雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。

雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。

■第1話 6月の雨の日

 
 
 
  ”心を、奪われる ”
 
 
 
こうゆう事をいうんだって、その時、はじめて知った。
 
 
数日続いた陰湿な雨にうんざりし、睨むように雨粒が落ちてくる鈍色の空を見上げた。
退屈な室内に嫌気が差し、傘を差して家の近所の散歩に出てみた日曜2時。
 
 
アスファルトに打ち付ける雨粒は然程強いものではないはずなのに、生意気にも
しっかりジーンズの裾は、その小さな跳ね返りで濡らされてしまった。
やはり引き返そうか一瞬悩み、もう濡れてしまったそれに諦め一度止めた歩みを再び進めた。

何気なしに足が向いたそこには、若緑が生い茂る石畳の小径脇に、溢れるほど紫陽花
の花が咲いている。
コバルトブルーや白色、赤紫のグラデーションが訪れる人の目を惹いて止まないその場所。

この街の有名な紫陽花スポットで、休日ともなればいつも人でごった返しているのだが
さすがにこう連日雨に降られては、人も疎らなのは仕方ないのだろう。

雨の中、傘を差しカメラを構える物好きを横目に、石畳の小径を横切り大振りの葉を
広げるムクロジの木々をくぐり抜け、お気に入り場所へ向かった。
 
 
まるで迷路のようなその径の先。
自分以外の誰かなどいるはずないと思い込み進んだその径の先。
 
 
すると、そこに。
 
 
 
 
ビニール傘を差し、しゃがみ込む姿を見止めた。
 
 
 
 
小柄なそれは、肩にビニール傘の柄を乗せ、小さくコンパクトに体を縮こめて
目の前に溢れ広がる紫陽花たちを愛おしそうに眺めている。
頬はほんのり高揚させて、その口許はやわらかく微笑んで。

透明の傘に、雨の雫がスタッカートを付けて弾かれる音だけ小さく響く。
 
 
 
ふと、雫に目をとめた。
 
 
ビニール傘に小さく留まっている幾つもの透明の雫に、紫陽花の色が映りこんでいる。
そして、しゃがみ込む彼女の大きな瞳にたたえるそれにも、同様に紫陽花色が。
 
 
 
 
  紫陽花色の、大粒の涙。
 
 
 
その彼女はそっと手を伸ばすと紫陽花に触れたのかと思いきや、その細い指先は葉っぱの
陰に隠れていたカタツムリの背中の殻を、チョン。小さくつついてどこか寂しそうに笑った。
 
 
 
 
”心を、奪われる ”
 
 
こうゆう事をいうんだって、その時、はじめて知った。
 
 
 
 
胸の奥の一番やわらかい部分を、鷲掴みされて揺さぶられた気分だった。
ただ、黙ってその紫陽花色の涙を見つめていた6月の雨くゆる、とある日曜。
 
 

■第2話 春 入学式

 
 
その日、モチヅキ ダイスケは3軒隣に住む幼馴染みのオノデラ姉妹宅の玄関先で
左手首に付けた腕時計をすがめつつ、半ば呆れ気味にリビング奥に呼び掛けた。
 
 
 
 『アキーー! ナツーー! まだかーーーー??』
 
 
 
ダイスケの声が聴こえなかったのか、反応がない。

ひとつ小さく溜息をつくと、新品の通学靴を脱いで上がり框に足をかけ玄関に上がった。
そのまま、慣れた感じでオノデラ家のリビングへと廊下を進む。
 
 
 
 『ぁ。 ダイちゃん。 ごめん、もうすぐだから・・・。』
 
 
 
そう言って、真新しい学校指定のカバンを手に2階自室から下りて来たのは、
オノデラ アキ。

紺色ワンピースの制服に水色の襟とカフスが、清楚な雰囲気を醸し出している。
アキは、首の後ろに両人差し指を差し込むと、背中までゆったり垂れる髪の毛に
その指を内側から滑らせるようになぞり、ふんわりとやわらかな毛先をまとめた。
 
 
『あれ? 片割れは??』 ダイスケがもう一人の姿を探し、見渡す。
 
 
すると、アキが肩をすくめて小さく笑い、
『なんか、走りたいからって先に出ちゃった。』
 
 
 
 『まったく・・・ 入学式ぐらいフツーに登校できないもんかねぇ・・・。』
 
 
ダイスケとアキが、呆れて笑った。
 
 
 
 
 
今日入学式が行われる双葉高校までは、オノデラ家から徒歩で30分弱。
軽く走って15分という距離にあった。
 
 
オノデラ ナツは今日袖を通したばかりの着慣れない制服姿で、高校へ向けて走っていた。

タラタラと30分も歩くのなんか、性に合わないナツ。
しかも、あの、”のんびりコンビ ”アキとダイスケが一緒に歩くとなると、時間がかかるのは
火を見るよりも明らか。せっかちなナツには我慢ならなかったのだった。
 
 
 
 『双子でも、こうも違うモンかねぇ・・・。』
 
 
 
ナツは、通学路を颯爽と駆け抜けつつ、ひとりごちた。
 
 

■第3話 オノデラ ナツ 

 
 
アキとナツは、一卵性双生児だった。
顔の造りこそ同一だが、その他はなにもかも違ったふたり。
 
 
”女の子 ”を絵に描いたようなタイプの色白ロングヘア優等生アキと、
”健康優良児 ”を地で行く日焼けしたショートカットのまるで少年のようなナツ。
そんなふたりの一番の理解者が、幼馴染みのダイスケだった。

今春、そろって3人は双葉高校に入学をしていた。
 
 
 
軽快なペースで走り進むナツの目の前に、同じように走る学ラン姿。 同校の男子のようだ。
後方から遠く眺めるだけでキレイなフォームだという事が一目で見て取れる。
 
 
思わずランナー気質が顔を出し、追い抜きたくなったナツ。
一気にペースを上げて、そのキレイな背中に追い付き、追い抜いた。

するとその直後、すぐまたその学ランに追い抜かれた。
 
 
 
 
   (くそっ・・・ ムカつくっ!!)
 
 
 
ナツの負けん気が爆発する。

両腕を振り上げ猛ダッシュで再度追い抜き、そのまま校門まで滑り込み辛うじて
ナツの勝利かと思った瞬間、ギリギリ一歩手前で追い抜かれてしまった。
 
 
校門脇で前屈みになり膝に手をついて、ゼェゼェと苦しそうに息をつくナツ。
悔しそうに顔を歪め目線だけ上げると、はじめてその学ラン姿の顔が目に入った。
 
 
 
 『ケッコー速いじゃーん。 ・・・陸上やってたの?』
 
 
 
そう言って、愉しそうに笑う顔。
陽だまりみたいに、やさしくて温かい表情を向ける日焼けしたその顔。
 
 
 
 
ナツの心が、奪われた瞬間だった・・・
 
 

■第4話 オノデラ アキ

 
 
双子というものは、当たり前にクラスは別々に分けられる。
 
 
入学初日。教室前に貼り出されたクラス分けの一覧表に溜息を落とす。
アキは1-A。 そして、ナツとダイスケは1-Cになった。
 
 
 
 『せめて、ダイちゃんと一緒だったら心強かったのになぁ・・・。』
 
 
 
ひとり、A組になったアキが背中を丸めてポツリ呟く、オノデラ家・姉妹の部屋。

アキとナツ、互いに別々の個室がほしいと思ったことなど無かったため、高校生に
なった今でも当たり前に、ふたり一緒の部屋で寝起きしていた。
 
 
2段ベットの上に、ナツ。下はアキが使い、勉強机はふたつ仲良く並んでいる。
ベット下段に浅くちょこんと腰掛けアキが口を尖らせる、その夜のこと。
 
 
 
 『べっつに、すぐ友達なんか出来るっしょ~・・・』
 
 
 
ナツは上段ベットにうつ伏せになってマンガを読みながら、アキの杞憂に片手間で返した。
それはアキをぞんざいに扱っているという訳ではなく、今までの経験上からいっても
アキの周りにはいつも人が集まっていたし、友達が出来なかったことなど一度も無かった。

いざとなれば、アキの傍には自分がいる。なにも問題などないのだ。
 
 
 
 『イジめられたら、飛んでってやるよ~・・・』
 
 
 
ナツの言葉に、アキが肩をすくめてクスクスと笑った。
 
 
 
 
 
子供の頃は双子のセオリー通り、ふたりは同じ髪型、同じ服装、同じ習い事をし
なにもかも ”お揃い ”だった。

それに違和感を感じはじめたのは、ナツが先だった。
 
 
髪の毛を短く切り、スカートを履かなくなり、一緒に通っていたピアノを辞めた。
その代り、アキがやらない陸上を始め、そのお陰で健康的に日にも焼け、最近では
”双子 ”というよりは ”そう言えば似た顔のふたり ”ぐらいの扱いになっていた。
 
 
 
マンガに目を落とすナツが、ふと今朝の出来事を思い返す。
 
 
 
 
  (ケッコー速いじゃーん。 ・・・陸上やってたの?)
 
 
 
 
 『あの人・・・ 何年生なんだろ・・・。』
 
 
ゴロンと寝返りを打ち仰向けになったナツが、天井をぼんやり見つめてひとりごちた。
 
 

■第5話 図書委員

 
 
その日、アキのクラス1-Aではホームルームで各委員会の担当を決めていた。
クラスから1名ずつ選出される各委員。
 
 
担任からの声にも、面倒くさい役割に当たり前に立候補する者など現れず、
結局は匿名の投票で決定する。

既に嫌な予感はしていた。
いつもこうゆう投票になると、優等生気質のアキが選ばれるのは常だった。
 
 
アキは、どうか選ばれませんようにと願いながらも、きっとなにかの委員はやる事に
なるんだろうと、内心、半分腹を決めているところもあった。
 
 
そしてそれは予想通り ”図書委員 ”で落ち着いた。
 
 
 
 
  (もう・・・ ヤだなぁ・・・。)
 
 
 
しかし、不満気な顔は表に出さず、クラスメイトがアキに委員決定の拍手を贈るのを
出来る限りの笑顔で受け入れていた。

作り笑顔だという事に気付く者など、誰一人いなかった。
 
 
 
 
はじめての図書委員会。

最初の委員顔合わせは3年の教室で行うという連絡が入り、アキはその日の放課後、
慣れない校舎をその教室へ向けて急いでいた。

しっかり場所確認はしてきたつもりが、なんせ生まれながらの方向音痴。
これだけはナツも同じだったが、とにかく迷う。何処へ行くにも取り敢えず迷う。
 
 
広い校舎の巨大迷路のような廊下には、放課後の喧騒と部活動の声が響く。
委員会の時間が刻々と迫っているというのに、既に今、自分が何処にいるのか
分からなくなってしまっていた。
 
 
 
 
  (どうしよう・・・。)
 
 
 
 
腕時計の時間ばかり気にして、オロオロと泣きそうな面持ちで心許なく廊下を進んで
いた時、後ろで声がした。
 
 
 
 『おーい、1年。 ・・・どこ行きたいの?』
 
 
 
アキが自分が呼ばれたのか少し躊躇いながら振り返ると、そこには日焼けした学ラン姿。
首元の学年組章で2年生だと分かる。
 
 
 
 『図書委員が、3年C組であるんですけど・・・。』
 
 
 
アキの弱弱しいか細い声に、その2年生は一瞬驚きちょっと笑った。
 
 
 
 『あれ。 俺も委員。今から行くトコー・・・』
 
 
 
その言葉に、アキがまるで泣きそうな顔を向ける。 『よかったぁ・・・。』

すると、
 
 
 
 『なんだそれ。 オーゲサー・・・』
 
 
 
そう言って愉しそうに笑う横顔を、アキは見ていた。
なぜだか、目が逸らせなかった。
 
 
 
それは、やさしくて温かくて、まるで陽だまりみたいな笑顔だった。
 
 

■第6話 陸上部

  
 
その日の放課後、ナツはジャージに着替えグラウンドへ向かっていた。
 
 
部活は陸上部に入部すると最初から決めていた。

まずは部活を見学して、体験入部して、それから正式に届けを出すのが主流らしいのだが
そんな面倒くさい手順を踏むのは性に合わないナツ。
 
入ると言ったら、入る。
それ以上でも以下でもなかった。
 
 
入部届片手にグラウンドへ行くと、バインダーを胸に抱え書類に目を落としている
マネージャーらしき女子先輩に声を掛ける。

『見学とかいいの? 体験入部とか・・・。』 想定内の問い掛けに、
『いいっス! 全然いいっス!!』 と、かぶり気味で即答で返した。
 
 
そして、

『いつから走っていいんスかー?』 と、子供のようにウズウズする脚を我慢出来ず
マネージャーに詰め寄った。

そんなナツに呆れて笑いながら『まぁまぁ。』 と軽くいなすと、
 
 
 
 『あ! アサヒー!! ちょっとー・・・。』
 
 
 
グラウンドの隅で準備運動していたジャージの背中に呼び掛けたマネージャー。
すると、その声に振り返りナツの姿を捉えたジャージ。
 
 
 
 『あああああ!!!』
 
 
 
ナツを指差して、なんだか嬉しそうに笑う顔。

登校初日の ”猛ダッシュ ”を思い出す。
あの、顔。 陽だまりみたいに、笑う顔。
 
 
 
 『やっと来たかー・・・ いつ来んだろって思ってたー。』
 
 
 
フジエダ アサヒというその ”陽だまり ”は、2年の陸上部員だった。
やたらとよく笑う、いつも上機嫌な感じの人だった。
 
 
 
 『俺、委員やってっから、木曜だけ遅れるんだけど。

  それ以外は、一番最初に来て、一番最後までいるからー。』
 
 
 
そう言って、どこか嬉しそうに目を細めた。
なんだかアサヒの笑顔が眩しくて、そっと弱弱しく目線をはずしたナツ。
 
 
すると、アサヒが言った。
 
 
 
 『あれ・・・? 誰かに似てる・・・。』
 
 
 
 
この時はまだ、アサヒが図書委員だということなどナツは知らなかった。
 
 

■第7話 アキの恋

 
 
 『ねぇ、ナツぅ・・・。』
 
 
 
自室の机に向かい宿題をしていたアキが、ナツに小さく話し掛ける。
その声色は、どこか遠慮がちで、しかし ”どうしたの? ”と聞き返してほしい
感じのそれで。
 
 
『んー?』 上段ベッドでうつ伏せになり、ポータブルゲーム機に夢中なナツ。
宿題中のアキに配慮して、音は出さずにプレイしている。

一言発するとまたすぐゲームに戻り、たまに舌打ちをしながら画面内のモンスターを
退治するために親指でコントローラーのボタン連打に必死だ。
 
 
少し経ってもアキが二の句を継がないので、一旦ゲームをポーズして、ベッド柵から
顔をひょっこり出し『どした? アキ。』 ナツから再度、声を掛けた。

しかし、なかなか話し出さない、ふんわりロングヘアの華奢な背中。
机の宿題に目を落としたまま、その背中は微動だにしない。

掴んだシャープペンシルの手も止まり、文字を書く代わりに無意味にコツコツと
ノックしてノートに黒点を付けているだけで。
  
 
ナツは嫌な予感を察し、ベッド上段から梯子も使わず慌てて飛び降りる。
背中を向け俯いたままのアキの肩に手を置いて、後ろからその顔を覗き込んだ。
 
 
 
 『・・・イジメられた?!』
 
 
 
眉間にシワを寄せ、必死の形相で問い掛ける。
思わずアキの細い肩においた日焼けした手に力が入り、指が食い込んだ。

すると、思ってもいなかったその反応に、アキが肩をすくめクスクス笑った。
 
 
 
 『ちがうちが~う・・・

  ・・・そうじゃなくてねぇ・・・。』
 
 
 
少し頬を染め、弱々しく目線を落とした。
そこは、やはり双子。その表情で、すぐナツには分かった。
 
 
 
 『えっ?! カッコイイ人でもいたのっ?!』
 
 
 
ナツは机に向いたアキの膝に手を掛けると、時計回りに90°イスのキャスターを廻し
上半身を屈めた自分と向き合う形にする。 互いの目線の高さが合った。
 
 
 
 『誰? どこ? 同じクラス?? なんて人??』
 
 
 
ナツが目をキラキラさせ、自分のことのように嬉しそうにはしゃいでいる。
顔を近付け、矢継ぎ早な質問が中々やまない。

赤い顔を両手で半分隠しクスクス笑うアキが、その ”想う人 ”の顔を思い浮かべながら
目を細め嬉しそうに言った。
 
 
 
 『同じ図書委員の、先輩なの・・・。』
 
 
 『どんな人?? ねえ、カッコイイ??』
 
 
 
アキがひとこと返すと、それにかぶる勢いでナツが質問を続ける。
笑いが治まらないアキがなんとか絞り出すように、言った。
 
 
 
 『なんかね・・・ すごーい、やさしい顔で笑う人・・・。』
 
 
『そうなんだー・・・。』 ナツが心から嬉しそうに、目を細める。
 
 
 
 
  アキが嬉しいと、ナツも嬉しかった。

  アキが楽しいと、ナツも楽しかった。

  アキが哀しいのは心底、嫌だった。

  アキが泣くのは、我慢できなかった。
 
   
  アキには、いつも笑っていてほしかった。
 
 
 
 
ナツはそう思って、16年間生きてきたのだった。
 
 

■第8話 想い人

 
 
翌日の放課後、ナツはアキのクラス1-Aの教室入口に顔を出していた。
開放された扉に寄り掛かり、中の様子を見渡す。
 
 
モップ掛けをする掃除当番の中に、黒板前に立つアキの姿を見つける。
黒板消しを掴み、少し背伸びをして高い位置の白文字を消そうとしている。
アキも今日は当番のようだ。

あまりに黒板に近付くものだから、紺色ワンピースの制服にチョーク粉が付いて
しまうのではないかと心配になるナツ。
ふんわり背中に垂れる長い髪と制服が眩いアキは、決して汚れてはいけない気がする。
 
 
『アキーぃ!』 声を掛け軽く手を上げると、ナツに手を振り返して小さく笑うアキ。
 
 
 『もうちょっとで終わるから、待っててーぇ。』 
 
 
 
 
アキが教室の全開にした窓から上半身を少し乗り出した。

黒板消しを両手にはめてボフボフ打ち付けるその背中は、リズミカルでなんだか愉しそうで。
春の緩やかな風が、白い細粉を真っ青な空にさらってゆく。

次の瞬間、風向きが急に変わり白いチョークの粉に襲われ、吸い込んでしまって
ケホケホとむせるアキ。
 
 
『あーぁ・・・』 その姿に、ナツは余所の教室なのにお構いなしに駆け込んだ。
涙ぐんで咳き込むアキの背中をトントンと叩き、ハンカチで目尻の涙を押さえてあげる。

そんな様子をモップ片手に見ていたアキのクラスメイトが、ナツをまじまじと凝視し
『・・・似てる。』 一言呟いた。
 
 
 
 『・・・双子だもんで。』
 
 
ニヤっとナツが笑った。つられてアキが涙ぐんだまま情けなく笑った。
 
 
 
 
 
アキに連れられ、例の先輩がいるという図書室へ向かう。
 
 
 
 『木曜は、その先輩の当番の日なの・・・。』
 
 
 
図書室へと続く廊下は、放課後の喧騒も届かず静かで、窓から差し込む西日だけ
やさしく揺らいでいる。

同じ背丈、同じ顔、同じ声色、それ以外は真逆のふたりが仲良く並んで歩みを進める。
古い校舎の床板は磨き上げられて上品に艶めき、ふたりの足音をやさしく奏でる。
 
 
図書室前は、更に輪をかけて静寂に包まれていた。
重い扉にはめ込まれた四角いガラス窓から、ふたり顔を並べて少しだけ中を覗いてみる。
後方から今、この中腰で覗き見するふたりを見たらだいぶ滑稽に映るだろう。
窓枠に指先をかけて、顔半分だけで覗く室内。
 
 
すると、咄嗟にアキがしゃがみ込んで、口許に手をあてた。
 
 
『いた?』 ナツも同じように隣にしゃがんで訊くと、首を縦に数回振って頷くアキ。
 
 
 
 『今、丁度。 すぐ目の前の貸出カウンターのトコにいる・・・

  ・・・背が高くて、日焼けした人・・・。』
 
 
 
ナツが再度、ゆっくり扉の窓を覗き込んだ。
鼻から上だけ出してこっそり覗いたナツの目に映ったもの、それは。
 
 
 
 
 
  『・・・アサヒ先輩・・・?』
 
 
 
 
その声に、アキが慌てて『シーっ!!』 と口許に人差し指を立てた。
そして『あれ? フジエダ先輩のこと知ってるの・・・?』 ナツへ驚いた顔を向ける。
 
 
パチパチとせわしなく瞬きを繰り返した、ナツ。
扉前で、コンパクトに体を屈めしゃがみ込んだまま。
 
 
 
 
  (アキの・・・ 好きな人、って・・・。)
 
 
 
 
思わず、足元に目線を落とした。
なんだか頭がぼうっとして、状況が中々整理出来なかった。
 
 

■第9話 モチヅキ ダイスケ

 
 
 『・・・なんか、あった?』
 
 
 
ダイスケが、机に突っ伏すナツの後頭部に話し掛けた1-Cの昼休み。

丸みのあるやわらかいショートカットのフォルム。
重力でサラサラの髪の毛先は前方に流れ、軽く顔にかかっている。
 
 
 
 『別に。 ヘーキ・・・。』
 
 
 
突っ伏したままのナツの声は、冷えた机にぶつかりくぐもって響く。

その声に反して机脚から飛び出した、制服の襟と同じ水色ソックスの足が
不機嫌そうにバタバタと空をバタ足する。
 
 
すると、
 
 
 『あのさー・・・ 何年の付き合いだと思ってんの?』
 
 
 
ダイスケの溜息まじりの呆れたよな声に、ナツが『ん?』 と、のっそり顔を上げる。 
 
 
 
 『ナツの ”別に。ヘーキ ”が平気じゃない時のサインだってくらい

  分かんない訳ないでしょー・・・ 僕を、みくびんなよー・・・。』
 
 
 
そうダイスケに言われ、ナツは気怠そうに体を起こすと、背中を丸めてイスの
背もたれに寄りかかり俯いた。 どこか不機嫌そうな、その顔。
 
 
『なに? どーした??』 少し首を傾げ、ナツの顔を覗き込む。
 
 
しかし、ナツは目を合わせようとはせず、口を開かなかった。
そんな様子に、ぷっと笑ったダイスケ。 
 
 
 
 『ナツがそんな風になるってことは・・・ まーた、アキ絡みかー・・・』
 
 
 
机に片肘を付いて、呆れ顔でナツをまっすぐ見る。
ダイスケのその目は、誰よりやさしくて誰より厳しい。

モゴモゴときまり悪そうに口ごもり、二の句を継げないナツにダイスケは毅然と
した口調で言った。
 
 
 
 『ナツのやり方って、多分、誰もプラスにはならないと思うよ。』
 
 
 
 
 
ダイスケは、アキ・ナツ姉妹と幼稚園からの付き合いだった。

子供の頃のふたりは、親でさえ見分けが付きづらい程よく似ていた。
その頃は髪型も服装もすべて同じにしていた為、尚更で。

唯一、瞬時に見分けられるのは当時からダイスケ一人だけだった。
 
 
小学校に上がってすぐの頃、アキ・ナツ姉妹と一緒にダイスケもピアノ教室に通っていた。
ダイスケはふたりが通うからそれにくっ付いて通い始めた、という程度だったのだが
通ううちに、ナツがぐんぐん上達していくのが子供心に見て取れた。

頬を染めイキイキと楽しそうにピアノを弾く姿。
子供特有のふっくらした小さな手は、仔犬のようにコロコロと鍵盤の上をはしゃぎ
じっとしている事に我慢出来ず駆け回るように、メロディーが溢れる。

その後ろで、懸命に努力してもナツほど上達しないアキの悲しそうな顔。
 
 
それを、ダイスケはひとり、眺めていた。
 
 
 
ある日、ナツが突然ピアノを辞めたいと言い出した。

理由を訊くと『つまらないから。』 とひとこと言い、それ以上は口を開かない。
姉妹の両親は、常日頃から一生懸命練習するアキの背中しか見ていない為、
ナツはピアノには向かなかったのだと解釈したようだった。
 
 
それを、ダイスケはひとり、眺めていた。
 
 
 
子供ながらになにか引っ掛かりを憶えたダイスケが、ナツに訊く。
 
 
 
 『ピアノ楽しそうだったのに・・・。』
 
 
 
すると、ナツは足元に目を落として小さく言った。
 
 
 
 『アキが楽しいのが、一番だから。』
 
 
 
そして続けた。
 
 
 
 
 『あたしは、他の好きなものを見付けられるから・・・。』
 
 

■第10話 部活

 
 
金曜はアキが図書委員の当番の日だった。
 
 
 
当番は、貸出カウンターに座り閉館までの時間、受付諸々を担当する。

本を借りに来る生徒なんて数える程で退屈な時間だったが、アキはその時間は
読書に充てようと割り切り、そこそこ有意義に活用していた。
 
 
夕方6時まで拘束され、帰る時間はいつものそれより当然遅くなる。
アキが、金曜はナツの部活終わりを待って一緒に帰ると言い出したのは昨夜のことだった。
 
 
ナツは図書室でアサヒを見掛けた時、アキに元から知合いだったのか訊かれ咄嗟に
”陸上部で一緒の先輩 ”と言い切っていた。
”ただの先輩の一人 ”と・・・
 
 
 
その日、グラウンドを走りながら、ナツはどこか心此処に在らずだった。
 
 
  アキは、アサヒのことが好きなようだ。
  アサヒの、ことが・・・

  ナツは。
  ナツの気持ちは、ほんとうにアキのそれと同じなのだろうか。

  違うかもしれない。

  きっと、違う。
  アキのそれより、もっと、気軽な感じの。 軽い感じの。
 
 
  軽い、感じの・・・?
 
 
 
腕を振り、足は前に踏み出してはいるけれど、気持ちは全く前には進まない。
タラタラ走っている訳ではないけれど、かと言って真剣さも見られなかった。
 
 
すると、突然。『痛っ!!』 後頭部に何かに打ち付けられたような鈍い痛みが走った。 

後頭部を押さえ振り向くと、そこにはアサヒの姿。
後方から静かに近付き、腕を伸ばしてナツの頭にラリアットを食らわしたのだった。

『なーに、ボケっとしてんだよ?』 笑いながら、ナツを追い越してキレイなフォームで
どんどん走り進んでゆく。

ナツが慌てて全力でアサヒを追い駆け、追い付く。
アサヒはナツに気付かれない程度に速度を落とし、並んで走る。
そしてチラっと横目でナツを見ると、小さく笑って再び猛ダッシュを掛けたアサヒ。
 
 
アサヒの大きくて適度に筋肉がついたジャージの背中が、どんどん小さくなってゆく。

その駆け抜ける背中は、速すぎて、遠すぎて、眩しすぎて、ナツには決して
追いつけないような気がした。
 
 
 
 
 (今のうちに・・・ 今なら、きっと・・・ まだ、今だったら・・・。)
 
 
 
その時、
 
 
 
 『ナーツーぅ・・・ がんばれーぇ!!』
 
 
  
グラウンド脇から、ナツを呼ぶ声。

陽が翳りはじめた夕空に、それは小気味よく響き渡った。
自分の声色と同じで、しかし話す口調や選ぶ言葉はまったく違う、アキの声。
 
 
その声に、アサヒが足を止めて振り返り遠く見つめた。

その顔は少し驚いて、少し笑っているようにも見えたけれど、夕陽が反射して実際の
ところはよく分からなかった。
 
 

■第11話 オノデラさんとオノデラ

 
 
アキとナツを並べて見比べ、アサヒが可笑しそうに肩を震わせて笑う。
 
 
 
 『なーんか、どっかで見た気がしてたんだよなぁ~・・・』
 
 
 
清楚なワンピース制服姿のやわらかい感じのアキと、ジャージの日焼けした元気印ナツ。
ふたりは、髪型や佇まいこそ全く違うけれど、顔の造作や声色。一瞬向ける表情は同一。
そう言えば、当たり前だが苗字も一緒だ。
 
 
 
 『オノデラさんと、オノデラになんで気付かなかったかな~、俺・・・。』
 
 
 
アサヒはいつまでも楽しそうにケラケラ笑っていた。
日焼けして引き締まった首元の喉仏が、笑うたびに微かに動く。

この ”さん付け ”のオノデラはアキの事であり、”呼び捨て ”のオノデラはナツだった。
 
 
それを恥ずかしそうに、どこか嬉しそうに目を細めて見つめる、アキ。
そんなアキに、どことなく哀しげな目を向ける、ナツ。

一瞬、アキがナツの沈んだ目線が気になり、顔を覗き込む。
慌ててナツが瞬時に明るい笑顔を向けた。

そして、部活終わりの帰り支度をしているアサヒに声を掛ける。
 
 
 
 『アサヒ先輩~。 マックでも寄って帰りませ~ん?』
 
 
 
するとアサヒは、『おぉ、いいねー!』 と快諾した。
 
 
散々走り込んだ若い肢体は、夕暮れの時間には空腹で倒れそうなほどだった。 

”マック ”という固有名詞を聞いた途端、アサヒの腹の虫が瞬時に反応して
ギュルギュル鳴り、3人で顔を見合わせて笑った。
 
 
 
3人揃って、駅前のマックへ向かう。

ロータリーでバスを待つ人の列の間をすり抜け、丁度一番混み合う駅前の道を
アサヒが先に進み、アキとナツはふたり並んでその背中について歩いた。
 
 
この時間帯のマックは学生で混み合っていて、注文するにも少し並ぶ。
店員頭上に掲げられた期間限定商品のパネルに目を向け、なにをオーダーしようか
決めかねながら、ケータイアプリでクーポンもチェックするアサヒ。

その隙にナツは2人掛け席を確保しに注文列を離れ、空いたテーブルにハンカチと
ポケットティッシュで場所取りをした。
 
 
すると、ナツがいまだ先に進まない注文列に戻り、アサヒとアキに言う。
 
 
 
 『ぁ、ちょっと電話入って。 急用出来ちゃったんで、スンマセン!

