ドラードの森(18)
荒川氏は、またツルリと鼻をなでた。
「まだ『アルキメデスの壁』が越えられたわけではない、もう少し時間がある、そう考えて、わしは退任後もこの惑星に残ることにしたんじゃよ。とにかく、この惑星の住民に文明に対する免疫を少しずつでも付けること、また、海賊などが無謀なマネをしないよう、この惑星のことを広く宇宙に知らしめること、この二つの目的のため、どしどし観光客を受け入れて欲しいとドラード政府に提言したのじゃ。また、少しでも早くこの惑星が一人立ち出来るよう、産業を振興し、通貨を整備し、外国語を学ばせておる。まあ、外国語といっても、今のところ日本語が主じゃがね」
「ふん。まどろっこしいな。地球と安全保障条約でも結ぶ方が手っ取り早いぞ」
「いずれ地球政府に後ろ盾になってもらうことも考えているが、下手をすると独立を脅かされることになりかねん。それに、決めるのはあくまでもこの惑星の住民たちじゃ。ちゃんと自分たちで判断ができるよう、今のうちに色々な知識を伝えておく必要がある」
荒川氏は、また、溜め息をついた。
「なあ、黒田。わしは時々、自分がアダムとイブをそそのかした蛇になったような気がするよ」
「ふん。馬鹿なことを言うな。ここはエデンの園じゃない。ここの住民たちだって、いずれは文明世界に出て行かざるを得んさ。いつまでも純朴であって欲しいと願うのは、すでに文明の恩恵に浴しているわれわれのエゴというものだ」
その時、森の精霊の声が響いた。
《地球人よ。確かにエゴかもしれぬが、われらはそう願ってこの世界を創ったのだ》
森の精霊の存在を忘れていたため、おれは思わず「わっ」と声を上げてしまった。
「ふん。それはどういう意味かね」
だが、森の精霊が答える前に、荒川氏が話し始めた。
「わしがかいつまんで説明しよう。そもそも、他の金属がほとんど存在せず、金ばかりが多量に存在するというのは、惑星物理学的にあり得ないことじゃ。わしはこの惑星の様々な地域を調べ、高度な文明の痕跡をいくつも発見した。その先史文明はかなり好戦的なもので、痕跡はすべて戦火のあとじゃった。しかも、金は元々そこにあったものが各地に拡散したことがわかった。また、捕食者がまったく存在しない生態系というのも、他の惑星では見られない現象じゃ。それらの証拠から、わしはこのドラードが人工的に創られた世界であると考え、その創造主を探した。そして、偶然、森の精霊とコンタクトすることができたんじゃ」
荒川氏がそこまで話したとき、再び森の精霊の言葉が聞こえてきた。
《そこからは、われらが説明しよう。今から一万年以上も昔のことになるが、われらはこの惑星上にかつてないほどに発展した文明を築き上げていた。だが、他の多くの文明がそうであったように、同じ種属でありながら、血で血を洗うような抗争の歴史を繰り返していた。最後の大規模な戦争の際、莫大に膨れ上がる戦費を賄うため、元素転換機で金を製造する技術が開発された。しかし、それはすぐに武器に転用された。相手の武器を無力化するだけでなく、建築物も、そこに住む一般市民もすべて金に変えられた。禁断の錬金術を手にしたわれらは、惑星の表面を金で埋め尽くし、生態系を破壊し尽くしてしまった。われらが己の愚かさに気づいた時には、この惑星の生物種のほとんどが絶滅寸前の状態だった。生き残ったわれらは争いを止め、生態系を回復することに全力を注いだ。ところが、そこでまた激しい争いが起きたのだ》
文明というやつは、どこの世界でも戦争という悪癖から逃れられないのだろうか。おれは暗澹たる気持ちになった。
《われらは、もはや自らこの惑星の主役の座を降りるべきであると考えるようになった。ちょうどその頃、われらの子供たちの間で、家畜として飼われていた食用齧歯類のマムスターをペットにすることが流行していた。われらは、そのマムスターたちにこの惑星の未来を委ねることにし、大型化と知性化を促進した。その一方、われらは自らの肉体を草食性に改造し、黒子としてマムスターたちを見守ることにしたのだ。今では、時々不足する塩などの物資を補給してやるぐらいで、ほとんど積極的な干渉はしていない》
おれは話の内容に圧倒されていたが、荒川氏に聞かずにはいられなかった。
「森の精霊って、いったい何者なんですか?」
荒川氏は森の精霊の声が聞こえてくる、巨大な伝声器を指さした。
「その裏側を覗いてごらん」
おそるおそる裏側を覗き込んでみると、そこにはおびただしい数の赤い糸が見えた。
「こ、これは」
「そう、オランチュラの糸じゃよ」
「ふん。あのバカでかいクモが森の精霊の正体というわけか」
「いや、それがちょっと違うんじゃ」
「えっ、違う生き物なんですか」
(つづく)
ドラードの森(18)