ゴッホのタッチ
細野不二彦さんの『ギャラリーフェイク』ってマンガ、好きです。
平日の午後。
滝のような大雨の中、僕らは県立美術館で開催されていたゴッホ展を訪れた。
有名なある絵の前で、足を止める。
小学生の時、図工の教科書で、僕は初めてこの絵を知った。
今思えば、とんでもなく恥ずかしい勘違いなのだが、その時の僕の感想は、でかいなあ――だった。
「ちょっと、滝を思い浮かべてくれない?」と、不意に彼女。
僕はいぶかりながら、
「それってもしかして、心理テストか何か?」と聞いた。
「那智の滝を思い浮かべた人はスケベで、華厳の滝を思い浮かべた人は自殺願望があるとか言う具合の?」
「そんなんじゃないよ。でも、私の言おうとしていることは、それに近いかな。滝を思い浮かべてと言われて、ある人はナイアガラの滝を思い浮かべ、またある人は清水寺の音羽の滝を思い浮かべるかもしれないでしょ? まあ、那智の滝を思い浮かべたあなたがスケベってのは、実際当たってると思うけど――」
「おいおい」
「要するに、人によって思い浮かべる滝は、千差万別。ナイアガラの滝にしても、音羽の滝にしても、その規模は全然違うけど、どちらも滝であることにはかわりない。勿論、那智の滝であってもね」
「根に持つね。何が、言いたいわけ」
「滝には、共通した、一般化したイメージがないってこと」
「なるほどね。でも、それは何も滝に限ってのことじゃないだろう?」
「そう、例えばお花。お花と言われて、あなたはどんなお花を思い浮かべる?」
「何だよ、それこそ心理テストみたいだな――」
僕は、壁の絵にちらり視線をやって、
「ええっと、月見草?」
「この、太宰好き! しかし、敢えて言おう。月見草が、昼間咲くものか!」
学芸員の、咳払い。
彼女は、慌ててその口許を手で覆う。その指許には、僕の贈った婚約指輪。
僕は苦笑する。太宰好きは君だろう、と。けれど僕は、苦笑しながら、少し納得、感心もした。
彼女の思い浮かべた月見草は、標高三七七八米の富士山の川口湖畔に咲いていたが、僕の月見草は、日本海を前にひっそりと咲いていたのだから……。
同じ月見草にしても、思い浮かべる人が違えば、咲いている場所すらこうも違う。
僕らは、分かり合っているつもりで、実は全然分かり合えてはいないのかもしれない。
何だか、本当に心理テストでも受けているような気持ちになってきた。
幼なじみで、幼稚園から大学まで一緒。
そうして、当たり前のように僕らは来月挙式する。
けれど、このイメージの相違を突き付けられて、僕は不安になってきた。
僕らは、これから本当にうまくやっていけるのだろうか?
ゴッホの展覧会。
周囲は、当然ゴッホの絵。館内は、大雨のため客足はまばら。
ゴッホの絵のタッチには、確かカルマン渦だったか、人を不安にさせる何かが潜んでいる。
て言うか、滲み出ている。
よもや僕ら、ゴッホとゴーギャンのような事になったりするのでは?
そうして、僕は挙げ句、己の耳を……。
「でも、じゃあひまわりを思い浮かべてって言われたとき、あなたはどんなひまわりを思い浮かべる?」
朗らかな、彼女の声。
僕は、はっと我に返る。
「……そりゃ、でっかい花の咲く、背の高いひまわりだろ?」
「でしょ。それが普通よね」
「うん」
「でね、ここからが本題なんだけど――」
彼女は、視線を壁の絵にやった。つられて僕もその絵を見る。
「私が小学生の時、この絵を図工の教科書で見た時の第一声――」
――まさか?
「この花瓶、デカっ!」
僕は彼女に、満足げに頷いてみせる。
そうして、僕らはハイタッチした。
静寂な館内に、その乾いた音は心地よく響き――二人、学芸員に睨まれる。
ゴッホのタッチ
『ギャラリーフェイク』の中で、ゴッホの絵とカルマン渦の話、出て来ます。
細野さんて、かつて『さすがの猿飛』を描かれた人なんですよね。
私はこの絵のタッチの方が好きです。
ちなみに全巻持ってます。
当たり前ですが、古本屋で収集。