すーちーちゃん(2)
二 五月
「さあ、体操をしますよ」
あたしたちは体育の授業中だった。今日は、徒競争の練習だ。もうすぐ、運動会がある。その予行練習だ。その前に、体を慣らすため、ラジオ体操をする。みんな、ぶつからないように、両手を広げて間隔をとる。体育委員の松崎君がみんなの前に立ち、号令のもと、体操が始まった。
「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち。いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち。」
体操が終わった後、先生の指示で、徒競争が始まる。あたしとすーちーちゃんは背丈が同じくらいなので、一緒に走ることになった。次々と同級生たちが走っていく。さあ、あたしたちの番だ。
「ようい。どん」
先生が旗を上げ、掛け声を上げる。あたしたちは飛び出した。でも、あたしが一番遅い。目の前を、ゆかりちゃん、ともこちゃん、すーちーちゃんが走る、コーナーを曲がり、最後の直線だ。
その時、すーちーちゃんが転んだ。あたしはそのままゴールした。ゴールした後、振り返る。すーちーちゃんは転んだままだ。先生がスタート地点から、「龍野子さん。大丈夫?」と大声を上げた。あたしはゴールから戻って、すーちーちゃんを助け起こしにいった。
「だいじょうぶ?痛いの?」
「うん、だいじょうぶ」
すーちーちゃんは自分で立ち上がった。徒競争のコースから外れる。すぐに、次の組が走って来た。
「あれ、膝から血が出ているよ」
あたしはすーちーちゃんの膝から血が出ているのがわかった。
「血?」
すーちーちゃんは自分の膝頭を見る。
「血だ・・・・」
そのまま崩れ落ちるすーちーちゃん。
「すーちーちゃん。すーちーちゃん」
あたしはすーちーちゃんを抱き起こした。でも、すーちーちゃんは目をつぶったまま、返事をしなかった。気を失ったのか。
「ここ、どこ?」
すーちーちゃんが目を覚ました。
「保健室よ。大丈夫?気絶したからびっくりしたわ」
あたしは、すーちーちゃんに徒競争の練習中に転んで、血を見た途端、気を失なったことを説明した。
「うん。そうなの。あたし、血を見るとびっくりするの」
「へえ。そうなの」
あたしは、なんだか安心した。謎の多いすーちーちゃんだけど、血を見ると気を失うなんて、可愛いし、おとっちゃまだ。
「お母さんを呼ばなくてもいい」
「大丈夫。すぐに元気になるから。傷はどんなかな」
すーちーちゃんは、シーツをめくり、傷を見る。傷は右足の膝頭だった。絆創膏を貼っている。すーちーちゃんは膝を曲げ、膝を胸に抱き寄せる。
「どうかな?」
すーちーちゃんが絆創膏の端をめくる。
「もう、痛くないの?」
あたしが尋ねる。
「うん、痛くない」
「傷を見るの怖くないの?」
「うん、怖くない」
すーちーちゃんが絆創膏をはがした。すごい。あたしだったら、傷跡を見るなんてできない。傷は血が止まっていた。でも、まだ十分には乾いていなかった。傷跡から、血がにじんできた。
「血だ」
すーちーちゃんは、再び、ベッドに倒れた。
「すーちーちゃん、すーちーちゃん」
あたしはすーちーちゃんの肩を揺すりながら、に何回も声を掛けたけれど、返事はなかった。
「すーちーちゃん、帰ろう」
「うん。帰ろう」
すーちーちゃんは、一しばらくの間、ベッドで横になってから、教室に戻って来た。算数の授業も、国語の授業も、社会の授業も、誰かわかる人?と先生が質問すると、積極的に手を上げ、全て正解だった。
「すーちーちゃんって、頭がいいのね」
あたしが休み時間に尋ねると
「ううん。頭がいいんじゃなくて、何でも吸収するだけ」
「吸収?」
「そう。あたし、ちゅうちゅうするのが好きなの。だから、勉強でも、食べ物でも、何でもちゅうちゅうするの」
「そうなの。じゃあ、あたしもちゅうちゅうするの」
「ううん。さやかちゃんは、あたしの友だちだからちゅうちゅうしない」
そう言いながら、すーちーちゃんの目がぎらりと光った。あたしの首筋に鳥肌が立つ。寒い。あたしは思わず首に両手をやる。あったかい。すーちーちゃんは空に目を転じた。
「あの雲、何かに似ていない」
あたしも空を見上げる。
「あんぱんかな?」
あたしが先に答えた。
「神社の駒犬よ」
続いて、すーちーちゃんが答える。
「ソフトクリーム?」
「神社のお供えのバナナよ」
「ホットケーキ?」
「神社にいるこうもりよ」
あたしとすーちーちゃんはまるで発想が違う。四つ角に来た。左に曲がればあたしの家。右に曲がればすーちーちゃんの家。
「じゃあ、バイバイ」
すーちーちゃんはあたしに手を振った。
「バイバイ」
あたしもすーちーちゃんに手を振る。そう言えば、すーちーちゃんの家はどこだろう。今まで、家がどこにあるか、話をしたことはなかった。あたしは四つ角に立ち止まったまま、すーちーちゃんの後ろ姿を見つめる。すーちーちゃんは神社の鳥居をくぐった。そっちに行けば、神社の社殿があるだけだ。家までの近道があるんだろうか。あたしは不思議に思いながらも、すーちーちゃんの後姿が見えなくなるまで、その場でじっと立っていた。
すーちーちゃん(2)