秋の一日   (著 三宅拓海)

 日は傾き、空が赤くなり始めていた。部屋にはその暖かな日が入りこみ、カリンの木の床がきれいに輝いていた。そのつやのある輝きは夕方の風に揺れる白いカーテンと、とても仲が良く私のお気に入りの風景だった。
また夏が終わり、木々が赤く染まるこの時期は庭に植えてあるカリンの実のとても甘い香りが風に吹かれ、部屋中に広がり、淡い夢のようであった。
 そういえば、昼間に私の大切な人からプレゼントを貰ったことを忘れていた。
 私は立ち上がり、リビングへと向かう。道中にある廊下も私のお気に入りの場所である。いくつかのドアがあり、そこから日の光が入ってくる。そして、カリンの床の赤が日によっていっそうと輝く。一方、ドアがなく壁になっている部分は日の光が届かず、夕方の闇をカリンの木に映し出す。
 この明暗が私はとても好きであった。この景色を楽しみつつ、リビングに置いてあるプレゼントをとる。そして、あの幻想的な廊下を通り、再び私は元の場所へと戻る。
 それにしても、このプレゼントが何なのか、まったくわからない。色は白。長さは私の食器ぐらいだろうか。香りはとても甘い香りがする。
 この香りは素晴らしい。ほのかに甘い香りは部屋中に広がっているカリンの香りの邪魔をしない。それどころか、カリンの香りと混ざり合い、また違った香りで私を楽しませる。なるほど、これは香りを楽しむものなのか。その瞬間、私はとても晴れやかな気分になった。そして、ちょうど出かける約束があったので、これを持って行くことにした。
 「出かけるよ。」
 私の大切な人が玄関にもういるみたいだった。私は、この素晴らしいものを持って玄関へと向かう。さっき通った廊下も香りが違うと別の場所のように感じる。
 「それを持って出かけるの。」
 私の大切な人が問う。私は、もちろんと胸を大きく張り答えた。これを持って外を歩けばどうなるだろうか。いつもの景色がどのように変わるだろうか。たくさんの希望を抱えながら、私は外へと出かけるための準備を済ます。
 「さあ、行こう。」
 私の大切な人の言葉を合図として、私は外へと歩き出す。玄関が開き、そして門が開き。一つ足を踏み出しても、まだ昨日までの景色と全く変わらない。
 隣の家の桜は赤い葉を身に付け。もう一軒隣の家の時計草は赤い実を付け。また別の家では玄関先に鉢植えされてあったレモンユーカリがなくなっている。おそらく、暖かな家の中へと運ばれたのだろう。
 みんな、冬に備えて動いている。季節の流れを感じることができる。しかし、秋から冬にかけてはやはり少し寂しさを感じさせる。
 だが、今日は違う。私には大切な人からもらった、この素晴らしいものがある。私は景色を見ながら、素晴らしいものの匂いを嗅ぐ。
 ほのかに甘い香り。その香りは秋のわずかに残る暖かさを拾い、私の心にそれを届けてくれる。
 桜の赤い葉は秋の茜色の空に溶け込み、よりいっそう秋を楽しませる。また、色づいた葉が落ちる時は桜の花びらとは違うはかなさを感じさせる。時計草は今にも落ちそうな真っ赤な実があったり、赤い実を目指して頑張っている緑の実があったりと。さまざまな実を抱えた時計草は母親のようでとても美しく、そして力強く見える。レモンユーカリが置いてあったところには、冬でも枯れないローズマリーに置き換わっている。
 素晴らしいものの香りは私の心にまだ気づいていない秋を教えてくれる。それは、とても小さなことかもしれない。しかし、私に新しい秋を教えてくれるこれは、本当に素晴らしいものだ。
 私は、もうこの匂いなしでは歩けなくなってしまった。
途中で見つけた蟻の行列も、本当は冬に備えて一生懸命に働いているはずなのだが、この香りのせいで、パレードをしているように見える。今日は蟻にとって、セントパトリックデーなのかもしれない。そうすれば、なぜ蟻たちが緑の葉だけを運んでいるのかがわかる。きっと、蟻たちも緑色に着飾りたいのだろう。そして、クローバーまでもが運ばれてきた。間違いない。これはシャムロックの代わりであろう。
 驚きや喜びが止まらない。とても暖かい幸せも感じられる。

