指先で紡ぐぼくらの・・・ 【番外編2】
~ ふたりで、大晦日に ~ ■前 編
『ぉ、お邪魔・・・ します・・・。』
自信なげな、どこか不安感さえ滲むようなその一言に、ハヤトが苦笑いを浮かべた。
ハヤトの自宅マンションの玄関先でしゃがみ込み、脱いだムートンブーツを几帳面に
揃えるミノリの後ろ姿。
そのピーコートの小さな背中を、少し困ったような顔で見つめていた。
(まったく・・・ なんにもしないっての・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タブン。)
今年の大晦日も、ハヤトの母親は仕事が忙しくゆっくり自宅になど居られそうになかった。
心配したミノリが自宅に誘うも、さすがに気が引けて丁重に断ったハヤト。
すると、ミノリが出汁巻き玉子を作って自宅マンションを訪ねてきた、大晦日の午後2時。
玄関で出汁巻き玉子が入った器だけ渡して帰ると言い張るミノリを、なんとか引き留める。
付合いはじめてから、クラスは違うものの毎日一緒に帰っていた。
冬休みに入ってからも、会えない日は電話をして、毎日会話をしていた。
それでも、
少しでも、
一緒にいられるなら、いたい。
そう思うのは、当たり前のことだ。
当り前のことに決まっている。
ただ、少しでも一緒にいたいだけ、なの、に・・・
『ダイジョーブ!ダイジョーブ! ここで平気!平気!!』
どんな過激な妄想しているのかは知らないが、ミノリは玄関より先に足を踏み込むことを
真っ赤な顔をして必死に拒んでいる。
どれだけ身の潔白を主張しても、その赤い顔はまるで極悪犯罪人を見るような訝しげな目を向け。
こうなったら、ハヤトも意地だ。
『なーんにもしないって!! 少し一緒にいたいだけだってー!!
誓う!誓うから、なんにもしないから!! だから、ちょっと上がってってお願い!
寂しいよーぅ、大晦日にひとりは寂しいよーぅ! ミーノーリーぃ!!』
玄関先でのすったもんだの後、ハヤト宅のリビングのソファーにミノリが座る。
ソファーの端に。ポツン、と。
逆サイドの端には、ハヤトが。
『どんだけ信用ないの・・・ 俺。』
少し、いや、かなり落ち込んでいるハヤト。
肘掛けに片肘をついて体をもたれ、チラリ。離れて座るミノリへと目をすがめる。
ミノリはクッションを抱きかかえ、赤い顔を半分隠すようにして縮こまっている。
(てゆーか・・・
チュウより先はいつまで ”おあずけ ”なの・・・? 地獄・・・。)
ミノリが過剰に心配しているような事は ”今日は ”しないけれど、この先のことを
考えて更に落ち込んだ。無意識のうちに小さく溜息がこぼれた。
すると、そんなハヤトの様子に少し慌てたミノリ。
ソファーから下りてラグに正座すると、布地のトートバックから器を取り出した。
天然木の艶のある座卓テーブルの上にそれを置いてフタをはずすと、そこにはミノリ
特製出汁巻き玉子が。
少しだけハヤトの顔色を伺いながら、ミノリが言う。
『ハヤトの為だけに、作ったんだよ・・・。』
すると、黄金色のそれに分かり易く機嫌を直したハヤト。
嬉しそうに顔を綻ばせてソファーから飛び降り、ラグに胡坐をかいた。
今回は少し多目に作って持ってきた出汁巻き。
ゆうに3人分はあったはずが、気が付けば一気に半分は食べてしまっている。
『おせちも少し持ってくれば良かったね・・・。』
豪快な食べっぷりに少し笑いながら呟くと、ハヤトは慌てて箸を置き食べる手を止めた。
『少しは残しとかなきゃ・・・ 楽しみ、なくなる。』
なんだか子供のようなハヤトを、愛しげにミノリが目を細めて見つめていた。