  ・・・先輩、アキだけヨロシク頼んマーっス!』
 
 
 
そう言うと、さっさと店を走って出て行ってしまった。
アサヒは小首を傾げ、アキは頬を赤らめ困った顔を向けていた。
 
 
賑やかな駅前を抜け、夕暮れの静かな住宅街をひとり自宅へ向かうナツ。
ギュルルル。と腹の虫は鳴り、その顔は物悲しげに沈んでいた。
 
 

■第12話 窓から見えたふたり

 
 
トボトボと足取り重く家路へ向かっていたナツ。

少し猫背気味に踵を引き摺って歩き、無意識のうちに溜息が落ちる。
アスファルトに伸びる影まで、うな垂れて寂しげに映った。
 
 
すると、後方から名前を呼ばれその声に振り向く。
そこにはダイスケが立っていた。
学ランでカバンを片手に持つその姿。学校帰りに寄り道でもしたのだろうか。
 
 
『なんだ・・・ ダイスケか・・・。』 軽く舌打ちしてすぐさま前に向き直る、ナツ。

『なんだ、とは なんだ。』 ダイスケがナツの横に並んで歩きはじめた。
 
 
 
暫し無言でふたり、並んで歩いていると、
『あ。』 ナツが急に声を上げ、立ち止まった。

『ん??』 ダイスケがその声に目線を向け、振り返ると、
 
 
 
 『今、帰っちゃマズいんだった・・・。』
 
 
 
その意味不明なナツの言葉に、ダイスケが首を傾げる。

『このまま。アンタんち、いくわ。』 ぼそり呟いたナツに、『あぁ。』 と
良く分からないけれど一言返した。
 
 
 
 
ナツの自宅の3軒先にあるダイスケの家。

『おばちゃん、オジャマー!』 玄関先で叫び、乱雑にローファーを脱ぐとそれを
揃えもせずに、そのまま勝手に2階のダイスケの部屋に向かった。
 
 
入り慣れたダイスケの、その部屋。

物が少なくてシンプル・・・というよりは、簡素。というかむしろ質素。
ベッドと勉強机と本棚しかない。洋服はベッド下のチェストに詰まっているらしい。

そんな面白味もない部屋の机の棚に、写真立てがひとつ立て掛けられているのが目に入った。
 
 
 
 『・・・乙女か!』
 
 
 
ナツがその写真立てを掴み、目を細めて可笑しそうにケラケラ笑う。
いつ見ても笑える、ダイスケが大切に飾るその写真。
 
 
そこには、幼稚園児3人の姿。

3人とも同じ幼稚園スモックに身を包み、黄色いつば付き帽子をかぶっている。
左側がアキ、真ん中にダイスケ、右がナツ。
ぷくぷくの赤い頬で楽しそうに笑うその顔。

ちょっと照れくさそうに無言で写真立てをナツの手から奪うと、ダイスケは元の
棚の上にそれを戻した。
そして、机の上にカバンを置きその中から教科書を取り出しながら、ナツに訊く。
 
 
 
 『・・・なんで自分んちに帰んないの?』
 
 
 
すると、咄嗟にバツが悪そうに目を逸らしたナツ。
その表情に、『アキ、か・・・。』 ダイスケはわざと大きく溜息を付いた。

ナツが、オタオタと分かり易く慌てて弁解しはじめた。
不必要に両の指先を絡めたり、ほどいたり、爪をはじいたり落ち着かない。
 
 
 
 『別に、アキがどうこうじゃないんだってば・・・

  ただ、アキが、今、好きな先輩と一緒だから邪魔しないように・・・。』
 
 
 『・・・なんでそれが、ナツが隠れることになんの?』
 
 
 
口をつぐむナツ。
気まずそうに目線は中空を彷徨う。
 
 
 
 『いや、あの・・・

  最初は3人でいたんだけど、急用って言って、あたし。 抜けたからさ・・・。』
 
 
 『ふぅ~ん・・・。』
 
 
 
ナツはこのままダイスケとこの話をしていたら、身包み剥がされそうな気がして
慌ててダイスケの視線からはずれて窓の前に立ち、窓を開けて外を遠く眺めた。

ゆっくり訪れる春の夕闇が、街を静かに包み込んでゆく。
宵のうちに吹く夕風は窓辺に佇むナツのやわらかい前髪を撫でて過ぎた。
 
 
すると、丁度ナツの自宅手前あたりにふたりの姿が目に入った。

アサヒとアキが歩いている。
遠目にだって、アキが嬉しそうに照れくさそうに微笑んでいるのは分かる。
肩から前に垂れたふんわり長い髪を、そっと人差し指で背中に戻す。
 
 
アサヒより数歩後ろを歩いて。
カバンの持ち手を、体の前で両手でつかんで。
小首を傾げて微笑む様は、やわらかく眩い。

アサヒはたまに、少し振り返ってアキになにか話し掛けているようだ。
 
 
 
そのふたりを遠く見ていたら、なんだか、胸の奥の奥がぎゅっと握り潰される
ように痛くなった。

こんな痛み、今まで感じたことがない。
この痛みの種類を、ナツは知らない。
出来ることなら、知りたくない。
 
 
窓の外を見たままなにも喋らなくなったナツを不思議に思い、ダイスケがその隣に
立ってナツの目線を辿る。
 
 
そして、ナツにそっと目を戻した。
 
 
 
 『ナツ・・・。』
 
 
 
ダイスケの声に、慌ててナツは明るい笑顔を作った。
しかし、即座に目を落とし、その笑顔は見る見る寂しげに沈んでゆく。
 
 
『どーしようもないバカだ。』 ダイスケがまっすぐアサヒを見つめて、呟いた。
 
 

■第13話 南棟で

 
 
その日は、朝から雨が降った。
 
 
 
体育館は球技系の部活が使っている為、陸上部がそこで使えるスペースなどなく
部長の一声で、今日は自由活動になった。
筋トレやストレッチをする面々。いっそのこと潔く諦めて帰宅して休養するのも有りだった。
 
 
アサヒが退屈そうに体育館入口横の狭いスペースでストレッチしている。

体育館を当たり前に占領し駆け回るバスケ部の生き生きした顔が、室内では行き場のない
陸上部には羨ましく、ほんの少し妬ましい。
 
 
同じようにつまらなそうな顔で床に開脚し、背中を丸めて気怠げにストレッチする
ナツを見付けたアサヒ。
こっそりナツの後ろに立ち、肩に手を置くと思いっきり背中を押す。

『あだだだだだだだだだ!!!』 突然、胸が床につきそうなくらい背中を押され
痛みに悶え声をあげるナツ。
涙目になって眉間にシワを寄せ振り返ると、
 
 
 
 『階段ダッシュでもすっか?』
 
 
アサヒが、悪戯にニヤっと笑いかけた。
痛む内腿をさすり呆れて笑いながら『いっスねー!』 ナツもその案に乗った。
 
 
 
 
なるべく人が少ないような、ダッシュしても邪魔にならない階段を探す。
調理実習室がある南棟は生徒も少ないはずと目星を付け、アサヒとナツ、
ジャージ姿のふたりは廊下を進んだ。

数年前に増築され比較的新しい南棟の廊下は、磨き上げられどこかひんやりと感じる。
体育館からも離れているため、運動系部活の声も届かない。

ふたりの内履きの靴底ゴムが床にキュっと擦れる音だけ小さく響いていた。
 
 
 
 『双子って言われないと、なんか・・・ なんとなく気付かないよな?』
 
 
 
先日の、アキとのことを思い返し、アサヒが口を開いた。
『双子ってなんでもお揃いにすんのかと思ってたー。』 と、笑う。
 
 
 
 『子供の頃はなんでもお揃いでしたよ。

  でも、まぁ・・・ 基本、あたし達ぜんぜん違うし。・・・中身的に。』
 
 
 
『まぁ、そうだな。』 そう言って可笑しそうに笑っているアサヒを横目で見つめた。

あの日、ふたりでなにを話して、どんなことで笑い合ったのか、考えただけで
ナツの胸にまたあの痛みが甦った。
 
 
 
 
 
南棟はやはりひと気はなく、階段をダッシュで上がっても問題はなさそうだった。
1階から3階まで全力ダッシュするというだけのルール。
 
 
 
 『用意・・・ スタート!』
 
 
 
階段前に並んだふたりが少し上半身を前屈みにし、合図と同時に階段を駆け上がる。
ふたり分の靴底ゴムが擦れる音が、不規則に階段踊り場の高い天井に、壁に、反響する。

長身でストロークが長いアサヒは2段とばしで軽快に駆け上がり、ナツは必死に
踏ん張りそれを追い掛けた。
しかし、脚力の差は歴然で。どんどんつけられていくその差に、ナツはだんだん笑いが
込み上げ、次第に笑い声が漏れ、3階にゴールする時にはケラケラ笑いながら
駆け上がっていた。
 
 
それにつられて、先にゴールしたアサヒも階段上で笑う。
 
 
 
 『真面目にやれー!』
 
 
 
そう言って、遅れてやっとゴールしたナツの頭に垂直チョップをお見舞いした。

全然痛くはないアサヒのやさしいチョップ。
日焼けして引き締まった大きなアサヒの手。
微かにナツの頭に、その手のぬくもりが伝わる。
 
 
頭は打たれても痛くなかった。
頭は全く痛くなかったけれど、胸は激しく打たれて息苦しささえ憶える。
 
 
 
 
  (どうしよう・・・ ダメだ。やめなきゃ・・・ やめなきゃ・・・。)
 
 
 
 
すると、少し開いている窓から湿った雨の音が小さく聴こえた。

廊下に並ぶ雨の窓へ目を向けるアサヒ。
吸い寄せられるように窓の前に立ち、遠く眺めている。
 
 
そこには、弱い雨の中、通学路を自宅に向け帰ってゆく傘の群れ。
まるでなにか探すかのように、アサヒがそれをじっと見つめていた。
 
 

■第14話 雨の帰り際

 
 
翌日も、雨はグラウンドに幾つもの水溜りをつくった。
 
 
 
放課後。

図書委員の当番だったアサヒは、静まり返った図書室で貸出カウンター席に
突っ伏し退屈な時間をやり過ごしていた。
 
 
 
 
  (なーんで俺が図書委員かなぁ・・・ 対極だろー・・・。)
 
 
 
 
黙って座っているのも退屈で、ウロウロと本棚の通路を歩いてみる。

静寂に包まれる図書室内には当番の他、机に向かって読書をする姿がチラホラと。
スポーツ関連の書籍の棚の前に立ち一冊取り出して開いてみるが、全く活字が頭に入らない。
『やっぱダメだ・・・。』 ひとりごちで、それを棚に戻そうとしたその時。

一冊取り出した本棚の隙間向こうに、ふんわり長い髪が揺れるアキの姿が。
図書室の重い扉から小さく顔を出し、キョロキョロとなにか探しているようで。
 
 
 
 
  (なにやってんだ・・・?)
 
 
 
 
その隙間から不思議そうに首を傾げ、そのままアキの様子を眺めていた。

すると、貸出カウンターに座るもう一人の当番になにか訊ねた後、本棚の方へ進む。
それは本を探しているような、本棚の間に誰かを探しているような感じで。

思わず、アキから見えない角度の位置に隠れたアサヒ。
まるで隠れんぼしてるみたいで、なんだか愉しくなった。
 
 
小さい小さい声で、
 
 
 
 『オーノ デーラ さんっ』
 
 
 
何処かから聞こえた呼び掛ける声に、アキが立ち止まりキョロキョロと辺りを見回している。
その姿がなんとも面白くて、再度呼び掛けてみた。 『オーーノ デーーラ さんっ』
 
 
すると、アキは少し困った顔をして口を尖らせ、
 
 
 
 『フ、フジエダせんぱーい・・・?』
 
 
小声で呼び返す。
 
 
 
 
  (あれ・・・ 声だけで分かんだ・・・?)
 
 
 
 
丁度アサヒが身を潜める棚のすぐ向こう側にいるアキを驚かそうと
静かに静かに厚目の本を抜き取り、そこに突っ込んで手を伸ばすと、
背中を向けているアキの肩を後ろから、ぽん。と叩いた。
 
 
 
 
 『きゃあああ!!』
 
 
図書室内に、静寂をつんざくような悲鳴が響く。

瞬時にざわざわと、どよめく室内。
アサヒが慌てて本棚の隙間から腕を引き抜き、その場にしゃがみ込んでしまったアキに駆け寄る。

『すんませーん。なんでもないでーす!』 アサヒが誰にというでもなく声を掛け
アキの横にしゃがみ込み、顔の前で両手をあわせて『わりぃわりぃ。』 と笑いながら謝った。
 
 
突然のアサヒの登場にアキは驚き、怒ったように呆れたように目をすがめる。
そして、少しだけ目を伏せると、頬をほんのり高揚させ、その口許はやわらかく微笑んだ。
 
 
そんなアキを、なにも言えずにアサヒは見ていた。
 
 
 
 
 
図書室閉館の時間になり、アサヒとアキ、一緒にそこを後にする。

今日も雨でグラウンドが使えない為、アサヒはこの後は部活に出る必要もなかった。
なんとなくアキと揃って靴箱へ向かい、2年のアサヒは中央の列。1年のアキは
右端の列で外履きに履き替え、昇降口でまたふたり、顔を見合わせる。
 
 
”一緒に帰る約束 ”はしていないし、”一緒に帰ろう ”と言った訳でも言われた訳でもない。

互いに感じた微妙な空気感に、アキがビニール傘をさして『じゃぁ・・・。』 と、
昇降口の段差を下り、ひとり歩き出した。

『ぁ・・・。』 言い掛け、でも二の句を継ぐことが出来ずにいたアサヒに、
アキが小さく振り返る。
 
 
 
ビニール傘の柄を肩に乗せて。
透明な傘についた雫に、傘越しのその表情は少し滲んでぼやけて。
雨音は、透明の傘にスタッカートを付けて弾かれる。
 
 
 
 
 
  あの、雨の日のように・・・
 
 
 
 
 
思わず、アサヒが口を開いた。
 
 
 
 『オノデラさんちって、あじさい寺に近かったよな・・・?』
 
 
 
 
どこかで会ったことがあるような、ぼんやりした記憶。
ただ、黙って紫陽花色の涙を見つめていた、あの去年の6月の雨の日が鮮やかに甦った。
 
 

■第15話 マネージャー

 
 
その日、部活に顔を出すとジャージ姿のダイスケが先輩マネージャーの横に立ち
なにやら話し込んでいた。
 
 
 
 『アンタ、なにやってんの?』 
 
 
 
ナツが不思議そうに駆け寄り訊ねると、
先輩マネージャーが『なに。アンタ達、知合い?』 と目線を向けた。

同じクラスで、おまけに幼馴染みだという事を話すと、先輩マネージャーは
胸に抱えた薬箱が傾げないよう気にしつつ、可笑しそうに笑って言う。
 
 
 
 『そーゆう ”シチュエーション ”なら、普通、逆じゃないの~?

  女子の方がマネージャーでしょ。

  ・・・ほら、あの有名野球マンガとかでもさぁ~・・・』
 
 
 
『え?』 言われている意味が分からないナツが、小首を傾げてダイスケを見た。
 
 
 
 『僕。 ・・・陸上部のマネージャーになったから。』
 
 
 
ダイスケはサラリ言うと、ナツに背を向け先輩から薬箱を受け取りベンチの方に
向かおうとする。
『ちょー・・・っと。』 ジャージのその背中をむんずと掴むナツ。
 
 
 
 『・・・きーてないし。 てか、なんで急にマネージャーなんかやんの??』
 
 
 
すると、ダイスケはナツに掴まれたままの背中をほどくように少し身をよじり、
ナツを真っ直ぐ見て言った。
 
 
 
 『応援するの、得意だから・・・ 僕。』
 
 
 
そう言う顔は、どこか怒っているみたいで、ナツは一瞬たじろぎそれ以降は
何も言えなくなった。
 
 
 
 
 
ベンチに薬箱を置いて中身を広げ、先輩マネージャーから教わった薬の整理を
していたダイスケ。

すると、見掛けない新人の姿にアサヒが近付いて来た。
『あれ、新入部員? そんなん放っといて、走ればー?』 気遣って声を掛ける。
 
 
その声に振り返ると、後ろに立つ日焼けしたジャージ姿に驚き目を見張るダイスケ。
 
 
 
 
  (こないだアキと一緒にいた人・・・ 陸上部だったんだ・・・。)
 
 
 
 
立ち上がって挨拶をし、新しくマネージャーとして入部した話をすると、
『マネージャー??』 今まで男子がマネージャーになった事など無かった為
アサヒは驚いた顔を向けた。
 
 
 
 『僕。 ヒョロヒョロのもやしっ子なんで、マネージャーでいいんです。』
 
 
 
ダイスケは抑揚のない声色で言う。

そして、
 
 
 
 『・・・関係ないですけど。 僕・・・

  オノデラ アキ・ナツと、幼馴染みなんで・・・。』
 
 
 
少し目をすがめて、ダイスケは言った。
その若干強めの言様に、アサヒは少し気圧され、意味もなく小さく笑って返した。
 
 
 
 
 
ナツがグラウンドを走る。

その数ⅿ先には、アサヒのジャージの背中。
もっとスピードを上げて追い付くことだって出来そうなのに、ナツは決して足を速めない。
一定の距離を保ったまま、その背中について走っている。

まるで、それをひたすら見つめながら走っているかのように。
ただ見つめていられればいいかのように。
 
 
ダイスケは、苛立ちながらそんなナツを見つめていた。
グラウンド脇にハードルを等間隔に設置しながら、横目ではその姿をしっかり確認している。

子供の頃からなにも変わらないナツ。
もどかしさにも似たイライラを抑えられず、ダイスケは唇を噛み締めた。
 
 

■第16話 部活終わりの帰り道

 
 
 『フジエダ先輩って・・・ こないだアキが一緒にいた人だよね・・・?』
 
 
 
部活終わりの帰り道。

帰る方向が一緒のナツとダイスケ。 というか3軒隣に並ぶ家、殆ど同じ家に
帰るようなものだったのだが。
 
 
『あー・・・ ん、そうだね。』 あまりその話題、多くは話したくないナツ。

なんとか話を逸らそうと、駅前に新しく出来たケーキ屋の話を振ってみるがダイスケは
食い付かない。 こうゆう時のダイスケは頑固で、一切自分を曲げはしない。
 
 
 
 『アキは、フジエダ先輩となにで繋がってんの・・・?』
 
 
 
追及の手が本格的に伸びてきた。
チラっとダイスケの表情を盗み見るも、その顔はまっすぐ向いたままで読み切れない。
 
 
 
 『えーっと・・・ 図書委員で一緒なんだってさー・・・』
 
 
 『ふぅ~ん・・・』
 
 
 
ナツはこれで話は終了かと、もう一度ケーキ屋の話に戻そうとした。
しかし、それはアッサリとダイスケが継いだ二の句に遮られた。
 
 
 
 『アキは、フジエダ先輩が好きなんでしょ・・・?』
 
 
 
更に否応なしにダークサイドに引きずり込まれてゆく。
居心地悪そうなナツ。
 
 
 
 『ん・・・ そうみたいだね。』
 
 
 
ダイスケがまっすぐ前を見たまま、口をつぐんだ。
その表情は、怒っているような呆れているような、哀しんでいるような・・・

ナツはその顔を、少し怯えながら覗き見る。 なんだか、次の言葉は聞きたくない。
 
 
 
 『ナツは・・・。』
 
 
 
それだけ言うと、ダイスケがナツを見た。
誰よりやさしくて誰より厳しい、ダイスケのその目。

思わずナツの肩に力が入る。
 
 
 
 『ナツは、またピアノの時みたいに他の。見付けるの・・・?』 
 
 
 
 
子供の頃、ピアノを辞める理由をダイスケに訊かれて言った言葉。
 
 
  (あたしは、他の好きなものを見付けられるから・・・。)
 
 
 
 
ダイスケの言っている意味は重々承知している。
そんなの分かってる。
でも、
分かってるけど、でも・・・。
 
 
 
 
 『ほら、アサヒ先輩はさー・・・

  明るいし、親切だし、ほら。 なんてゆーか・・・

  みんな好きなんだよ!先輩のこと。 

  陸上部でアサヒ先輩のことキライな後輩なんかいないしー・・・』
 
 
 
努めて明るく、身振り手振りをまじえて大袈裟なくらいに声を張るナツ。
それをダイスケは冷静にすがめ、ひとこと言い捨てた。
 
 
 
 
 『僕・・・ ナツのそうゆうトコ。 ほんとキライだ。』
 
 

■第17話 特別な人

 
 
翌朝、アキとダイスケが学校へ向け、のんびりふたりで歩いて登校していた。
 
 
 
ふんわりと長い髪の毛を歩くリズムにやさしく躍らせて、アキは今日も
にこやかに佇んでいる。

ダイスケはそれを目の端で見ていた。
世間で言うところの ”女子力が高い ”とはこういう事を言うんだろうなと
ぼんやり考えていた。
 
 
ふと、昨日のナツとの遣り取りを思い出し、なんとなく探りを入れてみる。
 
 
 
 『図書委員になったんだって?』
 
 
 『ぁ、うん。 そうなの~』
 
 
 
一瞬ダイスケの方を見て、ニコっと微笑むアキ。
 
 
 
 『なんか、面倒くさそだね・・・ ヤじゃないの?』
 
 
 
嫌じゃない理由を聞き出す為のダイスケの誘導作戦に、アキは少し困ったような
しかしどこか嬉しそうな顔で言った。
 
 
 
 『ん~、確かに。 めんどくさいけど・・・ でも・・・。』
 
 
『でも?』 すぐさま、アキの二の句をいざなう。
 
 
 
 『・・・ちょっと。 いいなって、思う先輩がいて・・・

  だから、委員は面倒くさいんだけど。 嫌なトコばっかじゃないってゆうか・・・』
 
 
 『へぇ・・・ そうなんだ・・・。』
 
 
 
すると、更にダイスケは即座に質問を続け、アキの反応を伺う。 
本来、最も知りたいのはこの問い掛けで生じる化学反応なのだけれど。
 
 
 
 『ナツはさ。 いないのかな・・・? そうゆう人。』
 
 
 
 
すると、アキはケラケラと笑った。
自分の言葉に自信を持って、まるでダイスケを諭すかのように言い切る。
 
 
 
 『ナツは、いないよ。』
 
 
 
アキは眩しそうに目を細めて微笑んだ。
 
 
 
 『だって、そんな人が出来たら・・・

  ゼッタイ。 一番に、私に教えてくれるもんっ!』
 
 
 
そう断言するアキの、一点の曇りもない澄みわたった目。
そんなアキを見ていられなくて、ダイスケは思わず俯いた。

ナツの、眉尻を下げ情けなく笑う顔が浮かんで消えた。
 
 
 
 
すると、アキが思い出したように少し笑って言った。
 
 
 
 『そう言えば、昨日。 

  ナツが、なんかダイちゃんに怒られたってしょげてたわよ。』
 
 
 
詳しい事まではアキに話していないようだったが、ナツは昨日ダイスケから
言われた一言を気にしているようだった。

下唇を突き出し不満気に目をすがめて、机に顎を乗せるナツの昨夜の背中を
思い出しながら、アキが言う。
 
 
 
 『ダイちゃんてさー・・・ 昔っからナツにはキツいよね~?』
 
 
ダイスケが面食らって少し口ごもる。 『そんな事ないと思うけど・・・。』
 
 
 
 『そんな事あるでしょ~・・・

  ダイちゃんがキツい物言いするのってナツにだけだもん。

  ・・・でも、きっとさ・・・』
 
 
 
アキが目を細めて笑う。
それは、嬉しそうで羨ましそうで、どこか諦めているような顔にさえとれる。
 
 
 
 『きっと、そっちの方が・・・

  遠慮がない方が、ほんとのダイちゃんなんでしょ・・・?

  ・・・ナツは、特別なんでしょ・・・?』
 
 
 
真っ直ぐアキに見つめられて、ダイスケは目を逸らした。

そんなんじゃないと言い掛け、しかし自分でもなぜナツにだけ無性にイライラして
しまうのか分からず、ダイスケは結局なにも言えずにいた。
実際、アキにはキツい口調で言ったことなど一度もないのだ。
 
 
 
 
ダイスケが俯き、ほんの小さく溜息をついた。
 
 

■第18話 図書委員会

 
 
月に一度、最終木曜日に図書委員会がある。
 
 
 
各クラスの図書委員が集まり、3年の教室で意見を持ち寄り委員向上に努める為のそれ。
たいして話し合いが必要な重要な議題もなく、一応1時間はみている予定時間も
30分もあればお釣りがくる程度のもの。

それ自体は煩わしいの一言だったが、図書委員全員が集まるということは勿論
アサヒも来るという事で。
 
 
前夜、図書委員会でアサヒに会えることをナツに嬉しそうに話していたアキ。
目を細め頬を赤らめて、自室の机に頬杖をつき顔を綻ばせている。
 
 
ナツはそんなアキの背中を、離れた2段ベッドの上段からぼんやり見ていた。

まるで薔薇の花でも背負っているかのような、恋をしているその背中を
なにも言わず、ただぼんやりと。
 
 
 
アキはその日、朝から張り切っていた。
いつもより少し早く起きて、髪の毛を念入りに手入れし、制服を整え、ハンカチに
アイロンをかけている。

トーストに齧り付きながら横目で見ていたナツ。
 
 
 
 『ねぇ。 委員会って何時からなの~?』
 
 
 
『4時からー。』 ナツの問いに、アキが小さく振り返って返事をした。
 
 
 
 
  (アサヒ先輩・・・ 今日は部活来ないのかな・・・。)
 
 
ナツがそっと目を伏せた。
 
 
 
 
 
そして放課後、委員会が始まる時間が近付いていた。

アキは今回は校舎内で迷わないよう、昼休みのうちにルート確認は済ませていた。
胸の前で腕をクロスしてノートを持ち、小走りで進む廊下。
走るリズムに、背中に垂れる長い髪の毛先が左右に踊る。
やはり3年生の教室が並ぶそこは、ただ通るだけで1年生には少し緊張感が高まる。

3時45分には、委員会を開催する3-Cの教室に到着したのだが、もう中に入って
いていいものか迷い教室入口で中を覗き込み、ソワソワしていた。
まだ委員は誰も来ていないようだ。
 
 
すると、
 
 
 
 『・・・どした? 入ればー?』
 
 
 
その声に振り返る。
低くやさしいその声の主アサヒが、アキの横を通り抜け先に教室に入って行った。

思わず頬を緩めてその背中に続いたアキ。
アサヒは窓側の列の真ん中あたりの席に、適当に腰掛けた。
 
 
 
  (どこに座ろう・・・。)
 
 
 
アキが少し辺りを見回し、特に決められてはいない座席に困った顔を向けている。
座る席が決められていた方がこういう場合は気楽だというのに、そんなアキにとって
都合いい配慮がなされているはずもなく。
 
 
すると、アサヒはちょっと笑いながら、
 
 
 
 『別に、座り放題だから。 好きなトコ座ればー?』
 
 
 
オロオロしているアキを、机に片肘をついて可笑しそうに眺めている。
 
 
その ”好きなトコ ”が問題だというのに。
勿論少しでも近付きたいけれど、こんなに選択肢が多い中で真後ろや隣りを自らの
一存で選ぶことが出来るアキではない。

そんな風に見られていたら、どこに座ったらいいか余計に悩んでしまうのに。
 
 
 
  (どうしよう・・・。)
 
 
 
赤い顔をしていまだキョロキョロ見回すアキに、アサヒはクククと笑い声を上げる。

そして、
 
 
 
 『なら。 ココにしときなー。』
 
 
 
自分が座ってる席の右隣のイスを引いた。
窓側から2列目の、アサヒの隣の席。
 
 
コクリ。赤い顔で頷いて、その席へ進むとストンと腰掛けたアキ。
慌てて座った為に少し捲れたスカートを、中腰になってお尻の下に手を滑り込ませ整える。

窓側のアサヒは、壁に背をつけて寄り掛かり、イスに横向きに座っているため
顔はまっすぐアキの方へ向いている。
 
 
 
  (キンチョーするぅ・・・。)
 
 
 
アキが机にノートを広げ、それに目を落とすフリをして赤い顔を隠していると、
アサヒが思い出したように急に話し出した。
 
 
 
 『そう言えば・・・ 

  オノデラ姉妹の幼馴染みが、ウチのマネージャーになってたよ。』
 
 
 
瞬時にダイスケのことだと分かる。
 
 
 
 『ぁ、はい。 ナツから聞きました・・・』
 
 
 
すると、アサヒが両手を組んで腕をまっすぐ伸ばし、軽く伸びをしながら
ちょっと笑った。
 
 
 
 『なんか・・・ アイツ、変わってんよなー?』
 
 
 
あのときのダイスケから向けられた表情が、ふっと浮かんだ。
 
 
 
 『俺、すげぇ睨まれたー・・・ なんかしたかな~?』
 
 
 

■第19話 指導係

 
 
グラウンドから、校舎正面の高い壁に掛かる時計に目を向けたナツ。

だいぶ前の卒業生から寄贈されたらしい卒業記念品として設置された、大きな屋外時計。
時刻は4時をまわった。
 
 
 
 
  (委員会、はじまった・・・。)
 
 
 
 
走りながらも、時計ばかり気になり全く集中出来ない。

どんどん他の部員に追い抜かれていくナツに、見かねた陸上部長がベンチから軽く注意する。
ペコリ。小さく頭を下げてスピードを上げるも、次第にその足は再び速度を落とした。
 
 
 
 
  (部活・・・ 顔出さないのかな・・・

   委員会の後は、ふたりで・・・ どっか行ったりするのかな・・・)
 
 
 
 
『オノデラー、ちょっと来ーい。』 ついに、部長呼び出しが掛かる。
 
 
ベンチの前に仁王立ちして体の前で腕を組む部長は、親に叱られる覚悟を決め兼ねる
幼子のようにモジモジと体をよじるナツの姿に、思わず笑ってしまいそうになる。
しかし、そこはグっと堪え真面目な顔を無理やり作った。

バツが悪そうに部長の前に立つと、『すんません!気を付けます!』
部長の言葉を待たずに畳み掛けるようにナツが言う。
 
 
 
 『指導係がいないと、マトモなペースで走れないのかお前は。』
 
 
 
その一言に、『指導係?』 オウム返しに聞き返す。
そんな係があるなんて初耳だ。

すると部長は、堪え切れず笑って言った。
 
 
 
 『お前の指導係だろ。 ・・・アサヒ。』
 
 
 
その言葉に、目を見開くナツ。
真っ赤になって、分かり易くうろたえた。

落ち着きを失いオタオタする姿に、部長が半笑いで言う。
 
 
 
 『なんだ、どーした? お前、真っ赤だぞ?』
 
 
 
更に首まで赤くしてせわしなく瞬きするナツとニヤけ顔の部長の間に、
先輩マネージャーが割って入った。
ナツの小さな体を抱きすくめるように自分の体で隠し、部長に見えないように遮ると
マネージャーはナツの真っ赤な顔を覗き込むように見つめ、背中で部長に言う。
 
 
 
 『オノデラをイジめないで下さいよ~、 部長~ぉ・・・』
 
 
先輩たちにイジられ可愛がられるナツを、少し離れたところでダイスケが見ていた。
 
 
 
 
 
夕暮れのグラウンドを部長にぴったり隣につかれて、ナツが走る。
『チョー走りづらい。』 と聞こえよがしに文句を言うと、部長にパコンと頭をはたかれた。

またペースを落とさぬよう、部長自ら監視しながら並走していたのだ。
 
 
まるで二人三脚のようにナツと部長が走っていると、委員会を終えたアサヒが
グラウンドに足を踏み入れ、その不思議なふたりの光景を眺める。
 
 
『なんスか?あれ・・・。』 頬を緩めるアサヒに、先輩マネージャーが言った。
 
 
 
 『指導係がしっかり躾けないから、あーなるんでしょーが。』
 
 
 
アサヒが目を細め、叱られながら部長と走るナツを笑いながら見つめていた。
 
 

■第20話 ふたりの姿

 
 
アサヒが先輩マネージャーに言う。

 『もう、あんま時間ないんで。 今日は俺、帰ります。』
 
 
 
思いのほか、時間がかかった図書委員会。
今からジャージに着替えて準備運動をしていたら、もう部活終了の時間になりそうだったのだ。

ふと目を向けると、グラウンド入口にはアキがポツンと所在無げに立っている。
 
 
 
 『ぁ。オノデラの片割れ・・・ 待つの? あの子、もうちょっと掛かるよ、時間。』
 
 
 
先輩マネージャーが、部長と走るナツをアゴで指して笑って言う。
たまに後頭部をはたかれながら、ナツが窮屈そうに走る姿が目に入った。

そんなナツに再度目をやり、アサヒの背中にも小さく目線を向け、アキは微かに
頬を染めて面映そうにポツリ言った。
 
 
  
 『・・・時間かかるなら、帰ります・・・。』
 
 
そして、もう一度。 小さく目線をアサヒの背中に向けた。
 
 
 
 
 
アサヒとアキがふたり並んで、通学路へ向けグラウンドを出て行く。
学ランのアサヒと、ワンピース制服のアキの背中。
 
 
走っている途中のナツがさすがにバテ始め、顔を歪めて天を仰いだその時
そのふたりの後ろ姿が目に入った。

思わず立ち止まって、グラウンド出入口を遠く見つめる。
 
 
グラウンドのフェンス向こう、夕陽に染められたふたりが歩いてゆく。
遠く稜線から覗く橙色のそれは、やわらかく夕空を包み込むように照らしている。
 
 
隣で走っていたはずのナツが足を止めた事に気付き、振り返った部長が声をあげる。
 
 
 
 『オーノーデーラーーー!』 
 
 
呼んでも反応がないナツに、部長が首を傾げ小走りで駆け寄った。
そして、ナツが凝望するその目線の先を追い、俯いてククク。笑う。
 
 
すると、ナツが急に猛ダッシュをかけて走り出した。

腕を思い切り振り、脚を高く上げて。風を切るように、全力で走る。
唇を噛み締めて、目をすがめて、眉根をひそめて。

アサヒとアキ、ふたりの後ろ姿が頭から離れなかった。
 
 
心拍数が上がってゆく。
心臓が痛い。
呼吸が苦しい。
 
 
 
 
  (ふたりで、なに話してるんだろ・・・

          どんな話して、笑ってるんだろ・・・)
 
 
 
 
アキが嬉しそうに微笑む顔が、目に浮かぶ。
 
 
 
 
  (やめなきゃ・・・ こんなの、やめなきゃ。

   ただの、部活の先輩。ただの先輩。ただの、ただの・・・)
 
 
 
 
胸の痛みに顔を歪め、ナツが走る足を止め、その場に立ち竦んだ。
夏の終わりの向日葵みたいに首をもたげ、両の手の握りしめた拳は小刻みに震える。
 
 
夕陽に照れされグラウンドに落ちた影は、迷子のように心細げに薄く延びていた。
 
 

■第21話 金平糖の約束

 
 
アサヒとアキ、ふたり並んで歩く帰り道。
 
 
 
夕陽翳る道には、ふたりの長い影がしっとり落ちる。

生ぬるい風に乗って夕げのにおいが流れ漂うと、アサヒの腹の虫がまた鳴った。
頬をゆるめ白い歯を覗かせるアサヒを、アキが肩をすくめてクスクス笑う。
 
 
グラウンドを抜け通学路を通り過ぎたあたりの住宅街に差し掛かると、終わりかけの
少ししおれた紫陽花が目に入った。
コバルトブルーの花びらの先が、過ぎゆく季節に少し茶色くくすんでいる。
 
 
 
 『もう紫陽花も終わりの季節だな・・・。』
 
 
 