 次に私たちは川辺に行くことにした。川辺にはたくさんの彼岸花が咲いていた。毒があり、あまり近づかない人もいるが私は彼岸花が好きであった。とくに、夕方の空が綺麗なこの時期は、彼岸花が咲く一番いい季節だと思っている。彼岸花は夕方の赤い光に照らされて、薄いところはより鮮やかな赤に、厚いところは黒くなり。赤と黒のコントラストがとても綺麗である。彼岸花は、自分の一番輝く季節を知っているのだろう。
ここで、素晴らしいものの香りを嗅いでみる。すると、影により黒くなっていたところも鮮やかな赤に変わったように感じられ、そこに彼岸花の姿が加わりまるで狐火のようである。
そして、対岸に目をやるとコスモスが群生している。コスモスの花はいろいろな高さで花を咲かす。上から見ればとてもたくさんの花があるように見え、美しいものである。しかし、横から見ればコスモスの花はほかのコスモスの葉で隠れてしまう。
私はそれがあまり好きではなかった。しかし、今日この香りを手にした私には少し違った見え方をした。横から見たコスモスは白・ピンク・赤紫の花びらが風により緑の葉の間から見え隠れする。その輝きは緑の葉によっていっそう鮮やかに見えた。
そして、私は気づいてしまったのだ。この両岸の真ん中を通る川がとても素晴らしかったことを。
おそらく、はるか上流から流れてきたのだろう。上流に比べて流れが緩くなり。それでいて、まだ大きな石が川から顔を出す。そのところどころの顔を出した岩に、紅葉の葉が引っかかり彼岸花とコスモスを結ぶ架け橋になっている。昨日までは紅葉の葉と川に映る夕焼けの赤のどちらが綺麗なのか争っているように見えていた。しかし、この香りは私に本当のことを教えてくれた。紅葉の葉と川に映る夕焼けは争っているのではない。彼岸花とコスモスという素晴らしい花を結ぶため協力して架け橋を作っていたのだ。
 素晴らしい景色に見とれているうちに一つの橋に差し掛かった。私たちはこの橋を渡り、次はコスモス側の道を通り、家へ帰ることにした。そして、この橋を通ることが今日の私にとって一つの目的になっていた。さっき見た、川を繋いでいた紅葉の道からは何が見えるのか、私はひそかに気になっていた。
 そして、私は橋の中間地点へと辿りついた。そこからの眺めは。東から西に流れるこの川に、西の空から傾いた太陽の光が反射している。川の流れに逆らって私の目に飛び込んで来るその光は、とても強く、そしてとても美しいものだった。きっと、あの紅葉の架け橋はこの景色を見せたかったのだろう。
 私たちのお出かけは終盤に差し掛かっていた。私たちは橋を渡った後、コスモスの花を横目に見ながら、川沿いを歩いていた。

