぎこまれたまま家に帰ることが出来ずにいる。

それでも息子夫婦が見舞いに来たのは最初だけで父はそれを冷たいとよく怒っていた。


 確かにまだ子供だった頃、理沙も姉も弟も慎は本当に大事にされていると思ったものだった。ひとりの子供という幸せを味わってみたいとも思った。それを考えると今の現実は切ない。

たった三人のこの家族に何が起きたのかはわからない。ただこれまで壊れかけた家族をいくつも見てきた理沙には血のつながりだけで愛は確かなものにならない事を知っている。親子であり、家族であるという事実だけで家族の問題は解決できない。結局最後は人と人が理解しあうために何が必要かを考えた方が絆にしがみつくよりは解決に近付く。ただしそれは口で言う程簡単ではない。

親と子のすれ違いの中にはもともと埋めようのない立場の開きがあるのだから。
親は自分には子供の為という愛情が詰まっているという自信がある。子供は親なら当然自分を理解すべきだという甘えがある。その自信と甘えを程よく結びつけるのは難しく、時間もかかる。叔父の家族の絆はどこかで切れたままでいるらしい。
 


「ねえ、ところでお父さんはまた車で出かけたの?――だめよ。運転はさせちゃ。もう七十三なんだから。絶対やめさせないと。」

「わかってますよ。だけどガミガミ言って聞く人じゃないもの。何度か優しく話してはありますよ。――まあ、そろそろかしらね。今日あたりビシッとおどかす頃かしら。」
母の目が猫のようにキラッと光った。その目には自信があふれている。

 母は長い間に父をあやつる術を手に入れてきた。父のプライドを壊さずに説得できるのは母しかいない。そんな時父は決まって少し情けない顔をして仕方なく母の頼みを聞いてあげたというふりをする。もちろんそんなへたな演技は子供達には通用しない。誰が見ても勝利者は母なのだから。それがこの夫婦のあり方だった。お互いのプライドの半分は生かしてあげる。父と母の夫婦を長く続けていく為のこつなのだろう。
(私にはできなかったけど。)
 

「すぐお昼にするから。」と部屋を出ようとした母が突然立ち止った。

「そうそう、瑠衣ちゃんが今日の夜来るって。あなたに用があるみたい。夜はいるでしょう?」

「うん。そういえば暫く会ってないわね。お正月も来なかったし。」

「そうなのよ。忙しいらしくて。まるで仕事を始めた頃の理沙そっくり。この分だと結婚もいつになるやら。」
母はそう言い残して部屋を出て行った。
 


ひとりになった部屋。理沙は家族の歴史が詰まった居間をしみじみと見渡した。どれだけの言葉がここで交わされ、どれだけの感情が動いたのかしら。
(姉と弟と私。三人が子供の頃はこの部屋も狭かった。十六畳もあるというのに。おもちゃや本や、とにかくいろんなものがあちこちに散らかって。今じゃ無駄に広いばかり。父と母と私。おとな三人が静かに暮らすには空間が多すぎる。)
その姉と弟も都内に家をかまえ、今は幸せな家族の最後の仕上げというところだろうか。



かつては理沙もそうなると思っていた。だいたいこの家で両親と暮らすのは弟だろうと姉も理沙もそれに当の本人も考えていた。
なのに――世間にはよくある事だが母と弟の嫁の相性がどうにも悪かった。相性は努力ではどうにもならない。しまいに母は一日に何度も胃の薬を飲むはめになった。それでも事態は悪くなるばかり。そんな時に理沙が離婚をして戻って来た。まさかそのままこの歳までいる事になるとは想像もしなかったが。
        

7、ボウイが絆?

7、ボウイが絆?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted