ドラードの森(完)
実際、恥ずかしがるどころではなく、発車した途端、本当に振り落とされるんじゃないかと思うぐらいの爆走だった。
「そ、そんなに急がなくても、いいだろう!」
「だって、日が暮れる前に戻りたいでしょう」
リフト乗り場のあるアゴラに着いた時には、足がガクガクだった。
「ふーっ、やっと着いたか」
「さあ、荒川さんがお待ちかねよ。ちょっとバイクを戻してくるから、先に行っててちょうだい」
「ああ」
リフトの横で待っていたのは荒川氏だけでなく、髭男ともう一人、見知らぬ白衣の男だった。白衣の男は医者のようで、ちょうど荒川氏に注射をしているところだった。
「緩和剤を打ちましたので、じきに痺れは取れますよ」
「それはありがたい。正直、入院を覚悟しておりました」
荒川氏は、すぐにおれに気付いた。
「おお、中野くん、無事じゃったか。説明の途中で飛んで行ってしまったので、どうしたものかと思っておるところへ、この人たちが来てくれたんじゃ」
「おれも助かりました。あっ、そうだ、すみません。実は、パラシュートを使ったんですが」
「ああ、羽根のことなら心配いらんよ。すでにオランチュラたちが発見し、ここに運んで来る途中じゃと連絡があった」
「良かった。黒田さんも、ご無事ですか?」
「先に治療を終え、パーティー会場に行っとるよ」
そこへ、女が戻って来た。すると、驚いたことに髭男が女に敬礼した。
「小柳捜査官、海賊船を拿捕し、一味すべてを逮捕いたしました。尚、民間人の治療のため、医務官に来ていただいております」
捜査官とか医務官とか、何の話だろう。
「岸川警部補、ご苦労さま。こちらも彼のおかげで無事に原住民を保護できたわ」
たまらず、おれは質問をぶつけた。
「ちょっと待ってくれ。あんたたちは、いったい」
女はニコリと笑った。
「もう言ってもいいわね。スターポリスよ。潜入捜査中で身分を明かせなかったの。わたしたちはずっとあの『パパ・ロビンソン』こと村上忠次郎をマークしていたのよ。彼だけを逮捕するのなら、話は簡単だったけど、仲間を一網打尽にするため泳がせる必要があったの。結果として、あなたたちに迷惑がかかってしまって、本当にごめんなさいね」
「そうだったのか」
小柳は何か思い出したように、クスリと笑った。
「最初は、あなたのことを仲間じゃないかと疑っていたのよ」
「え、おれを?」
「ええ。わざとオーバーに臆病なフリをしているのかと思ったわ」
堪え切れないように、アハハと笑い出してしまった。ヒドイ女だ。
その時、髭男が女に声をかけた。
「小柳捜査官、民間人の治療が終わったとのことですので、今から帰艦いたしますが」
「わたしはご挨拶したい方がいるから、フェアウェルパーティーに顔を出してから戻ります。後の処理は頼んだわよ」
ホテルグリーンシャトーの大広間にはツアーのメンバーだけでなく、なぜかドラード人たちも大勢集まっていた。黒田夫人がそのワケをおれに教えてくれた。
「モフモフさんの婚約の話を聞いて、せっかくだからみんなでお祝いしようということになったのよ。みんな賛成してくれたんだけど、あなたはどう?」
「もちろん大賛成です。あ、それから、ご友人をお連れしましたよ」
「えっ、誰かしら。まあ、荒川くんじゃない。何年ぶりかしら」
荒川氏は鼻だけでなく、顔中真っ赤になった。
「最後に同窓会で会ってから、もう二十年になるかのう」
「ふふふ、相変わらずおジイさん口調なのね」
そこへ黒田氏もやって来た。
「ふん。今はもう、本当に爺さんだよ」
三人が笑っているところへ、黒レザーの女、いや、スターポリスの小柳捜査官が来た。
「ご歓談中に失礼いたします。黒田絹代先生でいらっしゃいますね」
「あらあら。どうしたの。もう、先生と呼ばれるような堅苦しい身分ではないけれど」
「星連警察捜査一等官、小柳元子と申します。わたくしの上司である山下長官から常々ご高名を伺っておりました。潜入捜査中で身分を明かせず、大変失礼いたしました。お会いできて光栄です」
「まあ、あなた山下くんの部下なのね。彼は元気にしてるかしら」