ポツリ言ったアサヒが『紫陽花・・・好き?』 と、アキをどこか試すように問い掛けた。
チラリ目線を向け、アキの表情を盗み見るように。
 
 
 
 『好きですよ・・・ お花全般、大好きです!』
 
 
 
アキが目を細めて微笑む。
間違いではないと納得するかのように、その横顔をアサヒは嬉しそうに見つめていた。
 
 
すると、どこからかピアノの音が流れ聞こえた。
子供が練習しているのか、少したどたどしくそれは響く。

アキが嬉しそうに耳を傾け、自然に指先が動く。 『ト長調のメヌエットだ・・・』
 
 
 
 『ピアノ・・・ 詳しいの?』
 
 
 
アサヒが訊くと、アキは『習ってるので。』 と、言って笑った。
 
 
 
 『ナツも一緒に習ってたんですけど・・・

  つまんないって言って、途中で辞めちゃって。』
 
 
 
アキの話に、『らしいな~』 アサヒが笑う。
 
 
 
 『一緒に習ってたことは全部辞めちゃったんです、ナツ・・・。』
 
 
 
どこか寂しそうに呟く顔に、

『別にいいんじゃない? 元は別なんだし。』 アサヒのその一言にアキが目を伏せた。
 
 
 
 
 
 
 『もう少しで修学旅行ですよね?』 

2年生は秋の修学旅行が近付いてきていた。
『どこに行くんですか?』 アサヒに目を向ける。
 
 
 
 『京都じゃなかったかな~ ・・・確か。』
 
 
 
それは、まるで他人事のような口調。
高校生にとってのビッグイベントな気もするが、アサヒにとっては然程重要度は
高くないらしい。
 
 
 
 『今、すっごい可愛い、カラフルな・・・

  なんか、ビーズみたいな金平糖が人気あるんですよー!』
 
 
 
思い出して目を細めて微笑む、アキ。

女性に人気の京都土産ランキングで上位に入っていたそれ。
ネットで話題になっているのを見掛けて以来、気になっていたのだった。
 
 
アサヒがその横顔をチラリ見て、笑う。 
 
 
  
 『えー。 お土産、催促されたー・・・』
 
 
 
『違います!違います!!』 慌ててアキが首を横に振る。

本当にそんなつもりで言った訳ではなかった。
図々しいタイプだと思われたくなくて、必死に身振り手振りをまじえ弁明する。

困った顔を向けて『ほんとに違いますから。』 と、まだ繰り返すアキに
ククク。と笑って俯いたアサヒ。
 
 
 
 『いいよ。 ・・・買ってくるよ。』
 
 
 
その一言に、アキが一瞬固まり目を見張った。

そして次の瞬間、パッと表情が明るくなったアキ。
口許に指先をあて、パチパチとせわしなく瞬きをする。
 
 
 
『ほんとですか・・・?』 面白いように、くるくる表情は変化してゆく。
 
 
 
 『ん。 いいよ。』 
 
 
 
確かに聴こえたアサヒの言葉に、頬を染めて少し目を潤ませアキが喜ぶ。
 
 
たかが金平糖でそこまで喜ぶアキを、アサヒは照れくさそうにそっと見つめて
背中を丸め笑った。

なんだか、アキの赤い頬の熱が夕風に乗って伝染したのではないかと思うほど
熱いアサヒのそれ。 夕光が頬をかすめ照らしているだけではなさそうで。
 
 
 
アサヒの胸が、ほのかに熱を憶え歯がゆく高鳴った。
 
 

■第22話 お土産

 
 
部活がはじまる直前、グラウンド脇で陸上部1年が集まって仲良く談笑している。
 
 
個性的なメンツが集まっている割りには、なにかと結束力が強い1年軍団。
なにが楽しいのかグラウンドに引っくり返って笑い、ジャージの背中が汚れて
しまっているのが目に留まった。

アサヒがひょっこりそんな輪に首を突っ込んでみる。 
 
 
『おっと!噂をすれば・・・』 1年軍団のニヤリほくそ笑む顔に、アサヒが顔を
しかめ呟く。 『なんだよ、噂って・・・ うわ~、なんか聞きたくないかも。』
 
 
渋い顔を向けるアサヒの腕を掴んで、その輪の中央に座らせる。
『やっぱいいや。』 と、立ち上がろうとするアサヒは、ガタイのいい男子後輩に
ふたりがかりで肩を押さえつけられ、結局ストンとそこに腰を下ろす羽目に。

ニヤニヤと緩む顔を抑えられない1年の面々。
 
 
 
 『・・・なに? 俺、ボコられんの・・・?』
 
 
 
360°後輩に囲まれ、居心地悪そうに地面に胡坐をかくジャージ姿のアサヒ。
 
 
 
 『アサヒせんぱーーい! もうすぐアレっスね、アレ!!』
 
 
 
1年軍団がみな揃って、ギラギラした目でアサヒを注視する。
腹を空かせて残り物を物色しようとする、そのハイエナのような視線。

瞬時に言いたいことは分かったのだ、が・・・
 
 
 
『んぁ? アレって??』 涼しい顔をしてとぼけてみる。
斜め上方を見上げ、首をひねり、体の前で腕組みして思い当たる節はまるでない顔を向け。
 
 
すると、1年軍団が一斉にアサヒにぐっと近付き顔を覗き込んでくる。
一同の必死な顔に笑いが堪えられなくなった。 『近い近い近い近ーーーい!』
 
 
 
 『分かった分かった。 どーせ、修学旅行の土産だろ~?』
 
 
 
うんうんと一同一斉ににこやかに頷く様に、アサヒが吹き出して笑った。
その中に、ひと際嬉しそうに子供のように満面の笑みで頷くナツの顔を見付ける。
 
 
 
 『そこのお前ー! お前はすぐボケっとしてサボるからな~

  特に、ちゃんと真面目に走っとけよ、オイっ!!』
 
 
 
ナツを指差し、アサヒが笑う。

急に指されて目をパチクリと驚いたナツ。 
『あー・・・ はいはい。』 嬉しさを隠そうと、思わず気怠げに返事をした。
 
 
するとアサヒが立ち上がり、輪をかき分けナツの目の前に立った。
 
 
 
 『 ”はい ”は1回だろがぁー・・・ 1年坊主がぁー・・・』
 
 
 
そう言って、ナツの両ほっぺをつねって引っ張った。
やさしく両サイドに引っ張られ、つぶれたカエルのように無様な顔のナツ。
 
 
 
 
  (痛い。痛いよ・・・ 心臓、痛いってば・・・。)
 
 
 
 
 
  『なんて顔してんだ、お前~・・・』
 
 
真っ赤になって情けない顔を向けるナツに、アサヒが大笑いして目を細めた。
 
 

■第23話 不在の間

 
 
 『アレ。どーしたの? 随分がんばっちゃって~・・・』
 
 
 
先輩マネージャーが、ダイスケに『アレ』 と、アゴで指すのはナツだった。
目を落としていた書類のバインダーを一旦胸に抱き、可笑しそうに眺めている。
 
 
真剣な眼差しで走り込む姿。
アゴを少し引き視線を固定して、腕をしっかり振り懸命に走る。

2年生部員は修学旅行に行っていて不在で、3年生と1年生のみの陸上部は
いつもよりグラウンドは空いていて、走りやすい反面どこか物寂しかった。
 
 
 
 『指導係がいなくても、ヤレば出来んじゃんね~?』
 
 
 
頬をゆるめ、まるで幼子を見る母親のようにやさしく呟く先輩マネージャーに
ダイスケが小さくポツリ言う。
 
 
 
 『いないからこそ、じゃないんですかね・・・。』
 
 
 
先輩に言われるまでもなく、いち早くそんなナツに気付いていたのは誰でもない
ダイスケ自身だった。

言葉では言い表せないモヤモヤした灰色の得体の知れないものが、胸中を渦巻く。
”応援 ”するのが得意と言ったあの宣言は、何処にいったのだろうと内心失笑した。
  
 
 
 
 
アサヒがいない間、ナツは一番に部活に顔を出し、諸々の準備をしマネージャーの
仕事も手伝った。そして、懸命に走り、部活終わりは後片付けも率先して申し出て
いつものアサヒの様に一番最後まで残っていた。
 
 
部活終わり、部室に来るよう部長に呼ばれたナツ。

少し身を固くして、その日一日の自分の振る舞いを思い起こす。
真面目に走ったし、マネージャーの仕事も手伝ったし、部長に口答えもしていない。
 
 
 
 『・・・今日は怒られることは、してない、気が・・・。』
 
 
 
部長の前に直立姿勢で立ち、モゴモゴ俯いて言うナツ。
まっすぐピンと伸ばし下ろした手の指先が、ジャージのズボンのサイドラインに
ぴったり沿っている。
 
 
そんなナツに、部長が笑う。
 
 
 
 『なんだよー、たまには褒めてやろーと思ったのにー・・・』
 
 
 
パコリと頭をはたかれた。 結局叱られても褒められても、はたかれるのは変わらない。
隣に立つ先輩マネージャーも、ケラケラ笑っている。
 

『なんだー・・・ まーた、怒られんのかと思った・・・。』 照れくさそうに笑い
途端にだらしなく姿勢を崩したナツに、部長は言った。
 
 
 
 『お前さー・・・ 素質あるんだから。 ちゃんとこの調子で頑張れよー

  指導係にイチイチ左右されてないで・・・。』
 
 
 
また出てきた ”指導係 ”というワード。

『そんなんじゃないっス!!』 赤くなって眉間にシワを寄せ、口を尖らすナツ。
 
 
 
部長とマネージャーが顔を見合わせて、ケラケラと可笑しそうにいつまでも笑っていた。
 
 

■第24話 アサヒが帰った日

 
 
その日、慌てて走って部活に顔を出すと、そこにはアサヒがあの陽だまりのような
顔で笑っていた。

朝から内心ソワソワと落ち着かなかったナツ。 傍目にそれを悟られないよう隠すのに
躍起になって、まだ部活前だというのにもう既に疲れてクタクタだったのだが。
 
 
 
 『あ! 帰って来たー!!』
 
 
 
子供のように顔を綻ばせ、ナツが嬉しそうに笑う。

疲れなど吹っ飛んだのは、紛れもなく ”陽だまり ”を見られたからで。
色とりどりのスーパーボールが跳ね踊るように、嬉しくて堪らないその心は高鳴る。
 
 
『ちゃんとやってたのかー?』 アサヒがナツを覗き込む。
 
 
途端に恥ずかしくなって、俯き、少し口ごもる。
 
 
 
 『・・・いっつも、ちゃんとやってるし。』
 
 
 
『はあ~?』 アサヒに突っ込まれ、互い、顔を見合わせて笑った。
 
 
 
 
部室の机の上に、アサヒが大きな紙袋を乗せた。

空港のセキュリティチェックを受けた証のシールがベタベタ張られたその紙袋。
それを一気にひっくり返した。
すると机上には、京都ご当地Collon、ハイチュー、キットカット、プリッツ、
ベビースターが大量に紙袋から現れた。
 
 
 
 『めっちゃ、かさ張ったー・・・。』
 
 
 
そこそこ人数が多い陸上部用のお土産は、多種多様な京都限定ご当地お菓子だった。
箱を開けて個包装のそれを机の上に広げるアサヒ。
ナツも手伝って、箱の開け口のつまみをミシン目にそってペリペリと切り離す。
 
 
すると、アサヒはナツへ言った。
 
 
 
 『みんな来る前に、1個ずつ全種類持ってけ。』
 
 
 
その顔はニヤっと笑いながら。

さすがに全員が全種類1つずつ貰えるほどの数は無かったのだ。
ナツが嬉しそうに頷いて、ジャージのポケットぱんぱんにそれを詰め込んだ。
 
 
 
その日のナツは、特に張り切って走っていた。

目の前にはアサヒの背中がある。 5日ぶりのアサヒの背中。
たった5日が、まるで数か月のようにも感じていた。
アサヒの背中に続いて走ることの喜びに、まるで羽根が生えたように足は軽かった。
 
 
 
 
 
すっかり陽が暮れて、グラウンド脇の常夜灯に灯りがともる。
もう石灰の白線も見えにくい時刻。部員全員もう帰り支度をはじめていた時のこと。
 
 
アキがグラウンドの入口隅にポツンと立っているのが見えた。
今日は一緒に帰る日ではなかったはずだが、待っていてくれた事が嬉しくて
ナツがその姿に駆け寄ろうとしたその瞬間、アサヒがナツを追い抜いてアキの元へ駆け寄った。

その手には、包みを持って。
 
 
 
可愛らしい袋を、アサヒがアキに渡している。
アキが嬉しそうに肩をすくめ微笑む。

声は聴こえない。
まるで白黒無声映画のように。

でもそれは、どう見てもほんのり色付いていて。
アキの頬が赤く染まっていて。
渡すアサヒのそれまでも、照れくさそうに赤く・・・
 
 
 
そんなふたりを、ナツはただ黙って遠く見ていた。

ナツのジャージのポケットに詰まった、その他大勢用のお土産だけ擦れ合って
哀しげな音を立てた。
 
 

■第25話 ダイスケの部屋で

 
 
ナツとダイスケ、ふたり歩く帰り道。
 
 
ダイスケの後ろを数歩遅れて歩くナツ。
足元に目を落とし、なにも喋らない。
アスファルトに踵を擦って進む足取りは、まるで足首に足枷でもはめられて
いるかのように重く鈍い。

ダイスケはチラっと後ろを見つつ、なにも言わず、その距離を保ったまま歩いた。
いつもの帰り道のはずが、やけに今日は家までの道のりが遠く長く感じるのは
気のせいだろうか。
 
 
すると。 ナツが、そっと手を伸ばしてダイスケのジャージの背中を掴んだ。
その掴んだ小さな手が小刻みに震えているのが、ダイスケの背中へ微かに伝わる。
 
 
ナツは泣きそうなのを必死に堪えている。
 
 
最初、力強く肩甲骨あたりのジャージを掴んだその手は、次第に弱々しく力が抜け
ギリギリ辛うじて指が引っ掛かっているだけのようにズリズリと下がって腰で止まった。

ダイスケは物心ついてから、ナツの泣き顔は見たことがなかった。
ナツは決して人前で泣かなかった。
 
 
だから、今も。
泣きそうな顔は見られたくないはずだった。
 
 
ダイスケは決して振り返らない。
その代り、右手をそっと後ろへ伸ばし、ジャージを掴んでいない方のナツの手を握る。

ナツがうな垂れて立ち止まった。
なにも、言わない。

ダイスケが握ったもう一方のナツの小さな手は哀しいほどに冷たくて、ダイスケの
手の平の熱では温めることなど出来ないと言われているような気分になる。

それでも、ぎゅっと握り締めた。
 
 
 
 『ウチ、寄ってけば・・・?』
 
 
 
そっと声を掛ける。 このままでは、アキの顔を見られないだろう。 
『ん・・・。』 やっと聞こえたナツの声は、足元に小さく落ちてくぐもった。
 
 
 
 
 
ダイスケの部屋。 なにも喋らないふたり。
部屋の壁掛け時計の秒針だけが、静まり返った部屋に小さな音を落としている。

勉強机のキャスター付きのイスに、ナツが猫背気味に浅く座る。
いまだ俯いたままのその横顔は、ショートカットのサラサラの毛先が前に流れて
潤んでいるであろう目元をそっと隠す。
 
 
なにも言わず、ダイスケがナツの横に立った。
イスのキャスターを90°回転させ向き合うと、ナツの両肩に手を置く。

そして、そっとナツの頬に両手をあてた。

哀しげなその頬の温度は、ダイスケの手の平のそれよりじんわり高い。
上半身を少し屈めると、背の高いダイスケの目線がナツのそれに合った。
 
 
じっと、見つめる。
目を逸らさず、じっと。
 
 
雫がこぼれてしまいそうで、しかしギリギリのところで堪えるナツの目は、
まっすぐダイスケを見ていた。
 
 
すると、ダイスケがナツの頬を親指と人差し指で軽くつまんで引っ張った。
ナツの顔がつぶれたカエルのように歪み、口の端が伸びる。
 
 
 
 『僕だと、なんにも感じないでしょ・・・?』
 
 
 
小さく呟く。
 
 
 
 『フジエダ先輩のときは、ナツ、首まで真っ赤になってた・・・。』
 
 
 
ダイスケが泣き出しそうに哀しい顔を向けた。
 
 
 
 『どうして・・・ アキに全部、譲っちゃうの・・・?』
 
 
 
顔を歪め、目を逸らして声を絞り出す。
 
 
 
 『ナツのそんな哀しそうなの・・・ 僕、見たくないよ・・・。』
 
 
 
力が抜けたダイスケの手が、ナツの頬から離れストンと落ち、そのまま華奢な肩の
上に着地する。 手を広げ、その小さい肩を揺さぶるダイスケ。 俯いて、苦しそうに
ぎゅっと目をつぶり、かぶりを振る。
 
 
 
 
 『ナツの、ほんとの意味での親友は・・・

             ・・・アキなんかじゃない・・・ 僕だ・・・。』
 
 

■第26話 約束の金平糖を

 
 
アサヒが腕をまっすぐ伸ばしその袋を差し出すと、アキが嬉しそうに満面の笑みを向けた。
 
 
 
アキと約束した金平糖を探しまわった修学旅行2日目のこと。

やっと見付けたそこは女子向けのあまりに可愛らしい店構えで、足を踏み入れるのに
かなり躊躇し買い物に付き合わせた友達から散々からかわれたアサヒ。

ショーケースに並ぶカラフルな金平糖。
色々なデザインの和三盆糖と色とりどりの金平糖、ユニークな形の琥珀糖が
詰め込まれたそれは、パッケージまで可愛らしくてまるで小さな宝箱のようだ。
 
 
あの日の帰り道、この金平糖のことを嬉しそうに話していたアキを思い返す。
目を細めてやわらかく微笑む顔。

それは、雨の日に紫陽花に微笑んでいたあの顔で・・・
 
 
 
 
  (喜んでくれるかな・・・。)
 
 
 
可愛らしい袋を目の高さに上げ眺め、アサヒの顔まで自然と笑顔になっていた。
 
 
 
 
 
グラウンド脇。 照れくさそうにアキにその袋を差し出すと、アキは零れんばかりの
笑顔を向けた。
 
 
 
 『ほんとに買って来てくれたんですね・・・

  すっごい嬉しい・・・ ありがとうございます・・・。』
 
 
 
渡された袋を大切そうに胸にぎゅっと抱いて、目を伏せるアキ。
頬はほんのり高揚させて、口許は嬉しそうに緩めて。

幸福感に満たされて、そこだけ気温が少し上昇したのではないかと思う程だ。
 
 
まるで泣いているみたいに潤んでゆくアキの目に見つめられて、アサヒが思わず
目を逸らす。 アキはまだ『ありがとうございます。』 と、繰り返している。
 
 
『ただのお土産だよ。 オーゲサー。』 アサヒは目線をはずしたまま笑った。
 
 
 
『あ。』 一声発して、アサヒが肩掛けカバンに手を入れる。
そしてケータイを取り出すと、指先でスクロールし画像フォルダから1枚写真を
選択してアキに見せた。
 
 
 
 『コレ・・・ 金平糖の店。』
 
 
 
アキに見せようと店舗外観をケータイで撮影していたのだった。
この写メを撮るときも散々友達にからかわれた事を、ふと思い出し苦笑いが出る。
 
 
『え! 見たい見たい!』 アキがアサヒに近付きケータイを覗き込んだ。

少し屈むと後ろに垂れていた長くやわらかい髪の毛が、ケータイを掴み伸ばすアサヒの腕に
ふんわり落ちて触れた。
その瞬間、甘いシャンプーの香りがにおい立った。
白く細い指で長い髪の毛をまとめると、邪魔にならないよう片方の肩から垂らしたアキ。

そして再びアサヒのケータイに顔を近付け、写メを覗き込んだ。
 
 
 
アキの息がアサヒの手にやさしく掛かる。
その距離に、アサヒの鼓動は早鐘のように打つ。
 
 
 
 アキの長いまつ毛。

 アキの白い首筋。

 アキの甘いにおい。
 
 
 
一言もしゃべらなくなったアサヒを不思議に思い、アキが小さく目を向ける。

すると、目と目が合った。
あと少し身を乗り出せば触れてしまいそうな、ふたりの唇。
 
 
咄嗟に、ふたり。
慌てて体をのけ反って離れた。

アサヒは顔が燃えるように熱くて仕方がなかった。
そっとアキに目を向けると、耳まで真っ赤にして俯いている。
 
 
 愛おしいと、そのとき心の底から思った。
 
 
 
 『ぁ、あのさ・・・ 今度の日曜・・・ なんか予定とか、ある・・・?』
 
 
 
アサヒが、アキをまっすぐ見て、言った。
 
 

■第27話 アキの顔 

 
 
ちゃんと喜ぶ表情が作れているかどうか、不安だった。
 
 
重苦しい胸の痞えを抱えたままダイスケの家を後にし、自宅に戻ったナツ。
小さく一呼吸してふたり部屋のドアの沓摺りに立つと、アキがすごい勢いで
抱き付くように駆け寄ってナツの手を掴み、真っ赤な頬で目を潤ませている。
 
 
 
 
  (お土産のことかな・・・。)
 
 
 
 
精一杯笑顔を作った。
目は合わせられない。 声色だけなんとか明るく、からかう感じのそれを誇張する。
 
 
 
 『な~に個別でもらってたのぉ~? 京都土産~?』
 
 
 
ナツはそう言うと、そっと目を逸らし自分の机の上にカバンを置いて目を落とした。
カバンの上に置いた手は、きまり悪く指先の爪を無意味にはじく。
 
 
すると、
 
 
 『ぁ、うん・・・ お土産も、もらったんだけどね・・・。』
 
 
 
アキが興奮冷めやらぬ感じで、二の句を継いだ。
胸の前で両手の平を合わせ、その目はキラキラと輝いて。
 
 
 
 『日曜にね、ふたりで出掛けることになったのっ!!』
 
 
 
”ふたりで出掛ける ”という予想だにしていなかったその言葉に、立ち竦むナツ。
瞬きという動作を忘れてしまったかのように、目は見開く。
カバンに落とす目線が、じわじわ霞み滲んでゆく。
ノドが痞えるような息苦しさに襲われ、声が出ない。
頭がぼうっとして、なんて言っていいのかさえ分からない。

本来なら一緒に喜んで、はしゃいで、浮かれて、当日の服はどうするとか、髪型はどうするとか
普通なら、普通の姉妹ならして当たり前のことを、上手にしなければならないのに。
 
 
なんとか一言、ノドの奥から小さく絞り出した。
 
 
 
 『それって、デートじゃん・・・ よかったね・・・。』
 
 
 
 
 苦しい

 苦しい

 苦しい・・・
 
 
 全然よくない

 よくなんかない・・・
 
  
 だって、

 だって、あたし。
 
 
 
  ・・・アサヒ先輩のこと。 好きだ・・・
 
 
 
 
 『ぁ。 ダイスケんちに忘れモンした・・・。』
 
 
アキに顔を見られないよう目線をはずして、慌てて部屋を飛び出した。

足がもつれて階段を駆け下りるそれは覚束ない。
みるみるうちに視野は滲んで揺らいでゆく。
 
 
 
 
  (泣きたくない・・・ 泣きたくない・・・。)
 
 
 
 
このままダイスケのところに行ったら、ダイスケの前で泣いてしまうかもしれない。

きっとダイスケは、本気で怒って心配して、そして誰よりやさしく厳しく包み込む。
ダイスケの顔が浮かんで消えた。
 
 
 
 
  (ダイスケに甘えたくない・・・。)
 
 
 
 
ナツは暗い住宅街を学校ジャージのまま、闇雲に走った。

猛ダッシュに肺が爆発しそうに苦しいけれど、決して足を止めはしなかった。
秋の少し冷たい夜風が容赦なく顔をすぎてゆく。
その風は、目尻から溢れる雫をそっと流し連れ去った。
 
 
『苦しいよぉ・・・。』 ナツの震える声が、夜のとばりに包まれ消えた。
 
 

■第28話 日曜の待合せ

 
 
照れくさそうに軽く手を上げたアサヒの目に、今日もふんわりやわらかい佇まいの
アキが頬を染めて駆け寄った。
 
 
 
待合せの日曜12時。 はじめてアサヒとアキ、ふたりきりで休日に会った。
 
 
デニムシャツの中に、赤・青ボーダー柄カットソーを着込み、チノパン姿のアサヒ。
普段は学ランか学校ジャージの姿しか見たことがないアキにとって、この私服姿を
見られただけでも充分嬉しい。
 
 
アサヒも、私服のアキに目を細めて微笑んだ。

裾の刺繍が雰囲気ある膝上ふんわりチュニックにカーディガンを羽織り、スエード調の
キャメル色のウエスタンブーツを履いている。
いつも背中に垂れている長い髪の毛は、ルーズな編み込みをくずしアップスタイルに
していてサイドに垂れる後れ毛がゆるふわ感を引き立て、目を見張るほど可愛らしい。

ふたり、照れくさそうに頬を緩めて、日曜の正午の街を歩き出した。
並んで歩くその姿はお似合いで、どこから見ても仲良さそうなカップルにしか見えない。
 
 
 
この街の代名詞ともなっている大きな公園に向かった。

園内には小さなフードカートが並び、シンプルなホットドッグやサンドイッチ、
ポップコーンやプレッツェルのカラフルな看板が見える。

『あーゆうの買って、ベンチで食べよっか?』 アサヒが促すと、アキが嬉しそうに頷いた。
アサヒはホットドックとコーラ、アキは悩みに悩んでサンドイッチとアイスティーを買い
大きな木の陰になっている木漏れ日揺れるベンチに、ふたり腰掛ける。
 
 
日曜の公園は、家族連れやカップルの姿が多い。 観光客もチラホラ見て取れる。
晴天に恵まれたその日。 芝生にレジャーシートを敷いて寝転がる姿もあった。
 
 
ただ隣にアサヒがいるというだけで、ただサンドイッチを食べるだけのことなのに
恥ずかしくて普段どおりにノドを通らないアキ。

両手で掴んで口許にあててはいるがじっと俯いたままで、ちっとも減らないそれに
アサヒが覗き込んで訊く。
 
 
 
 『腹・・・ 減ってなかった?』
 
 
 
アキは大きく首を横に振ると、肩をすくめて小さく言う。
 
 
 
 『なんか・・・ キンチョーしちゃって・・・。』
 
 
 
その一言に、アサヒも俯いた。
急激に顔が、耳が、熱い。
 
 
『なんだそれ・・・ オーゲサー・・・。』 その声も少し緊張して震えて響いた。
 
 
 
すると、

『きゃっ!!!』 アキが急に大きく体を反らせて、アサヒに寄り掛かった。
 
 
突然の大接近に目を見張るアサヒ。
アサヒの胸に、アキが手を添え顔を寄せている。

するとアキは『虫・・・。』 と、泣きそうな顔でアキのサンドイッチに寄って
飛んできた虫から逃げようとしている。
 
 
ほぼ胸に抱き付く寸前のアキの華奢な背中を、アサヒは『ダイジョーブ、ダイジョーブ』 と
ぎこちなくトントンと日焼けした手で叩いて笑う。
不快感を与えないか不安な反面、もっと触れたいという気持ちとせめぎ合う。
軽く虫を払ってあげると、アキはまだキョロキョロ見回して警戒しながら、体を強張らせていた。
 
 
いまだ不安気にしかめっ面をしているアキに、アサヒが笑って言う。
  
 
 
 『カタツムリはダイジョーブなのにな?』
 
 
 
『え?』 言われている意味が分からず、アキが小首を傾いだ。
 
 
 
 『俺、実は・・・ 去年の夏のはじめに、オノデラさん見掛けてんだー。』
 
 
 
アサヒが眩しそうに目を細めて話し出した。
あの雨の日の、胸の高まりは忘れはしない。
 
 
 
 『ほら、あの。 あじさい寺の、裏の小径・・・

  雨の日に、あそこ行ったら。

  オノデラさんが、傘さして、しゃがみ込んで紫陽花みてた・・・』
 
 
 
アキが、まっすぐアサヒを見つめる。
 
 
 
 『あの場所、俺以外に知ってる人いると思わなかったからさー・・・

  それだけでも、かなりビビったんだよねー・・・』
 
 
 
 
  ( ”あの場所 ”・・・?)
 
 
 
 
 『あの時って、ナンかあったの・・・? 泣いてただろ・・・。』
 
 
 
無言で見つめるアキへ、アサヒが続ける。
 
 
 
 『虫苦手って割りには、あの時・・・

  カタツムリつついて、笑ってたじゃん?
 
 
  俺・・・ あれ見てから、ずっと・・・

  あん時のオノデラさんのこと。 ほんとずっと、頭から、離れなくて・・・。』
 
 
 
そう言うと、アサヒは赤い顔をして照れくさそうに頬を緩めた。
生まれてはじめてのひとめ惚れ。 再びあの日のように胸は熱く高鳴る。
 
 
アキが俯いた。
膝の上に置いた手は、握り拳をつくって。
落とした目線は、ウエスタンブーツの爪先に注がれた。
 
 
そして、震える声でか細く返した。
 
 
 
 『・・・そうなんです・・・ カタツムリだけ。平気、なんです・・・。』
 
 
 
 
 
石畳の小径を横切り、大振りの葉を広げるムクロジの木々をくぐり抜け
初夏には紫陽花が満開になる、秘密の場所へ向かう足取りはトボトボと重い。

もう紫陽花の花は終わってしまったけれど、葉が微かに赤銅色に色褪せ紅葉し風情がある。
しゃがみ込んで小さく膝を抱えると、元々小さな体が更に小さくコンパクトにまとまった。
 
 
大きな瞳に、大粒の涙。
 
 
いつも泣きたくなった時は、ひとり。ここに来て泣いていた。
誰も知らない秘密の場所。
ここでだけは好きなだけ泣いていいと決めた、この場所。
 
 
 
 
 『デート・・・してるんだ、今頃・・・。』
 
 
ひとり小さく呟いて、ナツが大粒の涙をぽろぽろ零した。
 
 

■第29話 その場所 

 
  
夕方。 アキはアサヒと別れると、そのままダイスケの家へ向かった。
 
 
『お邪魔します。』 とリビングに低く声を掛け、2階のダイスケの部屋まで階段を駆け上がる。
すると、拳でそのドアを乱暴にノックした。
 
 
 
 『どうしたの・・・? アキが来るなんて珍しいじゃん・・・。』
 
 
 
不思議そうなダイスケに、アキが部屋の前で留まり『入ってもいい?』 と
落ち着きなく目線を泳がせる。
 
 
『うん。』 そう返事をして、ドアを開放しアキを室内へ促した。
 
 
アキはソワソワと余裕がない面持ちで、ダイスケがイスを差し出すも首を横に振り
部屋の真ん中で立ち竦んだまま。

ふと、アキの目に机の棚に飾られた写真立てが映る。
幼稚園時代の3人の屈託ない笑顔。 満面の笑みを浮かべる頬はみな、紅色で。
目をすがめてそれから目を逸らすと、アキが思い詰めた感じでダイスケへ切り出した。
 
 
 
 『ねぇ、ダイちゃん・・・ ナツ、の・・・

  ナツがよく行く、あじさい寺の、なんか・・・

  ・・・秘密の場所、みたいなの。 どこか知ってる・・・?』
 
 
 
緊迫感が滲み出ているアキはダイスケの腕を掴み、揺さぶって詰め寄る。
 
 
『ぇ・・・ 分かんない、けど・・・ どしたの?』 ダイスケが答えるも、
 
 
 
 『ウソ! 隠してないで教えてよ!!

