ENDLESS MYTH 第1話ー15
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口内が塩っ辛く、舌をつままれた気分でメシア・クライスト目覚め、胃袋から込み上げる物を喉の奥から出した。海水である。
気を失う前に最後に覚えている光景は、クラーケンの小山のようなトゲがびっしりと生えた触手に叩きつけられ、海面に落下したことと、真上からチタンの塊が降ってきて、人が海底に沈み行く光景であった。マリアの姿を海底で探したが、そこで意識は暗闇に落ち込んだのである。
周囲を見回すと、彼が横たわっていた場所が巨大なパイプの中なのが分かる。彼の横たわっていた場所のすぐ隣の床に、焼ききれた格子が口を開けている。彼らが身を置くパイプと下方のパイプを連結している通路であった。
マリアは!
自分の置かれている状況を理解すると、波のように押し寄せてくる、最愛の人の安否への不安。周囲を見回すと、なんのことはなく、彼のすぐ近くに座っていた。
濡れた衣服の気持ち悪さを引きずり、マリアに駆け寄ると、彼女は蒼白に彼を見上げた。
海水に濡れた彼女の表情は、不謹慎だが彼には艶のある表情に見え、無性に抱きしめたくなり、小さな肉の少ない身体を抱き寄せた。
海水に沈んだ事実は理解していたが、メシア同様、そこからの記憶が途絶えているマリア。強く抱かれて苦しさを少し感じだが自然と、彼の背中に腕が回っていた。濡れた肩越しに、父の神父独特の襟が見えていた。父も無事だと、彼女は心中で安堵の溜息を漏らすのだった。
「お取り込み中のところ申し訳ないが、ここにいつまでもこうして座っては居られない。状況を理解してるよな」
2人の姿が伴侶としか見えず、分からないがベアルドの奥に不愉快な雲が立ちこめ、表情にそれが浮き出て、声色も棘のあるものへと変化していた。戦場で抱き合う男女を見るのは不愉快だが、今回はさらに気乗りのしない任務であり、若く初陣という事もあって、気が張っている中に、そうした甘い蜜を垂らされても、今の若い兵士には不快にしか映らない。
しかも2人をこの場へ運んだのも彼であった。チタン製の橋の落下と共に、海水へ身を投げた瞬間、神父を含む4人の肉体を物理シフト要請により次元変換をもたらし、橋の落下とデヴィルズチルドレンの触手より物理的被害を回避すると、島の海水を排水するパイプへしがみつき、小型バーナーで鉄柱を焼き切りそこへ2人を放り込み、上官が侵入するのを待って、自らもようやく安全な内部へ侵入した。そこから上部にさらに巨大なパイプが走っている事実を本部への検索により判断すると、上部への排水口を発見するなり鉄柱を再び焼き切って、若者を2人上部へ押し上げたのだ。そこからは2人の身体のチェックを本部との連携で行い、損傷が皆無なのを上官神父へ報告した。
一連のこうした尽力で2人の命は現世へ止まっていられる。そこで甘ったるい行為を見せつけられては、憤慨にもなるであろう。
臨時的に部下となったブル兵士の心情を察してか、神父は咳払いをすると、MAXI8アンリミテッドリボルバーABSSVを濡れた衣服で海水を拭き取ると、シリンダー内部の銃弾を確認、シリンダーをガチャリと戻し、2人を見つめた。
「人工島には複数のこうしたパイプが蜘蛛の巣のようになっています。ここを伝って行けば地上に出られるはずです」
と、娘に手をさしのべた。
思わずマリアは視線を俯き加減にする。この2日で父親を見失っていた。
メシアが察するとすぐに、彼女の腰を抱き上げ、軽い身体を立たせた。
ベアルドのライフルの先端に装備したビームライトがパイプ内部を浮き立たせる。錆は一切なく、滑らかに濡れ光っていた。ここは嵐など、水位が上昇した際に活動するパイプらしい。この津波のせいで、さっきまで海水で満水だったことをものがたっていた。
つまりこのままでは再び、海水に彼らが呑み込まれるということを示唆していた。
時間がない!
