すーちーちゃん(3)

三 六月

「起立。礼。先生、さようなら。皆さん、さようなら」
 日直の山西君の号令のもと、お互いに挨拶を交わして、帰り支度を始めた。すーちーちゃんは、いつものように昼寝からは目覚めている。
「帰ろ!」
 あたしはすーちーちゃんに声を掛けた。
「うん」
 二人ともランドセルを背負い、教室を出た。
「すーちーちゃん、本当に覚えていないの?」
 あたしは、以前、すーちーちゃんが先生の手首を噛んだことを尋ねた。
「本当に覚えていないの。夢の中で、何かを食べていたような気がしたけど・・・。給食を食べたんだけど、まだ、お腹が空いているみたい、えへへ」
 すーちーちゃんは制服の上からお腹を触る。引っこんでいるのか、膨れているのか、あたしにはわからない。でも、例え、夢だとしても、誰かに、それも先生の手に噛みつくのはすごい。このすごさは、もちろん、尊敬と言うよりも恐怖と言う意味だ。あどけない顔のすーちーちゃんだけど、少し、怖い。でも、何だか、不思議だ。この謎を解いてみたい。
 四つ角に来た。あたしの家はここから左に曲がる。右に曲がれば、すーちーちゃんの家の方向だ。そう言えば、一緒に帰っていたけれど、すーちーちゃんの家に行ったことはなかった。あたしがすーちーちゃんに別れを告げようとすると
「もし、よかったら、家に来ない。家にはママがいるの。おやつもあるわ」
すーちーちゃんから誘いがあった。今日は、塾がなかった。時間はある。折角の誘いだ。断る理由がない。それに、もう少し、すーちーちゃんのことを知りたいと思った。すーちーちゃんの家に行けば、謎が解けるかも知れない。
「いいの?」
 一応、確認する。
「いいよ」
 すーちーちゃんの顔を見る限りでは、お世辞じゃなさそうだ。
「じゃあ。行く」
 あたしは二つ返事で答えた。
「じゃあ、こっち」
 四つ角をあたしの家の方向と反対方向の右に曲がった。そっちには、神社があるはずだ。以前、すーちーちゃんの後姿から、神社を通るのは知っていた。すーちーちゃんは真っすぐに進む。
「ここよ」
 あたしの思った通り、そこは神社だった。鳥居をくぐり抜けた。
「ここ、神社じゃないの?近道でもあるの?」
 あたしはすーちーちゃんに尋ねた。
「そうよ。神社よ。神社があたしの家なの」
「なんだ、そうなの」
 あたしは納得した。だけど、この神社は本殿と社務所があるだけの小さな神社だ。これまで人が住んでいた様子はなかった。お正月にはたくさんの人がお参りで賑わうけれど、普段は、時に、近所の人がお参りするだけで、ひっそりとしている。
 ただし、夏になると、神社の裏の林からは、眠りから覚めた蝉が、七年間の沈黙を取り戻すかのように、やかましく、時には、心地よく、鳴き続ける。互いに、勝手に鳴いているのだけれど、聴いている方からすれば、一定のハーモニーで、調和がとれている。
 だから、神社に蝉取りに来た時でも、あんなにやかましく鳴いている蝉の声なのに、鳴き声を聴いていると、木立の中の涼しさもあって、網を持ったまま座り込んで、うとうとと、眠りの世界に引き込まれてしまう。そんな場所に、蝉の他に人が住んでいたなんて。

