きたくらぶ。
プロローグ
自他が何度も頷いて認めるほど頭の悪い僕、裃上(かみしものぼる)が、糞の役にも立たない程度の雑学を多少なりとも知識として覚えている以外、全くの空っぽの脳を酷使して入学できる高校など、偏差値ごとき二の次に考えられるほど誰にでも容易に正式な生徒として門を潜れるような、まさに正真正銘、お馬鹿用のほんわかぱっぱなハイスクールでしかなかった。実際に、意気揚々と学校の敷地内に足を踏み入れていくのは、自分のおつむの最弱さなど微塵も感じていない様子の、人生お花畑な雰囲気を醸し出すような、誰の目から見ても、見た目だけで『馬鹿』だと確信されるであろう、見た目は高校生中身は小学生以下なキングオブ・馬鹿しかいなかった。下手すれば、中身は小学生未満かもしれない。
そんな生徒の中に混じり、『今どきそれはないだろ』と不満が飛びそうな完全木製造の校舎を見上げる僕も、キングオブ・馬鹿の一人であった。
馬鹿すぎるからと両親に半ば無理やり追い上げられた先が、まさか高校でありながら入試の一つも無い、こんな問題児ばかりを集めたような問題高校だとは。自分で築き上げたこの運命に、思わず目を覆いたい心境になってしまう。
とはいえ、入学してしまった以上、少なくとも三年間はここで過ごさなければならない。華やかであるはずの高校生活を、華やかさなどこれっぽっちも感じさせない校舎で送ることになるとは。
今まで周りの誰よりも不真面目に生きてきた報いだろうか。自業自得とはいえ、さすがにこれは非情なる仕打ちではなかろうか。こんなところで青春を迎えてしまっては、彼女の一人もできやしない。
いいのか、父上よ、母上よ。今や祖先の名も知れないほど続いてきたこの家系が、ここで途絶えるかもしれない。子孫を残せる可能性を持つ者は、あなたたち夫婦の間に生まれた一人っ子である僕しかいないというのに。
「……世は、無情だ」
そう言いつつも僕は、『こうもん』とひらがなで表示すればなんとなく卑猥に感じてしまう名称の、一つのスタートラインを切った。もっと短い文にするのなら、卑猥なスタートラインを切った、といったところだろうか。それはもう卑猥どころではない。
と、入学する事自体がこれからの自分の人生に多大な影響を与えそうな学校を眺めながらも、何気に卑猥な事を考える僕は、もう開き直ったといえるだろう。
「とりあえずは、部活に入ろうかな」
勉強から逃げるためにも、ね。
──下駄箱へ向かう道すがら、道端に立つ掲示板に貼られたいくつもの部活動紹介ポスター。
その中でも、僕の目に留まったのは、これだった。
「……帰宅、部?」
意味:俗に、学校のどの部活動にも所属していない生徒のこと。
それは、本来ならば部活として認められていない筈の、幻の部活動だった。
家という名の部室
今来、基本的に生徒の家で活動するなどという前代未聞の部活動があっただろうか。いや、前代未聞なんだからあるはずもないが。それでも僕が敢えてそう訊きたくなったのは、『帰宅部』という部活が、元来そういうシステムだからである。
入学後──さっそく部活の体験入部期間が始まり、いかにもよぼよぼのおじいちゃんといった風貌(中身もそれ)な担任に帰宅部の活動場所を訊いてみれば、「ここで活動してるじょ」という歯の抜けたセリフと共に差し出された地図。それが導く場所は、念のため他の教師にも確認して回った限り、たしかに帰宅部の活動場所であり、それと共に、帰宅部の部長の家でもあったのだ。
この際、その部活とまったく関連性がない活動場所じゃないからまだ良いなんていうのは関係ない。問題は、『なぜ学校の敷地内で活動しないのか』という事である。ほぼ木のみで建てられたオンボロ建造物が学校として機能しているこの高校──見た目昭和な癖して校舎自体は妙に大きかったんだから、雨漏りしてても空き教室くらい一つはあっただろ、という話。
という文句をつけるためにも、放課後、僕は地図を片手に帰宅部部長の家──もとい、帰宅部の活動場所を目指して歩を進めている。活動内容など『無事に家に帰って寝る』くらいしか無いであろう超インドアな部の中身を少し覗いてみたい、という好奇心もあるのだが、七割は部長に負担がかかりそうな所を部の活動場所、英語で言うならアクティビティプレイスにしおった帰宅部という名の邪魔に、一言物申しにいくのが目的である。
「なんて考えてる間に、着いちゃったな」
部長の家は、学校から割と近い場所に位置していた。これだけ近いのなら、学校以外の場所で活動しようとなった場合に、軽い気持ちで選ばれるくらいは仕方ないだろう。
しかし、元よりそうだったというのなら、話は別だろう。なにか事情があるにしろ、生徒の家を部室にするというのは、親御さんに迷惑だ。とはいえ、考えてみれば、今までそれでやってこれたという事は、部長の家を部室として使うことを親が公認済みだからなのかもしれない。それなら、僕がどうこう言える筋合いはない。
「……やっぱ、見学だけしとこ」
もともと頭が悪い上に、人前で何かを雄弁に語る度胸など全くないぼくに、一部活のルールにいちゃもんをつける事など不可能であった。
帰宅部部長の家を前にして冷静になれた僕は、家のインターホンをゆっくりと押す。
しばらくという程待つこともなく、玄関の扉が開かれ、部長らしき女子が顔を見せた。
「帰宅部部長の日向香苗(ひなたかなえ)です~」
小鳥が甘えてきそうな、とても穏やかな声で名乗る彼女は、玄関からスリッパで出てきて僕の前まで来ると、ペコリと頭を下げる。小柄な体や垂れ目が特徴的な笑顔やその態度からは、怒る姿がまったく想像できない。『仏の顔も三度まで』というが、この人は何回悪さしても優しいげんこつ一発で許してくれそうな気がする。
「こ、こんにちは。新入生の裃上です」
部長という存在はてっきり男子ばかりなものかと思っていた僕は、目の前に佇む一人の女子に思わず緊張しつつも、挨拶をした。
「こんにちは~」
日向さんが返してくれたその挨拶は、字面としては、『こんにちは』より『こんにちわ』の方が合っている気がした。
「それで、なにかご用でしょうか~?」
「その、僕、掲示板で帰宅部のポスター見つけて、ちょっと気になって来たんですけど」
「あっもしかして、体験入部しにきてくれたんですか~?」
「は、はい」
「わぁ~、ありがとうございます~!」
頷く僕を見て、日向さんは心底嬉しそうに手を叩いて微笑む。
「どうぞ~、上がってください」
「え、い、良いんですか?」
「遠慮しなくていいんですよ~」
「いや、でも……」
躊躇う僕に対し、「はやく上がってくれないと、時間が無くなっちゃいますよ~?」と急かす日向さんは、男子を自分の家に上がらせることについて、微塵も迷いは無いようだった。後輩、しかも単に部活を覗きにきただけとはいえ、初対面の男子相手にこれはオープン過ぎやしないだろうか。「あ、ちょっちょっと待ってください」とか「五分だけ待ってください!」とかいってあわてて部屋の片づけをしにいく後ろ姿を見せてくれたってうん、それはどうでもいいね。そもそも部室なわけだし、整理整頓されてないはずがないか。
「お、お邪魔、します……」
かといって女子の前でぐずぐずしてられないと思い、僕は遠慮気味に玄関に入る。日向さんの家の。
「は~い、お邪魔してくださ~い」
──と、言われちゃお邪魔するしかねぇな!
とは言えず、僕は「どうも」と控えめに頷きつつ、靴を脱ぎ、用意されたスリッパを履いて家に上がる。日向さんの。倒置法うっとうしいね。
「こっちです~」
スリッパの履き心地の良さに驚きつつ、僕は日向さんに促されるままに日向さんの家の二階へ。わざわざ『日向さんの』って強調する必要もないね。
(……それにしても、綺麗だな)
日向さんの家は、まるで家政婦かメイドでも雇っているかのように光っていた。廊下も隅から隅まで埃無く掃除され、玄関から続く廊下の奥に見えていたリビングも、壁や床や家具までもが清潔感に満ち満ちていた。いま一段一段登っている階段も、僕や日向さんの姿がくっきり反射して見えるほど綺麗に磨かれている。日向さんの家は、汚れとは無縁のように思えた。外面まで綺麗な窓も、染み一つない壁も。部室として使われているのもあって、見た目や衛生面には必要以上に気を付けているのだろう。
「どうしたんですか? キョロキョロして」
「え、いや。日向さんの家、すごく綺麗だなぁって」
「毎日、決まった時間、家族全員で一生懸命、掃除してますから」
これまた驚きだった。
家政婦やメイドを雇っているわけではなく、自分たちの手でこの清潔感を保っているらしい。
掃除など、お金があるのならば、それを生業とする人達に任せればいい。一軒家の広さや家具の豊富さから推察するに、日向家はそれなりに裕福な家庭だと思われる。しかしそれでも他人の手を借りないのは、家風なのだろうか。それとも、そもそも親が清掃関連の仕事に就いていて、小さな汚れでも発見するとジッとしていられないタイプなのか。
というか、素人にしろ玄人にしろ、日向家はそうとう掃除スキルが高いように思える。特化している、と表現しても間違いではないかもしれない。とにかく、日向家の一人に我が家に来てもらって週一でお掃除してもらいたい。もちろん香苗さん限定で。もちろんお金は払います。
という冗談も心の内に留めておいて、僕は日向さんに労いの言葉を掛ける。
「大変ですね」
「いえ、そうでもないですよ。お掃除って楽しいですし、それに、お掃除して綺麗になった家を見ると、すごく気持ちが良いんですよ」
微笑みながら、日向さんはそう言う。
でも僕としては、掃除というのはただ面倒くさい事でしかない。
「そうですね。正直、私も、してる時間より、するまでの時間の方が長いんです。でも、いざやると段々楽しくなってきちゃうものなんですよ」
「はぁ、そういうもんですか」
「そういうものなんです」
二階へ上がり、廊下を進み、一つ目、二つ目の部屋の前で、日向さんは足を止め、振り返った。
扉には、『帰宅部』という黒ペン文字の周りに色ペンでカラフルに装飾された紙が貼られていた。
「それに、その頑張りをお友達に褒めてもらうのも、すごく嬉しいんです」
満面の笑みで放たれたその言葉と共に、『帰宅部』の扉は開かれた。
きたくらぶ。
1チャプターを一話とさせていただきます。