ラグにペタンと座りソファーに背中をもたれて、ふたり。
一人分の妙な空間を作って並んで座る、ふたり。
リビングの壁掛け時計の秒針が、1秒ずつ音を刻む。
互いに意識し過ぎて変な空気になっているのは、火を見るよりも明らかだった。
ミノリが口火を切る。
『そろそろ・・・ 帰ろうかな。』
その言葉に、泣きべそをかいているのではないかというほど悲しそうな顔を向けるハヤト。
『えええ・・・ 来た、ばっかじゃん。』 口を尖らせて、眉根をひそめて。
『・・・じゃぁ。 もう少し・・・。』
言うと、ミノリはぷっと吹き出して笑った。
ハヤトが愛しくてそっと手を伸ばし、その大きな手をつかんだ。
やさしく握って、ミノリは俯き小さく微笑む。
すると、その大きな手もまた、愛おしそうにしっかり握り返した。
一人分の妙な空間を作ったまま、ふたり。腕を伸ばして、手と手をつなぎあっていた。
バタン。
その時、玄関でドアが開閉する音が鳴った。
驚いて少し体を強張らせ慌ててつないでいた手を離すと、玄関の方へ目をこらす。
すると、そこにはハヤト母サキの姿が。
高級スーツを身にまとい気怠そうにリビングに進むと、その目はミノリの姿を捉え
立ち止まった。
三者、暫し声を出せず固まる。
『ぉぉおお邪魔してます!』 ミノリがせわしなく瞬きをし、会釈をした。
『ぁ、えーと。学校の。 あの・・・
・・・コンノ。 コンノ ミノリ、さん・・・。』
ハヤトのうろたえっぷりも尋常ではない。
パチパチと瞬きを繰り返していた長いまつ毛の母サキが、動揺して速い鼓動を必死に
鎮めつつ、ゆっくりゆっくり声を絞り出した。
『・・・い、いらっしゃい・・・。』
3人の間に、なんとも言えない気まずい空気が流れていた。
~ ふたりで、大晦日に ~ ■中 編
はじめて目にした自分の家のリビングにいる女の子の姿に、視線は中空を彷徨う母サキ。
ふと、その落ち着かない目はテーブルの上に出汁巻き玉子を捉えた。
テーブル横に立ったまま上半身を屈め、無言で手を伸ばしそれをひとつ摘んで口に入れる。
ミノリが目を見開き、固唾を飲んでそれを凝視した。
『・・・これ、どこの?』
母サキの言う意味が分からず、ミノリはハヤトに助けを求める目を向けた。
『ミノリんち、の。だけど・・・。』 ハヤトが代弁する。
『ぁ、あの・・・わたしが作ったので、あんまり美味しくな・・・
『すっっごい美味しいっ!!!』
『ぇ?』 緊張しまくって固まるミノリに、『すごい美味しい!』 を連発する母サキ。
『どこのお店のかと思ったわ。』 そうまくし立て、次々口に入れてゆく。
『ちょ! 俺の分なくなるだろっ!!!』
ハヤトがムキになって出汁巻きが入った器を奪おうとするも、母サキはそれを高級スーツの
腕で払いのけて遮り渡さない。
『せっかく楽しみに残しといたのに!!』 まるで子供の喧嘩ような母と息子の姿。
『あの、それ・・・ 作るの簡単なんで・・・
・・・もしアレだったら、すぐ作れますけど・・・。』
そのミノリの声に、母サキがパっと明るい表情を見せ、言った。
『私が作るわ! だから、教えてくれない?作り方。』
それは、あまりに自信満々で威風堂々としていて、ハヤトは喉元まで出掛けたその一言は
グっと飲み込んだ。
(母さん・・・ 料理なんて何年やってないと思ってんだよ・・・。)
『じゃぁ、ちょっと行って来るから。』
そう一言いうと、母サキはミノリの腕を半ば強引に掴んで玄関のドアを出て行った。
ドアが閉まる間際に一瞬見えたミノリの、その強張った顔。
(ハハハハヤト・・・ 助けて・・・。)
