たかしくんが100円のパンと120円のジュースを買うだけの話

たかしくんが100円のパンと120円のジュースを買うだけの話

 それまで視界を覆っていた雲海に、わずかな時空の歪みが発生する。
 その中よりゆっくりと現れたのは、長い金髪をたなびかせた、美しい青年だった。
「……ほう」
 目の前に浮かぶ人影を見つけ、金髪の青年は目を細める。
「まさかここに貴様がいるとはな。社端場(しゃばだば)――堂美太郎(どぅびたろう)
「へっ、死んだと思ってたのか? 残念だが俺ぁこうして生きてるぜ。お前を倒すまではな――織田箱(おたばこ)・スワ・レマスカー」
 地上からは視認できない、はるか上空にて、二人の因縁の対決が今、始まろうとしていた。
 そして――たかしくんはお母さんから、おこづかいとして五百円もらいました。
 
 
「ふむ、あの程度のダメージでは貴様を倒せんというわけか」
 あごに指をあて、金髪の青年――レマスカーはつぶやく。
 思えばあのとき、目の前の筋肉野郎にとどめを刺さなかった。そうせずとも確実に息の根を止めたと確信していたし、何より心音は止まっていた。
「そういえば、貴様の心臓は動いていなかったはず。どんな手品を使ったんだ?」
「手品? いや、同じ『マジック』でも、これは魔法のほうだぜ」
 口の端を上げる堂美太郎。魔法と聞き、レマスカーも思い至る。
「……そうか。たしか貴様の仲間には、魔法を行使する女がいたな。だが、蘇生のような上位魔法は使えなかったはずだ」 
「ああ、たしかにそのとおりだ。あいつ一人ではな」
 堂美太郎は両の手のひらへと視線を落とす。
 レマスカーの脅威から世界を救おうと、共に立ち上がった三人の仲間たち。志半ばにして落命した堂美太郎を再びこの世へと呼び戻したのは、彼ら三人の力だった。魔法使いの少女を介す形で、三人の力で、どうにか蘇生魔法を発動させたのだ。
 しかしその反動は大きく、仲間たちはしばらく起き上がることすら難しいだろう。特に三人分の精神力を一身に受けた魔法使いの少女は、体力の消耗が激しい。魔法発動直後に昏倒し、いまだ目を覚ましていない。
「俺は、俺だけの力でここにいるわけじゃない。仲間たちの願いが、祈りが、力が、そのすべてが俺をここに立たせているんだ!」
 きつく拳を握りこむ。自分に再び、命を吹き込んでくれた仲間たちのためにも――
「レマスカー! さあ、覚悟を決めろ!」
 そして――たかしくんは時速四キロメートルで歩き、家から六百メートル先のコンビニへ向かいました。
 
 
 結界を張るだけの余力はない――堂美太郎は心の中で舌打ちする。
 威勢よく啖呵は切ったものの、いまの自分に宿る全力を用いたとしても、レマスカーを倒せるかどうかわからない。何度も拳を交えているから知っている――奴は強敵だ。ならば力を小出しにするのではなく、隙を突いて、ただ一撃。ただ一撃に全力を込めるべきだ。
「……隙ねえ」
 ぽつりとこぼす。
「そんなもんが都合よく突けるってんなら、世界はとっくに平和になってただろうよ……」
「どうした、堂美太郎。さっそく怖気づいたのか?」
「へっ、ぬかせ!」
 レマスカーの挑発に応じる。策などない。だが、やるしかないのだ。
「うおおおお!」
 宙を駆け、レマスカーへと飛びかかる堂美太郎。レマスカーは大きく横に避け、両手を合わせて腰の位置に溜める。両手の間に強力なエネルギーが発生する。
「か~め~は~め~……」
 堂美太郎は目を見開き、まずいと思う(二つの意味で)。この技は危険だ(二つの意味で)。
「させるかっ!」
 レマスカーに牽制のエネルギー弾を放ち、危険な何かの詠唱を中断させたことを確認するより早く、その先へと飛ぶ。堂美太郎のパンチを上半身をひねってかわしたレマスカーは、その勢いのまま回転し、堂美太郎の首へと蹴りを見舞う。
「がはっ……!」
「ふっ、甘いぞ堂美太郎。その程度でこの私を倒すつもりか?」
 嘲笑するレマスカーに、堂美太郎はにやりと笑って返す。
「……甘いのはどっちかな」
 レマスカーの足を掴む堂美太郎。
「捕まえたぜ、金髪野郎!」
 そして――たかしくんはコンビニで百円のパンと百二十円のジュースを買い、おこづかいの五百円玉で支払いました。
 
 
「離せ、堂美太郎。私の足を掴んだところで、貴様にはどうすることもできまい」
 冷静に、レマスカーは告げる。
「死にぞこないの貴様の力など、恐るるに足りん――ほれ」
 もう片方の足で、堂美太郎の顔面に蹴りを入れる。しかし、堂美太郎はその手を離さない。
「ふっ、離したくないのか。ならばそのままでいい。そのまま蹴られ続けて死ね」
 何度も。何度も。何度も。
 頭を蹴られ。身体を蹴られ。足を蹴られ。
 しかし、堂美太郎はその手を離さない。
「……俺がお前に勝てる方法を、ずっと考えてた」
 血にまみれ、腫れ上がった顔で、堂美太郎は言う。
「でも結局、見つからなかったわ」
「当然だ。貴様が私に勝つなどと……」
「でもよ、よくよく考えてみたら、別に勝たなくてもよかったんだわ」
 レマスカーの言葉をさえぎり、堂美太郎はもう一度笑う。それは、どこか達観した笑みだった。
「要はお前をこの世界から消せればいいって話で……『勝ち』にこだわることはなかったんだな、うん」
「貴様、いったい何を言って……はっ、ま、まさか!」
「へっ、気づいたか。そう、俺が生き残ることは二の次だってことさ」
 レマスカーの足を掴む手に力を込める。
「や、やめろ! やめるんだ!」
「やめられない、とまらない」
 目を閉じると、かつて共に戦った仲間たちの姿が浮かぶ。
 ――すまないな、みんな。お前たちがせっかく拾ってくれた命を、また無駄にして。……いや、無駄じゃないか。レマスカーと相討ちだもんな。世界を救えるなら、この命にも多少は価値があったってことか。だったらいいや。思い残すことは何もないぜ。
 堂美太郎の身体が発光する。全身からエネルギーが放出されているのだ。
 その光は二人の戦士を包み、焦がし、焼いていく。
「……じゃあな、みんな。バトル描写なんか、もう二度と書かないぜ……」
 そして――たかしくんは買い物を終え、コンビニを出ました。
 
 
 誰にも知られることなく。誰にも気づかれることなく。
 世界を混沌に陥れようと目論んだ織田箱・スワ・レマスカーと、それを阻止せんと戦った社端場堂美太郎との戦いは、こうして終わりを告げた。
 一人の戦士の命と引き換えに世界は救われ、たかしくんはパンとジュースを買った。
 だが、危機はこれで終わりではない。
 人生の折り返しをとうに過ぎたたかしくんは、この先どうやって生きてくのか。就職を諦め、受かったバイトも一度も行くことなく辞めてしまったたかしくんの、人生という名の戦いはこれからも――より激しさを増して、続いていく。

たかしくんが100円のパンと120円のジュースを買うだけの話

たかしくんが100円のパンと120円のジュースを買うだけの話

「さあ、覚悟を決めろ!」

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted