魔女は夕暮れ、

序章



毎年夏になると、少女とその家族は避暑地に所有する別荘でひと夏を過ごした。爽快な空の青と、雄大な大地の緑。自然の中に身を置いていると心は穏やかに保たれ、それでいて繊細に研ぎ澄まされる。
少女にとって、不思議な感覚に包まれるこの地方で過ごす時間は特別なものだった。
ある年の夏、少女はこっそり別荘を抜け出すと導かれるようにしてとある高原へと一直線に向かった。風を切って懸命に疾走する。一分一秒でも早く、その場所に向かわせるかのように背中を押された。
何か見えない力によって動かされていることには気付いていた。しかし少女は恐怖を感じていなかった。何故なら、こうして懸命に走っているのは 自分の意思も含んでいるような気がしたからーーーーーー。
その時、そこに待っているのが残酷な運命だと言うことを少女はまだ知らない。


高原には小高い丘があり、一人の少年がそこに植えられている一本の楡の木に寄り掛かいって眠っていた。起きる気配はない。少女は少年をじっと見下ろした。
ドクン、と胸が打つ。
(あっ!)
少女は何か思い立ち、少年の隣に腰を下ろした。そして少年が目覚めるまでその規則的な寝息を聞いていることにしたのだった。少年が着ている服の袖をぎゅっと握り締めながら。
木陰の下、風が気持ち良く駆けて行く。見晴らしが良く、ちょうど正面に国王領が望め、くるっと横に向きを変えると国で一番大きい湖も見下ろすことが出来る。
昨日はその湖に足を運んで肖像画を描いてもらった。少女の家では、毎年この地に滞在する時に家族一人一人の肖像画を描いてもらうのが恒例になっている。
いつもは室内なのだが、今年は湖を背景にしようと少女は事前に決めていた。そしてもちろん今年の絵も、新作の帽子を被った姿で挑むのだと王都にいる時から楽しみにしていたのだった。今、少女が被っている帽子がそれだ。 少女はちょっとばかし帽子にうるさかった。


ゆったりとした時間が流れ、やがて少年が目覚める。
少年は自分の隣にちょこんと座っている少女と自分自身に心底驚いて飛び起きた。
(一体いつの間に?)
人に対して神経質な少年は気配には人一倍敏感だった。
それなのにーーーーーー。
「 妖精さん?」
「えっーーーーーー。」
自分よりうんと小さな女の子の微笑ましい勘違いに、少年はひとまず難しい顔を解いて微笑んだ。
「僕は妖精さんではないよ」
それでか、と少年は納得した。起き上がろうとした時に少女が袖を掴んでいるのに気が付いた。飛び起きた拍子に離してくれたが見事に皺になっていた。
少年はもう一度皺に目を落とした。まるで少女の所有物であるかのような印に見える。いやーーーーーーいっそ印であったら良かったのに、と少年は胸中で呟く。誰かの物ならその人の心に深く刻まれるかもしれない。
(ーーーーーー)
少年はまたいつもとは明らかに違う自分に驚いた。 少年は本当に人が苦手だったのだ。その自分が誰かの心に残りたいと思ったことに心底驚いたのだった。少年は落ち着こうと静かに深呼吸した。
「君こそ妖精さんかな?」
「ううん、私も妖精さんじゃないの。でもいつか妖精さんに『こうしょう』して使い魔になってもらうんです。ね、凄いでしょ?」
少女は瑠璃色の瞳を輝かせた。その邪心のないキラキラとした目の輝きは少年にとってとても眩しい光だった。何故なら少年はこの世に生を受けてから、一度も未来に胸を膨らませたことがなかったから。
「そうだね、それは凄いことだね。妖精を使い魔にしている魔法使いは聞いたことがないし、妖精自体最近は見られなくなったからね。それにしてもーーーーーー君には魔法の力があるのかな?」
「はい!だからね、大きくなったら魔法のお勉強をして魔法使いになるんです」
その言葉に少年は少女に気付かれないように僅かに眉を上げた。それはきっと叶わぬ夢で大和ってしまうだろうーーーーーー。

魔女は夕暮れ、

魔女は夕暮れ、

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

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