母サキは、突如出汁巻き玉子を自分で作ると言い出し、しかしここ数年全く料理など
していないゴトウ家のキッチンには、玉子もなければ玉子焼き専用フライパンも無い。
『なら買いに行きましょう!』 と、ミノリの腕をむんずと掴んだ。
慌てたハヤトが『俺も行く!』 とそれに続いたのだが、母サキはそれをアッサリ拒絶。
『クール便が届くから留守番してなさい。』 と言い捨て、ミノリは人身御供となっていた。
大晦日の午後の街。
人々は年越しの買い物は既に終えているようで、どこか穏やかで然程混雑もしていなく
ちらつく淡雪もやさしく温かく感じる。
『ごめんね、急に・・・。』
サキから急に出たその声色に驚き、目を向けるミノリ。
先程のハヤトの前でのまくし立てる声色とは全く違う、とてもやわらかいものだった。
『・・・いいえ、全然。』 ミノリが小さく笑う。
すると、
『出汁巻き作りたいなんていうのは、口実なの・・・
あの子とふたりでいるのが、ちょっと気まずくて・・・
あの子も・・・ 私とふたりは嫌だろうし・・・。』
そう言って、可笑しそうに寂しそうにサキは笑う。
『あの子、学校ではどんな感じ?』 普段あまり一緒にいないのでハヤトの様子など
何も分からないサキ。互いになんとなく避け合っていた為、会話らしい会話もしていなかった。
『ゴトウ君は、人気者ですよ!
カッコいいからすごいモテるし、スポーツもなんでも出来るし・・・
・・・ぁ。 スケート以外ですけどね。』
ククク。と思い出し笑いをするミノリ。
ミノリがハヤトの話をする時のやわらかい表情を嬉しそうに横目で見つつ、サキが続ける。
『あの子が出汁巻き好きだっていうのも、全く知らなかったわ・・・』
『出汁巻きは最近わたしが作るのを、無理やり食べさせてるだけなんで・・・
元々好きなのかどうかはわかんないんですけど・・・
・・・一番好きなのは、鯛焼きですよ。』
そう笑うミノリに、『鯛焼きっ?!』 サキが驚いた声を上げる。
あのぶっきら棒で、殆ど口を利かないハヤトが鯛焼き好きだなんて全く知らなかった。
先程の、出汁巻き玉子の器を必死に奪い返そうとする息子を思い返す。
『出汁巻きが好きっていうより、
・・・ミノリちゃんのことが、よっぽど好きなのね、あの子・・・。』
サキの言葉に赤くなって言葉に詰まったミノリ。
すると、哀しげな声色でサキは言った。
『ハヤトの傍にいてあげてね・・・
私はいないほうが、きっとあの子はいいはずだから・・・。』
すると、
『そんな事ないと思います。』 ミノリが真っ直ぐサキを見つめて言う。
『ゴトウ君、すごく寂しがってます。
言えないだけで・・・ 本音、言えないだけで。 絶対寂しがってます・・・。』
サキがそっと目を伏せた。
胸にぐっとこみ上げるものがあったが、なんとか深呼吸をして鎮める。
『ねぇ、訊いてもいい?』 サキがミノリをやさしく見つめた。
『いつから付き合ってるの?』
『・・・今年の夏のはじめです・・・。』
(・・・今年の夏って・・・ 離婚した頃・・・。)
『・・・・・・・ありがとう・・・・・・・・。』
そのサキの一言は、あまりに小さくて弱弱しくて、まるで泣いているのではないかと
思うほど震えていた。
~ ふたりで、大晦日に ~ ■後 編
(母さんのエプロン姿なんて、いつぶりだろう・・・。)
ミノリと母サキが、ゴトウ家のキッチンに立っている。
そのふたりの背中を、ハヤトはリビングのソファーにもたれて、ぼんやり眺めていた。
たまにキッチンから流れてくるふたりの楽しそうな笑い声。
母サキのあんな風に笑う声なんか、もう忘れかけていたほどだった。