  ダイちゃん、ナツと仲良いじゃない! 知らない事なんかないんでしょ?』
 
 
 
アキの追及は止まらない。 必死の形相で睨み付ける。
その気迫に気圧され、数歩後ずさったダイスケ。
勉強机のイスにお尻がぶつかり、キャスターがカタリ。鳴った。

こんなアキは、長い付き合いだが見たことがなかった。
 
 
アキに掴まれた腕をやさしくほどき、細い肩に手をあてると静かにベッドの上に座らせる。
 
 
 
 『どうしたの? アキ・・・。』
 
 
 
覗き込むようにやさしく語り掛けると、アキがぽろぽろと涙の粒を落とした。
首を横に振るばかりで、何があったかは最後まで決して言おうとはしない。

次々と伝ってゆくその雫は、アキのツヤツヤの頬に幾筋もの跡をつけた。
 
 
 
 
 
アキが帰った自室に、ひとり。 ダイスケが佇む。
帰り際にアキが呟いた一言を思い返していた。
 
 
 
 『ナツってさ・・・

  フジエダ先輩のこと、なんとも思ってないよね・・・?』
 
 
 
アキのその声色は、ゾッとするほど冷たかった。
 
 

■第30話 期末試験

 
 
ダイスケは、あの時のアキの言葉を思い返していた。
 
 
 
  ”あじさい寺の、秘密の場所 ”
 
 
 
きっと、それはナツが隠れてひとりで泣く場所のことを指しているのだろうが
本当にダイスケもその場所は知らなかった。
知っていたら、ナツが泣いている時にはすぐにでも飛んで行って、傍にいたいのは
誰でもないダイスケ自身なのだから。

その場所がアキの慌てふためく事情となんの関わりがあるのか、全く分からない。
ひとつだけ言えることは、アキのことはナツには言わない方がいいという事だけだった。
 
 
その後、オノデラ姉妹を見ていても、なにも変わった様子はなかった。
アキはいつも通りやわらかく微笑んでいるし、ナツも変わりなく見えた。

ふたりの間に少しずつ溝が出来ていたことなんか、この時のダイスケには知る由もなかった。
 
 
 
 
 
双葉高校では、期末試験が近付いてきていた。
相変わらず気怠そうに机に突っ伏す休み時間のナツの後頭部に、ダイスケが声を掛ける。
 
 
 
 『ナツー・・・ 歴史のヤマって、今回どこ?』
 
 
 
『ん・・・』 ナツが面倒くさそうに顔を上げ、歴史の教科書を机の引出しから引っ張り出す。

勉強など全くしていないキレイなままの表紙のそれを開くと、ページの所々に簡単に
赤ペンでしるしが付けてある。それは、どの教科も同じだった。
 
 
ナツはノートはとらずに、授業中に教師が強調して説明した部分や、声色、表情で
重要度をはかり全て教科書に赤字でマークしていた。
跳び抜けた洞察力は、ナツに試験のヤマを聞けば8割的中するくらいだった。
 
 
 
 『試験に出るトコ分かってんだから、ちょっと勉強すれば

  すぐ学年トップなのに・・・ なんでやんないかなぁ・・・。』
 
 
 
ダイスケが聞こえよがしに呟くも、『めんどくっさ。』 と顔を背けるナツ。
理由は分かっていた。
 
 
アキだった。
 
 
ナツほど要領がよくないアキは、コツコツと日々努力をして机に向かうタイプで。
アキはその努力家の気質で、常に学年では上位にランクインしていた。
 
 
それを、崩したくない。
壊すつもりなんて、ハナからない。
 
 
”優等生のアキ ” ”勉強嫌いなナツ ” そのバランスになんの問題もなかった。
アキが笑ってさえいてくれれば、ナツはそれで良かったのだ。
 
 
 
そのアキの笑顔が翳りはじめていた事に、まだ誰も気付いていなかった。
 
 

■第31話 合宿

 
 
晩秋。
陸上部恒例の秋の合宿が開催された。
 
 
 
山の中をひたすら走り、宿舎に1泊するというこの合宿。
実際は単なる部員の懇親会だったのだが、一応の名目は合宿ということになっていた。

あれ以来、毎日部活に顔を出しグラウンド脇にちょこんと立ってアサヒの姿を
見ているアキ。 あまりのベッタリ具合に周りが気兼ねする程だった。

そんなアキは、陸上部の合宿にも参加したがって泣き出し、アサヒを困らせた。
ナツもダイスケもどうすることも出来ず、ただアキを宥めるのに必死だった。
 
 
 
1台のバスに部員全員で乗り込む。

名ばかりの顧問教師は基本的には全て部長に一任していてる為、最前席で早々と
シートを倒し出発と同時に寝始めた。
遠足にはしゃぐ小学生のように、車内は騒がしく終始笑い声に包まれていた。

2時間ほど進むと、本日の宿舎が見えてきた。
山の中にポツンとあるそこは、一見、普通の温泉宿のようにも見えたが、調理場を
使って各々食事を作り食堂で食べるスタイルが合宿らしい。

取り敢えず各自荷物を置くと、マネージャーは調理場に残り夕飯の準備に入る。
それ以外は早速着替えて走る準備を整え、山の中の一本道にぞろぞろと向かった。

晩秋の山の空気は澄んでいて、高い空に筋のような雲が流れている。
ひんやりとした風が頬をすぎてゆき、走っていても心地良さに目を細める。
 
 
各々自分のペースで、木漏れび揺れる山道を駆けた。
スニーカーが踏み締めるその道は、敷き詰められたような色とりどりの落ち葉がシャク シャク。響く。
 
 
すると、まっすぐ駆けていたはずのナツが道を逸れて一瞬消えた。
 
その姿に、目を向けるアサヒ。
実は、ナツの後方をついてその走りを監視していた。
 
 
 
 『アイツは、ゼッタイ。 テンションあがってサボるから・・・

  指導係のお前がちゃんと監督しろよ。』 
 
 
事前に部長から口を酸っぱくして言われていたのだ。
 
 
逸れた脇道を注視すると、草むらにしゃがみ込んでなにかを拾っている。
拾ったそれをジャージのポケットに詰めて、また山道に戻り走り出したナツ。
 
 
 
 
  (なにやってんだ? アイツ・・・。)
  
 
 
 
すると、また少しして道を逸れる。
茂る葉っぱに突進していき、なにかを捕まえた気配。
 
 
 
 『オノデラ、お前・・・ なにやってんだよー?』
 
 
 
さすがに謎の行動にアサヒが首をひねり、声を掛けると
目をキラキラさせて、腕にくっ付けたそれを誇らしげにアサヒに見せた。
 
 
 
 『見てくださいよー! ほれほれ。』
 
 
 
ジャージの腕に引っ付いているのは、オオカマキリ。
『すごくないっスかー! 街ん中じゃ、そうそう見れないも~ん!』 満面の笑みで。

そして、ポケットに手を突っ込むと先程拾っていたものを掴んで、その手の平を広げた。
 
 
『クヌギのどんぐり。』 そう言って、嬉しそうにニヤっと笑うナツ。
 
 
アサヒが大笑いした。 『野生児かっ!』 
体を屈め、笑いは中々おさまらない。
あまりに笑われるものだから、ナツまでつられてイヒヒ。笑った。
 
 
 
 
紅葉映える山道を、のんびりペースでふたりで走る。
落ち葉を踏む音と、ナツのジャージポケット内でぶつかり合うどんぐりの音がやさしい。
 
 
 
 『子供のころ、仔犬とかよく連れて帰って、親にめっちゃ怒られてましたー。』
 
 
 
ナツの話に笑うアサヒ。
きっと背丈が小さいだけで、今と然程変わらない子供だったんだろうと想像する。

『それって、姉妹で?』 頬を緩めて訊くと、
 
 
 
 『ぁ、いや。 アキは動物全般、全くダメなんでー・・・

  あたしだけです、よく怒られてたのは。 双子なのに可笑しいっスよね~?』
 
 
 
すると、
 
  
 『お前らー!! なにタラタラ走ってんだっ?! メシ抜くぞっ!!』
 
 
 
ゴール地点で仁王立ちをしている部長が、呆れ顔で笑っていた。
 
 

■第32話 合宿2 





走り込みを終えて、宿舎に戻った一同。

夕飯までは少し時間があったため、大部屋で休憩する者、先に温泉に入る者、ゲームを
しはじめる者、みな一様に合宿を楽しんでいた。


マネージャー達が夕飯の準備をする調理場へ行き、なにか手伝えることがないか訊いたナツ。
ジャージの袖を腕まくりしてヤル気を見せるナツに、先輩マネージャーが意外そうに笑う。
包丁片手に大量のじゃがいもの皮むきをするその先輩の手は手慣れた感じで、
ナツは思わず目を見張り見惚れてしまった。

 『なに? アンタそう見えて、実は料理出来る子なのー?』


包丁を握る手はそのままに、ナツに目を遣る。
すると、ナツが答えるより先にダイスケが口を挟んだ。


 『全っ然です。 ただ単に、盗み食いしに来ただけですよ。』

シレっと言ってのけたダイスケの細長い二の腕にパンチして、ナツが舌打ちした。



マネージャー達が作っているのは、合宿定番カレーライスだった。

辛口のルーが大鍋にどんどん投入されるのを、ナツは不安気な顔をして見ていた。
鍋をかき混ぜる役目を仰せつかったナツ。匂いだけでむせて、相当辛いのが分かる。
そんなナツを、ダイスケは横目で見ていた。




夕飯の時間。 部員全員が一堂に会し、食堂でカレーライスを食べる。

双葉高校陸上部で代々受け継がれてきたそのレシピ。
超辛口で豚バラ肉が大量に入っているのが特徴だった。

向かい合わせた長テーブルの列が、2つ。
部員がずらっと並んで座り、スプーンと皿がぶつかり合う音と咀嚼音だけ響いている。


ナツが恐る恐る一口食べて、目を見張り慌ててグラスの水をがぶ飲みした。
慌てて俯くと、口を横に開き舌を出してヒーヒーと変な呼吸をしている。

すると、隣席のダイスケが横から水のグラスを取り上げ、代わりに牛乳を渡す。
『水は逆効果。 牛乳、飲みな。』 ポツリ呟き、ナツの情けない顔を見て笑った。

夕飯の後は後片付けをしたり、温泉に入ったり、各々自由に過ごしていたのだが
物好きな誰かの一声でひとつの大部屋に集まり、ド定番の怪談話大会がはじまった。

怖い話が大の苦手なナツ。部屋の隅に逃げて、耳に手をあて『あーあーあー』と
呟き話が聴こえないようにしている。それでも微かに聴こえてしまう怪談話。
部員の面々はそれを面白がり、わざとナツの近くに寄って話したり大声で驚かせたり
からかって愉しんでいた。

そんなに怖いなら大部屋から出ればいいものを、ひとりで別の部屋に行くのもそれはそれで
怖いナツ。いつもアキとふたりで寝起きしているので、一人の状況には慣れていないのだ。


すると、ダイスケが立ちあがって自分のカバンからiPodを取り出すと
部屋の隅で体育座りをして小さく縮こまるナツに、それを渡した。

ナツは黙って受け取ると、大急ぎでイヤフォンを耳に詰め大音響で音楽をかけた。
それを先輩マネージャーが、クスリ。笑いながら見ていた。




人数が多い分、中々終わらない怪談話。
途中、野太い叫び声が上がったり、笑い声が響いたりナツは気が気じゃない。




  (・・・牛乳、飲みすぎた・・・。)



体育座りで膝を抱えるナツが、落ち着きなく体をよじらせる。
貧乏揺すりをしてみたりしたが、それも限界とばかりにiPodのイヤフォンを外すと
モジモジと立ち上がり、怪談話をする輪の方へ近寄った。

すると、ダイスケの後ろに立ち、ナツは足先でコツンと胡坐をかくお尻を後ろから小さく蹴った。

『ん?』 振り返るダイスケ。
ナツのふくれっ面を見ると、なにも言わず立ち上がり一緒に廊下へ出て行った。

『え? もしかして、トイレ?』 先輩マネージャーが半笑いで言う。


『アイツら兄妹かっ!! つか、4才児かっ!!』 全員が爆笑した。
 
 

■第33話 合宿3



散々騒ぎ疲れ、時計の針は深夜1時をまわっていた。
もうお開きにしようと、男女別々の大部屋に移動していた。



ナツの隣には、先輩マネージャーが布団を敷いた。
心地良い疲労感はあったが、なんとなく寝るのは勿体ない気がしてしまう。

布団にうつ伏せになり顔だけナツの方を向く、先輩。
風呂上りのまだ乾ききっていない長い髪の毛を、頭の天辺でお団子に結わいている。
まだ眠くなくて、ふたりで話をしていた。



 『アンタの片割れ、アサヒと付き合ってんの~?』


先輩が、なんの遠慮もなくストレートに訊く。


『・・・じゃないんスか?』 あまりこの話はしたくないのだが、先輩だから仕方ない。
ぼそりとナツは返事をした。



 『片割れ、アンタのこと意識して、最近部活にも引っ付いてんじゃないの~?』


ククク。と可笑しそうに目を細める。

そして、



 『アンタは・・・ いいの~?』


それは、あまりにやさしい声色で。
思わず先輩にすべて打ち明けて泣いてしまいそうになる。


ナツが枕に顔をうずめて、小さく返す。 
『・・・いい、って。 なにがスか・・・』

すると、先輩は小さく溜息をついた。



 『ボケっと背中見てるだけじゃ、なんにも見えないよ・・・

  ほんとは、その相手がどんな顔してるのかも。なんにも・・・。』



そう言うと、先輩は仰向けに体をなおし天井をじっと眺めた。
それは何かを思い出しているような、懐かしむような表情だった。





先輩に言われた言葉がグルグルと頭を巡り、眠れなくなったナツ。

寝静まった女子部屋をそっと抜け出し、宿舎の正面玄関を出て入口の段差に腰掛け
ぼんやり星空を眺めていた。
秋の星座は、明るい星が少なくなりやや寂しいが、見ごたえのある星雲や星団が
広がっていた。




  (だって・・・ どうしたらいいか、わかんないよ・・・。)



アキのことを考えていた。その時。


『寝れないのー?』 突然、すぐ後ろで声がした。


その声に驚いて、少し飛び上がったナツ。 体を強張らせ、振り返る。
すると、アサヒが笑っている。ポケットに手を突っ込んで、宿舎のツッカケ履きで。




  (アサヒ先輩・・・。)



『あー・・・ 怖い話きいたから寝れないんだろ?』 イヒヒ。笑い顔を向ける。

『違うし!』 目をすがめ言い返すと、
『モチヅキに便所ついてってもらってたじゃーん。』 とバカにして笑うアサヒ。

『違うってば!!』 グーパンチでボディを狙うナツに、アサヒが腹をかばい大笑いした。



星が煌めく漆黒の空に、笑い声が吸い込まれてゆく。
こんな時間の、こんな場所で、ふたり。 なんだか不思議な時間だった。

すると、急にアサヒが立ち上がった。
そしてなにも言わずに宿舎に戻って行く。




 (あー・・・ 行っちゃった・・・。)




ナツはその背中を振り返って目で追い、いなくなってしまったのを確認すると
体育座りをして小さくコンパクトに体を縮こめた。

晩秋の深夜は、やはり冷える。山の奥から吹く風は冷たく怖くて、どことなく身が竦む。
風呂に入ったのは数時間前だが湯冷めするのではないかと、Tシャツにジャージズボン姿で
ふらっと出てきてしまった事を後悔していた。
  

すると、ツッカケを擦って歩く音が再び聴こえた。

それに振り返ったナツ。
アサヒがジャージの上着を着こんで戻って来た。


『ぁ。自分だけズリィ~!』 口を尖らせた瞬間、ナツの肩にふわっとぬくもりが。

体育座りをするナツの前に回り込み、『指導係、なめんなよー。』 
言って笑うアサヒの、大きめのジャージの上着に包まれたナツ。
膝を抱えたその小さい体は、アサヒがゆっくりチャックを上げていくとそのまま
膝ごとすっぽりくるまれる。


『ちっせ~。』 ゲラゲラ笑うアサヒ。 首元までのチャックを上げると、顔まで隠れた。
頭だけひょっこり出ている ”ジャージの上着 ”
アサヒが笑いながらその出ている頭を、大きな手でガシガシと乱暴に撫でた。


アサヒの指先のぬくもりが、心臓にダイレクトに伝わる。




  (やばい・・・ 泣きそう・・・。)



ナツの胸が切なく高鳴り、心臓が激しく波打つ。




  (・・・どうしよう・・・ 泣く・・・。)



思わず首をすくめて更に頭を引っ込め、ジャージに隠れた。
首元からはチョロっと髪の毛が出ているだけの姿に。



 『お前・・・ パイナップルみたいだぞー・・・』



そう言うと、笑いながらダルマのように丸まったジャージの上着を、指でつついてからかった。




  (・・・あたし、やっぱり・・・ 先輩が、好きだ・・・。)




ナツはすっぽり隠れたジャージの中で、膝に顔をうずめて震えて泣いていた。
口許に手をあて声を殺して、小さく小さく泣いていた。



そんなふたりを、ダイスケが宿舎の窓から見ていた。
その顔は哀しげに歪み、顔を逸らすと静かに部屋に戻って行った。
 
 

■第34話 冬がきた



アキはあまりアサヒとのことをナツに話さなくなっていった。
ナツも積極的には聞きたい話ではない。
互い、”その事 ”だけ意識的に避け、それ以外は今まで通りの仲良のよい姉妹だった。


雪がちらつく季節がやってきて、ナツ達が住む街もほんのり灰色の雪景色に包まれた。

コートの襟元にグルグル巻きにする長い毛糸のマフラー。
マフラーの端にはフリンジ代わりにボンボンが付き、ゆらゆら揺れている。
小走りで駆ける上下のリズムに、肩から落ちるそれを片手で押さえながら
ナツは冬朝も学校へ向けて白い息をはずませていた。


アキとダイスケは、ふたり。変わらずのんびりと徒歩で通学していた。
アスファルトをうっすらと白く覆う雪を、アキのファー付きのブーツと、ダイスケの
エンジニアブーツがやさしく踏みしめ進む。



 『もうすぐバレンタインだねー・・・』 



アキが静かに口を開いた。
その発する言葉に合わせ白い息が流れる。

『あぁ・・・そうだね。』 あまりそういうイベントごとには興味がないダイスケ。
アキに言われるまで、あと半月でバレンタインだという事も忘れていた。


『フジエダ先輩に手作りするの?』 まっすぐ向き、歩みを進めたまま訊く。
アキは頬を緩めて『作るよぉ~』と微笑んだ。


すると、



 『ナツは・・・ どうするんだろうね?』



アキが少し遠慮がちに、言葉を詰まらせながら呟く。
歩む歩幅が少しだけ小さくなり、ダイスケのそれと距離があいた。


『どうって?』 ダイスケが振り返ってアキに目線を向け、質問の意図を探った。

ナツも、毎年簡単な ”感謝チョコ ”を作っては、まわりに配っていた。
『日頃のご愛顧に感謝して。』とブツブツ言いながら、ちょっと照れくさそうに。
ダイスケもそれを子供のころから貰っている。今年だけ作らないなんて事はない気がしていた。


 『友達とか、陸上部のメンバーとかに渡すんじゃないの?

  ほら、ナツって。男子だけじゃなく、女子にも配るじゃん。いつも・・・。』


『陸上部・・・。』 微かに聞き取れるかどうかぐらいの声色で呟き、アキが目を伏せた。





冬季の陸上部はさすがに雪道をダッシュするのは危険なので、室内でのトレーニングや
廊下の走り込みが主なメニューとなる。
アキはアサヒの部活が終わるまで邪魔にならない廊下の端で待って、毎日一緒に帰っていた。
アサヒが図書委員の当番がある木曜日は、一緒に図書室にこもった。



とある部活終わりの帰り道。

アサヒが言いにくそうに少し口ごもりながら、ずっと気になっていたことを口にする。
アキの機嫌を損ねないよう細心の注意を払って、言葉を選んで。



 『あのさ・・・ 毎日待っててくれなくてもいいよ?

  オノデラさんも、友達と遊びたい時とか・・・あるだろ?

  ほら、俺も。 ・・・たまには部員との付き合い、ってゆーか・・・

  そうゆーのも、あるし・・・ 一応、先輩だから後輩の面倒とか、さ・・・。』



その言葉に、アキの顔がみるみる曇る。
口をぎゅっとつぐみ、目を伏せて。 ぽろぽろと涙が落ちて頬を伝ってゆく。

『ぁ・・・ ごめん。そうじゃなくて・・・』 慌てて機嫌をとるアサヒ。
泣かれてしまうのが一番弱い。途端にオロオロして居心地の悪さを感じる。

すると、アキが顔を上げ、潤んだ赤い目元でアサヒをまっすぐ見つめた。
まるでそれは訴えるような、責めるような視線で。



 『私より、陸上部の人たちが大事ってことですか・・・?』



そう言うと、また涙が溢れる。
毛糸の手袋をした両手で顔を覆うと、通学路の真ん中でしゃがみ込んで泣き出したアキ。


部活終わりの生徒が通学路を通ってゆき、ふたりの姿を好奇心の目で眺める。

『そうじゃないよ・・・。』 慌ててアキの横に屈み、コートの両腕を掴んで立たせようと
力をいれる。 立ち上がった瞬間、アキの全体重がかかりバランスを崩してグラウンドの
フェンスに背中をついてよろけたアサヒ。 腕の中には泣きじゃくるアキが。


『ヤだぁ・・・。』 泣きながらアキがアサヒの胸に顔をうずめ、抱き付いた。
『ん・・・。』 アサヒがアキの小さな背中を子供をあやすようにトントンと叩いた。



首を反らせて鈍色の冬空を見上げたアサヒ。
弱りきったその顔。 小さな白い溜息が無意識のうちに漏れていた。
 
 
 

■第35話 100億倍の気持ち



2月14日 バレンタインデー



放課後。 アサヒが部室にやって来ると、そこには既にナツがいた。
大きな紙袋を部室中央の机にドサっと置くと、怠そうに手首を振る。相当重かったらしい。

『おやおや。それは、もしや~?』 ニヤニヤするアサヒに、睨むように目線を向け
『全部、部長用ですよ!』 と、ナツ。 『ワイロ、ワイロー』 言って、笑いを
堪えられずイヒヒ。頬を緩める。


 『あー・・・わりぃ。 お前、タイプじゃないんだよな~、ぜんっぜん。』



その会話が聞こえた部長が、ナツにシレっと言う。
ナツが振り返ると、部長は体の前で腕をクロスして×印を作った。



『ぁ、あたしだって。 部長なんかコレっぽっちもタイプじゃないですよっ!!』



ナツが言い返すと、『ハイ、廊下ダッシュ50本~!』 部長が真顔で言った。

部室にいた全員がその会話に笑った。
ナツのまわりには、いつも笑い声が溢れていた。

まずは部長、その次は副部長。そして、先輩マネージャー。
ナツが大きな紙袋を抱えて3年生から順に、それを渡す。

ちょっと照れくさそうに『日頃のご愛顧にカンシャってヤツで。』 モゴモゴ言いながら。

それは、手作りのグラノーラチョコバーだった。

グラノーラやナッツが散りばめられ栄養面も考えられている、それ。
ドライフルーツも入って彩りもキレイで。
ひとつずつセロファンで包まれ、端はねじって止めてある。
シンプルで飾りすぎないそれがナツらしい。
部活終わりの空腹時にもすぐ食べられるサイズと仕様に、さり気ない気遣いが滲んでいる。

アサヒが嬉しそうに手をひらひら揺らし、催促する。
それをチラっと横目で見ると、涼しい顔をして順番を飛ばし次の先輩へ行きかけて。

『おいっ!!』 ナツの頭に垂直チョップが飛んできた。

ケラケラ笑い合う。
そして、袋に手を入れそれを掴み、アサヒへまっすぐ差し出した。



  少しだけ震えている手に気付かれないか心配で。

  笑う顔もぎこちなくなっていないか。

  本当は泣きそうな目も。

  かすれそうな声も。



その他大勢と同じチョコしか渡せない、自分。
ずっと秘めた気持ちを伝えることも出来ない情けない、自分。




  (伝えたって、どうせ。 困らせるだけだ・・・。)


 『指導係のアサヒ先輩には、特別に2個あげちゃいますから~!』



その他大勢の2倍の、気持ち。
2倍なんかじゃないのに。
2倍なんかな訳ないのに。
100億倍だって足りない。




  だって、あたし・・・ 好きなんだもん。

  どうしよう。

  アキに、嫌われちゃう・・・
  アキを、泣かせちゃう・・・。
 
 
 

■第36話 ガトーショコラ




部活終わりのアサヒの元へ、アキが嬉しそうに駆け寄った。



可愛らしいピンクの紙袋の取っ手を両手で掴み、頬までピンク色に染めて
それをアサヒへまっすぐ差し出す。
部活動の声もやんだ仄暗く静かな廊下。ひと気ない校舎奥の階段にふたりで腰掛けた。

膝の上に、もらった紙袋を置き中を覗く。
そこには可愛らしいハート型のピンクの箱の中に、大きなチョコレートケーキが。
透明の袋に入れて、ピンクのリボンで口を止めてある。

ガトーショコラというらしいそのケーキは、本格的でどこか大人びた感じで
正直あまり甘いものが得意ではないアサヒを少し気後れさせた。


『すごいね・・・ ありがとう。』 目を細め笑うアサヒを、アキが覗き込む。


アサヒをじっと見つめる、アキ。
心の中をまるで探るように。


アサヒが思わず目を逸らした。



 『コレ、結構ガンバって作ったんですよ・・・。』


アキがどこか寂しげに手元に目を落とし、落ち着きなく指先の爪をはじく。
まるで泣き出しそうなその声色に、アサヒが慌てて顔を覗き込む。


『すげぇ嬉しいよ! ほんと、嬉しい・・・。』 咄嗟に上げた大袈裟なほどの言葉は
逆に虚しく響いて、静まり返った廊下に木霊した。

しばし、居心地悪い無言の時間に、かける言葉は中空を彷徨う。


すると、



 『陸上部の女の子たちからも貰ったんですか・・・?』



アキが俯いたまま、ポツリ小さく呟いた。


『あぁ、うん。義理チョコね。 あと、なんか、感謝チョコとかゆってたかな。』 
ナツと部長の遣り取りを思い出し笑いするアサヒ。なんだか愉しそうに頬を緩める。



 『・・・ナツからは・・・? どんな?』



アキから促され、サブバックに入っているナツからのチョコバーを取り出して見せる。
『日頃のご愛顧に~とかなんとか、ブツブツゆってみんなに渡してたわー。』
アサヒがククク。笑う。


それを横目で見る、アキ。
ひとこと、静かに口を開いた。



 『固めて冷やすだけの、簡単なやつですよね。 それ・・・。』



その冷たい声色がアサヒの胸に小さな棘となって刺さった。
ゆっくり、アキに目線を向ける。


なんだか、哀しかった。
アキからそんな言葉を聞きたくなかった。
俯くアキのその目は、仄暗くまるで感情が無かった。


なんだか、
なんだか、アキじゃないみたいで。
紫陽花に微笑むあの笑顔はどこにいったのだろう。



哀しそうにアキを見つめ、アサヒが小さくかぶりを振った。

■第37話 ダイスケとの帰り道



いつもの帰り道。ナツとダイスケはふたり、白い息を吐きながら家路へ向かっていた。


『ぁ。コレ、もうイッコあげる。』 ナツがチョコバーを掴んで、ダイスケへ渡す。


部室で部員に配ってまわった時、ダイスケにも既にひとつ渡してはいたのだが
追加でもうひとつ差し出すと、
『・・・余ったの?』 手の平に乗せられたそれを眺めながら、ポツリ。



 『ちがっ!! ダイスケには特に、”日頃のご愛顧 ”でしょーがー・・・』



ムキになって口を尖らすナツに、
『あー、はいはい。』 肩をすくめてダイスケがクククと笑った。



淡い雪がふんわり舞う。
住宅街には等間隔に並ぶ常夜灯が、物足りない感じにぼんやり光を灯す。



 『フジエダ先輩には、みんなと同じものしか渡してないの?』



ダイスケがナツに目線を向けて、言う。

『そりゃ、そーでしょ。』 ナツはダイスケの方を向かない。まっすぐ見つめ歩きながら。
アサヒの話題は極力話したくないのに、何故みんなそう突っ込んで来るのだろう。



 『こっそりあげればいーじゃん。』

 『ダメでしょ。』



その頑ななまでの態度に、見てる周りが胸を痛めている事にナツは気付いていない。
『ほんっと・・・ バカみたいだな、ナツは。』 呆れて溜息をつくダイスケ。


チラっとナツを横目で見て、遠慮がちに続けた。



 『アキは・・・? 作ってたの・・・?』



すると、ナツは寂しそうに、でもどこか嬉しそうに目を細めた。



 『何回も何回も失敗して、作り直して・・・

  アキ。 すっごい一生懸命作ってた。 ガトーショコラ・・・

  きっと・・・喜んだだろうね、アサヒ先輩・・・。』



その声色はやさしすぎて、無力なダイスケの胸を歯がゆく締め付ける。


尚も、ダイスケが食い下がる。



 『ナツだって・・・

 『もう、やめたいよ。』


その言葉を遮って、ナツが声を荒げた。



 『あたしだって・・・ もうしんどいから、こんなのやめたい。

  なんで・・・ なんで、おんなじ人なんだろ・・・

  いっぱいいるのにさー・・・ 学校に男子なんて、いっぱい・・・

  なんで、よりによって・・・ もうやめたい。キライになりたい・・・。』



雪が舞う住宅街の真ん中。小さな体はうな垂れて立ち止まる。


すると、
ダイスケがナツの体を抱きすくめた。

小さいナツが、痩せて背の高いダイスケにすっぽり包まれる。


目を見開き、なにが起こったのか頭の整理がつかないナツ。
ただ抱き締められるままに、身を固くして動けずにいた。



 『・・・僕にしとけばいいのに。』



それは、写真立ての中で笑う幼馴染みのダイスケの顔とは全く別物だった。
声も出せず息も出来なくなったナツの手から、カバンがストンと落ちて雪に濡れた。
 
  
  

■第38話 切ない痛み

 
 
ナツを抱きしめていたダイスケが、そっと体を離す。
両手はやさしくナツのコートの腕を掴んだまま、ナツをまっすぐ見つめた。
 
 
 
 『僕にこんなことされても、なんとも思わないんでしょ~?』
 
 
 
小さく笑う、ダイスケ。
 
 
『いや・・・ビッ・・クリした・・・。』 かすれた声を絞り出すナツに、ケラケラ笑うと
『ビックリしただけかー・・・』 可笑しそうに体を屈めて笑い続けた。
 
 
 
すると、もう一度ナツをまっすぐ見つめた。
 
 
 
 『僕は・・・ ナツの味方だから。

  誰がなんと言おうと、どう思おうと。 僕は、ナツの味方だから・・・。』
 
 
 
どこか哀しげに頬を緩めて、ダイスケは続ける。
 
 
 
 『だから・・・

  泣きたくなった時は、少しは僕に頼ってよ。

  ひとりで隠れて泣かないでさ・・・
 
 
  ナツは、少し人前で泣いた方がいいよ・・・。』
 
 
 
そう言うと、ダイスケはチョコバーを握る片手を上げて軽く振り『じゃ、また明日。』
と自宅へ入って行った。

ナツはたった今起こった事の状況が呑み込めないまま、その見慣れた背中が玄関ドアの
向こうに消えるのを立ち竦んで見ていた。
 
 
 
 
 
ダイスケは自室に入り、机の上にカバンを置くと、大切そうに掴んだチョコバーを見つめた。

あまり仰々しくなり過ぎないよう、相手に気を使わせ過ぎないよう考えられた、
このバレンタインのチョコレート。
 
 
ナツらしかった。
なんでも相手のことを考える、ナツらしかった。

でも、それは自分の気持ちを後回しにするという意味にもなるわけで。
 
 
 
 『ビックリした、だけ・・・か・・・。』
 
 
 
肩をすくめて小さく笑った。
ダイスケの胸も、息苦しいほど切ない痛みが生じていた。
 
 

■第39話 買い物へ

 
 
その日。アサヒはひとり、駅前に来ていた。
 
 
 
アキに渡すバレンタインのお返しを探しに出てきたのだが、何にしたらいいのか
サッパリ分からず途方に暮れて、ただ闇雲に色々な店を覗いていた。
 
 
女子が好きそうなアクセサリーショップの前で足を止めた。
カラフルなビーズや石で出来たネックレスやブレスレットが飾られた店頭の棚。
目がまわりそうに鮮やかで、そのパワーに気圧される。

店内を見ている客層の、女子高生やそれより少し上の大学生ぽい女子の姿に
狙う路線としては間違ってはいない事を確認できた。

居心地悪そうに店内に足を踏み入れたアサヒに、派手な格好をした店員が笑いながら
近寄って来る。 『カノジョさんへのプレゼントですか~ぁ?』 鼻に掛かる声が
やたらと耳障りだが、勝手にオススメを見せて寄越すので、その中から選ぼうと次々と
差し出されるアクセサリーをぼんやり眺めていた。
よく分からなかったが、店員が一押しというそれをなんとなく選び、会計を済ます。
 
 
 
時間が余ったので尚もフラフラしていると、ごちゃごちゃと賑やかな雑貨屋の前で足が止まる。

すると、ミサンガの手作りキットがアサヒの目に入った。
よくスポーツ選手が願掛けで手首や足首に付けている、それ。
 
 
今年の春に高校3年生になるアサヒ。
この夏の陸上競技大会が、高校最後の大会になる。

思わずミサンガにでも力を借りてみようかと、そのキットを手に取った。
超初心者用のそれは、3色の紐で自分で編み込んでいくようだ。
あまり手先が器用ではないアサヒ。自分にでも本当に出来るのか、眉間にシワを寄せ
説明書きを注視すると、なんとなく出来そうな気がしてきた。
 
 
紐の色には各々意味があるようで、入念にそれを読み込む顔は真剣そのもの。
スポーツ運を強くする ”赤 ”と ”青”そして、落ち着きを表す ”白”の3色を手に取った。
 