 すーちーちゃんは賽銭箱の前で、鈴を鳴らし、二回頭を下げ、二回拍手をして一回頭を下げると、靴を脱ぎ、脱いだ靴を持ったまま、「ただいま」と社殿の中に入っていった。
 あたしも、すーちーちゃんのやったとおり、見よう見まねで、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼すると、「おじゃまします」と、すーちーちゃんの後に続いた。
 お正月にお参りに来た時に、賽銭箱の前に立って、社殿の中を覗いたことはあるけれど、中に入るのは初めてだった。正面には大きな祭壇と丸い鏡があった。後は畳が敷いているだけで、テレビもなく冷蔵庫もなくクーラーもなく、とても人が住んでいるようには見えなかった。
「こっち、こっち」
 すーちーちゃんが手招きをする。あたしは祭壇の後ろに回った。ドアがある。
「どうぞ」
 ドアを開けると階段があった。階段を降りた。そこには、広い居間があった。ソファーがあり、テーブルがあり、テレビが置いてあった。広い。社殿よりも広く感じた。社殿の下に、こんな部屋があるなんて。まさかと思って、目を瞑って、目を開けたけれど、やっぱり同じ風景だった。夢じゃない。
「ちょっと座っていて」
 すーちーちゃんはあたしにそう言うと、別のドアから出て行った。あたしは、すーちーちゃんに促されるまま、ソファーに座った。やっぱり、夢じゃないかな。あたしは首をひねる。あたしはソファーを右手で触った。皮の手触りがする。本当のソファーだ。テレビも触ったけれど、固い。床に敷いてある絨毯に座った。毛がふさふさしている。やっぱり本物だ。夢じゃないんだ。
「お待たせ」
 ドアが開いた。すーちーちゃんが入って来た。あたしは急いで立ち上がって、ソファーに座り直す。すーちーちゃんの服装は、赤いセーターに赤いスカート、赤いソックスに赤いスリッパ。手に持っているトレイも赤。そのトレイの上には、二つのコップ。赤い飲み物が入っている。ほっぺもほんのり赤い。笑った唇も赤い。赤一色だ。その様子を見たあたしの目も真っ赤に染まっていることだろう。
「どうぞ」
 すーちーちゃんが赤い飲み物を手渡してくれた。
「これ、何?」
「トマトジュースよ」
「トマトジュース?」
「そう、トマトジュースよ。甘くて美味しいのよ」
 そう言うとストローでちゅうちゅう吸いはじめた。ストローの中を赤い液体が上昇し、すーちーちゃんの口の中に吸いこまれていく。あたしもつられて、ちゅうちゅうする。飲みものを飲むときは、ちゅうちゅうと音を出した方がいい。お母さんからは音を出さないように注意されるけれど、ちゅうちゅうと音がしたほうが、美味しさが舌からだけでなく耳からも伝わってくる。二重の幸せに包まれる気がする。二人は沈黙の中、ちゅうちゅうという音だけが部屋の中に響き渡った。
 あたしとすーちーちゃんはソファーに横に並んで座り、仲良く、トマトジュースをちゅうちゅうしていると、「いらっつしゃい」の声とともに、ドアが開いた。そこには、全身白ずくめの女の人が立っていた。白いのは服だけでない。微笑んだ顔も、お盆を持った手も、真っ白だった。
「よく、来てくれましたね」
 女の人はあたしの斜め前に座った。お盆からお菓子を置いた。クッキーだった。その置いた手首は色の白さの上に青白い静脈が浮き上がっていた。それくらい、透き通るような白さだ。すーちーちゃんも肌の色が白いけれど、女の人はもっと白い。
「あっ、ママ。友だちの鈴木さやかさん」
 すーちーちゃんがあたしを紹介してくれた。
「鈴木です」
 あたしはコップを持ったまま、立ち上がり、ペコリと頭を下げた。
「鈴木さんね。すーちーの母親です。よく家に来てくれましたね。すーちーは転校してばかりなので、すーちーの友だちになってあげてね」
 お母さんがやさしく微笑む。顔まで透き通っている。壁が写りそうだ。あたしはその白さにどぎまぎする。微笑んだ口元から歯が見える八重歯だ。きらりと光る。すーちーちゃんと同じだ。すーちーちゃんはお母さんに似たんだ。