『あああ!! ミノリちゃん!どうしよどうしよ・・・。』
ガチャガチャとなにやら危なっかしい音に混じって、母サキの呼び掛ける声に嬉しそうに
笑うハヤト。 『 ”ミノリちゃん ”て・・・。』
テーブルの上に置かれた、母サキ作の出汁巻き玉子。
巻かれていない、出汁・・・玉子。
上手に巻くことが出来ず、形が悪いそれに不満気な顔をしているサキ。
まるで子供のように口を尖らせ、ふくれっ面をしている。
(やっぱ、お母さんとハヤトって似てる・・・。)
ミノリが俯いてこっそり笑う。
そして、
『玉子焼き専用フライパンは、使い慣して油を馴染ませないと巧く巻けないんですよね~』と
やんわりサキを援護した。
その形の悪い出汁巻き玉子に、3人で恐る恐る箸を伸ばす。
『美味しい・・・』 ミノリが笑い、
『ん。 味は悪くない・・・』 ハヤトが若干照れくさそうに、
『ダメ! もうちょっと上手に出来るはず!』 サキは納得いかない顔で、しかしとても
嬉しそうに笑った。
なんだか、
あたたかい時間だった・・・
こんな穏やかな大晦日・・・
ミノリがいてくれただけで、こんな・・・
ミノリを家まで送るハヤト。
もうすっかり日は落ち、コンノ家でも大晦日の夕飯がはじまる時間が近付いていた。
手をつないで歩く、静かな雪の道。
暗いはずの空は雪の白さが反射して、ほんのり藍色にレースが掛かったように霞んでいる。
踏みしめるたびに、ギシッ ギシッ 。と雪は軋む音を立てた。
ミノリはサキと買い物に行った時の話を、愉しげにハヤトに話して聞かせた。
ちょっと思い出し笑いをしながら、なんだか嬉しそうに。
『お母さん、ハヤトのことすごく気に掛けてたよ。
・・・ちゃんと、心配してた・・・
もっと普段から色んなこと話したらいいよ。
何が好きかとかも、もっと・・・。』
すると、ぎゅっとつなぐ手に力を込めるハヤト。 立ち止まった。
胸がいっぱいで、苦しくて、でもその何倍もあたたかい。
『ありがとう・・・。』
泣いているのかと思うようなそのハヤトの声色に、ミノリが驚いて振り返ると
ミノリの頬にそっと手をあてて、小さく唇を寄せ、キスをした。
短く触れ合ったふたりの唇から、白い息が寒空に流れて消えた。
12月31日
あと少しで日付が変わり、新年が始まる。
『もしもし・・・ ハヤト?』
つい先ほど別れたばかりのハヤトからの電話に、ミノリがちょっと驚いて笑った。
時計の針は11時59分を指す。
『今年も一年ありがとう。』
『こちらこそ、ありがとう。』
そして、00分ジャスト。
新年がはじまった。
『今年もよろしく。』
『こちらこそ、よろしく。』
『好きだよ、ミノリ・・・。』
去年の電波越しの ”文字 ”の会話を思い出すふたり。
今年はちゃんと ”言葉 ”を交わしている。
いつかは、年の最後とはじめに、ちゃんと ”顔 ”を見合わせて一緒にいられるだろうか。
きっと、いや必ず。 一緒にいられる・・・
『わたしも。 大好きだよ、ハヤト・・・。』
電話を終えてリビングに戻ると、母サキがやさしく微笑んで言った。
『ミノリちゃんイイコね・・・
あの子が将来、お嫁さんに来てくれたら、私、嬉しいわ・・・。』
すると、ハヤトが即答した。
『そうなるから、その時はヨロシク。』
母サキが肩をすくめて笑っていた。
その目にはうっすら涙が浮かんでいたが、ハヤトは気付かなかった。
『鯛焼き買ってきてあるのよ。』
『えっ!!! まじで??』
『お茶淹れるから、ふたりで。 食べましょ・・・。』
【おわり】
指先で紡ぐぼくらの・・・ 【番外編2】