 
すると、ふと、あの手が掛かるナツの顔が頭に浮かんだ。

目を離すとすぐサボるし、落ち着きはない。素質がない訳ではないというのに。
バレンタインのチョコも貰ったことだし、指導係として夏の大会用にナツにも
作ってやるかと3色の紐を選ぶ。
 
 
やはり、スポーツ運の ”赤 ”と ”青”。もう1色はどうしようか悩む。

落ち着きは全くないから ”白 ”でもいいが、それだと自分と全く同じになってしまう。
ピンクは恋愛運・・・ 恋愛なんかしてるヒマがあったら真面目に走らせねば。
黄色は金運。違うか。 黄緑は友情。友達は多そうだから不要だろう。
緑は癒し。水色は爽やかさ・・・

”オレンジ ”は希望・パワー・笑顔・・・ これがナツにはピッタリな気がした。

自分でも気付かぬうちに、自然に顔はほころんだ。
『よし!』 アサヒは自分用とナツ用のミサンガ手作りキットを手に取った。
 
 
 
ナツの嬉しそうに目を輝かせる顔を思い浮かべ、アサヒも思わず目を細めた。
 
 

■第40話 3月14日

 
 
 『3月14日は、ふたりで何処か行きたいです・・・。』
 
 
 
事前にアキからリクエストされた、3月14日ホワイトデー。
 
 
『いいよ。 じゃぁ、デートしよう。』 アサヒが微笑んで返事をすると、
アキが俯いて口ごもり、更に何か二の句を継ぎたそうに落ち着かない。
 
 
『ん?』 顔を覗き込むと、アキが思い詰めたような面持ちで言った。
 
 
 
 『私以外に、お返ししないで下さい・・・。』
 
 
 
『え・・・?』 その一言に声を失う。

『いや、それは・・・ だって、それはダメでしょ。お礼しないと・・・』
 
 
 
すると、アキはさめざめと声を忍ばせ泣き出した。
両手で顔を隠し俯くと、長くやわらかい髪の毛が前に垂れて震える肩に合わせ揺れる。

その姿に困り果てるアサヒ。 
自分に好意があっての事だというのは分かる。
分かるけれど・・・
 
 
 
 
  (最近は、泣いてばっかだな・・・。)
 
 
 
 
なんとか宥めて機嫌をとる。
ホワイトデーデートの話題を大袈裟に膨らませ、やっとのことでアキを鎮めた。
 
 
 
 
そして、当日。

アキが行きたがっている3月まで開催しているイルミネーション会場で
夜7時に待ち合わせをしていた。
 
 
部活は通常どおり参加できるので、放課後、ホワイトデーのお菓子が入った紙袋片手に
アサヒは部室へ向かった。

部活がはじまる前の僅かな時間も、愉しそうに女子トークをしている女子部員に
『おりゃおりゃ~!』 と放るようにお菓子の包みを配ってゆく。

こういう照れくさいのは大の苦手なアサヒ。
一人ずつなにか言葉をかけて渡すなんて、どう考えても出来そうにはなかった。

『投げんな!バカっ』 先輩マネージャーから、いの一番に文句が飛んだ。
 
 
『ほいっ。』 最後にナツの頭にパコンと包みをぶつけて、お菓子を渡す。
満面の笑みで『あーざっス。』 と、包みを眺めるナツに、アサヒが言った。
 
 
 
 『オノデラー・・・ ちょい、来て。』
 
 
 
『は?』 小首を傾げるナツ。

貰った包みをジャージのポケットに入れて立ち上がり、よく分からないまま
アサヒの背中に続いた。
 
 
アサヒは何も言わずに廊下をズンズン進んでゆく。
『どこ行くんスか~?』 訊いてもその背中は振り返らないし、答えない。

無言のまま南棟までやって来た。
以前、階段ダッシュをしたひと気の少ない静かな校舎。
 
 
すると、アサヒが立ち止まりポケットに入れた手を差し出した。
 
 
 
 『オノデラには。 あん時、2個もらったからさー・・・』
 
 
 
そう言って広げた手の平に現れたのは、3色のミサンガが。
 
 
 
 『お前、ボケっとしてっから願掛けだー

  夏の大会、がんばんなきゃダメなんだからなー・・・』
 
 
 
途端に照れくさくなってしまって、顔が上げられないアサヒ。
ナツは、アサヒの手の平の上のミサンガを呆然と見つめている。

そして、ガバっと顔を上げると『チョー・・・・・・・・嬉しい。』 と、
慌てて掴み、右手首に結ぼうと左手で必死に試みるが中々ひとりでは結べない。
 
 
その歯がゆそうな真剣な眼差しに、クククと笑いアサヒがそれを掴む。
 
 
 
 『結んでやっから、手ぇ出しな。』
 
 
 
ナツの日焼けした細い右手首に、アサヒがミサンガを結ぶ。
アサヒの指先が、ほんの少し手首に触れた。

ふと見ると、ナツにミサンガを結ぶアサヒの手首にも、それが。
 
 
『色違い?』 ミサンガに目を落とす、ナツ。
 
 
思わず、『ぁ、そうそう。駅前の雑貨屋で売ってたの買っただけだけどな・・・』
 
 
 
 
 (今思えば、超ハズい・・・ 作ったなんてゼッテー言えねぇ・・・)
 
 
 
 
手首に結んでもらったミサンガ。

目の高さに翳して手首を伸ばしたり返したり、嬉しそうに眺めるナツ。
『ぜっったい頑張ります!大会・・・。』 そう言って、また微笑んで眺めている。
 
 
 
 『お前って・・・ 泣かないよな、全然・・・。』
 
 
 
アサヒがナツを見て笑った。
それは陽だまりみたいに、やさしくて温かい表情だった。
 
 
 
嬉しくて嬉しくて、胸が痛くて、苦しくて。
鼻の奥がツンとして、目頭がジンと熱い。
必死に涙を堪えていることは、アサヒに気付かれていないようだった。
 
 

■第41話 ブレスレット

 
 
夜7時、アキとの待ち合わせ場所に行くと、口許だけ少し笑顔を作って手を振ったアキ。
 
 
そこは、3月いっぱいまで眩いほどのイルミネーションで飾られていて、
ホワイトデーの今日は見渡す限りカップルの姿ばかりで賑わっていた。

コートのポケットに手を入れて歩くアサヒの腕を掴み、寄り添うアキ。
周りのカップルは手をつないだり、肩に手をまわしたりしていた。
 
 
『メシは? 腹へってないの?』 顔を覗き込むと、なんだか浮かない表情のアキ。
返事はない。
口をぎゅっとつぐみ泣きそうな顔をして、俯いている。
 
 
 
 
  (今度は、なんだよ・・・。)
 
 
 
 
小さく笑うと、立ち止まりアキの正面に立ったアサヒ。 『どーしたー?』
 
 
すると、
 
 
『陸上部の女の子たちに、何あげたんですか・・・?』 か細い声で呟いた。
 
 
思わずため息が漏れる。
足元に目を落として、後頭部をガシガシと掻き毟った。
 
 
 
 『お菓子だよ、ただのお菓子・・・

  だってさー・・・ 向こうも義理でくれてるだけだし・・・。』
 
 
 
それでも不満気に俯くアキの手を掴み、プレゼントの小さな小箱を渡した。
 
 
 
 『お菓子じゃないよ、コレは。』
 
 
 
アキが涙が溢れそうに上目遣いをし、頬を赤く染める。

ゆっくりその箱を開けると、そこにはブレスレットが輝いている。
華奢な感じのハニーゴールドのブレスレットに、小さなハートとフェイクパールが
清楚でやわらかい。

アキが何も言わず腕を伸ばし、アサヒに手首を差し出した。
ゴツい指先でそれを掴むと、細く白い手首にたどたどしくブレスレットを付けるアサヒ。
 
 
大切そうに手首を胸に押し付け、俯いたアキ。
また、ぽろぽろと涙をこぼした。
 
 
 
その次々に流れ落ちる幾粒もの雫を、ぼんやりアサヒは見つめていた。
 
 

■第42話 卒業

 
 
3月。 3年生、卒業。
 
 
 
それは、陸上部の部長や先輩マネージャー他、3年生部員がいなくなるという事で。
いてくれるのが当たり前に思っていた人たちが、そこに居なくなるという現実に
まだ慣れることが出来ず、後輩一同は動揺を隠せないでいた。
 
 
卒業後のとある日。

3年の先輩陣には、部室に集まってもらっていた。
部室の汚れて少しくすんだ壁には、”先輩ありがとうございました ”の手書き横断幕。
部室の机上にはそこに乗り切らない程のお菓子や飲み物があった。
後輩部員がお金を出し合って、今までの感謝を込めて先輩を送り出す、その日。

もう制服を着る必要のない、見慣れない私服姿の先輩陣の面々。
照れくさそうに嬉しそうに、どことなく寂しそうなその顔。
しかし、終始やさしい笑顔に包まれた陸上部恒例 ”追い出し会 ”だった。
 
 
後輩とケラケラ笑っている部長の元へ、ナツが照れくさそうに近寄る。
 
 
 
 『ブチョー・・・ ありがとうございました・・・ いろいろ。』
 
 
 
モゴモゴと呟くナツへ、部長が目を細め笑う。
意味もなくパコンと頭をはたいた。
はたいたその手をそのままナツの頭に乗せると、ガシガシと乱暴に撫でる。
 
 
 
 『新部長のゆう事ちゃんと聞いて、しっかり頑張れよ~』
 
 
 『・・・新部長?』
 
 
 
小首を傾げるナツ。 すると、部長は部室にいる陸上部員に向かって言った。
 
 
 
 『ウチの陸上部は、現部長が卒業する時に新部長を選出する伝統がある。

  次期、新部長は・・・フジエダ アサヒ。 ・・・アサヒ、頑張れよ。』
 
 
 
全員の目が一斉にアサヒに集まった。
パチパチと拍手の音が小さく、次第にだんだん大きく鳴り部室に響く。

驚いて目を見張り声も出ないアサヒ。 しかし、瞬時にまっすぐ顔を上げ、胸を張って言い切る。
 
 
 
 『ありがとうございます!

  期待に沿えるよう、頑張ります・・・
 
 
  部長、3年の先輩のみなさん 今まで・・・  せ~の! 』
 
 
 
後輩全員が声を揃えて頭を下げた。
 
 
 
 『ありがとうございましたぁぁぁぁああああああ!!!!』
 
 
 
部長が少しだけ俯いて、唇を噛み締めた。
涙ぐむ先輩マネージャーが寄り添い、そっと部長の肩に手をおく。
 
 
 
その大きな筋肉質の肩は、ほんの少し震えていた。
 
 

■第43話 最後のアドバイス 

 
 
 『オノデラ・・・ ちょっと、いい?』
 
 
 
先輩マネージャーに声を掛けられ、ナツが先輩について部室を出る。

部室内は新部長アサヒが先輩や後輩に囃し立てられ、からかわれて、再び騒がしい
笑い声が静かな廊下まで響いていた。
 
 
ふたりでやって来たのは、ひと気のないグラウンド。
先輩は、ベンチの背に手を置き少し身を乗り出して、なにも語らず眩しそうに
グラウンドを眺めている。

先輩の肩まで伸びる黒髪が、まだ冷たい3月の風に小さく揺れる。
遠く見つめる目は寂しそうに、でもどこか誇らしげだった。
3年間の色々な思いが胸を去来しているのだろう。
 
 
『オノデラ・・・』 ナツに目を向け、やわらかい表情を向ける先輩。
 
 
 
 『背中じゃなくて、ちゃんと正面から向き合いなさい・・・』
 
 
 
ナツが先輩をじっと見つめる。
 
 
 
 『これは、 ”努力目標 ” じゃなくて ”必達目標 ” よ・・・

  ・・・わたしからの、最後のアドバイス・・・。』
 
 
 
そう言って、先輩はそっと手を伸ばすと、ナツの頭をポンポンとやさしく撫でた。
 
 
 
 『アンタ見てると・・・ ツラいわ、わたし・・・

  アサヒのこと、好きだって全身から溢れちゃってんのに。

  必死に隠そうとしてんの見るの。 わたし、ツラい・・・。』
 
 
 
先輩の目には溢れそうな涙。
それは、まるでお姉ちゃんのようなやさしい顔で。

思わずナツが、先輩の胸にしがみ付いた。
クスクス笑って、ナツの小さい体をぎゅっと抱きしめる先輩。
 
 
 
 『ほんとに、ほんとに・・・ ありがとうございました・・・。』
 
 
 
ナツの涙声が、先輩の胸の中でくぐもって響いた。
 
 
 
 
 
追い出し会後の帰り道。

用事があるダイスケが別方向に向かい、アサヒとナツ、ふたりで歩いていた。
先程までの余韻が抜けず、アサヒはどこかぼんやり歩みを進めている。
 
 
すると、
 
 
 
 『そう言えば。 ・・・オノデラとふたりで帰んの、はじめてじゃね?』
 
 
 
アサヒがなんだか愉しそうに笑う。
アキとはいつも帰っているけれど、ナツとふたりというのは初めてだった。

そう言って笑う横顔を盗み見るナツ。『・・・そーっスね。』
 
 
それにナツが気付かないはずはない。別方向へ消えてゆくダイスケの背中を見送った途端
顔には出さないようにしていたけれど、ナツは緊張してガチガチになっていた。
口数が少ないのはその為だったのだけれど、アサヒは気付いていないようだった。
 
 
 
 
 『今年の夏の大会が、最後なんだよなぁ。 俺・・・。』
 
 
先程までのやわらかい声色が、急に真剣なそれに変わったアサヒ。

夕陽に照らされ少し眩しそうに目を細め、しかし口許はきゅっと引き締まる。
まるで、その言葉をもう一度自分の中で噛み締めているように。
 
 
アサヒには、なにがなんでも頑張ってもらいたかった。
そして、ナツ自身もアサヒに恥じないよう本気で頑張ろうと思っていた。
 
 
 
 『頑張りましょうね! ブチョー。』 
 
 
 
ナツが、手首のミサンガを目の高さに掲げ、アサヒに見せる。
嬉しそうに微笑み、『おぅ!』 アサヒもまた、腕のミサンガを掲げた。

そしてどちらからともなく、ミサンガを付けた右手を拳にしてコツン。ぶつけ合った。
 
 
 
ふたり、笑いながら進む道のりも、もうすぐ互いの家の方向へ別れる分岐点がくる。
すぐ横を向けば、ショート丈ダッフルコート姿のアサヒがポケットに手を入れて
少し寒そうに歩いている。
年中日焼けしたままの顔は健康的に浅黒くて、笑ってばかりいるものだから笑いジワが
しっかり刻まれていて。
 
 
 
 
 (背中じゃなくて、ちゃんと正面から向き合いなさい・・・)
 
 
 
先輩マネージャーの言葉が木霊のように繰り返し、ナツの胸を容赦なく刺した。
 
 
 
 『オノデラ・・・ 絶対、がんばろうな。』
 
 
そう言って、アサヒはひとり。手を振り自宅方向へ向かって、坂道を歩いて行く。
腕を上げた際、ミサンガが手首から少しだけずり下がった。
色違いの、そのミサンガを見ていた。
ナツはずっと、その背中が見えなくなるまでその場に立ち竦み、手を振っていた。

ひとり、振り返らない背中に手を振り続けるナツの目に、涙が込み上げる。
うわ言のように小さく零れる、その名前。
 
 
 
  『先輩・・・  アサヒ先輩・・・・・・・。』
 
 
 
すると、遠く小さくなった筋肉質の背中がもう一度振り返った。

一瞬、手を振り続けているナツに驚いたように動きを止め。
そして、一拍遅れて手を振り返す。
大きな手の平が左右にひらひらと揺れている。
もう表情など分からないほど遠く離れているけれど、きっと、その顔はあの陽だまり
みたいなやさしい顔で、笑っている。
 
 
千切れそうに更に大きく手を振り返すと、思わず、踵を返して駆け出したナツ。
足がもつれ、つんのめりそうになりながらも駆ける。

アサヒからは見えない住宅街の角まで走ると、崩れるようにしゃがみ込んだ。
小さく小さく縮こまったナツの体。
その肩は、小刻みに震えていた。
 
 
ミサンガを巻き付けたその手首を胸に押し付け、ひとり、声を殺して泣きじゃくる。
アスファルトに、幾粒もの雫が落ちてその色を濃くした。
 
 

■第44話 新学期

 
 
4月 ナツは2年生になった。
 
 
 
陸上部では、3年のアサヒが新部長、2年のダイスケがチーフマネージャーとなり
新体制が構築されていた。
新1年生部員や女子マネージャーも入部し、旧3年生がいなくなり物寂しくなった陸上部にも
また新しい風が吹いていた。

新しく初々しい面々に、今までと然程変わらない賑やかな陸上部だった。
 
 
アサヒもアキも進級と同時に図書委員ではなくなり、委員会で顔を合わすことは
なくなったものの、アキは変わらずに毎日アサヒの部活が終わるまで待ち、一緒に帰っていた。
 
 
 
 
それは5月の終わりのこと。
グラウンド脇のハナミズキに若葉が開き始め、ヤマボウシによく似た薄桃色の花がこぼれていた。
 
 
いつものキレイなフォームで走り込みをしていたアサヒが、突然グラウンドに倒れ込んだ。

膝を抱えるように体を丸め、激しい痛みに顔を歪めている。
ジャージの背中に、腰に、グラウンドの砂粒が黄土色の汚れを付ける。
 
 
アサヒの名前を叫び、慌てて駆け寄る部員一同。

ダイスケは薬箱を抱えてアサヒの元へ近寄るが、その苦痛に満ちた表情にすっかり
気が動転してしまっている。
アキはグラウンド脇から飛んできて、アサヒの傍らに崩れ落ちオロオロと取り乱し
パニック状態に陥った。
ナツが青ざめ平静を失いそうになるのを必死に堪え、一目散に顧問教師の元へ駆けた。
 
 
慌ててやってきた顧問教師と後輩に両肩を支えられ、アサヒはそのまま病院へ直行した。
残された部員の顔はみな一様に引き攣り、不安を隠しきれないでいる。
誰一人、声を出せずにその場に立ち竦んでいた。
 
 
グラウンドにペタンと崩れ落ち、めそめそ泣き続けるアキ。
制服の紺色ワンピースと水色の靴下が、直で触れる砂土状の土に汚れている。

ナツがそっとアキの二の腕に手をあて、立ち上がらせる。
『ダイジョーブだよ、絶対。ダイジョーブ・・・。』 そう言って、アキの汚れた
スカートのお尻と足の脛の砂を払った。

すると、アキがナツに抱き付いて更に声を上げて泣いた。
ナツの胸にダイレクトに泣き声が共鳴する。
つられて泣きそうになるのを、グッと堪え抱きしめ返した。
 
 
 
ナツの分までアキが泣いているかのように、その後も暫く泣き声はグラウンドに響いていた。
 
 

■第45話 ケガ

 
 
アサヒはそのまま入院となった。
 
 
 
半月板損傷により1週間の入院・手術。 そして術後はリハビリをして、通常の日常生活は
1ヶ月以内に送ることが出来ると医師から言われた。
 
 
 
 『7月に陸上の大会があるんですけど・・・。』
 
 
 
アサヒがすがる様な目を医師に向けるも、スポーツ復帰は3か月前後を要するとの
無情な宣告だった。
 
 
高校最後の陸上競技大会。 そこに照準をあて、今まで頑張って来たアサヒ。

前部長にもペースを考えろと何度も言われていた。
故障したらなんの意味も無い、と。
しかし、じっとしていられずアサヒは走って、走って、走りまくった。
止まっているのが不安で、焦りばかりが募って、とにかく走り込んでいた。
 
 
あの時、ああしていれば。こうしていれば。
今になり募るのは後悔ばかりだった。
きちんとあの時、部長の声に耳を傾けていれば。

新しく部長になったというのに、大事な時に部活のこともおざなりになってしまう。
期待はずれで役立たずの自分。 後輩部員にも申し訳が立たない。
 
 
 
 
  (頑張りましょうね! ブチョー。) 
 
 
 
 
手首のミサンガを目の高さに掲げ、笑ったナツの顔が鮮明に浮かぶ。

互いにミサンガを付けた右手でグータッチした、力強い拳。
今は神経質すぎるほど真っ白な病室のベッドに、それはダラリと力なく垂れている。
 
 
ミサンガに目を落とすと、震える声で小さく、ひとりごちた。
 
 
 
 『・・・オノデラに、合わす顔ないな・・・。』
 
 
 
病室の冷たいベッドに横たわり、天井を瞬きもせず見つめていたら涙が溢れた。
それは目尻へ流れ、枕カバーに次々とシミを作る。

歯を食いしばり、喉元を強張らせ、日焼けした筋肉質の腕で目元を隠した。
 
 
胸の中に重く鈍い暗雲が充満し、それは喉元まで込み上げ息苦しい。
どうしたらこの気持ちが晴れるのか、誰かに教えてほしかった。
 
 
 
生まれてはじめて、こんな気持ちを味わうアサヒだった。
 
 

■第46話 見舞い

 
 
アキは、毎日見舞いにやって来た。
 
 
 
学校が終わると真っ直ぐ病院に駆けつけ、面会時間終了の夜8時ギリギリまで
アサヒの傍にいた。
落ち込む姿など見せたくないアサヒは、努めて明るく振る舞い笑顔も見せた。

しかしアキは、さめざめと泣く。
 
 
 
 『フジエダ先輩、あんなに頑張ってたのに・・・。』

 『神様は、残酷すぎます・・・。』 

 『私が代われるものなら、代わりたい・・・。』
 
 
 
毎日毎日、見舞いに来ては泣いていた。
俯いて口をぎゅっとつぐみ、アキの頬から滴りおちる雫を、ただただなんの感情もなく見ていた。

アキの笑った顔をもう思い出せないほどだった。
 
 
ある日、アキが涙で濡れた頬を拭いもせずに、言う。
 
 
 
 『私・・・ 先輩がいなくて寂しいです・・・

  先輩の、なんか・・・ 持ち物、貸して下さい・・・。』
 
 
 
急に言われて戸惑うアサヒ。
棚や引出しの中、身の回りを物色してみるが、なにも渡せるものなど見当たらない。
 
 
ふと、右手につけたミサンガに目が留まった。

願いを掛けた手作りミサンガ。
説明書を読みながら大きな背中を丸めて、ひとり、懸命に作ったそれ。
 
 
 
 
  (でも、これは・・・。)
 
 
 
 
『ごめん、今はなんにも無いわ。』 そう言って、まだごねるアキに諦めてもらった。
思わずそっと右手を布団の中に隠して、それが見られないようにする。
 
 
どこか後ろめたい気持ちを隠し切れず、気まずそうにアキから目を逸らした。
 
 

■第47話 笑い声溢れる病室

 
 
ゾロゾロと大勢の賑やかな足音が、遠く廊下から響き段々それが近付いてくる。
病院らしからぬ騒がしさに首を傾げ耳を澄ますアサヒ。
 
 
すると、
 
 
 
 『ぁ、ココじゃね?』 『あったあった!』 『なんだ男ばっかじゃ~ん』 

 『先輩泣いてたらどーする?』 『イジり甲斐あんじゃん?』 『笑っちゃうわ』
 
 
 
病室入口の患者名プレートを目に、部員の面々が佇んでいるという事がすぐに分かった。

ぷっと吹き出すアサヒ。 その姿を目の当たりにする前に既に頬がニヤニヤと緩む。
その反面、頼りない新部長に内心呆れ顔なのではないかと、一抹の不安もよぎる。
 
 
『失礼シマーっス。』 病室入口の引き戸がガラガラと開くと、15人ほどの部員が
賑やかにやって来た。
その顔は、みな一様に笑顔で、アサヒの顔を見られたことに心から嬉しそうで。
数秒前に感じていた不安など杞憂だと、心からホッとする。
 
 
『ココ病院だぞ!もっと静かに来いよ。』 笑いを堪え切れないアサヒ。
 
 
後輩男子が、可愛いナースがいたと興奮してまくし立てている。
俺も入院したいという声までチラホラ聞こえる始末。
 
 
 
すると、後ろの方にいた小さいナツがひょっこり顔を覗かせた。

真剣な表情で、どこか睨むようにまっすぐアサヒを見る。
ナツはなんて慰めようとしているのか、励まそうとしているのか。はたまた、恨み言を
言うつもりなのか。 アサヒの胸が重苦しく沈む。思わず不安気に目を落とした。
 
 
すると、
 
 
 
 『コレ・・・。』
 
 
 
ナツがコンビニ袋を掴んだ手を差し出す。 部員がみなニヤニヤとほくそ笑んでいる。

小首を傾げて中を覗くと、そこには雑誌が3冊入っている。
手を入れて雑誌を掴み表紙を見ると、それはエロ本。 ロリコン・熟女・女教師の3点セット。
 
 
目を見張ってナツを見ると、その顔は不満気に、しかし笑いを我慢している感じで言った。
 
 
 
 『じゃんけん負けて・・・ あたしが、さっきコンビニで買いました・・・

  ・・・もぉ、チョー最悪。 店員にめっちゃ見られたし・・・
 
 
  アサヒ先輩がダっっサい怪我して、ダっっサく入院とかするからでしょー!!!』
 
 
 
ナツが真っ赤な顔をしてまくし立て、そして笑った。
その顔を見ていたら、アサヒが腹を抱えて笑った。
笑って、笑って、目尻からは涙が流れて。

入院してはじめてこんなに笑った。 心のモヤモヤを全て忘れて笑った瞬間だった。
 
 
 
 『お前ー! ダっサいとかゆーなよ。 もっと労われ、バカ!!』
 
 
 
あまりにみんなで大笑いするもんだから、ナースが飛んできて注意された。
しんみりしないよう敢えて笑わせてくれる仲間のあたたかさが胸に沁みたアサヒだった。
 
 

■第48話 ミサンガ

 
 
夕方になり、散々笑ったみんなは病室を引き上げようと帰り支度をはじめていた。
アサヒに『お大事に。』 と声を掛け、一人また一人と帰ってゆく後ろ姿にナツが続こうとした。
 
 
『ぁ。オノデラ・・・ ちょっと残ってくれる?』 アサヒに言われ、
ナツが『え?』 小首を傾げ立ち止まる。
 
 
ナツ以外の部員はみな帰って行った。

さっきまでうるさいくらいだった病室が急に静けさに包まれる。
6人部屋のそこは、他の患者全員カーテンでベット周りを覆い、イヤフォンを片耳に
入れて静かにテレビを見ている。
 
 
 
『カーテン引いて。』 ナツは言われるままカーテンでベッド周り3面を覆った。

パイプイスを取り出し、ナツに座るよう促す。
ペコリとわずかに頭を下げそれに座ると、ナツはなんだか急なふたりだけの空間に
緊張して居心地悪そうに、少し背中を丸めて肩をすくめた。
 
 
すると、アサヒが自分の右腕をナツへ突き出す。
 
 
 
 『コレ、はずしてくんない?』
 
 
 
それは、アサヒの右手首に固く結んだミサンガ。
その一言にアサヒが大会に出場出来ないと悟るナツ。
 
 
暫しその右手首を見つめ、ナツがコクリ、言葉なく俯く。
そして、固結びしたそれをほどこうと目を落とすが、泣きそうに込み上げる熱いものに
指先が震えて中々ほどけない。

やっとアサヒの手首からそれをはずすと、ナツがそっと手渡す。
 
 
すると、アサヒがなにも言わずナツの右手首を掴んだ。
そして、すでに巻き付けてあるミサンガの上に、更に自分のそれを結びはじめる。
 
 
 
 『お前に、託す・・・。』
 
 
 
小さくポツリ呟き、手首からナツへ目線を上げた。
 
 
 
 『大会、頑張れ。 俺の分まで、お前に託すから・・・。』
 
 
 
そう言うと、あの陽だまりのような顔でやさしく笑ったアサヒ。

そして、大きな手をにぎって拳をつくると、ナツの前に出した。
ナツが2本のミサンガが巻き付いた少し震える右手を拳にして、アサヒのそれに
コツンとぶつける。

グータッチした、その拳と拳。
 
 
 
ナツが思わず下を向いた。

アサヒの悔しさ、無念さ、後悔、色々な想いを想像して胸が張り裂けそうで。
泣きそうで、苦しくて。 でも一番泣きたいのは自分ではなくアサヒ自身なのだ。
ここで自分が泣くのはただの自己満足に過ぎない。
だから絶対に泣いてはいけない。 泣かない。
 
 
そっと顔をあげると、思いっきり満面の笑みでナツは微笑んだ。
長いまつ毛にほんの僅か雫が光って、それはキラキラと輝き眩しく映す。
 
 
その顔をやさしく見つめて、アサヒはひとりごちた。
 
 
 
 『やっぱ・・・ 全然、違うな・・・。』
 
 
 
胸に込み上がる後ろめたいふたつの想いが、だんだん形を成してきている事に
気付かないフリをするのはもう限界な気がしていた。
 
 
 
 
 
アサヒが笑って言う。 『大会ガンバったら、なんかおごってやるぞ!』
 
 
 
 『え?! あたし・・・ひとり・・・??』
 
 
 
ナツがパイプイスから身を乗り出して声を上げる。 瞬きは、パチパチとせわしなく。
その反応に、クククと肩を震わせて笑う。
 
 
 
 『そんな何人分もおごるヨユーねえわ。 ・・・なにがいい?』
 
 
 
ナツが眉根をひそめ、顎に手を当ててロダンの ”考える人 ”よろしく真剣に
悩み迷っている様子。
暫く時間をかけ考え抜いて、一言。 『えーっと・・・ じゃぁ、たこ焼き!』
 
 
 
 『いいよ。 じゃぁ、ふたりでたこ焼き食い行こ。』
 
 
 
 
ナツの笑う顔を見ているのがなんだか嬉しくて、ずっとその顔を見ていたくて
アサヒは喉元まで言葉がついて出そうになったが、なんとかグっと飲み込んだ。
 
 
 
 
 
  (まだ、もう少し帰らないで

            ココにいてくれればいいのにな・・・。)
 
 
 
 

■第49話 可哀相なひと

 
 
オノデラ家2階の姉妹部屋に、アキとナツのふたり。
 
 
 
アキはアサヒのケガ後、ずっと肩を落とし元気がなかった。
2段ベッドの下段、自分のベッド脇に腰をかけ溜息ばかり落としている。
 
 
アキがポツリと言った。
 
 
 
 『ねぇ、ナツ・・・ 先輩のお見舞い行った・・・?』
 
 
 
ベッド上段でうつ伏せになりマンガを読んでいるナツ。
ベッド柵から上半身を乗り出すと、そこから少しぶら下がるように下段のアキへ顔を出した。
 
 
 
 『こないだ陸上部のみんなと行ってきたよ~

  あたし、じゃんけんで負けて罰ゲームでお見舞いにエロ本買わされてさー・・・

  もう、最っ悪だった・・・

  まぁ、アサヒ先輩すごい笑ってたから、良かったっちゃー良かったけどね。』
 
 
 
思い出し笑いをしながら愉しそうに話すナツを、どこか冷たい目で見たアキ。
 
 
 
 『私は・・・ 先輩が可哀相で見てらんない。 ツラい・・・。』
 
 
 
『そうだね・・・ でもさ、コッチまでメソメソしても・・・』 言い掛けるナツを遮るアキ。
 
 
 
 『ナツは可哀相だと思わないの?

