上位 -アップワード-
上位は実に幻想的な世界であった。
私の体は上位に移った。昔の人間は、天動説に従って、宇宙の果てには幾多の星が点描された球蓋が存在していると想像したが、上位にもそのような球蓋が取り巻いていた。球蓋の模様は不思議であり、身近であり、やはり幻想的であった。
球蓋は、あたかも石鹸水の泡沫のように虹色を揺らめかせていた。淡い彩色であり、極めて水彩画の虹に似ている。
私の体は球蓋の中心に静止し、両目が自然と虹の流動を追いかけていた。口から安息の吐息が漏れ、耳にか細く反響した。
上位は時間の認識を放棄させた。時間は一方方向に前進するものであるが、この場所に於いては、時間は右往左往する存在であった。今は未来であるのか過去であるのか。未来は今であるのか過去であるのか。過去は今であるのか未来であるのか。時間は曖昧であった。私は、未来の上位を知っているような気がするし、過去の私も、今の上位を想定していた気がする。過去の私は今の私であり、同時に未来の私であるとも思えた。一次元的に伸びる時間軸は、糸くずのように丸められ、この上位にて浮遊しているように思われた。
上位は空間の知覚を放棄させた。空間は、座標系を取り得るものであり、一点と、別の一点を区別付けるものであった。この場所に於いては、そのような整然と並ぶ筈の無限個座標が、混濁しているように思えた。例えば、手と足の区別がつかなくなった。ある一瞬は、手足が逆に配置され、ある一瞬は、実際通りの配置に戻る。このような事が繰り返されていた。内臓も同じようであった。胸を強か打つ心臓は、ある一瞬では、へその裏に潜んでいるようだった。空気を取りこむ口も、ある一瞬では背中に回り、ある一瞬では何個にも分裂して、四方八方から呼吸をした。全てが混然と、掻き回されていた。
視界に映る虹色の彩色が、両目の異配置によるものだと気付くのは、そう難しい話ではなかった。いや、難しいという考えでさえ、時間の茫漠による、曖昧の渦中であった。この事実に気付くまで、私は、一瞬の時間も擁さなかったし、永劫の時間を擁したのも事実だった。
上位に於いては、あらゆる曖昧さが許された。時間と空間を決定づけないこの場所の在り様は、電子雲の比喩を持ちだすことでさえ、不十分にも程があった。
私の意識は、離れている筈の空間的二点と、離れている筈の時間的二点に結ばれ、そこを移動した。これが、上位でない世界ならば、瞬間移動と時間跳躍の同時発生に面していると言う事であった。この跳躍的行為は、全くの間を持たずに繰り返されている。ある面で、私の意識はこれを連続的に知覚していた。まるで、外界の時間と意識上の時間は、乖離させて考えられるべきだと言う論説を肯定しているかのようだった。外界から見て――仮に見る事ができたならば――私は時空の混線を象徴する存在であろうが、私から見て、時空が混線しているのは外界の方であった。私の意識は、確かに一本の糸を辿り、時空間に存在しているのだ。故に、私は外界から浸透する記憶を知覚し、未来と過去と現在を同時に知覚するに至っている。一瞬一瞬に喚起されるあらゆる事実が、私に降り注いでいる。
このような混線する時空間に住まう事は、まるで私の意識をマドラーでかき混ぜ、私というエントロピーの増幅を促しているようであった。それ即ち、混沌に接近する状態であり、秩序立った私の肉体を際限無くミキサーにかける行為に等しかった。私の意識は外界と親和し混ざり合い、それこそ、宇宙の普遍的な存在に昇華する(普遍化は知覚域の拡大を示す。私の意識は銀河系でさえ遠く及ばない広範囲に敷衍された。)存在の上昇過程であった。
上位は実に幻想的な世界であった。私の意識を限り無く零に近づけてくれる。
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