 もうすぐだ。私がこの川沿いの道で一番嫌いな場所に辿り着こうとしていた。いつもなら、避けて通りたい道。
しかし、今日は通りたい気持ちでいっぱいだった。もちろん、あの素晴らしいものをもってしても私の嫌いな思いは克服されないかもしれない。だが、その気持ち以上に、私の嫌いな景色をどのように変化させてくれるか。楽しみでしかたなかった。
そして、そこに辿り着いた。
すさまじい水の音。堰き止められた水がいっせいに流れ出す音。この川に唯一ある堰。ホースに空気を入れることによって簡易的な堰を作っている。ゴム引布製起伏堰というらしい。それは、空気によってホースを広げたり縮めたりすることができる。それにもかかわらず、この堰は一年中水を止めている。この川に産卵をしに来たオイカワなどの魚が、これ以上上流に登れなくなってしまう。必死に乗り越えようとするも、乗り越えられない。そしてここに魚が溜まっていき、最終的には卵を産む前に鳥の餌食になってしまう。
 私は、この悲惨な景色が嫌いだった。
 この景色を、あの素晴らしいものは変えてくれるだろうか。私はこの堰を見ながら香りを嗅いだ。しかし、何も変わらない。ただただ、堰を乗り越えようとしている魚が映るだけ。銀色の鱗が剥がれはじめ、ところどころ白くなっている。また、口先をぶつけてしまい、赤くなっている魚もいる。とても、見てはいられない。レ・ミゼラブルのファンティーヌを思い出してしまった。
 私にできることはないだろうか。空気を抜くスイッチを押せればいいのだろう。しかし、そんなことは私にはできない。
 すると、一匹のアオサギが飛んできた。アオサギはヒヨドリやムクドリとは比べ物にならないぐらい獰猛である。
 どうすればいいだろうか。石を転がして、川の中に投げ入れるべきだろうか。だが、そうすれば石がオイカワにあたり傷つくかもしれない。
 アオサギは、一歩一歩ゆっくりと魚たちに向かって歩いていく。
 そうだ、叫べばいいのか。私が叫べば魚たちは驚いて岩陰に隠れるかもしれない。私は一所懸命に叫んだ。すると、魚ではなくアオサギが逃げていった。私の声を自分より強い敵の声だと考えたのだろう。私は安心した。しかし、今回はうまくいっただけで毎回ここにいる魚がアオサギから逃げられるわけではないだろう。
 私は、素晴らしいものの限界があることを知り、残念に思った。ものには限界があることは、承知しているものだと思っていた。だが、自分の気に入っているものの限界が見えた時、とても悲しい気持ちになる。

 私たちは川辺の道からそれ、用水路に沿って歩く。そこには黄金に輝く稲穂がある。しかし、それは昨日までとは何も変わらず、ただ美しいだけだった。そして、神社の御神木の影。夕日で赤く染まったアスファルトの道路に、まだら模様を描き出す。それは、とても不思議な景色だった。しかし、これも昨日までと同じ。
 新しい発見があるわけでもなく、ただ家路を歩いている。
 もうすぐ家に着くだろうか。今日は悲しいこともあったが、とても楽しい一日だったかもしれない。最後に家へと続くこの坂道で、あの素晴らしい匂いを嗅いで今日の締めくくりとしよう。
 しかし、無いのだ。あの素晴らしいものが。私が口にくわえていた。あの白いものが。どこにいったのだろうか。
それにはお構いなしに、私の大切な人は、リードと呼ばれる紐を引っ張る。首が締まり息苦しい。歩きながら考えなければならない。どこに置いて来たのだろうか。もうすぐで家に着いてしまう。何とかしなければ。どうすればいい。今日は残念な結果になってしまったが、明日もあの香りで楽しもうとしていたのだ。
ついに家に着いてしまった。そして、玄関でリードが外される。私は途方に暮れていた。
「あれ、ガムどこかで落としたの。」
あれはガムというものなのだろうか。おそらくそうなのであろう。
「もう一つ上げるから、ちゃんと食べなさい。」
私は、とても嬉しくなった。あの素晴らしいものは限界の迎えてはいなかったのだ。あれは食べ物だったのだ。私は急いで自分の定位置まで持って行き、その素晴らしいものの味を確かめる。それは、ほのかに甘くそして弾力があった。ずっと幸せを噛みしめることができるような。それほど、素晴らしいものだった。
明日のためにも残そうとも思った。しかし、今日は今日の楽しみとして明日はまた新しい楽しみを探すことにする。
 庭のカリンの葉が、夕日に焼かれて下へと落ちる。そして、カリンの下に植わっているキンカンがその葉をまとい。その葉はとても暖かくキンカンを包み込む。そのぬくもりはキンカンに黄金の果実を実らせる。その実は夕日のように輝いている。素晴らしい食べ物、ガムを手に入れた私の世界はこのキンカン以上に輝いているかもしれない。
 

秋の一日   (著 三宅拓海)

秋の一日   (著 三宅拓海)

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-17

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