  あんなに・・・ 一生懸命、大会に向けて頑張ってたんだよ?』
 
 
訴えるような目を向ける。
 
 
 
『・・・可哀相ってゆうのは、ちょっと違うんじゃない?』 ナツのその言葉は
どこか他人事のような響きに聴こえたのか、アキが目を逸らして一言吐き捨てた。
 
 
 
 『ナツ・・・ 意外に冷たいね。』
 
 
 
その一言に少しショックを受け、ナツは黙り込んだ。

本当に言いたい事が伝わっていないことに気付いていたが、それをアキに言うことで
言い合いになってしまわないか不安で、二の句を継げない。
 
 
しかし、ナツは口を開いた。
どこか緊張しながら、自分の思いをゆっくりアキへ伝える。
 
 
 
 『可哀相だと思われたくないんじゃないかな・・・ 先輩。

  もし、あたしだったら・・・

  同情されるんじゃなくて、なんてゆーか・・・

  嫌なことをちょっとでも忘れられるように、笑いたいって・・・

  そう思う気がしたから・・・。』
 
 
 
ナツが言葉を選びながら、慎重に続ける。
 
 
 
 『アサヒ先輩が泣き言を言わないってことは、

  あたし達に言いたくない、って意味な気がするし・・・

  だから、周りはバカみたいに笑ってたらいいんだと思う・・・。』
 
 
 
 
アキは俯いて黙っていた。
そして、ひとこと呟いたその声色は、なぜか少し苛立ちの色が見えた。
 
 
 
 『・・・私には、そうは思えない・・・。』
 
 
 

■第50話 ふたりの姿

 
 
アサヒは病室の扉が開くたびに、そこに現れるひとの姿に慌てて目を向けた。
 
 
 
しかし、午前中にそこに見えるのは回診の医者やナース。 同室の患者の家族などの姿。
食事時間帯であれば、給仕担当がトレーを持って病室に食事を運び入れる姿なのは当然で。
 
 
 
 
  (来るとしたら、夕方だよな・・・。)
 
 
 
 
そわそわと落ち着かないアサヒ。

あの日、ナツに自分のミサンガを渡した日、アサヒの心の中で誤魔化してきた気持ちが
確実に大きくなっているのを、もう見過ごせなくなっていた。
 
 
その目は、ナツの姿を求めて彷徨う。
 
 
退屈な午後をやり過ごし、夕暮れになると窓の外に目を向けてそこから見える病院正面入口を
じっと見ていた。 小柄なジャージ姿が来ることを待ちわびて。 どこか落ち着きなく
小走りで駆けながら、いつも愉しそうに頬を赤らめているあのナツの姿を。
 
 
しかし、ナツはあれ以来見舞いに来ることはなかった。
 
 
 
病室入口から聴こえる『失礼します・・・。』 という、遠慮がちなあの声に慌てて
目を向けるも、そこには同じ声色だが中身は全く違うアキだった。

アキに決して悟られないよう、アサヒは小さく目を落とし溜息をついた。
 
 
 
 
その日の夕方、前部長と先輩マネージャーが見舞いにやって来てくれた。

その姿に嬉しい反面、情けない自分の姿を見せてしまった事に申し訳なくて
遣り切れない表情を向けるアサヒ。
 
 
すると、
 
 
 
 『なんて顔してんだ、お前~』
 
 
 
部長とマネージャーがケラケラ笑う。
部長はアサヒの肩に手を置くとやさしくトントンと叩く。
 
 
 
 『ヤっちゃったモンは、仕方ないだろー・・・

  反省はしても後悔すんな。 この経験を生かせばいーんだよ。』
 
 
 
部長が言う。

誰より尊敬していて目標としていた、その人。
大きくて温かくて兄のように慕う、その人。
 
 
アサヒが俯き、肩が震えゆくのを必死に堪えている。
『飲み物買ってくるわ。』 マネージャーがそっと席をはずし、カーテンを閉めた。
 
 
カーテンで囲われアサヒと部長のふたりだけになった途端、アサヒがボロボロと涙を
零して泣いた。 伝う涙を拭いもせず、拳を強く握り締めて、唇を噛み締めて。
ベッド脇に浅く腰掛け、アサヒの隣で部長はただやわらかく佇んでいた。
棚の上のティッシュの箱をぽんとアサヒへ放ると、目を細めて微笑んだ。
 
 
 
 
 
マネージャーが缶コーヒー片手に、アサヒに目を向ける。
 
 
 
 『今、ここ来る前にさ。 部活、覗いて来たんだけど・・・

  アサヒ、なんか言ったの・・・? オノデラに。』
 
 
『え?』 アサヒが首を傾げる。
 
 
 
 『すっごい真剣に走り込んでたよ、アノ子・・・。』
 
 
 
そう言って目を細めて笑うマネージャー。 『あんなアノ子、見たことない。』
 
 
 
 
 
面会時間ギリギリまで見舞ってくれたふたりを、ぎこちない松葉杖で病院正面玄関まで
見送ると、アサヒはマネージャーが言っていた一言を思い返していた。
 
 
 
 
  (約束守ろうと、ガンバってんだな。 アイツ・・・。)
 
 
 
 
アサヒの胸が熱く焦がれる。

ナツの笑う顔を見たくて仕方ない。

ナツの笑う声を聴きたくてどうしようもない。
 
 
 
 
 
 『ぁ・・・ あの、 俺・・・。』
 
 
アサヒはもうひと気のない病院待合室のイスに腰掛け、ケータイを耳に当てていた。
その耳は赤く染まり、ナツの第一声を待って心臓はドキンドキンとスピードを速めた。
 
 

■第51話 電話

 
 
 『ぁ、アサヒ先輩っ??』
 
 
 
その声はいつにも増して落ち着きなく、少し声が裏返ってアサヒの耳に届いた。

陸上部員全員で連絡網用として教え合った電話番号だが、実際アサヒから電話が来たことも
ナツから掛けたことも、今まで一度も無かったのだ。
 
 
『どーしたんですかっ?!』 なにかあったのかとナツの心臓は不安に跳ね上がる。
膝の具合が芳しくないのか、なにか緊急で必要な物でもあるのか、狭い自室でひとり
ウロウロと同じ場所を歩き回る。
 
 
 
 『いや、あの・・・。 えーぇと・・・部活。

  ・・・そう、部活の様子が、さ・・・ 気になって。

  どう? みんなちゃんとやってんのかー・・・?』
 
 
 
声が聴きたくて電話したなんて言える訳がない。

病院待合席でひとり俯いて、手持無沙汰に前髪を軽く引っ張った。
ケータイをあてた左耳が、ジリジリとまるで燃えるように熱い。
 
 
 
 『え? ・・・あぁ、部活ですか?

  みんなちゃんとやってますよ。 副部長が頑張ってます。

  あと、珍しく顧問がちゃんと顔だしてます。』
 
 
 
自分がいなくてもどうにかなるという事実に、勝手だがやはりどこか寂しくなるアサヒ。

すると、ナツが即座に続ける。
 
 
 
 『でも・・・ やっぱ、みんな寂しがってます・・・

  ズッコケ部長がいてくんないと。 ダメです、みんな・・・。』
 
 
 
『ズッコケゆうな!おい。』 互いの笑い声がケータイを通しやわらかくくぐもって響く。
ナツのやさしさが否応なくアサヒの胸に届く。
 
 
『お前は? どう、最近・・・。』 どこか遠慮がちにさぐると、
『あー・・・ まぁ、ボチボチです・・。』 ナツは必死に頑張っていることは決して言わない。
 
 
 
 『まぁ、あんま無理して走り込みすぎんなよー・・・。』
 
 
 
ナツの懸命に走る姿を思い、目を細めるアサヒ。

直接顔を見れないのが歯がゆくて切ない。
電話を通しての声では、なにをどうしたって物足りない。
 
 
 
 『デスねー。 どっかの誰かみたいにズッコケたら大変っスもんねー?』
 
 
 
『ちょ!お前なっ!!』 思いっきり笑った。アサヒの笑い声が静まり返った病院廊下に響く。
ナツもまた、自室の窓際に立ち、アサヒが今ケータイを握る病院の方向を見つめて笑った。
 
 
 
 
 
 『あのさ・・・ リハビリ始まったんだ。』
 
 
 『おぉ!遂にですかー・・・ 今まで退屈だったでしょ~?』
 
 
 
すると、アサヒが少し口ごもりながら小さく言った。
 
 
 
 
 『おぃ。 薄情者~ぉ・・・

  たまには、見舞いぐらい来い・・・。』
 
 
 
言ってしまって、途端に照れくさくて真っ赤になり俯いたアサヒ。
言われて、せわしくなく瞬きをするナツもまた真っ赤で。
 
 
 
ケータイを切ったアサヒの微かに震えた手から、松葉杖が冷たい床に滑り落ちて音を立てた。
 
 

■第52話 松葉杖

 
 
土曜日の正午。
ナツはひとり、病院の正面玄関にいた。
 
 
  
先日の電話のアサヒが、なんだかいつもと違う気がして顔を見るのが照れくさい。
1秒でも早くその顔を見たいはずなのに、もじもじとその場で赤い顔は俯いて。
ただ目の前の自動ドアをくぐって進むだけのことが出来ず、足元に目を落として靴先で砂利を蹴る。
 
 
すると、
 
 
 
 『なーんで病室来ないんだよー?』
 
 
 
不意に聴こえたその声に、ナツが咄嗟に顔を上げる。
慣れない松葉杖で、1階正面玄関までアサヒがやって来ていた。
 
 
アサヒもその日は朝からソワソワ落ち着かなくて、病室の窓から正面玄関をじっと見ていたのだった。

やっと見えたその小柄なデニムサロペット姿に頬を緩め、慌ててベッドに横になり
平静を装いつつ、いまかいまかと待つもいつまで経っても正面玄関から中に入って
来ないそれに、痺れを切らして結局アサヒが迎えに来たのだ。
 
 
たかだか数日振りの互いの姿なのだが、もう、どうしようもなく嬉しくて。

その頬も口許も、隠す隙など与えぬ程みるみるうちに緩んでゆく。
少しの間互い見つめ合って急に恥ずかしくなり、同時に目を逸らした。
急激に心拍数が上がってゆくのが相手に気付かれやしないかと、互いにこっそり
横を向いて深呼吸した。
 
 
松葉杖でゆっくり進むアサヒに並んで、ナツが歩く。

土曜の午後の病院は外来受付も終わっているため、照明も落とされ静かだった。
入院患者とそれを見舞う人が、待合室や病室にチラホラと見えるだけ。
 
 
ふたり、他愛ない話をして笑い合う。
穏やかなやさしい時間がゆっくりたゆたう。
 
 
ぎこちないアサヒの歩行にも、ナツは決して助け舟を出しはしなかった。
アサヒの腕にも手にも触れはしない。

アキのことをキレイさっぱり忘れてアサヒに寄り添うなんて、出来る訳がなかった。
本当はこうやってたった一人で見舞うことだって、してはいけないと分かっている。
 
 
 
  ひとりで来た言い訳を必死に考えていた。

  アサヒとふたりでいる言い訳を必死に考えていた。
 
 
 
その時、磨き上げられた廊下の床に松葉杖の先端が滑り、アサヒがよろけた。
思わずナツがアサヒの胸に手をあてて転びそうな体勢を支えるが、その体重が一気に
のしかかりナツまでよろける。

壁に背をあずけナツが寄り掛かった。
そのナツに覆いかぶさるように、もたれかかったアサヒ。

ナツのおでこに、アサヒの唇が触れそうなほど急接近していた。
目の前にあるアサヒの日焼けした喉仏に、ナツは思わず息を止めて目線をはずす。
 
 
 
  どきん どきん どきん どきん ・・・

  ドキン ドキン ドキン ドキン ・・・
 
 
 
互いの心臓の音がハッキリ聴こえる。
小さく細く吸って吐く、浅い呼吸の音も。
 
 
 
 『オノデラ・・・ 俺、さ・・・・・・・・・・。』
 
 
 
アサヒが、声を絞り出すように呟いた。
熱を帯びたあつい息が、ナツの前髪をそっと揺らしていた。
 
 

■第53話 その気配

 
 
 『オノデラ・・・ 俺、さ・・・・・・・・・・。』
 
 
 
アサヒから溢れる ”その気配 ”に、ナツが慌てて真っ赤になって俯いた。

そして壁に背をつけたままズリズリと下がりながら、床にしゃがみ込む。
その顔はどうしていいものか分からず、泣き出しそうに哀しく歪む。
 
 
ナツのその顔を見下ろした。
きっとナツはアキの顔を思い浮かべている。
こんな中途半端な今の状態で、なにをどうしようというのだ。

アサヒは自問自答して、かぶりを振った。
 
 
ゆっくり体を離すと、アサヒはナツの手を掴んで引っ張り上げ、立たせた。
その掴んだ華奢な手首には、大切そうにミサンガが2本結ばれている。

アサヒはナツが立ち上がってもまだ、手を離せずにいた。
離したくなかった。
ナツもまた、アサヒに握られた手を振りほどこうとはしなかった。
 
 
 
  離さなければいけない。

  本当は、この手は掴んではいけない。

  握り返してはいけないのは、分かっているのに。
 
 
 
互い、手をにぎったまま泣きだしそうな顔で俯いていた。
 
 
 
すると、アサヒがナツの手をにぎるその大きな手に、更にぎゅっと強く力を入れた。
そして、苦しげに顔を歪め、ナツの右手首に目を落とす。
 
 
 
 『チョコバー・・・ オノデラの、バレンタインの・・・

  あれ。 ・・・あれが。 一番、・・・旨かったなぁ・・・。』
 
 
 
その声は、まるで泣いているみたいに震えていた。

一番言いたくて、しかし一番言えない言葉を互いに必死に堪えていた。
言ってしまったら、どうなるのだろう。
言われたら、どうするのだろう。
 
 
 
 
 
静まり返った廊下の角に、ダイスケの姿があった。
その手には部長報告用の、部員のタイム一覧表が入ったクリアケースが握られている。

ひと気ない廊下でまるで抱き合うように近付くふたりの姿に、息を殺して目を見張っていた。
 
 

■第54話 本音

 
 
 『先輩・・・、 ナツ・・・。』
 
 
静かな病院の廊下でいつまでも手をつなぎ合っているアサヒとナツへ、ダイスケが声を掛けた。
 
 
突然のダイスケの姿に、ふたりは慌てて手を離す。
寄り添っていた互いの体から気まずそうに離れると、どこか寂しげに一瞬目線を向け合って
そして、そっと目を伏せた。
 
 
恐ろしく居心地の悪い、まるで押し潰されそうなその3人の無言の空気。
遠く待合室の誰も見ていないテレビ音声が、流れ聴こえる。
 
 
『見舞いに来てくれたの?』 慌ててアサヒはダイスケが手に持つクリアケースに目を遣ると
『ここ数日の、部員のタイム一覧表持って来ました。』 と答えつつ、ダイスケはナツを見た。
 
 
 
 『一緒に来ようと思ってナツんち行ったら、

  もう出掛けたってオバサンに言われて・・・ ここだったんだね。』
 
 
 
感情が読み切れない表情のダイスケがなんだか不気味で、ナツは俯いた。

ダイスケはクリアケースを掴む手をまっすぐ差し出すと、アサヒのその手首に先日まで
結ばれていたミサンガが無いことに気付く。
それは無意識のうちに、目線は水平にスライドしてアサヒの隣、不自然な間隔をあけて
立つナツの元へ走る。
 
 
 
 ナツの右手首に、それが2本。
 
 
 
じっとそのミサンガを見ていた。
やり場のない想いを握り潰すようなダイスケの拳は、力が入りすぎて指が白くなっていた。
 
 
 
 
 
病院からの帰り道。

ダイスケはアサヒとナツが寄り添う姿を見たはずなのに、なにも言わない。
まるで身の置き場ない延々と続くようなその道のりを、ナツもまた黙って歩いていた。
 
 
 
 『僕は・・・ 応援するから。』
 
 
 
突然ダイスケが静かに口を開いた。
その顔はまっすぐ向いたまま。

車道をせわしなく過ぎゆく車の走行音に、半ば吸収されて消えかかる。
 
 
『え?』 ナツが聞き返すと、再び呟いた。
 
 
 
 『僕は、ナツの味方だから・・・。』
 
 
 
ダイスケのその迷いない声色に、ナツが泣きそうな顔をして俯く。

そう簡単な問題ではないのだ。
相手は、アキで。 双子の姉妹の、アキで。
これが他人だったらどんなにいいだろうと、心の底から思っていた。
 
 
ナツが悲痛な面持ちで、息苦しそうにダイスケに目を向ける。
 
 
 
 『どうしたらいいか、分かんないの・・・。』
 
 
 
誰か答えを教えてほしい。
迷路から抜け出す道を示してほしい。

どうしたら、アキを泣かせずに済むのかを。
アキを泣かせたくない。 アキの哀しむ顔を見たくない。
 
 
ダイスケが立ち止まり、ナツに向き直りまっすぐ見つめる。
 
 
 
 『本音は・・・ 

  アキを泣かせたとしても、ほしいものなんでしょ?

  諦められないものなんでしょ? 

  それが・・・ ナツの本心でしょ・・・?』
 
 
 
右手首のミサンガをそっと胸に引き寄せて抱きしめるように包み込むと、今にも涙の
雫をこぼしそうにきつく口を結ぶナツ。
 
 
 
 『フジエダ先輩が、好きなんでしょ・・・?』
 
 
 
ダイスケのストレートな問いに、はじめてナツが誤魔化さずに返事をした。
 
 
 
 
 
  『うん・・・ 

   あたし・・・ 先輩のことが、好き・・・。』
 
 
 
 
しかし、すぐさまダイスケにすがるように呟く。
 
 
 
 『・・・でも、

  でも。 アキを泣かせちゃうよ・・・ 嫌われちゃう。

  どうしよう・・・ どうしたらいいの・・・?』
 
 
 
必死の形相でダイスケに掴みかかる。
ナツの冷たい手の感触が、ダイスケの二の腕に伝わる。 小刻みに震えたその小さい手。
 
 
 
 『こればっかりは、もう。仕方ないじゃん・・・ 理屈じゃないでしょ。』
 
 
 『だって・・・ あたしの半分なんだよ?

  アキはあたしの半分なんだもん。 

  泣かせたくないのなんか当然でしょ・・・。』
 
 
 
 
すると、ダイスケは至極冷静にポツリ呟いた。
 
 
 
 『それ、アキも同じように思ってんの・・・? ナツのこと。』
 
 
 
ぎゅっとダイスケの腕を掴んでいたナツの手から、一瞬力が抜ける。
 
 
 
 『今までだってずっと、ナツが我慢してきたこと。

  アキが気付いてないはずないじゃん・・・ 

  それでもアキはそのまま・・・ 甘えたままだったじゃん・・・。』
 
 
 
『いや、それは・・・ あたしが勝手にしてただけだし・・・。』 アキをかばおうと
ダイスケの言葉を否定しようと、必死なナツ。
小さく首を横に振って、それが間違いであるよう祈るように。願うように。
 
 
 
ダイスケが溜息を落とした。
そして、毅然として言った。
 
 
 
 『アキはアキ、ナツはナツでしょ。

  アキのこと言い訳にしてないで、ちゃんと向き合いなよ。』
 
 

■第55話 アサヒの変化

 
 
夕方になって、アキがアサヒの病院へ見舞った。
 
 
 
本来なら朝から晩まで面会時間の許す限り傍にいたいのだが、土曜はピアノのレッスンが
あった為そう出来ずにいたのだった。
 
 
ピアノ教室を後にすると、ウエストリボンのふんわりしたバルーンスカートをなびかせて
走りにくいローヒールパンプスで懸命に走るアキ。
高校に程近い病院までの道のりを、運動があまり得意ではないアキが必死に息を切らせる。
 
 
 
 1秒でも長くアサヒの傍にいたくて。

 一言でも多くアサヒと話したくて。
 
 
 
最近はアサヒの顔を見ると泣いてばかりな自分に、アキ自身嫌気がさしていた。

四六時中つきまとう不安。
ナツへの狂いそうなほどの嫉妬。
いつ紫陽花の秘密の場所にいたのが自分ではなくナツだと気付かれるか、怖くて仕方なかった。
 
 
でも、最初はナツへのひとめ惚れだったとしても、長い時間一緒にいるうちに
人の気持ちなんて変わるはずだと、アキは信じていた。
アサヒのことを信じていた。
 
 
 
 
  (今日は、ぜったい泣かない・・・

   いっぱい愉しい話して、笑わせなきゃ・・・。)
 
 
 
 
 
アサヒの病室入口で小さく声を掛ける。 『失礼しま~す・・・。』

しかし、今日はアサヒのベッド周りはカーテンを引いていて、いつもすぐ見える
はずの姿が見えない。
静かに中に進み、カーテンをそっとめくって少し遠慮がちに声を掛けた。
 
 
 
 『せんぱ~い・・・?』
 
 
 
すると、

テレビに目を向け片耳にイヤフォンをしたアサヒが、もう一方の耳に響いたその声色に
嬉しそうに慌てて体を起こした。
 
 
 
 『オノデラ・・・? 忘れ物っ?!』
 
 
 
そして、アキの姿を目にすると『オノデラさん・・・。』 途端にバツが悪そうに目を伏せた。
 
 
 
 
  (オノデラ、って・・・。)
 
 
 
 
アキが立ち尽くす。
みるみる表情が曇ってゆく。
力なく垂れた細い両手の拳が震え、差し入れにと並んで買った人気店のシュークリームが
入った紙袋がストンと床に落ちて、中身が傾げたような嫌な音を立てる。
その目には大粒の涙が溢れ、頬をつたってバルーンスカートに小さな水玉をつくった。
 
 
アキの様子に慌てて言い訳するアサヒ。
 
 
 
 『ごめん・・・ さっきまでオノデラとモチヅキが見舞いに来てくれててさ・・・。』
 
 
 
アキは足元のパンプスを見つめたまま泣き続ける。
急いで走ったために汚れてしまった、りぼんが付いたローヒールの爪先。
 
 
 
 『・・・・・・・・・・・ごめん・・・。』
 
 
 
アサヒが遣り切れない面持ちで目を伏せる。
居心地悪い時間が恐ろしくノロノロと1秒ずつ刻む。
 
 
 
 『オノデラさん・・・ ちょっと話あるんだけど。 ・・・いい?』
 
 
 
その思い詰めたような一言に、アキは瞬時に肩に力が入った。
朗報なはずがない、そのアサヒの声色。
 
 
 
  (聞きたくない 聞きたくない 聞きたくない・・・)
 
 
 
 
 
 
アサヒに促され、ひと気ない外来棟の待合席へ向かう。

入院病棟の夕飯の喧騒も届かないそこは、薄暗くて物音ひとつしなくて、
まるで異世界への入口のようにどこか恐怖すら感じる。
 
 
松葉杖のアサヒがゆっくりイスに腰を掛ける。
その隣に、ひとり分の妙な間隔をあけてアキも掛けた。

アサヒがどう切り出そうかと考えあぐね、手持無沙汰に膝の上に乗せた松葉杖を弄ぶ。
アキは首をもたげている。 長い髪の毛が垂れ、その泣きはらした横顔を隠す。
 
 
『オノデラさん、あのさ・・・。』 言い掛けた時、
 
 
 
 『好きです・・・ 大好きです。 私・・・フジエダ先輩のこと。

  ほんと、多分、今までの誰よりも・・・ 先輩が好きです・・・

  ずっと一緒にいましょうね・・・? ・・・ね??』
 
 
 
アサヒの言葉を遮り、まくし立てるように必死に早口で言うアキ。

涙で真っ赤な目元で訴えるようにアサヒを見つめる。
まっすぐ見つめられて、思わずアサヒが哀しげに目を逸らした。
 
 
すると、
 
 
 
アキが身を乗り出して目を逸らしたままのアサヒに抱き付き、キスをした。
 
 
 
小さく触れ合った、唇と唇。
しかしそのアサヒの唇は、哀しいほどにひんやり冷たくて・・・

そっとアサヒから離れたアキ。 恐る恐るアサヒの表情を伺った。
 
 
 
その顔はただただ哀しげで、自分への気持ちが薄れている事に気付くには
充分すぎるほどだった。
 
 

■第56話 ピアノ教室

 
 
小学校にあがってすぐ、アキとナツはピアノ教室に通いはじめた。
 
 
 
幼馴染みのダイスケも何故か行きたいと言い出し、3人仲良く同じお稽古バッグを手に
週に1回そのクラスへ向かった。
 
 
ピアノをはじめた当初から一番張り切っていたのはナツだった。

楽しくて楽しくて仕方ない風で、仔犬のようにコロコロと鍵盤の上をはしゃぐナツの指先を
アキは嬉しそうに見ていた。
じっとしている事が出来ずに駆け回るようなナツのメロディーを聴くことを、
アキが誰よりも楽しみ、そして喜んでいた。
 
 
なんでも要領よく器用にこなしてゆくナツと、要領は然程良くないが何事もじっくりと
進めるスロースターターのアキ。
子供ながらに双子でもこうも違うものかと、アキは感じていた。

まったく違うタイプのナツが、自慢だった。
ナツと一緒に通うピアノ教室が楽しくて仕方なかった。
 
 
 
 
ピアノの発表会が近付いたある日。

発表会と言っても大きな会場で行う訳ではなく、いつもの教室で家族を呼んで行う
ピアノ教室版参観日のようなものだった。
 
 
自宅リビングにあるピアノに向かい、発表曲を懸命に練習するアキ。
ナツはソファーに寝転がってテレビアニメを見ている。

いつも同じ所でつまづくアキが、ガックリとうな垂れ小さな背中を丸めているのが
目に入った。 ナツが駆け寄って、その箇所を弾いてみる。
 
 
 
 『ココは、こうやったらいいんじゃな~い?』
 
 
 
ナツの言うとおりに弾くも、どうも指がうまく追いつかない。
泣きべそをかきながら小さい手を広げ、鍵盤を叩くアキ。
 
 
 
 『出来ないよ・・・ どうしよう、もうすぐ発表会なのに・・・。』
 
 
 
アキがぽろぽろ泣き出した。
ナツが慌ててティッシュを取りに走り、アキの頬の雫をおさえる。
 
 
『アキ、一緒にやろう?』 ピアノ椅子にナツとアキふたりでぴったりくっ付いて座り
何度も何度も繰り返し、アキがつまづく箇所を練習した。
 
 
 
 『だいじょうぶだよ、アキ。 だいじょうぶ、だいじょうぶ・・・。』
 
 
 
ナツはにっこり笑って、アキの練習にいつまでも付き合った。
 
 

■第57話 ピアノ発表会

 
 
ピアノ発表会の当日。
 
 
 
小さなアキとナツは、お揃いのピンク色の花柄オーガンジードレスを着て
ふたり、眉上の一直線にそろえた前髪が可愛らしいおかっぱ頭。
ドレスに合わせた大きめのリボンがその頭の上に存在感を表している。

双子のセオリー通りのなにもかもお揃いスタイルで、正直、両親ですら
どちらがアキでどちらがナツか分からなかった。
それをふたり共、どこか愉しんでいるようだった。
 
 
発表会を行ういつもの教室に着くと、途端にアキがソワソワと落ち着きなく不安気な
表情をナツへ向ける。 すでに泣きべそをかいて、薄い唇はぎゅっとつぐみ尖らせて。
 
 
 
 『アキー・・・ だいじょうぶだよー・・・。』 
 
 
 
その場にしゃがみ込んで膝を抱えるアキに、ナツが同じようにしゃがみ顔を覗き込んで言う。

頭をふるふると横に振り、親指を隠すように小さな手を握りしめて拳をつくるアキは
『どうしよう。』と延々繰り返す。

アキの心細そうな表情に、ナツの小さな胸もチクチク痛みを伴った。
 
 
 
すると、ナツにある案が浮かんだ。
パッと見開き明るい目をアキに向けると、キラキラした表情で言う。
 
 
 
 『アキー・・・ 1等になりたいんだよね?』
 
 
 
足元のピンク色のキッズフォーマルシューズに目線を落としているアキが、顔を上げる。
そして再度俯くと、靴のバックルに付いた大きな花を指先で弾いてうな垂れた。
 
 
 
 『なりたいけど・・・ 無理だもん・・・。』
 
 
 
『無理じゃないよ!』 ナツが満面の笑みで、ニヤッと口角を上げた。
 
 
 
 『あたしが、ぜったい。 アキを1等にするからっ!』
 
 
 
 
 
発表会がはじまった。

ひとりまたひとりと、ピアノ椅子に緊張の面持ちでぎこちなく座り、懸命にメロディーを奏でる。
演奏の順番を待つ列には、アキ・ナツそしてダイスケの姿もあった。
 
 
アキは5番目、ナツは6番目、ダイスケはその次の7番目の演奏順だった。

ドアの手前で小さい肩を少し強張らせて並ぶ子供たち。
自分の番になればこのドアを開けてピアノ前に立ち、名前と曲名を元気に発表して
演奏をはじめるのだ。
 
 
アキの前、4番目の子供が演奏をはじめた。

子供用タキシードに蝶ネクタイのダイスケが、ソワソワと緊張しながらふと目を遣ると
次はアキなはずなのに、そこにはナツが立っている。
 
 
『・・・ナツ?』 小さく呼び掛けたダイスケを、『しっ!』 と口許に人差し指を
立てたピンクドレスのおかっぱ頭。
傍から見れば、それはアキに見えるのだろう。
しかし、ダイスケだけはどんなにふたりが同じ髪型で同じ服装でも、見分ける事が出来た。

そっと6番目に並ぶアキの顔を覗く。
その顔は、哀しそうに俯いているように見えた気がした。
ダイスケにはアキが、ナツの ”名案 ”に喜んでいるようには見えない気がしていた。
 
 
5番目のアキの番が来て、ピアノ演奏がはじまった。

いつものナツの、仔犬が駆け回るような跳ねる弾き方はしていない。
アキの大人しい基本に忠実なメロディーが教室を包み、それは大きな拍手で締め括られた。

それをドア前で聴いている本物のアキ。
大きな目からこぼれそうな涙を必死に我慢している小さな背中に、後ろからダイスケが
そっと手を当てた。
 
そして、小声で呟く。
 
 
 
 『だいじょうぶだよ。 みんな気付いてないよ・・・。』
 
 
 
 
 
発表会が終了し、両親とアキ・ナツ、そしてモチヅキ家も一緒にファミリーレストランへ向かった。
テーブルに着くと隣のナツがメニューを開いて、アキに見せる。
 
 
 
 『アキのお祝いだから、ハンバーグにする~?』
 
 
 
ニコニコと嬉しそうなナツ。 テーブル下の両足はご機嫌にブラブラと揺れている。

そのナツの首には ”3等賞 ”と書かれた手作りの首飾りが下がっている。
そしてアキの胸には、金色の ”1等賞 ”が揺れていた。

アキが目を伏せ、口を真一文字につぐみ何も喋らない理由が、その頃の幼いナツには
分からなかった。
 
 
 
ダイスケが、そんなふたりを黙って見ていた。
 
 
 

■第58話 編み紐の感触

 
 
アサヒの病院を後にしたアキが、表情を強張らせて自宅へ戻った。 
 
 
 
玄関を上がりリビングに進むと、ソファーにもたれかかってテレビを見ているナツの姿。
テレビの中のお笑い番組から流れる笑い声に、ケラケラと愉しそうなナツの笑い声がシンクロする。

『ぁ、おかえり~。』 一瞬アキに目をやって、またテレビに戻ったナツ。
そして、もう一度アキを見た。
 
 
 
 『なんかあった・・・?』
 
 
 
ナツがだらしなくソファーにもたれる体勢から、姿勢を正しアキの方へ向き直る。

アキの落ち込んでいるような元気がない顔は、すぐ分かる。
『だいじょうぶ。』 と小さく呟くその声色だって、大丈夫じゃない時のそれで。
 
 
ナツが立ち上がり、アキの傍へ駆け寄った。
華奢な肩に手を置き、アキの顔を覗き込むように再度声を掛ける。
 
 
 
 『・・・アキ・・・?』
 
 
 
すると、アキが口許に弱々しく笑みを作り、肩に置かれたナツの手をそっとほどいた。

その時、ナツの手首を掴んだアキの細い指先に編み紐の感触。
その手首を掴んだまま、それに目線を向けたアキ。
 
 
ナツの日焼けした右手首には、結わえられた2本のミサンガが・・・
 
 
 
 
  (1本じゃなかったっけ・・・?)
 