 テーブルの上のクッキーに下から手が伸びてきた。誰の手?すーちーちゃんではない。すーちーちゃんのママでもない。もちろん、あたしの両手は膝の上だ。
「こら。竜太郎」
 すーちーちゃんが叫び、その手をぴしゃりと叩いた。
「痛っ。えへへへ」
 男の子が立ち上がった。シャツもズボンも靴下も全身青色だ。顔だけは色白だ。すーちーちゃんの家族は服の色を統一するのが家風なのか、それとも個人の好みなのか。
「だめよ。竜太郎。このおやつはお姉ちゃんとお姉ちゃんのお友達のものよ。あなたには別にとってあるから」
 お母さんがやさしく諭す。
「だって、一緒に食べたいんだもの」
 竜太郎君はあたしに向かってにこっとした。にこっとした口元から八重歯が光った。すーちーちゃんそっくりだ。お母さんにもそっくりだ。
「ママ。僕にもジュースをちょうだい」
 寝転がっていた竜太郎君がテーブルの前に座った。
「ちょっと待っててね」
 すーちーちゃんのママは部屋から出て行った。
 ぽりぽりぽり。竜太郎君は口の中をいっぱいにして、クッキーをほおばる。
「食べ過ぎよ。竜太郎。あたしやさやかちゃんの分がなくなるじゃない」
 すーちーちゃんが怒る。
「だって、美味しいんだもの」
「もう。おしまい。はい。さやかちゃんも食べて」
 すーちーちゃんはお菓子箱を持ち上げて自分の胸に引き寄せる。
「あっ、もっと欲しいのに」
 竜太郎君は手を伸ばすけれど、お菓子箱には届かなかった。あたしはすーちーちゃんからクッキーを一枚受け取った。口の中に入れる。ぽりぽりぽり。
「美味しい」声を上げた。
すーちーちゃんはキラリと光る八重歯を剥き出しにして、にこっと笑った。
「美味しいでしょう。ママの手づくりなの」
 すーちーちゃんがぽりぽりぽりと美味しそうに食べる。あたしもぽりぽりぽりと食べる。 竜太郎君もぽりぽりぽりと食べる。ぽりぽりぽりの三人の輪唱が続く。クッキーは美味しい。特に、クッキーの中に入っている黒い部分が美味しい。
「これ、何?」
 あたしはすーちーちゃんに尋ねる。
「セミやミミズだよ。おねえちゃん、そんなことも知らないの。神社にはセミの幼虫がたくさん眠っているんだ。夏になると、土の中からセミが出てくるから、それを捕まえて食べるんだ。それに、裏庭にはミミズがたくさんいるんだ。めっちゃ、美味しいよ」
 竜太郎君がすぐに答える。あたしの黒目は点に収縮し、やがて全てが真っ白になった。
セミ、セミ、セミ。あたしの頭の中をセミが飛んでいる。ミミズ、ミミズ、ミミズ。あたしの脳ミソの皺をミミズが這っている。
「こら、竜太郎。変なこと言うんじゃない」
 すーちーちゃんが弟の頭をげんこつでポカリと殴る。
「痛い。だって、ホントのことだもの」
 再び、すーちーちゃんが弟の頭を殴る。
「ごめんね、さやかちゃん。弟が変なこと言って」
「変なことじゃないよ。ホントのことだよ」
ポカリ。もう一度、すーちーちゃんが弟の頭を殴った。あたしは食べるのをやめた。
「あっ、もう、帰らないと」
 あたしは立ち上がった。
「そう。じゃあ、また来てね」
 すーちーちゃんがあたしを玄関まで見送ってくれた。入って来た階段とは違う場所だ。竜太郎君も一緒だ。照明の下では、すーちーちゃんと竜太郎君の影がこうもりの姿のように見えた。あたしも思わず自分の影を見た。よかった。人間の影だった。あたしは玄関の扉を開けた。玄関を出ると、あたしは神社の鳥居の下に立っていた。
「ただいま」
 あたしはすーちーちゃんの家(?)または神社から出ると、自宅に戻った。
「おかえりなさい。遅かったね」
 ママが返事をする。
「友だちの家に行っていたの」
「そう。誰なの?」
「すーちーちゃんって言うの」
「すーちーちゃん?変わった名前ね。お家はどこなの?」
「神社」
「神社?」
「うん。近くの神社」
「すーちーちゃんのお父さんは神主さんなの?それに、あそこの神社は、神主さんが住んでいたの?」
「お父さんには会っていないけれど、お母さんは色がものすごく白かった。青白いくらい」
「そうなの。ひょっとしたら、巫女さんなのかな」
「巫女?」
「ほら。お正月に、おみくじやお札を渡したりする人がいるでしょう」
そう言えば、すーちーちゃんのお母さんは優雅な振る舞いをしていた。そうだ、巫女なんだ。それじゃあ、すーちーちゃんも大人になったら、巫女さんになるのかな。あたしは、ママにはあたりさわりのない話しかしなかった。すーちーちゃんのことは少し不思議な女の子だと感じながらも、仲良くしたいと思っていた。ここで、すーちーちゃんの変なことを話すと付き合うのやめなさいと言われそうだったからだ。
食事が終わり、テレビを見ていると、パパが仕事から家に帰って来た。ママからパパにすーちーちゃんのことが話された。パパは缶ビールを飲みながら、「へえ。神主さんの娘さんか。いいんじゃない」と、何がいいのかわからないけど、返事をした。
 あたしは、パパとママに「おやすみなさい」を告げると、ベッドにもぐりこんだ。大きな目と魅力的な八重歯が印象的なすーちーちゃんの顔が浮かんだ。あたしの心は、すーちーちゃんにちゅうちゅうしているのかもしれない。
「おやすみ。すーちーちゃん」
 あたしは灯を消した。部屋は真っ暗になった。
「.さやかちゃん」
「こら、竜太郎」
 竜太郎君とすーちーちゃんの声だ。まさか。こんな夜中に。あたしは、灯を点けると、窓の外のベランダに出た。春だけど、夜はまだ寒い。体を震わせ、周囲を見渡すけれど、外には誰もいなかった。ただ、何かが、ベランダから飛び去ったような気がした。でも、今は夜だ。こうもりじゃあるまいし、鳥は、夜、外を飛べないはずだ。
「気のせいか」
 あたしは窓を閉めると、ふとんの中に潜りこんだ。

すーちーちゃん(3)

すーちーちゃん(3)

ある日、転校してきた少女が吸血鬼だった。三 六月

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-25

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