4人は時間の馬に追われている。
ベアルドとマックス神父を先頭に、若者2人はパイプの内部を、底知れぬ不安に身体を縛られながら進む。
窪みにたまった墨汁の海水とチタンを踏み鳴らす音が反響しあう。一種独特な空間と音に、目の前が歪むような気分になるメシア。異空間の穴に落ち込んだような気分の2日、彼の体調は激しく悪かった。
「また体調が悪いの」
力のないメシアの腕を抱き、彼女が問う。精神が不安定なのは彼女も同じだが、彼の異常さは放っておけなかった。
メシアの青い唇はマリアの予想通り、大丈夫、の一言を耳に残すだけだった。
「ねぇ、少し休ませて。メシアの具合がわるいの」
けして人と社交的に話す方ではないマリアにしては珍しく、しかも強い口調でブル兵士に訴えかけた。
「僕なら平気だ。それより急いだ方がいい」
荒い吐息でメシアは脚を止めるのを拒んだ。
「その通りだ。またプレートが弾けて地震が発生する。津波がきたら、ここは沈む。その前に上に出たい」
と、言うなり3人を見つめ、彼は1人走りパイプが緩やかにカーブしている場所を曲がると、すぐに舞い戻った。
「上に登る階段がある」
チタンで構成された梯子が上階に繋がり、分厚そうなチタンの丸いハッチで境目が閉じられていた。
俊敏に梯子を駆け上がるなり、光るチタンのレバーを重そうに開く。ハッチは油圧でゆっくりとベアルドの方へ下がった。
素早く上階に銃口を向け、下の者たちが上がって良いものかを確認する。
「スマホで連絡を」
急に思いたったマリアが声を大きくする。別れた一行と連絡をとろうもしたのだ。
が、マックス神父は首を横にはふり、無意味を提示した。
「通信網は崩壊しています。スマホはただの機械の箱になってしまったのです」
人間が消失しようとしている世界にあって、文明は意味をもたない。人類が築いた建物も法律も技術も秩序も、神話の世界が破壊しようとしている。人類は紀元前の、類人猿の時代に戻ろうとしている。
スマホをポケットに戻すタイミングで、上部から兵士の声が降ってきた。
「急いで」
速やかにマリアを先に行かせ、続いてメシア、神父の順番で上の階層に張り巡らされたパイプへと移動した。
けれどもすぐ様、ベアルド兵士は訝しげに眉間を狭くするなり、上官を見やった。
「見取図が本部のと異なっているようです」
報告を受け、神父も意識転送で、未来に位置する本部とやり取りをする。ものの数秒で脳内に添付された見取図を認識すると、自分達が立つ場所が明白に現時間の現在地と異なっているのが呑み込めた。
「情報部は何をやってるんだ!」
不機嫌にブーツでチタンを蹴り鳴らす。ここが新米兵士たるゆえんである。
「情報を冷静に分析してください。我々には現状しかないのですから」
冷静さを兵士に求める神父が促す。
「ルートを探します。ここで待機していてください」
そういうベアルドは、不機嫌さとイライラが混じる、苦味のある表情で、チタンを蹴って走った。
ライフルのライトがないと、周囲を見ることすらままならない暗さだ。さっきの穴蔵は海面からの反射光のおかげか、仄かに明るかったものの、この階層まで光は届かないようだ。
スマホも通信はできないものの、ライトの機能は健在である。
メシア、マリアがスイッチを入れると、3人の顔が闇に浮かび上がる。その中にあっても、メシアの顔の白さは目立つ。
手が震えるマリアの光は、連動して震えていた。
神父の黒い上着がマリアの小さな身体を包んだ。神父が上着を脱いで、娘にかけたのである。
ワイシャツを袖をまくりあげ、中年にしては筋肉質の腕を露にした。
「あの、ごめんね」
俯きかげんにマリアは父に、言いづらい様子で謝意を伝えた。
濡れた眼鏡を指で押し上げ、神父は父の顔になる。
「なんのことです? マリアが謝ることはなにもありませんよ。それに謝らなければならないのは、わたしの方です」
なにを謝るのだろうか? マリアは訝しく顔をかしげた。
マックス・ディンガーには任務がある。運命の、すべてにに抗うための力を養い、次の者たちへ手渡す使命。そのためにこの時代へやって来た。だが、思いもしなかった。ここまでいとおしい存在になり、父親としての自覚が根底に芽生えるとは。
20年前の肌寒い4月の朝、マリアは教会の前の階段に置き去りにされていた。まだへその緒がついた、産み落とされたばかりの状態で。ただし名前だけは包まれていた毛布に刺繍されていた。
子供など育てたこともなければ、触ったこともなく、本部からの情報を脳内で再生し、肉体で体言化する。けれども相手は人間の子供であるから、セオリー通り、マニュアル通りにことは運ばず、悩む日々だった。ミルクの与えかたから、オムツの交換。離乳食、衣服の選び方、しつけ。もっとも困ったのは初潮の時だ。男には分からず、対処に苦労した。
しかしそれらも今は懐かしい。楽しい日々だったと追憶するばかりだ。
「上部へ上がりましょう」
チタンを歩く音すらも気づかず、ベアルド兵士の声で、彼が近くに立っているのに気付き、自分が感傷に溺れている、老けた中年になったことを、神父は実感した。
一行は若い兵士の案内で、さらに上部へ上っていった。