 
 
 
なぜかアキは、それから目を離せなかった。
つい最近まで1本だったのが、急に2本になった理由を考えていた。
 
 
 
”願い ”が1つから2つになった理由を。

”願い ”は、ひとり分から、叶えられない誰かもうひとりの分が増えた理由を・・・
 
 
 
 
 
  (先輩、の・・・・・・。)
 
 
 
 
自分の白く細い手首にそっと佇むブレスレットに目を落とした。

それは、アサヒからホワイトデーにプレゼントされたもので。
”彼女 ”のアキが貰った、眩いほどに輝いていたはずの、それ。
 
 
ナツは、”アサヒの ”ミサンガを身に着けている。
アキがなにか借りたいと頼んだ時には断られた、”アサヒの ”ものを。
 
 
 
 『ウチのクラス。 数学の宿題、すごい出されちゃったの・・・

  集中して終わらせたいから、しばらくひとりで部屋使っていい?』
 
 
 
心配そうに覗き込むナツに、アキが微笑みを作って言う。
 
 
『いいけど。』 コクリ頷くと、ナツはまだ不安気な目を向けていたが
『だいじょうぶだってば~』 とアキはナツの肩をトントンと優しく叩いた。
 
 
アキが踵を返し2階の部屋に駆け上がってゆく。

大きな音を立てて階段を駆け上がると、後ろ手にドアを乱暴に閉めた。
そして、その場にしゃがみ込んで泣き崩れた。
 
 
津波のように襲って来る不安。
焦燥感が喉元までつのり、息苦しささえ憶える。
胸にこみ上げる仄暗いものに、白い手首に巻くブレスレットでさえ光を失って見えた。
 
 
悲鳴のような泣き声が上がりそうな口許を両手で覆い、アキは泣きじゃくった。
 
 

■第59話 4人の帰り道

 
 
アサヒが無事、退院した。
 
 
 
松葉杖でヨロヨロと覚束ない感じで歩くアサヒは、勿論まだ走れはしないけれど
毎日部活に顔を出していた。
グラウンド脇に立って、部員の走る様子を眺め、アドバイスしたり褒めたり時には
注意したり、今自分が出来る最大限のことを部長として懸命に行っていた。
 
 
そんなアサヒの後方グラウンド出入口には、変わらずにアキの姿があった。
体の前で両手でカバンを持ち、部活が終わるまでの時間ずっと佇んでいた。

マネージャーのダイスケがいるベンチ付近に行こうと思えば行けなくもないのに
決してアキはそこへ近付こうとはしなかった。
意図的ではないものの、陸上部の ”見えない壁 ”があるように感じていたのだった。
 
 
ナツの右腕に2本ミサンガが結ばれている事に気付て以来、アキは今までにも増して
アサヒの傍を片時も離れたがらなくなっていた。

退院するまで毎日病院に通ったのは勿論のこと、学校でも長い休み時間にはアサヒの
教室へ顔を出し、自分に何か出来ることがないか訊いた。
その度、アサヒはどこか困ったような顔で笑い『大丈夫だよ。』 と繰り返した。
始業のチャイムが鳴り響きアキが自分の教室に帰って行く後ろ姿を、アサヒは
哀しげな表情で見つめていた。

深い溜息が、無意識のうちに零れ落ちた。
 
 
アキがどこか元気がないのを誰よりも早く気付いて、そして心苦しく思っているのはナツだった。

必死にいつものやわらかい微笑みを作ってはいるが、どこか無理があるそれにナツが
気付かない訳はない。
 
 
 
 
  (あたしのせいかもしれない・・・。)
 
 
 
 
ナツの心の奥底にある後ろめたい想いが、アキを苦しめているのかもしれない。
アサヒがアキになにか言ったのかどうかは分からない。

でも、最近のアサヒと自分の ”距離 ”を考えると、それはアキを哀しませるには充分だった。
 
 
 
 
  (アキに、先輩のことが好きだって気付かれてたらどうしよう・・・。)
 
 
 
 
ナツも平静を装ってはいるが、その胸は色んな想いに張り裂けそうに痛んだ。
そんなナツを、ダイスケが途方に暮れたような目で見つめていた。
 
 
 
 
 
とある部活終わり。

いつもアサヒとアキ、ふたりで帰る夕暮れの帰り道。
アキがアサヒのカバンを持ち、松葉杖のスピードに合わせて進むいつもの帰り道なはずが
突然アキが振り返って言った。
 
 
 
 『たまには、みんなで一緒に帰ろうよ!』
 
 
 
それはナツとダイスケに向けた言葉だった。

面食らう一同。
4人の間に流れた微妙な空気に、アサヒもナツも、そしてダイスケもみな一様に言葉を失った。

なにも言えず固まるナツを横目で見て、ダイスケがすかさず口を開く。
 
 
 
 『そんな、いいよ・・・ ふたりで帰りなよ。』
 
 
 
しかし、そんな声も聞かずにアキはまっすぐナツを見て言う。
 
 
 
 『ナツ、いいよね? みんなで帰りたいよね?』
 
 
 
畳み掛けるようなその言葉と射るような視線に、ナツが目を伏せる。

一瞬アサヒに目線を向けると、哀しそうな顔をしているのが目に入る。
慌てて目を逸らし、ぎゅっと目をつぶったナツ。
 
 
 
 『俺、松葉杖だから歩くの遅いからさ・・・

  ふたりに迷惑かかるから、いいよ、マジで・・・。』
 
 
 
アサヒがなんとかアキの案を回避しようとするが、アキは頑としてそれを受け入れない。

その場の重苦しい空気に、アキ以外の3人は居心地の悪さを感じ俯いていた。
アキだけが感情が読み取れない表情をしていた。
 
 
アサヒの歩くスピードに合わせて、アキがその隣を歩く。
アサヒのカバンを持ち、腕を支え、時にはその背中をそっと手で支えて。
アサヒに密着したその姿は、まるで見せつけるかのようで。

そんなふたりの後方を、重い足取りで歩くナツとダイスケ。
 
 
ナツはずっと下を向いて歩き、極力アサヒ達の姿が視界に入らないようにしている。
隣りを歩くダイスケがそっとナツの腕を取り、自分の後方へ促した。
すると背の高いダイスケに妨げられ、目に入るのは痩せたその背中だけになった。
 
 
アキがこんな事を言い出した理由を思ってナツの胸は痛んだ。
本来、こんな意地悪みたいなことをするアキではないのだ。

それだけ追い詰められている。
追い詰めている。
自分が。
自分の中途半端な想いが。
 
 
諦めなきゃいけない。
アサヒへの想いは諦めなきゃ・・・
諦められる・・・
諦められる・・・のか・・・?
 
 
その時、アサヒが小さく後ろを振り返った。

その目は罪悪感に苛まれ、まるで泣き出しそうな幼い子供のようだった。
ダイスケに阻まれナツの姿は確認できない代わりに、嫌悪感剥き出しの視線がアサヒを
射抜いていた。
ダイスケが、アサヒを冷酷な目で睨んでいた。
 
 
後方を気にして振り返るアサヒを見つめるアキは、ぎゅっと口をつぐみ今にも零れそうな
涙を寸でのところで堪え、アサヒの腕にぎゅっとしがみついた。
 
 
 
この腕が誰にも取られないよう、何処にも行かないよう、必死にしがみついていた。
 
 

■第60話 音楽室で

 
 
その日は雨が降ったため、陸上部は校内トレーニングをしていた。
 
 
 
あの日以来、アサヒを極力避け必要最低限しか接しないようにしていたナツ。

今までは校内を走る時には大抵アサヒの後方を走ったり、一緒に階段ダッシュをしたり
していたのだが、もうそんな事はしてはいけないと自分で自分に言い聞かせていた。

当のアサヒも松葉杖のため走り込みはまだ出来ない。
リハビリも兼ねて廊下を歩き、部員が走る様子を監督していた。
 
 
ナツは敢えて2階廊下を走っていた。

1階廊下だとアサヒと顔を合わせてしまう。
2階までは松葉杖で上がって来ないだろうという予測の下、音楽室がある西棟の廊下を
ひとりナツは必死に腕をふり脚を上げて走っていた。
頭の中の邪念を振り払うかのように、無我夢中で廊下を駆け抜けていた。
 
 
いつもは吹奏楽部が使っている音楽室の前に差し掛かる。
今日は別の場所で全体練習をしているようで、そこは静まり返っていてナツの走る
靴底のゴムが擦れる足音しか響いていない。
 
 
開け放った音楽室ドアの前で足が止まった。

真っ先に目に入ったピアノに、目を細めるナツ。
子供の頃アキと一緒にピアノ教室に通っていて、なにより好きだったピアノ。
辞めてからは自宅リビングにあるピアノも、一切手を触れなくなっていた。 
『つまらない』 という理由で辞めた自分は、もうピアノを弾いてはいけない気がしていた。
 
 
誰もいない音楽室に、グランドピアノがひっそりと。
思わず廊下をキョロキョロと見渡し、自分しかいないことを確認してそこに足を踏み入れた。

静かに椅子に座り鍵盤蓋を開けると、ひとつ小さく深呼吸をした。
ゆっくり指先を下ろしてゆく。
鍵盤のひんやりした硬い感触。大好きだったこの感覚。

思わず自然と頬は緩んだ。
長い間弾いていない指先はきちんと動くか心配だったが、上手に弾こうなんて当時から
思ってはいなかったナツ。
ただ楽しくて楽しくて仕方なくて、指の動きを止めたくなくて、落ち着きなく流れるその曲調は
性格がよく表れていると当時から言われていた。
 
 
小さく鍵盤を押し下げた。
自分の指が鳴らす、耳に懐かしいその躊躇いがちな音。

もう一度、叩いた。
澄んだ小気味よい音が体中を駆け巡る。
 
 
すると、ナツは水を得た魚のように弾き始めた。

その日焼けした指先は、仔犬のようにコロコロと鍵盤の上をはしゃぎ、じっとしている事が
出来ず駆け回るようにメロディーが溢れる。
ブランクがあるため思うようには弾けないものの、ナツの心を満たすには充分だった。
 
 
時間も忘れてナツはピアノを弾いていた。
楽しくて楽しくて、指先を止めることなど出来なかった。
なにもかも忘れてピアノだけに没頭できるこの時間を、心から愛しく思っていた。
 
 
その時、
 
 
 
 『すごいじゃーん。』
 
 
 
音楽室の戸口から声が聴こえ、ナツが慌てて指を止める。

そこに立っていたのは松葉杖で足をかばい立つ、アサヒの姿。
いつもの陽だまりみたいな顔を向け、笑っている。
 
 
『先輩・・・。』 ナツがバツが悪そうに目を伏せた。
アサヒに会ってしまった事、練習をサボって音楽室にいる事。気まずくて俯く理由は
色々あった。
 
 
アサヒがゆっくり足を進め、近付いてくる。
そして、ナツが座るピアノ椅子隅にちょこんと腰掛けた。

『習ってたんだっけか?』 アサヒがナツに微笑みかける。いつもの耳にやさしい低い声色。
ナツはまっすぐ鍵盤に目を落としたまま、少しだけ口許を緩めた。
 
 
 
 『・・・子供のころに。

  すっごい好きだったんです、ピアノ・・・。』
 
 
 
その一言に、一瞬アサヒがなにかを思い出すように動きを止めた。
 
 
 
 
  (あれ・・・?

   つまんないから辞めたって聞いたような気がする・・・。)
 
 
 
 
なんとなく感じたふたりの間の微妙な空気に、アサヒが慌てて口を開いた。
 
 
 
 『俺、1曲だけ弾けんのあんだよねー。』
 
 
 
『え? もしかして・・・ド定番の??』 ナツが顔を上げてやっと笑顔を見せる。
 
 
椅子の角にちょこんと腰掛けていた体勢からきちんと椅子に座り直し、ナツと並んで
ピアノに向かうアサヒ。

『ド定番ゆうな! ネコは歴としたピアノ曲だ!!』 そう言うと、アサヒは右手の
人差し指1本でたどたどしく鍵盤を叩きはじめた。
 
 
『弾ける』という割りにはメロディーはガタガタで、ふんじゃうどころか
猫がまだ登場すらしていない感じに、ふたり、大笑いした。
 
 
ナツがアサヒをサポートして連弾する。

左側に座るナツが左手で、右側に座るアサヒは右手の人差し指で。
互いの二の腕が触れ合うほど近い、ふたりの距離。
ふたり、こぼれんばかりの笑顔で鍵盤に指を落としていた。

ボロボロのメロディーよりも愉しそうな笑い声のほうが大きく音楽室中に木霊した。
 
 
 
アサヒがそっとナツを見つめる。
 
 
 
 ナツの愉しそうに笑う顔。

 ナツの愉しそうに笑う声。
 
 
 
どきどきしていた。

ずっとこうしていられたらと思った。
ナツを心の底から愛おしく感じていた。
 
 
 
 
 
アサヒが、ぽつり呟く。
 
 
 
 『最近、避けてね? 俺のこと・・・。』
 
 
 
ナツの手が止まった。

笑顔が一気に哀しげな顔になり、うな垂れる。
アサヒもピアノから手を離し、太ももの上に所在無げに置いた。
今までの笑い声が嘘だったかのように、静寂に包まれる音楽室。
 
 
ピアノの下で、アサヒの左手とナツの右手が微かに触れ合った。

思わず、アサヒがその手をぎゅっと握る。
驚いて一瞬ビクっと小さく跳ね上がり、しかし、その小さな日焼けした手はアサヒの
大きな手をにぎり返す。
 
 
 
 『アキが・・・元気ないんです・・・

  あたしのせいだ。

  あたしが・・・
 
 
  だから、

  だから先輩とは必要以上に近付いちゃいけないのに、あたし・・・。』
 
 
 
顔を上げアサヒを見つめるナツの目には溢れそうな涙が。

しかし必死にこぼれ落ちるのを堪えると、にぎっていた手を離して音楽室から走って
行ってしまった。
 
 
 
音楽室にひとり、アサヒはピアノ椅子に浅く腰掛けたまま。

その大きな背中は心細げに丸まり、持ち上がることを知らないかのよに首をもたげていた。
力が入り指先が白くなった拳で、思いっきり鍵盤を叩きつける。

悲鳴のような哀しい複数音が静まり返った音楽室に響き渡った。
 
 

■第61話 ダイスケの言葉

 
 
それは、その日の部活がはじまる直前のことだった。

ゆっくりと後方から近付いたダイスケが、アサヒに声を掛ける。
 
 
 
 『部長。 今日の帰り、ちょっと時間つくってもらえませんか?』
 
 
 
そう言うダイスケの目の奥は睨むように鋭く、一瞬アサヒは身が竦む思いがしたが
小さく笑顔を作って頷いた。
丁寧に小さく頭を下げると、部室を出てグラウンドへ向かってゆくダイスケの痩せた背中を
アサヒは黙って見ていた。
 
 
ダイスケの言いたいことは大体分かっていた。
アサヒ自身、なんとかしたい、なんとかしなければならない問題だと誰よりも
思っている事なのだから。

モヤモヤとしたものを拭いきれず、終始その日の部活はどこか上の空だった。
 
 
 
部活終わり、アキに事情を説明するも、なにか勘付いているのか中々首を縦に振らない。

『私がいちゃ出来ない話なの?』 と執拗に詰め寄るも、冷静なダイスケにぴしゃりと
説き伏せられ、不満顔を向けアキは渋々ひとりで帰って行った。
 
 
もうひと気も少ない体育館にアサヒとダイスケ、ふたり。
 
 
磨き上げられた床にバレーボールコートの白線や、バスケのシュートの黄ラインが浮かぶ。
壁に背をもたれて立つと、それはひんやりとジャージ越しでも冷たさが伝わる。

暫く黙っていたダイスケ。まっすぐ前を見すがめている。
アサヒとふたりになった途端、その横顔は怒りを露わにしているのが一目瞭然だ。
言いたいことは山ほどあるが、何から話していいものか考えあぐねていたダイスケ。
 
 
 
 『モチヅキの言いたいことは分かってる・・・。』
 
 
 
アサヒが先に切り出した。

松葉杖の、まだ歩行すらままならない足元に目を落としたままで。
杖の先で体育館床を無意識に擦った。
 
 
『・・・分かってたらなんで今こうなってるんですか。』 ダイスケが低く呟いた。
 
 
 
 『どうするつもりなんですか?

  ナツも、アキも・・・ 今、ふたり共、あんなツラい状況で・・・

  その状況を作ってるのは部長じゃないですか!』
 
 
 
『・・・分かってる。』 絞り出すように一言呟いたアサヒに、ダイスケが畳み掛ける。
 
 
 
 『分かってるって、なにが・・・
 
 
  あいつが・・・ナツが、ピアノ辞めた理由とかわかりますか?

  ちゃんと真剣に勉強しない理由わかりますか?
 
 
  本気でおばけは怖がるし、辛いカレーは全然ダメだし・・・

  でも自分が苦手だって言うとまわりが気を遣うから、ナツは絶対言わないんです。

  ナツは、そうゆう奴なんです。
 
 
  先輩が入院した時だって、絶対しんみりしないように笑わせようって率先して・・・
 
 
  自分を押し殺すんです。 我慢するんです。

  特にアキに対しては・・・

  まわりが見ててツラくなるくらい、アキを優先するんです。』
 
 
 
ダイスケがアサヒを睨みながら、息荒くまくし立てる。
いつも冷静で落ち着き払ったダイスケのこんな顔を見るのは初めてだった。
 
 
 
 『でも、僕。 こないだ・・・

  アキを泣かせても諦めたくないものはないのか訊いたんです。

  そしたら、ナツ・・・

  ・・・すっごい哀しそうな、泣きそうな顔、してた・・・
 
 
  どうせ、あのふたりの区別もつかないくせに・・・

  ナツのこと、ちゃんと見せあげられないくせに・・・
 
 
  ナツを、これ以上哀しませないで下さい!

  アイツ、絶対、人前では泣かないんです。 無理して笑うんです。

  泣きそうな顔すら滅多に見せない・・・
 
 
  泣くときは必ずひとりで、どっか秘密の場所に行って、一人ぼっちで泣くんです。

  僕にも、僕にすら・・・ その場所は・・・教えてくれない・・・。』
 
 
 
 
俯いてダイスケの言葉を受け止めていたアサヒが、瞬時に顔を上げた。
 
 
 
 
 
       (秘密の場所・・・?)
 
 
 
 
 
アサヒの頭の中を、色々な想いが駆け巡る。

途中からアキに感じていた言葉では明確に言い表せない違和感。
記憶の糸を手繰りあの雨の日を思い起こす。
 
 
 
 
  あれは・・・ 我慢しきれず溢れた、大粒の涙・・・?

  満開の紫陽花を見つめる、横顔

  愛おしそうにカタツムリの殻をつついた、微笑み
 
 
 
 
 
  (・・・アイツ・・・だった、のか・・・?)
 
 
 
 
 
腕から力が抜け、アサヒの手から松葉杖がスルリ床に落ちた。
アルミ合金が床にぶつかった耳障りな音が、体育館に木霊する。

そのまま壁に背をつけズリズリとしゃがみ込むと、背を丸めて両腕で頭を抱え込んだアサヒ。
 
 
その顔は苦しげに歪み、行き場のない遣り切れなさに握り締めた拳は体育館の床を
思い切り叩きつけジリジリと赤くなっていた。
 
 

■第62話 別れ

 
 
 『こんな時間にゴメン・・・

  でも、今すぐ話したいことがあるから、出てきてくれないか?』
 
 
 
ダイスケと別れた後、アサヒはすぐアキに電話をしていた。

中々繋がらなかった電話。
電話向こうの息遣いや間に、アキが警戒している事は手に取るように分かる。
アサヒの言葉にも、なんとか理由をつけてかわそうと必死なアキ。
 
 
しかし、アサヒはこの時ばかりは折れなかった。

冷静にいつものやさしく低い声色で、『あじさい寺で何時間でも待つから。』
と言い、電話は切れた。
 
 
 
アキが落ち着きなく目を潤ませながら、切れたケータイを見つめていた。
小さく震える指先は、白く冷たい。
アサヒがこれから言うであろう話を受け止められる自信が無かった。

行きたくない。
あじさい寺になんか行きたくない。
秘密の場所なんか知らない。行けない。
 
 
混乱しオロオロしているうちに電話を切ってから1時間経っていた。

いまだ冷たい手で掴んだままのケータイ。
悪夢であってくれればと思わず震える指先で着信履歴を確認するも、残酷にもそこには
アサヒの名前がハッキリと映し出される。

真面目なアサヒのことだから、アキが行くまで本当に待つつもりだろう。
もう窓の外はすっかり暗くなり、住宅街の常夜灯の灯りが藍空に煌々と眩しい。
 
 
悩み苦しんでいる間に、開け放した窓から微かに雨粒がアスファルトに小さく落ちる音が
静かに響きはじめていた。

急な雨に傘など持っていないはず。
小雨の中、ひとり雨に濡れながら佇むアサヒを思い胸が痛んだ。
 
 
アキが傘を差して玄関を飛び出していった。

自宅から程近くの、あじさい寺。
もう辺りは暗くて、寺に行く人などいやしない。
小雨が静かに降りしきる夜道を、アキは泣きそうになりながら駆けていた。

雨の跳ね返りも顧みず必死に駆けたそのあじさい寺の正門前に、アサヒの姿があった。
髪や肩がしっとり濡れ、まっすぐ前を向いて佇んでいる。
 
 
『遅くにごめんな・・・。』 アキの姿を見付けるなり、謝った。
 
 
アキの目から我慢しきれず涙が落ちる。

ハンカチでアサヒを濡らす雨の粒をぬぐう。
『風邪、ひいちゃうじゃないですか・・・。』 アサヒにだけ傘をさしかけて、
その頬を、肩を、充分すぎるほど冷え切った白く細い手に掴むハンカチでやさしく押さえる。
 
 
すると、その白い手をアサヒが掴んだ。
ビクっとアキの体は跳ねあがり、まるで恐怖でも感じている様に怯えた目を向ける。
 
 
 
 『オノデラさん・・・ 俺・・・』
 
 
 
言い掛けたアサヒを、アキが遮る。
 
 
 
 『私・・・ 先輩が好きです。 大好きなんです。

  悪いところがあったら直します!

  最近、なんかほんと・・・ 私、泣いてばっかりで・・・

  先輩を困らせてばかりだったって、分かってます。
 
   
  だから!

  だから・・・
 
 
  もう・・・ わがままとか、

  ・・・言わない、から・・・・・。』
 
 
 
掴みかかるようにアキが懇願するも、アサヒが哀しげに目を逸らす。
アキの手からは傘の柄が離れ、石畳に忘れられたようにそれは転がる。
 
 
 
 『私・・・ 別にいいです。

  ひとめ惚れの相手は私じゃなくても・・・

  一緒にいれば、この先、

  私のこと好きになってくれるかもしれないでしょ・・・?

  可能性はゼロじゃないですよね・・・?
 
 
  私・・・ ちゃんと、いっぱい笑うから・・・
 
 
  ・・・ッ みたいに・・・

  ナツ、みたい、に・・・ いっぱい笑う、から・・・。』
 
 
 
ぽろぽろ涙が落ちる。

アサヒが静かに、しかし、しっかり首を横に振った。
その瞬間、アサヒの腕を掴んでいたアキの手から力が抜けてダラリと垂れた。
 
 
 
 『ごめんなさい・・・

  私・・・ 気付いてました・・・
 
 
  最初に、一番最初にデートした時・・・

  先輩にあじさい寺の話されたときに、すぐ、私じゃないの気付いてました・・・
 
 
  私じゃなくて、ナツのことだって・・・

  先輩が好きなのは・・・ ナツだって・・・
 
 
  でも・・・ 私、言えなかった・・・

  先輩のことが好きだから、怖くて言えなかった・・・
 
   
  ごめんなさい・・・。』
 
 
 
両手で顔を覆ってアキが泣きじゃくる。

その姿に、アサヒの胸が引き裂かれそうに痛む。
まるで溺れているように苦しくて息が出来ない。
 
 
自分の勝手な思い込みで、こんなにもアキもナツも傷つけた。泣かせた。
なんて言葉で謝ったらいいのか分からない。
 
 
 
 
 『・・・ごめん・・・。』
 
 
アキの顔を見返せないほど、アサヒはうな垂れ首をもたげていた。
やっと絞り出した一言は、かすれしわがれ、涙雨に容易にかき消された。
 
 

■第63話 ナツの涙

 
 
こんな時間に飛び出していったアキを心配していたナツ。
戻ってきたその姿は雨に濡れて震えている。
 
 
 
ナツがバスタオルで慌ててアキを包み込み、心配そうに顔を覗き込んだ。

その顔は泣きはらして目元が真っ赤になっている。 嫌な予感に、ナツが息を呑む。
なにも言わずナツの手を払いのけようとしたアキの指先に、ミサンガの感触があった。
 
 
アキがナツの右手首を掴み、ゆっくり目の高さに上げる。
雨に濡れただけではなさそうな、そのアキの指先の凍るような冷たさに身が竦むナツ。
アキは、それを仄暗い目でじっと見つめた。
 
 
ナツが、息を殺しかたまる。
なにも言えず、ただ黙ってきまり悪そうに目を逸らした。
 
 
 
 『これ・・・ どうしたの・・・?』
 
 
 
アキが低く唸るように呟く。
その、声色。
きっとアキは分かっていて訊いている。

嘘を言って誤魔化すことが出来る状況でない事は瞬時に分かった。 
 
 
 
 『・・・・・・・・・・ごめん。』
 
 
 
そのナツの消え入るような一言に、アキが激昂した。 『ごめんって何?!』
ナツの手首に巻かれたミサンガを引きちぎらんばかりに、強く引っ張るアキ。
 
 
『やめて!アキ・・・お願い・・・』 ナツが泣きそうな顔で手首をかばう。
アキの細い指のどこからそんな力が出ているのかと思うくらい、強い力で引っ張られ
ナツがよろけた。
 
 
 
 『やめて!! ・・・お願い、これだけは・・・アキ・・・。』
 
 
 
 
  (やめて・・・

   アサヒ先輩との約束が・・・

   約束・・・ 守れなくなっちゃう・・・)
 
 
 
ナツの脳裏に、アサヒの顔が浮かぶ。

入学式の朝、ダッシュして笑ったあの陽だまりのような笑顔。
ふたりで階段ダッシュして、笑いながら垂直チョップした大きな手。
修学旅行土産をねだったナツの両ほっぺをつねって引っ張った指先。
合宿の夜、体育座りをするナツを包んだ大きめのジャージの上着。
ナツの手首にミサンガを結びグータッチした、その拳。
ピアノの下でつなぎ合った手と手。
 
 
 
全部、全部、諦めることなんか出来なかった。
なかったことになんか出来なかった。
 
 
 
 アキを、泣かせたとしても・・・

 アキを、哀しませたとしても・・・
 
 
 
俯いていたナツが顔を上げた。
そのナツの頬には涙が幾筋も伝っていた。

一瞬ひるむアキ。
ナツの泣き顔なんて子供のころ以来見ていなかったのだから。
 
 
 
 『ごめん、アキ・・・

  今回だけは、あたし・・・ 無理かもしれない・・・。』
 
 
 
その言葉に、アキが顔を真っ赤にして掴んだナツの手首を振り払った。
その顔は怒りや悲しみで、みるみる歪んでゆく。
 
 
 
 『今回ってなによ・・・

  今回って・・・
 
 
  頼んでないじゃない!!

  ねぇ、私がいつ頼んだ??
 
 
  正々堂々としてよ!

  一番みじめなのは私だって・・・ いい加減気付いてよ!!』
 
 
 
アキの頬にも涙がとめどなく流れる。

ナツが呆然と立ち尽くす。
耳に聴こえたその言葉に、頬には尽きない井戸のように雫が滴る。
 
 
 
 『小学生のときの、ピアノ発表会・・・

  私の代わりに1等とったの、あれ、私が手を叩いて喜んだと思ったの??
 
 
  私を引き立たせる為にピアノも辞めて、習い事も全部やめて・・・

  私から勝手に離れてっちゃうのは、いつもナツじゃない!!
 
 
  私は・・・ ナツみたいに器用になんでもすぐ出来ないけど、

  でも・・・

  それを、卑屈に思ったことなんか一度も無い!

  私のこと、一番蔑んでるのはナツじゃない!!』
 
 
 
アキの叫びを否定するように、何度も何度も首を横に振るナツ。
顔をクシャクシャにして泣くナツの顔を見ると、アキも同じように泣きじゃくった。
 
 
 
 『私は・・・

  ナツと一緒に、ふたりで習い事できることが、嬉しかったのに・・・

  ナツと、いっつも、一緒が良かったのに・・・

  たったふたりの姉妹なのに・・・

  ナツはすぐ、離れていっちゃう・・・
 
 
  先輩のことだって・・・ 話してほしかった・・・

  私が先に言い出したから、言えなくなったのは分かってる。

  でも・・・ 

  でも、私は・・・ 私はナツからちゃんと聞きたかった・・・
 
 
  私はいつもナツになんでも話すけど、ナツは私に何も言ってくれない。

  ナツは、私に気を使ってばっかで、一番遠い・・・
 
 
  他人より・・・ 遠いじゃない!!!』
 
 
 
泣き崩れるアキの横で、魂が抜けたように立ち尽くすナツ。
アキの長年積み重なった思いは、ナツを容赦なく打ちのめした。
 
 
その夜はそれきりふたり、一言も口をきくことなく過ぎていった。
生まれてはじめて、ケンカをした。
 
 

■第64話 真実

 
 
翌朝、アキの様子にすぐ気付いたダイスケ。
 
 
 
『・・・どうしたの?』 目元を真っ赤に腫らし俯くアキを、ダイスケが覗き込んだ。
口を真一文字につぐみ何も喋らないアキ。

こんなアキは、長い付き合いだが見たことがなかった。
 
 
 
 
  (ナツは大丈夫なのかな・・・。)
 
 
 
 
瞬時にナツの事が頭に浮かんだが、アキには訊くことは出来ない。
家はもう出たようだから、学校に着いたら真っ先に様子を伺おうと思っていた。
 
 
2年に進級してクラスが別れたダイスケとナツ。

ダイスケは学校に着くとまっすぐナツの2-Aの教室へ向かい、そこにいるはずの
ナツの姿を探した。
しかし、ナツの机はもぬけの殻で、机横のフックにもカバンは掛かっていない。
 
 
慌てて廊下を駆けるダイスケ。

校内の思い付く所を探し廻った。
陸上部の部室に駆け込もうと扉に手を掛けると、鍵が開いている事に気が付いた。
誰か中にいるようだ。

『ナツ!!』 勢いよく扉を開けてその名を叫ぶと、そこにはアサヒの姿。
突然のダイスケの叫び声に驚いている。

『ナツ・・・見ませんでしたか?』 ダイスケのその声色と必死の形相に、アサヒが
只事ではないことを察し、事情を訊いた。
 
 
 
 『なんか・・・ アキとケンカしたみたで・・・

  今朝、先に家は出たみたいなんですけど、学校にいなくて・・・

  多分、ナツ・・・ 泣いてるんだと思うんです、またひとりで・・・。』
 
 
 
 
その時、アサヒに ”あの場所 ”が思い浮かんだ。
 
 
 
松葉杖で立ち上がり、まだ覚束ない足取りで廊下を必死に駆けるアサヒ。

その足は靴箱へ向かい、そして昇降口の段差を駆け下りて、まっすぐその場所へ向かう。
汗だくになりながら、初夏の照り付ける日差しの下、アサヒは出来る限りのスピードで駆けた。
松葉杖を突いて走ることの不甲斐なさに、それを放って駆け出したい気持ちをぐっと堪え
杖を懸命に先へ先へと送る。
 
 
 
やって来たのは、あじさい寺。

丁度、見頃の季節となったそこには、若緑が生い茂る石畳の小径脇に溢れるほど
紫陽花の花が咲いている。
石畳の小径を横切り大振りの葉を広げるムクロジの木々をくぐり抜け、その場所へ向かった。
まるで迷路のようなその径の先。
 
 
アサヒのお気に入りの場所。
そして、ナツがひとりぼっちで泣く秘密の場所。
 
 
紫陽花が咲き誇るその場所で、ナツはひとり、小さな体を更に小さく小さく縮めて
流れる涙を隠しもせずに、泣いていた。
すすり泣く声が小さく哀しく響く。

なにかが擦ってこちらに向かって来る音を感じ、大粒の涙をこぼすナツがそちらを見た。
すると、ムクロジの大葉をかき分けて現れたのはアサヒだった。
 
 
びっくりして声も出ないナツ。
この場所を知っていることも、アサヒがここに来たことも、なにもかも、驚き過ぎて声も出ない。
 
 
 
 『ごめん・・・。』
 
 
 
アサヒがそう呟いた。
 
 
ナツが立ち上がり『ぇ・・・?』 アサヒの顔を見た途端に涙が止まる。
条件反射のように人前では涙が流れないようになってしまっている。
 
 
すると、『ごめんな・・・。』 そう言って、アサヒが駆け寄りナツを抱きしめた。
何度も何度も『ごめん』と繰り返している。
 
 
アサヒに急に抱きしめられ、ナツは一瞬強張って固まり、そして慌ててその腕から
離れようと必死にもがいた。

しかし、アサヒは更に強く抱きしめ、ナツを離そうとはしない。
 
 
ナツの、アサヒから離れようとする力がどんどん弱まっていく。
その代わり、その小さな体は震えはじめた。
 
 
 
 『どうしよう・・・

  先輩・・・ どうしよう・・・
 
 
  アキを、気付かないうちにいっぱい・・・ 

  いっぱい、傷つけてたんです、あたし・・・

  今まで・・・ ずっと今まで、あたしが。

  アキをいっぱい傷つけてた・・・
 
 
  それに・・・

  アキが、先輩のこと好きなのに・・・

  それ、あたし・・・分かってたのに・・・
 
 
  どうしても、どうしても・・・

  あたし・・・ 諦められない・・・

  ・・・先輩が、好きなんです・・・。』
 
 
 
次から次へとナツの大きな瞳から涙がこぼれた。
包み込むように抱きすくめるアサヒの体もまた小さく震えていた。

そして、やっと絞り出すように呟いたアサヒの言葉もまた涙声のようにかすれた。
 
 
 
 
 『俺も・・・ お前が、好きだ。』
 
 
 
 
ダラリと力無く垂れ下がっていた腕を、アサヒの背中にまわし抱き付いたナツ。
アサヒもまた、キツく抱きしめ返す。
 
 
ナツが声をあげて泣いた。
それはまるで何年も我慢してきたのが決壊したかのような、幼子のような泣き声だった。
 
 

■第65話 アキの気持ち

 
 
放課後、2-Bのクラス出入口にダイスケの姿があった。
 
 
 
心配したダイスケは、部活を休んでアキのクラスに来ていた。

戸口に手を掛け少し遠慮がちに室内を覗き込み、アキの姿を探す。
すると、アキはクラスメイトとなにやら話しながらやわらかい笑顔を向けている。
しかしそれは心からの笑顔ではないことぐらい、ダイスケには分かっていた。

『アキ。』 軽く手を上げてその名を呼び掛けると、そっと顔を上げたアキは
まるでダイスケがやって来るのを分かっていたかのように、やさしく微笑んだ。
 
 
 
ふたり、家路へ向かう。

ダイスケは部活へ行かずに、アキはアサヒを待たずに。
まだ陽も高い時間に帰るのなんて、互いに久しぶりだった。
 
 
 
 『アキ・・・ なにがあったの?』
 
 
 
ダイスケがどこか遠慮がちに話し始める。
アキの顔を横目で盗み見るそれは、心配で仕方ない感じで。
 
 
すると、アキが肩をすくめてクスっと笑った。
目を細めて眩しそうに。悲しそうで寂しそうで、でもどこかスッキリした面持ちで。
 
 
 
 『ナツとねー・・・ ケンカしちゃった。

  17年間で、はじめて。 生まれて、はじめて・・・。』
 
 
 
『そっか・・・。』 ダイスケの声が小さく足元に落ちる。
予想していた通りの展開に、それを回避する手助けが出来なかった自分を不甲斐なく思う。
 
 
 
 『ナツがね、今までいーっぱい私のために我慢してくれてたの、

  私、知ってたの・・・
 
 
  最初は・・・ 子供の頃は、

  その意味もあんまり分かんなくて、ただ不思議に思ってたんだけど。
 
 
  でもね。 だんだん、ほら・・・ 気付くじゃない?