「はい。今でも陣頭指揮をとっております」
「彼らしいわ。よろしく伝えてね」
「本部に戻りましたら、先生は相変わらずお美しかったと伝えます。帰艦の時間が迫っておりますので、これで失礼します」
小柳捜査官が足早に立ち去ると、黒田夫人の教え子たちの話題で、かつての同級生三人の会話が大いにはずんでいた。楽しそうに話す三人から少し離れ、おれは料理を見て回った。もちろん、ドングリを主体にしたものだが、今回は野菜や果物もかなり使っているようだ。
「少し味見してみませんか」
リボンのドラード人に、そう声をかけられた。何となく、その声に聞き覚えがあった。
「もしかして、きみは」
「はい、今朝ほど中野さまに叱られた者です」
「そうなのか。それはすまなかった」
「いえいえ、気になさらないでください。それより、姉に素敵なプレゼントをいただき、本当にありがとうございました。申し遅れましたが、妹のメイメイと申します」
「へえ、そうだったのか」
なるほど。それで普段冷静なモフモフが、あの時、妙に感情的になっていたのか。
「でも、パーティーが始まる前に味見しちゃっていいのかい?」
「シェフ特製の、あ、いえ、わたくしの婚約者が心を込めて作りました。どうぞ食べてみてください」
おれは手近のカナッペを食べてみた。
「うん、うまいよ」
「ありがとうございます」
うれしそうに笑っているメイメイに、ちょっとイジワルな質問をしてみた。
「ねえ、今より豊かな暮らしができるようになったら、きみはどんなものが欲しい?」
メイメイは一瞬キョトンとしていたが、すぐに笑顔になった。
「わたくしたちは今でも充分豊かですよ。ドングリは豊富にありますし、気候はいつも穏やかです。着るものの心配をしなくても、保温と防水に優れた体毛に恵まれています。そして、何よりも、やさしい家族や仲間たちがいます」
自信たっぷりにそう答えられ、ちょっと苦笑したところで、ポンと肩をたたかれた。振り向くと、荒川氏だった。
「わしらは所詮、楽園から追放されたアダムの子孫じゃよ。ただ、本当にゴールドラッシュが訪れたとき、この楽園がどうなってしまうのか、それだけが気がかりじゃ」
「そうですね」
「わしは生涯を独身で通したから、森の精霊と同じく、マムスターたちをわが子同様に思っておる。わしにできる限りのことはしてやりたいんじゃよ」
気が付くと、黒田夫妻も近くに来ていた。
「ふん。子供というのは決して親の思い通りにはならんものさ。今にして思えば、息子はこの親父に何かを悟らせようと今回の旅行をプレゼントしたのだろうが、こっちだってそうそう思い通りになんか、なってやらんぞ」
「あらあら、意地っ張りね。親子でよく似てること。でも、そのおかげで荒川さんに会えて良かったじゃない。こうなったら、何とか三人で力を合わせ、モフモフさんたちが幸せに暮らせるように協力してあげましょうよ」
「ふん、まあな」
「そうじゃな」
おれは三人の邪魔をしないよう、そっとテーブルの方に行きかけたが、ふと、思いついて自分のリュックを開け、あるものを取り出してメイメイのところに戻った。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「え、何でしょう?」
おれの頼みを聞いて、メイメイは楽しそうに笑った。
「わかりました。仲間にも協力してもらいます」
やがてパーティーが始まり、サプライズでケーキ入刀などもあって大いに盛り上がった。
パーティーの最後、お礼の挨拶をするモフモフとイサクに向かって、おれの合図でメイメイたち数名から盛大に紙吹雪が浴びせられた。
いつの間にかおれの横に立っていた黒田夫人が、ちょっと心配そうな顔でおれに尋ねた。
「あれは大事な書類じゃなかったの?」
「いえ、いいんです。異星間比較文明論のレポートの下書きですが、全部書き直すことにしたので」
「あら、どんなことを書くのかしら」
「まあ、内容はまだこれからです。でも、タイトルだけは決まりましたよ」
「何という、タイトルなの?」
「『ドラードの森』です」
(おわり)
ドラードの森(完)