「この上が地上のはずです」
もうすぐだ。兵士の笑みが薄く浮かんだその時だ。チタンの奥で蠢く黒い塊が這い寄ってくる物音が、歩行を止めさせた。
背筋に悪寒が張り付く。蠢く黒い塊が何であるか、明白故の凍りつきであった。
「こんなところにまで侵食を」
愕然とする神父。
デヴィルズチルドレンの驚異が、肉の壁となり彼らへ迫っていたのであった。
ベアルドが発見、脱出ルートと考えていた梯子は、迫りくる腐肉の奥から地上へと通じるのだ。
防弾ベストにくくりつけてあるグレネードの安全ピンを抜くなり、3個連続でベアルドは肉の壁めがけ、投げつけた。
数秒の後、3つの爆発が連鎖し、爆風が一行をも飲み込もうとする。が、若い兵士も計算の上で狭いパイプ内部でグレネードを使用したのだ。彼らは熱を感じる程度で、被害を被ることはなく、現状を見守ることができた。
黒煙が上層階へ自然と流れていく。本来、パイプ内部で火災を検知すると、警報器がけたたましく耳をつんざくはずだが、回路に異常があるのか電気が通っていないのか、警報は皆無だ。
黒煙がゆっくりながら確実に上階へ排気される。が、一行に安堵の顔色はない。肉の壁は、じりじりと一行の首を締め付けるように迫ってくる。
触手がチタンを血管のように這う。その触手からは泡のような気泡が無数に中空へ放出させられる。肉の気泡は宙で変異、小さな触手を出し、中央から2つに裂け、開口した。気泡生物へと変化したのだ。
銃弾の放射をベアルドが浴びせるも、それらの生命体の寸前で、遮蔽壁が展開されているのか、弾丸はチタンを鳴らすばかりである。
絶対遮蔽か。歯ぎしりしつつ神父はリボルバーでデヴィルズチルドレンを射撃し、改めて絶対遮蔽、永久的接触拒絶壁が化け物どもの周囲に展開し、弾丸がチタンの上に無様に落下するのを認識した。
物理シフトでパイプを抜けるか、あるいは後方へ戻り、新たなるルート確保を急ぐか。神父は舌打ちに近い音をならして、唇を噛んだ。
その悩みは次の刹那には、上から新たなる悩みが書き消した。
チタンのパイプも腐肉の壁も気泡生物も、すべてが雨で溶けた風景画のように歪んだ。それは次第に原色の煙となり、上下も左右も前後も認知できない、不可思議な空間が一行の前に現出したのである。
マリアが短い悲鳴をあげ、メシアに抱きついた。
が、メシアはこれまでにない息苦しさを感じたと思うなり、腹部から込み上げるものを押さえられず、胃液を嘔吐してつんのめって四つん這いになった。
こいつはまずい!
ベアルドが心中で叫んだ。けれども人類にこの状況を打破することは、例え未来人だろうともできない。
「メシア!」
ベアルドの足元でマリアの叫び声がする。倒れた彼を必死に介抱しようとパニックになっている。
「本部へ空間対抗を!」
ベアルドにメシアを気遣う余裕はない。上官へ打開策を提案した。
マックス神父の視線はだが、突っ伏したメシアに落とされ、強い瞳で見つめていた。
昨日から現在に至るまで、身体の不調が相次ぎ肩を叩くメシア。ここにきてついに不調は心身を劇的に襲い、眼前の歪んだ世界とはまた異なった、メシア自身の視覚が渦を巻くように揺れ、螺旋を描き、発狂の叫びのように全身がかきむしられていた。
もう限界だ、耐えられない。僕がなにをしたって言うんだ。夢もあった、愛する人もいる、仕事もあった。日常が、平凡な日常のなにがいけないって言うんだ!
苦悶するメシアが心中で慟哭した。
その時、心底のさらに奥でなにかが瞬いた。微かに揺らめく白い炎のような、陽炎が。
刹那、外界、心を包む彼の肉体は眩く、そして神々しいまでの光が竜巻のように彼の身体を中心にして疾風と化した。
なにが!
3人が歪んだ蛍光色の空間の最中で愕然と眼をしばたたかせていた。
と、光の竜巻のなかに気がつくとメシアは立ち上がっていた。四つん這いで苦悶していた同一人物とは見えない、凛とした立ち姿だ。自らが巻き上げる熱風で髪の毛は逆立ち、身体は発するその覇気のせいか、大きくなったようだ。
瞼は閉じられていた。が、それが開眼した瞬間、白熱した光が瞳から空間に溢れ、爆風のような圧力が広がった。
高速で広がる風圧は3人の肉体を軽く中空へ枯れ葉のように跳ねあげると、硬い壁へ叩きつけられた。
自分とメシア、周辺の空間になにが起こったのか混乱のうちに、無駄な肉のない肉体が舞い挙げられ、叩きつけられたマリアは、背中の痛みにうなされて眼を見開くと、原色と蛍光色が不気味に混じりあった空間は消失し、チタンパイプの中に一行は倒れていた。ヌラヌラと這いよる腐肉の壁も、気泡生物もそこには居らず、焚き火から巻き上げられたような火の粉がパイプの中を漂っていた。
彼女はしらない。あの空間がこれから人類が、全次元が向き合う脅威の象徴なのだと。そしてそれらを吹き飛ばし、デヴィルズチルドレンを灰とした。これがメシアの、人類が到達できない場所にある者の力なのだ。
呆然としたマリアだったが、ハッと顔を青く染めたと同時に、倒れていた濡れたタオルのように投げ出されていたメシアのそばへ駆けよった。
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