  わざと手加減したりされてるのって・・・』
 
 
 
『ん・・・。』 ダイスケは俯いたまま。
 
 
 
 『でもさー・・・

  ナツは・・・ ナツには、悪気がまったく無いでしょ・・・

  ”アキのために、アキのために ”、って
 
 
  ナツってそうゆう子でしょ・・・』
 
 
 
アキが目を細め、何処を見るでもなく遠くを見つめている。
その顔は、あまりにやさしくて、あまりに哀しい。
 
 
 
 『言えないよねぇー・・・ こっちも
 
 
  ナツが今まで一生懸命私のためって思ってしてくれてることが

  私にとっては一番ツラい、なんて・・・ 言えないよぉ。』
 
 
 
大きく瞬きをひとつしたその瞳から、大粒の涙がこぼれた。
所々つまらせながら懸命に言葉を紡ぐアキの、ナツを想う気持ちが刺さるように痛い。
 
 
 
 『だから・・・

  いつか、ナツが・・・ 気付いてくれたらいいなぁって・・・
 
 
  私から直接言うときは、それは、ナツをどん底まで突き落とすことになるから

  ・・・17年間のナツを、全否定しちゃうことになるから、

  だから・・・ 私からは絶対言いたくなかったんだけどね・・・』
 
 
 
アキの足が止まる。

まだ陽が眩しい住宅街の垣根に、こぼれるほど咲き誇る紫陽花の花が目に入った。
苦しげにアキが目を落とす。
俯いたアキの表情は、垂れた長い髪の毛で覆われて見えないけれど、小さく震える肩が
その17年間の苦しみをいとも簡単にダイスケに知らしめる。
 
 
 
 『 ”今回だけは、無理かもしれない ”って、

  ナツ・・・ 私に泣きながら言ったの・・・
 
 
  先輩のミサンガを、必死にかばって・・・
 
 
  ナツが・・・ アノ子が泣いたんだよ?

  絶対泣かないナツが、泣きそうな顔さえ見せないナツが・・・
 
 
  私・・・ なんか、悔しくなっちゃって・・・
 
 
  先輩をとられる事も、もちろん悔しいけど、

  先輩に、ナツをとられちゃう、って・・・

  絶対泣かないナツをあんな風にするほど、先輩は想われてるんだって・・・
 
 
  なんか、大事なものを一気にふたつ失くしちゃうような気がして・・・
 
 
  ナツは、私の半分なのに・・・

  ナツは今まで私のこと一番優先して気にしてくれてたのに・・・。』
 
 
 
ダイスケがアキの肩に手を置いた。その手もまた微かに震えている。
そして、そっとその肩を撫でた。
 
 
 
 『・・・どうして?

  どうして、そうゆうの僕に言ってくれなかったの・・・?

  僕だって、ナツには敵わないけどアキの幼馴染みだよ・・・?』
 
 
 
 『ダイちゃんは、ナツのことが好きだから・・・

  板挟みになっちゃうじゃない、私の本音を聞いちゃったら。』
 
 
 
アキが泣きはらした真っ赤な目で、やさしく口許を綻ばす。
 
 
 
 『それにきっと、ダイちゃんが私の本音知ったら、

  私のことナツにストレートに、ズバっと言っちゃうでしょ・・・?
 
 
  でもね、ナツの性格ならダイちゃんに言われても素直に聞かないで

  突っぱねたと思うの・・・
 
 
  結局は、ナツが気付くか・・・ 最悪、私が言うかしか無かったのよ。』
 
 
 
そのやわらかいアキの横顔にダイスケがかぶりを振る。

『ごめんね、アキ・・・。』 長い間ひとり悩み苦しんだアキを思って、胸が痛んだ。
こんなに近くにいたのに、本当のアキを思い遣ってあげられなかった。
ナツのことばかり気にして、アキの本音に気付いてあげられなかった。
 
 
『なんでダイちゃんが謝るの~?』 アキがクスクス笑う。
 
 
そして、
 
 
 
 『ナツ・・・ ちゃんと先輩に気持ち伝えられたかな・・・?

  アノ子、大事なトコで結構怖気づくからなぁ・・・。』
 
 
 
その一言に、ダイスケが目を見張る。
 
 
 
 『私ね・・・ 正式にフラれちゃったの、先輩に。』
 
 
 
そう言って、アキは大きく深呼吸した。
その横顔は凛としていて、あまりにキレイで、ダイスケは黙って見つめることしか出来なかった。
 
 

■第66話 大事なこと

 
 
アキが自宅に帰ると、すでにナツが部屋にいた。
 
 
 
ドアを開けると互いに目が合い、思わず同時に逸らす。
部屋に入ることが出来ずに沓摺に留まるアキ。俯いて口をつぐんでいる。

すると、ナツが座っていたイスから立ち上がり、アキをまっすぐ見つめた。
 
 
 
 『アキ・・・ 話したいことがあるの。』
 
 
 
足元に目を落としていたアキが、ゆっくり顔を上げる。
そしてナツをまっすぐ見つめ返し、コクリ頷いた。
 
 
 
2段ベッドの下段、アキのそれにふたり並んで腰掛ける。

暫し、居心地悪い無言の時間が流れた。
壁掛け時計の秒針だけが、静かな室内に音を響かせている。
 
 
 
 『・・・今、まで・・・ ほんと、ごめんね・・・。』
 
 
 
発したその言葉は、もう涙声で、つまって、苦しそうで。
ナツがぽろぽろ涙をこぼしながら、アキに言う。
 
 
 
 『あたし、ほんと・・・バカだから、ぜんぜん・・・

  アキの、気持ちも考えないで、もうほんと・・・バカみたい・・・
 
 
  昨日、アキに言われるまで、ぜんぜん・・・

  どれだけアキに、酷いことしてるか・・・ 気付かなかった・・・。』
 
 
 
ナツがしゃくり上げて泣いている。
細い肩が不規則に上下して、強張った喉元が苦しげに詰まる。

対照的にアキは、ただ黙って静かにナツの言葉を聞いていた。
 
 
 
 『あたし・・・ アキが笑ってるの見るのが、すごい、好きで・・・

  アキが楽しそうなのが、すごい、嬉しくて・・・

  こんなの、ただの言い訳にしか聞こえないかもしれないけど

  でも・・・
 
 
  これだけは、ほんとに、ほんとに・・・

  アキが嬉しそうなの見るの、嬉しかったんだ・・・』
 
 
 
言葉の端々に涙でつまって、しゃくり上げる声が漏れる。
しかし懸命に、ナツは自分の本当の気持ちをアキにまっすぐ伝える。
 
 
 
 『でも。 もう、あたし・・・ 変な遠慮とか、しない・・・

  なんでも全力でやる。 アキと対等に、なんでも、全部・・・。』
 
 
 
そして、真っ赤な目のナツがアキをまっすぐ見て言った。
 
 
 
 
 『あたしね・・・ アサヒ先輩のことが、好きなの。』
 
 
 
 
すると、アキがやわらかく微笑んだ。

どこか寂しげに。どこか哀しげに。そして、どこか安心したように。
スカートのポケットからハンカチを出すと、ナツの頬に伝う涙をそっと押さえる。
 
 
 
 『もうひとつ。 大事なことに気付いてないよ、ナツは・・・
 
 
  私だって、ナツが笑ってるのが好きだし、

  ナツが楽しそうなのが好きだし、嬉しそうなのが好きだよ。
 
 
  ナツが悲しいときは、私が一緒に泣きたかったよ・・・
 
 
  もう、やめようね。 変な遠慮も、我慢も。

  だって、私たちは半分なんだから・・・。』
 
 
 
アキがナツの手をにぎった。
同じ大きさで同じ温度のその手と手は、まるでひとつかの様にしっかり繋がれていた。
 
 

■第67話 アキの告白

 
 
7月上旬、期末試験があった。
 
 
 
ナツは、はじめて真剣に試験勉強をしていた。
部活後、自室でアキと並んで机に向かい、必死に教科書に目を落としていた。
 
『アキ、ここってナンでこうなるの?』 分からない場所はアキに訊く。
アキも同様に、『ココの公式ってどんなのだっけ?』 ナツに教わった。

互いに競い合う訳ではなく、ただふたり、懸命に勉強に取り組んでいた。
ライバル視するのではなく、ふたり一緒に頑張っていた。
それがふたり、言葉には出さずとも嬉しかった。

これが本当に求めてやまなかったものなのだと、痛感していた。
 
 
 
試験が終わり、結果が2年の廊下に貼り出された、とある午後。
その張り紙前にアキとナツの姿。 手を握り合って固唾を呑むふたり。
 
 
 
  1位 オノデラ アキ 

  1位 オノデラ ナツ

  3位 **** ***
 
 
 
見事に同率1位で並んだ名前。
それを見上げ、アキとナツは喜んで抱き合った。
 
 
 
 『ヤッター! アキー!!』

 『すごいねー! ナツぅー!!』
 
 
 
嬉しそうに頬を染めて跳ね上がるふたりを、後方にいたダイスケが目を細めて
嬉しそうに眺めていた。
 
 
ナツは自宅のピアノにも触れるようになった。

アキと並んで少し窮屈そうにふたり、椅子に腰かけ連弾する。
互いの体の側面がぶつかり弾きにくいそれですら、嬉しそうに。

もう10年ピアノ教室に通うアキはやはり上手で、ナツは指が追い付かなかったが
ふたりは、クスクス笑いながら心から楽しんでいた。
この幸せな時間を痛いほど胸に感じていた。
 
 
 
 
とある夜のこと。

『ねぇ、ナツ・・・。』 アキが上段ベッドのナツに声を掛けた。
『ん~?』 ひょっこり顔を覗かせたナツに、アキは手をひらひら振って
”こっちこっち ”と下段に来てほしいと合図する。

ベッドにうつ伏せになるアキの隣に、ナツも寝転がった。
狭いベッドにふたり、互いの体がぴったり寄り添い合っている。
 
 
『コレ。』 そう指差すアキの手元に、パンフレットがあった。
 
 
 
 
   ”高校交換留学プログラム ”
 
 
 
ナツはそれの意味が分からず、小首を傾げてアキを見る。
アキはうつ伏せの状態で頬杖をつき、微笑んでいる。
 
 
 
 『これ、行ってみようかと思ってるの・・・。』
 
 
 
『・・・え?』 ナツがまだ事態が把握できず、戸惑い顔を向ける。
『お母さんには相談してたんだけどねー・・・。』 そう言うと、アキは続けた。
 
 
 
 『私ね、誰も助けてくれる人がいないトコに行って

  色々がんばってみたいの。 成長したいの。

  今までは、ほら・・・ なんだかんだとナツに頼って助けられてたでしょ?

  だーれも知らない人ばかりの中で、1年、暮らしてみようと思って・・・。』
 
 
 
やっと話の流れが分かったナツが、慌てて体を起こしアキに詰め寄った。
 
 
 
 『ダメだよ! そんなの・・・ 危ないよ、怖いよ!

  なんかあったらどうすんの? そんな、外国で言葉も分かんないのに・・・

  ぜったい反対! どうしても行くって言うなら、あたしも行く!!』
 
 
 
すごい剣幕でまくし立てる。
眉間にシワを寄せまるで泣き出しそうな顔を向けるナツに、アキは笑いながら肩をすくめる。
 
 
 
 『ほらぁ~・・・

  ナツがそうやって、私を甘やかすのがダメだって言ってるんでしょ~。』
 
 
 
クスクスと愉しそうに笑っているアキ。
 
 
 
 『私もね・・・ 強くなりたいの。

  ナツみたいに、強くならなきゃいけないの。
 
 
  期間は1年だし、きちんと信頼できるホストファミリーのところに

  ホームステイして、現地の公立の高校に通って勉強するから色んな体験が出来るし

  自分に挑戦してみたいの、ひとりでどこまで頑張れるのかを・・・。』
 
 
 
ナツはまだ納得いかない顔で、あからさまにむくれた声色。 『・・・いつから?』
すると、アキは口許に手を当ててクスクスと愉しそうに笑った。
 
 
 
 『ん~・・・ 向こうは、9月が新学期なのよね・・・。』
 
 
 
『9月って・・・ 再来月の、9月??』 ナツの目が落ちんばかりに見開かれた。
 
 
 
 『なんでそんな、大事なこと・・・ 内緒で、進めて・・・ ひどい。』
 
 
 
ふくれっ面で泣きそうな声色のナツ。
枕を掴むと、それを力の加減をしつつアキにぶつける。

アキが可笑しそうにケラケラ笑った。
 
 
 
 『だって、ナツ。 ぜったい反対するじゃな~い?

  ナツ、私のこと好きだから離れたがらないでしょ・・・?』
 
 
 
ナツがついに布団に突っ伏して顔を隠した。
心配と不安と寂しさと哀しさと、色々入り混じって、結果、腹が立って無言になった。
 
 
『アキなんかキライだ。』 やっと聴こえたナツの声が布団に吸収されて、くぐもる。
クスクスと、いつまでも愉しそうにアキが笑っていた。
 
 

■第68話 予選

 
 
7月、 全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の予選が開催された。
 
 
 
今年、双葉高校陸上部は各都道府県予選を勝ち上がり、次は地方大会予選だった。

予選に出場するのは、ナツ他部員3名。
そして部長のアサヒとマネージャーのダイスケが予選会場への遠征をするメンバーだった。
 
 
毎年、地方大会予選も通れるかどうかギリギリだった陸上部が、今回は危なげない走りで
見事に通過したのは、各部員の頑張りは勿論のこと、部長のアサヒが自分のケガをおしてまで
入院している時から部員一人一人の練習プランを練った事と、マネージャーのダイスケが
綿密な記録を録り部長をサポートしたことが大きかったのであろう。
 
 
アサヒ、ナツ、ダイスケそして部員3名と顧問が、予選が行われる競技場近くの民宿で
最後の打合せをしていた。

予選は明日。 どこかみな緊張の面持ちで、肩に力が入ってしまっている。
なんとかそれを少しでも和らげようと、アサヒが話を盛り上げるが、皆その気遣いに
感謝しつつも強張ってゆく頬をどうすることも出来ず、早目にその夜は解散となった。
 
 
 
 
ひとり民宿をそっと抜け出し、ナツが夜道の散歩に出た。
すると、その後を追ってアサヒが小走りでやって来た。
 
『ちょっと走れるようになったんですね?』 ナツが嬉しそうに言う。
『まだ、ちょっとだけどな。』 アサヒが膝をぐんと伸ばして見せた。
 
 
夏の夜の草むらに、クビキリギスが大きな音を出して鳴いている。

サンダルを擦って並んで歩くふたりの足音が、それに混じる。
夜でもまだだいぶぬるい風が、ナツの前髪を通りすぎ揺らした。

アサヒが、そっとナツを覗き込んだ。
まるでからかうような、そのイタズラな視線。
 
 
 
 『オノデラも、キンチョーしてんの~?』
 
 
 
『・・・そりゃ、しますよー!』 ナツが、どこか威張った感じで返す。
 
 
アサヒはクククと笑うと、『たこ焼きおごってやるから、まぁ、ガンバれ~!』 と
かなり軽い感じでエールを贈る。

これ以上プレッシャーを与えないようにとの気遣いだという事は、ナツにはちゃんと分かっていた。
『デスね~! たこ焼きの為だけにガンバんなきゃ!』 ナツも笑って軽く返した。
 
 
そしてふたり、ケラケラ笑った。

どこのたこ焼きが美味しいかという話で盛り上がり、明日の予選本番のことなど
全く話題にはしないふたりだった。
 
 
ぼんやりと常夜灯が灯りをともす道を、ふたりでのんびりと歩くその時間。
道路脇の防護柵がしっとりと影を落とし、街路樹の葉が風に小さくそよぐ。

アサヒが、そっとナツの手を掴んだ。
その大きな手でぎゅっとにぎると、ナツもその小さな日焼けした小さな手でにぎり返す。
 
 
 
 『大会終わったらさー・・・ どっか行っか? たこ焼きとは別に。

  ・・・休みの日、とかに・・・。』
 
 
 
ナツがパっと表情を明るくする。
そして、まくし立てるように早口で言う。
 
 
 
 『え?行く行くー!! どこ?どこにします? 行きたいトコとかあるんですか?!』
 
 
 
その反応が可笑しくてアサヒは笑った。
まるで、休日にどこか連れて行ってもらいたがる小学生と父親のようで。
 
 
『どこ行きたいのー?』 やさしく語り掛けると、ナツは眉根をひそめて真剣に考えている。
やや暫く考えこんで、しかしまだ答えが出せずにいる横顔に、アサヒが尚も笑う。
 
 
 
 『まぁ、別に・・・ これからいくらでも一緒に出掛けられっから

  そんな真剣に悩まなくてもいーんだぞ?』
 
 
 
その言葉にナツがちょっと嬉しそうに口許を緩めた。
照れくさそうに前髪を指先で弄び、下を向いている。
 
 
すると、
 
 
  
 『あ!! 動物園がいい!!』
 
 
 
ひときわ大きな声で叫ぶと、自分の案に自分で納得するかのように、ひとり『うんうん』 と
頷いて嬉しそうに頬を染めている。
 
 
 
 
  (動物園て・・・ オノデラらしいな・・・。)
 
 
 
 
その愉しそうに笑う顔を、アサヒは目を細めて見つめていた。
 
 
 
 『おぅ! じゃ、最初のデートは動物園だな。』
 
 
 
”デート ”というキーワードに、またもやナツが照れくさそうに俯いた。
ナツが愛しくて仕方なくて、アサヒはつないだ手を思いっきりブラブラ揺らして笑った。
 
 
ふたりの笑い声が満天の星空に吸い込まれて消えた。
 
 

■第69話 最初から

 
 
地方大会予選は、残念ながら敗退してしまった。
 
 
 
しかし、今までの双葉高校の実績をはるかに上回る健闘ぶりに一同笑顔で満足気だった。
それを一番喜んでいたのは、誰でもない部長のアサヒだった。
 
 
前部長やマネージャーも応援に駆け付けてくれて、その日の夜は慰労会で大盛り上がりした。

皆が笑顔だった。
皆がこの時間を幸せに感じていた。
 
 
 
部員全員の和やかな笑い声響く中、先輩マネージャーが小さくナツに耳打ちをした。
そして、ふたり連れ立って店の外へ出る。
 
 
賑やかな繁華街。 酔っ払いの姿もチラホラ見て取れる。
まだ未成年の一同は勿論アルコールは入っていないけれど、興奮したその頬は赤く
それはナツも同様だった。

店前にあるガードレールにちょこんと腰掛けて、頬をすぎる夜風の心地良さに目を細める。
 
 
すると、先輩マネージャーが嬉しそうな顔をナツに向けた。
 
 
 
 『ちゃんとわたしの ”最後のアドバイス ”きいてくれたんだね?』
 
 
 
先程までのナツとアサヒのやさしい距離感に、目を細めて微笑んでいたマネージャー。
あからさまに寄り添ったりはしていないのに、それはいとも簡単に気付かれていたようだ。
 
 
『えらいじゃーん。』 そう言って、クスクス笑う。
 
 
 
 『アンタは、さ・・・

  まわりをパっと明るくする、ってゆーか・・・

  笑顔にする力があると思うのよ。 元気にする力、ってゆうか・・・
 
 
  だから、きっと。

  アンタが傍にいることで、アサヒにはプラスだと思うよ。
 
 
  まぁ、アサヒがアンタのこと好きなのも、呆れるくらいダダ漏れしてたしね?』
 
 
 
そう言われてナツが目を見張った。
少し涼んだはずの頬が、瞬時にまた赤く染まってしまう。
 
 
『え? 気付いてなかったの??』 マネージャーが大笑いする。
 
 
 
 『まぁ、最初ちょっと横道に反れはしたけどさー・・・
 
 
  アンタが入部するの、アサヒ、首長くして待ってたんだから。

  もう、しつっこいくらいに ”小さい奴が、小さい奴が ”って・・・
 
 
  やっとアンタが来た時の、あの嬉しそうな顔ったら、もう・・・』
 
 
 
ナツが真っ赤になって俯いた。

目線を落とした瞬間、右手首のミサンガが目に入る。
”アサヒが ”想いを込めてくれた、宝物の愛しいミサンガ。
すっかり首まで赤いのが店のネオンに照らされ、浮き出されてしまった。
 
 
『ねぇ、アンタはいつからアサヒのこと好きなの~?』 ニヤニヤと緩む顔を隠しもせず
マネージャーが遠慮なしに詰め寄る。
両手の人差し指で、照れまくるナツの脇腹をチョンチョンとつつきながら。
 
 
 
 『・・・入学式の、日に・・・

  学校までダッシュして・・・ そん時から、タブン・・・。』
 
 
 
照れくさそうに両の手の指先を絡め、口ごもるナツ。
 
 
 
 『え? なに、最初っからアンタ達、想い合ってたんじゃないの?

  なにそれ~?! バッカみたーい!!』
 
 
 
歯に絹着せぬいつものマネージャー節は、卒業しても健在だった。

体を屈めて大笑いするその横顔は、まるで自分のことのように嬉しそうで
ナツは笑われるのがなんだか嬉しくて仕方なかった。
 
 

■第70話 アキが出発する日

 
 
アキが出発する日。
 
 
 
夏休みに入るタイミングで少し早目に現地入りして、少し環境に慣らしたいと
アキが言い出し、予定より早目の出発となっていた。
 
 
家族全員とモチヅキ家一同が、空港にアキを見送りに来ていた。
心配そうな面持ちの見送り一同とは対照的に、アキは清々しい表情をしている。
 
 
アキは、背中まであった長い髪の毛を肩までバッサリ切っていた。

その姿は、背筋をピンと伸ばし胸を張って、その口許にはしっかりと笑みをたたえている。
それはアキの強い決心を示すかのように、凛としてどこか気高い感じさえしていた。
 
 
ナツが不安気に背中を丸め、ぽろぽろと涙をこぼす。
そしてアキの手を両手でしっかり掴み、中々離そうとしない。
アキが目を細めて、そんなナツを見つめる。
 
 
 
『くれぐれも、気を付けてね・・・。』 不安で不安で手を離すことが出来ない、ナツ。
 
 
『うん。』 アキが微笑む。

  
 
 
 『がんばってね。 ぁ・・・ でもあんまり頑張りすぎないでね。』
 
 
 『うん。』
 
 
 
 
 『ちゃんと食べなきゃダメだよ。 好き嫌いしないでね。』
 
 
 『分かってる。』
 
 
 
 
 『怖いトコに近付いちゃダメだよ。 すぐ誰でも信用して着いてっちゃダメだよ!』
 
 
 『分かってるってば~。』
 
 
 
 
 『いつでも・・・ 帰って来て・・・。』
 
 
 『・・・それはダメ。』
 
 
アキが笑う。
 
 
 
 『甘えられないトコに行くんだから~・・・』
 
 
 
すると、ナツが抱き付いた。
アキがナツの背中に手をまわし、やさしくやさしく撫でる。
 
 
 
 『今なら分かるよ、ナツのやさしさが・・・
 
 
  色々ごめんね、今までありがとね・・・

  私の、半分・・・

  大切な、半分・・・
 
 
  ナツぅ・・・ 

  ・・・私、行ってくるね。』
 
 
 
そう言うと、アキは笑顔で大きく手を振って搭乗口に消えて行った。
最後まで、アキは泣かなかった。

ナツは両手で顔を覆って、泣きじゃくっていた。
そんなナツの肩をダイスケがやさしく笑いながら、支えていた。
 
 
 
 
 
アキは、最後にアサヒに会いに行った日のことを思い返していた。

それは、アキとナツがケンカしてすぐの事。
ナツがアキにまっすぐ『アサヒ先輩が好き』と打ち明けてすぐの事。
 
 
アキがやわらかく微笑みながらゆっくり話しはじめる。
 
 
 
 『ナツのこと、宜しくお願いします。

  アノ子、きっと・・・ 私のこと気にして、遠慮して、

  きっと、先輩と気持ちが通じ合ってるって分かってからも

  先に進むこと、どうしても拒むと思うんです。
 
 
  でも、それは先輩がちゃんと言って聞かせてあげて下さい。

  ”こそこそする必要はない ”って

  ”正々堂々としてていい”って

  アノ子、きっと、次はそれを悩むはずだから・・・』
 
 
 
ナツを懸命に思い遣るアキを、アサヒはじっと見ていた。
アキのやさしさが痛いほど胸に突き上げる。
 
 
『分かった。 ありがとう・・・。』 アサヒが小さく呟く。
 
 
すると、アキが最後に思い出したように少し笑いながら言った。
 
 
 
 『私、動物全般大っ嫌いで・・・

  カタツムリなんて見るのも嫌なんです、ほんとは。』
 
 
 
『じゃあ。』 と手を振って去ってゆくアキの凛とした後ろ姿を、アサヒはずっと見つめていた。
 
 

■最終話 雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。

 
 
その日は、天気雨が降った。
 
 
 
パラパラと落ちる小さな粒は、青空が覗く雲の隙間からどこか遠慮がちに落ちてきて
いるように見える。
透明のビニール傘を差して、家を出た日曜2時。
 
 
アスファルトに打ち付ける雨粒は然程強いものではないはずなのに、生意気にも
しっかりジーンズの裾は、その小さな跳ね返りで濡らされてしまった。

しかしその場所へ向かう足も、心も、まるでその雨粒のように1秒でも早くそこへ
向かいたいと小気味よく跳ね上がり踊る。
 
 
息せき切って目指すそこには、若緑が生い茂る石畳の小径脇に、溢れるほど紫陽花の
花が咲いている。
コバルトブルーや白色、赤紫のグラデーションが訪れる人の目を惹いて止まないその場所。

この街の有名な紫陽花スポットで、休日ともなればいつも人でごった返しているが
天気雨に降られた今、きっと色とりどりの傘の群れで溢れているのだろう。
 
 
雨の中、傘を差しカメラを構える物好きを横目に、石畳の小径を横切り大振りの葉を
広げるムクロジの木々をくぐり抜け、彼女が待つ秘密の場所へ向かった。
 
 
まるで迷路のようなその径の先。
彼女以外、誰も知ることのないその径の先。

すると、そこに。
 
 
 
ビニール傘を差し、しゃがみ込む姿を見止めた。
 
 
 
小柄なその姿は、肩にビニール傘の柄を乗せ、小さくコンパクトに体を縮こめて
目の前に溢れ広がる紫陽花たちを愛おしそうに眺めている。

頬はほんのり高揚させて、その口許はやわらかく微笑んで。
透明の傘に、雨の雫がスタッカートを付けて弾かれる音だけ小さく響く。
 
 
 
ふと、雫に目をとめた。
 
 
 
ビニール傘に小さく留まっている幾つもの透明の雫に、紫陽花の色が映りこんでいる。
そして、小雨を落とす空に大きく掛かった七色の虹の色も、そこに。
 
 
彼女はそっと手を伸ばすと紫陽花に触れたのかと思いきや、その日焼けした指先は葉っぱの
陰に隠れていたカタツムリの背中の殻を、チョン。小さくつついて愉しそうに笑った。
 
 
そして振り返り、待ちわびていたその姿を見付けると、

『見てくださいよー! ほれほれ。』 と指を差す。
『かわいくないっスかー!この時期しか見れないの寂しいなぁ・・・』 満面の笑みで。
 
 
 
 
 
  ”心を、奪われる ”

  こうゆう事をいうんだって、改めて痛感した。
 
 
 
 
胸の奥の一番やわらかい部分に触れられて、包まれて、抱きすくめられるような気分だった。

じんわりとあたたかくて、切なくて、苦しい。
その眩い笑顔を、目を細めて見つめていた。
 
 
 
『ほら、動物園行くぞっ』 そう言って手を伸ばすと、彼女は嬉しそうに日焼けした小さな手で
それをしっかり掴み、歩き出した。
 
 
ふたりの右手首には、お揃いのミサンガが結わえられている。

”青 ” ”赤 ” そして ”ピンク ”の3色の編み紐で作られた、それ。
ふたりがいつまでも一緒にいられるよう、願いが込められていた。
 
 
 
 
 
いつの間にか天気雨は上がっていた。
紫陽花の花びらから、ひとつ。 小さな雫がこぼれてコバルトブルーが一枚やさしく揺れた。
 
 
 
 
 
        雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。
 
 
 
                                         【おわり】
 
 
 
 

雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。

雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。

親友のように仲がいい一卵性双生児のアキとナツは、双子なのに性格もなにもかも全く違った。 そのふたりが同時に好きになってしまったのは、先輩アサヒ。 そんな想いを知らず、アキはその恋心をナツにうちあけてしまう。 言えない秘密。すれ違う想い。掛け違うボタン。 切なく交差する淡い想いの行方は・・・ ≪全71話 完結≫ 【君の見つめるその先に シリーズ】【指先で紡ぐぼくらの・・・ シリーズ】【短編集】も、どうぞご一読あれ。

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

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著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ■第1話 6月の雨の日
  2. ■第2話 春 入学式
  3. ■第3話 オノデラ ナツ 
  4. ■第4話 オノデラ アキ
  5. ■第5話 図書委員
  6. ■第6話 陸上部
  7. ■第7話 アキの恋
  8. ■第8話 想い人
  9. ■第9話 モチヅキ ダイスケ
  10. ■第10話 部活
  11. ■第11話 オノデラさんとオノデラ
  12. ■第12話 窓から見えたふたり
  13. ■第13話 南棟で
  14. ■第14話 雨の帰り際
  15. ■第15話 マネージャー
  16. ■第16話 部活終わりの帰り道
  17. ■第17話 特別な人
  18. ■第18話 図書委員会
  19. ■第19話 指導係
  20. ■第20話 ふたりの姿
  21. ■第21話 金平糖の約束
  22. ■第22話 お土産
  23. ■第23話 不在の間
  24. ■第24話 アサヒが帰った日
  25. ■第25話 ダイスケの部屋で
  26. ■第26話 約束の金平糖を
  27. ■第27話 アキの顔 
  28. ■第28話 日曜の待合せ
  29. ■第29話 その場所 
  30. ■第30話 期末試験
  31. ■第31話 合宿
  32. ■第32話 合宿2 
  33. ■第33話 合宿3
  34. ■第34話 冬がきた
  35. ■第35話 100億倍の気持ち
  36. ■第36話 ガトーショコラ
  37. ■第37話 ダイスケとの帰り道
  38. ■第38話 切ない痛み
  39. ■第39話 買い物へ
  40. ■第40話 3月14日
  41. ■第41話 ブレスレット
  42. ■第42話 卒業
  43. ■第43話 最後のアドバイス 
  44. ■第44話 新学期
  45. ■第45話 ケガ
  46. ■第46話 見舞い
  47. ■第47話 笑い声溢れる病室
  48. ■第48話 ミサンガ
  49. ■第49話 可哀相なひと
  50. ■第50話 ふたりの姿
  51. ■第51話 電話
  52. ■第52話 松葉杖
  53. ■第53話 その気配
  54. ■第54話 本音
  55. ■第55話 アサヒの変化
  56. ■第56話 ピアノ教室
  57. ■第57話 ピアノ発表会
  58. ■第58話 編み紐の感触
  59. ■第59話 4人の帰り道
  60. ■第60話 音楽室で
  61. ■第61話 ダイスケの言葉
  62. ■第62話 別れ
  63. ■第63話 ナツの涙
  64. ■第64話 真実
  65. ■第65話 アキの気持ち
  66. ■第66話 大事なこと
  67. ■第67話 アキの告白
  68. ■第68話 予選
  69. ■第69話 最初から
  70. ■第70話 アキが出発する日
  71. ■最終話 雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。